ショートショート~present
アメリカ(たぶん)からとても可愛いお話を送ってくださいました!/管理人による意訳でよければどうぞ。
時間軸はODF後。登場人物は室井さんと青島くん。冒頭にすみれさん。
ファイナル後の三人の決着物語。
室井さんは警視監設定。新たな関係を始める二人のピュアラブストーリー。全1話
Bayside
FINAL
(日本語ver.)

00
東京湾岸署刑事課の現強行犯係係長は戸惑っていた。
「でもさ、もしすみれさんがあとになって後悔したり失敗した~ってことにならないように、俺の傍に残るって選択もあるんだよ」
「そうね、ただ、青島君がこのまま東京からうちの大分へ来ちゃったら、もうどうにもならないじゃない」
「 ... ... でも、俺はすみれさんにとっての永遠の同僚なんだよ」
そこにいる青島俊作警部補は、出会った頃の青島巡査部長そのままだった。
「知ってる」
恩田すみれはニヤリと笑ってみせる。
「青島君とあたしとの間にも絆はあるけど、あたしが辞めた以上、青島君には室井さんとの約束を果たしてもらわないとね」
「すみれさん! 」
「ばっかねぇ」
すみれはもういちどため息をついて、青島に向かった。
「あのね、今はあたしたち三人のことを話しているの。室井さんからは、まだお見合いの話、聞いてないんでしょ」
「?」
「――やっぱり。青島くん、事件中はそれどころじゃなかったもんね」
「それ、本当なの? 」
青島が怪訝そうに問い返す。
「真下の頭ン中は神田署長にそっくりなのか? 俺らが任務についている間に見合いさせるの? 」
「そうよ」
すみれがくすくすと笑った。
「いつのこと? 」
「そんなことはどうでもいいでしょ。青島君はどう思った? 」
「仲人にはなれないよ! 」
「何か理由あるの? 」
「 ... ... すみれさんには失礼かもだけど――唐揚げ屋の店主やったとき、あれがただの任務じゃなければな~くらいの下心は、ありました」
「許してあげる。で、室井さんのことは? 」
「 ... ... 二人を紹介するなら、俺のほうが適任でしょ」
「そう? 」
「そうじゃんか。仕事以外のどこが相手に相応しいと思う?」
「ま、そこはね。でも、青島くん、室井さん個人について何か思い当たること、ない?」
「 ... ... 約束が果たされたら、嬉しい」
「その後は? 」
「後?いまのところは考えてないよ。すみれさん、何が言いたいの? 」
「ここまで言ってまだ気がつかない? 」
青島は首を振った。
すみれがあっさりとその先を口にする。
「室井さんは、いつも、あたしの相手は青島君だと思ってるんだよ」
「まさか」
青島が目を丸くした。
室井の思惑は読めなくても、これで確実に分かったことがあるだろう。
室井が身を引こうとしていることと――
「俺がぜんぜんすみれさんのこと考えてないというのはほんとうだな」
申し訳なさそうな青島にすみれは失笑しながら、そうねと頷き返す。
「けど、俺はそこまでずっとすみれさんと一緒にいていいような男じゃないよ。俺、その、ごめん」
「いいえ... ... 」
ため息をつきながら青島に代わり、すみれは次の言葉を待った。
「考えてみれば、すみれさんがこんなにも長く一緒に俺の傍で歩いてくれたことに感謝しかないのに」
「でも、東京で、青島君のこと待っている人もいるにちがいない」
すみれが一歩近づき、人生で一番の笑顔を作りながら、強がりを見せる。
「あたしのことは心配しなくていいの。あたしが刑事になったのは、自分の身を守るため。あそこであたしはあたしの身の安全を確保することができたの」
青島は口を挟めずにいる。
するとすみれは、まだモスグリーンのコートを着たままの青島をエスコートし、背中を押した。
「ほぉら、もうそろそろ三時半だよ。青島くんが駅へ着くころには四時半だからね。就業時刻は九時五時でしょ」
「わっかりました」
両手を上げ、渋々青島が了承した。
青島はドアのノブを回し、最後にもう一度振り返った。
「じゃ、体に気を付けて、すみれさん。元気でね」
「うん、じゃあね、青島くん」
01
青島は明日の有休を取っていた。
それは書類上では、現職の湾岸署署長の真下正義が、元職員の恩田すみれを送り届けさせるために許可した休暇である。
室井は腕時計に目をやり、大きく息を吸った。
午後二時。
恐らく恩田君はもう目的地に着いているだろう。でも、青島はいつ帰ってくる?
室井はもう一度両手を合わせる仕草をして、親指に顎をのせた。
頼むから、恩田君を無事に送り届け、青島を何事もなく帰らせてくれ。
他の誰かに言わせれば、「青島はいつだって湾岸署にいるじゃないか」と揶揄うだろうが、室井は今、思う存分息を吐くことさえできなかった.。
.. ... .青島はいつだって別れを告げることができるし、自由になれる..。
... 今度は室井がこの手で青島の警察手帳を本人に返した。出会ってからこんなに長い年月が過ぎたら、青島が帰ってこないことはないと信じている。
唯一の変数は恩田君だ。
ショートヘアの黒髪の女が室井の頭に浮かんだ。
あのとき彼女は自分の眉間を指さして、室井に「ここにいつも皺寄せて、疲れない? 」と言ったのだ。
「そんなことはない」と自分は答えた筈だ。
普段から心の緊張を解きほぐすのには慣れていた。
しかし、恩田君がそういう人の感情をとらえることができるということを、あの時一瞬で悟った。
たとえ官僚であっても、恩田すみれの前では隠しようがない。
もちろんそれは室井が、これまで彼女とも切磋琢磨してきた相手であり、恩田君が尊敬に値する相手だったからにほかならない。
恩田君が悪いというわけではなく――実際、真下よりも恩田すみれのほうが頼りになると室井は思っていた――こうして室井を脅かす相手が現われたのだ。
では、青島はどう捉えているのか?
例えばどうしても室井かすみれのどちらかを選ばなければならないとしたら、青島はどういう選択をするだろうか?
その時彼女は?
自分は東北大出だからといって引け目を感じてはいない。
しかし、青島を前にして、自分が勝てるとは思えなかった。
恩田すみれこそ情理の間に距離を取らせているのだ。
無論、人生は単純な選択肢ではない。
青島は室井と恩田君を大事にしていた。
恩田君を擁護してきたし、室井のためにも考えてくれる。
青島から見れば、自分は理想を司り、恩田すみれは現実を司っているのかもしれない。
理想を捨てた青島も、現実を無視した青島も存在しない。
おそらくそれが、三人の感情の領域における停滞の原因だったのだ。
02
スーツのポケットに入った携帯電話から振動が伝わってきた。
「室井です」
「あ、青島です!たった今、四時半の飛行機、チケット取れました」
雲雀のような明るい声が聞こえてきた。
「六時半頃には東京に戻れると思います。一緒にメシ食う時間くらいできるかもしれません」
「もちろんだ」
せっかく考える前に応答が出来たのに、室井の意識は心地好い声を追うことしかできなかった。
「何食べたいですか? あ、待って、どの駅まで来れるか教えてください。迎えに行きます」
そして、青島は幾つか駅の候補を上げた。
「その近くならいいラーメン屋を知っている。秋田の鍋もある。メニューが豊富で食べ物選びに困らないところだ... ... 」
「もひとつ、問題があって。実は俺んちのアパート、水道管が破裂して断水しちゃってて。今晩泊まるとこないんですよ。室井さんちに一晩置いてくれませんかね」
「構わない」
今度も考える前に承諾の言葉が飛び出た。
ふいに室井は携帯が熱くなるのを感じた。
室井は深呼吸をし、「到着したら電話してくれ」とだけ付け加えた。
「はい。よろしくお願いします! 」
嵐の試練に耐え、穏やかな海に出て、陸地を目にしたかのように、二人の間に新たな波紋は生まれなかった。
室井は大きく大きく息を吐いた。
続け、まず沖田に電話をかける。
「すまない, 今夜は一番大事な仕事が入った」
「わかりました、そういうことでしたら新城さんに引き継がせます」
沖田は笑っていた。
「夢がかないますように」
「ありがたいが、だが何故祝福の言葉なんだ。信じ難い」
「十年前の貴方は、今日の日を信じられたでしょうか。この十年間、貴方は決して順風満帆ではありませんでしたよ。そっちの方が私には信じられません」
沖田はひとしきり笑ってから言った。
「でも、貴方がたの願いを叶えてもらいたいのは、貴方がたふたりだけではありませんから」
「そうか、感謝する」
室井は敢えて落ち着いた声で返し、高揚感が込み上げるのを抑えた。
それはとても難しいことだった。
だが、沖田は気にしていないかもしれないが、その喜びはまずアイツと共有したい。
室井は受話器を持ったまま、自分の弾みそうな感情を諫めるのに必死になった。
それから新城の番号を押した。
「新城、念のため、今夜はおまえが全部仕切ってくれ」
「そうですか」
新城の返事はおざなりだった。
「詳細は沖田くんに伝えてある」
「待ってください。わざわざ頼むほどの問題があるのですか?今の貴方の仕事に ... ...
まあ、いいでしょう。今夜だけです。私は、仕事の引き継ぎには、とくに興味がないんです」
こいつは十年経っても同じだ。
室井は気持ちを隠すつもりはなく、事務的に会話を終わらせた。
「頼んだぞ」
「今夜の交通課が暇なことと、レインボーブリッジの無事を祈ります」
「そう願いたい」
これで、室井慎次警視監が今夜のうちに処理しなければならないことは、すべて私用のみになった。
03
ブレーキ、サイドミラーを確認、キーを引き抜く。
六時二十分。
駐車場から駅までは歩いて十五分くらいかかる。
青島が六時半に着いたら、ホームから駅出口まで歩いて十分ぐらいだろう。
帰宅時刻のラッシュアワー。
自分はこの千人を超える群衆の中で青島を見つけ出すことができるのだろうか?
ただ、今夜はこちらだけが相手を探しているわけじゃない、青島も同時にこっちを探している。
室井が自分を慰めていると、携帯が震動した。
「室井さん、今どの改札にいます?」
「どのホームだ」
「北口です」
「わかった、直ぐ行ける。また後で」
もうすぐだ。室井は顔を上げ、大きく息を吐いた。
逸る気持ちを抑え、駆け出した。
人混みの中でも、今夜、もう俺たちを引き離すものはない。
そして、青島の姿を見つけ出すのは予想よりずっと早かった。
「室井さん」という呼びかけにはかすかな息遣いがあり、青島もまた小走りでやってきたことを伝えていた。
「お帰り」と室井は伝え、薄茶色の目をした男に視線をしっかりと向けた。
青島はクルーネックの白Tシャツを着ていたが、洗いざらしの軍用コートの下に、レモンイエローのシャツと淡いグレーのスーツ姿だった。
室井は青島の肩を軽く叩いて促す。
「行こう」
人通りの多い広場をゆっくりと横切り、黄色い夜間照明が灯る表通りに出ていく。
「せっかく事件のない夜なんだから」
青島が不意に笑みをくれる。
「室井さんがひとりで夜の闇に向かっていくのを見ていなくてもいいんですね」
「そういうものか? 」
「追いかけたいです」
「君に半歩遅れて付いてこられるのは嫌いじゃないが」
室井が続きを引き取り呟いた。
「逆がいい。そうすれば君はずっと目の届くところにいる... ... 安全かどうか見てられる」
青島はため息をついて、情けなく眉を曲げた。
「ここ何十年か、いつも、室井さんに心配をかけていたことは認めますけど」
心配どころではない。室井の心は常に青島に縛りつけられていた。
だが今言いたいのはそれではなくて。
「それに関しては問題ない、もう慣れた」
すると、いきなり青島が大股で歩き出し、数メートル先で振り返った。
「室井さん」
「ん?」
突然止まるから室井も思わず足を止めると同時に、青島の腕の中に身を投げ出しそうになった。
「俺の後ろ姿を見慣れたいってことですか?」
青島が囁くように言う。
街灯に照らされた薄黄色い光の輪の中で、茶色の目が影の中で淡く光っていた。
もちろんこれだけじゃ足りない。
室井は息を呑んで、青島を見つめ直し、ゆっくりと言った。
「私が運転している間に、奇襲を仕掛けられなくてよかった」
青島が目をぱちくりとさせた。
「それくらいの分別はありますよ」
「どうだか。君と一緒にいる一秒一秒が驚きでいっぱいだ。新鮮さとワクワクでいっぱいなんだ」
室井は顔を上げて言った。
青島が呆然としている隙に、愛しい相手の腕を掴み、足を進める。
「さっさと行くぞ。冷めてしまったスープなんかご馳走になりたくない」
今度は青島が引っ張りにくくないな、と室井は歩きながら思った。
04
二人が車中で言葉を交わすことは、道端でするより更に減った。
助手席に座った青島は、黙って流れる車や道路標識や建物を眺め、ときどきそれに関連する言葉を呟き、脇の室井にはほとんど目を向けてこない。
煙草が吸いたいのか、青島の指がしばらく唇をなぞっていた。
しかし車の中で彼が火を点けることはなく、室井が音楽の再生ボタンを押せば、カーステレオから流れ出るピアノの音は雨のように豊かに降り注ぎ
ポール・ウェラーの声が春風のように柔らかく満たす。
「この青いジャケットを見て借りたんだが、後でクリエイターを見て、ザ・ジャムのボーカルだと分かった」
「ザ・ジャム? 彼らの曲はよく聴いてましたよ」
しばらくして青島が答えた。
「ああそうだ。ウェラーも80年代にこの影響を受けた曲を作ってましたよね」
「ほとんどの人がジャムのロックバラードを通じて彼を知っている」
「俺も例外ではないですね」
青島が静かに語る中、車は走っていく。
「ウェラーに別の影響があるとは考えられないな」
「すべては歌手個人の内面の表現ではないか」
「なるほど、哲学的ですね」
青島は窓の外に目をやったままだった。
「火のような情熱と水のような優しさが、彼の中に共存していると思ったよ」
店内でも、二人ともほとんど喋らなかった。
注文が終わると、青島はようやくポケットからアメリカン・スピリットを取り出す。
ぎこちない。
組んだ両手の上
に顎を載せ、室井は店内の様子や鳴り響くカチャカチャという食器の音の中で
自分と青島の穏やかな呼吸音を追った。
青島が箸を置くと、室井
はすぐにカードで支払いを済ませた。
青島はちょっと笑って,不満そうな顔をする。
「ここは俺が奢るつもりでした。こっちが誘ったのに」
そんな些細なことを二人の間柄で気にしているのだと思うと、室井はくすぐったくなった。
「ここの年会費が使用頻度によって決まる。月に一度、請求が来る」
「じゃあ次は室井さんに奢らせてください。約束」
「楽しみだ」
室井は眉を上げた。
目の前では青島もはにかんで頷いてくれた。
再び車に戻り、帰宅の途に就く。
車が六本木に向かう出口を過ぎたとき、青島が、不思議そうな顔をした。
「室井さん、もう官舎には住んでないんですか? 」
「引っ
越したんだ。広島から帰ってきたら、ここの人間はほとんど見覚えがなくなっていた」
室井はできるだけ軽い口調で言った。
たとえ今、自分と青島が同じ意思で同じ車に乗ってい
たとしても、俺たちの関係はまだ単なる上司と部下であって
そんなのは依然として奔流の中の二枚の落ち葉程度であり、次の波紋がいつ来るのか、まだ最終的な結末を知った段階ではない。
ましてや彼はしっかり
と波立たせてくるだけの気紛れで、掴みどころがない。
遠慮なんかされて逃げられたら困ると思った。
だが、室井の態度に特に不自然には思わなかったらしく、青島は気を抜く様に息を吐いた。
「まあ、随分と時間が経っちゃいましたしね」
「君は? まだ新木場にいるのか? 」
「まあ。結構趣味の物がたくさんあるから... ...
引越は大変です。倉庫を借りて置くしかないでしょ。でも、そうなると倉庫のセキュリティシステムから調べることになる」
「譲渡や売却は考えていないのか? 」
「いつか事件で役に立つかもよ? 」
「そういうこともあるかもしれないが、君の射撃技術と、モデルガンの知識は、あまり関連性がない気がするが」
青島が照れ臭そうに頭をかいた。
「そんなに何度も本物の銃に触れる機会なんてないですよ」
「無事でいてくれたほうが、こちらとしては気が楽だ」
室井がウィンカーを出した。
「着いたぞ」
05
室井は下駄箱からグレーのスリッパを一組抜き出して、青島に差し出した。
靴からスリッパに履き替えると、室井は先に玄関を上がり、黒のコートとベスト、ネクタイを寛げ、壁に掛ける。
真紅のカシミヤに着替えた。
遠くで先に点けたヒーターが唸りを上げ始めた。
「さっすが、室井さんって東北の人ですね」
「東北の人? 」
室井はまだコートのジッパーすら外していない青島を振り返る。
「室井さんが着てるのって、ずいぶん薄手に見えるから」
「実は、メルトン、フランネルなんかの厚手の毛織物よりずっとあたたかいんだ。色違いのをもうひとつ持っているが、着るか?」
青島は目を丸くしたが、すぐに笑い出した。
「俺はまず先に風呂に入った方がいいでしょう?」
――去年のことだ。
正月に、室井の新居に妹の美津子が家族連れで訪れた。
新年を一緒に迎えたので、揃ってショッピングセンターに連れ立った。
「好きなものを買えばいい」
美津子にはそう言って、不義理をしていて金でしか埋め合わせができないという後ろめたさを飲み込んだ。
美津子はちょっと笑って、素直に甘えてくれた。
手早く家族のために質の良い服などの衣類を一つ二つ選んでやった。
「兄さんは? 」
「足りないものは特にない」
「でも、まだ全身真っ黒よ」
美津子はその時、真紅の薄手ニットをそのまま室井に押しつけた。
「せめて、うちではもう少し明るい色を着てもいいじゃない。早く着てみて」
絶対似合わないと思った。お互いに。
しかし美津子の予想を裏切って、ウォームカラーのニットを着た室井は、店員にも気に入られるほど、明るく見えた。
「いいと思う」
「じゃ、これももう一枚追加する」
室井はオリーブグリーンを取り、美津子に訊いた。
「どうだ? 」
「よく似合うわ。ずいぶん上品に見えるわ」
美津子は満足そうにうなずいた。
戦利品の大きな袋を提げた室井の後に、しっかりした足取りの夫婦の足元を、ぴょんぴょん飛び跳ねる子供が続いた。
美津子は歩調をゆるめ、兄にそっときいた。
「兄さんはまだ独身のまま?」
アーミー・グリーンの姿が一瞬だけ脳裏をよぎった。
「ああ」
「でも、相手がいるのね? 」
「まあ」
「その人は、兄さんの気持ち、知ってるの? 」
「チャンスがなかった」
というか、自分が青島との約束を果たすまでは、室井も青島も、プライベートなことは考えていなかった。
青島は重傷で入院しても室井の面会を拒否し、室井を蹴って仕事に戻る男だ。
「自慢のきりたんぽ、ご馳走してあげたら? 」
「いつまた会えるかわからない相手だ」
すると美津子はちょっとためらって、口籠った。
「そのお相手は... ... その、お身体のぐあいが... ... ? 」
「その人物の健康について心配するところはない。元気過ぎるくらいだ」
「ならいいけど」
美津子はため息をついて、語り出した。
「野口さん、ここ数年、あんまり具合がよくないの」
室井の大学時代の恋人、江里子が亡くなってからも、室井本人か美津子から毎年のように野口家にお歳暮が届けられている。
両家の間にはまだ時折交流があった。
「何か手伝えることがあったら、遠慮なく言って欲しい」
「違うわ。江里子さんのただ一つの願いは、兄さんの無事と幸せを願うことですよ。兄さんが広島にいた数年間、ご家族もとても悲しんでいました」
「しかし、江里子が納得しないだろう 」
「例えば兄さんが病気になったら、恋人にも病室で塞いで欲しいと思うの? 」
それでみんな揃って私を除け者にしたのか?
「そんな理由だったのか」と、室井はつぶやいた。
室井の住んでいるマンションは当然浴室が一つしかない。
「ここに新しいタオルと歯ブラシがある。湯加減は試してから使え。それと、着替えか。ゆったりしたものを見つけてくる」
「わかりました。客室はここかな」
青島がバスルームの横のもう一つのドアを指差し向かった。
その指先がドアノブにかかったとき、室井が慌てて青島の手首を押さえつける。
「勝手なことをするな」
急に制されて振り向いた青島が目を剥き、空かさず室井のもう一方の腕が青島の背に回ると、青島の肩を押し戻した。
「そこは書斎だ」
バスルームの明るい照明の下まで連れ戻され、ようやく青島の頬に紅潮が浮かび上がった。
「君は人の家の家宅捜索も勝手にするのか? 」
「しませんよ! 」
青島は反論したが、説得力は薄い。
数秒間、きょとんとしてから青島が小悪魔っぽい笑みを浮かべた。
今度は茶色の鮮烈な瞳が室井の黒い眼をまっすぐに見つめてくる。
「室井さんを誤解させたのは事実だけど。でも、俺がその罪を今引き受けるのは濡れ衣じゃないから... ... 」
不意に室井の視界に影がかかる。
唇の熱い感触。密着した肌。腰に回される手と足。
室井は立ちすくんだ。
「これこそ勝手。こういうのを勝手な行動っていうんですよ」
湿った息で囁いてから、室井を放し、青島が顔を上げる。
「名実ともに非礼になりました」
だが、青島の顔つきは、口ほどには落ち着いてはいなかった。
室井もまた、同じく乱された呼吸を鎮めようとしながら、ゆっくりと重い口を開いた。
「苦情を撤回する」
「どうして? 」
シンプルな質問にもかかわらず、青島の発言は判事の手によって机に叩きつけられたハンマーのように室井には感じられた。
「こ
の部屋はもともと1LDKで、キッチンとバスルームとバルコニーがついていた。
ドアを挟みリビング、反対側がキッチンだ。キッチン横にある2つのドアはバスルームと寝室。
引っ越してきてから、リビングをメインルームに変えた。寝室はオフィススペース、家事室として機能する書斎に。
つまり君の推理は合っていた。その点については俺は君に謝罪しなければならない」
「それで、もう一つの『勝手な行動』について、室井さんの回答は... ... 」
室井は青島の肩に回していた手を徐々に青島の首筋に這わせ、親指で青島の頬を撫ぜた。
腰元から強く引き寄せる。
「よくもあんなことを」
「俺に対する評価以外に、室井さんの感想はありませんか」
「あるに決まっている」
室井は大きく息を吸い込み、青島の不安そうな顔に向かって白状する。
「俺には君が眩しかった。君のそんな眩しさに触れることができたことが、いつも幸せだった。この先も俺はどんな君
も逃したくない」
腕の中の青島が咲き誇るように笑った。
室井はその上気した口もとにキスを与える。
「早く風呂に入れ。湯加減も頃合いだ」
室井がバスルームを出たとき、オリーブグリーンのニットを身に着けた青島が寝室の窓辺に座っていた。
その姿に室井は息を呑む。
「今夜は一緒に寝るか」
「かまいませんけど、室井さんはどうして元の寝室を使わないんですか?あっちのほうが静かそうなのに」
「普段は大抵、ベッドに入った途端眠ってしまうから、とくに静けさは必要ないんだが、夜中目を覚ました時、隣の生活音がうるさいんだ...
... 」
「へぇ... ... けど、室井さんは客間も全然使わないの」
「俺はここに他の人間を招いたことはない」
それを聞き、青島は室井を見上げた。
黙ったまま、青島が静かに自分の胸元を指さした。
「それで、室井さん、俺でいいの? 」
「駄目か? 」
「もう、俺に聞かないでください、心臓見せたいくらいだよ。あと、あんたは、笑ってた方がいい」
しかし、続けて聞こえた青島の次の言葉は衝撃的だった。
「それと、いつか『公式の官僚夫人』が現れる。その時は... 」
室井はほとんど飛び上がるようにして、遮った。
「待て、結婚するかしないかは自分で決めることだ。信じてくれないのか」
「まさか」
青島が声を荒げると、その手の甲で目尻をすばやく拭う。
それから潤んだ茶色の目を室井に向けて、見つめた。
「すみません、つまんないこと、言った」
「い
い」
室井も口が滑った。
自分だって心の奥底で何の懸念材料も持ち得てなかったと言えるか?
室井は拳を握り締め、青島の前をウロウロしながら、事実、一番気になっていることを口にした。
「すまない、俺も人を責められた立場じゃない。青島、俺と恩田君のどちらかをここで選んでくれないか」
青島はふくれっ面をしてから、目だけでくすりと笑った。
「場合によりけりだ」
室井が眉を顰める。
青島は一歩前に出て、室井に近づき、室井の深く皺の寄った眉間に指先をあてた。
「すみれさんに必要なのは刑事の同僚です。室井さんはまだそんなこと悩んでたんですか? 」
「やっぱり恩田君を選ぶんじゃないかと」
青島は首を振った。
「でも、すみれさんが俺を選ばない。彼女は裏切りを許せない。今ここにいる俺は彼女自身が選んだ退路だ」
そうだとしても、それで納得できるのだろうか?青島も恩田君も、そして俺も。
室井は目を閉じて、最後に問う。
「ならば、どうして俺のことを思い出した」
「室井さんは水と空気みたいにゼッタイ必要な存在だから」
青島が室井にふわりと抱きついてくる。
目頭が熱くなった。
「悪かった」
室井は低く強く答えた。
すると生温かい感触が室井の目の縁を掠めていく。
青島が室井の目尻を舐め取ったが、室井の黒い睫毛が濡れ、視界は滲んでいた。
室井を引き離し、青島がベッドサイドテーブルに歩
み寄り、身を乗り出してティッシュを何枚か抜いた。
「そんなものはいらない」
「でも」
「これでドライアイにならない自信がついたか
ら、早くカーテンを引いてくれ」
「なんだそれ」
青島はカーテンの合わせ目に立ち、室井に背を向けた。
だがそのまま振り向かず、動きが止まる。
室井の呼吸音がますます重く激しくなってきた。
「室井さん... ... 」
室
井は青島の襟首に手を回しながら、振り向かせ、青島を腰から引き寄せる。
深く唇を押し当てた。
紅く膨らむ唇を吸いながら、器用な舌先を追っていく。
震えが青島の背骨から室井の腕に伝わり、青島の両手が室井の肩に回され、指先が室井の手の甲に触れる。
室井は思わず抱き締めている青島のその手を強く掴み取った。
青島が首を傾け、室井の指先か
ら手首にゆっくりとキスを落とす。
青島は室井の手を取ったまま、小首をかしげて室井を見つめていた――瞳の奥には室井の姿が埋もれていた。
気を失うほどの熱い
ものが、そのまま室井の体に流れ込んでくる。
室井は息を殺し、自分と青島の着ているものを解き、寛げ、ベッドの端のスツールの上に放り出した。
「室井さんはいっ
つも冷静だよね」
シャツ一枚となった青島がやるせなく微笑み、腰をかがめて床に投げ出されたパジャマを拾い上げる。
その腕を掴んだ。
「そんなことはない」
室井の声は低く掠れ、本能のままに青島を押し倒した。
青島の腰の古傷を掌で何度も確かめる。
「俺がおまえを守れなかったんだ」
「やめ... ... 」
青島が身じろぐ。
その姿を見て室井は眉を不満げに歪める。
青島はすぐに気遣うような笑みをくれた。妖艶に顔色を変える。
「じゃ、室井さんにお願いします」
「承知した」
室井は青島を抱きしめ、逸る指先が青島の肌に直接触れ、性急に弄っていく。
真
下が銃撃を受けたあの雨の夜、青島ら所轄員は弾丸を探すことに必死で、湾岸署全員が銃を持てという命令はすぐには出なかった。
室井が湾岸署に到着した時、丁度他人
の手を借りて防弾チョッキを着用していた青島は、たまたま通りかかった室井を見た。
室井も意図せず防弾チョッキを着て鋭い目で立つ若者に目が釘付けとなった。
あの時に似た、危険と隣り合わせて追い詰められた切迫感と、脊髄を這い上がるような強烈な感覚が、室井を取り囲んでいる。
そして今、室井と多くの時間を共にしてきた青島は温和で、健康的で、朗らかに、無防備に室井の前に委ねられていた。
肌を重ね、かすかではあるがはっきりと聞こえ出す嗚咽や喘ぎが、組み敷いた男の喉元から伝わった。
青島も
それに気づいたのか、頬を赤らめ、室井を更に虜にした。
室井はもう迷わず、また新たな舌戦に没頭した。
存分にお互いの肌を味わった後、室井は改めてタオルで青島との身体を拭いてやる。
青島は紅く唇を腫れさせ、肌も火照らせて横たわりながらも、目を輝かせて無邪気に笑っていた。
「室井さんって、海、好きですか? 」
室井はしばらく呆れていたが、正直に答えた。
「生憎だが、あまり好きじゃない。陽は照っていても、潮風がキツイことが多い。だったら場所を変えて日向ぼっこでもした方がいい」
「秋田のどこでも、室井さんの好きなところで日向ぼっこ、してもいいよ」
「秋田? 」
「そう、秋田」
室井は恋人を見返して、手を止める。
「米も美味い、酒も旨い、美人も多いから、行きたいなら連れてってやる」
「室井さん」
青島が、んもぉと笑って手招きした。
室井は一歩前へ身を近づける。
「青島? 」
「俺わね、この秋田美人がずっと気に入っていたんですぅ」
青島は室井の耳もとに口を寄せて、誘うように囁いた。
耳の付け根から首の付け根まで真っ赤になった室井が口を真一文字に引き結ぶ。
「青島、睦言にもほどがあるぞ」
「あれ、室井さんには通じなかったみたいだけど、どしたらいいんでしょうね」
青島が目をぱちくりとさせた。
室井は眉を吊り上げて、ムキになる。
「そこまで鈍感じゃない!」
***
翌朝、室井は胸に何かが押しつけられるような感覚を覚えた。
目を開けると、それは青島の腕であり、室井の肩にすり寄るようにして犯人は熟睡していた。
慣れない温かさに戸惑いと喜びが交じる。
習慣はそう簡単には形成されないものだ。だが室井はもう夜中に目を覚ますことが楽しみに変わっていた。
end
作:aoshimaspiritさま/意訳:みんと
20230607

ファイナル後、警視総監にまで上り詰めた室井さんが、青島くんと新たな関係を築くまでの馴れ初め話!
すみれさんと三角関係にしていた所に踊る愛を感じます。三人ともお互いを大事にしてたことが伝わる展開でした。
室井さんは理想を、すみれさんは現実を、という解釈も面白くって好きです。
室青としては、青島くんの可愛さをカッコよさと合わせて描かれているところはもう感涙!!
弱弱しくもなく女々しくもなく、室井さんが惚れて当然な好青年に仕上げられているキスシーンからの展開は、めっちゃツボでした!
覚悟を決めてきた青島くん、イケメンすぎる!
抱いてくださいな青島くんがめぞん一刻!←
室井さんも覚悟を決めていたのに、告白も先越される辺りが室井さんである。
だけどそのまま召し上がっちゃって抜かりがないのが室井氏。
可愛い作品をありがとうございました!