シー ズン企画
毎年恒例クリスマスストーリー2020です。時間軸はODF後。登場人物は室井さんと青島くん。そして久しぶりの工藤さん。
一度ショートで工藤さんを書いていますが、あの続き的なお話でクリスマスです。あっちを読んでなくても問題ない です。
室青に巻き込まれた工藤さんのお話です。











スパンコール・ナイト!
line
1.
凛と凍り付いた空気が、新宿の盛り場に夜を知らしめる。
同じ歩調で歩いていた隣の黒コートが、信号で足を止めたままだったことに気付き、工藤は振り返った。
コートと同じ、闇に紛れるその漆黒の瞳は、一心に交差点の対岸を映す。

「アンチャン、何かあったんか?」
「――いや」

薄い口唇は、カサカサに乾き、頑なに引き結ばれた。

交差点を越えると駅から続く昔ながらの歓楽街が賑わいを見せる。
売春宿、風俗街が未だ堂々とのさばる此処は、先進都市とは真逆の、ハイカラなものを忌み嫌う無法地帯だ。
首都のシンボル・都庁を控える新宿の昼の顔はハイセンスでインテリな連中が集うが、夜に入るとこの街はガラリと表情を変える。

おもちゃ箱みたいなネオンが灯り出す頃、陰気で憂色、ハイカラなテンションの虚実が融合すれば
この国の動脈が密やかに活動を始める。
交差点に集う若者たちと時代を切り取った集散地などに、真の経済拠点はない。
最後の住処となったこの街が、工藤の刑事人生を象る。


何に気を取られているのか分からず、工藤は室井の隣まで足を戻し、肩で室井を小突いた。
元々色素が薄い肌は冬の風で陶器のように冷たくなっている。
加えて表情の乏しさから偏屈な印象も与える室井は、それが人に迂闊に近寄らせない冷淡な気品を持つ。

「どうしてこんな大事な夜に、傍にいないんだろうな」

独り言のような言葉は走行音に掻き消され、ヘッドライトがシャッターのように映像を切り取った。
数歩進み、また止まる革靴に、未練ではなく孤独を工藤は見る。
冬が似合う黒コートの背中が、闇に紛れた。

「今日はあいつの誕生日なんだ」
「そりゃまた――」

乙女チックなことで、と揶揄おうとして、工藤は口を閉ざした。
この高潔なアンチャンに、そういう冗談は通じないだろう。
むしろ真剣に、最愛の男の誕生と奇跡を敬い、心から感謝と祝福を贈っているに違いない。

「ま、会いたいときに会えないのが、刑事だぜ」
「・・・そうだったな」

特に、今の室井の立場からすれば、こんなところで工藤と逢引きすることすら、憚られる筈だった。
逢引き――室井にしてみれば、異論がなくはない表現だろうが
警察庁の官房審議官まで登り詰めた警視監。それが今の室井の役職だ。

そんな国家の中枢にまで踏み込んだ男と工藤の馴れ初めは、7年前まで遡る。
新宿北警察署管内で発生した殺人事件で捜査本部長として指揮を執りにやってきた彼は、まだ警視正だった。
それでも工藤なんかにしてみれば、エリート中のエリートだ。
どうせ出世に目が眩んだ点数稼ぎしかしないだろうと踏んでいた所轄の面子を他所に、このやんちゃなキャリアは
あろうことか、自ら手帳を掛けてまで、事件解決に拘った。

刑事人生を潰すかもしれない。
なんでそこまでして事件解決に躍起になったのか。
その答えは、室井があの時一度だけ口にした「ある男と約束した」という一文に全てが詰まっている。


「にしてもよ、人波に想い人を見つけられるなんて、イイ眼力持ってるじゃねぇか」
「・・・たまたまだ」

目立つやつだから、と付け加えた室井の言葉には、愛おしさが滲み出ている。
ふふんと鼻で笑って、工藤はしゃがれた両手をポケットに突っ込んだ。

北風に晒される室井の横顔を漫然と見れば、あの頃よりは随分と老けたなと思う。
瀟洒な顔は細く、目尻には皺が刻まれ、白髪も見え始めた。
それでも出世し、願うところの“約束”とやらの一歩を踏み出せた満ち足りた目と自信は、あの頃よりも室井を強かな貫禄を持つ統率者にお膳立てする。
それは挑戦者から実行者に変わっていく中での定めでもあるだろう。
仕立てのいいスーツもコートも清潔な匂いも、自由を持て余している裏街には似つかわしくない男だ。
なんでこんな男がこの街にいるんだか、今更ながら可笑しく思いつつ、工藤は星のない都会の宙に息を投げた。

「そういう事情なら今夜断ってくれても良かったンだぜ?」
「――振られたんだ。こっちが」

ははっと指差して笑い飛ばすと、工藤はガードレールから身を乗り出して対岸を探った。

「どこだ?」
「・・・中央ツリーの下」

目をやれば、シャンパンゴールドに覆われた街路樹が煌めく広場があり、その中央には白と青の幻想的なもみの木が街にロマンティックな雰囲気を演出 している。
通りのこちらとあちらで、時代も人相もまるで姿を変える界隈の、象徴的なモニュメントに集う群衆の中に、一際目立つ人影が見て取れた。
室井がよく口にしているモスグリーンのミリタリーコート。
モノクロのコートが多い中、それは確かに人目を引いた。
淡い髪色に、もふっとしたコート越しでも分かるスタイルの際立ち、ミルクティ色のマフラー、ブラックのエンジニアブーツはその形の良いラインを最後まで華麗に見せ付け る。
その隣に、一人の男がいた。

「一緒にいるのは署の連中かい?」
「違う。あれは青島の――パトロンだ」
「へ?」
「情報屋。兼、・・・・・・・・・・・・・愛人だそうだ」
「ほおぅ・・!」

思わず張り上げそうになった声を、工藤は片手で塞ぐ。
改めて通りの向こう側にもう一度視線を送れば、隣に立つピッタリとした黒革のスキニーパンツを履く男がモスグリーンの肩を引き寄せた。
されるがままに腕に囲われ、頭を抱かれて、耳元に何かささやかれている。
そして、人波から外れるようにして、ビルとビルの間にその姿を隠した。

「随分と似合いの二人だなぁ」

――無論、工藤も所轄で生きた人間だ。
正確な情報を下ろせる、“通じている人間”というパイプは、ノンキャリにとって命綱だということは、痛切に知っている。
キャリアを持たない人間の、キャリアと張り合うための意地と言っていい。
当然、工藤にも口の堅い曲者が何人かいたし、周りを見ても、誰かしら街の掃除屋を雇っている。

そこでは、どれだけ信用されるか?が最大の鍵となる。
そのため、一線を越えた、つまりは、深い仲になることはよくあることだった。
特にこの廃れた街では珍しいことではない。
深い仲と言っても色々ある。桜の代紋に恥じないギリギリのボーダーライン、家族ぐるみで親しくなる者、友人、客、恋仲、セフレ関係を作る者もいる。
やり方に口を出すほど野暮じゃない。
カムフラージュは臨機応変でいい。
刑事にとって重要なのは、そこからどれだけ情報を迅速に入手できるかの一点だ。

“ってこたぁ、出た、んだな”

そのくらいは、室井も暗黙の了解として、知っているだろう。だが。

「いい・・のか・・?」

小さく口端を持ち上げることで、お道化てみせる横顔に、工藤は室井の漆黒が傷ついていることを知った。
本当は奪ってでも取り返しにいきたい男の情動が見て取れる。
闇に紛れてしまいそうなその姿に、工藤こそが、感傷と久方ぶりの男の劣情を思い起こさせられた。
なんでそこまでして。
そう問い詰めようとして、それは時代を越えて、あの日の疑問と酷似していることに工藤は気付いた。

室井が身を賭けるのは、そこには必ず信念と青島がある。
室井にそこまでさせることのできる人物。
真実追及に警察の誇りを賭けた男。だが真実を知ることが必ずしも正解でないことは、この街が物語る。
室井に口留めされて一度も見たことがないその男を、工藤は追うようにして消えたビルの谷間に目を送った。

「それがあいつのやり方だ」

工藤の顔が余程酷く見えたのだろうか。
室井は切れ長の瞼を持ち上げ、小さく微苦笑してみせた。

結局のところ、あの事件とはなんだったのか。
公安が強引に解決させたということに尽きるのだろう。
後日、人伝に聞いた話では、事件の真相を探ろうとする室井の前に次期警察庁長官の座を巡る身内の権力闘争が立ちふさがり
その派閥争いに今回の事件が利用されたらしかった。
らしい、というのは、その多くを、室井本人が語らないからだ。

それでも、工藤たちにしてみれば、事件の真相を暴ければ大団円なわけで
そんな時に送り込まれたのが室井だったという偶然は、ある意味好都合と言えたかもしれない。
いつもなら所轄VS官僚となる図式の辟易さを、室井の存在が大いに歪めた。
警察にとって、たった一つの密計、それがこの華奢な黒いキャリアだ。そしてこの伝家の宝刀が忍ばせるジョーカーが、あのモスグリーンの男。
あの時感じた室井を取り巻くどす黒い恐怖を、工藤は再び思い起こした。

その後広島へと飛ばされた室井だったが、六年後、見事に東京に返り咲いたその後の、本店での活躍は工藤も知っている。
東京へ帰ってきたと、室井の方から控えめな葉書を送ってきた。
今どきメールですらなく、丁寧に書かれた文字に、工藤は、この男の華やかな舞台に生きる裏にある素朴な朴訥さを見た。

そこから時折、室井はこの街を訪れる。
その時は、身分を明かさず、配下も付けず、たった一人で、やってくる。
戒めのためだと、苦笑したのを今も憶えている。
ただ、何かの折、「本当はこういう気取らないものが楽なんだ」と、小さく打ち明けてくれた。
無口な室井にしては珍しく、言葉少なに自分のことを語ってくれた夜だった。


少しだけ、この季節らしい寂寞を抱いた工藤は、やるせない笑みを返してやった。

「どんな奴なんだよ?いい加減、紹介しろよ」
「・・・揶揄うな」

口唇を尖らせ、唾を飛ばすように、室井が小さく憤慨する。
工藤は朗らかに歯を見せた。
こんな子供みたいな反応を晒してくれるのは、自分の前だけだと工藤も知っている。
同期や同僚に気の置けない連中もいるらしいが、どうやら秋田の山奥の、凛とした素朴さや田舎の武骨さを見れるのは
今のところ、こちら側の特権らしい。
尤も、その“青島”とやらが、どこまで深入りしているかは、今もって謎だ。

「妬けるねぇ。結構長いよな。今もちゃんとよろしくヤってンだろ?」
「長くたってそんなもの――」

室井の言葉尻が北風を巻き込んで夜の中に細切れる。

室井から、青島と付き合うことになったと白状されたのも、こんな風の冷たい夜だった。
時折この街で一緒に飯を喰うのが通例となった頃、いつもの定食屋でかつ丼を掻き込んでいる工藤に向かって、優雅に天丼を口に運びながら、淡々と告げたの だ。
帰京を切欠に、ようやく積年の想いを告げ、手に入れたのだという。
それまでオアヅケだったのかよ?随分我慢強いなアンチャン、と揶揄ったら、その時もこんな顔をしていた。

「こんなカタブツを選んでくれる相手だもんなぁ、そもそもどういう出会いだったんだ?キャリアなのに」
「それ、聞いて楽しいか?」
「ベッドインなんかに興味はねぇけどよ、アンチャンが今そんな顔してンのには、大いに聴取したいね」

相当煮詰まっていたのかもしれない。
一人で抱えきれなくなる夜はあるものだ。
ひとつ、白い溜息を覗かせた室井は、もう一度通りの向こう岸、恋人が消えていった方角にぼんやりと目を向けた。

「空からレモンが降ってきたようなものだったんだ」
「あん?」
「目の前がチカチカして、見上げたら」
「はあ、」
「太陽みたいに眩しい色のものが堕ちてきて、目を奪われて、美味しそうだと思って口したら、酸っぱかった」

腹を抱えて大爆笑する工藤の横で、苦みを潰したような顔の室井が、眉間を深める。
丁寧に撫でつけられた黒髪は一部の隙もないのに、青島とやらのことになると、どうもこの男の本性も剥き出しとなる。

「酸っぱさの虜かい。アンチャンらしいなぁ。砂糖でもかけりゃあ食いもんになんだろ。ほら、なんてったっけぇな、れも、れも・・・」
「レモネード」
「それだ」

オヤジには縁のない食いもんだけどよ、と付け足してニシシと工藤はニヤついたが、室井の漆黒の瞳は歪められたままだった。
電飾の光を受ける濡れたような黒い睫毛が心許なく閉ざされる。

「そういう簡単な話ならな」
「ベッドに連れ込めばいいだけの話だろ」
「・・・・」
「・・・聞くぜ?何があった?さっきの男・・情報屋と関係あんのか?」

兄貴面をして雑談を装ってやると、諦めたように室井の重い口が開かれた。
足元をつむじ風が音を立て、工藤はジャケットから冷気を阻んで腕を組む。

「あの情報屋はあいつの恩師の時代からのコネだ。あまりに、その、強い仲だから、どういう付き合いを・・・どの程度の関係なのかを聞いたんだ」
「キャリアがそれを聞くのはちょっとマナー違反って気はするがな、ま、しゃあない」
「青島にもそう言われた。で、実はオトコはあんたが初めてじゃないと」
「ありゃりゃ」
「だったらもうやめてくれと思わず口に出して」
「うあちゃあぁぁ」
「――で、こじれた」

工藤が額に手を当て、天を仰ぐ。
ダメだ、アンチャン、それやっちゃいけないパターンその壱。

「あんただって女と見合いしてるじゃんと責められて。ただの食事だ、口を出すところじゃないと言い返して、だったら俺も勝手にやるから、と突き放されて」

工藤にはそれは最上級の惚気話に聞こえた。
まったく、ホイップクリームみたいな可愛い痴話喧嘩の延長だ。
お互いがお互いに嫉妬して、お互いがお互いに大事にしたい気持ちを空回せている。
いい歳して雄の欲望のままに振舞わない理由を、工藤はなんとなく察した。
こんな仏頂面した中年男でも、瑞々しく恋を実らせ、それなりに深く付き合える人材がいるというのは大事なことで、貴重でもある。
出世を重ねるほど、この世界では孤独になる。
むしろ、ちょっとした安心を覚えつつ、工藤は肘で室井をひとつ、小突いた。

「好き、なんだろ?」

今度ははっきりと室井の顔が歪んだ。
ああ、泣き出したかったのだと、その時になって工藤は気付いた。
喚き、子供みたいに駄々を捏ね、鎖でつないで閉じ込めてしまいたいのだ。たったひとりを、がむしゃらに欲しがりたがっている。
捜査本部ではあんな毅然とした顔を見せ、威圧的に率いた男なのに、今は恋ひとつに脅える。

ヒュッと室井の長い首筋が震え、殺した息が白く立ち消えた。
溢れる感情を抑え込むように、室井が鞄を持つ拳が白くなるほど握り締め、きつく瞼を閉ざす。
閉ざしたのは置き去りにされる現実かもしれない。
怺えているものが切なく、工藤は室井の腕を柔らかく取った。
顔を近づけて闇色の瞳を覗き込めば、夜光を取ったようにそれは哀しみを宿していた。

「アンチャン、馬鹿だなぁ」
「青島がいなくなってしまったら、生きていけない。一人でも立ち上がるつもりだった。どこまでも行ってやるつもりだった・・!だが、傍にいてくれる幸せを 知ってしまったら、もうできない」
「出来ねぇことはねぇって」

どうしたらいいか、わからないんだ。
震え声で一息に言い切り、目を堅く閉じる室井を引き寄せ、工藤は肩を貸してやる。
こんな時まで、甘えることよりも恋を選ぶ男でありたい室井に、切なさが伝染した。
引き寄せた肩に、そっと片手を回す。

「アンチャン、悪りぃが俺も所轄の人間だから。キャリアがそれを言ったら、支配になる。わかるか?ノンキャリに信用がないと一蹴したのも同然なんだ」
「・・信用・・、してないわけ、ないだろう・・・ッ!俺が・・ッ」

押さえ付けたせいで叫ぶくぐもった声は、怒りにも似た慟哭に濡れ、その小柄な肩を小さく震わせた。
真っすぐな背中を工藤がポンポンとあやすように叩く。
一心に恋人を求める室井が、切なかった。
不器用すぎる愛は、時に人を殺す。

「見下してるつもりはなくても、そうなっちまう。アンチャンだって断れない見合いとかあんだろ?」
「見合いだけじゃない、それなりの地位の女性とも会う。でも、どんなに完璧な女性でも・・・・人生を共に歩んでいきたいとは思えなくなる」
「ちゃんとそれ、伝えたんか?」
「どうせ俺は野暮で、口下手で、無愛想な男だ。高度な恋愛テクニックなど、持ってない。・・・ましてや、青島相手に、なんて」
「その真っすぐなところが、アンチャンだけどなぁ」
「でも、青島には敵わない・・!」

面白い二人だと工藤は思った。
どちらかがオンブに抱っこの庇護関係にはないのだ。恋愛に於いても、ライバルであり男であり、そして、何より相棒を切望している。
対等でありたくて、認められたくて、ひとつでありたくて。
恋が伝わらなくて、悔しいのだ。
背中合わせのまま、我儘な心は止め処なく溢れ、一人で持て余す。
幻想的なまやかしの前で、ただの男となった室井の背中は、背負うものを失って頼りなく、上質なロングコートは心許なく足元で揺れた。

「もう、半年も、こんなままだ」

こんな室井を見るのは初めてだった。
今なら誰でも付け込めそうなミスに、だが、それは工藤の勘違いだとも工藤自身、気付いている。
工藤の肩に額を押し付け、息を殺している背中は無防備でも、預けているのはそこだけで、高級な黒革靴はしっかりと地面を踏み
鞄を握り締める指先は力み過ぎて白くなっている。

でもそんな相手だからこそ、男には、火傷してでも触れてみたくなる衝動がある。
現場で、数多くのイザコザを成敗してきたからこそ、成長しきれない男の幼稚さを、工藤は見てきた。
そういうものは確実に存在する。
何かを壊してしまわないうちに、工藤は泥濘に踏み込んだ手数を思い起こし、ぐっと腕に力を込めた。

「んで?醜態晒してデッドエンドかい?」
「!」

不器用に肩に埋めていた室井の細い身体がキュッと硬くなったのが伝わった。
ゆっくりと室井の顔が上がる。
至近距離で合った瞳に高鳴った鼓動を無視して、工藤は声を掠れさせた。

「浚いにいけよ」
「・・・・今更」
「まだ終わってねぇ。手錠かけてでも連れ戻して来い。手帳捨てて事件追った昔のアンチャンはどこ行った?」

今しがた実感した、首筋の仄かな質感が、生々しく工藤の視界を塞ぐ。
刑事は職務上、匂いを忌み嫌う。
この距離だからこそわかる微かな整髪料の匂いに、工藤の胸は詰まった。
それをただ黙って飲み干す喉が干乾びる。

本気の恋を知って、戸惑いを知った室井を、工藤はより人間らしく思う。
そして、脆く思う。
あの頃よりも、鋼鉄で冷淡なだけの硬派な気張りがなく、室井は、恋を得て一つ大人になった。
でも、自分だけが護れるものを知った時、人は強くなる。恋に生きる女と違って、特に男にとっては。

「誰かに渡すつもりも忘れさせるつもりもなかったあン時のアンチャンに俺たちは惚れた。そんなアンチャンの火を今消しているのはアンチャン自身だ」

室井の漆黒の瞳が、何の邪気も映さず、工藤だけをまっすぐに射抜いてくる。
何かを探ろうとしているのか、無垢な顔に、それが工藤の微苦笑を誘った。

「それも出来ねぇんなら」

一つ、枯葉が鳴く。

「俺ンとこ、連れ込むぜ?」
「!」

その言葉に室井が瞠目した。
夜光に映える白い肌が、堅く強張る。
再び尋ねた工藤の声は僅か低さを増し、いささか余裕を欠いていた。

「どうする」
「――君にそんなことを言わせたのは、私か?」

ニヤリと笑んで工藤が素早く室井の腕を引く。
だが、その薄く血色のない口唇に重ねようとした――次の瞬間。

「イッ・・テテテッ!!」

掴んでいた腕を捩じられ、工藤は後ろ手に締め上げられていた。
一体どうやったアンチャン!

「甘いな、工藤刑事。悪さをするのはこの腕か?」
「ギブギブギブ・・ッ!!」

精気の戻った室井の目が、楽しそうに工藤をポンっと突き放した。
思わず工藤は膝を折る。

「さっきまで泣きべそかいていたくせによぉ!」
「かいてない」

意地っ張りメ。
息を落とし、それから鋭く左右に視線を投げた室井を追い、意図を察して工藤は煮え湯を飲む気分で訂正した。

「ああ、ああ!大丈夫だ。確認は怠らねぇ!」

分かっているという風に、室井も頷く。
室井クラスの要職に就くと、いつ誰がどんな形でスクープを狙っているか分からない。
新宿へ訪れる時は工藤がボディガードを兼ねた気分でいた。
尤もそんな気遣いすら、このやんちゃなキャリアは受け取らず、一人でどんどん行っちまう。
一人で何でも背負えると勘違いしている傲慢に、気付けないのはキャリアの特徴だ。

地べたに座り込んだまま、工藤はそこに立つ室井を見上げた。
鼠色の空と、寂れた電灯を背負う姿は、何者にも犯されず、眉間の皺だけが深く影を潜め、堅牢に君臨する王者の貫禄を見せつける。
道路一本で時代も空間も違えるこの街と同じ、遠い、存在だ。
室井が黙ったまま、そっと右手を差し出してくる。
それを取ることなく、工藤はほくそ笑む。
夜気の中で冷えた室井の肌が青白く夜光を反射し、思案深げに眉を寄せた。

「あの時だってそうだ。なんで一人で灰島に向かった?三つ巴だと知らなかったとは言わせない」
「・・・今更何だ」
「一度問い詰めたかった。周りの誰も信用していない、それは、見えていないのと一緒だ。どうして一人で戦おうとする」
「その件については深く反省をしている。だから私はこの街を忘れない」
「だが恋はふたりでするもんだ」

被せるように発した工藤の言葉に、漆黒の瞳はただじっと見つめ返していた。

「もっと気付いてやれよ。青島を救えるのはアンチャンだけなんだぜ」
「そうだろうか・・」
「いつまでも二番目の女にしてちゃ、そりゃ愛想も尽かされる」

室井の光彩が夜気の中で震撼する。
この男の真価は冷たい中でこそ発揮する。

現実を見るのを怖がるな。
真実を知ることが必ずしも正解じゃない時がある。
それでも、護りたいものがあるのなら、男は闘いを止めるべきじゃない。

「行けよ。行ってやれよ。・・・最後のチャンスだぜ、きっと」

あの日、室井は、例え二人が目指すその道が別々の方向へ赴く日が来たとしても、そこは自分たちの宿めだと言い切った。
あれから月日が流れ、こうして手を取り合える運命を引き寄せたと聞いた時、工藤は素直に好ましいと思えた。
男同士だからと、言い難そうに、歯切れ悪く告げる室井に、真摯な愛と人に対する真っすぐな姿勢を見、美しいと思えたからだ。

〈好きだって気持ちに男も女もねぇんだよ、別に異常とは思わねぇ。人を好きになれた、胸張ったっていい〉
確か、そんなことを返した気がする。
室井がこういう男だから、欲しいと思えたものを欲しいと言えただけで、手にすることが出来て、安心した。

室井が困ったように眉間を寄せて顎を上げる。

「情けないな」
「泥だらけで、血だらけで、ボロボロになったアン時のアンチャン、割とイケてたけどな」
「だから。・・・もう揶揄うな」

ふぅ、と小さな深呼吸を落とし、室井は工藤の手に自ら指を絡ませた。
しっかりと握り、ぐいっと引き上げる。
冷えきった室井の指先を工藤も今度は逆らわずグッと握り返せば、同じ力で束の間のぬくもりを与え合う。

「君にも色々と恋愛経験が?」
「手数も経験値だぜアンチャン。でも――」

性懲りもせず、工藤は握っていた手を力を込めて引き寄せ、お道化た仕草でもう一度室井に顔を寄せた。
あの情報屋が青島にしたように、室井の耳に囁きかける。

「その先を知りてぇんなら、続きはベッドの中だ」
「君が抱くのか?」
「アンチャンのテク、リサーチしてやるぜ?」

工藤が卑猥に腰を前後に振って見せる。
闇を纏う眼差しが艶冶な味を仄めかせ、妖しい色香で工藤を誘い、婀娜めいた。

「君では私を満足させることができない」
「アンチャン、この街にはそんな行儀の良い野郎なんか一人もいないぜ。特に、惚れた相手の前じゃな」

最初に言った。
男なら、ベッドに連れ込めばいいだけの話だ。後は黙って抱いてやる。

「君も?」

その問いには敢えて答えず、工藤はフッと口端を滲ませるだけに留めた。
冬枯れの街路樹と愛想もない電信柱に、錆びた鉄塔が冷たく突き刺す鼠色の空が室井の背後に見えた。
風が鳴く街角から、溜息さえ凍り付かせる本物の銀色の雪がちらちらと舞い始める。
しばしじっと見つめ合う時間は、一番近くを願う。
電池切れの看板がジジと鳴いた。

「・・・・わかった。行ってやる。行って、決着付けてやる」
「ヤるなら完璧に行くのがこの街のセオリーだ。出来るか?」
「私を誰だと思っている」
「ハハッ、それでこそアンチャンだ」

威勢よく言い切った室井に、工藤は今度こそ邪気のない満面の笑みを返した。


*:*:*:*:*


新宿改札口近くまで戻ると、タクシー乗り場まで行かずに工藤は通りがかりのタクシーを捕まえる。
開かれた扉の前で、室井が一度、足を止めた。

「なぁ、失敗したら、笑うか?」

口端を片側だけ持ち上げて、工藤は深い声で目だけ光らせた。

「絶望と踊る深夜のワルツも悪くないぜ?」
「君は励ましているのか、嗾けているのか、どっちなんだ」
「他人の色恋なんて、面白味以外、何があんだよアンチャン」

ふぅと、本日何度目かの溜息を白く天に残し、室井はタクシーに乗り込んだ。

「本当に。・・・君こそ、あいつと気が合いそうだ」
「でも俺は、アンチャンが好きだぜ」

しっとりと見上げてくる室井に、拳を突き出してやると、室井も腕を伸ばし、コツンと当ててくる。
静かに扉は閉ざされ、タクシーは滑るように走り去った。
自由を謳う高層ビルの背後に消えていく赤いテールランプを見送りながら、工藤は胸元からブランデーを取り出した。



ガードレールで引っ掛ける酒は、工藤のアルコールの抜けた身体に一気に熱を呼び戻す。
深夜を下っても、この街は眠らない。
終電に急ぐ疲れた顔をしているビジネスマン。ありふれた群れに混じり新宿界隈へ向かう汚れた顔の作業服。
通りを一本隔てただけで、この新宿という街は、時間も空間も、言葉さえ噛み合わないような別の世界がどこまでも並列している。

“だったら俺ンとこ来いよアンチャン”――口走った言葉は、本気とも冗談とも付かない工藤の本音だ。

事件の最中、工藤の刑事人生の中でも初めて密に関わった雲の上の人物の、燻る熱いマグマのようなものに触れ、こちらが気後れさせられた。
キャリアなんてみんな驕慢な野郎ばかりだと思っていたこちらの思い込みを、無害な顔をして、あっという間に形勢を変えやがった。
あの時、室井の中に同じ雄を見た。
だからこそ、こちらも遠慮のない限界を超えた魂の咆哮をぶつけられる。
めちゃめちゃにして啜り啼かせたい情動を引き合いに、こちらの本能を炙り出すのに長けた男だ。

“アンチャン、忘れ去られちゃうかもしんないんだぞ!”

あの瞬間、工藤の言葉に室井が一瞬見せた哀愁が、今も工藤の胸の奥深いところを焼き焦がしている。

「冷えてきたなぁ」

ヘッドライトの灯りが工藤を横から照らして過ぎ去っていく。
見上げる空は僅かな鼠色しかなく、視界のほとんどはビルの影に隠れてしまっていて、空には星ひとつ見当たらない。

一人深酒するにはおあつらえ向きの夜だった。
工藤の心を占めるのは、今しがた消えていった男だけだ。今も昔も。
忠誠を誓ったそれはどこか、敵わぬ恋路と似ている。

だったら奪えばいい。この街はそう言うだろう。
追い詰められた者だけが辿り着くこの街では、より一層、犯してみたくなる情動が刺激される。
でも室井にはアウトローな者が踏み込めない気品があった。刑事の勘がそう警告する。
身分と言えばそうかもしれないが、迂闊に触れられない、そういう禁忌を持つ男だ。

その室井が、青島という人物を語る時、工藤は室井の深淵が見ている気がする。
禁忌があやふやとなり、ただ一心に隣に在り続けるために、何も色を放たない筈の漆黒の瞳が、何も染まっていないその人物への烈しい熱に染まる。

ったく。
定めだなんて言いながら、手放す気もねぇし、譲る気もねぇし、忘れさせる気もないのだ。あの男は。
自分がどんな貌して言ってんのか、分かってんのかねェ、あの坊ちゃんは。
あそこまで追い込まれて尚手放せないって――

「どんだけ好きなんだよっての」

その魂に映るのが自分でないことが、こんなにも悔しくなったのは、初めてのことだった。

冷え切ったボトルを持つ手が悴んで、はぁっと息を吹きかけた息は白く舞う。
曇った煙はヘッドライトに霧となる。

新宿は味のある街だ。
昭和の腐敗臭を色濃く残す反落街が浩々と下品な色を奏で、えげつない色のネオンは街の輪郭を夜から切り取り、人の孤独を誤魔化してくれる。
通りのあちらとこちらでまるで違う世界が共存する街。
言葉が風に掻き消されても、誰かを求める切なさに、束の間の夢だと今は浸ってみる。

それにしても、面白い異色のキャリアがいたものだ。
キャリアにしては無口で、高飛車だが剛直。
用心深さと疑う目、欲深さと問う力。犯罪と戦うんだからそれがなくちゃ話にならない。
生新のものに気恥しささえ感じる今となっては、通りの向こう岸など、工藤の興味はそそらない。

あそこまで室井が庇い、護る人物。
室井を男にした男。
一体どんな奴なのか。

男には、危険な香りがするほど暴いてみたくなる瞬間がある。
そんな欲、とっくに忘れていたのによぉ。

「そろそろ潮時だな」

煽るように褐色の瓶を最後まで飲み干した。
唸るように上下に動く喉が、痛みとも酔いとも異なる刺激を工藤の芯から熾させる。

会いに行ってやろうじゃねぇの。そのツラ拝んでみようじゃねぇの。
あのカタブツを骨抜きにし、垂らし込んだ男。
あの偏屈を感情的にさせる唯一の男。
そして、今、あんなツラさせやがった、主犯格。

関わったからには、とことん踏み込ませてもらいましょ。最後まで。
それが工藤の交差点の哲学だ。












2.
「えーと。どちらさまで?」

アンチャン、面食いかーッッ!!

そのまま地べたに崩れ込み、工藤は悶絶した。
話には聞いていたが、目の前の男は想像以上のイケメンである。
すらりとした長身、小さな顔の童顔ハニーフェイスが印象深い、室井とは違って細く柔らかそうな髪とふっくらした血色ある頬は人好きのする清涼感だ。
思わず抱きしめたくなる毛足長めの淡い髪も、印象的な栗色の瞳も、どれもこれも工藤の男の渇きを満たしていた。
噂に聞くモスグリーンのコートからちょこんと覗く丸っこい指先をきゅっと握り、くりくりとした目で工藤を不思議そうに観察してくる。

「ぇ・・、なに?誰?」

可愛い外見に良く似合う高めの声まで、神は実に見事な造形を与えたもうた。
どこか色があり、会って数分、男の劣情をダイレクトに直撃する。
こりゃ、アンチャンも相当苦労してるな。
室井の気苦労を思い、同じ男として同情みたいな親心すら抱きつつ、工藤はようやく立ち上がった。

「青島だな?」
「そうですけど・・・」
「悪ぃな、ちょっとツラ貸せ。室井のアンチャンのことだ」
「・・・誰だ?あんた」

途端、がらりと変わる雰囲気。
鮮やかで、やっぱり一時も目を離せなくなる。反応の速さまで、実に粋だ。

警戒心をありありと覗かせ、高慢ながら威嚇するシャムネコのように、婉然な瞳で工藤を挑発してくる青島に
工藤は乱暴に顎をしゃくった。

「表、出ろ」
「そっちの素性によるよ」
「警戒無用だ。俺は味方だ」
「みかたぁ?」

ほんとにぃ?と歯を見せて青島が工藤を覗き込む。
それはどこか躊躇しているようで親密感も抱かせる謎めいた二面性があった。
これがコイツの刑事のやり方か。

左右から詮索する様子を許してやっていると、やがて青島はまだ疑り深い顔のまま工藤に横目を寄越した。

「時間、あるな?」
「おれ、なんも喋んないよ」
「いいから来いって!」
「・・あっ、・・ちょ・・っ」

もう無理矢理腕を引っ張り、工藤は青島を湾岸署の外へと連れていく。
ナニワの男は気が短けぇんだ。
受付の前でまさか交際についてごちゃごちゃ口にするわけにもいかず、工藤は強硬手段に出る。
青島はどこまでも警戒するだろうし、仲良しこよしの証拠なんか出せっこない以上、埒が明かない。

正面ゲートを出て、左へ折れる。
この辺りはかつて未開拓地が多く、急速に発展したため真新しい鼠色のビルが同じような顔をして立ち並んでいた。
海の所轄が空き地署と呼ばれる所以だ。

一度だけ後ろを盗み見れば、蹴躓きながらも青島は黙って引き摺られてくる。
不貞腐れた顔は実に不満げだが、少し青島を心細く見せた。
それに、困っているようだった。腕を掴まれていることよりも、離せと言えない自分に困っているように見えた。

ターミナル手前で小道に入る。
テレポート駅へと向かうブリッジの下は、東京湾へと繋がる。
この辺りが空き地だったのも遠い昔で、今は辛うじて木道の名残を残す、穴場スポットだ。
辺りに人がいないのを確認し、工藤はようやく足を止めた。
手首は離さず、顎を上げて鼻で笑えば、まだうろんな目をして青島が工藤に眉を顰めていた。
大人しく付いて来たからには、“室井”の名が効いている筈だ。

「なんなの?あんた?キャリアっぽくないけど」
「俺ぁ、北署の刑事だ」
「北署・・・?――あ」

砂雑じりの砂利が鳴く。
青島の中で何か合点がいくことがあったのだろう、指を差して、青島はまあるい口を開けたまま固まった。

もう逃げることもないだろうと思い、工藤はここでようやく掴んでいた手首を離してやる。
改めて刑事の観察眼でじっくりと青島という男を見定めてみれば、実にハンサムで、聞いていたよりずっと若く見えた。
確か元営業マンだと聞いた気がする。
そのせいか、無下に人を突き放すような態度は見せないし、場の空気を汲み取って工藤のペースを待っている素振りも見えた。

「俺ンことは知ってんな?」
「まあ・・・多少は。新宿北署でピンときたよ」
「そうか」

ポケットから警察手帳を取り出し、工藤は目の前に翳してやる。

「でも、キョーミないね。俺らの天敵は勝どき署だけなの」

両手を広げてお道化て見せると、青島は木製の柵に腰掛けた。
長い足を折り、欄干に肘を付いて、改めて工藤を無遠慮に見つめてくる。それを不快に感じさせない何かがあった。
紺碧の海をバックに流れる亜麻色の髪の毛は、近くで見るといっそ、ぐしゃぐしゃに乱してしまいたい柔らかさで畝った。
光によって変わる薄茶色い瞳だろうが、びっくりするほど長いまつげだろうが、わがままそうな愛くるしい口唇も
どれもこれも、大人っぽいけどあどけない。
何から何まで様になる男だ。

そして、挑発してみたくなる。

「で?今日はどんな御用件で?」
「アンタらふたりのことだ」
「俺たち?ふたり?」

勝ち気な瞳でリードを探る警戒心丸出しの顔に、工藤はまた微苦笑した。
さっきまでの取り繕ったような親密顔よりは、ずっと好感が持てる。
実際、当然でもあった。そう簡単に男同士で恋人だなんてカミングアウトはしない。
何よりまだ工藤も此処へ来た目的を口にしていない。
さて、どう切り崩すか。

「お前さんのことはアンチャンからずっと聞かされててな、前々から会いてぇと思ってたんだよ」
「・・・・ふぅぅぅぅん・・・・」
「まだ信用してねぇな?」
「ってか、胡散臭いね」

どきりとしたのは、彼の目が光っているように見えたからだろうか。
手帳を内ポケットに仕舞いながら、相手の心を騒めかせる天性のものを本能的に察知する。
瀟洒な雰囲気に、内心の動揺を悟られまいと、ついぶっきらぼうに工藤は話題を変えた。

「今日来たのは、アンチャンのことでちょっと耳に入れておきたいことがあったからだ。聞いておいて損はねぇ話だ」
「・・・・」
「ああ勘違いすんなよ。俺の独断だ。アンチャンは関与してねぇ。そこんとこは責めないでやってくれ。実際、会うなと足止めされてたんだこの10年」
「まどろっこしいよ」

前置きの長さに焦れた青島がむくれた顔で工藤を探ってくる。
だから。その上目遣いはヤバイって。
本当にくるくると表情が変わる男だ。
室井とは対照的に。

「OK。とにかく、色々聞いている。先日、たまたま俺らの島でアンタを見掛けた。室井のアンチャンも一緒だった。アンタが情報屋と会っていた夜だ」
「・・・それで?」
「そのことでな、その、アンチャンが心配してるもんだから・・・その、」

思えばお節介ともいえる行動原理に、垢抜けた理由が咄嗟に口に出せず、工藤の口ぶりは少ししどろもどろとなった。
何しろこちらは初対面なのだ。
見知らぬ男が、そもそも室井の告げ口にきたのか、それとも青島の不貞を正しに来たのか。根拠が自分で分からなくなってくる。
どこまで踏み込んでよいのか勝手が掴めないからだ。
それは、青島のミステリアスな気配のせいかもしれない。

間が持たず頬を掻いていると、青島が不意に工藤の手首を強く引いた。
反動で工藤の身体が少し前のめる。

「・・っと!」
「それで?今度はアンタが俺に立候補するの?」
「あん?」
「鈍いな。俺と寝たいのかって聞いてんだよ」
「!」

勘の良い男だ。
気の短さも工藤の好みであり、実際付き合ってみたら確かに面白そうだと思えた。が、既に斜め上を行く回転の速さに工藤は舌を巻く。
はっきりと告げる口ぶりは清々するほど潔く、小気味良い。
この辺りが室井もたまらない魅力なのだろう。癖になってくる。が。

「・・・、成程。男はアンチャンだけじゃないんだな」
「だったら?」
「分かってンだろ。あんた、愛人だそうじゃねェか。アンチャンともそのつもりでいんのか?」
「処女信仰?新宿のデカとは思えない発言だね」
「相手はキャリアだってこと忘れてねぇかって聞いてンだよ」
「その前にオトコってだけでアウトだろ」

卑猥な言葉と裏腹に誘うような視線は婀娜っぽく、指先一つで誘ってくる仕草は
実に巧みで蠱惑的だ。
これはかなりの難敵で、上玉だと工藤は直感する。
きっちりと論理的思考を組み立てて戦わないと、彼のロジックにやられる。

「本当なのか、アンチャン、裏切ってんのか?」
「あんたこそ、なんなのさ?」
「こっちはアンチャンの味方ってだけさ」
「へぇ?友人だって名乗るなら、アンタに乗り換えろってコト?あのひとも安心するかもね?でもそれだと、恋敵になっちゃうね」
「そうやって誰彼誘ってんのか・・」
「今誘われたのは俺の方だけどね」

こんなアバズレにアンチャン、イチコロにさせられたのかよ・・!
なんかだんだんすっげー腹が立ってきた!
そもそも、どうやって切り崩すか手をこまねいていたのに、本題にいきなり切り込めたのも青島の機転からだ。それも忌々しい。
これじゃ完全に青島のペースだ。

「ハッ、とんだ悪党かよ、お前」
「お互い様だろ」
「俺と寝たら、そっちの愛人とは切るって条件か?」
「独占欲、強いね~。見た目通り」

茶化すように甘ったるい吐息を落とし、青島は敢えて工藤の耳元で、そういうのも燃えちゃうんだよねと囁いた。
くっそ、今イイ匂いしやがった。
湿っぽい息が首筋にまでかかり、不覚にも工藤は鳥肌が立つ。
コイツ・・!

「で?楽しませてくれんの?」
「待て待て」

慌てて工藤は軽く身を反らした。
マジで誘い込まれそうだ。
このまま至近距離で覗き込んでいたら、その気がなくとも変な気になる。
アンチャンに顔向け出来ねぇー!

両手を青島の肩に置き、一定の距離を保って冷静を保てば、柔らかに伝わる青島の手の平がを感じてしまい、更に焦る。
パッと手を離した。
それを認め、青島が愉快そうに目を眇める。
良い歳してガキンチョに何動揺させられてンだ。刑事キャリアは俺の方が上だってのに。
っていうか、コイツ・・!
自ら叱咤し、工藤は眉を逆立てた。

「いつから・・・いつからアンチャンを騙してんだ?最初からか?」

寸暇、声に染み付いた不快感を敏感に汲み取った青島もまた意味深な目に変わる。
工藤が煽られるまま青島の胸倉をつかみ上げ、鼻筋が触れるほど近くまで顔を寄せた。

「お前・・ッ」
「このまま、キスでもする?そしたらアンタも裏切り者だ」
「してほしいのかよ」

驚いたようにくりんと瞬きして、それから、あどけない瞳が、目の前で艶めいた。
ふんわりと花が咲く様に青島が笑む。
ぼってりとした肉厚の口唇。赤く熟れたような舌。目の前でミステリアスな瞳が濡れて誘う。
緩く結ばれた海と同じ色のネクタイが空に溶けた。

こいつは自分の魅力の使い方を分かっている。
それを逆手に取り、工藤に真っ向から性欲と情熱を見せつけることで、先手を取り封じて見せた。
さながら海の女神と言ったところか。
きっと、本当の悪魔というのはこういう顔をしているのだろう。

工藤は苛立つまま青島をガタイに物を言わせ、睨みつけた。

室井とは対照的に、爛れた欲望に堕ちた姿をありありと見せ、憚らない。
これが青島のやり方だというのなら、出会いさえ異なれば、この街ではむしろ歓迎されるやり方で、そして、当然、工藤の好みだ。ドストレートに。
だからこそ、そんな稀有な才能と魅力に会って数分で工藤は煽られる。煽られながら、同時に心の奥の方が妙に冷めていく。

室井の置かれた世界の苛酷さを、工藤なりに感じ取ってきたつもりだった。
無様にしがみ付く姿に俺たち北署は夢を見た。
その可能性を信じ、重ねてきた努力と研鑽を無下にされた気がした。
年甲斐もなく戦う背中を穢された気がした。

馬ッ鹿野郎!アンチャン!

「アンタを信用してない。ベッドの中でなら教えるよ」

そんな工藤の身震いすら見透かしたように、青島が胸倉を掴まれ背を反らしながら、至近距離で小粋に瞳を細める。
心の襞まで看破されているようで、それはむしろ室井への背信とも取れ、工藤の心はカッとなって細波立たせた。
いっそ生意気な口唇に噛みついて、力づくで凌辱してしまいたいくらいだ。
焦点がぼやけるほどの距離は、甘い吐息が直に触れ、めくるめく官能を予感させる。

「そうやって男弄んで・・・アンチャン傷つけてんだぞ・・!怪我するぜ?すれ違う男はみんな誘うのか」
「今はアンタを誘ってる・・」
「俺に抱かれたいなら――脱げよ、ここで」
「焦らさないオトコは好きだね」

青島の黒々とした長い睫毛が可憐に震えて伏せられる。
と、思った途端、工藤の口唇が生暖かいもので塞がれた。

「!」

本当にしやがった、という思考は、手慣れたキスの仕草ですぐに有耶無耶となる。

ほぼ匂いのなかった室井とは異なり、先程微かに薫った甘くセクシーな石鹸の香りを纏い、清楚な印象が逆に淫靡な気配を錯覚させた。
女より婀娜っぽい色香に、確かにこのままここに組み伏せてしまいたい劣情があっけなく崩壊する。
長い首を延ばし、工藤に媚びるように重ねられた熱に、冷たい海風の中のそこだけの熱がやけに強調され
少しだけ伏目がちに青島が睫毛を震わせた時、工藤は青島の後頭部を鷲掴み、引き下ろした。

「・・ふ、・・ぅ・・ッ」

工藤が真上から口唇を押し付ける。
少し呻いた青島の声にそそられるまま、顎を反らせたその態勢で、肉を割り裂き、強引に舌を掬い上げた。
ねっとりと絡み合わせる肉の熱さに唾液が溢れ、啜るように工藤は深く口唇を擦り合わせる。
少し驚いた様子ではあるものの、特に抵抗もなく、青島もまた工藤の首に片腕を回した。

・・・・きっと、どこかで憧れていたのだと思う。
あの室井が惚れ込んだ相手なのだから、きっと信念に恥じない魅力的な紳士だ。室井を補うに相応しい貴公子だ。
勝手に推測して、勝手に理想を掲げていた。
なのに、なんだよ。こんなのがアンチャンの相手なのかよ!

もちもちとした若い肌が視界を捕え、吸い付くような潤いに相手が男であることすら、束の間忘れさせてくる。

「ん・・っ、もっとしたくなちゃった・・・」

首に手を回しながらキスを返され、工藤は鼓動を逸らせ、雄の情動のまま、慣れた動きで青島を戯弄していった。
凌辱し、犯してしまっても構わない気がした。
舌の輪郭を辿り、柔らかく刺激しながらみっちりと重ね合わせる肉の熱さは、想像以上に甘ったるい。
片手は首に、片手は耳に、添えればより雰囲気が出て、このまま何かを勘違いしそうだった。
お互いの、興奮が止まらないような息遣いが、さざ波に途切れ途切れに混じる。

もっと啼かせてみたい。
支配して、哀願させたい。
気怠い吐息が青島の口から洩れ、愛おしそうに歯列をしゃぶられた時、不覚にも工藤の下半身に熱が走った。
コイツは男を煽る術を知り尽くしている。

新宿で、それこそ正攻法でない性衝動を覚えてきた工藤からみても、目の前の男は極上の逸材で
これを仕込んだ男に腹さえ立った。

つい、逃げようとした舌を強引に絡め取り、思うまま吸い上げる。
悩まし気に青島の眉が快楽に歪むのが、心地好く目に収まる。
ポンポンと背中を叩かれ、工藤は我に返った。
ここが人目に付く海岸線だったことを忘れていた。
ゆっくりとキスを解いてやれば、少し赤らんだ目尻が潤んでいる様子に工藤の指先にだけ、力が入った。

「これで、アンタも一つ、秘密持ちだ」

荒げた息の奥で、青島が吐息で笑う。
この息を乱したのが自分なのだと思うと、工藤はもう青島を直視できなかった。
何も言えずにいると、夢中になっていたのが嘘のように、青島も横を向く。
拳で軽く口許を拭い、少しだけ乱れた前髪が、その真意を悟らせることを邪魔をした。

「けっこ・・、ランボ・・・」
「新宿の男を舐めない方がいい。怪我だけじゃすまなくなる」

とうに余裕を失った声は、そう虚勢を張るのが精一杯で、それは笑っちゃうくらい低くなった。
まだ工藤の口唇に残る生々しい感触も、海風に巻き込まれ、急速に熱をわれていく。
それが名残惜しく欲しがっているようで、忌々しく工藤も甲で自分の口を拭った。

「くっそ・・、しくじった・・」

キスをされた時はまだ冷静だった覚えがある。
だが、あんなキスをしてしまった後となっては、あれが素面だったとはとても言い訳出来ない気がした。
チラリと絡ませる視線は工藤の動揺をすべて見透かしているようで、つい、工藤の口も乱暴になる。

「お前、ほんっと、地獄見るぞ?躰だけじゃない、内からヤられるんだあの街は!」
「ふぅん?」

こてんと首を傾げる仕草は、ほんと、分かってんのか、分かってねぇのか。
大丈夫かもう。マジで危うくて目が離せない。

「そうやって汚れた奴に、アンチャンは相応しくない」
「それで説教しに来るなんて、アンタ、ほんとは?」

お道化た指鉄砲をきゅっと工藤に向けて、青島が下から覗き込む。

「こっちの仲を疑うか?」
「うたがわない。あのひと、俺にぞっこんだから」

飄々と言い張る言葉に、何だか工藤は阿呆らしくなった。
海に向かって叫びたいって、こういう気分をいうんだろうか。

「あのひとに言う?」
「言えるかよ・・・こんな・・。こんな・・・、お前なァ!」

なに?と、無邪気に微笑む青島に、もう毒気も抜かれていく。
とんだ悪魔だ。
ぽてんと両脚を投げ出して、青島もまた抜けるような空を見上げる。

「あんなキス、どこで覚えた」
「んなの、数こなしてりゃ~嫌でも覚えさせられますって」
「アンチャンに仕込まれたわけじゃないって言いたいのか」

しぃっと指先を立てて口唇に宛がうと、誰が聞いているわけでもないのに青島は優雅にウィンクした。

「何人の雄咥えた?」
「数聞くのってマナー違反じゃない?それともアンタみたいなタイプは、数が多いほど嫉妬して燃えるの?」
「俺のこたぁ、忘れろ。そうじゃなくてアンチャンが、そういう恋をする男じゃないだろ。そんな器用じゃないから」

アンチャンにどう報告しようか手をこまねき、工藤はガシガシと頭を掻いた。
その工藤の困惑した顔に、青島が初めて意外そうな顔に変えた。

「アンタさ、ほんとに、ほんとは、どこまで知ってんの?」
「大体は聞いたって言ったろ。ま、聞き出したってぇのが正しいが」
「だいたい?」
「告ったのはそこの海辺とか、それまではプラトニックだったとか、身体重ねたのは誕生日だったとか、つい啼かせるまで抱いちまうだとか、そんときお前さんが」
「・・ッ、ああああっっっ//////」

真っ赤になって青島が片手を振る。

「ああああのひと何バラしてんだよ、ってか、どこまで話してんだよ・・!」
「はあ?なんだよ今更こんなことぐらいで」
「し、し、知ってる人に知られてるってのはハズイんだよ!ばか!」

あれだけ淫らに男を誘いながら?
あんな濃密なキスを仕掛けておいて?
さっきまで工藤の腕の中で甘い吐息を乗せながら喘いでいたのに、今更付き合うこと程度でここまで照れることないだろう。
林檎みたいに真っ赤になって。
呆気に取られ、工藤はぽかんと口を開ける。

「俺、お前の基準が、よっくわかんねぇんだが・・・」
「わっかんなくていいよっ。こっちだって持て余してんだ!・・・・・・・・・・・あ」

しまった、という顔で今度は青島が固まった。
思わず口を滑らしたのか。つまりそこが、青島の本音か。

しばし、目を丸くしたふたりが見つめ合う。
染め上げ、照れて赤くなっている様子が幼く、ようやく素の青島に出会えた気がして、工藤はぷはっと破顔する。
青島が腰掛ける欄干の横に立ち並び、海に視線を投げた。
その大人な対応に、青島は片手で顔を覆う。

確かにこれなら目に入れても痛くないってやつだ。
どれだけ室井が大事にしているかが容易に想像できた。。そして、どれだけ室井が愛してしまっているかも伝わる。
一度手に入れてしまったら、一時も手放したくないくらい、囲って、啼かせて、閉じ込めてしまいたいんだ。

「いいじゃねぇの。アンチャン、お前さんが可愛くて可愛くて仕方ねぇんだよ・・。分かってやりなよ」
「・・・・・知るかよ」

煙草、いい?と仕草で聞いてくる。
濡れたような目と、甘えるようなその上目遣いの顔は、恐らく無意識だ。
工藤に暴かれ、というか自爆して、なんだか拗ねたような困った顔で、青島がポケットをぽんぽんと叩く。
ウェンガーがキラリと光った。

使い古された銀色のジッポで火を灯し、青島が一服するまで、二人は無言だった。
海の打ち寄せる波が途切れず届けられる。

アメリカンスピリット――癖の強い、味わい深さが特徴の、後味がすっきりとした煙草だ。
ゆっくりと海に向かった遠い瞳で青島は煙草を吐き出した。

「アンタも所轄で生きてきたんなら、わかるだろ。んな青臭いことばかり言ってらんないんだよ」
「二股かけることがか?」
「・・・・、俺ね、昔営業マンだったの。利益上げたいんならどの顧客もキープさせておけって。その間に落とせるネタを仕込む。けど刑事はちょっと違う」
「・・・・」
「軸足はどちらの目が出ても動けるように、答えを持たさない。室井さんが教えてくれたことだぜ?」

リラックス感のある淡い色のワイシャツが潮風を包み、もふもふのコートが無防備な愛らしさを演出して、見る者のときめきを高めてくる。
さきほどこれに触れたのだという余韻が、何とも言えない親密感を錯覚させ、工藤を惑わす。
その見映えの高さとは真逆に、今ようやく本当の青島が見え始めたことを工藤は確信した。
敢えて意見を挟まず、徒然に語る言葉に耳を傾ける。

「似てるようだけど、営業と刑事の最大の違いってそこでさ。それがなんか寂しくって」
「刑事が嫌なのか?」
「な、わけないでしょ。天職」
「言ってろ」

揉み消した煙草を、ご丁寧に携帯灰皿にちょこちょこと仕舞う仕草まで、なんか可愛く微笑ましい。
海に向かったまま軽く盗み見ていると、不意に手元を止め、青島は小さく口許を歪めた。

「堕ちてくだけだって、わかってたさ」
「楽しいことだってあっただろ」
「それで?楽しいこと拾い集めて、その先は?それが何になるんだよ・・・」

青島はわかっているのだ、結婚生活と恋は別だし、そして恋はいつか終わると。
男同士で生活までは望めない。
だから必死に防御するのだが、室井がやすやすとそれを打ち破ってくる。

「怖くなる。あのひとの目が俺だけしか映らなくなってくこととか、俺のために全部捧げてきそうなとことか」
「・・・真摯に愛してくれてるってことじゃねぇの」
「室井さんが言うにはさ、俺の方が何しでかすか分からなくて困るってゆーんだけど・・・。逆に何も映さなくなる方がよっぽど楽だ」
「白黒ハッキリした男だかんな。だけどそれで逃げるんか?」
「逃げ切れるわけないだろ」

その言葉に、ハッとした。

「もしかしてお前――」

ようやく工藤にはこの謎めく男の素顔が見えた気がした。
愛人などと際どい台詞を使い、工藤を誘惑するような素振りを見せ、実際遊び人を装っているが、恐らく、いや、確実にフェイクだ。
全部、青島によって作られた嘘だ。
本当に身体を与えたとしても室井のために差し出したものであり、狙いじゃない。
それは長年の刑事の直感のようなもので、確証があるわけでもなかったが
ただ、その思わず零れた工藤の言葉に、青島もまた想定以上の動揺を見せた。

「な、なんだよ・・・?」
「・・・・」
「何か言えよ」
「なるほど。そういうことかい」

カマを賭けただけともとれる不意の一言だ。
だが、そういう時にこそ人はボロを出すのを工藤は知っている。
電気が迸るような緊張感と、笑いながらのやりとりに、ここまでは確実に互いに対するさぐりがあった。
お互い刑事だ。
だが、今は戸惑い、持て余している青島の素顔が透けている。
営業に長けているとはいえ、青島のスキルの二面性が逆に裏目に出たのだと思えた。

そういうことだったかと思いながら、工藤はニヒルな笑みで顎を上げた。

「とんだアバズレだと思ってアンチャンから手を引かせようとも考えたが、止めた。お前、そろそろ年貢納めろ」
「何言って・・!じゃなくて、どういう意味?」
「手を取ったんなら、覚悟決めろってことさ。男らしくねぇ」

大凡、工藤には見当がついた。
さっき、青島はこれで秘密が出来たと言ったが、それによって青島自身に何のメリットが出るのか。
工藤を貶めるだけの策略なら、あまりに無鉄砲だし無作為だ。室井にだって後ろめたくなるだけだ。
営業は勝負の前にネタを仕込むと言った。
ならば、室井との関係が公になった時、どう護るかをこの聡い男が考えていない筈がない。
青島がしらばっくれるだけのネタを仕込んでいると解釈した方がしっくりとくる。
所轄同士となれば、上層部は鼻にもかけない。査問委員会ぐらいで減俸だ。
数がたくさんいるなら、室井は遊ばれたのだ。処分は免れなくとも同情票に期待がかかる。
キャリアと所轄という好カードを見せられても、それは人違いだと逃げ切れる。

眉を歪め、何か反論めいたものを言おうとし、だが、青島は敢えてその口を噤んだ。
探るようなあの瞳で、もう一度口を開く。

「あのひとのことにここまでしてくるなんてさ、さっき、はぐらかしてたけど、アンタ、やっぱあのひとに惚れてんの?」
「なんだ、今度はやきもちか。可愛いな」
「うううううるせッ」

それでも、自分の足で男に付いて行き、望んで身体を開いているのである。
触れる男の手や口唇に酔った一夜は、気持ちいいだけで終わらせられない。
その事実だけが全てだと、室井は傷つく。

「そろそろ愛に生きてみてもいいんじゃねぇのって話よ」
「意外とロマンチストなんですね。室井さんもだけど」
「似合いのコンビだろぉ?」

もうすっかり諦めたのか、取り繕うこともせずに青島が長い両足をぽんと投げ出して、行儀悪く空を拝む。

「止めといた方がいいよ。あのひと、無害な顔してキョーボーだから」
「実はな、キスしようとしてみた」
「まじで!?何してくれてんの!?じゃなくて、無事だったわけ?」
「んなわけねぇだろ、捻り飛ばされたわ」
「でしょうね・・・」

何やってんのという顔で、青島が苦笑する。

「これに懲りたら、もうあのひとには手を出さないほうがいいよ」
「懲りずにお前に手を出したんだから、殺されるかな」
「とりあえず、この東京湾でコンクリ詰めになってないか探してあげるよ。そういうの、俺得意だから」
「愛されてんねぇ」

赤くなるというよりは、哀しそうにも見える笑みに、工藤は青島の恋の仕方を感じた。
室井と青島は、光と影だ。表裏一体で、その背中を預け合う。
一見簡単なようだが、男が背中を預けるということは、それなりの重みがあり、選定には千里眼が必要だ。
一件派手な見た目の青島が光と錯覚させるが、実際所轄のノンキャリなどそもそも日陰の存在だ。
世間に顔を出す日向の部分は、エリートキャリアがのさばる。

キャリアにとって必要なのは、そのキャリアの負の部分を支える影武者。
その意味で、キャリアを補足できる青島の行動力、思考力、洞察力は、申し分ないと思えた。

図らずしもそこそこの付き合いが続く工藤が感じ取れる室井の背後で渦巻くキャリアの闇を、感受性の高い青島が察していないわけがなかった。

真っすぐで一途な室井の愛し方。
青島は直向きで破滅的だ。
だからこそ室井は青島を救いたいのかもしれない。
兇悪的なほどに、執着ともいえる愛を注ぐ室井を受け止めるのは、ちょっとくらい悪ガキの方がいい。
数分前までとは真逆の結論に、工藤は内心苦笑した。

「なあ。もう、他の男と寝んなよ。俺から頼むよ」
「・・・・」
「もう止めとけって。他の男に抱かれてたらアンチャン嫉妬で溶けちゃうぜ?」
「向こうだって女で遊んでるのに?」
「アンチャンの愛、信じきれないか」
「・・・信じるよ」
「だったら、てめぇのやることは一つ。補い合うてぇのは、どっちかが犠牲になるっちゅー意味にしちゃだめだろ」
「そうだけど・・・」

青島のやることは、社会的制裁を恐れカバーすることではなく、共に戦い続けること。

「あの男はそう簡単には潰れねぇ。割と図太かった」

かつて新宿の街で共に戦った仲だからこそ言い切れる。
スキャンダルくらいでは室井を完全に消すことは出来なかった。
恋ひとつで潰される男じゃない。
工藤の言葉の重みに、ある程度は聞いているのだろう、青島も幽かに瞼を伏せ、はにかんだ。

「あのひとと付き合ってみて分かったことは、キャリアと付き合うハードさと、あのひとのハードな愛し方」
「ほぅ、アンチャン、夜の方も激しいんか」
「~~/////」

抱き締めたらふわんと蕩けそうな人懐っこい笑みとは対照的に、挑発させられる煌めく瞳は、いつまでも見つめていたくなる。
室井も若見えする方だと思ったが、こっちはその比じゃない。

「眉間寄せてよ、もうワンラウンド、ってな」
「ち・が・う!」

日向の木漏れ日で照れる顔がまるで違って見えた。
真実を知ることが宿命でも、知らないことが幸せであることだってあるのを、工藤は長年見てきたし
青島の真実を、室井が知ることが良いことなのかどうか、工藤には分からなくなった。
唯一つ、言えることは。

「でもよ、これだけは分かるぜ。アンチャンは、きっと、全部知りたいと思ってる。んで、全部背負いたいと言う。一緒に」
「・・・だからヤなんだよな・・・」

照れ臭そうに青島が赤らんだ頬を潮風に晒し、俯いてそっぽをむく。

「くっそ。なんかやっぱ、失敗したなぁ」

青島の文句が青空に吸い込まれていく。
青島にしてみれば、キス一つで簡単にあしらいたかったに違いない。
工藤は欄干から飛び降りた。

「なあ、抱き締めていいか?」
「何言ってんのアンタ」
「お前らもうケッコンしちまえよ」
「ニッポンの法律知ってます?」

工藤はトレードマークの黒いサングラスをかける。
ジャケットの襟を立て、海風で乱れた髪を手櫛で整えた。

「実際ケッコンしたって共働きだろうが、いずれアンチャンには天下り先が用意される。ノンキャリは無職だ。恐らく家に入れと言いだされる。その予行演習だと思え」
「前半の部分、だいぶオカシイですけど」
「今ちょっと揺れたろ?」
「揺れてません」

顔を近づけ、睨み合う。

「アンチャンにあることないこと告げ口するぞ」
「脅すんだ?」
「壊すなんてわけないぜ」
「あのひとが騙されるもんか。今更バレて困ることなんかないもん」
「じゃあ俺がアンチャン口説いていいか」
「相手にされないよ」
「こちとらお前さんが知らないことまで毎月語り合う仲だ。毎月だ。お前、会えてないだろ?お前さんらが音信不通だった間も仲良く飯食って酒飲んで慰めてやって――」
「付き合ってんのはこっちだもん」

身を乗り出す青島に、腰を曲げて顔を近づけ睨み合う。
挑発されてムキになる青島に、工藤もつい調子に乗る。

「でも広島から帰ったこと、連絡もらえなかったんだろ。聞いたぜ」
「そのあとすぐ告白されたもん!」
「俺が言ったんだよ~」
「室井さんが選んだのは俺なんだよ!」
「浮気しなくちゃ向き合えねぇ癖に?深く知るのが恐いだけじゃねぇの?そんなん付き合ってるって言えるか馬鹿野郎」

視線を外したら負けというように、がっつり睨み合い、焦点がぼやけるほどに向かい合う。
グラサンを掛けた工藤とは異なり、青島はそのガラスに自分の顔を見る。
眉を曲げて不利なゲームに頬を膨らませた。
その顔を見て、工藤の口端が持ち上がる。
しばらくにらめっこを続けていたが、やがて青島がお手上げだと、両手を宙に上げた。

「あああもぉぉっ!わかったよ!わっかりました・・!言ってやるよ!盛大なプロポーズかましてやんよ!」
「そう来なくちゃな」
「腰砕けにしちゃる!」
「楽しみにしてるぜ」

帰ろう、と促すために工藤が顎をしゃくると、不貞腐れたままファイティングポーズで睨んでいた青島も、やがて素直に立ち上がる。

「なんか・・・・・ずるい・・・・」
「あん?」
「俺ばっかり喋らされてて、ベッドの中まで知られてて、んで俺、あんたのこと何にも知らない」
「今頃気付いたのかよ」
「あんた、・・・えと、クドウさん?下は?」
「ばっかお前、下の名前なんか女にしか呼ばせねぇよ」

高笑いして大股で歩いていく工藤の背中を、青島が縋るように追ってくる。
今、初めて名前を呼ばれた。

「アンタ、いいひとなの?ワルイひとなの?」
「新宿の男はな、みぃんな情に厚いんだぜ?ま、たまに真正の闇がいる」
「どこで見分けんの」
「んじゃ、手っ取り早く寝てみるか」
「焦らさないオトコは悪くないね」
「やっぱ良い根性してんなァ、お前」
「お互い様でしょ」

出会いがしら、似たような言葉を交わしたが、そこに色付くぬくもりは今はまるで違う。
陽が傾き、潮の臭いとどこまでも冴える大気が心地好い。
同じ歩調で歩きながら、同じリズムの足音が海に流れた。

「ねぇっ、名前くらい、教えてってば・・・・っ」

夕陽が水面に星を描いて、蒼い海がどこまでも広がっていく。

「くっそかわいいなお前!」
「うっさい!!」

むぅ、と不満げな顔で何か悪だくみをする表情は、さっきまでの婀娜な色など欠片もなく、室井を弄ぶような悪党にも見えなかった。
素気無いことばとは裏腹に、子供みたいに強請る青島が愛おしく思えた。
今は自分の刑事の勘を信じることにする。
やっぱり会いに来たのは正解だったと思いながら、隣で呟く青島の残り香をそっと胸に仕舞った。

「くっそ・・・やっぱり何か、失敗したなあ・・」

じゃあな、とターミナル中央で別れる。
片手を高く上げ、背中越しに振っていたが、数歩進んで、工藤は止まった。

「青島ァ!」
「なんすか」
「ちゃんと結果聞くぞ?!」
「がってん!(ヤケ)」

力瘤を作って青島もポーズをとって見せる。
ハハハと高笑いしてみせれば、べぇっと舌を出して青島も背を向けた。
署へと戻っていく背中は何故かステップを踏む足元のせいでふらふらと軸が揺れている。

室井とは真逆の刑事だった。
熱血で、危なっかしくて、情に脆い。
でも、どこか室井の匂いがするのは、たぶん、工藤と同じ、理想とする警察官が室井だからなのだろう。
こりゃアンチャンも苦労するはずである。

「ああッ!」

工藤は声を上げて足を止めた。

アンチャン!すまーん!!後で何でも奢るぜ!言うこと100個聞く!
アンタの大事な男の口唇奪っちまったーッッ!!!
















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BGMはショートと同じく、新宿→シティハンター→GET WILDで。
新宿っていったらシティハンターでしょう!あの裏社会の雰囲気が好きで、いつもと少し毛色の異なる踊るになりました。