TOP SECRET
もうずいぶん、日が沈むのが早くなったなあ、と思って空を見上げた。
お日様が西に沈んで、東から藍色の空が広がりはじめて、不思議な色をしている。
この色は好き。
この時間…夕方っていうか、夜っていうか、どっちとも言えない、まんなかの時間も、好き。
ぼんやりゆっくり歩いて、不思議な色の空を見上げながら風に吹かれてるのが気持ちいい、秋はそんな過ごし方をするのがいい。
後ろに組んだ手にバックを持ってぷらぷらさせながら、駅までの殺風景な道をゆっくりゆっくり歩く。
…そうしたら、背中にどん、とぶつかった。
予想通りだったから、なんにも驚いたりしない。
立ち止まって見上げると、人のいい笑顔が見下ろしていた。
「あはは」
「尾行、下手よね。…青島くんより」
このけっこうヒドイ言葉にも、この男はへこたれたりしない。
にこっと笑って、
「すみれさんの後ろ姿に見とれてました」
…この笑顔がまたくせものなのだと、すみれが知ったのは最近のことだが。
くるりと振り返ってびしっと言ってやる。
「どうせなら、前から見て見とれてよね」
すると、武はぱかっと笑った。
「そうさせてくれるって、ことですか?」
…もう、太陽は沈んでしまったから、頬に指した朱色は夕焼けが反射したのだと言い訳することができなかった。
武が連れていってくれたのは、いつか武が言っていたレストランだった。
ワインがおいしいんだそうですよ、とすみれの顔を覗き込みながら武が言った。
ちょっとすみれのご機嫌を伺うような表情は、なんだかカワイイではないの、と思ってしまう。…きっとそれも、コイツの作戦なのだろうが。
でもおいしいもの食べられるチャンスをふいにするのはよくないわよね、と自分を納得させ、武の後をついていく。
まだ、あの日から武はなにも言っていない。
すみれも、なにも聞かない。
いわば、今日は初デートだ。
さて、なにから聞き出してやろうか。
すみれは気合いを入れて武の背中を見ていた。
ウェイトレスがこちらへ、と椅子を引いてくれて、腰を下ろして。
武が正面に座ったとき、何気なく隣を見ると、目を大きく見開いた同僚が、同じく目を剥いている官僚と、こちらを見ていた。
「す、すみれさん…!?」
「青島くん!?室井さんも!」
がたんと立ち上がって、お互いに指さし合う。
「なんでこんなとこに!」
声がかぶった。
目を見開いたまま固まっていた室井が、控えめに言う。
「よかったら…一緒に食事をどうだろうか」
周囲を見渡す。他の客とウェイトレスが冷たい視線を浴びせていた。
武が、にこやかに言った。
「嬉しいなあ、室井参事官とお食事できるなんて」
その声が、どこか白々しく聞こえたのは、きっとすみれだけではないはずだった。
「…知らなかったなあ…」
「なにがよ」
運ばれてきた魚料理をぱくんと口に入れてから、ぎろりと青島を睨み付けると、青島が視線をさまよわせる。そのまま視線は、室井の顔で止まった。
…目で会話している。
おそらく、フォローしろ、とサインを送っているのだ。
ちろりと室井を見ると、室井は目を白黒させながら、ワインを一口飲み込んだ。
「…武くん、と言ったか。なかなか度胸のある…!!」
びくりと体を強張らせたのは、きっと青島が足を踏んづけたのだろう。
はあ~、と深くため息をつく。
「あのね、」
なんでもないの、と言おうとして息を呑む。
…武が、探るような視線を向けていた。
そして…
「あなたたちこそ。こんなとこでデートなんて、度胸あるじゃないの」
「…なに言ってんの、すみれさん。…ねえ?」
出た。青島の営業スマイル。
…でもきっと、テーブルの下では室井の足をけっ飛ばしているのだろう。
室井がぎょろりと青島を一瞬見て、重たい口を開いた。
「あ~、この間、資料を本庁に届けてもらった礼に、誘ったんだ」
「そうそう。室井さんて、義理堅いよね~」
にこやかな青島。引きつる室井。
二人とも、武を意識している。
武は、なんでもない振りをしながら、料理を口に運んでいる。表情は、穏やかなまま。
…でもすみれは、武が気づいているらしいのを知っている。
おもしろい。これは、おもしろいぞ~。
にやにやと笑いながら、すみれは魚にフォークを突き刺した。
食事が進むに連れて思うのは、この人たち、ホントに二人の関係を隠す気があるのかしら、ということだ。
たとえば、今。
「こないださ、雪乃さんと真下が一緒にヨッパライが暴れてるの捕まえにいったんだけど」
そう言いながら手が煙草を求めてポケットに伸びる。
その間に室井が灰皿を引き寄せる。
このタイミング。
「おっかしーの、雪乃さんがヨッパライと腕くんで引っ張ってきてるんだよ」
青島は、室井に視線だけ送って礼をする。
室井はそれには応えずにワインを空ける。
「んで真下は後ろくっついてくんの。…逆だろ、普通!ってね~」
「真下くんらしいわよねえ」
くすりとすみれが笑っている間に、室井のグラスにワインが注がれる。
室井もまた目で礼を言って、グラスに口をつける。
…まったく、参ってしまう。
息がぴったり。あてられてると、腹を立てる気も起こらない。
おそらく…すみれと青島では、きっとこうは行かないだろう。
最初はきっと楽しく過ごせるだろうが、そのうちきっと、だめになる。
お互い、包み込まれることを望んでいるから…青島には、室井がきっと、お似合いなのだ。
すみれには、できない。だれかに包み込まれることを望んでいるだけのすみれには、青島を甘えさせることはできないだろう。
すこし切ないような…でもどこか晴れやかな気持ちでふたりを見ることができるのは…。
横に座る武を見上げた。
すみれの視線に気づいて、にこりと小さく笑ってくれた。
なんだか気持ちがあったかくなるのを、感じた。
食事が終わって、席を立って。
支払いをしようとしたら、青島がやんわりとすみれと武を遮った。
「室井さんが奢るって」
…そんな会話をしている様子はまるでなかったのに。
こんなところでも、息はぴったりなのだろう。
すみれは苦笑して、小声で言った。
「ゴメンネ、デートのじゃました上に」
青島もまた小声で、照れくさそうに答える。
「いいんだよ。室井さんも、楽しそうだった。…これは、彼への口止めみたいだよ?」
そして、くいっと親指で武を指す。
しかし武は、硬い表情で言った。
「室井さんに奢ってもらうなんて、申し訳ないです。僕とすみれさんのぶんは、ぼくが払いますから」
そして、室井の後を追いかけた。
あらら、と青島と顔を見合わせる。
ちょっと、武らしくない言い方だった。
レジの前で、少々室井と言い合っていたようだが、意外と頑固な武が勝利したらしい。
別々に会計をすませて、これからまだ呑むのだという青島たちと店の前で別れた。
そして、駅に向かって武と歩き出す。
「…どしたの?」
すみれよりもずいぶん高い位置にある武の顔を見上げる。
さっきからずっと、硬い表情のままだ。
「なんか、武くんらしくなかったよ?」
すみれの声に不安を読みとったのか、武が苦笑を返して立ち止まる。
すみれも歩みを止めて、武を見上げた。
「…笑いませんか」
「笑えるようなことなの?」
首を傾げると、武が観念したように言った。
「…嫉妬してました」
「嫉妬?」
「青島さん。…おん…すみれさんと、楽しそうに話してました。すみれさんも、楽しそうだった。…嫉妬しました」
言われてみれば。
食事の間、しゃべっていたのは確かに、すみれと青島ばかりだった。
室井はあの通りの口べただし、いつものことだと思っていたし、室井の前では武も話しにくいのかと思っていたのだが…。
「だって、いつもの延長上じゃない、あたしと青島くんなんて」
「わかってます。わかってますけど…」
そして、顔半分を、手で覆ってしまう。
「僕には、余裕がないんだ、きっと。いつも、青島さんとすみれさんが話してると気になって仕方がない。やっぱりすみれさんは…」
「ばか」
そして、軽く足を踏んづけてやる。
「あたしは青島くんのことなんか、なんとも思ってないんだってば」
「…でも」
瞳が不安げに彷徨う。
…なんだか、カワイイじゃない。
ふと気づけば、そんなことを考えてしまう。
ときどき…本当にときどきだけど、ちょっと底が見えない表情を見せる武くんだけど、よくよく考えてみれば、すみれよりも年下の男の子なのだ。
すみれのことを思ってくれて…そしてカワイイ嫉妬なんかして、室井さんと張り合って食事を奢ろうとする。
カワイイじゃないの、なかなか。
そんな暖かい感情が、つい言わせてしまった。
「…武くんといると、どきどきして楽しいわ」
武が、ほっとしたように肩の力を抜いたのがわかった。
すみれは、にこっと笑って見せた。
武も、いつもの穏やかな笑みを見せた。
そして、戸惑いながら、腕を差し出した。
すみれは迷わずにその腕に自分の腕を絡ませてやると、武の緊張が伝わってきた。
そして二人で歩き出した。
「すみれさん」
「なあに?」
上機嫌で歩いていると、武が前を見たまま尋ねた。
「…青島さんと、室井さんて、やっぱり」
すみれは、重々しく言った。
「それはね、警視庁のトップシークレットなのよ」
武が天を仰いだのを見上げ、すみれはくすりと笑った。
まるで隠す気のないらしい二人の、トップシークレット。
あの二人のように、自然に気遣う関係が、武となら築けるだろうか。
まだまだ遠そうな道のりを、しかし軽やかな足取りですみれは歩き出した。