03.初雪―後編
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5.
「こっ、こっ、こんな大量の荷物っっ、どーすんですかっ」
「もう必要ないものですので」

段ボール箱を抱え、両手には大型の紙袋を幾つも下げて、青島が鳥飼の後を付いてくる。

本庁の自分のロッカーやデスク回りにある私物を段ボールや紙袋に詰めたものは、かなりの数に上った。
あまり物に執着していないつもりだったが、いざという時の予備スーツ、急な任務や天候変化にフットワークを軽くする備品、組織と経営学書籍、美容品な ど
本庁に携わっていた間の残骸は埃のように降り積もっていた。

義眼となった身では不自由で億劫というのは建前で、都合の良い口実だ。
荷物の始末に困っていると相談を装うと、青島は二つ返事で承諾をくれた。
特に急を要するものでもなく、これで片付けてしまおうという、そのくらいの感覚であることは胸の奥に仕舞う。

「うわっ、落ちそうっ、・・とと、・・ぁ、紙破けた。・・落ちっかも。・・あ、落ちた」
「・・・」
「あっ、階段?階段?見えない、階段」

にぎやかな声がポテポテという靴音と共に付いてくる。

「補佐官」
「――」
「ほーさーかん」
「・・、名前で、呼んで頂けますか」
「ぇ、でも」
「自宅まで肩書を持ち帰りたくないんです」
「・・・、そか、じゃあ・・・、じゃあ、鳥飼さん」

なにやらしたり顔で頷いた青島が、舌足らずに名前を呼んだ。
彼に名を呼ばれたのは初めてではない気がするのに、ぽってりとした甘い口唇に乗せられ、鳥飼は振り返れなかった。
その胸が必要以上の脈拍を主張する。

「鳥飼さん」
「・・・なんでしょう」
「このマンション、すんげえ高級ですね~」
「・・・だから?」
「・・・」

昼か夜かも分からない曖昧なトワイライトが空気も廊下も淡く混ぜ込んでいた。
雲行きは重く、チラホラ視界に入る白いものは、粉雪か。
長い廊下を誰とも擦れ違わずに奥まで進み、一つの扉の前で足を止める。
入口にはICカード読み取り機が搭載されている。
勿論マンションエントランスはキーを入力しなければ開かない仕組みで、ここは高度なセキュリティが完備されている都内のハイグレードマンションだった。

「ここが鳥飼さんち?」
「中までお願いします」
「はいはい」

吐く息は、乾いて白く霞んだ。
本庁からタクシーで運んできたこの大量の私物はもう、日の目を見ることはないんだろう。
きっと開封すらせず廃棄するだろう。あるいはこの家主のいなくなる部屋の埃溜まりか。

入ってすぐの廊下に荷物を置き、青島がもう一往復している間に、鳥飼は珈琲を淹れに移動する。
誰かを持て成すことも久しぶりで、妙なくすぐったさが鳥飼の居心地の悪さを齎せた。
再び扉が開く音がして、玄関先で何やらごたつく音がしばらく聞こえた。
やがてそれも完全に扉が閉まると同時に静けさを戻す。

「鳥飼さぁん・・・、終わりましたぁ」
「あがってください」
「え?あ、いや・・、でも俺、」
「珈琲が入りましたので」

小さな沈黙の後、ごそごそと何やら散らかす音がして、ややして少しだけ視線を彷徨わせた青島が申し訳なさそうに部屋の隅に姿を見せた。
中央の硝子テーブルに座るよう視線で促す。
背中を丸め、言葉なく従う様子が緊張を伝えていて、それがこちらにも伝染した。

コートを膝に抱え込んでいる前に、淹れたてのカップを置く。
なぜか正座だ。
所在なく視線を彷徨わせる彼の心細そうな顔に、彼の素を見る。
かなり歳は鳥飼より上の筈だったが、童顔で愛嬌のある表情が、その差を失わせていた。

香ばしい珈琲の湯気が二人の間に上がった。
ティスプーンの代わりに添えたシナモンスティックに気付き、青島が物珍しそうに目を細める。

どちらも口を開かない。
向かい合って座り、黙って珈琲を啜る。
美味い、と、ようやく小さく独り言のように呟いて口角を上げる青島の様子に鳥飼はただそれだけで居たたまれなくさせられた。
チラリと視線を上げれば、敏感に相手も上げてくる。

「俺ね、シナモン好きなんですよ」

目を合わせるだけで、何故こんなにも気恥ずかしいのだろう。
にまっと笑った勝ち気で無邪気な笑顔に毒気も抜かれ、鳥飼は視線を外した。
鳥飼の甘いマスクが硬直しているが、眼鏡の奥では分かる者もない。

「一人暮らし・・にしては広いですねぇ。俺んちと段違い・・・。物も少ないや」
「誰かを招く部屋ではありませんから」

ぶっきらぼうな返答にも青島は大してめげた様子も見せずにまだ部屋の中を観察し、きょろきょろと遠慮がちに視線を走らせる。
きっと彼の部屋は陽気で色と物に溢れているのだろう。
青島が暑苦しそうにネクタイを左右に動かす音にも切なさと電気が走る。
エアコンが効いているのではない。その存在が、熱い。

「ここに。オンナノコ連れ込まないんですか?」
「・・・キャリアですから」
「堅っ苦しいですねぇ、なんか。・・・室井さんもだけど」

室井の部屋には行ったことあるんだろうか。
鳥飼の澄徹な瞳が無邪気な横顔を覗き見た。
噂ばかりが独り歩きしていて、室井と青島のプライベートがどこまで濃密なのかは実際のところ、言われてみれば定かではない。

「モテそうなのにねぇ」 

目を見合わせて青島が笑ってくる。
まるで深い親密さを装う無防備さに、鳥飼はひどい焦燥と眩暈を覚えた。
それでも取り留めない会話は沈黙が作るお互いの戸惑いの象徴だ。

「でも鳥飼さんは力もあるし、出世頭だし、若いし、これからか」
「心配してくれてるんですか」
「う、・・ぅうん?、お節介、でしたね」
「貴方こそ、室井さんからキャリアの限界を聞いてきたんでしょう?」
「ん~・・・」
「我々に、自由恋愛などありませんよ」

敢えて“我々”という言葉を使った。
牽制というよりは意地悪な気持ちだった。

決められたレールに沿うだけだ。鳥飼も、室井も。
自分の気持ちの自覚という面に於いて、それは前と後では随分と趣きが異なった。
気付いた情熱は遅すぎて、持て余し燻らせ、腐食していくだけのこの不完全な感情を、一体どうしろというんだろう。

嫌味もまた馴染みの音だったのか、肩を竦めただけの青島が親指を向ける。

「ねぇ、あの荷物、なんのつもり?」
「?」
「なんで引き払うみたいなことしてるんですか?異動?」
「――・・・」
「書籍はともかくスーツはまだ使いますよね?」

流石に不自然だったかと鳥飼の口許が静かに滲む。

「ただの在庫処分ですよ」
「新品ですよ」
「青島さんには関係ないでしょう?」
「それはそうだけど・・・俺のせいだったらヤだなとか・・」
「・・・、室井さん、ですか」
「知ってんなら聞かないでくださいよ。だからもし、鳥飼さんもそうなら・・・」
「もし、そうだと言ったら?」

びっくりした顔で珈琲を飲む手が止まっている青島に、鳥飼は冷めた目を向けた。
――本気に取られるとは思わなかった。
想像以上にこの素直で純朴な男は猜疑心がない。或いはそれほどまでに室井との歴史がトラウマということか。

過去、青島が捜査に向かう度、その歪みが室井の身分を煩わせた。
査問、降格、減給、左遷。
処分が室井を襲う跡には必ず青島の存在があった。

貴方に、僕も刻みつけるんだろうか。室井と同等な箇所に。

「そんなわけ、ないでしょう」
「あ・・・あ~・・・、ですよね~・・・」

ずずぅと珈琲を啜る音。あからさまにほっとした顔に、妙に幼さを見て、鳥飼はノンキャリの甘さを見る。
元営業マンとして話術が優れている一方、本来の彼は、こんな風に人に甘く、柔らかく、疑いもしない男だったのかもしれない。
こんな青島を、室井は知っていたのか?

「室井さんに負い目でもあるんですか」
「ああ、この間は変なとこ見せちゃって」
「引け目があって尚、関係が続いているように見える。それはどちらかが強く望んでいるからですよね」
「関係って言ったって、別に・・・だからただの腐れ縁なんですよ。こう、ずるずると。ね」
「何年?」
「数えたこともないや」

そう語る青島の目は言葉とは裏腹に、澄んでいてとても楽しそうに煌めいた。
今日一番の焜燿に、途端、鳥飼の心が癇性な熱に沸く。
恋い慕うその眼差しは何の迷いもなく愛おしい者を想うようで
それは、先日室井が青島だけに見せていたあの闇の瞳と対を成すようだった。

「室井さんに付いていくんじゃないんですか」
「行くよ。で、見送る」
「いいんですかそれで」
「いいのいいの」

あの日の二人の空気感を暗に指摘すれば、青島は慣れたように片手をひらひらさせて、飲みかけのカップを置いた。
軽くあしらってくる辺り、こんな風に二人の仲を勘繰られるのも今に始まったことではないのかもしれない。
二人の間の言い尽くせない膨大な時の長さを感じた。
そんなのに、叶いっこない。
叶いっこないのに、二人きりのこの時間に躍動している心がはしたなく正直なものを訴えてくる。

「それが俺の――相棒たる俺の、役目」
「相棒、ですか」
「そ。腐れ縁のね。尤も勝手にそう思ってるだけで向こうはどうか知んないけどさ」

うししと、正座を崩し青島が足首を両手で掴んで笑う。

「聞かないんですか」
「聞くかよ」

あまりに鮮やかに青島が笑うから、口許にカップを運んでいた鳥飼の手も止まる。

普段彼が見せる鮮烈な印象と、室井と在る時に生じた二人の過密な距離感と、この脆く繊細な秘める慕情が
鳥飼には咄嗟に結びつかなかった。

室井の持つ溜息が出るような品格。青島の抱く献身的な存在価値。
室井のために生き、戦い、散る。手に入れもせず遠くから密かに抱き続ける青島のその決意を誇り、室井もまた振り返らない。
これではまるで本気の純愛だ。
交わらず、離れて終わっていくだけの情愛に、何か意味があるというのか。
そんな恋があるんだろうか。有り得るんだろうか。
そんなの、愛じゃないだろう。

「それでいいなんて、本当は思ってもいないんでしょう?」
「なんで?」

少し低くなった声色にも警戒も乗せないきょとんとした瞳が鳥飼を見た。
あまりに無邪気に切り返され、それが鳥飼の苦笑を誘う。

「まるで長年連れ添った番いのような口ぶりで見せつけたのに、隠す意味があるとしたらそれは後ろめたい事情だ」
「み、見せつけたって」
「無自覚ですか」
「あちゃぁ・・・、ごめん、忘れて?」
「どうして」
「だって・・・ほら、俺とコンビだって言われたってあのひとにイイ事、なんもないでしょ」
「・・・」
「お荷物はごめんだ」

小さく吐き捨てた青島が言葉尻を飲み干すように珈琲の最後の一口を飲み干した。

―捕り込まれて室井の二の舞になるな―
本庁で暗黙のままに伝えられている理だった。

数年前、組織は警察権力の中枢にいた室井を徹底的に叩き潰すつもりで行動を起こした。
彼の存在に危機意識を持っていた訳ではない。他の権力者を護るための好都合なスケープゴートだった。
当然、室井は反発すると思えた。確かにある意味では抵抗をしたが、それはこちらの思惑とは全く違っていた。
言い訳をしない、保身に走らない、取り引きにも応じない。
いつも眉根に皺を寄せ、ただ、黙っていることで事態に抗い、静観を貫いた。
そんなので警察でやっていけるのか。

誰もが素質の限界を危ぶむ中、数年後返り咲いた男は一分の隙もない強かで面倒な強敵となっていた。
何がそこまで室井を強くさせたのか。否、組織人である鳥飼の立場からみれば、何がそこまで彼を潔癖のままでいさせたのか。

目の前で大人しくこの時間に付き合ってくれる青島を見た。
高層階の高度特有の空気に満ちて音を遮断する。

先の事件で、この間の捜査会議で、青島という人物像を知ったつもりになっていたが、決してそれが全てだった訳ではないと振り払われた気分だった。
人懐こい性格と愛嬌ある童顔に惑わされ、全てを晒してくれたように勘違いさせながら
青島もまた決してその底までを見せていない。
秘めた想いをひた隠し、誰にでも心を開くようでいて、実はまったく他人を懐に入れていない。
掴ませてくれないその姿は、なんとなく鳥飼自身の亡霊のように感じさせる。
そしてその嘘が、室井の真実だ。

鳥飼の視線に気付いているだろうに、青島は顔を向けなかった。
無言でしばらくカップを手の中で回していた青島が、吐息の強さで口唇を動かした。

「鳥飼さんさぁ、なんで・・・荷物運びまで俺に頼んだの、今日」
「なんで、とは?」
「貴方くらいの立場だと、部下とか、業者とか、他にいっぱい選択肢あるでしょ」

声はさっきより掠れていて、俯いた顔からは表情が見えない。

「何か、あった・・・?」

何かというにはあまりに抱えているものは甚大で苛酷だった。
突如話の矛先を変えられた余剰に、核心を突かれたタイミングの悪さに、それら全ての答える術のなさに
鳥飼の理不尽な恐怖と苛立ちが呼び覚まされる。

「どうして」
「どうして、かな・・・」

吐息と共に吐き出された苦い笑いに、言い得ぬ青島の複雑な彩りが鳥飼の息をも殺した。

ふわふわと、整髪料も使わない青島の淡い髪がエアコンの人工的な風に合わせて綿菓子のように揺らめいていた。
だらしなく開けられたネクタイの結び目から覗く肌は成熟した色艶を放ち、そのくせ透き通った磁器のような滑らかさを仄めかす。
年上だからこそ、熟した豊潤さを持ち、男の視線を釘付けにする。
じりじりと灼け付くような導火線が走っているようだった。
求めていることを見抜かれたようで慌ててそらした目を追いかけられ、その視線を攫うようにスッと青島が視線を向けた。
見つめ合ったのは僅か。

「珈琲、おかわりして頂けませんか。多めに淹れてしまったので」
「・・うん・・、じゃもう一杯。・・お願いシマス」

捕り込まれ外せない視線に怖じ気づいたのは鳥飼の方だった。









6.
残りの珈琲をカップに注ぐと、鳥飼はキッチンカウンターから青島を見た。
殺風景な部屋に、青島の存在がある奇妙な空間。
ちょこんと所在なく座り、丸めた背中が見える。悪戯なつむじが跳ねている。
なんて隙だらけなのだろう。きっと彼は寝首を掻かれるような悍ましい人間の類に出会ったことがない。
この部屋に、こうして畏まって人を招いたのは、鳥飼にとって初めてだ。
その見慣れぬ光景を、ただ瞼に焼き付ける。

どうして僕のものじゃなかったんだろうか。
どうして最初に出会ったのが自分でなかったのか。

窓の向こうでは、灰色のごみのような塵の結晶が舞い上がり、巣食う闇も深め眼下の都会を靄に隠していく。
リビングと続きになっているベッドルームのドアは珍しく半開きになっていた。
染み込む冷気は、一雨ごとに気温を下げる本格的な冬の到来だ。

鳥飼はわざわざ青島の背後に回り込み、肩越しからそっとソーサーを差し出した。

「鳥飼さん・・・?」

急に無防備な背後からにじり寄られ、青島の目が泳ぐ。
甘く名を口に乗せられた衝動を今度は隠しもせず、鳥飼は指先を髪に延ばしてみた。
触れると指先にピリッと棘が刺さったような感覚に陥る。
指先を絡ませてみれば、それは想像以上に柔らかかった。

「あの・・?」

無言で腕を回し、鳥飼は背後から青島を抱き締めた。
途端薫る、煙草とシャボンと彼自身の体温。
噎せ返る海の匂い。思ったよりずっと華奢で柔らかい躰だ。
鋭く息を飲んだだけの息遣いが耳元を掠め、腕の中にすっぽりと納まり、その縊れたラインをシャツ越しに伝えてくる。
突然の暴挙に言い訳一つ与えず背中から抱き留められ、状況に戸惑う青島が耳を染めて俯いた。

「あ、あの・・な、なに・・・?」

自分を囲う腕にちょこんと添えられた指先が、油断を伝えている。
最早鳥飼の中に明確な理由など何も持たなかった。
10cm近く背の高い体格の利を生かして鳥飼が素早く四肢を抑え込む。
見られることも生業の一つであるキャリアとは異なり、丁寧に鍛え上げていない躰は簡単に床に沈んだ。
手首をつかんで縫い付けてから、鳥飼は貴族的な顔で見下ろす。
抵抗もなく押し倒された男は力を抜き、目を丸くしながらも次の行動を鳥飼に委ねていた。

「こんなことしても、怒らないんですね」
「・・ぁ、び、びっくりしちゃって。怒る・・・とこだったかな。しまったな」
「そうやって、何でも受け入れて、室井さんにも乞われるままに奉仕したんですか?」
「・・ぇ」
「願われるままに導いて、信じて、与えて、・・・脚まで開いた?」

光を取る飴色の瞳が電灯を映し込む。その中央で、自分の歪んだ顔が揺れる様子を鳥飼はゆっくりと観察した。

その仮面を剥がしたい。
その余裕を切り裂きたい。
まったく鳥飼のことなど眼中に入れていない心に亀裂を入れたい。

「そこまで捧げても、官僚は自己保身を捨てられない生き物ですよ」
「・・・知ってるよ」
「室井さんが言っていた昔約束をした相手というのも、貴方ですね」
「・・・良くご存じで」
「相手はキャリアですよ」
「だからさ・・・まぁ、置いて行かれるんだろうなぁ・・・」

遠くを見るように青島に視線を逸らされる。
くたびれたスーツの襟足から長い首筋が綺麗な輪郭を描き、襟足のうなじをこちらに晒した。
そうまでして密に偽らざる相互作用を焦れるまでに出し惜しむ青島に、鬱積する渦が同時に焦燥を煽り
鳥飼は肉厚な口唇を僅かに噛んだ。

「室井さんがそれを赦さなくても?」
「赦すよ、あのひとは。・・・根はやさしいから」
「どれだけおめでたい人達なんだか」

吐き捨てるように鋭く発したそれは、言葉以上に青島のもどかしい本音と大人ぶった達観さを責めていた。
それが失言であったかのように青島が瞼を落とした苦笑で誤魔化す。
届かない。
遠く離れた歳の差も。住む世界の差も。その情熱も。そして、想いの深さも。

「遠いです。貴方はまるで別世界の住人のようだ」
「なんか、それ、分かる、俺も室井さんには遠くて」

少し、驚いた。
こんなにも与えながら出てくる言葉ではない。
彼もまた今鳥飼が感じたような閉塞感と疎外感、そしてそこに伴う虚無感を感じたことがあるんだろうか。
この情火に、見切りを付けて焼けつく嫉妬と憎悪に息を殺した夜が、あるんだろうか。

「難しいよね、オトコって」

にやりと滲ませた青島の口許が、鳥飼にシンパシーを共振させる。
届かなかった。無駄だった。それはまるで器用に生きられなかった鳥飼の過去を知られているかのような化身に見えた。
錯覚とは分かっていても、鳥飼の傷跡が今同じ温度で同調し戦慄する。

「所詮貴方たちは昔話の繋がりなのに」
「そうね」
「いいんですかそれで。キャリアの踏み台で」

良いとも悪いとも答えず青島は瞳色を微かに変化させる。

「怖いのかよ」
「それはそっちでしょう」
「いくじなし」

囁くように青島が鳥飼に言った。
愛されることが当然の人間には分からない。この怖さが分かってたまるか。
失う怖さに身体の芯がカッとなった、その時を狙ったように、青島が鳥飼の手に指を絡める。

「だからさ」

切ないままに青島が小さく微笑む。

「尊敬、させてくださいよキャリアをさ」

何が何だか潰れそうな胸の奥が鳥飼の中で咆哮した。
煽るはずが煽られて、終わる場所の見えない思い出したくもない古傷を燻り出した。
過去に生きてる自分が粗末なものだと言われている気になる。
思わず力がこもった鳥飼の手首を縫い付ける指先に、青島が少し顔を歪めた。

「室井さんはそんなに貴方の中で綺麗な存在なんですか?」
「?」
「汚すのも惜しいくらい?」
「え?」
「遠いから、諦めたんですか」
「なんで・・・そんなこと聞くの」
「貴方がたが抱いている感情は――まるで恋だ」
「年上を揄うもんじゃないよ」

ぷうと頬を膨らませた顔が愛嬌を覗かせる。
片思いの失恋の話をする青島に、鳥飼の中に潜む情火はいっそ怒りのようなものに変色する。

あの室井の目。真意をひた隠しにする男がただ一度鳥飼に向けて隙を見せたあの瞳は、確かに恋に狂う男の目だった。
鳥飼がその目に暴かれたように、もしかしたら室井もあの瞬間、鳥飼に煽られたのかもしれない。
室井はいつまでその仮面を被るつもりなんだろう。

「傍にいたいならいればいい。奪いたいなら奪えばいい。乱暴に生きるのは貴方の得意とするところだ」
「俺のことそんな風に思ってたの」
「室井さんからは貴方を必要としている明らかな執着が見えましたよ」
「だから傍にいるって?理由になんないよ」
「傍にいたいんでしょう?手に入れてみたくなるでしょう?男なら」
「・・・・」

手を出せない室井はともかく、失くすことばかりを考える青島が綺麗すぎて
愛も人情も遥か昔に裏切られた鳥飼には、それはまがい物のレプリカに陶酔しているような醜悪さを思わせる。
焦れているこっちの方が子供扱いされているみたいだ。
アンニュイな空気を纏った男は、組み敷いて圧し掛かっても、それでも鳥飼の好きなようにさせてくれる。

「出世した室井さんが政治の場に入って堕ちていくのを見るのが怖いだけでしょう?」
「あのひとは堕ちないよ」
「愛は盲目ですか」

どこまでも甘い男に、こちらの原罪が透かされる。

「過去に囚われてたら大切なもの見失っちゃうんですよ、鳥飼さん」
「大切なものなんて、護っているだけじゃ人を壊す厄介事だ」

忘れ去られた過去は亡霊のように空洞で、輪郭だけがやけにリアルで、関わった人間の脳内にのみ沈み、二度と浮き上がらない。
遺される不条理を見せ付けられるようで、また一人、置き去りにされたようで。
粋がったところで、自分は傷に撃たれ落ちぶれて、気丈でいられるほど強い男じゃなかった。
逃げ場を入れた室井が羨ましくて、妬ましかった。
室井はそんなに捧げるに値する男なのか?
それを軽々手に入れている男への恨みと憎しみが綯い交ぜとなって、鳥飼の心を激しく揺さぶってくる。

「鳥飼さんってさ、世界を諦めちゃったような空洞を時々感じる・・・。叫んでも届かない、みたいな」
「それはお互い様でしょう?」
「どうかな。壊れないっしょ。それよか組み立て直し方を知らないのは・・・本当に脆いのは、あんたらキャリアの方だ」

指摘されたことよりも、青島にそう見えていた事実が鳥飼を竦ませた。

「壊れてみたいんですか」
壊れた人間の、本当の末路を知りもしないくせに。

「でもさ、めちゃくちゃにされるほど・・・誰かに関われるって、実はすごいことなんだよ」
「ッ」

甘ったるい睦言のような吐息に乗せられ、鳥飼の中に潜むあの日の悲鳴がその言葉に鼓膜の奥で咆哮した。
深く関わることすら制限されて、手のひらから零れ落ちた小さな命は、今も遠い。
その重荷は未だに手放せずにいるというのに、時間だけは無情で。
青島に出会い、青島に触れると、彼の全てが鳥飼の琴線に触れてくる。

「まだ間に合うとか踏ん張れとか・・・言わないんですね」
「そんな、簡単じゃないでしょ」

青島なら信じろだとか叶うだとか諦めないだとか、そんな見え透いた浅い倫理観を口にすると思っていた。
焚きつければ、平たい理想論を押し付けられるのだと思っていた。
だが返ってきたのは曖昧さの残る摂理だ。

青島を挑発して本音を引き出したかった筈の駆け引きが、何故か鳥飼の柔部を狙って追い込まれる。
青島の中に透明なだけじゃない何かを見た。
それは艶を増し、深味を得て、色合いをもたらしていく。
恋が、鳥飼の仮面を剥いでいく。
傷ついても傍にいることに意味を見出せる。そんな夢が見られたのかもしれない、彼となら。赦されることならば。

「貴方にそう思わせたのが貴方に残る傷なのなら、僕はその痕にさえ嫉妬しますね」

彼は悪戯に人を傷つけない話術を知っている。
歯痒く朽ちていくのを見るだけしか出来ない人の虚しさを知っている。
ならば室井は絶対に手放さない。
狂乱に満ちた陶酔の疼きが鳥飼の中に湧き起こった。

「ずるいなぁ・・・ずるいですよ、青島さん」

勝手に心に居座って、恨ませてもくれない。忘れることもさせない。青島といると鳥飼の中の何かがおかしくなっていく。
狂い始めた情熱は、鳥飼自身を破壊しそうに燃え盛った。

そんな危うい橋を渡っていて、自分たちだけ報われようなんて、甘い。
兇悪的な蜜を吸いながら、天罰を受けるのがこちら側だけなんて、狡い。
戻れないように、優しさだけが愛じゃないことを教えてあげたい。
幸せになんか、させてあげない。させたくない。

鳥飼の瞳が初めて年相応に揺れる。

「だったら、貴方を僕にくれますか」
「・・ぅん?」

震える声が突き付ける要求は決して健全とは言えないものだったのに、青島は廉直なままにふるりと戦慄した。

「室井さんへの気持ちを否定し続けるのならば、貴方を僕にください」
「何言って・・?」
「男とキスをしたことは?」
「は?・・・ぁ、・・あ、あるわけないだろ・・」

囁き合う声が掠れているのは気のせいじゃない。
健康的で果実のような芳香が、もうとっくにどうにかなっていた鳥飼の理性を腐食する。

「僕が初めての男になれるわけですか」
「あほなこと言ってん――・・なよ」

囲うように腕に閉じ込めてからゆっくりと顔を近づけ、試すように吐息の距離で傾けた。

「・・ちょ、っと、待っ、ストップ、そこまで」
「もっとはっきりと抵抗しないと引けませんよ」
「い、幾つ君より上だと思ってんの」
「一回り違うカップルなど今どき珍しくもないですが」
「そーだよ、若くもない10個も上の!しかも男を押し倒すなんて、けっこーなご趣味ですよ、補佐官っ」
「そうは見えませんね」

芳醇な香りを放つ身体に視線を走らせ指摘してやる。
敢えて役職を口にして立場を意識させるつもりだろうが、その程度で逃げ切れるつもりか。
子供みたいで、愛らしくて、純潔で、残酷だ。
触れるか触れないかで耳の端を鳥飼の口唇が掠り、温かな舌が髪の生え際を這ってこめかみを滑る。
拘束していた手を外しても、青島は鳥飼を突き飛ばしたりはしなかった。

「俺を口説く気・・・?」
「その解答でいいんですか?貴方は」
「――さあ?」

こんなのに室井は手を出さなかったのか。
男として不能なのか、それともチキンか。
いや違う、きっと室井は分かっていた。
これに触れたら二度と這い上がれなくなる。キャリアの立場で泥沼に函蓋する。

だからこそ、室井には無理だ。青島は自分にこそ相応しい。

鳥飼は元々ほとんど解けていた青島のネクタイに人差し指を差し込み、するりと寛げた。
ワイシャツのボタンに手を掛ければ、困ったように青島が指先で留めてくる。

「ま、ま、マジなの?本気なの?」

組み敷いた身体を囲むように両肘で塞ぎ、鳥飼はその手を取って指先に口付けた。
その貴族的な仕草に青島の目が朱に染まる。
ゆっくりと舐めとれば、驚愕に見開かれた淡い瞳は案の定こちらを凝視していた。

先日より、さっきより、ずっと青島を近く感じた。
だからこそ、青島の決意が鳥飼の過去を抉ってくる。
湧き上がる悪寒に近い衝動が、頻りに鳥飼の背筋を震わせていた。

「貴方を見ていると、自分に足りないものを思い知らされるんです」
「足りない・・?」
「それとも、愛の告白をした方が貴方には効果的なのでしょうか」

いっそもう青島に理解してもらうことすら放棄したような身勝手さで、鳥飼が理由とも付かない理由を口にした。
はっきりとした動揺が青島の顔に浮かぶことに、意識されている意味を知る。
空疎な気分は飽和していて、前触れもなく押し寄せた強烈な錯覚に、鳥飼はもう抗うことはしなかった。

これが手に入る未来に生きられる人間だったなら。これと共に生きられる人生だったなら。
何もかもが遅い。
決行の日までまだ遠い。その時間の長さが鳥飼の精神を切り刻む。
啼きたいように叫ぶ心が、青島なら道連れに出来ると告げていた。

そっと手を重ね、鳥飼はその端正な口唇で甘く薫る肌に吸い付いた。
ほのかな紅い印が浮かび、微かな殺した息が震え、それがまた組み敷く者をぞくりとさせる。
鳥飼の呼吸が青島の肌を擽る度、それは甘美な電気信号になって青島の肌を震わせた。

「こん・・なの、ちがうだろ」
「もう僕はどこか狂ってしまっているんですよ」
「・・・」
「どうしてそんな顔をしているんですか、貴方こそ」
「お互い過去に縋って生きてるだけじゃないか」

“お互い”と青島は言った。
つまりは確信犯なのだ。お互いに。
ようやく少し本音らしきものを零した言葉に鳥飼がまた打ちのめされる。

「貴方が本気で壊れる覚悟だったというのなら、僕が道連れにして差し上げられます」

溜息が聞こえる。
それがしたいのはこっちの方だ。
―好きでもないのにどいつにもこいつにも良い顔してんじゃねぇよ

鳥飼の中に兇悪的なまでの雄の支配欲が湧き上がる。
同じ、恋する男だからこそ、コレは僕の片割れだ。室井のではない。

「鳥飼さん・・ってモテますよね?」
「抵抗しない理由を僕に押し付けるんですか」
「鳥飼さん、が、好きなのは俺じゃないですよね?」
「じゃ、誰が恋しいんですか?」

追い詰めてみれば、そのチョコレート色の瞳が甘く威嚇する。

「俺に何求めてんだよ」

至近距離で見つめ合い、呼吸を止めた。

「欲しいなら奪ってしまえば良い。じれったいんですよ」

大人の男の仕草で首を傾けると、鳥飼は拒絶の色を見ないうちにその口唇を押し付けた。

きっと、青島はそういう愛し方は出来ない。あの日の室井への接し方で察せられた。穢すと分かった途端、惑いなく手を放せる男だ。
胸に抱き慈しむだけが恋じゃないことは、青島なら分かってしまうんだろう。
同じ恋が霞む男に、鳥飼の心はきつく締めつけられた。

「・・っ・・」

初めて触れた男の口唇は柔らかい。
押し付けられ、抑え付けられ、衝撃の方が強かった青島がようやく我に返り抵抗を試みた。
まだ遠慮と思慕の残る指先は、鳥飼の劣情を煽る。
組み敷かれた躰を捩り、青島が脚をばたつかせてフローリングを叩くそれを抑え込み、膝で割った。
完全に乗り上げると、鳥飼は踠く両手首を掴み、後は力で抑え込む。

「んん・・っ、ぅん・・・、ぅ、・・っ、」

ここはセキュリティの高い高層マンションだ。
一旦入ってしまえば住民の意思なく部外者が立ち入る可能性はほぼゼロだ。助けなんか絶対に来ない。
ここには誰もいない。

暴れたことで乱れたシャツから肌が覗き、さっき鳥飼が付けた紅い印が熱に浮かんだ。
抗うことで、徐々に深く大胆に覗く隙間から動くたび、見え隠れする肌理の細かい肌が薫るように発する。
眩暈がする官能を誤魔化したくて、鳥飼は口付けの濃度を変え、主導権を握る。

「んぅ・・っ」

体格差と態勢の不利にそれでも抗い、青島は口唇を受け入れようとはしなかった。
きっと、それも自分のためではなく鳥飼のためだ。
そう思うのは自意識過剰だろうか。
形の良い顎を片手で掴み、強く固定する。
角度を変えて更に深く口唇を重ねた。

「ぅ・・ぅうんッ、ん、んん・・っ、・・ッ」

浮ついた隙を狙い、舌も挿し入れる。
ここまでくれば、制圧までは時間の問題だ。
とろりとした甘い唾液が卑猥な水音を上げ、呑み込み切れない啜り息と共に、口端から零れていく。
舌を甘噛みした後、絡め取り強弱を付けて吸い上げ、淫靡な愛撫を与えた。

もっと浮ついた気持ちで室井と恋愛ごっこを愉しんでいるのだと思っていた。
情愛の良いところだけを蝕んで、面倒な部分には触らない、上辺だけの気前の良い遊びだったら軽蔑できた。
自由恋愛がない官僚の性欲処理に付き合う程度の、気ままな火遊びだったら良かったのに。
好きなくせに。室井のことが好きなくせに。
黙って終わらせる彼に鳥飼の何かが詰まる。

やがて、切なげに眉を寄せ睫毛を震わせながら、青島がそのキスに躰を戦慄かせた。
それでも解放させず、切なげに眉を寄せ、覚束ない指先で鳥飼のスーツを握りしめている姿を半眼で見下ろしながら、舌を奥まで絡ませ合う。
何度も擦り合わせてその肉の弾力を確かめた。
力の抜けた躰を腕に閉じ込め、指先で宥めるように頬から顎のラインを辿り、愛撫する。

「・・・は・・・ぁ・・・っ、んぅ・・ッ」

薄っすらと唾液を呑み込めば、目の前で潤ませたチョコレート色の瞳が現れた。
突然男に、しかもエリートキャリアに凌辱されて、思考が散乱している青島の瞳が揺れる。
濡れた睫毛、赤らんだ頬、荒い息遣いと、とんでもなく吸い込まれそうなその瞳。

唸るように鳥飼の思考も真っ白になった。
蕩けそうな肌の奥で心臓が激しく鼓動しているのだけがリアルに伝わる。
熱気と視線と、この距離に、やられる。壊される。
喘ぐような濡れた口唇が、焦点さえぼやける距離で、肉感豊かに震えた。

「ど・・して・・・、こんな、ことして、・・・なんになるっていうんだ・・・っ・・」
「意味が必要ですか」
「要らない」

上等だ。鳥飼は心の奥でほくそ笑む。

「なら観念してみませんか」
「キャリア、が・・っ、・・こ・・・こんなことして・・・いいんかよ?」

『過去に囚われ大切なものを見失うな』
行儀の良い説法が頭の奥で木魂していたが、もう鳥飼の理性に響くことはなかった。
神聖な意味など後から幾らでも湧いてくる。
耳障りの良い文句は幾らでも浮いてくる向こうで、もうそれだけではなくなってしまった鳥飼の貪欲さだけがリアルに輪郭を持つ。

禁欲的な感覚に酔いしれながら鳥飼は青島の露わになっている隙間から首筋にキスを贈る。
それだけで彼はピクリと息を飲んでしまう。
答えを待つ鳥飼の鼓動が早鐘を撃っていた。
無理矢理押し殺した感情が強くないことは誰より鳥飼が知っている。
きっと、青島が陥落するのもそこで、そのリミッターもすぐそこだ。

「・・ァ・・ッ、く・・っ」

何度も吸い付く度、青島は震え、その背をしならせた。
端正な顔が艶冶に歪む。

「ど、して・・ッ」
「どうして、なんでしょうね・・・。なんで、貴方だったのか」
「っ」

鳥飼の、その独り言のような呟きに、青島の顔が歪んだ。
スッと、青島の躰から警戒の気配が消える。
明度が消えていく部屋の中で、ただ見つめ合った。探り合う時間が冷静さよりもこれから始まる罪を刻印する。

深まりゆく雪の夜は、しんしんと冷え込み、、カーテンの向こうの夜を白く染めていた。
青島の顔横に肘を付き、鳥飼の端正な顔が表情も変えずに青島を見下ろすことで、意思を乗せる。

「認めてください。室井さんへの淫らな感情を」
「勘弁して・・」
「逃げるんですかそうやって」

みんな悟ったような顔をして、みんな綺麗なものにして、室井を純潔にして、どこまでもお綺麗なつもりで、強くて眩しくて。

「今だけの関係にそんなもの、いらないだろ。でも」

青島の手が、そっと鳥飼の頬に添えられた。

「分かったよ。・・・いいよ。鳥飼さんの運命に俺、付き合うよ」

何かが不意に破裂しそうだった。涙と共に何かが零れそうだった。
みっともなく縋り、泣き喚いてしまいそうな衝動が鳥飼の奥底から込み上げた。
悔しく、苛立たしく、寂しくて、やりきれなくて、どうしようもなく。
戻せない時の無常に無力さを感じたのは今日が初めてじゃないのに。

「俺をあげるよ」
「・・・いいんですか」

声は掠れた。
青島の中に潜む何かが鳥飼の闇と脆弱さを刺激し、今交じり合う。
似たような罪と後悔を抱えているからこそ、青島に通じていく。
弱い僕なら君は愛してくれただろうか?

「きっと、運命ってあるんだよ」

青島が室井に応えないのも、こうして今鳥飼に捧げようとするのも。
その運命と言う言葉を誰より知り、運命に人生を壊された鳥飼が、息を殺して青島の頬を掴んだ。
すべてを白状し、懺悔し、時を戻し、今度こそ間違いのない道を選びたかった。
今すぐ、この胸の内を、全部。
でも言えない鳥飼には、愛される資格はないんだろう。

「どうすればよかったとか、ああしておけばとか、そういうのって後になって気付くもんなんだろ、幾つになっても」

力を抜いた青島が、窓に積もる雪を瞳に映し、頼りなく微笑んだ。

室井が組織のくだらなさや汚辱に染まらないのは、青島の守護があるからだ。
今、それがはっきりと鳥飼には分かる。
捕り込まれたから室井は高潔でいられたのだとしたら、室井は決して手放さない。
だが青島がそれを赦すことはない。赦してみたくても。
それはまるで人生を決められてしまった自分に似ていて
“荷物”だと言って室井から引き下がる青島が、なんだか哀れな自分の末路に重なった。

「ほしいんだろ?」
「貴方こそ、私を何とも思っていないんでしょう?」
「・・・そうでもない、かもよ?」

鼻先を舐められた。その舌の熱さ、生々しさ。火傷するかと思った鳥飼の体温が泣き出しそうに咆哮する。
ただの搾取ではなく身体の芯から昂ったのは久々だ。

「貴方、絶対私のことを甘く見てますよ」

口唇が触れ合う距離で挑発し合う距離は罪深く、再び陰るように青島の瞳色が嬌々な淫靡を乗せた。
愛される資格がなくとも、これは、自分のものだ。
童顔であどけなさの残るハンサムな顔立ちはどちらかと言えば未だ幼さを残し、煌めく瞳が印象的で
複雑で危うい輝きで、挑発的に見上げてくる。
たまらない。

だったら、どうせなら、底の更に奥底まで。
この崇高で純潔なものしか持たない勝ち気な男を、堕罪で不埒なものに陥落させてみたくなる。
限界まで追い詰めて、壊したい。
深まる爛れた欲望が鳥飼に波打つように押し寄せた。

「室井さんが、好きですか?」
「しつこいよ」
「取引は交換条件で成立します」
「そうだって言ったら満足なの?」
「そうやって冗談で誤魔化すのが貴方のやり方ですよね」
「・・・」
「ここでこうやって僕に組み敷かれていることが証拠だ」

鳥飼の真摯な目と、思った以上に官僚然として鍛えられた鋼の肉体と、縫い付けた手首に青島が眉を歪める。

「惚れたんでしょう?」
「・・・そんなんじゃ、ない」
「青島さん」

宥めるように優しいキスを繰り返す。
縫い付ける強さに本気を悟ったのか、観念したように青島が顔を反らした。

「嘘はなしです」
「まだ言うか」
「狡いですよ、自分だけ綺麗なふりは」
「いいんだって」

優しいキスに、嫌がるように顔を振る青島に、構わず何度も口付ける。
触れるだけの穏やかな誘導に、困ったように青島が濃密なキスを強請るがそれを反らす。
下唇を吸い、甘く重ね、舌で輪郭を辿り、膨らみを味わう。
目尻に口付け、耳を撫ぜ、吐息を奪う。

「青島さん」
「・・・」
「答えてください」
「うるさ・・・」
「室井さんが好きなんでしょう?」
「好きじゃない・・・」
「ちゃんと目を見て言ってください」
「・・嫌です」
「傍に居るというのなら、本当のことを言ってくれればそれでいいんです」
「鳥飼さんこそ、これで、いいの」
「はい」

絶句して言葉の出ない青島が、鳥飼の恋情に呼応して、顔を悲痛に歪ませた。
直向きな感情が、青島の人の良さに付け込んでいく。
こうも押しに弱くて刑事が務まるのか少しだけ不安になる。
だが今はストレートな愛に弱い青島が愛おしくて狂おしい。

あと一歩、決定打が欲しかった。
決壊して、破壊して、粉々になって、こちら側に堕ちてくるまで。
望み通りねっとりとしたキスを与え、鳥飼は意図を探るように瞳の奥を覗き込んだ。

「室井には忘れられない女がいる」

耳元で、鋭く囁くと青島の躰に初めて一瞬だけ緊張が走った。
口よりずっと正直だ。

「生涯勝てない女の身代わりになるのが、逃げている理由ですか」
「――冗談。過去も今も未来も、すべてを受け入れる覚悟ぐらい持ってますよ」

勝ち気な閃光は、過去と向き合い、そして乗り越えていこうとする姿だ。
揺るぎない意志に、だが強がりが透ける。強がりとは脆さの代名詞だ。

「要職に就く立場の男が見合いも上手くいかず、それにほっとしているのは貴方だ」
「・・・・」
「成程。随分とお行儀のよい優等生だ。それで道ならぬ恋だなんて――笑わせる」
「――!」

青島の瞳に初めて強い焔が浮かぶ。

「結局自分が可愛いだけの傲慢と同じだ」
「そんなんじゃ・・」
「仕事での綺麗な繋がりだけを見ていることが過去も未来も受け入れるってことですか」
「彼女以上の女は、きっと現れないんだよ」
「勝ち目無いですもんね。死んだ女では」
「・・っ」
「その程度ですか?だから逃げたのですか」
「ちが・・・期待するようなことじゃないだろ・・・」

そう呟いた青島が鳥飼のシャツを強く握りしめていることに気付き、鳥飼は身体を熱くした。
正攻法では落ちてこなかった青島が、一番認めたくないのは――
しばらくその沈黙を護っていると不意に青島の嗚咽が空を切る。

「ごめん・・っ、俺、あのひとのこと、何とも思ってないなんて、・・言えない・・・っ」

その言葉に、陥落したのは鳥飼だった。
青島が室井に恋をしていないというのなら、この劣情もまた違うのだと錯視できた。
でも恋だというのなら。青島が道ならぬ恋を知っているというのなら。
これも、恋だ。

「やっぱり・・・っ、恋、だよね・・・、これじゃ、傍に・・いれな・・・っ」

鳥飼が上から塞ぐようにそのふくよかな口唇を重ねた。

死者が生者に遺す痕跡がどれほどの鋭利なものか、鳥飼は誰よりも知っていた。
室井に付いている傷跡の深さは誰より想像できる。
そこに踏み込めない青島の想いが痛いほど伝わる。
どんなに時が経っても亡霊のように心の奥に潜み、亡者を忘れられない。忘れたくもないこちらの記憶だけが曖昧となって
これ以上侵食されないように嘶く抵抗も虚しく、時の狭間に押し流されるだけで。

還りたい。取り戻したい。会いたい。逢いたい、もう一度。もう一度。

自然と零れる溢れ出す湧き水のようなそれは、どんどん溢れて止まらなくて、瞬く間に許容量を超えてしまった。
そしたらもう、あとはもう、決壊するしかない。

引き過ぎたシャツからボタンが飛ぶ。

「んぅ・・っ、ふ・・・ぅ・・ッ・・・ッ」

青島の目尻から狂おし気な涙が一筋の光を以って落ちていく。
今更気付かされた遅すぎた恋に、気付いてほしいのか、気付かないでほしいのか。
ただ好きなだけだったのに。
どうしてこんなことになっていくのだろう。
鳥飼と青島の同じ恋が同じ温度で混ざり合って、それがどちらのものかすら、分からなくなっていく。

肌に強く吸い過ぎたせいで青島の背筋が綺麗な弧を描く。
その背を支え、両手を床に縫い付けた。
ただ、今は、鳥飼は目の前の男を蹂躙したかった。
どうせ壊れてしまうものなら、先に、この手で自らの意志で。

「・・ふ・・ぅ・・っ、ぅ、・・ぁ、ん・・っ、待ッ」
「逃げないで・・・・」
「んぁ、鳥ッ、・・ンッ、・・ぅん・・・っ」

キスに容易く乱されていく。
ふと、室井の顔が浮かんだ。
あの朴訥とした男は青島のこんな顔を見たこともないんだろう。
強い優越と嫉妬と苛烈な衝動が湧き起こる。

口付けを深め、ネクタイを引き抜いた。シャツを剥ぎ、裾から手を差し込めば汗ばみ始めた瑞々しい肌が吸い付いてくる。

「ゃ、ぁ、・・・や・・っぱ、だめ・・・だっ、鳥飼、さ・・っ」
「その目に、こうやって・・・映りたかった」
「でも、俺ッ」
「拒まないでください。もう止まりませんから。貴方を室井さんから奪わせて頂きます」

これで正面から奪えると、鳥飼は囁いた。
その言葉に見上げる青島の瞳が深まり艶を帯びる。
振り切るように鳥飼の口唇を外す青島の顎を捕らえて顔を近づける。

悲鳴を上げる胸の裡が、望んではいけない倖を垣間見て決壊していた。
自分が壊れそうだった。

「や・・っ、待っ・・ッ、・・ァ・・ッ」

別世界を思わせるそこはかとない眩さは濃密な獣欲を鳥飼に自覚させた。
筋肉質なキャリアとは違って、贅肉や無駄が残る生々しい青島の肉感はふくよかで、その肌触りに恍惚となる。
抵抗したいのか反発を残しているのか、良く分からない青島の指先が鳥飼に縋り
布の中で穏やかに這う鳥飼の猥らな指先に、青島は腕の中でその嬌態を震わせた。

「口を開けて」

焦点がぼやける距離で命じれば、薄っすらと青島の紅い舌が強請った。
腕を押さえ込めば、その甘い肉の感触が指先から伝わり、狼狽えたまま見下ろせば、甘く名を呼ばれる。
潤んだ瞳で見上げられ、身体の裡から泣きたくなった。

「ちょっと・・・すいません、どうにもなりそうもない、です」
「・・ぁ・・・・、は・・っ、だ、だめだ・・」
「この期に及んで室井さんに操立てですか」
「・・ちが・・っ、あんたに・・・」
「忘れるしかないのなら、持っているだけ無駄でしょう?」
「無駄でも俺・・っ、持っていたかった・・・っ」

子供のような哀願に、鳥飼の奥底に埋められた心が叫ぶ。
鳥飼が言えなかった言葉が青島の口から洩れる。

「もう遅いんですよ、青島さん――なにもかも」

シャツが腕に纏わりつくだけの妖艶な姿に魅せられ、激しく上下する胸元に舌を這わせながら、スラックスの中に手を入れる。
焦らすつもりも、躊躇する余裕を与えるつもりも、もうなかった。
一気に頂点まで連れていくつもりだ。
恫喝される恐怖に歪み、寛げた内股を小刻みに震わせながら、それでも鳥飼の手淫に身を委ねる。

「・・くぅ、・・は・・っ、ぁ・・っ」
「今だけ、捨てればいい」
「いま、だけ・・ッ、?」
「ええ。今だけ」

そんなに愛が騒ぐのなら、もう少し応えてあげればいいのに。室井も、青島も。
もう全て終わらせたのに今更過去が置いていったモノを持ち出されたって、鳥飼はそれをどうすればいいのか分からない。
運命というものがあるのだとしたら、それは恋に堕ちる定めを持つ者と、決して交わらない宿命を背負う者と
そうせざるを得なかった者がいるんだろう。

「・・ぁ、・それ、・・や、・・・ッ」
「そんな目で。誘ってるくせにソッチからは絶対手ェ出してこないなんて、あなた、狡いですよ」

やっと観念したか、熱に染まった顔で、視線を外さず青島も見返してくる。
「ン・・ッ、んぅ、・・っ」

歳を感じさせない甘い光に潤ませた瞳はとてつもなく透明で吸い込まれる。
もうたぶん、後戻りはできない。

「僕だけのものになるのなら、室井を穢すことなく、貴方は救われる」

鳥飼の声が低く空気を震わせた。
それだけじゃない。この泣きたいほどの無謀さに魂が呼応するのだ。
一番伝わってほしかった人に伝わった。もうそれでいいじゃないか。
未練は何もないと思った。
どこまでも付き合うと言った彼を巻き込んで落ちるとこまで落ちた男に、浄化など望まない。
人は生きるために過去を消していく。
一期一会の美しさが欲しいなら、直感で掴み取るべきだ。

「全部、捨てて・・、くれますか・・・?」
「じゃ・・・欲しいっ・・・って!・・言ってみろよ・・っ」
「――欲しい、です」
「ッ」

呆気なく決壊した心と同じくもう躊躇わずに被せれば、青島は息を呑んで顔を歪めた。

「全部を。くれるんですか」

失くすだけの一夜でいい。
これが恋であるのなら。

「・・ッ、ぅ、ん、・・・あんたが、寂しく、ならない、ように・・・」

口唇で首筋にむしゃぶりつき、鳥飼は青島の胸をしつこく玩弄し、躊躇いなく、男根を直に擦り上げた。
啜り啼くような声で青島が激しく喘ぐ。
決して悲鳴なんか上げない憂える口唇を指で押し開いた。

「・・く、・・ぁ、は、・・ッ、」
「声出しても大丈夫ですよ。ここは僕たちしかいませんから」
「ッ・・!そういう、問題じゃぁ・・っぁ、・・ァ・・ッ・・!」

青島の胸元を彷徨う瀟洒な指先が、熱を巧みに引き出し、初めての刺激に躰を順応させようと頼りなく震える。
鳥飼の昂りが粒さに感じ取れる肌の感触に、青島の肌も粟立っていた。
青島の長く細い脚が、何度も何度も淫乱に床を掻いた。
その苦悶の貌に、鳥飼の逞しい胸板が青島を抱き込み、静謐なままの青島の素肌を玩弄する。
その中で青島が赤い顔で眉を寄せて目を閉じる。
淫らに肉に爪を立てられ、鳥飼の肌にも汗が伝った。

純潔であればこそ、残酷に、めちゃくちゃに壊したい。
もっと曝け出させてみたい嗜虐にこちらが窒息しそうになる。もっと、室井すら知らない部分まで。

「も・・っ、だめッ、・・はな、せ・・ッ」

腰を猥らに振り、青島が噛み締めた吐息を殺し、哀願する。
スラックスが引っかかったまま着崩れ、シャツをほぼ纏わない素肌が汗を弾く、そのあまりの嬌態に鳥飼の喉が異様に乾いていた。
鳥飼によって大きく開かれた内股が小刻みな奮えを帯び、嬌々に戦慄く。
晒された首筋には鳥飼が印した痕が幾つも華のように散る。

「達って、いいですよ。達くところを見せてください」
「ふ・・ざけ・・、ァ・・ッ、、ぁあ・・ッ!もぉ・・っ・・」

青島の子供みたいな指先が鳥飼の丁寧に整えられた髪を掻き回すように乱した。
普段強気なあの瞳が虚ろに揺れて熱を孕むこの弱さに鳥飼は手を緩めない。
欲情することの本当の意味を知る。

「はっ、ぁ、・・ぁ、そこっ、・・ぁあッ!!」

緩く深く導かれ、それまで緩やかだった刺激を一気に高めると、青島は背中を綺麗に仰け反らせて顔を歪めた。
あっけなく達した青島は、弛緩させた躰を鳥飼に預け、激しい息の元、目を閉じた。
その無防備で罪深い躰の輪郭を目に焼き付ける。
袖だけ絡まったシャツ。片方だけ足首に纏わるスラックスとトランクス。濡れて紅く誘う甘い口唇。
乱れうねった鳥飼の前髪から青島の手が離れ、吐き出したものがとろりと流れた。
淫蕩に灼け付き乱された姿態は曖昧に揺らぐ薄闇に沈む。

「ほんの少しの夢で良かったのに」

堪らない。鳥飼は目尻に甘く口付けを与え、その肌を濡らす汗を舐めとった。

「これ・・・だけ、かよ・・・」
「?」
「ほしぃって・・・言った、の、口だけかよ」

甘い香りに誘われて、瞼の裏には紅い花が見えた。
やる気と負けん気の溢れたその力強い引力に引きずられる。
こっちにまでエネルギーが伝染するかのように。
息苦しい。

息を吐く鳥飼が熱を帯びる躰を腕に遺せば、崩れたその前髪がはらはらと落ちてくる。

「ならば全部を頂きます」

引き合うように二つの口唇が闇に光った。


卑猥な水音が支配する部屋が、青島の零す甘ったるい吐息に、またひとつ、熱を孕ませる。
銀色に浮かぶ輪郭が、床の上で不規則に痙攣した。

何故室井には闇に落とすまいと必死に強烈な光を放ち導くのに
鳥飼にはその光すら見せず、ただ共に落ちてくれるのか。
その意味も分からないまま。
どうでも良かった。ただ、この最悪な夜を演出してきた彼に一夜限りの愛を謳う。

「ァ・・ッ、、は、ゃ・・っ、ゃめ・・っ、と・・りがぃさ・・ッ」

青島が作り出す甘く爛れた空間は、侵食されて、腐敗して、鳥飼を目も眩む欲望ばかりにリアルに突き付ける。
溺れさせ啼かせたいのに、甘く滴る蜜に蕩けるように、鳥飼の方こそ耽溺していく。

「もっと、見せてください」
「まだッ・・・・・足りない・・っ・・?」
「足りない、です。・・もっと・・・ッ」

男の余裕も奪われ、凶悪な誘惑に残らず喰らわれる。
とろりと透明な滴が垂れ堕ちた。
うっとりと血がざわめき立った。
純度の高い肉の熱が命ずるままに、もっと深くもっと確かに、呼び覚ましていく。
ここがどこかなんて知らなくても構わない。行きつく先がどこであっても構わない。
目指す未来が重ならなくても、今、暗鬱する社会の片隅に存在するだけの孤独に気付く者がいた。

「もっとッ、奪っていい、ですか・・ッ」
「・・っ、あ、・・ッ、あん、たの・・・・好き、にっ、」
「ッ、はッ、めちゃくちゃ、にしてッ、・・・い・・っい・・・ですか・・ッ?」
「・・ァ・・ッ、もっと・・ッ」

下から青島が両手で鳥飼の襟を引きよせ、口唇を押し当ててきた。
噛みつくように吸い付かれる。
色んな言葉が胸を過ったがそれらが言葉になることはなかった。

誰も聞くはずがないと分かっていながら、声が上がりそうになる口を互いの口唇で塞ぐ。
恋が捨てられないと言って啜り泣く男の背中を抱き締め合った。
冬の隙間風のように、心はどこか寒くて。
頼りなく震えて抱き締めてくれるこの脆弱な腕に、束の間の安らぎと体温を与え合う。

しんしんと窓の外は今年最初の雪が降り積もる。

お互い何かを隠したまま触れ合う口唇は熱く、灼け付き、蕩けていった。
真紅は瞼の裏に焼きついていた。


そうして、鳥飼は全ての縁を断った。










7.
「鳥飼さんっ!」
「こんなところまで何しに?」

一度だけ振り返った鳥飼の他人行儀な対応に言葉を失った青島が、次の言葉を探して口唇を噛む。
鳥飼は靴音もなく背を向ける。

「・・ま・・っ、待ってって!まだ話が!」
「もうお話しすることはありません」
「ッ」

振り向きもせず気配にそう伝えれば、背後で青島が息を呑んているのが分かった。

「もう二度と、こうして話すこともないんでしょうね」
「とっ、・・鳥飼さんっ」


あれから。
一夜限りの夜は幻のように終わった。
事件は終息を迎え、湾岸署に関わることがなくなったその日、鳥飼は連絡をすべて消去した。
久世や小池を裏切るつもりはない。投げ出すこともしない。何より姉に顔を向けられないことをもう繰り返したくない。
それでも赦されるならば。

「俺に、責任も分けてくれないつもりかよ!」
「貴方に責任をとれるだけの力があるとでも?」
「ッ!」

冷めた目で興味は失せたとばかりな冷淡な態度で遮れば、青島が躊躇いがちにまっすぐな目を向けた。

「おっ・・、俺のこと奪っといて!」
「・・・」
「あれだけ好き勝手しておきながら、今更何言ってんだよ!」
「キャリアの方針に口出しですか。軽はずみは発言は慎んだほうがいい」
「逃げるなよ!」

もう二度と人を好きにならない。もう恋なんかできない。そう思っていた。
これが恋じゃなかったら。こんな恋じゃなかったら。あんな事件さえ起きなければ。
こんな出会いを悔むだけの嘶きも、最早息苦しいだけの枷だ。

“運命ってあるんだよ”
ああ本当にそうかもしれない。

「だったらどうして・・っ、全部ひとりで抱える気かよ!」

どんなに欲しがっても、どんなに愛されても、すれ違うだけの相手だった。
一生を賭けて一瞬を交錯させた君と僕の罪を背負うことで今始まる物語がある。

「待って!・・・待ってよっ」

悲痛な声色に変わる青島の声が付いてくる。
もう一度目を合わせれば絆されてしまうだろう自分を知っている鳥飼は、その甘い誘惑を寸でのところで耐えた。

その時、乾いた靴音と共に、目の隅で背後に黒いスーツが駆け付けてくるのが右目の端に入る。
まるで奪われることを恐れていたかのような絶妙なタイミングだ。

「鳥・・っ」
「青島ッ」
「ァ・・ッ、放して!室井さんっ」
「いやだ、放せない」
「・・ッ、」

目の隅に、青島の腕を掴み引き寄せる室井の姿が交錯する。

手に入れられぬ出会いは悔やんだが、この抱いた恋は悔やまなかった。
この恋がこの先の鳥飼を満たし、支えるだろう。
心も躯も貰っていく。
それを抱いて僕は消える。もう全てを終わりにするのだ。悪夢を終わらせて、解放される。
さぞかしそれは幸せな夢が見られるだろうと思った。
その代わり未来だけは室井に残す。
闇にあって光る室井の傍らにこそ、青島は輝き、似合うと思ったから。

ただ一度の恋だった。
いつか、長い時が積もったら、君は僕のことも許してくれるだろうか。
僕の心が僕を赦すだろうか。

「鳥飼さんッッ」

躊躇いを見せ、青島が室井の腕を振り解こうとする。

何故あの夜青島が応えてくれたのか、その本当の答えは知らなくていい。
泣ける場所を青島が必要としていた。
それが自分の腕だった。
鳥飼は勝手にそう結論付けた。それだけのことだ。

「青島ッ、戻れッ」
「室ッ、どしてここにっ」
「話はあとだ、行かないでくれ!」
「なんでっ、そんなこと、急に・・っ」

もう二度とないと思っていたほんの少し甘い夢が見れた。

「放し・・っ、鳥飼さん・・っ、俺っ!俺にも責任取らせろよ・・っ、俺にも応えさせろ・・っ」
「行くなッ青島!」

紅い花が瞼の奥に吹雪のように散っていた。

「全部嘘だったのかよ・・・!答えろよ・・!」
「青島ッ」

縋り寄ろうとする青島を室井が力任せに引き戻す。
ふるふると、青島が首を振る。

「青島ッ、頼む、私の傍にいて欲しいんだ・・!」
「何で今そんなこと・・っ、ずっとッ、なにも、言わなかったじゃん・・っ」
「でも今は!行ってほしくない・・ッ」

あんな室井は初めて見た。

僕でも今度は護れたんだろうか。
一つくらい、何かを護れたんだろうか。

「行くな!!」
「でも俺っ、あのひと放っておけない・・っ」
「それでもだッ」
「・・っ、・・っ、」

「鳥飼さぁん・・・っ」

青島のその声を、鳥飼はきっと一生忘れない。


***


決行の日を迎えた今、青島は何を思うだろう。
変えたかった未来は訪れなかったけど、鳥飼の哀しみに宿る瞳は凪のように穏やかだった。

雪のように時が降り積もり、いつしかこの亀裂も埋め尽くし、時の波の間で眠るだろう。
あの時君に伝えたかった想いと、君に話したかった言葉。
届いただろうか。伝わっただろうか。
最後の最後に幸せを見れた。

うっとりと鳥飼は瞼を閉じる。
次の初雪が降る頃には、今の僕はいない。








7.
人知れず咲き誇る赤の海は無限に広がっていた。

たった一度きりのつもりが気付けば十年経っていた。
あの日心の片隅に咲かせた紅いものは今も消えずに鳥飼の中に染み付いている。

毎年の墓参りは欠かしていない。
さわさわと葉が奏でる音が金色の丘陵を撫で降りていた。
変わらず狂い咲くような紅が盛大に冷め始めた秋風に揺れる。

今、その花の向こうに青島が立つ。














happy end ?

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祝・踊る20周年!!今でも大好きですv
第三弾は鳥青です。彼岸花と狂気ネタは必ずジャンルを超えて使われる定番ネタですが、踊るなら鳥飼さんが似合いそうって思ってました。

鳥飼さんにとって青島くんは遅すぎた光。チャンスを与えられたらどうするかなぁと思って、こんな形になりました。
室井さんも鳥飼さんも青島くんに救いを見る。でも室井さんは抜け目なく絶対手放さない人。地獄を見ているのでもう間違えない。
自我の限界、崩壊を恐れている人。
鳥飼さんはそこまで踏み込めず闇に落ちていく人。愛するほどに自分がそれに呑まれちゃう。ある意味青島くんに近い人かなと思ってます。
ひと夏の恋的な鳥飼さんの決断を感じ取っていただけたら幸いです。

青島くんのシナモン好きは、以前オダさんがシナモンガムにご執心だったことから。
20170728