「なんでいんの・・・・・」
青島がそう、ぽつりと呟いた。
雨夜の月
-autumn serenade-
1
一倉がその男に興味を持ったのは、室井が切欠だった。
誰にも執着せず、何にも関心を見せない、無表情で遊びの一つも知らない淡々とした男が
息をするのも忘れたかのように、その視線が釘付けになる。
その視線の先には、いつもあの男がいた。
「最近はどうだ?」
酒を注いでやりながら一倉が訊ねると、律義な礼に続いて、相変わらず愛想もない返事が発せられる。
一倉はそれを知った風な顔をして薄笑う。
こいつは昔から変わらない。
警察学校で知り合ってから、ウマが合うのか合わないのか、淡泊な関係が今も地味に続いている。
月単位で合わないこともザラだが、それでも途切れない縁は、やはり何かしらの気は合っているのだろう。
いつしか、こうして、時に近く、時に遠く、同じ世界で生きていく盟友になった。
「アレも頼むんだろ?」
室井が御品書きを手渡しながら、聞いてくる。
「あぁ、湯葉?・・・・お勧めだって言うからな」
僅か障子一枚隔てただけとはいえ、静かな店内は、ここを都会であることすら忘れさせた。
日本家屋を意識した建築様式は、数年前にリニューアルしてから白木を基調とした現代風に変わり
畳の個室を割り当てられる機密性が受け
土地柄、商談や接待などに良く使われているようだった。
女将が創業当時から受け継いでいるという湯葉と、べっ甲飴の掛かった抹茶白玉が、一倉のお気に入りである。
すっかり馴染みとなったこの料亭で、奥座敷を取り、いつも二人で呑んだ。
職場の連中と出くわす危険性もない立地条件と、BGMすらない静寂な店内、旨い酒と料理の全てが、一倉を甚く満足させている。
・・・・・ここへ連れ込んだ男は、室井しかいない。
料亭の上階には、いわゆる相部屋と連れ込み部屋もある。
宿も兼ねた老舗旅館のような料亭ではあったが、一倉がここに女を連れ込んだことは、一度たりともなかった。
外では当然の顔をして着ている鎧を脱ぎ去り、そういう自分の一番脆弱で柔い部分を、曝け出せるのも
この場所と、室井相手だけだった。
若き時代、熱い青春の最中を語り、やがてそれは仕事論から人生論へとシフトした。
愚痴を零し、弱音を吐き、喧嘩をし、明日を語った。
一倉が廃れた発言をしようと、穿った見方をしようと、室井はそれを、いつもじっと宇宙のような広く深い、黒目がちの瞳で、聞いていた。
「今、何やってる?」
「書類に埋もれてる」
「く・・・っ、不満なんだな」
「そうでもない」
「顔に出てるぞ」
「――・・・・」
「腹の探り合いも、所詮頭脳パズルだ。・・・・現場が恋しいか」
「別に。望んでいることだ。・・・お前こそ、何やってんだ?」
「俺は可愛い部下のお守だよ」
今度は室井が声も立てずに笑い、銚子を差し出す。
「分相応って言葉だけは平等にあるんだよ」
「・・・・面倒見がいいだけだろう」
「言い方だな」
盃に唇を一度だけ触れさせ、テーブルに置く。
秋が深くなり、熱い酒は灼くように身体に染み渡るようになった。
意図せず、ほぅっと息を吐く。
吸い物の椀を取る。
上品な鰹出汁の香りが広がり、食欲をそそった。
湯気が頬に当たるのも、心地良い。
目の前で同じく吸い物に口を付けている室井を見遣りながら
ふと思い立って言ってみる。
「第一それはお前だろう?」
「?」
「あ、お前の場合は個人限定か」
「どういう意味だ」
「青島だよ。とぼけるなよ。・・・・どうせまだ続いてんだろう?」
室井は眉間に皺を寄せて、盃を掲げる。
伏せ目がちに軽く酒を舐めた。
室井の盃を持つ手は美しい。
中指と薬指の間で盃の糸底を挟み、親指と人差し指で軽く支える。
スラリとした長い指先が、黒漆器に良く映えた。
お互い、この社会で暮らす内に馴染んできた所作だが、それが妙に様になる男である。
「ハタ迷惑なシンデレラだよな」
「王女って柄じゃないだろう」
「じゃあ、お前が眠り姫?キスひとつで寝た子を起こされたか」
「言ってろ」
「俺にすりゃ、わざわざ男に自分を探させる女は性に合わないね」
「証拠品から身元を付き止めるのが俺たちの仕事じゃなかったか」
「物好きだって話だろ。どっちにしても。・・・新城の胃には穴が開きそうだぞ」
「・・・・何の話だ?」
「知らないのか?・・・まあ、俺もこの間聞いた話だ。今ヤツが担当している一つが湾岸署だと。・・・ボヤいてたぞ。一人ガン飛ばしてくるのがいるって」
「・・・・・・そうか」
そう言って僅かに微笑む室井の表情を盗み見る。
親しく馴染んだ者にしか分からないが、柔らかく目じりを変化させ、その瞳は慈愛を帯びた色が差す。
一倉はじっとその変化を正面から観察した。
まただ。
なんだろう?この顔は。
室井に青島の話を振ると、時々こういう顔をする。
――――もう随分と昔の話になるが、仕事で室井に湾岸署とのパイプを頼んだ時に出会ったのが、青島だった。
若さ溢れるエナジーと、極彩色の威勢だけが、妙に鮮烈に記憶に焼き付いている。
その後、紆余曲折はあったようだが、こいつらの関係は未だ続いている。と思う。
具体的に確かめたことはなかったが、室井のこの顔をみれば、変化がないことくらい一目瞭然だった。
直向きな想いを変わらず心に留め、言葉より一心に全幅の信頼を寄せている。
その、今となっては公然の裏事情となっている“約束”とやらが、どうだとは、今更口出す程、一倉も拙劣ではない。
だが、室井のこの表情から滲み出す胸間は、それだけでは説明が付かなかった。
出会ってから、十余年、一倉と室井だってそれなりの付き合いをしてきたつもりであった。
大人の社会的な接点とは言え、それこそ赤裸々な部分まで曝け出すような付き合いではなくとも、それなりの関係を築いてきた筈だった。
少なくとも一倉はそう思ってきた。
その他の奴らよりは一歩進んだ自我空間の中で、心理的距離間を能動的に共有してきたのだ。
にも関わらず、室井が一倉に対し、そんな柔い部分を見せたことも、子供の様に感情を爆発させてぶつかってきたことも、そして
このような柔らかい表情をしたことも
一度もなかった。
――俺の前じゃ虚勢を張っているのか。或いは、青島の前だけは格好付けたいのか。
室井が土瓶蒸しに手を伸ばす。
松茸の香りがふわっとテーブル越しに、こちらまで漂ってきた。
「長いよなぁ。そんだけ青臭いことを言ってて良く持つもんだ」
「別に・・・・」
「アイツがそうさせるんだろう?・・・・お前を」
秋茄子の煮浸しを突きながら、そう言ってみる。
室井は他者からの変革を容易には良しとはしない。
もっと堅物で、頑固ではあったが、この社会の仕組みは熟知している男だった。
同期入庁者の中でも、一、二を争う出世頭と見られたが、出身大学の派閥からは外れていることもあってか、寡黙ながらも何かと目立つ存在だった。
この社会で“目立つ”ということは、叩かれるということだ。
そのためもあって、結果を重視する徹底した実学主義者と成長し
言うなれば、もっとモラリストであり、ある意味、野心家だった。
大成とばかりに掲げる目的のために、邪念をスッパリ拭い去れるリアリストである筈だった。
それが、青島に関わった途端――――この様だ。
一倉は、片肘を付いて秋茄子を咀嚼しながら、じぃっと室井を見つめた。
人間、こうも変われるもんかと、しみじみ思う。
タイミングやチャンスというものは、確かに重要かもしれないが、室井をここまで開花させたのは
紛れもなく、あの男なのだろう。
「頃合いじゃないのか?」
「え?」
「鍋」
「ああ」
タイミング良く掛けられた言葉に、少しだけ反応が遅れた。
言われるがままに、二人の中央に置かれたままの、京鴨と葱の温浸しの蓋を開けてみると、
白い蒸気がふわっと舞いあがり、湯の香りが鼻孔を突く。
これからの時期、鍋の醍醐味が分かる季節になる。
本当に、丁度良い頃合いのようだ。
視線で合図し、室井の椀に盛ってやる。
室井も眼で礼を言って、受け取った。
「その意味では、別に青島は関係ない」
「んん?・・・・あぁ」
律義に責任の所在を訂正してくる男に、一倉は笑いを滲ませた。
青島は、その魂が一度鮮烈な光を放つと、こちらの想像を遥かに超えて昇華させてしまう男だった。
直向きに、室井だけを求め、室井だけを信じ、その針金のような繋がりだけを根拠に
全てを掛けられる度量がある。
その思い切りの良さを、本当の意味で巧みに制御し、有効に導けるのは、この室井だけだろう。
――当時の室井の手腕は、言葉にこそ誰も発しないが、正直舌を巻くものであった。
一方で、室井がそれほど、躍起になって他人と共謀するなんてリスクを負うとは想像もつかなかったし
他人に対してそこまで熱烈に歯向かう性格とも、誰も思っていなかったであろう。
流動的に見えながら、根源とも言える最奥の部分は確立している男だけに
この変化は恐らく上層部の度肝を抜いた。
非常に、愉快なことだが。
数年前、室井が所轄の若者と手に手を取り合って逃げたと知った時は、本気で心中する気だったのかと、問い詰めたものだが
その時、室井は、そうなっても構わないと思ったと、飄々と言い切った。
やけにさっぱりとした顔をしていたのが、今も記憶に新しい。
・・・・・ただ、室井の言い分は、少々勝手が違った。
「キャリアを諦めたつもりはないっていう、お前の常套句か」
「そうだ」
「青島と一緒に、だろ」
「欲しいものは全部手に入れていいんだと気付いた。欲張りになっただけだ」
今、自分がどんな顔をして言っているのか、室井本人は気付いてもいないのだろう。
「もう何年になる」
「数えたことない」
しかし、その事実は、当時、一倉の胸中をも甚くざわつかせた。
相方とも思えていた同期の、そのような真の姿を、今の今まで知らなかった挙句
それを引き出すことも出来なかった今までの自分は何だったのかと
一種の強烈な敗北感みたいなものを味わわされた。
その姿の方が本来の室井だというならば、それを引き出したのが、唯一人、青島という男であり
その逆もまた然り、といった結論になる。
青島もまた、何故だか室井の指示だけには耳を傾けた。・・・・聞くか聞かないかは別にして。
確かに二人は相互関係にあるように見受けられた。
結局、青島は、室井の足を引っ張ったのではなく、室井自身の寝た子を起こす、云わば火薬だった。
矢面に立つ、青島の派手なパフォーマンスに、みな誤解しているようだが
室井こそが本物の爆弾であり、青島は単なる起爆剤だ。
それに気付かなかった自分が間抜けであると突きつけられた現実は
一倉の中で大切に護ってきたつもりでもあった、室井への庇護や自尊心という余裕もまた、根こそぎ焼き切った。
青島の存在が、室井の中に眠ったまま燻り続けていた才能と威厳と素質を、開花させた。
室井の中に眠るこの本質に気が付いていなければ
二人の仕掛けたこのギャンブルは、成立しない。
コイツとなら行ける、と踏んだ青島の着眼点には、やはり評価に値するものがあると言わざるを得ない。
「二人の間じゃ時間の概念も消失か。見せ付けてくれるね」
「職場の仲間ってだけだ」
心もち、トーンの下がった声で、室井がもごもごと言う。
「ばーか。普通は本庁と所轄じゃ、同じ職場とは呼ばねーぞ」
あの日から、室井の視線の先にはいつも青島がいる。
室井の眼には、青島しか映っていない。
長い付き合いのある一倉が、その年月の中でその眼を引き出せたことも、そんな眼を向けられたことも、一度もなかった。
そして、室井がそんな眼をする相手も一人もいなかった。・・・のに。
その変化を、こうして目前で見せ付けられる度、一倉はそこに何とも言えない不可解な感情と、重たい重責を抱かされた気分になる。
胃の中に重い石を呑み込んだような、なんとも嫌な感じだ。
「・・・・広い意味では同僚だ」
「んなの、仕事の上じゃ戯言だ。人間関係はステージごとにリニューアルされていくんだよ」
「一過性と言いたい割には、お前だって肩入れし過ぎじゃないのか」
「俺は職務だよ。お前みたいに、溺れそうになってまで鎖を後生大事に護って心中する気はないね」
室井が嫌そうな顔をして、一倉を横目で睨み、京鴨を口に運ぶ。
それを面白そうに眺めながら、一倉は銀杏豆腐を口に運んだ。
「アイツと、会っているのか?」
「・・・・・いや」
「忙しいのか」
「じゃ、ないのか?所轄はこっちより色々ありそうだ」
「なんだ、連絡とってないのか?」
「連絡先を知らない」
――なんだそりゃ。
口に運ぼうとした、銀杏豆腐が崩れた。
予想外の解答に、思わず一倉の思考が停止する。
「落ちた」
室井が小さく指摘する。
――これは驚いた。
長い付き合いだが、それは初耳だった。
てっきり、仲睦まじく、オママゴトみたいな友好を深めていると思っていたのに。
これまでの様子を傍で見ていた人間なら、誰だってそう邪推する。――こいつらならもっと濃密な関係を築き上げていそうだと・・・もっと・・・積極的な。
個人的に、とまでは言わないが、何らかの接点・関わりを持たない方が不自然だ。
ましてや、あの人当たりが良く、社交的に見える青島が、室井にコンタクトしないのも
何処か違和感が残った。
「じゃ、呑みに行ったりもしたことないのか」
「ないな」
「近況報告とか」
「しない」
「へぇ~、そんなもんかね」
――冷めてんなぁ。別に格別な執着心を抱いている訳でもないってことか?
平たく浅い、割り切った関係だったということか?
二人の特異な関係に於いて、更に一倉を驚かせたのが、青島もまた、同じように室井を見ていることだった。
室井がじっと視線を向ければ、その先に必ずいる青島もまた、室井をじっと見ていた。
そこには誰も寄せ付けない、独占欲というシールドが、お互いの願望を以って張られている。
二人とも、お互いの間に誰にも割りこませたくないだけの、相互作用が確かに働いていて
そこには、潔癖な固執さえ感じられた。
――それを、「連絡先を知らない」だって?
青島を特別視していると思っていたのは、俺の思い過ごしか?
客観的に見て、別に野望を共有しなくとも、普通に気の合いそうな仲だったのに。
仕事で接点を持った相手と、その後、交友を深める。・・・それは極自然な流れだ。
二人の仲が、とうに冷めているとは、俄かには信じ難かった。
「一緒に呑みてぇな~とか、思わねぇの?」
「青島と?・・・・一緒に呑めたら・・・・まあ・・・・・楽しいだろうがなぁ」
吐息を漏らすように呟いた室井の頬が、僅かばかりに緩み
何とも言えない顔をして、明後日の天井へと視線が流れた。
「――・・・・」
違う。これは・・・・意外とそうでもないらしい。
一倉は直感する。
きっと、お互い切欠が掴めなくて、何となく疎遠になっているだけだ。
恐らく、こういう脆い遠慮など、些細な切欠さえあれば、一瞬にして崩壊する。
その淡く細い繋がりは、むしろ、その方が、一倉を苛立たせた。
それで繋がっていけるのなら、どれほどの感情をお互いに抱いて相手を想い続けているんだ。
人は、お互いの細部を知らないで、想い合っていけるものなのだろうか。
定期的に、お互いの存在を確認し合うことなく、尚、褪せない想いで相手を受諾する・・・それは一体どれほどの熱量を伴う感情だと言うのだろう。
時の流れの残酷さを知らぬ、無垢な少女でもあるまいに。
こうして、共に酒を酌み交わし交友を継続している自分が、酷く惨めに思えた。
それは、現在、物理的に一番近くにいるのは自分だという理屈にもなる。
だが、それが強がりだということは、自分自身が一番良く分かっていた。
一倉は、自分の中に、明確に、重くどす黒い感情が確実に湧いたのを感じ
気分が笹刳れ立った。
少々意地悪な気分になり、その瞳に悪魔的な色を深くする。
「なら誘えばいい」
「出来るか」
「何でだ?普通だろ、酒ぐらい」
「都合があるだろう、向こうにも」
「都合の良い日にすれば良いだけだろ」
「そう言う問題じゃない」
何処かムッとした顔で、室井が天ぷらに塩を摘まむ。
一倉も、何気ない風を装い、長芋のサーモン巻きに手を伸ばした。
シャリシャリとした音だけが、静かな空気に拡散していく。
こんな風に、この男の感情が表に出るのも、最近では青島寄りの話だけとなった。
そう易々と手の内を見せられては、こちらとしても面白くない。
酒を愉しむには、室井くらいオツムの回転が速くないと、相手にならないと、一倉は考える。
また、上に立つ人間としても、内面を悟らせないだけの素質が求められる。
だが、この件に関してだけは、室井はまったくの無防備だ。
そこまで露骨に感情を左右されているのなら、何故、気付かない?
男の沽券か?
・・・・・あぁ、そうだ。これは、あの視線の延長だ。
一倉はふいに、パズルのピースが合ったような符号に、心の中が閃く。
青島を大事にしすぎて、余計な事は何も出来ないんだ。
そんなにアイツが大事なのか。その身も心も――欲望さえも犠牲に出来る程に。
そこまでの自制で以って大切にしたい相手なら、さっさと自分のテリトリーに入れてしまえば良いものを。
・・・・・自信がない、と言ったところか。
いつか立派になって迎えにいくってか。どんだけ純愛だ。
そんなものに縋って生きている姿にも、それでも必ず待っていると信じきれる想いにも、幼さが滲み出る。
こういうタイプは、愛し方一つで身を滅ぼす典型だ。
一倉は、半ば呆れ返ると共に、自身の中に溢れだした、ムカムカとした重たいものが
更に胃の中に蔓延しだしたのを感じ、奇妙な苛立ちを覚える。
バカな男だと思うのに、何故か一層、一倉の腹の底を掻き乱していく。
感情のままに、盃を流し込む。
少し冷めた日本酒が、アルコールの熱だけを喉に伝えた。
――それにしたって、何ヶ月?何年だ?
そんなに逢ってなくて、それでも気持ちが冷めないって、どんだけ純情貫いているんだ。
「んなこと言って悠長に構えてると、いつか誰かにそのポジション掻っ攫われるぞ」
「何をバカなことを」
「真実も理想もTPOで変化する。分かってんのか」
「――・・・・知ってる」
「だったらその曖昧な関係は無意味だと思わねぇか?」
室井は本気で、困った顔をし、横を向いた。
そのまま、茸の天ぷらを口に運ぶ。
正直、余計な助言だということは、分かっている。
仮に一倉の方に理の分があったとしても、それは、この先、室井と青島が二人で議論すれば良いだけの話だった。
自分が介入する隙はどこにもない。
室井は自分との共有は求めていない。夢を見るのは青島とだけだ。
・・・・それが余計に焦燥感を募らせる。
嫉妬に近い。
どういう類のものであれ、それは嫉妬のような独占欲だった。
室井に対する優先権が満たされないために起こる、あからさまな、渇望だ。
あんな奴の、どこかいいんだ。
「なあ、室井・・・、お前、何でそんなにアイツに拘る?」
「拘っているのはそっちだろう」
「俺?」
「さっきから青島の話ばっかりだ」
「それは――」
お前がそんな顔するからだろう、とは呑み込んだ。
無愛想で無表情な男が、時折、その男の名前を耳にするだけで、心底愛おしそうな表情を見せる。
それはまるで・・・・。
一倉はここに至って初めて、とある可能性に思い至り、愕然とした。
じっと、かますの柚焼きと格闘する室井を見つめる。
端正で、男にしては綺麗なその顔は、何の表情も浮かべておらず、淡々と料理を口に運ぶ。
箸の使い方まで、美しい。
眉間に皺が寄っていないところから、料理がお気に召していることを窺わせた。
そんな心理を読み取れるのも、自分だけだろうとは思うが。
一倉の視線に気付いたのか、かますを咀嚼しながら、チラリとその視線が持ち上がった。
黒目がちの漆黒の煌めきが艶を乗せ、真っ直ぐに一倉へと向く。
「食べないのか?」
「いや・・・・。だったら室井、俺が青島に拘ってるっていうんなら、どうするんだ?」
「どうって・・・・何がだ?」
「俺が貰っても、いいんだな?」
「貰う?」
「ああ。生意気だが、仕事を離れれば、その位の手応えのある相手じゃなきゃつまらないだろ」
「仕事を離れればって・・・・お前――」
室井の箸が止まる。
「お前がそのポジションとやらに入るって言うのか?」
あからさまに、お前じゃ無理だ、という顔をして、室井はかますを口に放り込む。
「余裕だな。青島の気持ちは自分にあるってか」
「青島はそんな見え透いた手口に引っ掛かる程、初心じゃない」
「揺るがないって保障はないだろ」
「俺を炊き付けたいのか」
「純粋に興味があると言ったら?」
「――・・・・・。仕事以外であいつに何の用があるんだ?」
「気になるか」
「俺たちの仕事を忘れたわけじゃないだろう?」
「それがお前が躊躇う原因か」
「礼儀の問題だと言っている」
ふぅ、と一倉はワザとらしく視線を外した。
「まあな、俺たちの仕事は何処で恨みを買っているか分からないからな。余計な交遊関係は清算しとけ、とは暗黙のルールだ」
「分かってるならいい」
「でも、んなこと言ってたら、出会いもクソもないだろう?それに青島も警察官だ」
「だからだ。一般人より目を付けられやすい」
「成程、可愛がってるねぇ」
「一倉」
窘めるように言った室井の顔をチラリと見れば、眉間に皺が寄り、今度は目も険しくなっている。
その表情を見れたことに満足し、返事もせず、長芋のサーモン巻きの残りを放ばった。
また、シャリシャリという音が静かな空気に流れていく。
寂然たる空気が訪れる。
一倉がこの程度では折れないことを存分に知っている室井は、溜息を大きく一つ吐き、視線を伏せる。
かますの食事を再開する。
「所轄は本庁より縦のシールドが強固ではないんだ。刺激はするな」
青島が暴れたら、俺でも自信がない、と、苦みを潰したような顔をする。
まるで、庇い切れないのは、自分が不甲斐ないからだと、責任を被るような言い草だ。
その、無意識の所有権の主張に、一倉は密かに呆れた。
「無関係を装えばいい」
「そうさせてくれるならな」
「何故そう思う」
「どうせもう、俺と青島はセットなんだろう?」
「いい迷惑だ、とでも言いたげだな」
「あいつの尻拭いをさせられるのは、いつだって俺なんだ。目に見えている」
そんなこと、思ってもいないくせに。
そのポジションを誇示しているのが、何よりの証拠だと、一倉は思う。
「その“セット”とやらが、お前の余裕の理由か」
「・・・・・余裕なんか」
「あのくらいのおてんばは可愛いと思うぜ」
「・・・戯言はよせ」
ふっと笑って、一倉は酒を口に運ぶ。
また、しばらく、奇妙な沈黙が続いた。
室井が酒を舐めながら、小さく口を開く。
「青島に何をする気だ」
「野暮なこと聞くなよ。イイ歳した大人のお付き合いに」
「お付き合いって――」
室井が真っ直ぐに一倉を見た。
口に運ぼうとした盃が、途中で止まっている。
はた目には分からなくても、戸惑っていることは、一倉には一目瞭然だ。
ようやく室井の動揺を引き出せたことで、一倉は妙な満足感を覚え、意地の悪い笑みを口の端に滲ませる。
「・・・・迷惑だけは、かけるなよ」
そう小さく口の中で呟いて、室井は銚子に手を伸ばした。
「――・・・・」
しかし、あっさりと矛先を逸らされたことに、一倉は憮然とする。
ここまであからさまに煽ったのに、挑発には簡単には乗ってくれない。
大した男だと思う。
そうそう容易く柔部を攻撃されたからと言って、簡単に相手のペースに乗ってしまうようでは、キャリアは務まらない。
こういうところは、昔から変わっていない。
そして、その冷徹さこそ、一倉がずっと室井に一目置き、評価してきた部分でもあった。
一倉は満足気な笑みを浮かべる。
だが――
青島に関してだけは、事情が異なる筈だ。
これは、訓練に於ける理性的思考なんかじゃない。
ここまで青島を大事にしているくせに、いや、大事にしているからこそ、自分は何もしない。
何も、出来ないのだ。
そんな臆病で幼稚な関係が、この先も続くと信じている室井に一矢報いてやりたかった。
伊勢海老に手を出す。
「なぁ・・・・・惚れてんのか?アイツに」
腰を据えて、伊勢海老をパキパキと剥きながら、機械的に口にしてみる。
ほくほくした触感と岩塩が、熱い肉に絶妙に絡まり、舌の上に広がる。
視線を外したまま、室井を刺激しない様、沈黙を継続する。
チロリと盗み見ると、眉間の皺を増やして、盃を唇の手前で止めている。
「・・・・・・・何をバカ言っている」
ゆっくりとその酒を呑み下す。喉仏が波打つように上下した。
「隠すなよ、今更」
「隠してない」
その無表情な顔からは、やはり本音など読み取れなかった。
自分が読み取れないのだから、恐らく青島だって、何も知らないのだろう。
「だったら、俺が貰ってもいいよな」
「・・・・男だぞ、あいつは」
「そんなの知ってるさ。でもこのご時世に、モラルもなにもないだろ」
「問題発言だ」
「く・・・っ、分かってるよ。ただ、興味を持ったんだ。誘うくらい、いいだろ?」
「・・・・勝手にしろ」
さっきより眉間の皺が増し、頬も強張らせていることは、この距離だからこそ、見て取れるものだ。
「余裕なんだな」
「余裕なんか・・・・・」
室井が小さく下を向いて呟いた。
その時、ほんの少しだけ、室井の頬が堅くなったのを、一倉は目の端に捉える。
それが、ようやく垣間見えた室井の真意な気がして、一倉も押し黙る。
「なぁ、室井・・・・」
一倉が嘆息混じりに口を開きかけたその瞬間。
遠くの方でガシャーンと何かが割れる音がした。
ハッと息を呑み、一倉と室井の視線が交錯する。
続けて、人の怒声と物が倒れる音が耳を裂いた。
突如、破られる静寂。
一瞬にして交わし合った視線のまま、腰を上げたのも二人同時だった。
「なんだ?」
「様子を探れ」
店内の表の方が、騒然としだしているのを感じる。
視線で合意を確認した後、襖を開け、隙間から外の様子を窺ってみる。
男が何やら叫んで誰かと言い争っているようだった。それまでの、厳かで静かな空気が、一変していた。
人も集まり始めている。
人垣から垣間見れた男の手には、割れたガラスが握られていた。
「マズイな・・・」
「ああ・・・・出るしかないか」
おもむろに身形を確認し、刑事の顔となり、靴を履く。
店の使用人が、必死に説得を試みているが、取り乱した男の傍には誰も近寄れないでいた。
丸く円を描いたように、人垣が出来ている。
その人混みを掻き分け、騒動の中心へ向かう。
騒ぎを止めるために手帳を取り出そうとした所で
今度は、パンッと、視界の端に映る角部屋の障子が開かれた。
弾けるような音と共に瞬く間もなく、黒い影の様なものが、疾風の如く横を通り抜ける。
「きゃあ!」
人垣から上がる、驚愕の悲鳴。
室井と一倉が驚く間もなく、その黒っぽいスーツは、あっという間に騒ぎの元凶となっている人物に掴みかかり、ガラスを蹴り上げる。
ふわりと胡桃色の細い髪が舞った。
きっちりと止めた釦で、スーツに皺一つ拠らない華麗な動きが、訓練されたものだと伺わせる。
暴れる男が振りかざした拳を、クルリと軽い身のこなしで廻り込み、背後から腕を捩じり上げた。
面白そうに見物していた一倉がニヤリと笑う。
「やるなあ、あの兄ちゃん」
「青島だ・・・・」
隣で同じく、成り行きを見守っていた室井が口の中で呟いた。
「え・・。えぇっ??嘘だろ?」
「いや・・・・・」
その黒いスーツの男は、無駄な動きのない仕草で、音も立てずに暴れている男の腕を固定する。
風一つ動かさない優雅な動作だった。
そのまま膝で背中を抑え込む。
周囲から歓声が上がった。
軽くウェーブのかかった胡桃色の前髪が崩れ、パラパラと落ちる前髪の間から、端正な造りの横顔がほんの少しだけの笑みを滲ませているのが、見て取れた。
髪に合わせたような金色のピアスが、眩く反射する。
スラリとした細身の身体に、上質な生地で仕立てたらしき無地のネイビーブルーのスーツ。
アイスブルーのタイまでがその収入を誇示しているようだ。
近くで見ないと分からないが、恐らく海外ブランドの仕立てスーツ。
紛れもなく、この地区に立ち並ぶハイクラスのオフィス街に勤める、上流階級のサラリーマンであることが見て取れた。
乱れた長い前髪の間から、青みがかった光る瞳がキラリと瞬く。
その視線がふとこちらを向く。
その瞬間、その瞳が微かに見開かれた。
「・・・・っ」
――が、次の瞬間、まるでふわりと花弁が開くように、誰にも気付かれない変化で眦が細められ、唇にそっと人差し指が押し当てられる。
指先にピアスと同色のリングが、瞬いた。
息を呑む。
隣で、同様に立ち尽くす室井の気配が、少しだけ揺れた。
その時になって一倉は、彼に無心に魅入られていた視線を、ふと室井へ移す。
室井の視線もまた、当然のようにその男に釘付けになっていた。
室井が、表情も変えずに、微かに頷く。
思えば、向こうの視線も、こちらを見ているようでいて、その瞳には室井だけを映していた。
そこには二人だけの世界が作り上げられていた。
入り口付近が慌ただしくなり、騒ぎが起きた時点で店が通報していたのだろう、警察が到着し、事態は収束した。
「本当に青島なのか・・・・?」
「・・・・・」
「話さなくて良かったのか?」
「別にいい」
「でも、今なら話せるんじゃないか?あの向かいの部屋だったぞ」
「いいんだ・・・・余計なことはするな」
「なんで。チャンスだろ」
「だから・・・・・多分、仕事中だ」
「へ?・・・・・・あぁ、まさか潜入捜査か?」
「恐らく」
「あ、だから――」
あの人差し指を口に当てた仕草は、内緒にしてくれ・・・・つまり、警察との関係は内密にしなきゃならない状況だって意味か。
それを一瞬で読みとった室井に、羨望の視線を投げる。
一言も言葉を交わさなかったが、普段とは違う服装や髪型、視線、そしてたった一つの動作で全ての状況を読み取ってしまった。
なんて洞察力だ。
いや、それもあるが、むしろ――
「あの格好で良く青島だって分かったな」
「そうか?見たまんまだったろ」
「俺に言わせりゃ、背格好が近い別人、だぞ」
室井が不思議そうな顔をする。
まったく、何て奴らだ。
俺が食事の間中、仕掛けて挑発した室井の心を、たった一瞬の視線で無効にされてしまった。
2
それから一週間ほどして、一倉は再び青島と再会する。
また同じ店の近くだった。
深夜、一人食事を終え、店の裏口に視線を向けた時、そこに煙草を吹かしている青島がいた。
「この間はびっくりしました。いっきなり居るんですもん」
そう言いながら、胸ポケットから煙草を出し、ジッポで二本目に火を点ける。
慣れた仕草の指先と、伏せられた睫毛に、何となく眼が引き寄せられる。
綺麗に手入れされた爪先は桜色で、太めのリングが銀色に夜の闇に映える。
「驚いたのはこっちだ」
「そ?でも内緒にしてくれたみたいで。助かりました」
ふぅっと煙を吐き、ペコリと頭を下げる。
「潜入捜査中か」
「ええ。二週間ほど前から」
すると、室井の予想は的中ということだった訳だ。
面白くない。
思わず苦笑が漏れる。
「何の事件だ?」
「今やってる特捜関連で」
「へ?湾岸署の?」
「そう。俺があんまり煩いから邪魔だって新城さんが」
「新城?」
「管理官。特捜の。・・・・だったら外に出て役立ってこいって追い出されちゃいました。しかもお前にぴったりだってさ」
「確かにな」
一倉は、ぼやく青島の格好を、上から舐める様に見渡して、ニヤニヤと笑った。
青島も分かっているようで、僅かに肩を竦めてみせる。
今日の青島のスーツもまた、彼にあつらえた様なフィット感で
クールカラーで統一された出で立ちは、先日とはまた違った魅力を引き出している。
仕立てられたブルシャンブルーの生地は、間近で見るとやはりかなり上質なものだ。
察するに、恐らく先日のも同様だ。
ボディラインを引き立たせるような、やや長めで細身のジャケットは、恐らくイタリア製。
シャープなデザインとそのカットラインが、スラリとした手足の長さを美しく見せ、男の色香を思わせた。
危うさと気品あるセクシャルさを意識させる。
シルクのライラックのタイが、甘い印象を齎していた。
それをまた品良く着こなしているのも、憎たらしい。
仄かに薫るオーデパルファムも、精悍な印象と妖艶さの中に甘さを残し、もどかしさを思わせて若い青島に良く合っていた。
一体誰のセンスなのか。
彼の嗜好か。贈り主の趣味か。
ビジネスマンとしても、男としても、嫉妬心を煽られる姿だった。
――成程、これは上玉だ。
人の心を掻き乱すのに長けている。
何の仕事かは知らないが、誰かをタラしこむには適役だろう。
良く見れば、女受けしそうな甘いマスクと甘い声は、それだけで営業トップという肩書も、頷ける。
闇の中で、薄いブルーアイズが反射した。
「どうしたんだそれ。一介の公務員に良く揃えられたな。ブランドものだろ」
「まあね・・・。俺も袖を通す機会なんて一生ないと思ってましたよ」
「自分で揃えたのか?」
「んな訳ないでしょ。初めの一着は、新城さんに買って貰っちゃいましたけど」
「・・・・本当か?」
「ヤだな、経費って話ですよ。一応トップックラスの商社なんで。・・・この間のは、贔屓にして貰ってる人からの“お下がり”ですけど」
そう言って口の端に絶妙な角度で笑みを乗せる。
・・・成程。貢がせた訳か。
「悪い奴だな」
「あれ?心外ですね」
「どこまで“落とし”た?」
「営業努力って言ってください。・・・・色々苦労しているんですよ、これでも。髪も染めたし・・・カラコンは辞退したんですけど押し切られて・・・・」
「ピアスもか」
「これは穴の要らないヤツね。先方の指示で・・・。新城さんも従えって。全く、裏付け捜査如き~なんて言ってるくせに、無責任なこと言ってくれますよ、あ
の人も」
「愉しんでいるんじゃないか」
「そう見えましたね。お陰でこっちはとにかく化けるのに必死」
「ああ、全く分からなかった」
「でしょ」
得意気に青島が、今度は無邪気な笑みを浮かべた。
大人びた格好から、ふいに覗いた人懐っこい笑顔に、ドキリとする。
精悍な顔つきから突然見せる、弱みのような幼い表情は、酷く脆さと危うさを感じさせ、充分、相手の猜疑心と嗜虐心をそそる。
くるくる変わる表情も、人を惹き付けるものだろう。
全く、室井とは対照的だと、一倉は思った。
――室井も、青島のこんな顔にヤられたんだろうか
ふと、そんなしょうもないことに、想いを馳せる。
話す口調の柔らかさや、声質は、確かに傍で聞いていると心地良いもので
そのギャップとも取れる、大人しく腕の中で黙ってはいなさそうな生意気ぶりも、魅力的だと解釈する奴は多いだろう。
素の姿を隠してしまう性格は、手懐けたい衝動にすら駆られる。
これなら、プライベートで出会っていたなら、年の離れた可愛い後輩だと、懐に入れていたかもしれない。
ましてや、青島もまた一心に室井を慕っている。
あれほど懐かれれば、確かに放ってはおけないだろう。人としても男としても。
一体、この透明な瞳を、どんな気持ちで室井は見つめていたのか。
間近で見続けてきた室井の立場を、少しだけ羨ましいと思った。
「それにしても、社内の女が騒ぎそうな姿だな」
「目立つつもりはなかったんですけど」
自分で否定しないところも、ふてぶてしい。
一倉はその狡猾さも気に入った。
「帰る頃には何人かオモチカエリ出来るんじゃないか」
「しませんよっ。・・・それに、上司の人が俺に付きっきりなんで」
少しだけ頬を赤らめ、青島が照れたような表情を見せる。
「なんだ、そっちでも問題児か」
「ちーがーいーまーすぅ。お気に入りなんです、俺。上司の・・・・離してくれなくって」
「女、口説くのは別腹だろう」
「そこまで器用じゃないっての。俺を何だと思ってんですか」
そこまできて、一倉はふと、察した。
「もしかして、スーツもソイツの趣味か」
「ええ、まあ」
「・・・・・・成程」
妙な符号と、少しだけ奇妙な違和感を感じる。
先程の青島の口ぶりからして、唯の貧乏な新米部下にスーツを与えるにしても、ここまで高級品をあつらえるのは、少々異常だ。
ということは、文字通り、かなり可愛がられているのだと察して間違いないだろう。
如何にも青島らしい、潜り込み方だ。
「その男はお前の職務、知ってるのか?」
「ターゲット」
「え?」
「だから。今回のマークする相手」
一倉が目を向いて青島を凝視した。
本当に想定外のことを次々と見せ付けてくれる。
確かにこれは、見ていて飽きない。
「・・・・大丈夫なのかその状況」
「へーきへーき」
「お前のその太っ腹には感心するよ。・・・・まあ、気付かれているとは考え難いか」
「どちらかというと、マイフェアレディ?」
「く・・・っ」
思わず一倉は吹き出した。
面白い奴だと、思った。
「それで、その格好ね」
「まぁね」
「室井は一発で見抜いたけどな」
「え・・・・」
初めて青島の顔が変わった。
一瞬、青島の周りだけ空気が凍てつく。
「室井さん・・・?」
青島の動揺を引き出したことに、奇妙な満足感を得ると共に
やはりキーワードとなる、その名前に、ムッとなる。
が、ヤケに過剰反応にも思えて、一倉はしげしげと青島を見下ろした。
「意外か?」
「マジで・・・?」
「ああ、後ろ姿でもう分かっていたみたいだぞ」
「よく・・・・この店に来るんですか・・・?」
「ここは俺の行き付けだ」
「二人で?」
「まあな」
「そうなんだ・・・・」
そのまま、青島は黙りこくってしまった。
伏せられた横顔は、何処か思いつめたようにも見え、危うさと脆さを感じさせた。
薄いブルーのカラコンのせいで、瞳の色が薄まり、透明感が増しているのも、何処となく潤いを乗せている。
印象的な瞳は、夜の闇には誘惑的で、目の毒だと思った。
睫毛が結構長いんだなと、余計なことを思いながら、気になっていたことを口にする。
「・・・・連絡、取ってないんだってな、お前ら」
「え?――・・・・あぁ、まあ」
「何でだ?」
「何でって・・・別に・・・・」
「一緒に酒とか呑んだらいいじゃねぇか」
「そう・・・・ですかね?」
軽く流す。
一倉にはワザとそうしているように見えた。
さっきまでの強気な態度が嘘のように失せ、置き去りにされた子供の様な顔をした青島をじっと見る。
本当に、くるくると良く表情が変わる。こんな頼りない目をされたら、大抵の人間は手を出したくもなるだろう。
まっすぐに育ってきた証だ。
本当に見ていて飽きないヤツだ。
何となく、一倉の中で、青島の印象が少しだけ変わった。
「お前はもっと社交的で、無遠慮に相手の懐に飛び込むタイプだと思っていたんだがな」
「・・・・失敬な」
「負目か?」
「んー・・・・、そんなとこ・・・・ですかね・・・・?」
「歯切れ悪いな」
「一倉さんこそ、室井さんとは長いんでしょ」
「警察学校時代からの仲だ」
「え~!じゃあ二十・・・二、三?・・・わー、若い~、見たい~」
青島が、遠くを見るような目つきで、楽しそうに笑う。
こいつは室井をどう思っているんだろう。
少なくとも、ただの上司・・・・じゃねぇな。
“室井も満更でもなさそうだったぞ”と口に出しそうになって、寸での所で止める。
わざわざ敵に塩を送るような真似はしなくてもいい。
このままだと、こいつらは、自然消滅を迎えるだろう。
だが・・・・・こういうのは多分、何かの切欠さえあれば、急速に化学変化を起こし出す。
★雨夜の月・・・・実現不可能な事象を指すたとえ