ショートショート~お
ねがいキスして10題
15000HIT記念にキスキスキス!「おねがいキスして」/「すれ違う両想い」から一つずつ組み合わせて5つの小話を。前作に合わせ
5題連作。
時間軸は未定。登場人物はメインに室井さんと青島くん。そして日替わりでゲスト5名。今回は二人の視点を入れ替えます。付き合ってい
る甘々設定。
終了ジャンルでFINAL後に立ちあげたサイトですのに今年7年目を迎えます。感謝を込めて。5作完成。2020/2/24~2020/3/15
01.
恋人のキスをして(ギリギリまで錯覚させて)

職員専用ロッカーを開けた途
端、ドサドサと足元に乱れ堕ちた紙屑に、青島は冷めた目を送った。
紙屑――そう称するのは少々あまりにあんまりな代物だ。
「あらあら今日も大量ねぇモテ男さん」
隣からすみれが覗き込んで通り過ぎるのを、青島がジト目で応戦する。
湾岸署のロッカー室なんて、ないも同然の男女共用廊下兼更衣室だ。
「うれしくないよ」
「ソレちゃんと片付けておいてね」
「それも俺の仕事なの?」
文句も面倒そうに行ってしまうすみれの背中に、慌てて青島も足元の紙屑を無造作にまとめて近くのごみ箱に投げ入れると、コートを乱暴にロッカーに詰め込ん
だ。
ロッカーのドアからコートの袖がはみ出ているのなんて、青島にとってはそんなの些細なことだ。
「そろそろ止めてくださいって張り紙したらどうかな?」
「そんな警告で留まってくれるなら、放っておいてもそのうち飽きるんじゃない?」
「もう何か月だっけ・・・?じゃあ監視カメラ付けちゃおうか?」
「実費でね」
「不審者かもしれないんだしさ、労働者の安全確保も大事だと思うわけよ」
「本店には通用しそうな理屈だと思うわ。室井さんに相談したら?」
一応関係者なんだし、と付け足して珈琲を啜るすみれに不満げな顔を向け、青島は酸化した珈琲を手に取った。
室井になんて相談するわけがないと分かってのすみれの応酬だ。
言い返す元気もなく、青島はすみれに並んで冷めた珈琲を口に含む。
湾岸署刑事課は久しぶりに和やかな朝で、今はすみれと青島の二人しかいない。
「言うわけないでしょ」
「・・・聞き飽きた言い訳ね」
すみれが、くしゃりと小突いた動きで、ストレートの黒髪はふわんと青島の肩に触れた。
二人が紙屑と称するそれは、主に青島への悪口や謂れなき誹謗中傷の書かれた嫌がらせの手紙や写真・張り紙だ。
ここ半年くらい、ずっとだ。
朝来るとロッカーの中に仕込まれている。当然夜勤の日はない。
デスク回りにされたこともあり、青島自身そろそろ辟易としていた。
雑誌や書籍から切り抜いて作られた今どき古風で奇怪な文字列は憎悪と憤慨と蔑みが入り交じっている。
差出人は不明だったが原因には心当たりがあった。
“室井警視監に近づくな”“身の程知らず”
副総監誘拐事件以降、室井の評価は主に外からの指示を獲得し、一部の上層部を除き伝説級となっている。
次期総監候補とまで言わしめたあの時の無線で反旗に扮した室井の英断は、どっちつかずだった多くの傍観者らの正義を撃ち抜いたらしく
支持層は爆発的に膨れ上がっていた。
意識朦朧としていた青島を運ぶ車は敬礼する警官らで見送られたと聞く。
表向きにはその後も左遷、降格を繰り返す不名誉な処罰を受けたにも関わらず、それを甘んじて受け入れる室井の姿に経営者たる資質を見たらしく
その支持基盤は粛々と揺るがぬものとなっていき、つまりは、その嫉妬の対象として、どうやら青島が傍に居るのが気に喰わない連中が湧いているらしいのだ。
あの事件で表沙汰にはならなかった青島の存在を知っているのだから、当然犯人は内部関係者ということになる。
「青島くんだもんね、言えるわけないよね~」
「かっこわるいでしょ」
「言ったら室井さんが傷つくと思ってんでしょ。計算が丸見えよ」
すみれの指摘は手厳しい。
だが唯一この事態を相談できる相手とあって、青島も心を許してしまう。
「お仲間が増えるってのを邪魔することもないでしょ」
「よくあんな目にあって、まだあの男を信じる気になれるわよね~。何が切欠?」
すみれの視線がサッと青島の腰辺りに向かう。
「妄信しているわけじゃないよ」
「言葉足らずで無神経で。あんな強面に懐きたがる気が知れないわ」
「迷惑だよね」
「どうせまた二人で呑みに行くんでしょ」
珈琲を頭上に掲げて首肯してみせれば、すみれは呆れたように肩を竦めた。
聞いてられないと言わんばかりの顔は、もう一度刺されてみればという意地悪も入っている。
むぅっと睨み顔を向けるが、ばっさりと青島を切り捨て、すみれは青島を置き去りにデスクへと戻っていく。
悪かったですねと、青島は頬を膨らませてそっぽを向いた。
*****
透明の液体が入った盃を口許に運んでいた室井の手が一瞬止まった。
だが、次の瞬間には何事もなかったようにゆっくりと余韻を味わい、飲み干していく。
室井とこうして酒を共にする機会が増えたが、何を語るでもない男をこうして眺める時間が青島は好きだった。
無駄のない室井の仕込まれた所作は美しい。
指先一つまで意識が澄み渡り、見る者を一瞬で圧倒する美学がそこにはある。
「また傷が増えてる」
「好きで作ってるわけじゃないよ」
青島だって普段からおしゃべりな性質ではない。強請られれば会話を続けるし、望まれれば進行役だって請け負える。
だが公私通じて陽気なわけではなかった。
室井は青島に何らかの役目を求めない。だから周りが思うほど二人の会話は弾まない。
黙ったまま、食事が楚々と進んでいくだけの、それだけの時間だ。
何者でもない素を曝け出せるというのは、とても気楽だった。
「インゲンは好きか」
「なんで」
不意に問われた言葉に、青島は肘を付いたまま、酒でほんのり赤らむ頬を艶冶に緩ませる。
「箸が進んでいるからな」
すっげぇ観察眼。
食えぬ男であることも、青島を満足させてくる。
その切れ長の、色も持たぬ冴えた目で、いつ検眼していたのか。
ってか俺を取り調べてどうすんの。
確かに室井には、そうやってギリギリの導火線をふたりで握り合っているような鋭い緊張感が同時にあった。
そうでなければ、この安息感もまた得られないパラドックスが青島の中にはある。
「室井さんはさっぱり系が好きでしょ~。辛口ね。それと醤油派。それとも歳でこってりしたものは受け付けなくなった?」
「馬鹿言え・・」
「俺のことは食べないの?」
口パクでさりげなく付け足された言葉に、地を這うようなざわめきが忍ぶ薄闇の店内の漆黒の瞳が凛と灯ったのが分かった。
いつだったか、この男の一生懸命に嘘はないと青島は確信した。
すみれには笑われるかもしれないが、そこに理屈なんかなかった。
頑固で融通が利かなくて、頭でっかちだけど、抱えているものの多さに潰れない。
だったらそれを、地の果てまで確かめてやろうと思ったのだ。
「あんま焦らしてくれてっと、俺から襲っちゃうけど?いいの?」
他の客には聞こえないように吐息のような声で甘ったるく囁く青島に、室井の手がコートと伝票を取り上げ立ち上がった。
「チェックを」
近づいて来たボーイにそう告げると、室井は参ったなという顔で肘を付いている青島を見下ろしてくる。
たーんじゅん。
箸を持った時と同じ楚々とした手は、甘やかすようにくしゃりと青島の頭部を掻き回した。
「出るぞ。続きは帰ってからだ」
ぷはっと吹き出した青島も、はぁい、と言ってコートを取り立ち上がった。
外は凍えるような寒さでも、きっとその頬はあったかい筈だ。
「今日は俺からキスしてい?」
「もう黙っておけ」
早くふたりきりになって、恋人のキスをしたい。
触れて、体温も匂いも独り占めして、時間を独占して。
甘く器用な手に導かれる陶酔の時間に、この男の全てを搾り取って焼き付けたい。
いずれタイムリミットが来る恋だから、ギリギリまで恋を楽しむのだ。
室井が警視総監となる、その日まで。
20200224
02.
忘れられないキスをして(二人の間には、いつも)

目の前に座る脂ぎった男の視線に吐き気のような憤怒を覚えながらも、室井は眉一つ動かさなかった。
座り心地の良いと評される椅子がゆるりと回って、池神が腰を上げる。
「来週末、山形の方に出張に行くことになってね。その手配をお願いしよう」
そんなものは直属の部下、秘書にでも頼めばいいことだ。
わざわざ呼びつけ室井に言うからには、一緒に来いという下心を内包しているのは明白だった。
当然、宿泊する部屋は一つだ。明細上も事実上も。
「今特捜を三つ抱えております」
やんわりと、室井は辞退を申し上げる。
それが気に喰わなかったのだろう、池神はコツコツとわざとらしい音を立てて室井の前にまで近づき、腹をふんぞり返らせて止まった。
皺がれた黒い指先を室井の面長の顎に宛がい、上向かせる。
「そんなものはどうとでもなるだろう。今の君なら」
今の――。評価も上がり支持も増えた今の室井の立場なら、多少の無理も押し通せということだろう。
なにが“そんなもの”だ。
捜査は我々警察官のメイン業務だ。
いい加減なことをしていたら、それこそ所轄に示しがつかない。
池神の思惑とは別の所で、可愛がっていた部下が注目された嫉妬も多少はあるに違いない。
それが妬みとなって室井に無理難題を押し付け、困る様子を高みに見物することで征服欲を満たす。
特捜を直接統括するのはもう少し下の地位の人間なので、そんな彼らの前で恥を晒してみろという驕慢もあるだろう。
重々しく言葉を発する池神の脂ぎった目線は、じっとりとした嫌な気配を持ち、室井の顎を持ち上げたまま、上から下へと舐め下りた。
それを室井は拳を硬くすることで耐える。
「誰が君を昇格させてやったと思っている?こちらの恩を忘れる君じゃないだろう」
「無責任なことは出来ません」
この春、室井が警視監に昇格させてもらえたのは、警察庁長官となった池神の計らいによる。
理由はなんだっていい。この世界では肩書が全てだった。上に登れるのなら、綺麗事だけでは済まされないこともある。
信念にさえ恥じなければ、室井はある程度の汚辱は承知しているつもりだった。
やることをやらずして正義を吐いても意味がない。
それを教えてくれたのは、たった一人の室井の――
別の人間のことを考えていたことがバレたわけではないだろうが、不意に池上の目尻が下品な笑みに変わる。
フッと耳に生温い息を吹きかけられ、室井は顰めた。
「いいだろう、ならば取引だ」
「――」
キャリアの中では情報が物を言う。
誰を出し抜くにしても、誰に足元を掬われないためにも、事前の情報が杖にも盾にも変わる、尤も友好的なカードとなる。
室井がこうして池神を切れないのも、狙いはそこにあった。
同時にそれは池神本人にも言えることで、室井を常日頃から監視し、支配下に置かれていることは室井自身納得の上だ。
マーク・陥落させることで、得られる権力者としての勢力図は、よほど旨い汁が飲めるのだろう。
いっそ、価値があると思われている方がマシなのだ。この世界では。
室井を弄ぶように見つめながら一周するその一連動作を、室井の目はつぶさに見つめていた。
「組織信仰に熱心な君のために、実は所轄を張らせている」
室井の目が僅か、見開かれる。
鼻が突き合うほどに、顔を寄せた池神の目が卑しく細められた。
「所詮庶民だと馬鹿にしていたが、写真で改めて見る限り中々の色男じゃないか?」
「なんのことでしょうか」
「そこが君も気に入ったのかね?それともあの破天荒な気質にマゾヒズムでも目覚めたかね?」
「・・・関係ありません」
「ああいう勝ち気な優男はその手で啼かせてみたくなるものだ。男なら」
「――長官」
「見張れとは言ったが、その後の具体的な判断は君の好きな“現場”に任せてある」
「!」
くそタヌキが!!
室井は至近距離で舐めるように自分を見定める男に険しい侮蔑を送った。
その赤らむ顔に池神はまた嬉しそうに含み笑いを返す。
青島が誰かに付けられていることには気付いていた。
池神は無論室井も公安にマークさせているので、その時はどちらの尾行かまでは判然としなかったが
先日の食事でうろちょろしていた目障りな連中は、池神の差し金か。
「男は多少の火遊びもしておいた方が良い。私もそこまでは口を挟まんよ。ただし――裏切るな」
チリチリと焼き付くような視線が二人の間で短くショートする。
「辛いのか不味いのかも言わない堅物が、たった一つの名前でこんなにも花開くとはねぇ。その顔で彼と寝るのか」
こンの、クソ下衆がッ!
室井は心の中で口汚く罵った。
****
どうせ期限付きと思われている。
だが、今だけでも青島が隣にいてくれるのであれば、室井には満足だった。
今は独り占めできている。青島は他の誰のものではない。少なくとも今だけは。
「どしたんです、急に」
吹きさらしの公園ベンチで、両隅に座りながら二人は正面を向いていた。
春めいた風はまだ少し冷たい。
青島の長い足が横柄な仕草で膝の上に組まれる。
何を言うこともなく、室井が胸ポケットから取り出した写真をスッと音もなく青島の視界に翳した。
その時のリアクションを横目で盗みながら、室井は写真をまた懐に仕舞った。
「何故俺に言わない」
「なんでそれ、あんたが持ってんのってこっちが聞きたいですね」
「質問に質問ではぐらかすのが君のやり方か」
呆れたように青島が眉尻を下げて、顔を崩した。
急に呼び出しておきながら、色気もない会話をする室井に呆れた様子もなく、青島は頭の後ろで腕を組んでそっぽを向いた。
透きとおるような春の青空にぐんと伸びをするようにしなる背中は、嬌艶な夜を匂わせ、美しい。
「暇な人っているんですよ~」
室井が見せた写真は、最近の青島の嫌がらせを治めたものだった。
ロッカーの惨状から、デスク回り、尾行されている様子まで、写真は克明に事実を示している。
青島はふぅと息を吐くと、室井の好きな悪戯な瞳を向けた。
「バレてないと思ってました」
「気付いているに決まっている」
「げぇ」
「実行犯の予想は付いていないが、出所くらいはつかめた」
「やっぱ、そっち?」
「ああ」
ぐしゃぐしゃと青島が髪を掻き回す。
くっそぉと不満が漏れてくる辺り、青島が一人で解決しようとしていたことが伺えた。
そんな気遣いを微笑ましくも愛おしくも思う室井は、分からぬ程度に頬を緩ます。
「どうする。証拠を掴んで破滅させるか」
「えっ」
「それとも直接制裁を加えるか」
「えぇっっ」
直球で本題に入った室井に、青島が間の抜けた顔をした。
「あんたって、ほんっと俺んことすきだよね」
「どうしてそう思う」
「見てりゃわかります」
室井は折り目正しく座っていた姿勢を崩し、膝の上で指を組んで青島に流し目を送った。
青島をこの恋に付き合わせる罪の意識は、長らく腹の底に居座っている。
だからこそ意地も矜持も悟られることも厭わずに、室井は青島には関わることを選ぶ。
忘れないように自分を彼に刻み付けておきたいからだ。
罪の証を青島に遺せるのであれば、それが傷だろうと刻印だろうと、室井にとってはどうでもいいことだ。
「俺に、会いに来たんでしょう?今日も」
「生意気だな」
「その男前に惚れたのはあんたじゃん」
二人の視線が陽気な太陽の陽射しの蔭りに、しかと絡み合った。
見つめ合う先にあるものは、お互いに見透かされた本音だ。
こうして古びた木製のベンチに座り込んでいたって、その時間を捻出してくる室井の心細さを青島はちゃんと気付いている。
いつか青島が離れて行ってしまうのではないかと懼れ、いつか見限っていくのではないかと怯えるその弱さを
俺のことを忘れられなくさせてやりたい、そんな狂ったことを考えていく自分も、そして
毎日穢れていく自分を戦う姿だと湛えてくれる瞳の透明さに後ろ暗い勇気を貰っていることも、皆、室井の生きる誇りだ。
未来が破滅の色でやって来るとしても、その結末は青島がいい。
「すまない」
「うーそ。あんたのそーゆーとこに付き合うのも俺の役目でしょ」
青島が肩を竦めて明後日の方角を向いた隙に、フッと笑った室井が視線を外す。
「攫われるなよ」
「そう簡単に行きますかばか」
そっぽを向いていた青島の視線が一瞬だけ室井を映す。
室井も視線を向ける。
次の瞬間、身を寄せたのは同時で、二人はベンチの中央で口唇を合わせた。
20200229
03.
内緒でキスして(冗談にして逃げないで)

「また、君なの」
うんざりとした顔で青島が振り向くと、電信柱の奥から影が一つ現れた。
すっかり見知った声となったその人物は、今日も張り付いた笑みを絶やさず営業熱心だ。
「そんな暇なら人材寄越してくださいよ、こっちに」
「強引な男はお嫌いですか?」
「あんたのその要求が現実味ないって言ってんの」
待ち伏せられるのはもうこれで何度目か。
夜毎、新木場駅までやってくるこの男は、本庁刑事部捜査二課所属だと名乗った。
下っ端だと謙遜して笑っていたが、青島に言わせれば所詮エリート刑事じゃないか。
「で?御用は何?」
「返事貰おうと思って。俺と付き合う決心は付いた?」
「どこかでお会いしましたっけ?」
「付き合ってからゆっくりと知り合えばいいじゃないか」
男の目が青島の並外れた肢体を舐め回すように一度だけ視姦する。
「本気なんだけどな」
「男同士で」
「偏見、ないんでしょ?」
言い切る目は一片も笑っておらず、貼り付いた笑みだけが男の不気味な下心を街灯に潜ませる。
口ぶりからは、室井との関係を匂わせているとも取れた。
「変なハナシ。別に俺んこと、好きじゃないじゃん」
「君も最初から愛をどうこう言いますか」
蒼さを指摘されたようでカッと赤らみ、青島が思わず口を噤む。
「そういうとこ。割と疼いているんだけどねぇこっちも。君、隙だらけじゃんか」
「うっせ」
ふっと視線を泳がせれば、男の淫奔な眼差しが青島の肌から胸の奥までを凌辱した。
均整の取れた青島の肢体は、その研ぎ澄まされた醇美に多くの目を惹き付け、本庁内でもその豊潤さと性格のギャップが話題になることは多い。
そんなことを知らないのは青島本人くらいであり、気の強さから手懐けてみたくなるのは、ことキャリアを目指そうなんて思う連中には、当然の成り行きと言え
る。
本能を刺激する何かを持ちながら、無垢なまま、青島はその目前で男を狂わす肌をただ熱らせる。
青島だって営業畑出身であるからには、口負けるのは歯痒いというよりプライドが許さない。
勝ち気に奥歯だけを噛み締めた所で、キャリアの舌車はいつだって問答無用だ。
「だったら俺の配下になれよ。カラダに教えてやる。所轄なんてつまんないとこで燻ってないでさ、一緒に警察を変えようってのはどう?君にはこっちの方がク
るんじゃない?」
「これ、引き抜きなわけ?」
呆れた口調で青島が嘯いても、男は面妖な色を湛えるだけだった。
何も分かっていない男に、青島はただ憐みを覚える。
「青島さんが嫌なら室井さんとこ行くけど?」
「あのひと本庁だけど?」
「問題ない」
「そゆこと」
ゆっくりと近づいて来た影は青島の手前で止まった。
高級スーツに身を包んでいるが、どこか似つかわしくないのは体格のせいか。それとも新参だという身分のせいか。
張り付いた笑みを尚浮かべながら男は上から青島を覗き込んできた。
背は割と高いが、モテなさそうな顔だ。
「こっちは別に室井か青島が俺に落ちたっていう証拠が欲しいだけなんだよね」
こいつか。
合点がいって、青島の瞳が凛と光る。
先日、嫌がらせの元凶が本店サイドだと室井からリークされていたし、時同じくしてアプローチしてくる男に奇妙な符号を考えないわけがない。
ただ証拠がなくて大人しくしていただけだ。
まさかこんなエリート男性だとは思わなかったが、陰湿なやり口は確かに上の選びそうなことだった。それをこういう微妙な年齢の若手にこんなことを命令する
こともだ。
恐らく今この瞬間もどこかで盗撮されているのだろう。
「でもね、俺は青島さんの方が好みだな。その気にならない?」
「ならないね」
正直、この手の野心剥き出しの男は、青島は嫌いではない。
室井もそうだが、男はそれ相応の覚悟と挑戦がなければと青島は常々思うからこそ、空調の効いた部屋でうだつのあがらないキャリア連中に苛立ちだけが残る。
でも、そういうことじゃないのだ。
青島が夢見た未来は室井とでしか叶えられない。室井でなければ意味がない。そしてそれは今となっては私生活全ての時間を費やすことも含んでいる。
勿論室井と同じ信念を抱く他の誰かが存在するのなら、仲間として迎え入れるだけの器量はある。
「諦める?」
青島がニヤッと口端を持ち上げれば、モスグリーンのコートが緩やかに空気を包み、その光景に男はただ沈黙で応えた。
俺だって頑張りますけどね室井さん。
室井との仲を公然と認めるわけにはいかない。代償となるのなら、こちらが堕ちるくらい青島にはどうってことない。
「で?そのネタ、どうすんの」
「君は自分の価値をあんまり分かっていないようだね。・・・室井さんと違って」
「そんなもので手に入れるものなんて、意味がないよ」
「所轄はそうだろうね。覚悟のない連中の集まりだ」
青島は徐に男のネクタイを鷲掴んだ。
引き寄せ、見せつけるように男の口唇に長い長いキスをする。
長い首筋が妖艶な影をもって月光を反射し、濡れた口唇が男のざらついた口に押し当てられ、それは一つの絵画を作り出した。
「ッ」
「これに懲りて、オトコ誑かそうなんて思わないほーがいいよ、お・じ・さ・ま」
とん、と肩を押してやれば、男は足元をふらつかせ、よろけた。
初心に染めた頬には元々性的な覚悟があったかどうかすら読み取れない驚愕した色が浮かび、遊び半分だったのか出世に魂を売っただけなのか
男に奪われた口唇に黙り込む。
睨み合う均衡に、夜の都会は無粋な真似はしなかった。
腕で口許を隠し、睨みつけるような目線で青島を睨むと、男はやがて背を向ける。
走り去っていった影が闇に混じる頃、残された青島には、まだ冬の匂いが残る風が冷たく通り過ぎた。
*****
「まだ続いているのか、例の騒ぎは?」
「べぇっつにぃぃ~?」
室井宅のソファにまるでこの部屋の住人であるかのように座り込み、時計雑誌に夢中で生返事を返す青島に、室井が背後から腕を回す。
神経質な指先で形の良い耳を擽り、顎に指先を絡め、くいっと持ち上げると、室井は上から甘いキスを与えた。
「本当だろうな」
「また取り調べ?」
「どうせ取り調べるのなら身ぐるみ剥がすところからだ」
軽く口唇を尖らせキスの続きを強請る口唇に、室井は啄むだけのキスを落とした。
お互い警察官で、不規則な生活を強いられる身としては、こうして二人きりでどちらかの部屋で逢引きをするぐらいが関の山だった。
12時解禁で訪れるこの退廃的な時間が、二人にとって何もかもを忘れさせてくる安らぎの時間でもある。
尤も、それすらも無粋な呼び出し電話に邪魔されることも多い。
「今日は積極的ですね」
「焦っているように見えるか?」
つまらない睦言を言い合いながら、室井の指先が青島の襟足から潜り込み、胸元を弄り始める。
元々第三ボタンまで外れている青島の着こなしは、ネクタイすらあまり意味をなしていない。
背後から愛撫されるままに、青島は顎を反らしたまま室井の口唇をもっとと求めた。
「ねぇ、どこか遠出しましょうよ。内緒で。・・・たまにはデートっぽく」
室井の口唇が青島の額から瞼へ、そして頬へと下りた。
その指先が奥深くまで入り込むと、青島は少しだけ身動ぎ、息を途切らる。
相変わらず感度の良い躰に、擦り合わせていた室井の口唇が笑みの形を象った。
「誘われているのか?」
「ヤらしいこと考えたでしょ」
「違うのか・・・?」
ネクタイをシュッと解かれ、青島は雑誌を手放しながら、ちがわない、と掠れ声で笑う。
室井の手は淫靡な熱を持ち、すっかりとボタンを外されたシャツを残し、スラックスの上から青島の股へと降りた。
強請るように薄っすらと内股を開く仕草に、室井の身体にも甘い熱が交じり合う。
「ぁ、ん、はぁ・・・、・・っ、むろ、ぃ、さん・・」
室井が敏感な胸の突起も併せて嬲ってやると、青島の背筋が不規則に軽くしなる。
上向いた隙に、今度は室井は深く口付けた。
喘ぐ息ごと飲み干し、奥深くまで舌を差し込んで、甘く弱いところを擽ってやれば、呻くように喉を鳴らす仕草に、雄の欲望は容易く刺激されると室井は思う。
きつく閉じた青島の目尻と、切なげに寄せられた眉が色っぽく、頬は朱に染め上がった。
室井の手で変化する妖艶な嬌態に満足を覚え、もったいぶる動きで息継ぎのための猶予を与えてやると、青島はうっすらと瞼を震わせた。
「俺、あんたのこと泣かせてみたい」
切迫した息遣い、きつい口接のため涙目となった潤む瞳、淫らに開いた脚の長さに、室井は視界から劣情させられる。
「おまえ、そんなに俺を挑発してどうしようというんだ」
生意気なことを濡れた口唇に乗せながらも、気怠く室井を引き寄せようとする甘い腕に誘われ、室井は青島の方へと身を倒した。
背後から耳朶を軽く甘噛みしながら、うなじを辿り下り、反応を始めた若い下半身と、室井のせいで腫れあがる胸の突起を同時に玩弄すれば、喉から洩れる声音
にまた煽られる。
押し殺す息が熱を孕み、怺るままに反らされた青島の長いうなじに、室井は舌を這わせて瑞々しい肌を存分に堪能した。
「こんなにヤラしい躰をしているくせに」
「そうしたの、あんただろ・・・」
「おまえは俺の手でゆっくりと変わっていけばいい」
傲慢なことを室井が口にするときは、大抵が切羽詰まっているか煮詰まっている時だ。
それを知っている青島は、室井の手に躰を委ねながら過敏に反応を返し、すっかり素肌となった上半身で室井の首に両手を回して室井にしがみついた。
僅か背筋を反らす格好となったまま、ソファ越しに自分を味わう男に、青島は室井の頬にキスをする。
「おれ、殺されるなら、あんたがいいな」
「それが答えだと思っても?」
「お好きなように」
室井が軽く身だけ起こし、青島の腕から逃れると、ザッとベストを脱ぎ捨てた。
ソファを跨ぎ、青島に覆い被さる。
「俺だって、最初からおまえ一択だ」
躰に圧し掛かるようにして膝を割り、既に重力に逆らうことを放棄して膝折れている青島の瞳を室井の真摯な瞳が見つめる。
次の瞬間、気付いた時には止めようもない激しさで互いの口唇を重ねていた。
強く擦り合わせ、何度も角度を変え、溢れる唾液を飲み干し、深く奥まで探り合っていく。
口付けに没頭する青島の腕が無意識に室井を引き寄せ、重そうに何度も室井の短髪を掻き混ぜてくる。
そんな他愛ない仕草にさえ、室井は苛烈なほどの性感を刺激された。
「どんな汚い手を使ってでも放さない」
少しの息継ぎを許した後、再び噛みつくように室井はその口唇を奪った。
20200302
04.欲望だけのキスをして(君が届かなくなるその前
に)

「山形への出張手配を頼みたい。二名分だ。それと内密に頼んでいた案件はどうなった」
「湾岸署の件ですね」
室井の言葉に素早く真意を察した中野は手元から数枚のレポートを差し出した。
池神が本当に適当な見張りだけを命じる筈はないし、それを受けた部下もまた池神の真意がそこにないことくらい判る筈だった。
出世や佞臣を狙う人間の媚など、単純だ。
「ありがとう」
受け取ったレポートをパラパラと捲り、室井が険しい表情で目を通していく。
その鋭い視線に中野の顔も引き締まる。
この密事を室井が中野に依頼した時、中野はどこか躊躇う素振りを見せた。
当然だった。
室井と青島の関係は公然の秘密であって、こうしてあからさまに頼んだことなどかつて一度もなかったからだ。
だが中野は何かの危機を察したのだろう、大きく頷いて見せた。
勘の良い男だった。
「私が調べた限りでは室井さんのご想像通りでした。他にも幾つか気になる点が浮かびましたので最終ページにまとめてあります」
中野が言う最終欄には、箇条書きで不穏な動きを見せる人物の氏名と肩書が写真付きで列挙されていた。
本当に使える男だ。
青島もそうだが、勘の鋭い男は感受性も豊かで鼻が利き、柔軟性も高い。
恐らく室井と池神との関係も薄々気付いているのだろうが、それを中野が口にしたことはない。
室井が断れない理由も、部下として把握・尊重してくれているのだろう。納得しているわけではないだろうが。
「ただ、実際に表立った動きはしてこないと思われますが」
「情報で陥れるつもりか」
「恐らく」
こちらが下調べしていることを勘づいている可能性を指摘し、中野が警戒を洞察する。
室井も低く喉を鳴らした。
青島の周りで不穏な動きがある。
だとしたら、あんな写真如きではない何かが既に動いている可能性が高い。
つまり、青島を本気で捕りにきている連中がいるということだ。
まさかとは思うが、キャリア連中が出世の土産に利用する中で、青島自身に多大な付加価値を齎しモーションをかけられると面倒だ。
本人の意思を越えた所で実害が出ることは避けたい。
また盗聴器などを勝手に仕掛けられてもアレを説得するのは室井には至難の業であり、極力刺激しないで欲しかった。
本庁と所轄の弊害は、恋人となった今でも大きくのさばる。
でも恐らくもうそんなことを言っていられる状況でもないのだろう。時代は必ず動く。
「次はどうするおつもりですか。私に何かできることがあればお申し付けください」
ピッチリと30度の角度で敬礼する様子を、室井は穏やかな目で見返した。
青島もこのくらい従順で物分かりの良い男であれば室井も苦労はしない。
でもそこが可愛いのだから、そんな青島がいい自分も始末におえないと室井は自嘲する。
室井にとっては青島が一番で、青島の機嫌を損ねることだけは勘弁してもらいたかった。
正直、説得するカードがないのだ。
キャリアと違って、青島は損得では動かない。
浅く吐いた溜息に気付き、中野がどうかしたのかと目線を上げた。
「いや――。君は、そうだな、池神のような男をどう思う」
恐らく初めて、室井が池神の名を直接口にしたことで中野が瞠目した。
だがそれは射し込む光の加減によって遮られる。
「強かとでも言えば本人はご満悦でしょうね。でもそれは貴方が求めるお答えではありませんよね」
「警察に必要かどうか、だ」
「警察官である限り国民の模範となるよう節度ある行動を心掛けるべきだ」
中野は怒りにも似た鼻息で背筋を反らした。
だがその正義感溢れる言葉は、今は室井自身をも貫く。
「ならば、私も同罪だと言える」
「!」
「ルール違反は承知している」
室井の告白と嘆息に数多を悟った中野は、少し慌て、それから重い口を噤んでみせた。
同じように青島へ邪な感情を抱き、それを押し付けている自分は、池神と何ら変わらない。
本当の悪は笑顔の中にある。
元々池神は手段を択ばぬ男だった。反面、自己保身も強いタイプだったので秘密裏に関しては安心していた。
池神にとって、今、相当青島の存在が邪魔のようである。
人の執着とはこんなにもみすぼらしいものなのか。
「その・・・、失礼を承知でお聞きしたいことが、あります」
「・・なんだ」
「興味ではなく、今後貴方を護る第一部下としての質問です。・・・室井さんと青島さんは、その、」
だがその先の言葉を探しきれず、中野がしどろもどろに言葉尻を濁した。
チラチラと視線を彷徨わせ助けを求めてくる気遣いに、室井は静かに助け船を出してやる。
「君の、想像通りだ」
「!」
やっぱりという目が大きく見開かれ、中野の口は塞がれた。
裏切りに等しいことには違いないだろう。
だが、中野は何やら一人で悪態を吐いた後、すぐに背筋を正し、真っすぐに室井を見据えてくる。
「お答えいただきありがとうございました・・!」
「軽蔑したか」
「~ッ、いえッ、これからも付いて行かせていただきます!」
「聞かなかったことにするのか?」
「共謀させていただこうかと思っております・・ッ」
思わぬ援軍に、室井の目が見開かれる。
鳩が豆鉄砲を食ったような珍しい室井の顔を拝めることが出来た幸運な中野は、それでも顔色を変えずに室井を直視した。
長い間室井の側近として仕えていた中野は、室井は潰れても戻ってくる絶対の自信があった。
根拠はなくとも、そこにある何かが正解を示唆してくる。
男には、孤高に戦わせることで才覚を表す者と、確かな仲間を得て花開く者がいる。室井はその双方を兼ね備えていると言えた。
異性愛者には理解できない領域だ。女子高生のように恋に盲目となったつもりもない。
まじまじと見つめくる上司に、中野は意地悪そうな笑みを小さく浮かべてみせた。
「君も・・・馬鹿だな」
「室井さんこそ。その覚悟がおありなら、もっと早く政治判断も出来た筈だ」
「我々のように、利害で動いてくれるのであれば、もう少し扱いやすいんだがな」
「堂々と人前でキスでもして独占欲を晒してさしあげればよろしいのです」
「中野くん・・・、君、そういう男だったのか」
すっかりと毒気の抜かれた室井が、陽光を背に惚けた顔を綻ばせる。
中野を巻き込むわけにはいかないし、今後青島との関係に深入りさせるつもりもない。
でも、それでも。
久しぶりにこの部屋に穏やかな空気が流れていた。
青島を手に入れた時、身体中の細胞が沸騰していて、こんな感動があるのだと知った。
君に手が届かなくなるその前に、出来ることは全部する。
*****
春にしては冷たい風の吹く公園は、澄み渡る薄い青の空が広がっていた。
私は崖の淵から手を伸ばす。
「青島くん、俺のものになって」
鼓膜を突き刺すほどの風音が、喉を絞り出すような声を途切れ途切れにした。
「お断り、したはずですけど?」
「時間がなくなった」
「恋が時間制限なんて初耳」
両手をモスグリーンのコートに突っ込んだまま、彼が小さく小首を傾ぐ姿に、私は眩しさを感じ目を眇めた。
小ぶりの愛らしい顔で生意気なことばかり言う様は、多くの男の満足を満たすんだろう。
自分もその一人だった。
こうして、ミイラ取りがミイラになる日が来るなんて。
「君を手に入れたら室井さんがどんな顔するかなぁって。・・・ずっと思っていた」
「それが動機?」
「あの鋼鉄の顔を歪ませてやりたかったのはある。でも、今となってはもう覚えてないな・・」
ずっと室井警視監に憧れていた。
あの頃の室井はまだ管理官で、東北大出身派閥の負い目を理由に、キャリア連中に馬鹿にされていた。
否、理由はそれだけじゃないだろう。
才能の有無、采配の手腕、上に媚びるだけの結果、様々な分野であの頃の室井は認識不足で盆暗だった。
躍起になって、それでもいつか出世してやると見当違いに息巻く姿に愚かな中年の性をみたが、何故かその光景が私は今も忘れられない。
「認めて欲しかった訳じゃない。でもそんな風に男を咲かせた存在が室井にだけ与えられたことを羨ましく思った」
「・・・・」
「妬ましかった。ずるいと思った。そんなの実力じゃないと思った。でも、」
ある日を境に、他の誰も見なくなった男は、突然嘘みたいな秀才に変貌した。あれだけムキになってキャリアに固執していた尖りは失せ、その一切合切を切り捨
てた。
降格と昇格を繰り返しながらも埋もれた大勢から一躍、何かと評判の逸材となり、今や警察のダーク・ヒーローだ。
その影にはいつも、一人の影武者となるノンキャリの姿があった。
「こっちだって、そこそこの誇大妄想は抱いている。男ならみんな一度は考える。企業のトップになって、とか、年収を今の倍にとか。俺は、君が欲しい」
「誰でもいいなんて、そんなのダメでしょ。互いにこのひとじゃなきゃと思うからパートナーなんじゃん」
「・・・君は?」
「また青いって笑う?」
くすりと笑って上目遣いに覗き込む仕草は、まるで親におねだりする子供みたいに見えた。
もふもふのモッズコートも彼の童顔を甘く見せ、少し丸めた背の奥から光る印象的な瞳とまろやかな輪郭は計算し尽くされた官能と純真があると私は思う。
扇情的な視線に囚われるままに、彼を車に連れ込んだ。
戸惑いを覗かせながらも、青島は助手席に滑り込んだ。
その答えが、知りたい。
「どうして室井がイイ?室井が君を選んだ理由は理解できるよ今となっては。でも青島くんは?あの頃の室井って特に冴えてもいなかったでしょ」
「じゃあ運命。――って答えはどう?」
こんな目を向けられる室井が憎らしくさえ感じた。
私の目には、性の衝動も死の瞬間も美しくもなんともなく、日常のひとコマとして映っていた。
警察で起きるすべてがスルスルと通り過ぎていった。
なのに彼が見る景色が自分も見たいとこんなにも渇望する。飢えていた心に気付かされる。
大人というのは、案外ロマンチックなのかもしれない。
「室井は――なんと言って君を口説き落としたんだろう?」
「悪趣味だよ」
「こっちだって、この歳になってこんなダサい愛の告白をする日が来るなんて思わなかったさ」
「がむしゃらって、ミジメかな?」
「いつか君は捨てられる。日本はまだそこまで成熟した国じゃない。本部に行けばそれこそ頭の固い連中が五万といる。リップサービスすら出来ない男に期待で
きるものはない」
「そこは、俺には関係ないことなんで」
「恋に狂うつもり?そんなこともわからない男と、君は一緒に歩いていくのか」
室井の思考ベースは経済効率で、コストが高い人情論は選択の順位が低い。
キャリアらしい実学主義だ。ましてや恋なんて。
だからこそ、先行きに対する不安から、室井は近々絶対に動く。
「昔から取引はイーブンだと決めている。俺は君を救いたい」
もう時間がない。
「なんで俺に付いてきた・・?君だって迷いがあるからだ・・!身分違いにまだ苦しみ続ける気か!」
「・・・」
冷たい風が喉から肺に入って、視界が砂埃に舞った。
絡み合う視線がただ息苦しさを募らせて。
「俺と寝たいの?」
「ああ」
「それ、俺にもメリットあるんでしょうね」
「誘った割には色気ない口説き文句だ」
「それはベッドの上で確かめたら」
麻薬にも似た彼の甘い匂いが風に乗ってここまで微かに届く。
細めのスラックスが足の長さと脚線美を引き出し、引き締まった腰つきが揺れるコートの奥から見え隠れしていた。
あの温かそうな身体を引き寄せたい。
この手で肉を嬲り、狭い壁を擦られて、揺すぶられて、突き上げられて、一体どんな声で啼いているのか、想像してしまう。
そんなことを考えていくと何故だか尋常じゃないくらい興奮した。
室井にだけは見せる別の顔を知りたいと渦巻く自分の思考に、足元から脅かされた。
「来いよ」
ひとたびの風が強く吹き抜けたのを合図に、私はもう一度その手を伸ばした。
青島の背後に跳梁する無情な時間が、悴む指先を柄にもなく震わせる。
「俺の方が護ってやれる!」
「あんただってキャリアじゃん・・」
堪らずその腕を取り、引き寄せた。
顔を傾け、強引にキスをする。
「そんなもの、幾らだって捨ててやる。君だってこれ以上の室井の枷は願ってないだろう・・!」
「・・・、俺だって人生ブレブレですけどね・・、オトコ、ですから」
私の胸を両手で押し返し、青島が一歩下がる。
笑いとも吐息ともとれる息を残しながら、また一歩。
ゆっくりと一歩ずつ後退していくシーンはまるで古い外国映画のようだった。
距離を取りながら俯き、口許を綻ばせる表情は、前髪に隠され、見る者を締め付けた。青島の抱く恋心が私の心に流れ込んで錯覚させる。
常識的な個体距離が、今は絶望に見えた。
「この間は自分からしたくせに。――キス」
「ジョークでしょ」
「冗談で君は室井に躰を開くのか」
室井が青島しか見えていないことは知っていた。
青島もまた、室井しかその瞳に映さないことも気付いていた。
強引に頷かせたところで、青島は躰すら与えながらその心は一途に室井だけを仕舞い込む。
そんな愛し方をされて、何故室井はキャリアを取るんだ。
叫ぶ声が掠れるのは、きっと春風のせいだけではない。
「早く、こっちへ!」
四方から迫る恋の破滅が、みっともなくも私の足元をぐらつかせ、焦燥が恋の高まりを予感させてくる。
茶褐色のくせ毛が風に舞う中、青島は遠くでただ直向きな目をこちらに向けていた。
透きとおるその面差しは、酷くこちらの裡をざわつかせる。
時間がない、焦る私の目の前で、青島の紅い口唇が動く。
「俺がOKしたら室井さんから手を引くっていうんなら、考えてやってもいい」
「どうしてそこまで室井がいいんだ・・!」
「それはあんたの見る時代が証明するよ、いつか、ね」
そんな未来を、願えるのなら。
「君が手に入るなら、俺は」
そこまで言いかけた時、青島が甘く歪んだ顔を傾け、ザッと膝を折った。
合わせて、視界の片隅から近づいてきていた足音が、青島の背後に迫り、王者のように君臨する。
「取り込み中に申し訳ないが、青島は連れていく」
「なん――!」
腰を落としたまま、青島は後ろ手に室井を見上げ、小さく口端を持ち上げて見せた。
いつから室井の到着に気付いていたのか、或いは時間稼ぎだったのか。
あまりに急展開した光景に、最早私に口を挟む隙は無かった。
室井の配下がバラバラと近づいてきて、私を取り囲む。
「事情を聞かせてもらいますよ。一応誘拐罪では問わないつもりですが」
タイムオーバーだった。
青島からは公園の入り口も道路脇も死角だった筈だった。車の出入りはそこそこあったし、包囲されていたことに青島が気付く隙はなかった。
なのに、いつ気付いたのか。いつから知っていたのか。連絡を取っている素振りも見せなかったのに。
警察車両に連行される直前、一度だけ青島を振り返る。
座り込んだまま片手を上げ、あの勝ち気な笑みを見せてくれた。
持ち上げた指先には、愛用のシガレットがくるりと回る。
「これでゲームセット?」
「そうじゃないとしても、もう君には関係ない」
座り込んだままの青島ではなく、横に立つ室井が代わりに応えてくる。
二度と手を出すなという警告であることは明白だった。
独占欲丸出しにしやがって。
青島に視線を送れば、こちらに小さく敬礼して見せる。
理解を飛び越えた絆を見せつけられて、こんなもので出世を保証するなんて馬鹿げた賭け事を言いやがった上役にも溜息が出る。
こびりついた何かが痛みを伴って疼く胸元を掻き毟った。
気付かされた飢えと悽愴が、消えない。
大志を抱くってそんなに素晴らしいことなのか?
誰かと共に夢中になれるってそんなにエライことなのか?
身を滅ぼすほとの恋を承知するってそんなに美しいものなのか?
「またね。丸刈りさん」
「・・・」
それでも勇気があるのならば、今度は。
20200308
05.とろけるようなキスをして(想いが弾ける刹那に)

人は一人では生きられない。孤独は人を狂わせる。それを目の当たりにした。
彼の置かれた立場がもう少し優しいものであったなら、もっと違う世界が見えただろう。もっと違う出会いがあった。
そうしたらまた違う結論だってあったかもしれない。
色んなことを知っていく中で、確かに時間は過ぎていて、同じままじゃいられない。
選ぶものも限られた世界では決してここは楽園とは言い難い。
それでも人は何故繋がりを求めていくのか。
去っていく車を二人は黙って見送った。
待機していた部下らも去り、誰もいなくなった広場にはどこからか沈丁花の匂いが薫ってくる。
「さてと。どーしてあんたがここにいるのか聞きたいところですね」
「質問はこちらからだ。あれほど気を付けろと忠告しておいた筈だったが」
小さくなったバンパーが角を曲がるのを見届け、青島が室井を仰ぎ見る。
気付いた室井も視線だけ落としてくる。
「どこで気付いた」
「・・・アイツの視線がねぇ・・。それに、妙に切羽詰まっていたしね」
「それだけか」
「充分でしょ」
青島は悪戯っぽく笑うが、室井には割り切れないものだけが蟠りとなって胸に残された。
「簡単に口唇まで奪われやがって」
「見てたの!?」
「こんな写真まで見せられればこっちだって充分だッ」
胸ポケットから取り出した写真を、室井が青島の額に押さえ付け声を低く唸らせる。
そこには先夜青島からキスした夜景が映し出されている。
「うっひゃ~!このアングルか~。どこに潜伏してんだよ。でもけっこーキレイに撮れてるじゃない」
「そういう問題じゃないッ」
「・・・キャリアって暇っすね」
確かにあれは、あの男のミスだったのだろう。
キャリアは日頃から徹底した態度を求められ、尾行・張り込み・逮捕術に至るまでキャリアを積むほどにその経験を重ねる。
現場に出ないからこそ聴取やメディア対応などの一瞬の油断で国民に示しがつかないことはしない。
視線で意識を相手に悟らせるなど、あってはならないことだった。
だが、あの男の感情は明け透けだった。
写真の夜も、そして今も、男の視線は糜爛した本音が微かに滲み、ここに至っても、一度だけ青島の背後を警戒していた。
「ねぇ、あのひと、どうなんの」
「先に辞表を出してきた」
ガパッとバネのように立ち上がろうとする青島を頭部から抑えつけ、室井が剽悍に制してくる。
「室井さんっ」
「やめとけ」
「でもっ!」
「振った相手に同情されても、男としてプライドが傷つくだけだ。キャリアとしての立場も考えてやれ。・・・わからないのか」
「ッ!室井さんこそ!誰にも分かってもらえない立場の策だったってことくらい知ってたんだろ!放っておけるかよっ」
尚も追いかけようとする青島の二の腕を取り、室井は指先に力を込めた。
その力強さに尋常ならぬものを感じ取り、煮え切れぬ思いを青島はグッと喉の奥に閉じ込める。
室井と去っていった男の空を交互に見比べた青島は、やがてぐしゃぐしゃと髪を掻き混ぜ、その場にへたり込んだ。
「大体・・、あんたが出てきちゃ意味ないじゃんか」
「ホイホイ攫われる相棒を持たされていると嫌でもそうなる」
「それで俺を尾行してたんですか!?」
「大方、署にも言わず一人で懐柔でもしようとしただろう。おまえくらいの浅知恵など、キャリアには五万といる」
隣で飄々と顎をしゃくる室井に、青島は不貞腐れた顔を膨らませた。
確かにノンキャリの立場で今あの男に言う言葉は持たないだろう。もう一度期待させてしまっても恋敵を増やすだけで室井にも波風が立つ。
それが分かる青島は、ただあの男の気持ちを想って遅い時を悔しがる。
でも、だけど。
「・・無言でパンチしないでくれ」
「俺、あんたみたいに俺の計算ぶち壊す奴が、大ッキライなんだよね」
「おまえがキャリアに敵うものか」
「またばかにして・・っ、・・ぁっ・・、あっ、置いて行くなよ・・っ」
スタスタと青島を置き去りに去っていく室井の黒い背中に、慌てて青島もヒラリと地面に片手を付く。
が、直ぐに追うのを止めて青島は立ち止まった。
高貴な背中に春の陽射しが光を散らし、浮き立たせる気品はいつしか抱いた約束を確実なものへと変える証となっている。
無駄のない足取り、チャコールグレーの三つ揃いに包まれた逞しい背中。この国を背負う男がここに在る。
青島はただ眩しそうに目を細めた。
あなたは今、幸せですか。でも、それは、今まで一度も言えなかった。
音のない気配に、室井がふと足を止める。
振り返ってくれる視線は険しいけれど、柔和な色を含んで青島を映した。
「ねぇ、俺を盗られると思った・・・?」
両手をポケットに突っ込み、青島は遠くから室井を覗き込むように探る目を向ける。
打って変わってベッドの中で囁くような青島の艶の乗る声に、室井もまた男の顔に変わった。
「言っただろう?どんな汚い手を使ってでも手放さないと」
室井の気持ちが痛いほどに青島を包んでいく。どれだけ愛してくれていて、どれだけ大切にされているかを知っていく。
この熱にいつだって流されるわけにはいかなくて、二人して溺れるわけにはいかなくて、でも激流のように青島に惜しみなく注ぎ込んでくる強烈な浮力は
いつだって息苦しさと極上の毒素を含んでいた。
足元から掬われないように踏ん張るだけで精一杯だったここまでの道が、鮮やかに脳裏に広がっっていた。
一言だけの短い単語でも、そこには言葉にはならないが青島には充分な愛の睦言となり、照れくさいままに青島は水色の空を見上げた。
「相棒として、足引っ張らないような男に、なりたかったんですけどねぇ」
「・・・・」
「政治のことは、やっぱりムズカシィな~」
はにかんで浅い息を吐く青島に、室井は身体を戻して正面から青島を見据えた。
黒々とした漆黒の闇は何の色にも犯されない。
「役割分担というものがある。だからパートナーなんだろ」
「・・・」
頬を掻きながら、青島がじっと室井を見た。
その場からは室井は動くことはなく、5メートルほどの距離を介して見つめ合う。
慎重に言葉を選んだ青島とは違い、室井はあまりにざっくばらんに、何でもないことのように言って退けた。
そう気づいた途端に、青島の喉が干からびたように強張る。
温かい視線が擽ったく、甘ったるく、二人の視界には他に何も映らない。
心臓が鼓動を速め、頬も赤らんだ気がする青島は、ただ黙り込んだ。必要な言葉が探しきれない。今は。
全てを見透かされているようで。
答えを先に促すような青島の視線と沈黙に、室井が意を決した口を開く。
「もう何も、失いたくないんだ」
「!」
「君の本音が聞きたい」
「・・・俺に言わせるのは卑怯でしょ」
ザッと春嵐が巻き上がる。
「・・・と、思っていたんですけどねぇ」
「手放す気なんて初めからない。だけどもう、俺が待ちきれなさそうだから」
青島のモスグリーンのコートが空に攫われそうにはためき、どこかこのまま消えてしまいそうな儚さを常に持つ青島の存在をリアルに室井に思い起こさせた。
置いていかれたくない。そう思っていたのはずっと俺の方だった。絶対に引き留めたかった。
そのタイミングは今だと室井の本能が告げてくる。
「あんたも愛がどうのと言いますか」
参ったなぁと小首を傾げる青島の淡い髪が太陽に透けて、ただただ、もどかしい距離を尚も縮めようともしない男に、飴色の瞳が不安定に揺れる。
その腕を胸に引き寄せたい衝動を堪えて、室井は拳を強く握った。
強引に浚ってしまって、欲望のままに自分のものにして、そんなことが赦されるのなら、室井はとっくにそうしている。
「ずっとね、悔やんで生きていくのかと思ってた」
「分かっていたんだろう?俺たちの行きつく先がどうなるのか。変わっていくことがどういう意味になるのか」
「・・・」
「おまえの考えてることなんて、お見通しだ馬鹿」
“別れたく、ないです。この先も一緒にいたいです”――その一言が喉に詰まって、ずっと苦しくて、消えることはなかった。
それならたぶん、答えなんて最初から出ているんだろうけど。
それを受け入れた室井と、受け止めきれずに放置した青島の違いなだけで、心の中では同じ想いが幾重にも折り重なって、二人で歩いて来た。
罪だと分かってふたりで堕ちたあの日から。
「なぁ青島。ここにいろ。ずっと」
「いいんですかねぇ。いまさらですけど」
先に言う室井に、青島は視線を彷徨わす。
「まったくだな。本当に今更なことだ。そろそろ先を考えろ」
「んだよ、えっらそーに」
「なら、俺を見限ってみるか?」
室井にしては狡知な目を光らせると、いつもは強張っている口端を持ち上げる。
ぶっきらぼうでつっけんどんな口ぶりは、最近は滅多に聞くことも少なくなった前科者すら厭わない室井の本性だ。
出来るもんならやってみろという本音は、青島の本音も正確に撃ち抜いた。
なにそれ。そんな顔すんの?うっそだろ。
挑発された悔しさに、青島がまいったなぁと顔を緩ませ、色彩を朱に帯びさせる。
それを見届け、室井がもう一度青島を置いて広場から去っていこうとする、その背中に青島は大きく息を吸った。
「室井さん・・っ!」
強がりの視線で青島は室井の胸に向けて指で作った銃を突きつける。
「トドメ、刺して欲しいんだろ?俺に!」
甘いんだよ室井さん。負けっぱなしで俺が逃がすわけないだろ。
上等じゃないか。そこまで俺を嗾けたんだ。後で文句なんて言わせるか・・!
いつか終わる夢だとしても、室井の目に映る自分はさいっこーの自分でありたい。そう思う自分は思ったほど嫌いじゃなかった。
息を殺して見つめ合う時間に、もう言葉はない。
そして青島は片目を瞑り、すべてを終わらせる引き金を引く。
「ばきゅん」
20200315
happy end
15000HIT記念品。いつも来てくださっているみなさまへ。感謝とお礼を込めて。
三週間お付き合いくださりありがとうございました!
01.すみれさん。彼女からみた室井青島はばかっぷる。
02.池神長官。踊る的重要人物。彼から見た室青はだたの見せ付けカップルだろう。
03.モブ。誰でも良かった。キャリアからみた室青は興味か羨望か嫉妬の対象。
04.中野くん。忠実な部下からみた室青は偏見というよりは変人の領域。一般人には理解できないけど、得てして天才とはそういうものである。
05.・・・。ゲストを呼ぶ暇もなく公然でいちゃいちゃしちゃったので、もういいや。青島くんの「ばきゅん」はコンタックCM風で再生願います。狙い撃ち。
お題はこちらからお借りしました。ありがとうございました!
確かに恋だった/ノラさま