電車







 名前を呼ばれた気がして、後ろを振り返った。
「やっぱ、室井さん!」
「…青島」
 遙か後方から走ってくる青島を認め、足を止める。
「来てたんですね」
 にこにこ笑いながら駆け寄ってくるその笑顔が、夕日に反射するようで、まぶしくて、目を細めた。
 すぐに私に追いついた青島は、息を整えながら私を促す。
「来てたなら、声かけてくださいよ。直帰、ですか?」
 探るような上目遣いに、短く答える。
「ああ」
「俺も、今日はもう上がりなんです。…呑んできません?」
 そうだな、と小さく答えると、彼はまた笑った。
 広大な空き地に沈んでいくオレンジ色の太陽が、私たちの影を長くしている。
 それを見つめて、彼の笑顔を見ないように努めて駅までの道を歩いた。
 …君は、知らない。
 私が君の笑顔にどうしようもなく心を揺さぶられていることなど。





 歩いている間も、駅について電車を待つまでの間も。
 彼の話題は尽きることはない。
 口べたな私を気遣っている…わけではなさそうだ。
 ただただ、話すのが楽しい。
 そんな様子で、今日おこった珍事件、先だっての飲み会で真下君が見せた醜態、恩田君の強気な発言などを、身振り手振りを沿えて。
 私はときおり相づちを打つ程度しか反応を返さないというのに、青島はそんなことは気にもとめずに、笑いながら話し続ける。
 青島と、こんなふうに話すのは、楽しい。
 そうは見えていないかもしれないけれど…とても、楽しい。
 少しずつ、彼の考えていることが見えてくる。
 意外な一面が、顔を覗かせる。
 そんなふうに、彼を知ることに夢中になっている自分に気づいたときに…以前から抱えていた不可解な感情に納得がいった。
 なぜ、捜一に彼が欲しいと思ったのか。
 なぜ、こんなにも彼が気になって仕方がないのか。
 私は、彼が好きなのだ。
 友人として以上に…彼が、好きでたまらないのだ。
 正直、愕然とした。
 けれど、これが、精神だけの上のものならば。
 そして…彼にさえ知られなければ。
 このキモチを抱えていっても、許してもらえるのではないだろうか。
 いったい、誰に?
 そんな問いは、意識の底に沈めて。
 ただ、彼の笑顔を見て、話をして、彼を知って。
 …それだけで。
 私は、温かいものをもらえる。
 上に立ち向かう、力をもらえる。
 幸せに…なれる、気がする。
 青島の話に相づちを打ちながら、今日もまた誓う。
 決して、青島に気取られまい。
 このキモチを…決して表に出すまい。
 この笑顔が、私に向けられている限り。
 青島が、顔を上げた。
「電車、来ました」
「…そっか」
 頬が少し緩んだのが彼に気づかれたのだろうか。
 青島は、すこし意外そうな顔を見せた後、にっかりと笑った。





 電車は、ひどく混んでいた。
 この界隈は、まだまだ交通の整備がなっていない。
 おまけに、ちょうどラッシュアワー。
 臨海副都心線は乗車率200%だ。
 私と青島は、なんとか満員の電車に体を押し込んで、扉がぎりぎりで閉まるのを確かめてほっと息をついた。
「…よかったっす、乗れて」
「そうだな」
 と、言って気づく。
 思ったより近くに、彼の顔があることに。
 青島は扉に背中を預け、私はその正面に。
 ちょうど顔を上げれば、彼の瞳が伏し目がちに私を見ていた。
 その色にどきりとして、慌てて視線を逸らす。
 …彼は、変に思わなかっただろうか。
 我ながらわざとらしかった視線のはずし方に今更ながら思い至って、そっと彼を伺うと、青島は窓の外を見ていて、胸を撫で下ろす。
 電車が揺れるたびに、人波に押されて青島と体が密着してしまう。
 不意に鼻孔を襲う、彼の臭い。
 整髪料と…微かに残る、煙草の臭い。
 緩められたネクタイからわずかに覗く喉のラインが心をざわめかせる。
 普段だったら決してあり得ない距離感が、彼の熱を伝えてくる…。
 ガタン、と、電車が大きく揺れた。
 体が傾いて、慌てて扉に手をついた。
 彼の頭のちょうど横。
 彼が、私を支えようと手を伸ばし、より一層距離が縮まる。
 驚いたように見開いた瞳が、私を見て揺れた。
 視線が、絡み合う。
 その胸の裡を、探るように。
 この胸の裡を、えぐるように。
 吸い込まれそうだ…。
 たまらなくなった。
 このまま彼に、口づけそうになったとき。
 電車が止まった。





「わ、なに、室井さん!」
「ここで降りる!」
 騒ぐ青島の手を掴んで、電車を飛び降りた。
「降りるって、ええっ!?」
 青島が慌てている間に、電車の扉が閉まった。
「ちょっと、室井さん!」
 重たい音を立てて、電車が走り去る。
 それを見届けてから、私はようやく口を開いた。
「…すまない」
 軽く頭を下げた私に、青島がなにか言いたそうに口を開いて、そして閉じ、頭をがしがし、と掻いた。
「どしたんです、急に」
「いや、その…」
「乗り慣れてないから、酔っちゃいました?」
 悪戯っぽく、私を見る。
「いや、…そうじゃなくて」
「そうじゃなくて、なに?」
 うつむく私に、青島が言った。
「…なんでもいいですから、コレ、そろそろ放してくれません?」
 軽く、まだ私が掴んだままだった腕を上げてみせる。
 私は慌てて手を放した。
「す、すまない…!」
「いいんすけど」
 そして、ふわりと笑う。
「…行きましょか」
「え?」
「室井さんの行きつけの店、あるんでしょ?この駅に」
「あ、いや、その…」
 そんな店は、ない。
 そう言えずに視線を彷徨わせると、青島は苦笑した。
「そゆことに、しといてあげるって言ってるのにな」
「…え?」
「なんでもないっす。いいから、行きましょう」
 そして私に背を向けて、階段に向かって歩き出した。
 呆然と見ていると、青島が振り返った。
「はやく」
「あ、ああ…」
 そして私が青島に追いつく間に、青島のつぶやきが、聞こえた気がした。
「…言ってくれると思ったのになぁ…」
 言ってくれると、思ったのにな…?
 その言葉の意味することを考え、しばし思考が停止する。
 それは、つまり。
 …つまり?
「…青島?」
 私の呼びかけた声は、ホームを通過した快速電車にかき消された。
  






室井さん…まるでだめ 男!!(笑)

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