恋をしよう2
鼻をくすぐる甘く華やかな香り。
色とりどりの柔らかな布が視界を春に染め上げていく。
軽やかな笑い声が横をすり抜けて…
新城は、隣に立つ青島にそっと耳打ちした。
「ば…場違いじゃないか…?」
「なにを今更」
青島は、冷ややかなまなざしで新城に答えた。
台場の女性が集まるショッピングモール。どこに行っても香水のにおいがして、くらくらする。そこに明らかな違和感を醸し出しながら立つ男たちは、あから
さまな奇異のまなざしにさらされていた。
新城は、恨みがましく青島を見た
「だってお前が…」
発端は、先週の金曜日だった。なぜだか時間ができたらしい新城に呼び出され、あいかわらずの男臭い居酒屋で酒を飲んでいるときに、青島は新城から驚嘆の
事実を聞かされたのだ。
「なっ、夏美ちゃんにチョコもらったんすか!!」
「声が大きい!」
青島に負けず大声を出した新城は、はっと気づいてごほん、とわざとらしい咳払いをした。とたんに、新城を凝視していた親父たちがぱっとそれぞれに違う方
向を向く。
「はー…うちの人気ナンバーワン婦警から…」
「ナンバーワン、なのか…?」
青島は信じられない、といった顔をしてビールを一口飲んだ。
新城は目を丸くした。
「そうっすよー。明るいしかわいいし優しいし」
「そ…そうなのか…」
新城も酒をごくりと飲んだ。
「あーんなかわいいのに男っ気なくて、もちろんもてないんじゃないんすよ?彼女に声かける男いっぱいいるのに、ぜーんぜん相手にされなくて。バレンタイン
にチョコもらった男なんか、義理ですらいないんすから!」
「そ…そうなのか…」
また一口飲んで、たん、とコップをおく。それを見て青島が酒を注ぎ、新城を伺った。
「で、どうすんです」
「どうするって」
「彼女。義理なわけないでしょ、あんたに世話になんかなってないんだから」
「その言い方はなんだ」
「だってそうじゃん」
いわれてぐっとつまり、新城はまたコップ酒をあおった。
「あ、ホワイトデーのお返し、ちゃんと準備しました?」
「お返しぃ?」
「…まさか準備してないんすか!?」
「……おやじさん、焼き鳥」
「焼き鳥じゃなくてー!…新城さん、そのうちのろい殺されますよ」
「なにやったらいいかわかんないじゃないか」
「もー俺にまかせてっ!オンナノコの好みはつーねーにーリサーチしてるんすから!」
新城はコップに口をつけたまま、うさんくさげに青島を見た。
「あ、なんすかその顔ー」
「いや…」
「まかせてくださいって!一緒に買いに行ってあげますからっ」
「……………」
「まかせて!」
青島は、どーん、と胸を叩いて…
「…って、言ったよな?」
じろり、と青島を見る。
青島はいやぁな顔をして、壁のポスターを見る振りをした。
「…言ったよな?」
「…酔っぱらってたんすよー、新城さんペース早いんだもん…」
新城はため息をついて青島の首根っこを掴んだ。
「ちょ、ちょっと新城さーん!」
「うるさい!早く選んでくれ、これ以上ここにいたら気持ち悪くなって吐くぞ!」
ぐいぐい引っ張りながら、新城は勇気をふるって女性が集まる店に入っていった。
「これなんかどーすか」
「くさい…」
「うーん…じゃあこれ」
「つんとくるな」
「えー?…じゃあこっち」
「あ、こういう臭いの女、いるよな」
「臭いって言わない」
「ほかのにしてくれ」
「もー!」
青島が腕を組んで新城を睨んだ。
「いーかげんにしてください。香水にするって言ったの、新城さんすよ!」
新城は憮然として言った。
「なにがなんだかもうわからん」
「俺だって!」
新城は深くため息をついた。
…所詮俺には無理なんだ。格好つけて彼女に喜ばれそうなものを選ぼうだなんて…。
と、ふと視線を泳がせた先に、目にとまるものがあった。
鮮やかな色遣い。普段だったら絶対に近寄りそうにないものに手を伸ばし、テスターを鼻に近づける。
即座に決めた。
「これにする」
青島は目をむいた。
「適当に選んだっしょ!」
「適当じゃない。これがいい」
ふわりと香ったそれは…彼女のイメージがした。元気がよくて、いつも不機嫌な顔をしているはずの自分にも、太陽のような笑みをくれる。誰にでも向けてい
るのだろうと思っていたその笑みが、自分には特別だったのだと思い見つめ続けたこの一ヶ月…思い浮かべる彼女には、この香りがぴったりだと思った。
「買ってくる」
やけにきっぱりと言う新城に、青島は苦笑した。
「じゃあ、行って来てください」
「ああ」
ぐっ、と瓶を握りしめ、あからさまに怪しげな視線を送っていた女性販売員に、新城は重々しく告げた。
「贈答用に、包んでください」
ようやく女性の臭いがぷんぷんする場所から逃れ出て、新城は新鮮に思える空気を胸一杯に吸った。
青島からの情報によると、彼女は今日は当直。今から湾岸署に向かえば、彼女が交通課の受付にいることは間違いない。
時計を確かめて、新城は青島を見遣り、素直に頭を下げた。
「今日はありがとう」
青島は慌てて手を振った。
「や、やめてくださいよ新城さん」
気持ち悪いじゃないですか、と言いかけて、青島はにこりと笑った。
「俺は新城さんにばっちり世話になったし。新城さんにこれで春がくるなら、俺も嬉しいです」
新城は苦笑した。…青島の恋をとりもった、ということになっているようだったが、新城にしてみればそんなつもりはまったくなかったのだ。
「…じゃあ、行って来る」
「はい、がんばってください。俺たちも応援してますから」
ね、と青島は後ろを振り返った。…これまで一切口をきかずに、二人の後をくっついてきた男が、重々しく頷いた。
新城はその男に軽く頭を下げて、背を向けて歩き出した。
さあ、なんと言ってこれを渡そう。
…彼女は、あの日青島が浮かべたような微笑みで自分を迎えてくれるだろうか…。
淡い緊張感は、まるで春を迎える気持ちと同じだと、似合わぬことを考えながら。
その背中を見送りながら、青島はにこ、と笑って後ろに立つ男を見た。
「…気が済みましたか?」
「……………」
男は憮然としながら軽く頷いた。
「どーみたって俺たち、なんでもなかったでしょ?」
「……………」
何かと言えば青島を飲みに誘う後輩に、青島には理解しがたい感情を抱いたらしい恋人は、今日のこのプレゼント選びにどうしてもついていくと言ってきかな
かったのだ。…途中で相当後悔したらしいが。
青島は苦笑を浮かべて言った。
「じゃ、帰りましょうか。…俺へのお返し、ちゃんと準備してるんでしょ?」
恋人ぎくりとしたように目をむいた。
「あー、楽しみだな、なにもらえるのかな。新城さんはだいぶ奮発してたもんな、俺も期待しちゃうなぁ…」
お前はコンビニチョコだったじゃないか…。
情けない顔をした恋人に、青島はぷっと吹き出して、恋人の腕を取った。
歩き出した街の空気は、冬の気配が少しずつ去って…柔らかなにおいをともなって、春が近づいてきていた。
