夢の国にて








「きゃ~~~!!ミッキーー!」
 人の波をざばざば泳いでゲートをくぐると、夏美はぱたぱたっと駆けだした。
 お目当ての等身大ぬいぐるみに抱きついて、頬ずりしている。
「こ、こら夏美っ」
 ぬいぐるみが夏美の腰に手を回して一緒にぴょこぴょこ飛び跳ねているのを見つけて、新城はあわてて駆け寄った。
「夏美、迷惑だろ」
 夏美に小声でたしなめるが、夏美は聞いちゃあいない。
「ねっ、賢ちゃん、写真とって!」
「夏美…!」
「早く~~!」
 仕方ないな、と新城は、この日のために購入したデジタルカメラを取り出した。
「……………」
「スンマセン、室井さん」
 眉間に皺を寄せている室井に、青島が頭を下げる。
「…いや、かまわないんだが」
 青島に強引に引っ張ってこられた形になった室井は、苦笑して青島を見て…、ぎょっとした。
「新城さ~ん、次俺ね!」
 夏美の横に走っていって、新城に写真をねだる青島が、新城と言い争いをしていた。
「馬鹿者、先に私と夏美が撮るんだ!」
「いいじゃん新城さん、ほら早く早く!」
「なんで貴様と夏美が一緒に入るんだ!」
「きゃ~!早く撮って賢ちゃん!青島さん、カッコイイポーズして下さいね!」
「夏美…!」
「おっけー、こんなんでいいかな?」
 …夏美とのツーショット争いは、青島が勝利を収めたようである。
 不承不承写真を撮って、さあ今度は、と新城が夏美に近寄ろうとすると、夏美は別の標的を求めて走り去った。
「きゃ~、アラジン~~!」
「な、夏美!それはただのガイジンだぞっ!」
「賢ちゃ~ん、早くってば~!」
 少し離れているところで、室井はやっぱりついて来るんじゃなかったと深く後悔していた。
 わいて出てくるような人の群れ。
 はしゃぐ子供たちの声。
 大人は、それを家族以外のものに見せるのは拷問以外の何者でもないというのに、ひらすらホームビデオ撮影に夢中になっている。
 人の心を躍らせる音楽と、どこからか匂ってくる、甘い菓子の香りと…。
 室井慎次34歳、東京ディズニーランド初体験。
 壊れているとしか思えない三人の連れを眺めながら、この夢の国がいかに大人を大人げなくするかをおぼろげながら学習し始めたのであった。





 ことのはじまりは、夏美のふてくされた顔だった。
 ふらふらと署内を歩いていた青島が、交通課の受付でほっぺたを膨らませている夏美を見つけたのだ。
「…どうしたの、夏美ちゃん」
「…不機嫌なだけです」
 珍しい。
 カウンターに身を乗り出して青島はたずねた。
「新城さんとケンカでもした?」
「ケンカにもならないんだもん」
「…どうしたの」
 おやまあ、と片眉を上げる。
 そりゃあ、ケンカにはなりにくいだろう。世界を自分中心に回すあの俺様新城が、夏美にだけはかなわないのだ。なんだかんだいってすっかり惚れきって彼女 に振り回されている新城には、よく酒のつまみになってもらっている。…まあ、この娘のにっこり笑顔にかなう男はそうそういないだろうが…。
「ケンカしないんじゃ、いいことじゃない」
 夏美に話の続きを促すと、夏美はさらに頬を膨らませて言った。
「だって!…お仕事で忙しいのわかってますけど。お休みくらい私と遊んでくれてもいいじゃないですか。つかれてるからやだって言うんですよ?ひどいで しょ?」
「そりゃあ…」
 新城が忙しいのはわかる。本庁の捜査一課管理官の彼が、たまの休みくらいのんびりしたいと思うのは、当然のことだろう。
 しかし、夏美と同じく、仕事でオイソガシイ恋人を持つ身としては、心境は夏美とほぼ同じである。
「ひどいね」
 断言する青島に、夏美は気をよくした。
「でしょ!今度の日曜日、久しぶりにお休み合ったから、ディズニーランド行きたいって言ったのに、賢ちゃんたら人混みなんて行きたくない、のんびり寝てた いって」
「…ひどいね~」
 と答えつつ、新城さんてばオヤジ…と、とても口には出せないことを考える。
「お休みなのにおうちの中にいるなんて、絶対ヤダ!」
「…うんうん」
 と答えつつ、新城さんてば、他の目的があるんじゃないか、ととてもとても口に出せないことを考える。
「ディズニーランドに行きたいよう!」
「…わかるわかる」
 と答えつつ、新城さんにディズニーランドは似合わないよな、と絶対に口に出せないことを考える。
 少々気持ちが新城よりになってきたところで、夏美はがっと青島の手を掴んだ。
「青島さんも、行きたいですよね!?」
「えっ?ええっ!?」
「ディズニーランド!」
「え、あ、うん…」
 夏美に手を握られて、こんなとこ新城にリークされたら殺される、と適当に相づちを打つと、夏美はにっこり笑った。
「じゃ、協力して下さい!」
「…はい~?」





 電話が鳴っているのに気がついて、青島はガスコンロの火を止めて受話器を取った。
「ハ~イ、青島です」
『…室井だが』
「あ、ハイハイ」
 つい顔が緩んでしまう。
 恋人はまだ仕事中だろうか、うしろからかすかに人の声がしている。
「どうしました?」
『…俺に、謝ることがあるだろう』
「へっ?」
 間抜けた声を出した青島に、室井は不機嫌そうに答える。
『新城がらみだ』
「新城さん…って、あ!」
 …夏美とディズニーランドに行くことが、ばれたのだろうか。
「あ、その…夏美ちゃんがですね、どーしてもディズニーランドに行きたいって、言っててですね」
『それはべついい。あの子と遊んでやるのはいいんだ。けどな、なんで俺まで』
「え?」
『…聞いてないのか』
 どういうことだろうか。室井が一緒に行くなんて、聞いていない。
 受話器から、小さく室井のため息が聞こえてきた。
『俺が新城から聞いたのは。彼女が青島とデートに行くと言い出した、どうにかしろと。新城もついていくことになったら、3人じゃ青島がかわいそうだと彼女 が言うから、俺も来い、とだな』
 へたり、と青島は床に座り込んだ。
『おい青島、聞いてるのか』
「聞いてます…」
『どういうことなんだ、説明しろ』
「…はめられました、夏美ちゃんに」
 ようは、ディズニーランドにどうしても行きたいのではなくて、ディズニーランドにどうしても新城と行きたいのだ、彼女は。
 先日言っていた「協力」とは、新城とディズニーランドに行くためのだしになってくれと、そういうことだったらしい。
 恋する女性のパワーをあなどっていた。かわいいばっかりだと思っていた夏美が、こんな策略をめぐらせるとは…。
 これは室井さんをなだめるのは大変だ、と青島が覚悟を決めて説明すると、室井はあっさりと言った。
『…彼女が言うんじゃ、仕方ないな』
「…へっ?」
『わかった、その日に俺も休暇を取る。青島、お前もとれるんだろ?』
「とれ…ます、け、ど…」
『よし。じゃ、今から申請出して、それからそっちに行く。…メシ、つくってあるのか』
「はい…」
『じゃあな。…それから、これは貸しだからな。ゆっくり返してもらうぞ』
「は?」
 室井の言葉に疑問を感じながら、通話がきれた受話器を元に戻してはっとした。
 なんで「彼女が言うんじゃ仕方ない」んだ。やけに甘くないか、夏美ちゃんに。
 再びガスコンロに火をともして夕食のスパゲティーをつくりながら、青島はどうやって追求してやろうか、と考え始めた。
 …しかし、それはできなかったようである。
 青島家にやってきた室井に、その日は一晩中「貸しを返す」ことを要求されたのだから…。







 …叫びすぎて、のどが痛い。
 肩で息をしながら、新城はビックサンダーマウンテンの出口に向かって歩く。
 最初にスペースマウンテン。その次はスターツアーズ。そして今、ビックサンダーマウンテン…。
 どうも絶叫系は得意ではない新城には、拷問に等しいまわり方だった。
 新城としても、いろいろと考えていたのだ。
 ディズニーランドなど、いい大人が行くところではないと常々思っていたが、夏美と青島を二人だけで行かせるなど、もちろんとんでもない。渋々ついてきた のではあるが、夏美とのデートとなれば、研究は欠かせないのだ。
 ディズニーランド行きが決定したその日の帰りに書店に立ち寄り、ガイドブックを買い求めた。
 夏美をきちんとリードして、楽しませてやろう。たいそう混むところだと言うから、たくさんアトラクションを楽しめるように、効率のよいまわり方を考えな ければならない。…そのなかに、シンデレラ城ミステリーツアーを入れて、怖がる夏美に抱きつかれるというシチュエーションを入れるくらい、許してもらって もいいのではなかろうか。
 しかし、そんな新城のもくろみはあっさりと崩れ去った。
 すっかりはしゃいでいる夏美は、青島とどんどん先を歩き、まずは絶叫系だと言うのである。
「賢ちゃん、次はスプラッシュマウンテンね!」
 夏美はにっこり笑って新城を振り返った。
「…本気か」
「急ごう、夏美ちゃん!」
「はい!」
 …聞いちゃあいない。
 深くため息をついて脂汗を拭うと、室井が横に立った。
「………………」
 不機嫌そうに、新城を睨み付ける。
 新城は、恨めしげに室井を見返した。
 重々しく、室井が告げる。
「急いで、二人に追いつけ」
「…はっ?」
 室井は顎をしゃくって二人を示す。
「誰のためにつきあってると思ってるんだ。青島と彼女を二人並んで歩かせていていいのか?」
「あ…」
 一瞬呆けた顔をしてからあわてて新城が駆け出すのを確認してから、室井はゆっくりと歩き始めた。
 前方で夏美に追いついた新城がなにか夏美に言っている。
 夏美を挟んで歩いていた三人だったが、しばらくして青島が歩調を緩めた。
 室井が追いつくと、青島が笑いながら言う。
「室井さん、ウマイ」
「…あたりまえだろ」
「へへ」
 にこにこと新城に話しかけている夏美を見て、青島は嬉しそうに言った。
「あの子が喜んでくれてるなら、いいっすよね、ディズニーランドも」
「…お前はしっかり楽しんでるだろ」
「まあね」
 室井の見たところ、新城と夏美のためという名目でディズニーランドに来ている割にはかなり楽しげな青島である。
「…ま、いいか」
 ぼそっと言った言葉は、青島にはうまく聞き取れなかったようだった。
 ん?と室井を見る青島の頭を軽くこづいて、室井は歩調を早めた。
「急がないと、他の乗り物に乗れないんだろ?」
「…ハイ!」
 嬉しげに横を歩く青島を見て思った。
 …ま、恋人の喜ぶ顔を見たいのは、だれだって同じだ。
 そういう意味では、ディズニーランドを楽しみ始めた室井であった。




 ぶわりと炎があがって、周囲から歓声が沸き上がる。
 隣を見ると、夏美はきゃあ~と叫びながら手を叩いている。
 …まあいいか。
 そう思いながら、新城は再びシンデレラ城に目を向けた。
 結局、新城のもくろみはことごとく失敗した。シンデレラ城ミステリーツアーも、ホーンテッドマンションも、夏美は怖がってくれたりはしなかったのだ。声 を上げて笑って喜んでいた。…研究が足りなかったのは、夏美のテーマパーク好きだったようだ。絶叫系からホラーハウスまで、その許容範囲は幅広いらしい。
 けれど、新城は満足していた。
 恋人に喜んでもらうのが、男としてのつとめではないか。
 ふと肩に柔らかい感触を感じて隣をうかがうと、夏美が新城の肩に頭を乗せていた。
「…どうした。つかれたのか?」
「ううん、そうじゃないの」
 夏美の腰に、そっと手を伸ばす。
 新城の仕草にちょっと笑って、夏美は言った。
「ありがと、賢ちゃん」
「え?」
「…あのね、ずっと賢ちゃんと来たかったの、ディズニーランド。パレード、ステキだったでしょ?最初の方とか…」
 そういわれて、思い出す。
 夜のパレードは、やけにきらきらしていた。最初にディズニー映画に出てくるヒーロー・ヒロインに扮した外国人たちが立て続けにやってきて、踊っていた。
 ディズニー映画など見たこともない新城には何がなにやらわからなかったが、うっとりしている夏美を見て、そうか、ここはうっとりするところかと納得した のだ。
「…あんなふうにね、べたべたしたかったの」
「…そうか」
 言われて少々顔が赤らむ。
 じつは、新城も少し思ったかもしれない。
「賢ちゃんこそ、つかれちゃったでしょ?お仕事忙しいのに、わがまま言ってごめんなさい」
 しおらしく言う夏美にまた、いっそう愛おしさが募っていく。
「…たまにはいい。君とこういうところにくるのも」
 くすりと笑って、夏美は新城に抱きついた。
「…賢ちゃん、大好き」
 抱きつく拍子に頬に口づけられた新城は、もちろんなにも答えられなかった。





 新城と夏美が座っている広場から、少し離れた通路の隅で、室井と青島は二人の様子を伺っていた。
「…今、新城さんが腰に手を回しました」
「青島」
「あ、夏美ちゃん抱きついた」
「おい」
「…ほっぺにキスしてますよ~」
「…あおしま」
 不機嫌そうな声を出す室井を振り返る。
「なんすか」
「いいかげんにしろ、恥ずかしい」
「…たしかにね」
 少々互いに誤解が残っているような気がしたが、室井は黙っていることにした。
 夜空には、花火があがり始めた。
 これは青島が喜ぶだろうと様子を伺うと、思いがけなく青島は小さくため息をついていた。
「…どうした。花火だぞ。うれしくないのか」
 室井の言葉に、青島は苦笑して答えた。
「もう、室井さん。俺のことなんだと思ってるんすか。コドモじゃないんだから」
 …意外な言葉である。
 今日の様子を見ていたら、遊園地とか花火とか、そういったものが大好きなのだろうと思っていた。
「こういうの、好きじゃないのか」
 そうじゃないけど、と青島はうつむいた。
「…どうした」
 青島の顔をのぞき込む。
 すると青島は笑っていた。
 でも、いつもの晴れやかな笑みではない。すこし、悲しげな…。
「ちょっと、落ち込んでました、実は」
「なんで」
「…自分でもばかげてると思ってるけど。俺たち、あんなことできないっしょ」
 新城と、夏美のように。
 肩を並べて歩いて、同じものを指さして笑い合って、隣に座ってシェアした料理を奪い合って。
 もちろん同じことはできるだろう。
 でも、なにか違うのだ。いつもなにかに許しを請うている気がして。
 …こんな気持ちは、とうに乗り越えたと思っていたのに、ときおり不意に思い出して不安にある。
 室井の愛を信じていないのではなくて、自分の気持ちに自信がないのでもなくて。
 ただ漠然とした罪悪感が、青島を苦しめるのだ。
 幼い頃おびえた、悪夢のように。   
「青島…」
「スンマセン、ばかなこと言いました」
 真剣な顔をして、頭を下げた。こんなことを言えば、室井も苦しむ。本当にばかなことを言った。
 すると室井は、青島の頭をぐいっと自分の肩に押しつけた。
「ちょ、っと室井さん!」
「本当にお前はばかだ」
「室井さん、離して下さい!誰かに見られたら…!」
「見られたっていい。お前の方が大切だ」
「室井さん…」
 室井は青島に頭を上げさせて、両手で青島の顔を挟んで瞳をのぞき込んだ。
「俺を信じてろ」
 そして青島に口づける。
「…だれが認めてくれなくても、俺たちは幸せになるんだ。お前は俺を信じてればいい。…わかったか」
「…はい…」
 夜空に花開く輝きに、肩を寄せ合って目を奪われている恋人たちの中で、しっかりと抱き合う二人がもしかしたら一番、甘い恋人たちだったかもしれない。








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