どろっぷ行進曲 Tambar
Elysée!後編
4.
扉が開かれるなり、青島はグラサンを軽く下げ、ぺろりと赤い舌を出した。
夜の暗さがその光彩に赤味を灯らせたように見せる。
いつものコートもなく、濡れたように下がる髪が街灯に黒光りする姿に、室井は何かを察したのか一瞬不審の色を浮かべた。
「いいから入れてよ」
室井が無言で身体を開いたその隙間に、青島はすかさず足を滑り込ませる。
室井が施錠するため青島の背後に手を伸ばしたタイミングで、その腕を掴んでそのまま身体を入れ替えた。
トンっと室井の背が軽く扉に押し付けられ、室井が驚いたように顔を上げる頬に、青島の指先が輪郭を辿る。
室井がクッと身体を緊張させたことを認め、青島は自らのシャツに手を掛けた。
「あ、青島、おまえ、」
苦情を吐く前に室井の下唇に人差し指を押し当て制すると、二人の視線が至近距離で交わる。
青島は艶然と笑み、室井の髪に手を入れてキスを強請った。
「ちょ・・と、待て、」
「無粋なこと言わないで?」
「説明を、」
囁くような声で返す室井の息が湿っぽい。
口唇に触れてこない室井に焦れて、青島は室井の首筋に口唇を滑らせた。
「おい・ッ」
二の腕を両手で掴まれ、室井に強く引き剥がされた。
交わし合う視線に室井は青島の意図を見るだろう。
青島は見つめたまま、ゆっくりとミスからのシャツのボタンを途中まで外す。
片手でMA-1のジャケットを肩から片方滑り落とした。
アンダーは何も着けていない薄いシャツの、うなじから華奢な青島の骨と、素肌が露わとなる。
室井の目が見開かれた。
しっかりと室井の視線の動きを確認しながら、今度はベルトに手を掛けた。
刹那、奪うように室井の手が青島の手を握り締める。
視線は外さない。
「話があるんじゃなかったのか」
室井の声は低く、冷静だった。だが、漆黒の奥、僅かな動揺を青島は見逃さない。
「言葉だけが話の手段ではないですよ」
「こんな玄関先でおっぱじめることではない」
「だったら、ベッドで?」
じれったいと言わんばかりに、青島は片腕に掛かったままのジャケットを床に落とした。
今度はそのままシャツを肩から滑らせ、指先で自らの肌を辿って室井の視線を誘導する。
その動きを室井の手が男の力で堰き止めた。
「まず靴を脱げ」
「・・・」
一向に引かないのは、お互い様だ。
この擦り切れるような緊迫感が、ジリジリと導火線を焼き切っていくようだった。こんなの、室井としか出来ない。
官僚然とした室井の物言いに、青島はしばし躊躇ったが、ここは引いた。
「おじゃましまぁす」
初めての室井の部屋だ。
先に帰って片付けたのか、いつもこうなのか、室井の部屋は物が少なく生活感がなかった。
シックでシンプルな黒に統一されたインテリアと、使用感のある座布団、ラグに、途端緊張する。
今の今まで勢いで誘惑してみたけど、このひとって、改めてキャリアなんだよなぁ。
「きちんとしすぎてて逆に落ち着かないや」
「何か飲むか」
「もてなしなんか、要らないでしょ」
青島の後ろを付いてきた室井を振り返り、青島は恐らく寝室であろう、もう一つの部屋を親指で指示する。
チロリとそちらに視線を投げただけで、室井は動こうとはしなかった。
「青島、」
「黙って」
室井の目を見据えたまま、持ってきたジャケットをその辺に適当に放り、荷物を落とすと
青島は今度こそ脱ぎ掛けのシャツのボタンを全部外していく。
室井の視線をつぶさに感じた。室井は昔からこんな風に焼け付くような強さで自分を見る。
見られていることに青島の肌が騒めく。指先すら、もどかしくて熱い。
「こんなところで脱ぐな」
「じゃ、どこならいいんだよ」
「!」
「じれったいよ、あんたの恋愛は」
ベルトを引き抜き、チャックを下ろした。
紫の際どいラインの下着を見せ付けるように前を開くと、青島の細腰の括れがウェストから強調される。
室井の目が、釘付けになっているのを感じた。
あの舐めるような漆黒が、今夜は昂奮と勘違いさせてくれる。
自分の肌が震えているのが分かる。
嬉しいのか、緊張なのか、自分の不自然な反応に戸惑い、青島は僅か目を伏せた。
その憂いある表情に電灯が反射し、色香が灯り、睫毛が黒々と震え、前髪が焦らして隠す姿態に室井の息が止まる。
「君の決着とは、こういうことか」
「ただならぬ関係になりたかったんでしょ?」
「抱いた所でそんなものになれないことは分かっている。いっそ、どうやったら君とただならぬ関係になれるんだ?」
「――」
ゆっくりと室井が近づき、青島の前に立った。
落ちていた青島のシャツを拾い、青島の肩にかけてやろうと、青島に手を伸ばした。
風を切るように青島が室井を引き寄せ、体重をかけてバランスを崩させる。
「!」
力任せじゃ室井には敵わないだろう。
隙を突いて、体格差を利用するくらいしないと、このキャリアは倒せない。
なんとかバランスを取ろうとした室井だったが、それでも青島を庇うように青島の腰に手を回し
そのせいで室井は確実に青島を宥めるタイミングを失った。
こんな時まで咄嗟に出る行動に、青島は二人の捩れた関係を始める切欠となった、最初に階段を落ちた時のことを思い出す。
あの時からこじれて、歪んでしまって、何かが変えられた。でもそれは怖じ気づいている場合じゃない。
元にはどうしたって戻らない。それにもう、元に戻りたいわけでもない。
結局二人の身体は重力に従い、ラグの上に横倒しとなった。
押し倒した格好となった青島が、室井の顔の横に両手を付き、にんまりと笑む。
「往生際が悪い男は嫌われますよ」
「まさか惚れた相手に馬乗りになって誘われるとは思ってもいなかった」
「あんたが奥手すぎてね」
「随分とイヤラシイ相棒だ」
「お嫌いで?」
「・・・・・問題ない」
自分が触れた時の室井の反応が見たくて、青島は室井の額から、耳、顎、首筋へと指先を這わせてみる。
ざらついた男の肌に、キチンと閉めた襟元の白さが清廉さを主張していて、官僚の姿の室井が望んだものの原罪はこんなにも
何かを欠けたまま平然としていた滑稽さを思い知らせてくる。
その潔癖さが青島を苛立たせた。
目の前のネクタイを引き寄せるのは、のらりくらりと交わすこの男に火を点けるためだ。
「君は、俺を切りに来たのか」
「そうかもね」
「・・・」
黙る室井に、青島が僅か喉を鳴らした。
室井のネクタイを乱暴に引き抜くと衣擦れの音が耳に残る。
「俺、間違ってた。あんたが堕ちるってんなら、付き合えるのは俺だけだ。この役、他のひとには譲れなかったです」
「今頃気付いたのか」
「まぁね」
「恩田くんを同席させたのは、そうか、そのためか」
「きっと後で百倍返しだな」
俺たちは最後まで運命共同体だって、決まってた。
あの大階段で約束したのは、俺に夢を見せてくれっていう御伽噺じゃない。
欠けたものを刻み込んで、いっそ壊れてしまえたら、儚い必死さも楽になれる気がした。
綺麗事で始末したかった思い出が室井の手によって無残に穢される。
室井のシャツのボタンを外していけば、想像通りの屈強な胸板が露わとなった。
一切の抵抗を放棄する男に、青島は躊躇う心を押し殺して、その男の肌に指を這わせてみる。
室井の目がギンと青島を睨み上げていた。
その顔を見下ろしながら、青島はゆっくりと身体を起こす。
馬乗りになったまま、自分のシャツを両肩から落とし、腕で止める。脱ぎ捨てはしない。
フロントを大きく寛げ、へそから腰骨、男のシンボルを見せ付けた。
跨っているため、隠しようのないそこは、青島の均整の取れた肉体と合わせ、美しい造形を作り出している。
気怠い仕草で髪を掻き揚げれば、浮き上がる胸筋と、そのボディラインが美しく引き立った。
「君はいつも突飛な行動をしてこちらを驚かせる」
「行動に移したら、どうなるか分かっていなかったの?」
青島が不敵に笑った。
倒れた拍子に服も乱れ、髪も崩れたくせに、室井の漆黒は、だが深い闇に覆われたまま、青島程度の折衝になど動揺ひとつ見せなかった。
自暴自棄というには虚しく、許容というには切ない覚悟で、強く高潔な魂を覆い隠してしまう闇の深さに
どこか奇妙な安堵と息苦しさを覚える。
「なんかおまえ、いいにおいがする」
「?」
「だが、こちらの心情を舐めてもらっちゃ困る」
云うなり室井は青島の奥襟に手を回し、足を大きく天井に回すようにして、同時に足払いを掛けた。
腰元に回された指先にスキニーのウェストごと引っ張られ、身体が宙に浮く。
「ぅ、わ・・、・・しまっ・・」
まさか反撃されるとは思っていなかった青島は、一瞬出遅れた。
隙を突かれたそこで袖も掴まれていて、後は室井の思うままに身体を操られ、抱き込まれる形で体勢が入れ替えられていた。
どすんと背を打ち付け、その上に室井が膝で素早く動きを封じ、二人の攻勢は上下逆となった。
「こっ、ここで寝技は卑怯ですよっ」
「こう見えて私も意外と気が短い」
「奇遇ですね、俺もですからっ」
澄ました仮面を崩せぬまま、先にこちらの素を曝け出されて、青島がたじろいだ。
競り合ってみたところで、見下ろされている現状では、ただの悪足掻きだ。
形勢を逆転させた室井が青島の手首を床に縫い付けたまま、もう片手で青島の顎を掴み上向かせた。
男の仕草に、それをされていることが自分であることが気恥しく、目尻を赤らめた青島が、顎を反らせることで振り解こうとするが
力で視線を戻される。
「・・初めて、だよな。男とするのは」
露骨な台詞に、青島の中で張り詰めていた何かが揺さぶられる。
「不満ですか?」
「問題ない」
ヴァージンのくせに何ができるのだと、せせら笑われている気がした。
見下ろしてくる男は、先程青島が乱したせいで、前髪も崩れ、シャツもはだけ、ネクタイもない。
野性を剥き出しにしたような荒々しさを持ちながらも、その瞳はいたって冷酷だ。
下から力を込めて腕を払い除けようとするが、体勢の不利もあり、室井はビクともしない。
息を荒げ、空いている手で胸倉を掴もうとするが、それも先読みされて、両手首を顔横に縫い付けられた。
「なんでっ、なんで俺なんか・・っ。俺になんかに声かけたんですか・っ」
「君を巻き込めば君は絶対歯向かってくる。本気の君が手に入るだろう?」
「そんなに俺を手に入れたいのに抱かないの?」
「そんな安い言葉で俺を欺けると思うなよ」
良く解からない執着と、得体のしれない激情と、確かに奥底に芽生えてしまった狂おしいほどの愛着を
惜しみなく剥き出しにしてくる室井に、どうやって一人で制御していけばいいのか、分からなかっただけだ。
肝心な時に言葉が見つけられない。
営業スマイルは得意で、どんなハプニングにも対応してきたのに、今は言葉が探せない。
何と言って室井を繋ぎ止めればいいのか、分からない。
何を言っても嘘くさくて、空々しくて、掴みどころのない空疎に心許なくなる。
いつの間に、こんなに違ってしまっていたんだろう。こんなにも何かが咆哮しているのに。
「そんなに形が大事か」
「形が大事になってくるのはあんたじゃないの?」
捨て身で捧げようとする思いすら、室井は受け取ってはくれない。
分かっている癖に、届かせてくれない。
なにもかもが違う。生きる場所が違う相手と、同じ未来を一緒に見た。
室井が青島に覆い被さるように顔横に両肘を付き、青島の淡い髪の毛から微かに残る潮の香りを吸い込むように、ゆっくりと額を押し付けた。
「俺にしておけ」
室井の腕にすっぽりと囚われた格好で、幾分ぶっきらぼうな物言いが届いた。
真面目に告られた青島の動きが止まり、言葉を失ったまま、漆黒に映り込むものを探るように見上げる。
その無垢な瞳に、室井の目は、この傍目には狂気の沙汰とでも言える行為を制圧するだけの力を見せ付けた。
付いて来いという男気溢れる言葉が、文字通り上司としての、或いは相棒としての単純な援護射撃であったなら
青島には何の問題もなかった。
或いは、欲しいという即物的な欲望であったなら、助かった。
「俺の気持ちは無視なの?」
「・・・」
「火傷しますよ室井さん」
洞察するような深い瞳が青島を捉えて離さない。
物柔らかな大人の男の仕草だ。そのくせ、絶対に抗わせない窮迫だけは訴えてくる。
思わず青島が身震いした。
どんな顔でそんな台詞吐くんだよ。
そーとーイカれてるよあんた。
救い難い傲慢さとか、形ばかりの建前とか、先にたった一人で乗り越えやがって。
やっぱり届かない。
どう抗っても、届かない。
張り詰めるような攻防戦に、電話のベルが水を差す。
「出れば?」
少し迷った末、室井は青島から身体を起こすと、スマホを手に取った。
話の内容から、どうやら呼び出しのようだった。
言葉少なに切る室井に、青島開けたシャツの前を掴み、ジャケットを担ぎ取る。
「・・青島」
「行けば?仕事なんだろ?・・俺は帰ります」
振り向くことはしなかった。
室井の顔も見ず、青島は大股でこの部屋を後にする。
「待ってくれ」
二の腕を掴まれ、強引に振り向かされる無神経さに、青島は室井の首筋に鋭く咬み付いた。
「あんたのは随分とストイックな愛なんですね」
「・・・」
「欲しがってるのは、やっぱ口先だけじゃん」
逆襲は、未遂に終わった。
捨て台詞すら空ぶっている。
室井は一切たじろぐことはなかったし、慌てることもなかった。
それだけが、青島にとって事実だった。
5.
「これは一体どういう状況だ!」
「最初は崩落だったの!まだ子供が残ってるって、その、すぐ消防本部にも連絡したんだけどその時は未だ火は出てなくて・・!」
いつもの澄ました強面が、少しの焦りの色を浮かべ、青筋を立てた顔を見た時、すみれはようやく息を吸えた気がした。
「そしたらひょっこり現れて・・!今日はもう上がりだった筈なのに!あたしが呼び出しちゃった・・!間に合わないからって、青島くん・・!」
「飛び込んだのか!」
「子供だけ、出てきた!さっき!」
すみれの声は騒然とした辺りの野次馬に所々掻き消される。
「それは何分前だ!」
「もう10分くらい経つ・・!どうしよう室井さん!」
「くそっ」
濛々と火の手が上がる工場を室井は火の粉に目を顰めながら視線を向けた。
漆黒に映り込む炎がまるで怒りのそれのように焔を描いた。
官舎から程近い距離だった。
工場崩落の一報が入ったため、近くにいるキャリア勢に連絡が回ったのが八時ごろ。
青島が飛び出して行った時刻からして、青島が此処を通りがかった可能性はかなり高かった。
一人、飛び込んだまま出てこないとの続報に、嫌な予感がしたのは、あながち偶然でも必然でもなく、経験だ。
「君はまず、持ち場に戻れ。現場は今しかない」
「でも!」
二人の僅か数メートル目の前では規制線が張られ、とっぷりと陽が落ちた筈の街中を、赤い炎が轟音と共に夜空に浮かび上がらせていた。
動揺して乾いた喉を必死に動かしながら震えるすみれを庇うように立つ室井の横を、消防隊員が忙しなく行き来している。
事件なのか事故なのか。
初動捜査に後れを取らないためにも、今この場でやれるべきことは幾らでもあった。
「でも、青島くんがっ」
「消防隊に任せるんだ。そちらには私が行く」
低く、ドスの利いた声音で言い放った室井をすみれは呆然と見上げた。
長らく知っているつもりだったが、こんなに激しい室井を見たことはない。
赤い炎が室井の横顔を照らし、それはまるで般若のように闇夜に浮かび上がらせていた。
かといって、不気味なほど冷徹な姿は、この男もまたやはりエリート官僚なのだと納得させるには余りある。
「・・むろいさん・・」
思わず名を乗せたすみれに冷静に気付く室井の目に動揺はない。
痛みのような、憧憬のようでもある、鋭い癖にどこか押し殺した、よく見知ったその姿。
すみれを見つめ、やがて、気付かれたかというように、悟った笑みを幽かに浮かべた。
その熟した双眼に、何も言えなくなったすみれを、室井が申し訳なさそうに見下ろす。
二人の間を火の粉の混じる熱風が駆け抜けていった。
「工場裏手はまだ火の手が回っていない。大丈夫だ」
「・・わかった」
そんな見え透いた推理でも、すみれは力強く頷いて見せた。
挑むように、室井も消防隊が集う中央を見治める。
アイツの知らない場所で凶暴に育つそれの存在を、教えてやりたいと思った。
兇悪的な妄執の裏側に澱む、淫らで原始的なそれを、いっそ苛立つままに見せつけてやりたかった。
誰のせいでこんなに狂わされているのだと、罵りたくさえあった。
私は未だ、肝心の言葉を聞いていない。
「狂っているのは、俺だ」
ぽつりとつぶやいた言葉に、答える者はいなかった。
隣で泣き出しそうなすみれの肩を一度だけ包み、室井は消防本部へと向かう。
室井の黒いコートが火の粉に縁どられ、赤い紅蓮を描いた。
手に負えないほどのやんちゃ坊主も、簡単には手懐けられない悪態ですら、可愛くて仕方なかった。
美しく、儚いものが穢れるなら、それすら煽られた。
やたらと無防備な色気を振りまいて、一丁前に男を挑発してみせたのは、ほんの一時間前のことなのに。
「あンの馬鹿げがッ」
“俺たちの仕事って、当然やってくると思っていた未来がこなかったことに、向き合わなければならない時間なんですかね”
あの日の青島の声が聞こえた気がした。
刑事なのだから突然道が断ち切られることは、お互い覚悟済みだ。
だが私はまだ、一番大事な言葉を君の口から聞いていない。
6.
俺なんかの誘惑に、まっったく屈しなかった。
こっちのプライドなんかずたずたですよ。だったらもう一生童貞やってろっての!
誘い込んで誘われて、共鳴し合うのならとことん付き合ってやろうって。
塗り固まったものを今更剥ぐなんて愚かなことをしそうにはない、だけど、仮面の下の素顔をぶつけてくれたことが馬鹿みたいに嬉しくて。
・・・って走ったはいいけど、現実なんて、こんなもんだしなぁ。
納得いかねーッッ!!
なんで動じないの?なんで反撃もしないの?襲ってくんないし?俺がほしくないわけ?欲しかったんじゃないの?
勝手にあーんなキスしといてさー!舐めるような目で俺んこと見といてさー!
ついでに言うと、こっちの現実も冗談じゃないですよねーってかんじなんですけど・・。
青島は天井を見上げてから、大きな溜息を吐いた。
吸い込んだ息で大きく咳き込んでしまう。
焼け崩れた外壁が剥げ、その奥からも濛々と煙が流れ込んでくる。
男の子を救出する直前、崩落してきたコンテナに、足を挟まれた。
それは大したことなかったんだけど、時間がかかると思って、酸素ボンベを持たせて先に行かせたのが吉と出たのか凶となったのか。
とりあえず、無事に脱出できることを願う。
靖国神社の御守りは、今夜置いてきちゃったんだよな。コートの中に入れっぱなしだ。
あの御守りにも随分と無茶をさせた。幾らご利益あっても、さすがにもうこれ以上はキャパオーバーだよなぁ。
吉田のおばあちゃん、元気かな~。
目の前では煙で視界が消され、燃える音が耳から危機を伝えてくる。
炎と闇は、まるであのひとそのものだ。
彼はどんな時でも毅然とした背を丸めない。時に痛みや苦味すら感じさせるその高潔な背中に
重ねたのは憧れと嫉妬だった。
火柱みたいに激しい欲望と執念を持ち合わせていることを、知っている人間はどのくらいいるのだろう。
崩れ落ちる破片が煙に巻き上がって、星のように降っていた。
俺たちは籠の中の鳥だ。
酷く貧欲な想いを抱えながら、どこか原始的で即物的な欲望に喘いでいる。
頭の中に常にいるわけじゃないのに、必ずどこかで助けてくれると期待してた。
顰め面で、こじんまりとしてるくせにやたらと筋肉厚くて、いっつも隙の無いスーツ着ちゃって、笑ってもくれなくて。
たとえば、そうそう、こんなかんじの――
「あれぇ?なんであんたがいるんです?」
「このくたばり損ないが」
生きてるな?と確認するように、朦朧とした頬を室井のひんやりとした手が軽くたたいてくる。
ホンモノだと確信した青島の丸い目が縋るように室井を見た。
「・・ぇ、なんで・・」
「怪我は。・・足か」
「怒ってます?」
「なにについてだ。心当たりがあり過ぎる」
渡された携帯酸素を吸い、室井が会話の片手間に消防に連絡を取る姿を、座り込んだまま見上げていた。
黒いコートに乱れはなく、乱したはずの髪は撫で上げられ、先程の名残を匂わせない。
酸素が薄れる胸苦しさと、喉を焼く煤の味に、現実だと呟いて青島は自分の前に立つ死神のような姿を見つめた。
どこか涼しい印象の室井と、服も汚れた自分とは、随分と対照的だ。
通話を終えた室井が、ジロリと青島を見下ろした。
満身創痍の身体は持たれた壁に背を預けたままで、煤の付いた顔を拭うと、青島は挨拶をするように片手を上げた。
「一報を聞いて、どれだけ俺が慌てたと思う」
「・・刑事なんですから」
「“いつか来ると思っていた未来が来なかったことに向き合わなきゃならない”――君はそれを私に実地でやらせる気か」
はは、と小さな吐息交じりの笑みが微かに歪んだ。
今ここに駆けつけてるのは、俺の遠い上司だけど、良く解からないデートをしたカレシでもあるんだ。
その不可解な融合が、なんか、おかしい。
室井が膝を付く。
青島の背後の壁に片手を宛て、身を屈めると、そのまま室井は青島に覆い被さった。
埃まみれ、血まみれのキスに、泣きたくなるような衝動が込み上げる。
炎の熱さよりも口唇を灼く熱の方が青島の息を殺させた。
「おまえなぁ、勝手に言いたいこと言って勝手に帰ってんじゃない」
誤魔化せない、取り繕えない、気づかわしそうな瞳に、青島の眉根が歪む。
「手も出さなかったくせに・・」
「君の気持ちがほしいからだ」
「抱いてくれっていったらおんなじでしょうが!」
「全然違う!!」
どこか非難めく誘導文句に、勝ち気なまま反抗した。
皮肉にもそれはある意味、白状となっていることに青島は気付かない。
「こんな賭け、あんたのメリットがないじゃん!」
「要らない。俺をやる。俺の全部をおまえにやる」
「かっこつけすぎだっての!」
仮に恋人として生きることは可能だろう。
だが、室井は上級キャリア官僚であり、青島は所轄のノンキャリであることは、どこまでいっても付き纏う。
そしてそれはやがて、キャリアとノンキャリの対立を超え、政治問題へとなっていく。
「そんなに見つめられると困る」
「睨んでんだよこれは!」
何かが全く通じないのは、俺がおかしいのか、このひとが異常なのか。
こんないいかげんじゃ、だめだ。このひとには誠実に。真っすぐで気高くて誇り高い、このひとには、ちゃんと言わないと。
そう思って立ち向かったのに、避けたのはどっちだよ。
「俺たちは長い間離れすぎていた。それだけのことですよ・・!」
「その程度の理由を断り文句にするとは、随分と舐められたものだ」
「あんたは俺を連れて行かないくせに?」
「付いてくる気があるのか」
「だから全部ひっくるめて、堕ちるなら一緒に行くよって話でしょ?!」
「誰が落ちるんだ!」
「え?堕ちないの?」
「俺の足を引っ張れるものなら引っ張ってみろ・・!」
「なんすかそれ!?」
「今まで通り正面からぶつかって来い!君らしくなくて腹が立つ。君一人抱えたくらいで潰れると思われているなんて、屈辱もいいとこだ・・!」
どうだ、と言わんばかりに鼻の穴を膨らませた室井が顎を少し持ち上げて高慢にふんぞり返った。
伝わらないのも屈辱で、通じないのも不満で、グッと挑めば、室井も至近距離で青島に対抗してくる。
その室井をむぅぅと睨み返していた青島が、やがて頭の中で今のやり取りが反芻された。
「あ・・・あの・・?なんか・・今、俺、まずいこと・・・言いましたね・・」
「かもな」
室井も気付き、ニヤリと意地の悪い顔を見せた。
どこか期待を乗せた漆黒に、青島の顔が不本意だと歪んだ。
「いつか言わせてやると言った筈だ」
「ヤです」
「あんな告白をされて、正気でいられるわけがない。そもそも応えられないって、あんな顔で言われたら我慢なんかできない。青島。もういい加減、覚悟を決めてくれ」
「ぜぇーってぇヤだ!!」
室井が再び跪いて、青島の顎を取る。
何をされるか察した青島が、脅えたように身を竦めた。
その距離にきて、数刻前、青島が室井宅で付けた咬み痕が、目に入る。
「ほんとにおまえは手の焼ける・・」
「な、なんだよ・・」
「嫌だったら突き離せ。それが出来ないならおまえの本音くらい、告げてみろ」
掠れた男の声は熱を孕み、情欲を隠しもしない瞳に青島が逃げ場がないと悟った時
室井は青島の顎を持ち上げ、深く口唇を重ねた。
緩んだ舌を吸い上げ歯列を丁寧に嬲られ、その度に響く水音を内から鼓膜に流し込まれれば身体を震わせることしかできない。
最早目を閉じても伝わる甘い視線の感覚を味わって、青島は観念した。
キスに促されるようにゆっくりと、室井の首に両手を回し、引き寄せる。
夜に紛れたシルエットが激しく燃え盛る炎と融合し、ひとつの影となる。
崩れ落ちる現実も、崩れ去る関係も、今は室井の荒い呼吸に掻き消された。
このひとは、キモチイイとかイタイとか、心の根幹を刺す痛覚みたいなものは感じてるんだろうか。
時折、俺にだけ見せる剥き出しの感情が、熱を持ってそれを証明する。
このひとに合って、俺に足りなかったのは、周りを説き伏せるだけの覚悟だ。
柔らかく髪を掻き混ぜられ、微かに離れた口唇に瞼を上げれば、室井の目が強請っていた。
ゆっくり口を開いた室井が、まだ駄目かと囁く。
少し迷って、それから青島が視線だけチロッと向けた。
室井も悠然と瞳を反らさなかった。
恨みを込めた眼差しが、ただ室井をじぃっと睨み返せば、苦虫を噛み潰したような青島の顔に、室井の口端がニヒルに片方持ち上がった。
ワイルドな洒脱さに、青島も小さく顔を歪める。
ほぼ同時に衝動のままお互いを抱き締めようと身動ぎ、腕を伸ばしてくる腕に浚われ、寄せたその腕を引かれ
室井の腕の中に閉じ込められる。
大きく仰け反るように顎を反らしたまま、室井の深い口付けを受け止めた。
「青島・・、言ってくれ。聞きたい」
脳味噌の中からぐずぐずに溶けてなくなるくらいに掻き回され、あやされながら淫らに蕩けさせられるそれは
促すようにも責め立てるようにも感じた。
変化に脅える身体を強く縫い留められながら、抗う隙も奪われて、思うとおりに青島を翻弄しながら室井も哀願する。
「ずっと待っていた。もう、待てない」
髪を掻き混ぜ、背筋を辿られ、服の上をもどかしそうに弄る指先が、強烈に欲しいと言っている。
「・・ハ・・ッ、んぅ、・・ろぃさん・・っ」
血液の味が交じるキスは濃密で、何の計算も駆け引きもなく、青島はしがみ付いて強請る。
怯むことなく何度も擦り合わせ、重ねる度に熱を孕み、次第に冷えていく外気とは反対に、灼け付いて焦げ付き
切ないほどの哀願が、狂おしいほどの熱を生む。
そのくせじれったいほどの動きで身体を弄られ、嬲られ、従わされて。
泥濘の中で這いずり回るような、施される愛撫に敏感に跳ねる身体を持て余し、そんな自分に戸惑いながら掻き寄せてくる腕に陶然とした。
「おまえが欲しい」
情欲に濡れた甘い声と息で、室井が何度も綴った。
その声に否応なく青島は煽られる。
「聞かせてくれ、青島・・」
「・・たぶん・・っ、すっげぇ、すき・・っ」
極限まで追い詰められ、奪われながら満たされて、叫ばされた言葉に、室井は情熱的な口付けで返した。
7.
「まあ、結局あれだよね~。シチュにハメられてお互い失態晒しましたよねぇ」
「・・・」
片足を引き摺る青島と煤だらけの室井の前を、幾人かの警察官が敬礼をして通り過ぎていった。
青島の横で無言で立つ、これ以上ないというくらい眉間に皺を寄せた室井が現実を消したいというように瞼も閉じている。
二人揃って、消防隊に叱られた。
署の皆にも、叱られた。
素人が飛び込むなって話である。
特に青島の今日の恰好ではなかなか刑事であるとも信じてもらえず、室井が身分を明かして事情説明をした。
とりあえず、男の子が無事だったことを聞かされたのが不幸中の幸いだ。
「事情聴取受ける側って、結構どきどきもんなんですね~、上のひととかに取調室、放り込まれた経験あったんですけど」
「これからまだ私が君を取り調べるつもりだが?」
「・・・」
意図を察した青島が明後日の方角に視線を投げる。
すっかりドロップアウトさせられた後では、気恥しさだけが残される。
「CrackingCandy」
「?」
「初めてのデートの時に教えてくれたじゃない」
「――君みたいだと思ったんだ」
ぱちぱちと弾けて消える小さなドロップ。
甘ったるい味だけ残して、甘さとは真逆の手痛い仕打ちを残して。だけどそれがクセになる。
「恋の後味みたいですね」
「終わらせるつもりはなくなったがな」
「刺激的。いいじゃない」
「・・刺激は充分だ。大体今夜の君の格好と来たら・・」
「ねー。悩殺されないなんて、男の風上にもおけないですよ」
「逆だ馬鹿。その格好で俺を殺す気か。壊されたいのか。少しは自重しろ」
「――・・」
えええ~?あんな興味ないって態度だったのに、ムラムラしてたわけ?
俺にちゃんと欲情したの?あんなクールな顔してて?
どんだけ我慢強いんだこの男!?
それがキャリア?こっええ~・・・。
「・・・・・なんだ」
「あんたのムスコ、EDかと」
「童貞の次は勃起不全か」
「え~っと、あはは~?」
「・・・」
「はぁぁ~、キャリアのストイックさ、舐めてたわ」
「この軽さに俺はどれだけ・・」
「じゃ、今度はあんたが脱がしてみる?」
ふざけるな、と今まで聞いた事のないような荒々しい声が青島の耳に届いた。
「また勝手に終わらせられたら困るんだ」
ぐいっと強引に手を取られたと思った次の瞬間、左手の薬指の冷たい感触に、青島は文字通り呆気に取られた。
夜灯りに翳してじっと見た。
今度は逃がさない、そう独り言のような声が耳に痛い。
室井からは呆れたような気配がムンムンと伝わってくる。
けど、前よりずっと、近くて、甘い。
「その・・お互い色々知る必要がありそうですね?」
「同感だ」
室井が青島を見る。
青島も顔だけ向けて室井を見る。
しっかりと絡まった視線に、月が丸く照らし返していた。
happy end

Tambar Elysée 飴細工のケーキ
室井さんに流されちゃうというか絆されちゃうかんじが、一番室青っぽいといいますか、青島くんっぽいなと信じて疑わない。
20230504