33年目のそら
あと少しで眠れる…。
そう思ったとき、チャイムが響き渡った。
眉間にしわを寄せ、時計を見る。
すでに日付は変わり、まともな人間が尋ねてくる時間ではない。
はぁ、とため息をついてベッドから降りた。
そうしている間にも、ぴんぽんぴんぽんと落ちつきなく玄関のチャイムが鳴る。
裸足の足には、フローリングの床がひやりと感じる。
鳴り止まないチャイムにいらつきながら玄関の扉を開けると、息を白く弾ませた恋人が満面の笑みをたたえて立っていた。
「室井さん、星見に行きましょう!」
「……………」
こいつの行動がいつだって突然で、こちらの思惑などお構いなしだということには、ずいぶん前から気づいていた。
…それにしたって。
「星が見たい」?
それはないだろう。
深夜だぞ?疲れて帰ってきたんだぞ?今から寝るとこだったんだ!
…と、思い切り言ってやりたいが、できなかった。
こう見えても、寝付きが悪くて寝起きも悪い室井である。
布団に入ってもうだうだといつまでも眠れずに時間を過ごす。
やっと眠れそうだった体をこうしてたたき起こされれば、ものを言う気力など根こそぎなくなっているのが常だ。
くたくたになるまで体を酷使すれば別だが、ここ最近そんなに体を使わせてくれずにいる恋人に、避難混じりの視線を送った。
隣に座る恋人は、室井の視線を受けて、神妙な顔をして言った。
「室井さん、前、ちゃんと見てください」
「……………」
「運転中のよそ見、危険ですよっていつも言ってるでしょ」
「……………」
「あ、そこ、右」
「……………」
「聞いてます?」
「……………」
「…機嫌、悪いの?」
「……………悪い」
「聞こえないよ」
「……………」
いつもこうだ。
室井はあきらめの境地に至り、深くため息をついた。
だいたい東京のいったいどこで星なんか見れるって言うんだ。
そうぼやく室井を、青島は学生時代に見つけたという穴場に招待した。
緑深い山に分け入り、車を止めて降り立った頃には、時間はすでに2時を回っていた。
「こっち、室井さん」
ちょうど木々がぽっかりと夜空を切り取った草場に腰を下ろし、室井を呼び寄せる。
まるで子供のようなはしゃぎっぷりに、さっきまで不満たらたらだった室井が苦笑する。
…こんなに喜ぶ顔を見られるなら。
ちょっとくらい睡眠を邪魔されても、安いものだ。
そんなことを思いながら、青島が手招くままに青島の横に腰を下ろした。
「はい、上見て」
言われたとおり、夜空を見上げる。
…確かに星は、都心にいるよりぐっと鮮明に見えるが…
「降るような、ってとこまではいかないんですけど」
ちょっと首を傾げたのがわかってしまったのだろうか。
青島が苦笑しながら、室井の肩に体重を預けてくる。
「秋田の綺麗な空を見に行くには、時間がないから」
「…そっか」
そのまま青島の肩を抱き寄せようとすると、青島がそのまま体を倒した。
…これは。
室井が思いがけない期待に胸を震わせて青島の横に体を延べる。
そしてそのまま青島にキスを仕掛けようとすると…
「ちょっと室井さん、邪魔」
「邪魔?」
あまりの言い様に、眉間にしわが寄る。
「星が見えないでしょ。こうやってねっころがってるほうがよく見えるんだから」
「…ああ…」
期待が大きかっただけに、落胆も深い。
どうせ、こんなものなのだ。
青島が、こんなところで許してくれるはずがないのだった。
やけくそ半分で、頭の下に両腕を回して、夜空を見上げる。…と。
一瞬、なにかがよぎった気がした。
「あ!今!今の、見ました!?」
青島が、歓声を上げる。
「ああ…流れ星、か?」
「そう!やったー、今年は条件ワルイって聞いてたから、だめかもしれないって思ってたんですけど!俺たち、運がいい!」
体を起こして、もう見えなくなってしまった流星に拍手している。
「あ、また!」
「え?」
言われてつい体を起こす。
…たしかにまた、夜空にうっすらと軌跡を描いて、星が流れた。
「…こんなに、ぽろぽろ落っこちるものか?」
またもや歓声を上げる青島に視線をやると、青島がにっこり笑って答えた。
「獅子座流星群です。去年も来たでしょ?…今年もまだ、見れるんです。今日だけ」
「…ああ、あれか…」
昨年も、たしか青島が大騒ぎした。
絶対に見に行くと言い張っていたのだが、結局湾岸署からの呼び出しがかかって、湾岸署からじゃ見えっこないと泣きそうな顔をして室井の部屋を出ていったのを思い出す。
「そっか、今年も、見れたのか」
「はい!今年こそって、ずっと思ってたんす!」
子供のように、瞳を輝かせて夜空を見上げる青島。
…こちらの方が、星の流れる空よりも、ずっと綺麗だと。
思ったとしても、絶対に口には出せない。…照れくさくて。
仕方がないから、青島と共に空を見上げた。
ひとつ、またひとつと星が流れるたび、青島が笑う。
しゅっ、と音をたてた気がするほど、ひとつ大きな星が夜空に線を描いた。
不意に、子供の頃に聞いた話を思い出した。
流れ星を見たら、三回願い事を。
そしたら願いが叶う…。
室井が望むのは、ひとつだけ。たったひとつだけだ。
ふと見ると、青島が見つめていた。
「…どした」
「今、三回言えました」
「…願い事か?」
くすりと苦笑が漏れる。
「なにを願ったか、聞かないんですか?」
甘えるような視線が室井を追う。
「きっと、俺と同じだ」
「当ててみて」
青島の瞳が…地球に開かれた遠い宇宙のように煌めいて、一瞬言葉を失う。
それを気取られるのが気恥ずかしくて、室井はわざと素っ気なく言った。
「腹が減った、なんか食いたい」
「…室井さんて」
青島は、はぁ、と大げさにため息をついて、室井の肩に頭を預けた。
「根は笑っちゃうほどロマンチストのくせに、どーしてこういうとこはずすんだろ」
はずしたか、と小さく言うと、大はずれです、と苦笑混じりの声が答えた。
「じゃ、正解はなんだ」
「俺の願い事なんて、ひとつだけです。なんであててくんないかなぁ…」
「だから、言ってみろ」
「やなこった」
「言えって」
「やーです」
星の瞬く音さえ響いてきそうな山の中でじゃれあう恋人たちを、流れる星だけが見ていた。
うっすらと東の空が白み始めた頃、青島が眠たそうに目をこすったのを見て、室井が青島の腕を取って立ち上がらせた。
「そろそろ帰ろう。…今日は徹夜だったな」
「うん…」
室井に手を引かれて助手席に押し込まれてから、室井に大変な負担をかけたことにやっと青島は思い至った。
疲れていたはず。
こんな山の中まで車を運転させて、一晩中空を見上げさせて、じゃれあって。
これからまた、東京まで運転。
きっと寝る間もなく登庁するのだろう。
…室井に悪いとは思っている。
これがひどいわがままだというのも、わかっている。
それでも、今日だけはわがままを通したかった。
「ごめんね、室井さん」
小さく言った謝罪に、室井が、ん?と眉を上げた。
「…わがまま言って」
室井は、青島の膝をぽん、とひとつ叩いた。
「また来よう」
そして、青島についばむようなキスをした。
青島は、瞳を閉じてそれを受けながら…泣きたくなるような気持ちがせり上がってくるのを必死でとどめた。
また来よう。
また…。
でもきっと、次はない。
獅子座流星群を、室井といっしょに見ることは、きっとないだろう。
33年に一度の獅子座流星群。
次の33年目…室井は、だれと夜空を見上げるのだろう。
こんなものに興味のない室井は、きっと、青島のこんな気持ちには気づいていないだろうけれど。
…そっと、室井が青島の頬を撫でて、青島の瞳をのぞき込んだ。
吸い込まれそうなその視線に、瞳が揺れる。
室井が、そっと言った。
「さっきの、今当てる」
「…え?」
「お前の、願い事だ。俺と同じだろって言っただろ?」
青島は頷いた。
「…何年たっても。こうしてお前といられますように」
室井が、また小さくキスをした。
何年、たっても…。
その言葉の意味する暖かさに、涙がこぼれそうになった。
何年たっても…そばに、いたい…。
もう見えない流星に願うように、青島は、室井の肩にそっと手を回した。
