-autumn serenade 2-


「全く!本当にアイツはトラブルメーカーですね」

エレベーターで鉢合わせた新城が、室井の顔を見た途端に悪態を吐いた。


「人の顔を見るなり、いきなり何だ」
「青島ですよ」

「何だ?また何かやったのか」
隣に居た一倉も口を挟む。


「今、彼に潜入捜査させているのですが・・・・」
「らしいな」
「それは裏付けみたいなもので、特に情報が出るとは思ってなかったんですがね」
「くく・・・っ、鬼でも引き当てたか」


一倉が楽しそうに笑う。
それを横目で頷きながら、新城は苦虫を潰したような顔を見せた。

「鬼どころじゃありません。ひょっとしたら、ジョーカーかもしれません。とんでもないワイルドカード掘り起こしてきましたよ」
「どういうことだ?」
「青島にマークさせている上役が、全てのキーマンだった可能性が出てきました」
「マークさせている上司って・・・・スーツくれた男のことか」


腕を組んだまま、一倉が閃いたように呟いた。
室井の片眉が上がる。


「危険だから警戒しろと忠告したくても、電源も切っているようでね」
「連絡取れないのか」
「ええ。勤務中は念のため、電源を落とすようには言ってありますが、昨日から定時連絡もないようでして」
「しょうがねぇな~、アイツは」

一倉が、楽しそうに笑う。

「大事な時に限って使えない」
「俺からも青島にコンタクト取ってやろうか」
「助かります、直ぐに本部へ連絡入れる様、尻を蹴り上げてください、一倉さん」


一倉の笑いが爆笑に変わる。

新城は、そこまでずっと黙って二人の会話を眉間に皺を寄せて聞いていた室井を半眼で見やった。

「本気で青島の操作術でもご伝授頂きたくなってきましたよ」
「・・・・・・・・私に言うな・・・」


室井にしてみれば、青島は少々じゃじゃ馬なだけで、別に、扱い難い人材ではない。
困惑した視線を新城に向けていると、鼻息荒く、新城は口の端を歪めて見せた。

「その、苦労を理解出来ていない辺りが秘訣なんでしょうね」

エレベーターが到着する。
新城は軽く会釈をし、足早に去って行った。
それを扉が閉まるままに、二人で見送る。


エレベーター内は、二人だけだった。




「・・・・一倉」
「――ああ、悪かった」


容易に室井の言いたいことを察した一倉は、両手を上げて降参のポーズをしてみせる。
全く悪びれない態度に、室井も慣れたもので
深く溜め息を吐いたあと、視線だけ一倉に戻し、続きを促す。


「三日くらい前か。またあの店で会った」
「その時に聞いたのか」
「ああ」
「・・・まさか・・・・邪魔しに行ったんじゃないだろうな」
「待て。偶然だ」

この間、接触を希望するような冗談を吐いたから、あまり説得力はない。


「本当に、偶然だ。この間の礼を言っていたぞ」
「・・・・・」

室井がまだ何か言いたそうな顔をして一倉を見る。


「おい・・・・たかが電話だろ」
「別に何も言っていない」
「そうは思えないけどな。顔に書いてあるぞ、青島に近づくなって」
「・・・・・」
「面白くないんだろ」
「そんなことはない」

「だったら、俺が青島を誘おうと、取ろうと、勝手だよな」
「取るって・・・・別にあいつは俺のものじゃない」
「じゃあ、俺のものにするぞ」


途端に、室井の眼が驚愕に見開かれる。

「いいんだろ?誰のものでもないのなら、俺が貰っても」
「貰うって・・・・この間から何なんだ?あいつを巻き込むのはよせ」
「お前にそう言う権利はないよな?この間、逢って間近で見たら、中々色男だなぁって思った。それの何処に問題が?」
「一倉」
「あれなら妙な気分になる人間だっているだろう」
「一倉っ」
「お前、ひとつ勘違いしているぞ」
「・・・何をだ!」
「そう目くじら立てなくても、そのうち誰かが横から掻っ攫って行くさ。お前のその大事なポジションから」
「・・・・・っ」


室井の眉間に皺が険しく刻まれたのを見て、一倉は心の中で溜め息を吐く。
全然このままで良いだなんて割り切れてもいない癖に、強がりやがって。
そんな幼稚な感情など、手折るのは容易い。


「それより気になることがある。新城が言った容疑者だ」
「・・・・それが?」
「青島の口ぶりだと、どちらかと言えば腹心・・・・かなり入れ込んでいるように見えたが・・・」
「入れ込んでいる?」
「スーツ奢ってもらったり、手懐けられてんなって印象」
「・・・・・」
「まさか、バレているとまでは思わないが」
「青島がそういうミスを犯すとは考え難い」
「ああ、でも」
「早めに連絡は取れた方が良さそうだ」
「だな・・・・」

エレベーターの走行音が静かに通り過ぎていく。


「室井」
「?」
「俺なんかライバル視している場合じゃなくなったな。その男に青島、横から掻っ攫われたって知らねーぞ」
「ライバルって・・・・バカ言うな。仕事だろ」
「動揺しちゃって。・・・・関係ないだろ、出会いなんて。お前とだって仕事上、じゃねーか」
「あのなぁ、一倉っ」
「俺は欲しいものは自分で手に入れる。そんな突然横から出てきた身分も知らない男に、可愛い同僚を奪わせるつもりはないね」
「!」


目的階に到着する。
ポーンと間の抜けた音が頭上で鳴った。


「じゃあな。せいぜいそこで指咥えて見てろ」







「秋か・・・」
流れる景色を何とはなしに眺めながら、室井は小さく口の中で呟いた。


時刻は夕方4時を回っていた。
今日はこの後、本庁へ戻って引き継ぎをしなければならない仕事がある。
運転を任せている部下が、今後の予定を口にしている間、室井は書類から目を上げ、窓の外を眺めていた。


流れる景色は灰色で、木々の葉も枯れ果てた。
エアコンの効いた車内からでも、外の冷たさは感じられた。


秋は様々なことを想う。
この空気の冷たさが、その中にあって灼熱のような鮮烈を放った、青島との一瞬の邂逅を思い起こさせる。
青島と関わる季節はいつも、空気が凍えていた。
その冷たさの中にあって、ただ、一つ熱い光を発していた。

それに共鳴するように、この身体も熱くさせていたことを、遥か遠くに思い出す。
青島が齎した大冒険は、室井にワクワクとかドキドキとか、久方の躍動感を呼び起こした。
この歳までの生の中で、二人で過ごした時間だけが、今も鮮やかな色合いを帯びた生命の躍動と謳歌を呼び覚ます。

喜びでも怒りでも、彼と向かう時に生じる想いは、どれもが瑞々しく、新鮮な色を以って室井を戦慄かせた。
眩しく、優しい、鮮烈な追憶――血の匂い。
秋から冬に入るこの時期、清浄な空気はいつも、残酷な色と共に彼を連想させた。


あれから、彼には会っていない。



「――を任せたいとのことです。後は明日のタイムスケジュールですが・・・・」



彼と駆けたあの街は、海と空の紺碧が交差する、解放感のある場所だった。
彼と話し、彼に触れる時、街の陰影が鮮やかに溶け合った。
あの街は今もきっと変わっていない。
彼も変わらない。
今も同じように、あの街角を走っているのだろう。

自分だけ、遠く取り残された気持ちになった。


あの時代を大切に想ったまま、変われない自分が、ここに置き去りにされたままのような焦燥感に襲われる。
だが、そんな感傷は精神の奥に抑え込む。
彼と、前を向いて歩いていくと、約束したから。

こうして、時折、風の噂でその名前が耳に届く。
それだけで、じんわりと胸の奥に灯火が映えるようだった。


室井にしてみれば、一度失いかけた命だった。
元気に走り回れているのなら、それで良かった。
それこそ父親のように、その勇姿を見守っていくつもりだ。


が、何故、こうも彼らの存在が自分を苛立たせるのだろう。


正直、新城が青島を使って捜査していることに、反感さえ抱いた。
自分を差し置いて、青島と接触し連絡先を聞き出している一倉にも、嫉妬した。
そんな感情を抱いている自分に、一番惑乱した。
自分はどれだけ青島にとっての特別であれたのであろうか。
過去の栄光に縋る、みっともない男の姿は、晒したくなかった。

“お前にそういう権利はないだろ”――――その通りだった。
自分には、誰も青島に近づくなとも、青島に誰にも揺れないでくれとも、言える立場になかった。

心揺れないで、だなんて。


室井は、そんな自分の思考回路が可笑しくて、心の中で冷笑する。



窓の外は、茜色に染まり、街のイルミネーションが灯り始める。
街路樹に巻き付けられた金色の波が、街に彩りを与える。
そう言えば、時期的にハロウィンかクリスマス仕様なのだと、今頃思い至る。
冷たい装飾の灯りは、空の果てまで続いていた。



「――以上、計4つの会議が予定されています。書類は昨日渡したものの中に。それと・・・・」


流れる街並みを、ただ見つめ続けた。




そもそも、そう乞うだけの、濃密な関係にあったと思っているのが自分だけだったら?
青島にとっては、一過性の季節みたいなもので、特に人生に於ける突出した時代ではないかもしれない。
そう言う話を、したこともなかった。
するような間柄でもなかった。

なのに、今も、胸の奥深くに張り付くように残っている鮮やかな時間は、一体何なのであろうか。
まるで青春時代の甘酸っぱい思い出のように、時折顔を出しては胸を締めつける。
幾度となく、その漠然と湧く仄かな記憶に何度も戸惑った。
何故、青島なのか、などという稚拙な問いをするつもりはない。
青島と関わる時だけ、室井は少年時代に蘇り、胸中は熱い旋律が奏でた。
同時に感傷もまた、子供っぽく執着する。
それは、奥底を焼き焦がすような強い力で、室井を動揺させるが、そこから逃れたいとか解放されたいとか、そんなことを考えたことは不思議となかった。
何なら一生捕らわれたままでもいい。

ずっと一緒に、夢を見ていたいと思っていた。


こんな有り様では確かに、一倉に初恋だと揶揄されても仕方がない。


更に、救い難い事実は――― 一倉はそこまで気付いてはいなかったようだが
本当に辛いのは、自分が盲目的に捕らわれていることではなく、もうそれが、記憶の中にしかない風景であるということだった。
もう決して動き出さない写真の中の、褪せた思い出は、今も室井の中ではリアルに蘇る。
そんな風にしがみ付き、焦がれ、傾倒している接点が、結局の所、もう自分の独りよがりであろうという現実の方が
室井には冷たかった。



「――ということです。それで宜しいですか?」
「ああ、頼む」


大分端折って聞いていたが、相槌代わりの返事をする。



もう全ては過去なのだ。


――なのに、何故彼らの動向が、存在が、こんなにも胸の奥を掻き乱すのだろう。
自分だけ卒業させられた場所で、今尚楽しげに青島と関わっていられる彼らに、妬いているとでもいうのか。
一体どんな拙い我欲だ。
青島にそんなことをしていいのは自分だけ、とまでは思っていないが
預かり知らぬ所で、協力し合う彼らが、妬ましかった。
連絡を取り、個別の時間を持った一倉にも、聖域を穢されたような嫉妬心が湧いた。
欲望というものは、幾つになっても浅ましく稚拙なものだ。


室井は、眉間を揉みながら、窓から視線を戻した。




車はスクランブル交差点に差し掛かり、滑るように停止した。
横断歩道を渡る無数の長い影が、何処へとも分からず、街中へと呑み込まれていく。
皆、帰るべき場所へと、去っていく。
帰る場所があることが、今は、羨ましかった。

何処にも確かなものがない・・・・不確定要素で埋め尽くされた日常に、窒息しそうなほど息苦しさを感じる時がある。




音響信号機のメロディが、のんびりと規定時間を終えた。

「――!」


なんとなくもう一度視線が窓の外へ向き、時が、止まる。
その時、室井は一瞬、自分の眼を疑った。
が、それより早く、口が勝手に動いていた。

「すまないが!」
「・・・はい?」
「ここで降ろさせてもらえないか」
「え?で、でも」
「今日は直帰しても構わないだろうか。残りは明朝、すべて間に合わせる」
「え、え、でも、あの」
「頼む!」
「分かりました・・・・」

運転手はしぶしぶと言った感じで、ロックを解除した。
室井は、弾かれたように車外へ飛び出す。
「すまない」

もう一度、運転手に侘びを入れてから、室井はコートを翻し、走り出した。
夕日で陰る人波へ。





~~~~~~


葬儀場は、既に薄暗く成り始めた中、厳粛で悲愴な空気を醸し出す。
すすり泣く声・・・・ざわめき・・・・御香の匂い・・・・
勝手に入るのも不躾だろうと、室井は入口から遠く離れた大木の下まで引き返す。

鳶色に変色した木の葉が未練たらしく揺れる木から、夕暮れの秋雲を、嘆息を吐いて仰ぎ見た。
群青色に染まるうろこ雲が、天高く流れていく。
細い、鉤爪のような白い月が、東の空に頼りなく浮かんでいた。

秋の日没は早い。

葬儀の物悲しい風情は、寂寥感をひたすら煽り、暮れていく太陽の終焉と相まって、孤独を募らせる。
確かにここへ入るのを見た気がする影もまた、それすらの自信さえ薄れた。
室井は途方に暮れて立ち尽くした。


もう冬の匂いのする風が、足元を冷やして擦り抜ける。


何分そうしていただろうか。
数分のような気もしたし、数十分のような気もした。
入口から聞き覚えのあるような声が、風に乗って聞こえてきた。

ハッとして振り返ると、提灯の間から人目を引くスラリとした男が、頭を下げながら出てくる姿が見える。
見慣れないコート、形の良いシルエット。
特注仕立てらしきスーツを整った細身に着込み、オレンジの灯りに浮かび上がる。
遠目からでは、まるでそれは、上流階級の一人のエレガントな男性だった。

でも、確かに青島だ。


一通りの挨拶を済ませたのであろう、コートをバサッと鮮やかな手つきで羽織り、スッと滑らかに袖を通す。
何をするにも目立つ男だ・・・・。
室井は心の中が、少しだけ締めつけられた。


コートの前は開けたままで、鞄を取り、青島が未練を感じさせない足取りで、門扉へと向かいだす。
ふと、足を止めて、一度だけ躊躇いがちに振り返る。

じっと葬儀場の中を見つめるその視線は、これが、ただの社交辞令でないことだけを、告げていた。




人混みを離れ、青島が石畳の上を、俯き加減でゆっくりと歩いてくる。
室井は何と言って声を掛けたら良いのか分からず、躊躇った。

背後の草むらで、秋の虫の音が、急き立てる様に冷たい音を奏でていく。

距離が2~3mまで迫った時、それまで足元の石畳を見つめ、項垂れながら歩いていた青島が、ふと顔を上げた。
歩みを止めずに振り返り、視線が今しがた出てきたばかりのエントランス辺りを彷徨い、再び、俯く。
合わせて、前髪がさらさらと流れ、その表情を隠してしまった。

が、次の瞬間、もう一度顔が上がると、その視線が流れ、最後にこちらへ向いた。


室井の心臓がドキリと鼓動する。

青島の足が止まった。


二人の視線が、緩やかに絡み合う。
お互い、どちらも言葉はなかった。




「なんでいんの・・・・・」

声こそ届かなかったが、青島の口が確かにそう呟いた。






「久しぶりだな」
「そう、ですね」

青島が傍まで近付いてから、室井はようやく口を開いた。
その間、視線だけは一度も外さなかった。

別人のような、不確かで不思議な、懐かしい存在を、探るように見つめる。



「忘れられてはいなかったか」
「そこまでボケてませんよ」
「君のことだ。過ぎ去ったことは潔く捨てていくのかと」
「それは室井さんでしょ」


青島の眼が、静かに下を向く。
少し元気がないように見えたが、それは恐らくこの葬儀場が関係しているのだろうと、室井は勝手に結論付けた。


「仕事帰りか?」
「はい・・・室井さんもこの近くで仕事が?」
「待ち伏せするような真似をしてすまない」
「え・・・・じゃ、室井さん、ほんとに俺を待ってたんですか?」
「ああ。・・・・ケータイ、切ってるだろ?新城がボヤいていたぞ」
「え?新城さん?・・・マジ?」

青島が慌てて尻ポケットを探る。

「君が今、世話になっている人物に、別件の容疑が掛かりそうだとの話だ。充分気を付けるようにとの忠告だろう。・・・・・連絡を入れてやれ」
「分かりました・・・・。ええぇぇ?そうなの・・・・・?やっべ」


独り言のように青島が呟くのを、室井は不躾に見つめた。
毛先が少しだけウェーブしている初めての髪型。胡桃色の細髪。ブルーの艶を出している見慣れない瞳。
間近でみるとそれは、グリーンがかったアクアマリンのような色を見せていた。

ケータイを持つ指先も、トップコートを塗られ、闇に光る。
指先には何かを強く主張しているかのような、太めのリング。

確かに青島なのに、完成された美しさは逆に奇妙な違和感を室井の中に醸し出した。
だが、変わらない声とリアクションが、昔のままで、そのギャップが可笑しい。


こんな風に青島を見るのは、酷く久しぶりだ。
どんなに外見を繕っても、他人に対し取り繕っても
こうして室井の前で見せる青島は、昔の面影を残した、室井の記憶の中に在る青島のままだ。

それが、ほんの少しだけ、凝り固まっていた室井の緊張を解す。



「ちょっと・・・・すいません」
そう言って、青島が片手で謝罪の合図を寄越し、電話をかけ始めた。
呼び出し音が微かにこちらまで届く。


あの頃とは違う色をした髪が、さわさわと秋風に揺れる。

少しスリムなラインカットのスーツは、その長い手足を美しく際立たせ、秋の夕暮れに陰影を深めていた。
ケータイを耳に当てる仕草も、そこに光る指輪や時計が、華奢で色艶のある仕草に見せるのも、全てに目を奪われる。
見慣れない瞳の色が、提灯の灯りに揺れて、プリズムのように反射した。
あの頃と少しも変わらない横顔や声質が、逆に幻影のような印象をもたらす。

それらは余りに不確かで
こうして見ているのは、室井の願望が映す幻で、瞬きをすれば、霧のように闇に溶けてしまう気がした。



新城の怒鳴り声が、離れていても風に乗って届く。
室井は思わず、苦笑した。


「ああ!もう!分かってますったら!!」

通話を切った青島が、そんなに怒ることないだろ、とぼやきながら、ケータイを終う。
チロリと室井に視線を寄越した。


「あー・・・・なんか、連絡役みたいなことさせて、すみませんでした」
「いや・・・・いい」
「でも、この間だって。・・・・・アレ、黙っててくれて助かりました」
「元気そうで、安心した」
「ははっ・・・・。この局面で礼を言う人なんて、アンタくらいですよ」


ようやく、この日初めて青島が、顔を緩ませた。
二人の間にも、馴染みの距離感が戻ってくる。

「巧く化けたな」
「あ~、やっぱ、変?ですかね?」
「似合っているぞ」
「でも室井さんにはあっさり見抜かれたって・・・」
「ああ・・・・・一倉か」
「ええ。この間、またあの店で会いまして。行き付けなんですってね」
「ああ」

何となくそれ以上のことを言うのが嫌で、会話が途絶える。

「ちょっと――懐かしくなりました」
「懐かしい?」
「ええ、一倉さんと俺と。そして室井さん。それから新城さん。今俺に関わっているのは、偶然にも昔馴染みのメンツなんで」
「――そうか」


昔馴染み、と青島は言った。
やはり、彼にとって、室井も、過去の産物なのだろう。
その中に自分を入れるなとは、流石に口に出来なかった。


また、何とも言えない沈黙が訪れる。
足元の落ち葉が、カサカサと音を立てて転がっていくのが、耳に残った。

チロリと青島が上目遣いで、室井の様子を窺ってくる。
それに気が付いていながら、それでも室井は何を口にして良いのか、分からなかった。


青島が、ふと室井の背後にある大木を見上げた。
目を細めて、怖いほどに紅い色に染まる空を見る。
秋の夕暮れは陰影が濃く、もう藍色の闇がそこまで来ていた。
気がつけば、二人が立っていた場所も、あっという間に陰りが覆っている。


青島の背後で、葬儀の灯りが、ヤケに黄色く宵に浮かび上がって見えた。
室井も青島の視線に誘われるように、大木を見上げる。





「――秋、か・・・・」

青島が、小さく呟いた。
その言葉に、室井の心が、ザワッと掻き乱される。

鳥肌が立つような電流の様な痺れが、一気に足元から頭上に向けて走り抜けた。



何かが、一気にどうしようもなくなってしまった。
自分の独りよがりなんかじゃなく、青島もまた、同じ感傷を抱いている・・・・同じ気持ちを知っている。
それだけで、枯渇していた何かが一気に満たされた。
その言葉を意味を知っているのは自分たちだけで、その言葉を今尚言ってくれるのであれば、室井は何処までも漲れる。


ザザァッと冷たい夜の風が、砂を巻き上げて吹き抜けた。



「――青島。この後、予定がないのなら――」

びっくりしたような青島が、そこに立ち尽くしていた。











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