秘密










 あのころ。
 まだこの恋が実るだなんて想像もしなかった、あのころ。
 理想と尊敬と憧れと、盲目的な信頼が恋の大半を占めていた。
 あのころを思うと、顔から火を噴きそうだ。
 こうしてさ、おんなじベッドで抱きしめあって眠るようになった今じゃ、思い出すのも恥ずかしいんだけど。
 それっくらいの、純愛、デシタ。





「ねえ室井さん、俺がいつからあんたのこと好きだったか、知ってます?」
「…最初から」
「んなワケないでしょ」
「…ちがうのか」
「当たり前でしょ」
「……………」
「傷ついた振りしてないで、真面目に考えて下さい」
「わからんな」
「即答しない」
「わからんものは、わからん」
「もう…」
「早く言え」
「こう言えばわかる?」
「ん?」
「運命の、階段下」





 査問委員会で、室井さんにとっては納得なんか全然できない処分が下されて。
 俺は室井さんの声を背中に聞きながら、階段を早足で下りていた。
 組織の中で生きる人間なんだから、ルール違反をしたら処分を受けるのは当たり前だ。
 たとえそのルールが間違っていたとしても、でも受け入れるしかない。
 それは、仕方がないからではなくて、俺があくまで組織で生きる人間だから、だ。
 やがてこの組織を変える人が、ここにいるんだから。
 俺はそう納得しているはずだった。
 …でも。
 でもやっぱり、ショックは隠せなくて。
 だから、こんな顔を室井さんに見せたらいけない、と思った。
 室井さんは、それでも俺を追いかけてきた。
 仕方がないから、なんでもない顔をして、俺はがんばれる、と言った。
 そう、がんばれるさ。
 俺を信じてくれてる人がいる。俺の信じた人がいる、だから。
 そうしたら、室井さんは敬礼してくれた。
 俺の不安とかショックとかごまかしを、見透かしてくれたのかどうかはわからない。
 でも、室井さんは俺に敬礼してくれた。
 隣に立てなくても。
 下から見上げるだけでも。
 でも、俺と室井さんは、おんなじ気持ちを持ってる。
 そう確信した一瞬だった。
 胸がね、こう、熱くなったよ。絶対口になんかしてやらないけどね。
 でね、決定打。
 敬礼した室井さんは、俺に笑いかけた。
 そう、このときなんだ。
 イイ年した男がね、笑っちゃうでしょ。
 きゅんっとしました。
 ハハ、寒いねこりゃどうも。
 ま、これも絶対、口になんかしないんだけどね。





「じゃあな、お前、俺がいつからお前が俺のこと好きだって気づいてたか知ってるか」
「知りませんよそんなの」
「真面目に考えろ」
「最初から」
「…そんなに敏感な男だと思われていたとは、嬉しい誤算だ」
「冗談に決まってるでしょ。…イテ」
「真面目に考えろ」
「えー…?」
「早く言え」
「せっかちな男は嫌われるんですよ」
「…じゃあヒントをやる」
「え?」
「…コーヒーカップ」





 室井さんは、処分を受けて仕事上ではまったく関係のなくなった俺を、ちょくちょく自宅に誘ってくれた。
 きりたんぽはうまかったし、室井さんちにあるあちこちの地酒もすごくおいしかった。
 酒を名目に室井さんに会いに行くのが不自然ではなくなりつつあったころのことだ。
 珍しく、俺は昼間っから室井さんちにあがりこんでいた。
 室井さんの部屋は、とても居心地がよかった。
 性格からはちょっと想像もつかなかったんだけど、意外と物が多い。
 捨てられない性分なんだそうだ。
 秋田の実家の家族の写真が、サイドボードの上に大切そうに飾られていて、室井さんがそっと埃を払うのを見て、なんだか俺は嬉しくなったんだった。
 今では想像もつかないことなんだけど、室井さんの部屋はちゃんと片づけられていて、でも人間臭さもちゃんと漂う。
 テキパキと、音がしそうなくらいの普段の仕事ぶりからは想像できないこの部屋が、俺はとても好きだった。
 室井さんが、今日は外に食べに行こう、と言いながらコーヒーをいれてくれた。
 室井さんがいれてくれたコーヒーは、実はあんまりおいしくない。
 でも好きだよ。あんたがいれてくれたから。
 そんな言葉が口に出せるはずもない俺は、席を立った室井さんに気づかれないように、カップにそっと手を伸ばした。
 室井さんが口づけた部分に、唇を落とす。
 間接キス。
 俺だけの秘密。
 誰にも教えない、この恋は。
 室井さんにだって、絶対に。
 あのころは、そう思っていた。





「…見てたの!?」
「まあな」
「すけべっ!」
「…こら、その言い種はなんだ」
「こっそりひとのやること見てるヤツがスケベでなくてなんなんですかっ!」
「こっちむけ、青島」
「やだよっ」
「いいから、ほら」
「やだったらっ」
「…赤くなって」
「見るなーっ」
「かわいいなって思ったんだ」
「はぁ!?」
「あのとき、コーヒーカップを持ったお前も、今赤くなってるお前も」
「すっ、すけべっ!」
「なんとでも言え」
「んっ、んん~っ!…っ、室井さんの、ばかーっ!」






 今の俺のこの恋は、あのころの純愛とは少し違うみたいだ。
 俺の理想も尊敬も憧れも、盲目的な信頼も。
 この室井慎次とは微妙に違うみたいだ。
 室井慎次は、ただストイックな理想家なんかじゃない。
 自信家で、激情家で、仕事虫で、それからすけべだ。
 ああでもね。
 俺は、あのころの純愛に負けないくらい、このすけべを愛してしまっている。…みたいだよ?
 理想も愛も、両方このひとと肩を並べて歩くこの道の果てにあるって、知ってるからさ。
 はは、これまた寒いね、どうも。








初心にかえってみました☆
朋の初心は…すけべ官僚?(笑)

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