ク
リスマス・ローズ 1
クリスマスローズは冬の季節に咲く花である
毒を持ち、触れた程度では痛みは感じないが、気が付いた時にはただれていたりするという
花言葉は「私の不安をやわらげて」「慰め」「中傷」
1.
すっかりと様変わりした黄金の街角は冷たい木枯らしが吹き抜けていた。
街中が浮かれたようにクリスマスムード一色に染まり、シャンパンゴールドの星屑を散りばめる。
またひとつ年が終わっていくフィナーレを告げる鐘は定番ソングで、目の前のタワー低層棟から連なる商業施設がオレンジに浮かびあがっていた。
空騒ぎの向こう側で足早に襟を立てる黒々とした人並みと冬の匂いに、年の瀬の虚無感を本能的に感じ取る。
遊歩道となっている木製通路が対岸の観覧車や高層ビルまで見通し良く夜空に描かれるのは、今夜の風が強いせいだ。
遊歩道脇の花壇の裏側で、ただひたすら待機する。
本店に命じられた尾行、もとい、アシスタントの最中だった。当然本店捜査員は温かい車の中だ。
溜息とも嘆息とも判然としない息を吐けば、湿った息が白く夜空に溶ける。
青島は手を擦り合わせながら北風に首を竦めた。隣の魚住を見れば、彼もまたハリネズミのように背中を丸めていた。
凍えるような北風は身にも心にも冷たい。
冬型の気圧配置が強まった今夜は空気を凍えさせ足元から冷え込ませていた。
「今夜は結構冷えるなぁ・・・」
「カイロもういっこ足そうかな・・・」
「あ、僕にも一個貰える?」
魚住に強請られ、予備あったかなとポケットを探る。
海岸沿いの立地が、水面に映り込むイルミネーションをより煌びやかに演出し、反射した光も輝きが増して目に入る。
楽しそうなカップルが寄り添いながらまた一組、目の前を通り過ぎて行った。
「冬のデートは若い頃は外が醍醐味だったんですけどねぇ」
「寄り添って~腕組んで~、とかかい?」
「そうです。肩寄せあってさ、『さむい~』『ったく、こっち寄ればいいだろ?』・・・・・なーんてね」
「若いねぇ」
「若かったですねぇ」
「冬のデートは歳取るとホールかホテルがいいね」
「うぉ~、あったかそう」
軽口をたたき合いながらも、二人の頬も鼻も赤らんでいた。
二人でカイロを貼りあい、立っていると足先が悴むので、屈伸して、そのまま敷き詰められた木製デッキにしゃがみ込む。
花壇に植えられたポインセチアの鮮やかな赤の隙間から遊歩道の奥手を覗き見た。
目の前の館内には洒落たアパレルショップや飲食店が入り、カップルや親子連れで賑わっている。
隣接するホテル一階はブティックが軒を連ね、リッチなブランドロゴの奥では完全暖房であろう薄着の女性店員がにこやかに接客している姿が確認できた。
このホテルが監視対象だ。
本店が追っている収賄疑惑の渦中にある大物政治家が、このホテルを利用して裏金を渡しているとのタレコミがあった。
張り込みは刑事の基本とはいえ、冬の野外は流石にきつい。
湾岸署内でもインフルエンザが流行していて、今この周辺の何処かに袴田課長や中西課長他、総出で参戦し、みな何処かで息を潜めている筈だ。
青島と魚住もまた同様で、腰ほどの高さの花壇の裏に身を潜め、彼らが出てくるのをかれこれ三時間は待ち受けていた。
「動き、ないですね」
「ないねぇ」
「出てきますかね?」
「思うんだけどそもそも表で張ってて出くわすと思う?」
「実は俺もさっきその可能性に気付いたんですけど。でも虚しくて考えるの止めました」
「女がいたら一泊するよね」
「受け渡しの相手だけでもってことですかね」
「裏口から車ですぅぅ~っと・・・」
「魚住さんっ、怖いこと言わないでくださいよっ」
呆れた視線を交差させ、二人はそれ以上の追及を止める。
年の瀬の匂いが感じさせる虚しさが相まって、それでも二人、こうして同じことをしている仲間がいる安堵感が青島の口端を滲ませた。
見上げた空は今夜は風が強いせいか真黒に澄み渡っていて果てしない。
目の前に広がる東京湾も真っ黒で、映り込む夜景がキラキラと揺れていた。
「この分だと明日もですかね」
「言われるだろうね」
「だったら俺、明日の飯はあそこのパン試そうかな」
「え、どこだい?」
「ほら、あれです。あの緑の看板の・・・、右から三番目の。なんか美味そう」
「ああ、ほんとだ。行列が出来てるんだ」
魚住が首を長くして感心する。
店内もかなり賑わっていて、店先では若い女の子たちが集団で喋っている。みんな手には揃いの包装紙で包まれたパン。
もしかしたら雑誌などにも紹介される人気店なのかもしれない。
現実逃避した会話を繰り広げていると、その視界に意外なものが映った。
「あれ?」
「ん?どうかした?」
植え込みの間から膝立ちで店の賑わいを窺っていた青島が小さく呟いて固まった。
その視線を追って魚住も訝しげな視線を投げる。
立ち並ぶブティック街の一角から見慣れた顔の男が店員に一礼をし連立って出てくる。女連れだ。
仲睦まじく見つめ合い、男が手を取りエスコートする。
「あれ・・・室井さんじゃない。うわぁ、デートかねぇ」
「・・・う、ん・・・」
「クリスマスプレゼントかなぁ。あの店だとかなり値が張っているね」
女性を先に行かせ、人垣を避けた所で室井がブティックのロゴが入った紙袋を手渡した。
女性は栗色の髪に映えるゴールドの大振りのピアスを揺らしながら嬉しそうに微笑み、会釈する。
あの大きさならミニバッグか或いは香水でも入っていそうだ。
二人で買い物した帰りに見えた。
女性が親しげに指先を伸ばし、室井の腕の辺りを遠慮がちに摘む。
良家の淑女なのだろうか、質の良いエレガントなミンクのコートを羽織った女性はウェーブがかった髪を結いあげ、遅れ毛を風にふわふわと揺らしていた。
生足のような肌の足は寒そうだが、寒くて良いのだと考え治す。
歩き難そうなヒールだって、エスコートして貰うんだからデザイン重視でいい。
多分、移動もデートも、外界ではないのだ。
室井より少し小柄な体型で室井を一心に見つめる見上げるような仕草は可愛らしく、高いヒールを履いている足は細いがスタイルはそこそこに見受けられた。
コートの上からでは分かり難いがバストやヒップなどは豊満に見える。抱き締めたらきっとふわふわだ。
つい、男の目線で見てしまい、何となく失礼な気がして青島はパッと視線を逸らした。
「あんなシーンでも室井さんはあんな顔なんだね」
しみじみ言う魚住に釣られ、もう一度ちらっと視線を戻すと、室井の方はにこりともしていなく、眉間に皺が寄っていた。
その視線が一心に女性を見降ろしているので、プライベートなんだろうことは辛うじて分かる。
「ほんとだ・・・」
青島が口元に手を宛てると、同意を求めるように魚住も青島を見た。
二人して眦を緩める。
やがて室井が風避けするかのように風上に立ち、一瞬だけ彼女の肩に手を回す。
移動するようだ。
室井のエスコートに女はうっとりと顔を綻ばせ、導かれて歩き出す。
一連の仕草はまるでスクリーンで映画のワンシーンを観ているかのようだった。
「か・・・っこいいなぁ」
「手慣れているんだろうね」
「女の扱いに?」
「何言ってんの、こう、上流階級の嗜みに、ってやつだよ」
「・・・いい御身分だね。キャリアは」
隣で魚住が考え込むように顎を擦った。
「ああ、そういや言ってたなぁ・・・、室井さんと新城さん、どっちも今度の見合いが決まるみたいだよ」
「決まるって・・・?」
「結婚だよ結婚。いよいよ本店も世代交代ってかんじなんですかねぇ」
衝撃的な言葉に、青島の時間が一瞬止まる。
あの女性なのかなと魚住が頷いている。
恐る恐る魚住の横顔を窺い、青島はまた視線を戻す。
寝耳に水だった。いつかは室井も身を固めるだろうが、身辺を整えるなんて発想があの男にあるようには感じなかった。
そんな話をしたこともなかった。
それは遠い先の話でなんだか全く現実味がない。
実感が湧かない。でも目の前で睦まじい光景を見せ付けられたのだから、本当なのかもしれない。
「結婚すると・・・なんで世代交代?役職が上がるんですか?それとも家族手当が出るとか?」
「庶民的だね。そうじゃなくてさ、警察っていうのは守旧的というか・・・まだ封建社会だからね。男は結婚して一人前っていう神話は
残っていると思うよ」
「甘くもなんともない話ですね」
「まぁねぇ、本店の結婚っていうと相続みたいなもんだからね」
「相続」
「派閥の継承とか、後ろ盾とか、権力の強化に組織票の獲得」
「ほんと甘くない・・。魚住さんもそっち派?ですか?」
「う~ん、どうだろう、悪習とまでは思ってないけどねぇ」
「ふぅん」
「見合いでも幸せな人はいっぱいいるからさ」
「そっか」
うわ言のように、青島の喉が呻いた。
〝倖〟――そうだ。人は幸福のために先へ進む。
視界の奥で寄り添う二人の淡い輪郭がイルミネーションに溶け込んでいた。
真っ黒のいつものコートに淡いコートが混じり合う。
高潔な気品が滲む室井には、ああいう出生の確かな育ちの良い伴侶はしっくりときた。
お似合いだと思わせられる。
女性と室井は、室井のエスコートに促され、寄り添い、時折視線を交わしながらゆっくりと人混みに消えていく。
あっちは更に高級なホテル街だ。
「おや、今晩はお泊りコースだよきっと」
「お泊り・・・」
「そりゃそうでしょう、ここまできて」
「ぅ・・・」
確かに、と思って、変な質問したなと青島は胸元を握り締めた。
こんなシーズンにデートしてプレゼントも渡してさようならだなんて子供みたいな付き合いは有り得ない。もう妙齢の大人の付き合いだ。
となると、これから二人は高級ホテルの最上階ラウンジでカクテルなんか飲んじゃって、それから部屋を取ってある・・・とか言って傾れ込み
私が先にシャワーを浴びるわとか言って、そんなのいい・・・とか言って、夜景をバックに二人は生まれたままの姿になって
あーんなとこやこーんなとこ触っちゃったりして、汗だくで顔なんか歪めて、あられもない声なんか上げちゃったりして・・・
悶々といやらしい卑猥な想像が頭の中で繰り広げられ、堪え切れなくなり青島はあわあわと首を振った。
ぱたぱたと仰ぐ。なんか少し頬が熱い。
何で俺が照れんだろう。
二人きりで熱く語っている時は性別なんか想像もしていなかったが、室井も男なのだと初めて思った。
ちゃんと付いているものは付いていて、女に対し生殖能力は昂ぶる立派な成人男性なのだ。当たり前だ。でもその当たり前が妙に突き刺さる。
きっと、鍛えられた胸板で、サイズもみっしりとした巨根で。
・・・ぁああ、もぉ、ちがうちがう。
少し挙動不審となった青島を不思議そうな目で見た魚住が、何かを察したような顔で覗き込む。
「やっぱり、ちょっと寂しいかい?」
「・・ぇ・・。寂しいって?」
「ほらだって、青島くんと室井さんってさ、ちょっと上司と部下ってかんじじゃなくてさ・・。もっとこう、ライバルのようであり、同士みたいなところあった
じゃ
ない」
「それは・・・」
「片方がさっさと決めちゃうと、置いて行かれたとか、抜け駆けされたとか、思わないのかなって」
「・・・別に」
「そう?・・・今どきの若い人は冷めてんのかねぇ」
年内に結納ってところかな?と揄う魚住の声は、少し遠かった。
言われてみれば、そうだった。
その意味では確かに室井が遠く感じた。
でも近くに感じていたのは青島の勝手な思い込みと親しげなパフォーマンスの成果で
室井は最初から雲の上の人物だったという事実に思い至る。
彼に託した約束は彼の世界が叶えるものであって、青島の生きる下町には無縁のことだ。
まるで時空を超えたように融合した熱い時間が、つい身近な存在だと安易な勘違いを唆していた。
生きる世界が違うのだ。
これが室井の戦う世界であり、そこに生きる人間だ。
広島から返り咲いてから、室井の躍進は目覚ましかった。
着々と固められ詰まれていく室井の環境を、ただ、すごい、と思った。
進む姿を見せられることは、約束への決意が滲み、未来への開拓が逞しく、真摯で、少し、誇らしい。
「まあ、結婚が正式に決まったら青島くんには教えてくれるんじゃない」
「どうかな・・・」
胸に少しだけ感じる隙間風は、きっと今日の北風のせいだろう。
なんだか汚したくなくて仕舞っていたおもちゃが、仕舞っていたことでいつの間にか壊れてしまっていた時の感覚に似ている。
その意味では魚住の言うように、置いて行かれた感覚に近いのかもしれない。
室井の方が歩み寄り青島に執着してくれたから成立していた実質的な距離感は、見限られればそれで終わりだった。
やれることをやる。そうやって日々精進していく果てで、約束を託したあのひとが更に高くなることを願った。
その結果が遠くなるということに直結しても、別に不満はなかった。
でもこうして現実問題として男の価値の違いを見せ付けられ、やれることも満足にやれないで同じ場所で燻っている自分との距離が目の当たりに開いていくのは
違うと思った。
彼に切られるのが怖いんじゃない、彼の世界で肥やし一つにもなれないことが、悔しいのだ。
惨めに思えた。
曖昧で漠然とした夢想を語っていたから、具体的に何をすれば室井を支える一角となれるのかも、判然としない。
それが足元を崩す様な焦燥を煽った。
「名コンビ、なんでしょ」
「んな、昔の話ですよ」
「おや、謙虚だね」
そんな自分は、室井を同志のように敬い、相棒であると主張する権利は今も存在するだろうか。
付き合ってる女がいることさえ告げて貰えなかった、それが何よりの証明である気がした。
「それもそうか、青島くんにとって室井さんは独身でも賭けられる人だもんね」
「・・・あの時代の力ってやつですよ」
それを聞いて、青島はやっと視線を外す。
正視できなかったのは、二人の姿が人混みに消えたからではない。
その背中を見つめることに堪え難いものを感じたからだ。
「賭けられる男に変貌するか否か。きっと、見物になるよ。男は妻の存在で変わるから」
「俺には、関係ない」
自分が室井のことを多く知らないという利己的な問題よりも、室井にとって意味がない審判が、ただ、胸にしこりのように残った。
「青島くんだって、そろそろイイヒトいないの」
「俺ぇ?難しいですねぇ・・・」
「正直、すみれくんとはどうなの」
「え?すみれさんは・・・、何もないことくらい見てれば分かるでしょー」
「この間、交通課の女の子とも合コン行ったでしょ」
「げ。何で知ってんですか」
「この界隈で起こったことが署長の耳に入らないと思う?オモチカエリしたって噂出てるよ」
「きゃー」
「親とか煩いでしょ」
耳を塞いで横を向くと、魚住が背後から耳元で追い詰める。
そう言えば青島の周りでも、最近結婚だの出産だのの連絡が届き騒がしい。
魚住だって警務課課長に就任したし、譲られたそのポストには今自分が治まっている。
実家からは早く嫁を連れて来いとせっつかれ、忙しいの一言で逃げていた。
周りは変わっていく。
人は成長していく。
時は無常の風の中で、留まることを由とはしてくれない。
「俺もいつかは結婚するのかなぁ?」
「離婚もするかもよ」
「ちょっと!始まってもいないうちに不吉なこと言わないでくださいよ・・・っ」
この先、室井がどんな刑事キャリアを積み上げていくかは知らないし、聞いたこともなく、想像も付かない。
彼は青島の隣で静謐な黒い目で、どんな未来図を描いていたのだろうか。
ホテル周りに並べられた鉢や目の前の花壇のポインセチアの赤が妙に毒々しく目に痛む。
そのポインセチアの周りに植えられている白く小さい花が少しだけ印象に残った。
名もなき花はさわさわと夜の海風に揺れていた。
年の瀬の忙しない人波の中で、妙に心を締め付けざわめかせた。
