シー
ズン企画
毎年恒例クリスマスストーリーです。今年はアダルト仕様。舞台は
決めてませんが金沢辺りをイメージしてます。雪の街!
宇都宮とか軽井沢でもよかった。どれも行ったことないけど。
時間軸は美幌後くらいの若い二人で。登場人物はモブが色々いますがほぼふたりだけのお話です。
腐った林檎を召し上がれ~前編

1.
「それでは、どうぞごゆっくりなさっててくださいませね。お夕食は7時ごろお持ちします」
そう言付けて、松の木の描かれた襖は音もなく閉じられた。
後には残された男二人の、返す言葉もなく置き去りにされた空間が持て余すままに重力を増す。
深々と降る雪は庭の椿にこんもりと綿を盛り付け、無音の世界から紫紺の夜を凍えさせた。
行き場を失った手をどうしようもなく宙に浮かせたままの青島と、その背後で表情を強張らせた室井が、途方に暮れた顔で立ち尽くしていた。
ああ神様。一体どうしてこんなことになったんでしたっけ?
*:*:*:*:*
ここは都心から新幹線で三時間。冬ともなれば雪に閉ざされる情緒豊かな歴史の街だ。
風情あふれる街並みと、新鮮な海の幸が魅力の観光スポットで、戦国時代まで遡る工芸振興も自慢の日本海に臨む山岳地帯である。
かつては日本屈指の温泉観光地だった城下町も、今や訪れる観光客も年間三百万人と、ピーク時半減を下回る。
特に世界遺産などの目立った観光名所もない地区は、時代の変化に乗り切れず、集客ノウハウのない地元経済を直撃、旅館やホテルは次々と閉鎖に追い込まれ
気付けば「昔の新婚旅行地」「おじさんたちが行く場所」といったレッテルを貼られるまでになっていた。
雪が降れば閉ざされるその街に、一所轄の人間が何の用があったのかと言えば、それには深い事情があった。
最大目的は一応、当該地区に潜伏しているかもしれない男の顔を直接確認・説得するためであ
る。
数か月前から湾岸地区を騒がせていた強盗殺人犯らしき人物が潜伏しているというタレコミがあったのは、先週のことだった。
唯一犯人と接触のあった青島の自供で似顔絵を作らせたものの、手掛かりは全くない状態からの進展である。
管轄を超えるため、色々と手続きをしているうちに青島自身が出向くことになり、その書類提出のため本庁を訪れた際その方面へ出張だという室井と出くわし
なんだか良く分からない理由で捜査一課の連中に丸め込まれ、一足飛びの説法に反撃の間もなく
結果、結論としては、何故か室井と青島は一緒に現地に出向く羽目となった。
散々止めた。尽く嫌がった。あらゆる抵抗をした。
だが、経費の面だとか所轄の待遇不満だとか、居合わせたキャリア連中の嫌味と小言の応酬に、当人たちの意思など全く無意味で
最後には目付け役として室井を宛がわれ、勝手に決めつけられてしまった。
所轄のお守りを押し付けられたような室井は、青島の背後で、何も言わず、苦みを潰したような顔をしていた。
「――青島」
「・・・・・・・・・・はい?」
眉を情けなく下げた青島が、背後から聞こえる深いアルトにゆっくりと振り返る。
あの時と同じような顔をしている室井を、機嫌を伺うような頼りない目で縋ったが、青島の顔をちらりと見ただけで視線は外され、室井は黒のコートを肩からば
さりと脱ぎ捨てた。
スマートな男のフォーマルな動作は、こんな黄色く古びた旅館の一室でも凛とする。
「立っていても仕方ない。――座ったらどうだ」
「あのぅ、怒ってます?」
「今更言っても仕方ないだろう。大凡君といるとこうなる」
こうなるとはどうなるというのか。恐らく今のこの状況全部を指しているのだろうことは予想がつくが、今は下手にツッコミを入れる元気もなく
青島もベージュのニットの帽子に手を掛けた。
天気予報では大型の気圧配置となり、今夜半から低気圧が停滞している影響で、各地で荒れ模様となっている。
時折轟音と共に窓を叩きつける雪がこの地の苛酷さを物語り、山奥の麓にありもしない幻想を惑わせた。
だけど天気までこっちのせいにされたって。
「本部にはなんて報告します?」
「正直に言うしかないだろう」
「この事態まで?」
温度も乗せぬ闇色の虹彩に睨まれて、青島は肩を竦めて視線を反らした。
「夕飯って何が出てくるんですかね~。この季節なら何が旨いんだろうなぁ。・・・あ、熱燗付けたいですね」
「職務中だ」
「えぇ~~?バレやしませんって」
コートを広げた拍子に隙間に入り込んだ雪の塊が足元に落下する。
雪に埋もれたコートを払い、壁に掛けると、青島は言われたとおりにその場に座り込んだ。
靴下まで濡れていて、スラックスの裾からまた雪が転がり出る。
中央に置かれる磨きぬかれた焦げ茶色のローテーブルには、ポットが置かれ、幾つかの菓子が添えられていた。
畳の座敷を越えた向こうには奥座敷、そして庭園へと続く。
胡坐を掻いて、裸足の足首を掴みながらゆらゆらと揺れる青島の視線が茶菓子に注目する。
「室井さん・・・茶でも飲みます?」
「・・・結構だ」
それきり会話は途絶えた。
正直何を喋ったらいいのか分からない。否、営業トークでもしろというのなら、青島には幾らでも出来た。
でもテーブルを挟み、目の前で正座する無口な男には、軽口一つ叩くのも憚られる。
品の良い高級スーツ、襟足から伸びる長いうなじ、そして硬質な顔立ちに丁寧に撫でつけられた頭髪。
ピンと伸びる背筋は成熟した男の価値を誇示し、闇色に統一された風貌と隙の無さがエリートキャリアであり続ける意思を見せ付けていた。
笑みも乗せない眉間を顰めた顔からは、凡そ多くの人間は怖さを感じると思われる。
加えて無口な性格が、それに拍車をかけていた。
そんな面白味もない男と、何で二人きり、こんな古びた旅館の一室で夕飯を待っているんだろう。
不機嫌な運命の悪さの夜に、雪嵐は視界を閉ざし白く舞い上がる。
悪天候により今夜はここに足止めとなる。このあと一晩、この男と一つ屋根の下で寝泊まりする。
新幹線も既に運休となっており、泊まれる宿があっただけでもありがたかった状況では、たった一部屋でも文句も言えない。
どこも断られ、室井が身分を明かしてこの宿を確保した。何で自分だと断られたのかも不満だ。けど、こういうのって職権濫用っていうんだろうか。
何となく居心地が悪くて、青島は正座に直した。
腕を組み、前で目を瞑っていた室井が空気の揺らぎに片眼を開ける。
「ぇ、ぁ、いや、その、なんか・・・・・・・・あれですよ。きんちょーしてきちゃった・・・」
「・・・・」
ジロリと睨まれ、青島はまた愛想笑いで首を傾けた。
その子供みたいな仕草に小さく息を吐かれたように見えるのは、呆れた溜息かもしれないと、青島は更に首を竦める。
どうしよう。何話したらいいんだろう。
朝から聞き込みをしたが今のところ事件の成果もなかった。目撃証言も幾つか聞いたが発見には至らない。帰ろうとした矢先のこの天候の急変である。
というか、聞き込みの最中に迷い猫を見つけて保護しようとして雪にダイブして・・・、まあ、要は色々不手際はあったんだけど。
結果が出せていないのだから、金だけ出した本店が納得するはずもない。
帰るに帰れない、足止めくらった雪国は、青島にとっては苛酷で無情だ。
ああもう、いっそ誰でもいいから、やった奴、今すぐ自首して来いよ!!
築年数は相当行っているように見受けられる室内は、人の気配も薄く、静かだった。
奥座敷の向こう側が全面障子窓となり、本来ならば四季の情景を眺めながらゆったりとした時間を過ごせるのだろう。
隠れ宿のような和テイストの床の間には、青島には良く分からない壺や屏風が飾られる。
モダンな和風ランプが山吹色の光を灯し、部屋をほんのりと囲っていた。
そこそこ由緒ある老舗らしい話は聞かされたが、古びた柱の紋様や天上の木目、黄ばんだ障子を見れば、青島にとってはホラー映画を思い出す。
「目星は付いているのか」
「はい?」
突如振られた話題に、青島の反応が遅れて戸惑った。
「被疑者は何と証言していたんだ」
室井の漆黒の眼差しが鋭意を乗せて青島を射抜いた。
その愚直さに、突かれた青島の口端も持ち上がる。
そうだ、室井さんのこんなとこが、すきだった。
「何を笑っている」
「え~っと。・・・俺と鉢合わせた時は自分じゃないって否認してました」
「ガイシャとの接点は」
「それがどうも、浮かんでこなくてですね」
「どうして逃げられた」
「こう、角でばったり出くわして。けど刃物所持してる可能性って言われてたら誰だって間合い取るでしょ」
「現場で遭遇するなんて君のトラブルメーカーぶりも相変わらずだな」
「俺もびっくり」
「・・・なんでそんな顔だ?」
「だって、室井さんとこうやって事件のこと話すのっていいなって。懐かしくありません?」
拍子抜けしたように、少しだけ室井の眉がピクリと動いたのが分かる。
何でそんな顔をするのかも分からないが、気を悪くした気配はない。
こうやって、子供が公園で将来を自慢し合うような、そんな空気が好きだった。
愛情や人情というような大人びたものではなく、ガキがムキになって意地を張り合う火花のような、そんなところでいいと思った。
「あの頃さ、一緒に事件追いかけて、一緒に署を飛び出したこともあったじゃない」
「・・・懐かしむような思い出だったか?」
「けど、そういう時間、俺、好きだったな~」
更に室井の顔が強張ったので、慌てて青島は繕い直す。
「だだだってほら、俺、刑事になれたての頃だったし!色々夢見てたから・・!こっちも!」
「だから入署試験の時、刑事ドラマをなぞったのか」
「!・・・なんでそれ・・っ」
焦り、上目遣いで伺えば、何も悟らせない室井に青島の肩が軽く竦む。
室井の表情は変わらない。だが顔を上げて窓に向けられた横顔は、どこか遠くを見るような、ここにいないような色に陰っていた。
二人で煙草を吸った時とも違う、喫煙室で初めて聞いた弱音を受け止めた時とも違う。
思えば室井とは言うほど接点はなく、見知らぬ顔をされると、青島はどうして良いか分からなくなる。
どうしてこんなキャリアが俺なんかと約束する気になったんだろう。
それは改めて考えるほど不思議なものでしかない。
一人狼狽えているのも気恥しく、赤らんだ頬を隠すように青島は室井とは反対側を向いた。
「はぁぁ~・・・、まず署内の情報管理から徹底すべきだよな・・・」
「下に情報を下ろせと息巻いていたのは誰だ」
「盗聴器仕込むようなひとには分かりませんよっ」
やけくそで、いーだ、と憎まれ口を零した時、青島は室井が微苦笑していることに気付く。
初めて見た顔に、青島は思わず目を凝らした。
あれ?なんで俺、今照れた?
そうっと盗み見れば、特に室井は気付いた風もなく、まだ窓を打ち付ける雪を目に映していた。
夜の闇を吸い取ったような瞳にはいつだって誰も映さなかった。
派手さもなく冷厳とした陶器の肌は、どこか雪が似合う。
そう言えば、いつか東北生まれだと言っていたっけ。
いくつかの事件で関わったが、交差しただけで、その後個人的な関わりはなかった。
副総監誘拐事件の後、室井とは接点を剥奪され、あれから時も過ぎた。
騒動の渦中にいた二人に警戒を持つ上層部が周囲を五月蠅くしていたのも、今はない。
久方ぶりに見る室井は以前よりずっと遠かった。あの刺傷が俺たちにもたらしたものは、表面的な関係だけではなかったんだろう。
室井の多くを青島は知らない。
知らなくて困ることもなかった。
久しぶりに見る室井は、戦う男の眼差しを持ちながらも、どこか疲れた中年の味わいを重ねていた。
それが記憶にある室井との違いをリアルに切り出し、青島を焦燥に掻き立てる。
それが何かは分からない。
刹那、スッと室井の意識が右隣を射したのが分かる。
訝し気に青島も意識を集中すれば、襖の向こう側に人の気配がした。
すっげ。
「失礼いたします。お夕食、お持ちいたしました」
時を待たず襖に指を掛けて正座する数人の仲居が見えた。
そこには黒漆の盆に色彩豊かに盛り付けられ、上がる湯気からは出汁の香りが漂う、豪華な海の幸が並べられていた。
2.
見た目も鮮やかな、ダイナミックに盛り付けられた食事を配膳していく仲居の女たちの手慣れた仕草に、ぺこぺこと青島が頭を下げて礼を言う。
笑みを絶やさぬ仲居はベテランらしき妙齢の女性だ。少し危なかしい手つきで必死に手伝う見習いだという若手まで、年齢層は厚い。
にこっと笑って青島が愛想を振りまけば、丁寧に食事内容の説明までしてくれる。
若い娘の不慣れな仕草は、青島にとっては逆にいじらしさしかなく、その眉尻を下げた。
ん、割といいとこじゃない此処。
「鯛の唐蒸しは熱くなっておりますのでお気をつけくださいね」
「はいはい」
「治部煮になります。あと、この小鉢にはこのタレをお好みで付けてお召し上がりください」
「そうだね~」
「それと最後に残りのお出汁を掛けてお召しあがり頂きますと、海の幸がひきたち、風味も増しますよ」
「なるほどね」
マニュアルはあるのだろうが、一生懸命日本料理ならではの贅が表れた献立を口にする彼女に、青島は締まりのない顔で微笑んだ。
嬉しそうに彼女も頷いてくれるので、また気分もいい。
目の前の空気を読みそうもない無口な男を、時折心配そうに見遣る彼女に、青島は安心させるように顔を覗き込む。
「だいじょ~ぶ。このひと、元からこんな顔なの。今日は喜んでいる方」
青島のフォローにもなっていない言い分に、室井が不満そうに眉を顰めて顔を上げるが、当然口を挟めるほどの達者はない。
さっきまでの肩の凝るような空気を霧散してくれて、青島は心底ほっとしていた。
見た目の美しさもさることながら、煮炊きするふくよかな香りも食欲をそそり、青島は昼から食いはぐれていたことを思い出した。
配膳を済ませ、そそくさと片付けに入った仲居らに、青島はにこやかに片手を振る。
「それでは、ごゆっくりご賞味くださいませ」
「ありがとね~」
「お食事後は是非大浴場をご利用ください。本来ならば露天風呂もあるのですが今夜は閉ざしておりますのでご了承くださいね」
「この天気だもんね~」
「その間にお床をご用意させていただきますので」
「えっ」
青島の手から箸がぽろっと落ちる。
テーブルの反対側では無表情の室井もまた、取り上げた椀の蓋を外しもせずに固まった。
そんな二人の硬直に気付いた様子もなく、仕事をし終えた仲居たちは丁寧に頭を下げて退出していく。
ぱたんと襖が合わされ、外扉も閉ざされれば、再びの気まずい沈黙が美食に水を差した。
そっか。こういう一流旅館だと布団、敷いてくれるんだっけ。
ちろりと室井を探れば、我に返った室井が優雅に蓋を傾け、味噌汁をすする。
「大浴場ですって」
「先に行けばいい」
「別々に行く意味もなくね?」
「・・・・」
つかめない。読めない。捉えどころのない男。
ノンキャリとキャリアの差はこんなところにも落ちてくる。
「まあ、いいけど」
室井の長い指が優雅に箸を持ち、椀に添えられた指先はピンと伸びる。
なんていうか、所作まで仕込まれている感じだ。
ステレオタイプの息苦しそうな男に、だが青島が感じたのは生き難さよりも戦う眼差しだった。
だけど、こんな時思い知らされる。
室井はパートナーを必要としていない。
キャリアとは元々孤独な戦いなのだ。それを選び、その道に誇りを持っているのは室井自身だ。
それを否定したくはないし、否定すべきものじゃない。むしろそんな室井をカッコイイと思ってしまったのだから、青島には分が悪い。
けれど、こういう時でも態度を軟化させないのは、多分、深入りするなという彼の警告だ。
じっとりとした目を向けながら、青島は箸を口に運ぶ。
どうしてくれようと策略する青島の不満を他所に、目の前では室井が黙々と食事を進めていく。
「ぁ、これ、うっま」
「・・・この地方の名産だ」
「そうなの?」
答えが返ってきたことにも驚いたが、室井の目はこちらには向かない。
「お土産代も経費で落ちるのかな~」
「・・・」
あーっそ。あくまで余所余所しさ気取るわけね。
面白くもないけど、人としてどうなのって気もしてくる。
何となく攻略してみたい気にされた青島は、こんな機会もないだろうと、口を開き始めた。
「室井さん」
「・・・?」
「食事中に話すのは嫌いですか?」
「そういうわけではない」
よし。第一関門突破。
「そりゃよかった。じゃあ話しますよ?」
「・・・」
「こういうとこ、よく使うんですか?」
「旅館くらい、君だって泊まるだろう」
「そぉじゃなくて!」
「?」
「だからっ、特定の人と!特別の意味で来たことあんのかって」
「それは女性と泊まりに来たことがあるかと聞いているのか」
「他にどんな事情に興味持てます?」
何かこのひと、友達いなそう。女にもモテなそう。
むしろ、このひとの周りで今までこのひとの会話に付き合えてきた連中に同情する。
「・・・ない。男も女も、君が最初になる」
「・・つまり、いつもは一人寝ってこと」
意地悪く言い換えてやれば、この夜初めて室井が青島をまっすぐに見た。
「なに」
「君は経験が多そうだ。内心笑っているんだろう」
「・・・笑いません」
うん、笑ったけどね。
神妙な顔を作ってみせれば、それでも胡散臭そうな目をして室井はまた食事を再開した。
合わせて青島も、混ぜご飯をこんもりと口の中に放り込む。
「室井さんは、もう少し愛想良くしたらどうですか。オンナ寄って来そうですけどね~。スペック高いんだし。モテ意識してないでしょ」
「君みたいに脚だけで女を選ばない」
「だからそれどこ情報っ!?なんで知ってんだよ・・・っ?」
またしても脱力して、青島はテーブルに突っ伏しそうになる。
飯は美味いけど、何だか喉を通る気がしなくなった。このまま会話続けて、爆弾出てくんのは俺の方かもしんない。
目の前では、案の定といった顔で室井が瞼を伏せ、刺身を口に運んでいる。
くっそ。
「おっ、俺だってねっ、そんな簡単には付いて行きませんよっ」
ちゃんと選んでんだから。
むくれた顔で鍋を覗き込み、室井に青島が片手を差し出す。
椀を寄越せという意味だと、一瞬遅れて室井も気付く。
室井の粛然とした眼差しが半瞬伏せられ、それは驚いたようにも戸惑っているようにも見えた。
出した手を引くことも出来ずに青島がじぃっと待っていると、やがて室井がおずおずと椀を差し出してくる。
「ならばどんな口説き文句なら落ちる」
「へっ?」
そこには興味持つのかよ。
一瞬呆けたせいで、青島の動作も止まった。
湯気の向こうからもう一度強請るように差し出してくる椀を、今度はちゃんと受け取りつつ、青島は悪戯な目を光らせる。
室井の椀を受け取る時、室井の冷たい指先が少しだけ青島の人差し指を掠めた。
「リクエストは?」
「適当でいい」
「そういう時はあれこれ指示してくれるのが親切ってもんでしょ」
「そういうものか」
「そーゆーもんです」
「君は――好き嫌いはあるのか?」
「今度はそこ?」
なんだか可笑しくなって、青島はもうお構いなしに具材をよそる。
縁から汁が零れてるけど、気にしない。
てんこもりにして、大サービスしてやる。
「はいどーぞ」
「・・・よくそれで渡す気になるな・・・」
「熱いから早く受け取ってよ」
無慈悲な青島の言い分に、今度こそ室井が盛大な溜息を落とした。
3.
青島が戻ってくるのと入れ替えに、室井が風呂へと向かう。
一人部屋で暇を潰しているよりはと、青島は一階ロビーに降りた。
エントランスから軒並ぶ土産物屋などを見て回る。
焦げ茶の木製の梁が印象的な室内は雅やかで厳かな城下町の風情を色濃く残し、静かなオルゴールが流れ、宿泊客はいるのだろうが、ひと気がない館内は
創業数百年という歴史と伝統をひそやかに誇り続ける。
等間隔に置かれている和紙のランプが山吹色の光で古ぼけた壁を照らし上げ、ほんのりと和の旅館を山奥の雪中に浮かび上がらせていた。
ゴォォと森を鳴かす風吹が微かに聞こえるが、ここは人を幻想の一夜に誘う入り口なのかもしれない。
ここだけ、時が止まったようだった。
つまみ食いしながらのんびりと散策し、奥へと向かうと今度は遊戯場が見えた。
定番の卓球台、一昔前のゲーム台、子供用の遊具。
自販機の前で青島の足が止まった。
スポーツ飲料と珈琲牛乳、苺ミルクというラインナップに青島が小さく苦笑する。
自販機ごと返してやると言い放った男は、本当に自販機を贈ってきた。
あの時の署内はちょっとした騒ぎになった。
誰がこんなものをと狼狽える袴田課長の隣で、本庁との連携が出来たの?と頷く魚住さん、言ってみるものだと妙に納得顔のすみれさん。
何故か俺の後ろでニヤニヤと意味深な笑みを寄越してきた和久さん。
懐かしい。でも、遠い昔の御伽噺のようで、どこか今と繋がっていない。
ゆっくりと無意識のまま持ち上がった青島の手が、自販機のボタンをそっとなぞっていく。
風呂だって、キャリアである室井に先手を譲ったのに、何故か自分の方が先に行けと押し切られた。
一方的に青島のお守りを言いつけられただけで、大体室井はそもそもこの事件には関与していない。
特捜も立っているが、管理官は別のキャリアだ。
なのにいきなり巻き込まれた室井に、意気込みを感じるのだから、似た者同士だなと思う。
そう思う一方で、周りが囃し立てるほど自分たちの仲は密ではないと、青島は思う。
「何か飲みたいのか?」
いきなり背後から声をかけられ、青島はきゃうっと竦み上がった。
振り向けば、風呂から上がった室井が同じ旅館浴衣を着て腰に片手を当てている。
もぉ、心臓に悪いからやめて。
「びっくりした・・」
「考えごとか?」
「まあね。そんなとこ。・・・室井さんは?」
「丁度あがったら、おまえが見えたから」
「ふーん」
「何故部屋に戻らない。薄着では風邪をひく」
「室井さんを待ってたの!」
投げやりに吐き捨て、青島は頭上に手を組むと、さっさと部屋の方へと歩き出した。
背後では室井がその背中を目を丸くして追っていく。
半歩遅れ、室井もまた足を向けた。
湯上りの室井は、火照った肌と下ろされた前髪のせいで、青島より更に年上の男としての貫禄を備えていた。
整えられたいつものヘアスタイルとは異なる少しの抜け感により、そこには一層の禁猟区があり、それはキャリアとしてではない男を青島に見せ付けてくる。
「室井さんって、いっじょ~に似合いますね、浴衣」
「・・・異常に?」
「スーツがきっちりかっちりしてる分、なんか別人みたいです。男の色気ってこんなとこなんですかね?」
履き慣れない館内スリッパをぱったぱった音を立てる青島の浴衣の裾は、踊るようにひらひらと舞い、合わせて洗い晒しの青島の髪が空調にそよいだ。
それはまだ少し濡れているせいで、柑子色の電灯を反射し、飴色に流れる。
隣では、音もたてずに室井が楚々とした動きで濡れた黒髪から垂れる滴にてぬぐいを充てながら、青島の独り言のような言葉に耳を傾けていた。
「俺なんか、歩いているだけで前はだけてきちゃうんだよなー・・」
「着方がだらしなさすぎるんだ」
「そお?」
「・・・こっち向け」
青島が驚いた顔を見せた隙には、もう室井に回り込まれていた。
後ろを歩いていた筈の室井が目の前に立っていて、青島は目を丸くする。
いつの間に。今、気配も動きも読めなかった。
怯えのような胸の竦みに怯み、青島が何か反応を示す前に、室井の長い指先が伸び、青島の襟足に触れる。
微かにうなじに触れた指先は、想像以上に暖かくて思わず青島は一歩下がった。
湯上りの同じ香りが強烈に青島の周りにだけ充満しているような錯覚に陥る。
室井はそんな青島の後頭部にまで手を回し、衣紋の位置を整えてから捩じ曲がった共襟をピッと横に引き、そのまま手前で交差する襟先を引き上げる。
無防備にされるがままに立ち尽くしている青島は、まるで子供が服を着せられているように室井の指先を見つめていた。
廊下の真ん中で向き合い、浴衣を治す二人の横を、一組の老夫婦が微笑ましそうに笑みを浮かべて通り過ぎていく。
その視線に、青島ははっと我に返り頬を赤らめた。
囁かな抵抗を表す青島の指先が室井の腕にかかるが、それを擦り抜け、室井は更にスッと青島に身を寄せる。
その手が青島の腰に回され、くいっと引き寄せられた。
二人の身体が密着し、青島は室井の腕の中に収まっていた。
「・・ぁ、あ、あの、あの、むろいさん・・・?」
狼狽える青島の弱弱しい声も無視され、室井の息遣いが耳元に感じる距離に青島の手は行き場を失し、宙で踊る。
じっとしてろと耳元で囁かれ、青島の身体は意思を反し、その命令に従うことを選んでいた。
室井の手は青島の腰からしっかりと腰布の捩れを訂正し、手前に引き寄せると、腹の前でグッと引く。
腰布をしっかりと巻き治し、きつくもなく緩くもない強さで結ぶと、上前と下前を整え直す。
それを見届けてから、室井は青島の胸をぽんと叩き、これでよしと呟いた。
「・・・」
二人の視線が至近距離で交じり合う。
途端、公然で抱き合うように立つ自分たちの距離に今更ながらに気付いた室井が、慌てて一歩下がった。
青島もまた拳を口許に充て、明後日の方角に視線を反らす。
「ぁ・・あ~・・・えーと、ありがと、ゴザイマス・・」
「――いや」
視線も合わさず、室井はくるりと踵を返し、先に背を向けた。
その引き締まる背筋すら見れず、青島は視線を床に落としてくしゃくしゃと髪を掻き回す。
なにあのひと、天然?
「なにをしている。行くぞ」
「はぁい」
返事だけは元気に返して、青島はまたスリッパの音をぱたぱたとさせて室井の背中に駆け寄った。
それでも青島の頬はにんまりと笑んでいく。
「いい湯でしたね」
「そうだな」
「ケロリンで遊びました?」
「・・・なんだって?」
「あなたの落とした桶は銀の桶ですか?それとも金の桶ですか?」
「・・・・やったのか」
「一緒に入ってたオジサンは乗ってくれましたよ」
腕を組み、真剣に眉間を寄せてしまった室井に、青島はふんわりと笑みを咲かせた。
4.
部屋へ戻る。
当然のようにそこには二つの布団がぴったりと並べて敷かれていた。
青島はわなわなとその場に崩れ落ちる。
新婚夫婦などが燃え盛る瞳で微笑み合うのに相応しい光景に、なんで隣にいるのは強面で面白味もない年上の高級官僚なのか。
男同士なんだからちょっとは気を遣ってくれたって良くないか?
気を遣ってコレなのか?もうちょっと空気読んでよ。此処の教育どうなってんの?
なんだかアタマが痛くなってきた。
膝を折ったまま、青島は背後の室井を振り仰ぐ。
青島よりも気難しい顔をしている男に、親指を立てて布団を指した。
「少し、離しますか」
「・・・・そうだな」
うっしを気合いを入れて青島が膝頭を両手で叩き、ぺろりと下唇を舐めた。
もう挑戦的な瞳に変わる青島は、浴衣の裾を躍らせながら布団の上をばふばふと歩いて、上座まで行く。
「荷物とか・・・座布団も奥座敷の方へ出しちゃった方がいいかな?」
「――そうだな、邪魔だな」
まだ入り口に控える室井を肩越しに見れば、室井は柱に身を傾け、腕を組んでいた。
拙い言葉ではあるが、青島は室井の中に同じ感覚を嗅ぎ分ける。
なんか妙にカッコイイんだよなぁ。
プライベートの室井などどうでも良かったが、新たな一面を知っていけるということは、単純に青島を喜ばせた。
室井でも学生時代などはサークル仲間やゼミ仲間といった定番の合宿などを経験してきているのだろうか。
そんなことを知った所で得にもならなかったが、知ってみても悪くない気がする。
四年の歳月は噛み合わないが、どこかそれはこそばゆいくすぐったさを青島に残した。
そりゃ息が合って共鳴し合った俺たちの昔話だって、早々捨てたもんじゃない。
けど、キャリア連中が詰め込まれた本店中央で、日々くだらない妬みと嫉妬と化かし合いの渦中にいる集団が、少し羨ましくもある。
室井にムキになり、向き合って貰っている分。
適当に荷物を寄せると、室井の隣にまたばふばふと戻り、青島は室井を覗き込むようにして言った。
「俺がやりますから。室井さんは休んでてください」
「手伝おう」
「いいって。こんくらい」
青島はさっさとしゃがみ込んで、布団の端を両手で手前に引っ張る。――と同時に、不運にもバスタオルを干そうと先に一歩踏み出した室井の足がタイミング良
く布団に
かかっていた。
青島が思い切り引っ張った勢いで布団が勢いよく滑る。
ばっふん。
室井が派手に布団へと突っ伏した。
うつ伏せの態勢で、美しく直立した格好の室井の身体が花柄の布団にまっすぐ沈む。
「・・・・・・・・ぁ」
「・・・・・」
ばふばふと布団を四つん這いで乗り越え、青島は室井の肩に手を触れて、ぽんぽんと労いを見せる。
「室井さん?室井さんっ?あの、だいじょーぶ・・?ですか?」
のそりと起きた室井は、今世紀最大の渋面だ。
「はいっ、ごめんなさいっ」
「何を笑っている」
「だって・・っっ」
「まったく、おまえといると俺の身がもたない・・」
急に一人称が変わったことにびっくりとして青島が室井を見上げると、室井は気付いた様子もなく立ち上がった。
派手にすっ転んだくせに乱れない衣紋を正し、バスタオルを奥座敷のタオル掛けに丁寧に干し終える。
唯一硬そうな黒髪が跳ねているのを、青島は高貴な背筋の上に発見した。
「・・・」
ぺたんと座り込んだままだった青島は、自分の手元を見た。
けっこ、俺がやることって室井さんに裏目に出ちゃうんだよな・・・。
足とかケガさせたらキャリアといえど、警察官には命取りだし。まーた上になんて言われるか分かんないしな。
今度は危険がないようにと、青島は先に一番上の羽毛布団を払い除ける。――と同時に、またしても室井がこちらに来ようと一歩踏み出したところだった。
「あ」
今度は間一髪室井の足は避けた。しかし避けた先の毛布が軸足に絡まり、またしても室井は布団にダイブする。
「ぅあっ、ちょ・・っ」
手前に態勢を崩してきた室井を支えようと青島が手を伸ばした。が、大の男に重力を増した塊を支え切れるわけもなく。
足掻きも虚しく、室井に押し潰されるように青島の顔面は塞がれ、二つの身体は折り重なるように布団へと沈み込んでいった。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「~~~青島ァ!」
「ごめんなさいってばー!」
一体、深夜の旅館の一室で男二人なにやってんだか。
布団の上に二人して横倒しとなりながら、自分に圧し掛かる室井の肩に青島は手を添えた。
全然、息合ってないじゃん。俺たち。
室井についてあれこれシリアスに自問自答していた自分も、もうなんだか可笑しい。
思考が一回転して、いっそ全部が吹っ飛んだ青島は、なんだかどうでもよくなって声を上げて破顔した。
「っ、・・っ、・・く、・・っ」
「笑うなッ」
くぐもった室井の声が布団に押しつぶされてぼけぼけになる。
それすら可笑しくて青島は口許を腕で抑え込んで横を向いた。
必死で笑いを抑えながらも止められない青島に、ガバリと身を起こした室井から、天井から低い声に制される。
「あのなァ!いっつもおまえがそうやって――!」
「だから悪気はないんですってばー!」
息も絶え絶えに、途中で言葉を止めた室井を涙目で見上げた青島は、その瞬間、二人の距離に心臓が激しく脈打った。
僅か数十センチ、室井が青島の顔横に両手を付く形で態勢を支え、見下ろし、同じように固まっている。
影がかり、近いのに顔が良く見えない。
浴衣の裾がはだけた脚には室井の生足が絡まり、その体温を直に伝えていた。
派手に揉み合い、結果的に組み敷かれたせいで、青島の浴衣は肩からずれおち、その嬌冶な肌と胸元までを覗かせている。
ほぼ腰布で布を留めている状態の自分には無頓着のまま、青島は至近距離で広がる漆黒の瞳を呆然と見入った。
電灯を背負うことで逆光となった室井の顔は、その端麗としながらも臈長けた色を誇張させ、湯上りの匂いの中で青島だけを映し込んでいた。
天上をバックに、歳を重ねた者にしか出せない娼婦のようなセクシャリティに、垂れ落ちる前髪が陰を作る。
その艶麗さに歯向かうスキルは青島にはない。
明確な思考というよりも、その典雅な眼に留められ、青島はただ息を呑む。
動こうと思えば何か出来たかもしれない。でも、逃げ出すことを、室井の気配がさせてはくれなかった。
じっと見つめ合うまま、雪がしんしんと時を塞ぎ、生き物の気配もみな失わせていた。
ゆっくりと室井の顔が近づき、その黒々とした瞳が薄く伏せられた――気がした。
同じ温泉の香りが、見知らぬ媚薬となって青島を縫い留める。
吐息が交じり合いそうな錯覚に陥り、何かを発しようと、でも明確な言葉を何も持たず、虚ろで長ったるい時間が青島の紅く濡れた口唇を薄っすらと開かせた。
「――・・・」
刹那、バチンと鈍い破裂音が聞こえ、視界がブラックアウトする。
部屋中の、否、屋敷中のブレーカーが落ちたことを察した。
BGMは桑田佳祐「白い恋人達」