恋 煩い 8









19.
光る窓ガラスから夏本番の陽射しが降り注いでいた。
指紋一つ見えない透明ガラスの遥か奥、正面ゲートの手前。
いつか見た景色と同じく、隙の無い手つきで開けられたバックドアの中にエレガントな男が優雅に滑り込む。
ホテルのドアマンさながらに扉は閉ざされ、運転席へと回り込んでいく若い部下。

「サマになってますねぇ」

小さく呟いて、青島はおでこ押し付けていた窓を開け放つ。
エアコンで冷えた室内に、一気に巻き起こる夏の風に、大きく息を吸った。

あれが俺の?俺んだ。

見下ろす向こうに、海が見える。
この夏が始まる前までは見るのも心痛んだ光景は、どちらかといえば誇らしいくらいの気持ちで今青島の中にあった。
何も変わらない。
俺たちはこの先を共闘していく同盟軍だ。
同じ気持ちを抱いているって、確認しているだけの、それだけの違いだった。
あれほど自分の足枷となっていたものは、室井が取っ払ってくれた。

「誰が渡すか」

バタンという音と同時に車は滑るように発車する。
この先、きっとまた二人を試すような試練が起きるんだろう。でもその時は、今度は違う答えも探したいと思った。
狙いを定めて、青島は呟いた。









20.
その日すみれは唸っていた。
ジト目で捕らえる先には、長年の後輩、もとい、同僚の青島俊作がいる。
すみれのストレートの黒髪は緑色に艶めき、その奥、深く眉間に皺を寄せた眼が的外れな敵意を注いでいた。
いつもと変わらない。見たことあるスーツだし、見たことある寝癖。
なのに、ここ最近の青島からは妙な色気というか、フェロモンみたいな男くささを感じる。

初めは恋心故の錯覚かと思った。
患っちゃったのかなあたしって。
でも、青島くんは大切だけど、今の関係にあたしは満足している。
もしかしたら一線超えちゃった系?!とか勘繰ったけど、でもアラフォーも越えてる男に今更初夜ごときで変化が出るのも気持ち悪いわ。
やっぱり、悩み事が消えたからというか、恋人が出来たことによる充実感とか、そのあたりかしら。

色艶はいいし、肌も女のあたしが嫉妬するくらい瑞々しい張りがある。
眼の下もクマもなくなって、忙しいっていいながら楽しそう。
だからいいんだけど。

「すみれさん、何?そんなに見つめられると、俺のおでこに穴が開いちゃう」
「気付いてたの」
「気付かれないと思ってたの」

キャスター付きの椅子をころころと転がして、青島から近寄ってきた。
すみれの横に同じように椅子を据えると、首を傾げてすみれを覗き込む。

「珍しく暇そうだね」
「まぁね」
「ハナシ、ある?」
「ないわ」
「そ?」

強く暴くこともしない優しさは、出会った頃から変わらない。
ペットボトルを取り寄せ、青島が軽く煽った。
その肌に汗が光る。

外は午前中だというのにもう30度を越えそうな陽射しが燦々と降り注いでいた。
眩しさの向こう側に聳え立つ入道雲が煙立つ。

「梅雨、明けたね」
「明けましたね」
「聞きたいこと、あったわ」
「どうぞ?」
「あのさ、最近、室井さんと会った?」
「・・・・・・・・なんで」
「実はさ、白状しちゃうと、少し前、あたし室井さんに青島くんの相談に乗る気ない?って電話しちゃった」
「まじ?」
「余計なことしたと思ってるわ。反省もしてるから責めないで。でもあの頃の青島くん、本当に消えそうで心配だったのよ」
「そっか」

特に怒るでもなく、青島はまたペットボトルを口に含む。
ごくりと動く喉仏が、男らしい輪郭を持ち、シャープな顎のラインに朝日が当たった。
あ、でもやっぱり、少し痩せたわね。

あの時の青島は、行き先も告げずに何処かへ行ってしまうような脆さがあった。

「で、実際逢えたのかなーって。なんとなく」
「それってもしかして、すみれさんが強引に俺を運転手にした日?」
「ご名答」
「そっか」

同じセリフを吐いて、青島がぱふんと椅子の背もたれに体重を掛ける。
頭の後ろで腕を組み、何やら納得したような顔をして見せた。
緩めたネクタイは襟元を崩し、その柔肌まで覗かせてくる。

「結果は?」
「・・・・・・たぶん、会えたよ」
「ほんと?すっご!腐っても腐れ縁なのね」
「日本語が変だよ」

柔らかく笑う青島の虹彩は朝日に淡く透け、不可思議な色を湛えてすみれを写し取る。

「なにか、言われた?」
「・・・・・・なにか、って?」
「効率的なアドバイスとか、打算的な策略とか」
「すみれさんの中の室井さんはそんなか」
「あの堅物に恋愛相談なんて、ちょっとした茶番よね」

楽しそうに青島が目を細める顔は、それでも室井に対しての深い信頼と絆が感じ取れた。
長い月日が経っても変わらない、そんな縁を羨ましくも眩しくも思う。
それはそれで、ずっと続いて行ってくれたらいいと願った。

不意に青島が指先をすみれへと向ける。
デスクに肘を付いて、意味深な笑みに口端を綻ばせた。

「その無謀さで、オトコ漁ったらいいのに」
「女の繊細さを舐めてんの」
「すいませんっ」

ひゃっと首を竦める青島と一緒に、くすくすと忍び笑いを零すのは、なんかじんわりとした幸せが満ちてくる。

「ね、そー言えばさ、提案があるんだけど」

くるりと愛くるしい瞳を瞬かせ、青島が話題を変えた。
こんな風に当たり障りのない陽気さで人を油断させ、時に劇場型の無謀さに出るんだから、危なっかしい男である。
今はその片鱗を隠していることが、昔馴染みのすみれには少し寂しくも思う。
そういえば、こんな風に大人になってしまったのはいつからだっただろうか。その理由も。
室井と出会ってからだ。
きっとそれは無関係じゃない。青島の中の何かが組み替えられてしまった。
今なら聞いたら答えてくれるかな。

「ね!て・い・あ・ん!」
「あぁ、なに?」
「ごはん、行かない?ずっと流れてたでしょ」
「あ」
「今晩、どお?」

器用に上目遣いですみれのご機嫌を伺う顔は、出会った頃から変わらないあの眼差しだ。

「その左手のカノジョに怒られないの?」
「大切な同僚と食事に行くのも目くじら立てるような相手なら願い下げですよ」
「でもそれが世の中の夫婦の三大離婚原因よね」
「独占欲もそこまでくるとコワイね~」
「独占欲じゃなくて、信じられないんじゃない?ちゃんと言葉にしないから」
「お、名推理」
「すみれさんの女度を舐めないで」
「なのにどうしてオトコいないんだろうね?」
「そこは永遠の謎」

垂れた横髪を耳に掛け、スマホをタップし、すみれは一つの店を提示した。

「そこ?」
「うん。でも本当にカノジョさんに悪くない?あたし刺されるのやぁよ」
「俺がすみれさんと食事に行きたいんだよ」

ああぁもぉ、だから青島には弱いのだ。
こういうところが大好きで、こういうところに救われて、だからすみれは幸せなのだ。
青島くんと一緒に生きていける未来を与えてくれるのなら、あたしはあたしが護るべきものを間違えない。

「すみれさん?」
「よぉし、分かった!奢らせてあげようじゃないの」
「ぇ?そおゆぅ話だったの?」

すみれが片手を上げる。
意図を察して青島がくしゃりと笑った。
手の平を掲げ、二人でハイタッチする。

「今晩ね!」
「りょ~かいっ」

お節介だと言われても、口煩いと嫌われても、青島のために奔走した時間は、悪くなかった。
駄目かもと思いつつ、頑張ってみて良かったと思っている。
例えそれがあたしに何の結果にならなくても。

二人同時に背中を合わせ、それぞれの仕事へと頭を切り替える。

あたしは今までこんな風に誰かと真剣に向き合ってきただろうか。
自分の精一杯を捧げて、全力でぶつかって。
婚約破棄した時だって、あたしは逃げ出した。それだけだった。
ぼろぼろになった心の傷に呑まれて、戦うことは出来なかった。
人は、人と深く向き合い踏み入ることで、めくるめく充実感と多幸感に満たされるのだ。
これだけやったんだという満足感が、あたしをひとつ、強くする。


緑を生やす樹木の雄大な繁茂が色鮮やかなエバーグリーンは、すみれの眼には輝いて映った。
梅雨が明けた窓の外は、蝉の声に飾られ、ぬけるような青空がどこまでも広がっていた。
きっと今日も暑くなる。



















happy end

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夏前にあっさりと終わらせる筈だった七夕話が今年の異常猛暑40°!のおかげで長くなりました。
ここまでお付き合いくださりありがとうございました!