ATTENTION!!
通常の二次創作とは異なる、テーマを拝借した設定小説(パロ)です。
室井さんの東京帰還直前の悪夢の六カ月。
公文書Code3-2-8 1
1.
陽射しも幽寂となった秋の夕暮れは、長い階段に朱の絨毯を敷く。
「次の会議では恐らく港区の件も突っ込まれます」
「最終報告書はまだなのか」
「明朝一番には」
「急がせろ。今晩中だ」
カツカツと早足で鳴る複数の足音は、暮色の大気に異様に反響した。
黒革の手帳を読み上げながら先導する中野を率いて、背後には数十名の部下たちが連なって予定を頭脳に叩き込む。
SPが通路の人垣を払い、無線で車の現着を指示、正統な敬礼をする居合わせた職員たちに答礼はなく
愛想を振りまくことはない。
慌ただしい黒の集団が、一斉に階段を降りていった。
「所轄からの報告は」
「まだ連絡がありません」
「使えないな。徹夜させてでも明朝に成果を出させろ」
先頭のSPが薄墨のエントランスホールで入庁してくる職員らを片手で丁寧に遠ざけた。
吹き抜ける秋の乾いた匂いと共に、その職員の最後尾にいた、少し風変りなモスグリーンのコートに、室井はなんとなく目が行く。
「――」
擦れ違い様、視線が交錯した。
昼でも夜でもない曖昧な時間帯の一瞬の邂逅。
随分と、この場に似つかわしくないと思った。
中野が引き続き告げる午後のスケジュールに意識を戻し、室井の目は絡まった視線を車へ、外の警戒へ向かわせる。
足が通り過ぎる。
正面にピッタリに留められた黒塗りのバックドアを、SPが流れるように開いて室井を出迎えた。
滑り込むその直前、室井はなんとなく一度だけ、振り返る。
もう、そこには誰もいなかった。
バタンと扉が閉ざされ、見送りの職員が一斉に頭を下げる横で、中野が助手席に乗り込むと
車は音もなく滑り出した。
「彼は?」
「はい?」
「さっき、エントランスにいただろう?・・・ミリタリーコートの」
「・・ああ」
大きな黒鞄から丁寧に閉じられた封書を取り出し、それを振り返りながら中野は室井に差し出す。
「こちらが先程申し上げた中間報告書です。現場到着まで目を通しておいてください」
「ああ」
「気になりますか?」
「?」
「先程の、彼、ですよ」
問い質すまでの強さは持たぬ視線が室井を見ていた。
強い瞳が胸の襞を鋭利に抉るような、危険な香りを放つ、幼い顔の男だった。歳はかなり若い。
場違いな派手なネクタイと、よれよれのコート。恐らく本庁の人間ではない。
「警察官に似つかわしくない風貌の男だった。見たことのない顔だ。不審者ではないのかと」
「・・・」
中野はじっと室井の顔を見つめ返した。
妙な間に室井が封書の手を止め、急速に冷えた肺を再び温め直す時間に、居心地の悪さを感じた。
暫しの寡黙を作り上げた後、中野は身体を戻した。
「いいえ。所轄の人間です。たまたま所用で来ていたのでしょう」
「そうか」
それきり、この話題をすることはなかった。
2.
再びその彼を見かけたのは、たいやき屋の前だった。
どうしてその彼がこの六本木にいるのかは分からなかったが、あの時と同じコートであることと、隣に一倉がいたから、すぐに目に付いた。
「おう、今帰りか?室井」
「こんなところで何をしている?」
「いや、こいつが、どうしてもたいやき食べたいってごねるからよ」
肘で小突かれ、空かさず隣の青年が言い返す。
「ごねたのは一倉さんじゃないの。食べるなら俺もって言っただけでしょ」
初めて聞いた声は、想像以上に甘く高めの声で、こっくりとした音が室井に耳障りの良さを残した。
一週間ぶりに見た姿形だが、妙に頭にこびりついている。
あの時、一瞬すれ違った、あの青年だと直ぐに分かった。
「お前、一人か?護衛は?」
「もう断っている」
「大丈夫なのかよ?」
「不意を突かれただけだ。相手が来ると分かっているのなら、一人で対処できる」
東京に戻ってすぐのことだった。
室井は霞が関のホームで襲われた。
突き落とされ、腕を負傷したのだ。
退院してからも一週間は、ボディガードを付けられた。
担当事件の管理官になった矢先のことだ。
キャリアではよくある話だ。
「知り合いだったのか?」
何となく聞いたが、その青年は俯き、長めの前髪で目許を隠されてしまい、顔色はうかがえなかった。
代わりに一倉がチラリと青年を見遣るが、さり気ない動きは室井に不信感を抱かせない。
「まあ、な。昔の事件絡みだ」
「そうか・・」
それ以上聞き出したい情報は特に室井の頭には浮かばなかった。
何となく彼の背中を見つめる。
ふと、室井は一倉も彼を見ていることに気付いた。
大雑把で、どこか大胆なところを持つ一倉とは警察学校時代以来の盟友だ。
だが、その彼がこんな繊細な目をしたのを見たことはなかった。
優しい、とは違う、愛しいような、微笑ましいような、慈悲に満ちた眼差しだ。
一倉は面倒見がよく、後輩には慕われている。
そんなに気になる相手なのだろうか。
一週間前と同じモスグリーンのコートに包まる青年は、ふわりと風にそよいで、ステップを踏むように遠くなる。
もう、たいやき屋の店主に夢中だ。
一倉がその様子をじっと見て、今度は室井を見て、小さな皮肉めいた笑みを浮かべた。
また、この視線だ。
「?」
その沈黙は、酷く座りが悪いのに、ここ最近、やけに室井に向けられる視線だった。
問い質したいのだが、何と説明したらいいのかが良く解からない。
そうこうしている間に、青年がたいやきを嬉しそうに受け取る声が室井の思考を遮った。
「どうもね~、ここの旨いから好きだよ」
「まいど~また来てくれよ~」
「気が向いたらね」
ポンポンと、黒のワークブーツで跳ねるように青年が戻ってくる。
どこか子供みたいだと思った。
「熱いうちに食べたいです」
「お!みっつあるじゃねぇか」
「おまけしてくれた」
「お前は本当にその顔に得するなぁ」
へへんと、自慢気に瞳を煌めかせる青年の、愛嬌ある笑みを室井は初めて見る。
長い手足。小ぶりの卵顔。まあるいアーモンドアイ。服装はダサいがかなりの上玉であることに気付いた。
「室井、おまえにやろう」
突然話題を振られ、室井は青年を見つめ続けていた意識をハッと戻した。
見れば、一倉がたいやきを一つ取りだし室井に差し出している。
「喰えよ、折角のご厚意だ」
じっと、青年が室井を見ている。
「結構だ」
「あ、そ」
あっさりと引かれ、室井の手元からたいやきの香ばしい匂いが消えていった。
同時にふたりの視線も室井から離れる。
張り込みの途中なんだと一倉が言い、青年の背中を抱く様に押して、二人が去っていく。
「またな、室井」
「さよなら、ムロイさん」
名を乗せた声が、室井の耳に変な残響を生じさせた。
3.
「人員を補充しておけと言っておいたろう!替えは幾らでもいるんだ!」
帰京直前の、本庁内での連携が取れていない温度差が、室井の指示を空回りさせていた。
人員が足りなくなっている。
「捜一からはもう限界です、徹夜が続いているんですよ!」
「だったら雑用は所轄にやらせろ。そのくらいには使えるだろう」
単なる誘拐事件が殺人事件に発展し、捜査本部は今、方針の整合性も問われていた。
展望が開けない捜査に、不満の声も続出し、無駄な作業に回す人でも相当数に上っている。
だが複数の本部を掛け持ちしているわけではない。
なのにこの様はなんだ。
来春、室井には警察庁への内示が内内密に下りていた。
つまりそれは東京へ戻れることを意味する。
長い広島勤務は、熱心に取り組みはしたが、やはり室井は出世レースに戻りたいのが本音だった。
それが、昔からの夢だった。
同時に警視監への特進も池神の計らいで実現することになっている。
その前哨戦として、腕試しをしてみろと池神から捜査を持ち掛けられたのは、先月のことだった。
もう一度管理官として捜査本部を率いて成績を収め、それを手土産に警察庁長官官房審議官を拝命する。
それが、池神が描いたシナリオだ。
その辺の細かなやり取りは、もう、憶えていない。
「次!鑑識からの報告を!」
一課の若手が手帳を片手に報告を始めるのを、室井は腕を組み、目を閉じて耳を傾ける。
ミスは許されない。
これは、室井にとってラストチャンスなのだ。
***
会議を終えた室井を待っていたのは、また一人捜査員が倒れたいう無残な報告だった。
室井は送迎の車のドアを開けるなり、資料を乱暴に投げ捨てる。
苛々していた。
「・・・今一番見たくない顔だ」
車のドアに腕を乗せ悪態を呑み込んでいた室井の視界に映った男に舌打ちする。
新城だった。
細川に待つよう指示し、一人、近づいてくる。
室井は扉を閉めることはせず、そのまま見据えた。
何で新城がここにいるかは分からなかったが、偶然ではなさそうだった。
「行き詰まっているようですね」
「また嫌味でも言いに来たのか」
じっと室井を見つめるだけの冷たい視線に、室井はドアを乱暴に閉めた。
また、この視線だ。
「港区の殺人事件ですが、背後に暴力団関係者が関与しているとの裏情報を入手しました」
「何故お前がそこまで手を出す」
「手を引けって話では?」
「だが、冗談じゃない。他に方法を考えろ」
「貴方自身、一度狙われたことまでお忘れじゃないでしょう?」
捜査員まで危険に晒す気ですかと責められ、室井は歯ぎしりをした。
警察官は体力仕事なのだ。
特捜が立つレベルになれば、苛酷な捜査になることは分かっていた筈だ。
ノンキャリは何故そこまで手を打たない。
「まだあの事件と今回の事件の一致を見たわけではない」
「いい加減にしてください、みんな頑張っています。今はこれ以上は無理です」
「頑張っている?君はいつからそんな努力信仰になった?」
その後の言葉は続かない。
久しぶりの最前線で勘が鈍っている。・・・違う、チームを上手く動かせないのは室井の能力不足だった。
一丸となるべき温度差が、事件解決への足並みを乱し、公平性にかけさせているのは、もう明らかだった。
いきなり地方から命令してきた中堅に、面白くない者もいるのだろう。
焦りが余計に室井の冷静さを欠く。
「室井さん。貴方が何故このチームに抜擢されたか、考えたことはおありですか?」
何故選ばれたか?
「いや――」
変なことを聞くものだと室井は首を捻った。
堂々巡りに散らかっていた思考が一旦閉ざされ、冷たい秋風が肺に入り、室井は乾いた口唇を尖らせる。
辞令は上が勝手に決めるものであり、能力のある者から適当に選抜される。
そこに意味などない。
運が悪い者は、消えるのみだ。
それとも新城には池神の企みが漏れているのだろうか。
警戒を含ませたやり取りは、キャリアの基本だった。
室井は声を落とす。
「随分と叙情的なことを思うんだな」
「もう少し、周りを見ないと足元を掬われますよ」
「付いてこられない人間は、必要ないだろう?」
室井の言葉に、新城はただつまらなそうに鼻を鳴らすだけだった。
速やかにチームを指揮し、鮮やかに解決に導く。
そうしてこそ、捜査本部長としての実績が評価され、御眼鏡に適うのだ。
なのに、現実は誰も有能に動いてくれない。こんなことは初めてではない。
ずっと昔も、こうやってどうにもならないノンキャリの無能さと、エリートキャリア連中の蔑みに堪えることばかりだった。
東京は、室井には世知辛い。
あの頃は結局どうやって結末を迎えたんだったか。
どうせ、優秀な人材は他の捜査本部に捕られ、カスが室井に送り付けられているのだ。
東北出身が何だって言うんだ。
「絶対上に行ってやる」
行って、地方出身でもそれなりに出来ることを証明するのだ。
捜査は、本当に実力と経験のあるものがやればいい。そのための経験値を、稼ぐのが今の自分の使命だ。
あんな片田舎には二度と戻りたくない。
室井はもう一度息を吸い、新鮮な空気で頭を入れ替えると、車に乗り込んだ。
先に乗り込んでいた中野が目線で合図し、運転手はアクセルを踏む。
だが、新城にしては随分と人間っぽい言葉だったと今になって思った。
彼はあんな物言いの出来る男だっただろうか。
エリート坊ちゃんにしては、珍しい言葉だ。
「・・・」
実際、捜査が行き詰まっているのは事実だ。
新城が言うことなら全てに反発したいところだったが、室井はここは引くことにした。
騒ぎを大きくして上の耳に入れば、出世のシナリオに関わる。
4.
「室井さん、郵便物はここにまとめておきます。入庁チェックは通ったものです。が、開封までは」
「そこまでやってくれないか中野くん。時間がない」
「よろしいので?」
「もう少し、資料を読み込んでおきたい」
「承知しました」
現場百辺、警察学校ではそう教わった。
そんな教科書に載っているような教訓を未だ信条にしている者はいない。
それは一課の人間に任せておけばよいことだ。管理官のやることは、事件を多角的に見て、解決に導くスキル。
つまり情報だ。
室井は唸りながら捜査ファイルを手元に引き寄せた。
「開封したものは部署ごとに選別し、ここに並べておけばよろしいですか?」
「急ぎでなさそうなものはそこの引き出しにでも仕舞っておいてくれ」
「それも私が判断を?」
老眼鏡の奥から室井が目線を上げる。
中野は室井が東京にいる時には、こうして室井の腹心となり世話を焼いてくれる、数少ない部下だった。
時を経て、それなりに出世し評価も高いが、上も、偏屈な室井に適合する人材は中野くらいだと思っているのだろう。
また、こうして顔を合わせた時は、室井は少なからず嬉しく思ったものだ。
「君の判断を信用している」
「それは知りませんでした」
軽口を返してくる中野が目だけで哂う。
背も高く、清潔で誠実そうな印象を持つ男だ。
無駄にギラギラしていないところがいい。
頷き返し、室井は資料に目を落とした。
しんと静まり返る部屋に、中野が段ボールや手紙を開封する紙音だけが聞こえてくる。
室井は何度も読み込んだファイルを広げ、パソコンにデータを打ち込んだ。
カタカタとキーボード入力の音が混じる。
地道な作業は、嫌いではない。
努力することに、時間をかける。
そうやって室井はここまでやってきた。方法が間違いでも、室井にあるのは自分の力だけだった。
この中から何か接点や突破口を見つけなければならない。
「ッ」
突如、鋭い息を呑む声が聞こえ、室井はハッと顔を上げた。
目の前で封書を整理していた中野が立ち上がり、腕を押さえていた。
室井は瞠目する。
その指先から鮮血が迸っている。
「どうした」
「室井さん、これッ」
中野が指す視線の先には、半分まで開封された封書に血が飛び散り、そこに鋭利な銀の刃物が見えた。
「開けようとしたら」
「切ったのか」
空かさず室井は内ポケットからチーフを取り出し、封書を手に取った。
封書の上部にカッターがの刃が剥き出して貼りつけられている。
宛名は一課宛。
差出人の名前は、裁判所の記載。
だが、これを開封できる人間など限られる。
「く・・、は・・・ァ、」
「おい、大丈夫か」
「すみませ・・、くるし・・・」
中野の額に汗が浮き出ていた。
「これか・・?」
チーフで包む手元の封書に室井が瞠目する。
軽く嗅いでみるが、特に不審な異臭はない。
だが、薄っすらと油のようなものでテカっている。新品と言えばそれまでだが――。
「ぅ・・、ハ・・ッ、ぁ・・」
中野が胸元を搔き乱し、膝から崩れた。
ソファに横倒しとなる顔は蒼白で、息が上がっていく。
「すぐに鑑識を呼ぶ・・!」
自分のミスなのだ。どこかで一手を誤った。

BGMはbacknumber「エメラルド」
この曲聴いた時から室井さんの曲だと思ってた。
青島くんの記憶がない室井さんは下衆。