久しぶりに定時ちかくに湾岸署を出て、青島は多少浮かれた足取りで駅までの道を歩いていた。
さて、せっかく空いた時間を、どのようにして使ってやろうか。
いつもだったら帰って寝るだけの時間しか残されていないから、こんな日はとても嬉しくなってしまう。
ちょっと足を伸ばして、都心部まで出てみようか。
新しいCDを買い込みに出かけるのもいいし、久々にアーミーショップでモデルガンを眺めるのもいい。
…だれかを誘って、呑みにでるのもいーかもな…。
などと考えながら歩いていると、前方に見慣れた背中を見つけた。
「…夏美ちゃん!」
大声で呼びかけると、交通課の華、湾岸署のアイドルが振り返った。
「青島さん」
青島は、夏美に駆け寄った。
「夏美ちゃんもあがり?」
「ええ」
…様子が、少しおかしいみたいだ。
いつもの彼女なら、こうして肩を並べて歩けばにこやかな笑みを見せてくれる。その笑顔がかわいいんだ、と(こっそりと)評判なのに。
「…どうかした?」
いくぶん沈んだ表情の夏美の顔を覗き込むと、慌てて笑顔をつくってくれる。
「どうもしませんよ?青島さん、今日は早いんですね」
「うん、たまにはこんな日がないとね。…って、俺のことはどうでもよくて。なんか、困ってることでもあるの?」
ん?と水を向けてやると、夏美は困ったように小首を傾げて笑った。
「もー…青島さん、お見通しなんだもんなあ」
「そりゃあもう、ボランティアでカウンセラーやってますんで」
肩で夏美の肩をつついてやる。
夏美は、照れくさそうに笑った。
そのカウンセラーの活躍がなかったら、きっと今の夏美の幸せはないだろう。
結婚は無期限延期とはいえ、彼女にだけは優しい恋人との甘い婚約時代なのだから。
「…なんかあった?」
なんにも、と言いながら夏美は首を横に振った。
「そんなふうには見えないけど?」
「うーん…。なんにもないのが、今はいちばん辛いんですよね。け…じゃない、新城さん、今忙しいみたいで」
「あー…そうみたいだよね…。」
新聞では、息をつく間もないほど凶悪事件が多発している。湾岸署管内はここのところ平和そのものだから、あまり意識はしていなかったのだが、そういえば 青島の恋人もまた行方不明同然に連絡がつかなくなっている。青島にしてみれば『もーいーかげん慣れましタ!』だが、夏美にとっては…。
「会えないんだ」
ハイ、と夏美は頷いた。
「こんなの、私の我儘なんですけど。わかってるんですけど。…ちょっと、寂しいな…」
「そっか…」
歩調もなんだか寂しげに、ゆっくりになってしまう。
「電話はね、まいにちしてくれるんですけど」
…マメだな、意外に。室井さんなんか全然してくんないけどな。
「やっぱり忙しいのかな、いつもだったらつい長電話になっちゃうんだけど、10分くらいでおしまいだし」
10分…室井さんだったら超長電話だ…。でも新城さん、どんな顔して10分しゃべってるんだろう。
「携帯のメールなら邪魔にならないかなって思って、私出すんですけど、賢ちゃん慣れないみたいで、三通に一通くらいしかお返事こないし」
新城さんが、携帯メール!見てみたいもんだ。…室井さんはきっと、そんな機能の存在自体、知らないだろう…。
「賢ちゃん、忙しくても私に気を使ってくれてるのわかるから、私から会いたい、なんて絶対言い出しちゃダメだって思うんですけど…」
気を使う。あの新城さんが。その気のまわしぶりをゼヒ所轄に十分の一でいいから廻してもらいたい。ついでに室井さんにも見習って欲しいよな…。
「会いたくて…」
ぽつん、と言いながら、夏美は長いため息をついた。
「そうだよね…」
なんだか気持ちがシンクロしてしまう。
そんなふうに伏し目がちにため息をつかれてしまっては、さっきまで、振って湧いたようなフリーな時間をどう使おうか、と浮き足だっていた気分が、次第に 室井に会いたい、なんて切ないような気持ちになってきてしまうではないか。
「よし!」
青島は、突然立ち止まって夏美の両肩を掴んだ。
「会いに行こう!」
「え!?」
夏美は、もとから大きな目をさらに大きくして青島を見つめた。
「恋人が忙しくたってなんだって、俺たちには会う権利がある!」
「え、ええ…?」
「だいたい恋人を寂しがらせるなんて、男として絶対やっちゃいけないことだ!」
「は、あ…」
「ここはいっぱつ、正義の鉄槌をくらわせねば!」
「そ、そうなんですか…?」
疑わしげな夏美に、青島は特上のウィンクをしてみせた。
「いいかい、夏美ちゃん。寂しい思いをした分だけ、我儘言ったっていいんだよ。たまにはね」
青島の言葉を聞いて、夏美はしばし考え…そして、青島にいつもの笑顔を見せてくれた。
「そうですよね!」
「そうそう!」
そして二人は、さっきまでとはまったく違う足取りで駅までの道を歩き始めた。
「青島さーん…」
「なに?」
「なんだか勢いで来ちゃいましたけどぉ…」
「うん」
「ここから、どうするんですか…?」
夏美は、目の前の巨大な建物を見上げた。
警視庁。
三角の建物が、どーんとそびえ立っている。
警察機構の象徴として、威厳とそれから威圧感を十分に持っている建物だ。
この中に青島と夏美の恋人が今も仕事をしているはずだ。
なんだか盛り上がってここまで来てしまったが、この威容を見たら、そんな気持ちもしぼんでしまう。
私たちには恋人に会う権利がある!…なんて叫びながら入っていけるようなところではないだろう…。
夏美が不安げに青島を見上げると、青島は不敵な笑みを浮かべてポケットから携帯電話を取り出した。
「だーいじょーぶ。俺たちには、コレがある」
「は、あ…」
それで呼びつけるのだろうか。
「でも、きっと今、忙しいんじゃないのかなぁ…。会議中だったら…」
「だいじょぶ。会議中だったらきっと出ない。そしたらあきらめよう。会議をじゃまするのは、やっぱダメだしね」
そうですよね…、と夏美はまたため息をつく。
「でも、電話に出られるくらいだったら、会う時間くらいとれるはずだ。そっからここまで来てもらうまでが、腕の見せ所なんだよね」
妙な気合いを入れながら、青島は携帯電話のボタンを押した。
「まあ見てなって。俺、この道ながいからさ」
この道長いって…いつもこんなことをしているのだろうか。
夏美が少し不安げに青島を見ていると、どうやら室井は電話に出たらしかった。
青島は、勝利のガッツポーズを夏美に示しながら、切り出した。
「俺です。室井さん、今すぐ会いたいんですけど」
…今すぐ!?
そ、そんな乱暴な言い方して、いいのだろうか。
『ムリだ』
短い答えが、携帯電話から聞こえてくる。
…ほらね。やっぱり忙しいのよ。
「ムリでもなんでも、来てください」
『だからムリだと言っているだろう』
いらだたしげな声が返ってくる。…あああ、室井さん、怒ってるじゃないですか…。
夏美が青島の袖を引くと、青島は心配いらない、とでも言うように夏美に手を振ってみせた。
「今すぐ来てくれないと、浮気します」
『…はぁっ!?』
「えぇっ!?」
夏美は驚いて青島を見上げた。
青島は平然として室井に言う。
「来て」
『ちょ、ちょっと待てあおし』
「15分以内に、本庁から出てきて下さい」
『だからムリだって』
「来てくれないと別れます」
どどど、どーしてそうなっちゃうの!?
夏美は混乱してきた。
なんで来てくれないと浮気して別れることになっちゃうんだろう。しかも、こんなに平気な顔して、そんなこと言ってる…。
『おい!』
当然のごとく、携帯電話から聞こえてくる室井の声は怒気をはらんでいる。
そうだ、冗談にしたってたちが悪すぎる。
青島さんたら、どうする気なんだろう…。
青島を見上げると、不意に青島の声が甘く響いた。
「俺のこと、愛してるなら来て」
う…わぁ…。
夏美は、頬が赤く染まっていくのを感じた。
こ、こんな顔して言うんだぁ…。
青島の、男らしい精悍な顔が、甘くとろけそうになっている。どこか遠くを見るような目は、きっと今頃捜査一課のデスクに座っている男を見ているのだろ う。
そして声は…。
こ、こういうの、腰に来る声、って言うのかな…。
夏美が顔を赤らめながらそんなことを考えていると、青島は室井の返事を待たずに通話を切った。
そして、先ほどまでとは打って変わってからりとした笑顔を夏美に向ける。
「室井さん、きっと15分以内に来るよ」
「え?」
夏美が目を丸くしている間に、青島は携帯電話の電源を切って、無造作にポケットにしまってしまった。
「あ、あんな言い方して…?」
「来る来る。アレ、殺し文句だもん」
青島は、時間を確認している。
「いーかぁ、室井さん。1秒でも過ぎたら絶交だぞー」
「あ、青島さん…」
夏美が呆然としていると、青島は夏美ににこりと笑った。
「あ、夏美ちゃんもやってみなよ。コレ、けっこうきくよ?」
そうなんべんもは使えないけどねー、と笑いながら警視庁の建物を嬉しそうに見上げている。
「で、でも、あんな、室井さんの気持ち試すようなやり方…。それに、室井さんだってオシゴト…」
「いーのいーの、たまには。こうして愛情確認しないと」
「だって…!」
なおも言い募る夏美に、青島は優しく笑った。
「恋愛はねえ、夏美ちゃん。自分がイチバンなんだよ」
「え…?」
「ねえ、夏美ちゃん。夏美ちゃんは、新城さんに会えないとき、いつもどうしてるの?」
「どうって…」
我慢している。
電話が来るのを、ひたすら待っている。
電話ができて、話ができたら、とても嬉しい。会えたら、もっともっと嬉しい。
…でも、電話を切るとき。駅で別れるとき。
次に声を聞けるのはいつかな、会えるのはいつかな、って…辛さが、倍になる…。
「俺はね、自分が気持ちイイのがイチバン。その次に相手の気持ち。俺が寂しかったり辛かったり、ひとりでしてたらそれはダメなんだ。そういうのは、ふたり で共有するから幸せになれる。…室井さんが、そう教えてくれた」
ま、こんな乱暴な手はたまにだけどね。
そう言って青島は夏美の腕をぽん、と叩いた。
「夏美ちゃんが寂しいのも、新城さんにわかってもらわないとだめだよ。たまにはひどいわがまま言ったって、新城さんに会いたくてたまんないんだって、伝え ないとね」
「そう…なんですか…?」
「そうそう!新城さんなんか、かえって喜んじゃうかもね、夏美ちゃんが我儘言ってくれたって」
青島は、またからからと笑った。
「あ、そうだ夏美ちゃん。ちょっと離れてた方がいいかも」
「え?」
「室井さん、ああ見えてすんごいやきもちやきなんだ。あんな電話しておいて、隣に夏美ちゃんがいたりしたら、『彼女と浮気する気だったのかっ』って、こー んな顔して怒り出すに決まってるんだ。だから、避難しておいた方がいいよ」
こーんな顔、と言って、青島は眉をつり上げて見せた。
その顔に、思わず笑ってしまう。
「青島さん」
「ん?」
「待ってちゃダメ、ってことですよね」
「そ」
「…私。がんばります」
「うん」
どこかふっきれたような笑顔に、青島も笑顔でこたえた。
15分後。
少し離れた木陰から様子をうかがっていると、警視庁から転がり出てくるように、重たそうな鞄を持った室井が走ってきた。
風に乗って、怒鳴り声が聞こえてくる。
あの言い方はなんだ、いいかげんにしろ、お前の狂言につきあわされるのは何度目だと思ってる。…そんなセリフが。
でも、怒り狂う室井を制して、青島が室井の耳元になにごとかを囁いた。
すると室井は振り上げていた腕を落として、顔の下半分を手で覆って視線を逸らした。
青島は、そんな室井をおもしろそうに眺めている。
室井は、上を向いて、下を見て、それからもう一度上を見てからあきらめたように肩を落とした。
こつん、と青島の頭を一発こづいて。
そして背中を向けて歩き出した。警視庁とは逆方向に。
青島は、そんな室井の後ろについて歩き出した。
ちら、と一回だけ夏美の方を見て、笑った気がした。
夏美は、手の中の携帯電話を見た。
恋愛は。
自分が気持ちイイのがいちばん。
それから、ひとりで寂しがってちゃダメ。
寂しいのも辛いのも、ふたりで共有するから幸せなんだ。
幸せになるには…自分が、がんばらないと。
優しい専属恋愛カウンセラーが、身をもって教えてくれたことを、しっかりと心に焼き付けて。
ひとつ息をついて、夏美は携帯電話のボタンを押した。
室青がらみの新夏。
一部で好評と聞き及びまして(笑)
室井さん、ひっかかりすぎですわね。つうか青島くん、オニですわね…。