カレーとプライド









 神経質にネクタイを直し、新城は今日何回めかのため息をついた。
 ・・・柄にもなく、緊張しているのだろうか。
 久しぶりの制服は、なんだか居心地が悪い。おまけに、警視庁捜査一課管理官の激務のおかげで、滅多に足を運ぶことのないホテルのティールームにいるのも 落ち着かない。しかるべき恋人がいれば、彼女を誘って食事にでも、とやってくるのだろうが、あいにくここ数年、そんな暇なことに時間を費やす余裕はなかっ た。
 しかし、これからは「そんな暇なこと」に時間を割かねばならなくなるのだろうか。
 またしてもひとつ、ため息が漏れる。
 ・・・これは緊張ではない。憂鬱というやつだ。
 32歳にして目の前に突きつけられた現実、「結婚」というやつに、ため息が出るのだ。
 先日刑事局長が、気味の悪い笑顔を浮かべて言った、「新城くん、お見合いせんかね、お見合い!」という台詞を聞いたときから、この重たい気持ちは新城を 悩ませ続けている。
 「私よりも年上で独身の人がいるじゃありませんか」という抗議はにこやかに無視された。
 暗に室井を指してみたのだが、命令違反を繰り返すような男に見合い話を紹介したとあってはいろいろとサシサワリがあるらしい。しかも相手は警備局長の親 類の娘だと言うから、生半可な相手を紹介するわけにはいかないのだろう。
 これまで新城の行動原理であった「出世」から鑑みれば申し分ない話だ。こうした縦割り社会の中で、血縁は大いにものを言う。学閥だけでの勝負には、いず れ壁が立ちふさがる。
 しかし。新城としては、なんだか割り切れないものを感じていた。それが何かわかれば、この気分もいくらか軽くなるのだろうが、どうにも拭えないものが残 る。
 もう少し、独身の身軽さで気ままに暮らしたいのだろうか。・・・そうではないような気がする。もともと身の回りのことを自分でするのは苦手ではないが得 意ではない。事実食事などは自分で作ると言ったらトーストを焼くくらいのものだ。世話を焼いてくれる人がほしい、と最近少し思ったりする。
 では、血縁で縛られるのがイヤなのか?・・・これもちょっと違う。出世のためになるなら、べつに何とも思わない。それなら、こうした警察のしくみに疑問 を感じている?いや、自分はそんなに正義感が強いわけではないから、違うだろう。
 では、なぜ・・・?
 ため息をついて、腕時計で時間を確かめる。
 ・・・あと、20分。あと20分で、自分のこれからが決まってしまう。こちらからは断ることのできない見合い。会って、話をして、食事をして、次の約束 をして、1ヶ月後にはプロポーズ、給料3ヶ月分を渡し、半年後には結婚式。・・・うんざりだ。
 せめて相手が、自分の好みにあった女性ならいい。
 髪はショートカット。目は大きくて、くるくる動くような、表情豊かな娘がいい。元気すぎるのは困るが、明るい方がもちろんいい。自分の多忙な仕事を理解 して、笑顔で帰宅を迎えてほしい。そうしたら、一日の殺伐とした気分は晴れるだろう。料理も掃除も洗濯も、やってくれれば申し分ないが、ちょっとくらいど じを踏むくらいがかわいいよな・・・。
 などと新城が、現実逃避のドリームモードに入っていると、突然声をかけられた。
「新城管理官!・・・ですよね?」
 来た!
 びくっとして立ち上がり振り向くと、そこにはたった今自分が思い描いていた理想の女性がたっていた。
「・・・篠原夏美」
「あ、名前、覚えててくれたんですか?」
 にこっと笑う、その女性は、新城の鬼門とも言うべき湾岸署の交通課巡査、篠原夏美だった。そりゃあ、名前くらい覚えるだろう。着任早々凶悪犯を(偶然と はいえ)ミニパトぶつけて捕まえたり、自分のことを備品の管理官だと思ったなどと本人を目の前にして堂々と言ったりするのだから。
「ど、どうしてこんなところに・・・」
 あれ、なんでこんなに声がうわずるんだ。
 夏美は新城のおかしなしゃべり方を気にもとめず、にこやかに言う。
「友達の結婚式なんです。高校時代の。でも時間間違えて、1時間早く来ちゃって」
「そ、そうか」
「新城管理官は?」
「わ、私か。私は、その・・・」
「制服なんて着て、こんなとこいると目立ちますよね。・・・座っても、いいですか?」
 自分よりも遙かに階級が上の人間に向かって、物怖じせずにものを言う。思ったことをどんどん行動に移す。湾岸署に特捜本部が設置されることが初めての出 会いの後何度かあった新城は、彼女の異名を知っている。「女青島」だ。
 新城の返事も聞かず、夏美はさっさと新城の目の前に座る。
 すかさずやってきたウェイトレスに、カフェオレまで注文している。
「う~んと、その格好からして、表彰式!」
「・・・ちがう」
 どうやら「新城がなぜこんな格好でこんなとこにいるか」あてっこが始まったようだ。
 素直につきあってしまう自分が、どうもこの娘には弱いらしいと気づく。いつもの制服姿と違って、春らしい薄いピンクのスーツを着ているのが、なんだかま ぶしい。(親父・・・)
「え~?んじゃ、パーティ?」
「こんな昼間から、するわけないだろう」
「そりゃそうですよね。」
 あはは、と笑う笑顔がかわいい。
 さっきまでの重たかった気分を忘れてしまうような、笑顔だった。不思議と気持ちが安らいでいく。
 ついつられて、口がゆるむ。
 そんな新城を見て、夏美もまた、首を傾げてほほえむ。(不気味がってんだよ)
 久しぶりに感じる、穏やかな時間だった。
 彼女となら・・・。そう、彼女となら、これからもずっと、こんな風に過ごせる気がする。
 夏美は運ばれてきたカフェオレを口に運びながら、新城に尋ねた。
「それじゃ新城さん、お見合い?」
 新城さん。彼女が肩書き抜きで自分を呼んだ。そんなことに、中学生のように心臓が飛び跳ねる。(おい、おやじ・・・)
 それを悟られないようにするのであわてていて、夏美の言葉の後半を聞き逃した。
「・・・え?」
「だから、お見合いでしょ」
 ・・・そうだ。そうだった。
 迫りくる現実を思い出し、新城の声は暗くなる。
「・・・そうだ」
 ああ、あと10分もない。行きたくない。ここで夏美と話をしている方が、よっぽど・・・。
 そうだ、彼女はどんな反応をするだろう。
 少しは自分のことを気にかけてくれているのだろうか。
 夏美の表情を確かめなければ・・・と思っていたら、突然肩をつかまれた。
「新城くん!こんなとこでなにやってるんだね!?先方はもうお待ちだぞ!」
 肩をつかんだ腕の先には、目を怒らせた刑事局長の顔があった。
「さ、立って立って!」
 乱暴に腕を捕まれ、まるで連行されるように引きずって行かれる。
 あまりに突然の邪魔者の乱入に、腕を振り払うこともできない。(ちびっこだしね)
 もとから大きな目をびっくりしたように見開いている夏美の姿が視界から遠ざかっていく。
 運命の扉が開かれてしまったことに気づいた新城は、そのまま扉が閉められていくのを感じていた。



運ばれてきた料理は、申し分ないものだった。
 いかにも一流ホテルの一流シェフが腕によりをかけてつくった、というような創作料理。料理の鉄人、と言ったか、あれに出てきそうだな、などと思いつつ、 正面に座った女性に目を向ける。
 美人といってもよい容姿の女性である。身のこなしも上品で、妻とするにはまずは申し分のなさそうな相手であった。
 しかし新城の気持ちは晴れない。
 先ほど会った篠原夏美頭から離れない。
 これまでさほど意識していなかった(はずだ)女性が、これほどまでに心を占めるとは、新城も思わなかった。良妻賢母を地で行きそうな女性を前に、それか らは最も遠いところにいそうな篠原夏美に思いをはせている。・・・自分はどうかしてしまったのだろうか。
 ぐるぐると考えを巡らせていると、隣に座っている刑事局長に脇を肘でつつかれた。
 話しかけろ、というのだろうか。たしかに本人たちは自己紹介をし終わった後はほとんど口を開いていない。たしかにこれでは、お見合いにならないだろう。
 ふう、とため息をついて、当たり障りのなさそうなことを話しかけてみる。
「・・・みごとな料理ですね」
 また脇をつつかれる。台詞の前のため息がまずかったらしい。
 これくらい、勘弁してもらいたい。したくてしている見合いではないのだ。
「ほんとうに。あとでシェフにご挨拶して、レシピをうかがいたいわ」
 上品にほほえみながら言う、その笑顔に、また篠原夏美を思い出す。
 彼女はもっと晴れやかに笑う。裏になにもない、心からの笑み。
 見合い相手のこびるような笑みは、なんだか背筋が寒くなる。
「新城さんは、どんなお料理がお好みですの?・・・どうやらこちらの料理はお好みに合わないようですけれど」
 ちろりと新城の皿を見る女の目が蛇のようだ。
 ・・・ああ、もうだめだ。
 このあとの「後は若い二人で」も、プロポーズも給料三ヶ月分も結婚式も新婚旅行もその後の出世も、なにもかも、この女が相手では我慢できそうにない。
 いや、この女だけでなく、他の誰でも。
 心からの笑みを向けてくれる、あの娘以外には。
 新城は、持っていたフォークをおいて、にっと笑って見せた。
「カレーライスが好きですね。高級なものではなく、特捜本部で出される、所轄の婦警がつくるカレーライスが好きです。人参はぶつ切りで、肉なんかほとんど 入ってなくて、ごつごつしたジャガイモが皮付きで入っていても、ここの料理より、たぶんあなたがつくる上品な料理より、ずっと好きです」
「し、新城くん!!」
 目を白黒させている女にも、いまにも卒倒しそうな刑事局長の悲鳴にも背を向けて、新城は席を立った。
 行く先は決まっている。
 後がどうなろうとかまうものか。
 人間らしい感情にふたを閉めて生きる人生なんてまっぴらだ。
 今なら、「現場だ」といって会議室を出ていった室井の気持ちが分かる気がした。





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