愛の格言






 刑事課に顔を出した瞬間、青島が言った。
「どちら様?」
 真顔だった。
 …室井の反応が、相当おもしろかったようだ。
 真顔の青島の向こうで、恩田すみれが室井を指さして笑い転げた。



 湾岸署に用事ができたのはほんの偶然だった。
 本来なら部下をやらせれば良いところを、出来の良い秘書役でもある中野の機転でこうして室井がやってきた。本庁までの送りを青島が引き受けることになっ ているのもどうやら中野の配慮らしい。
 揉み手をする袴田刑事課長に簡単に挨拶をすませ、刑事課を後にしたが、前を歩く青島はなにも言わない。
 …顔を見るのは1ヶ月ぶり。声を聞くのは2週間ぶり。
 まあいつものことであるが、いつものことになっている辺りが今回の青島のお怒りの原因だろう。省みれば怒らせることばかりしている室井だから、なにも言 い訳ができない。
 せめてこの後、食事に誘うとか部屋に招くとかできれば、ご機嫌も治るのだろうが、中野に必ず5時までに戻れと言われている。
 ため息の一つや二つ出るところだが、そんなそぶりを見せれば、青島の怒りに火を注ぐことだろう。
 室井は黙って、青島の背中を見つめて歩いていた。
 …と、ふと青島が足を止め、室井の腕を引っ張った。
 なんだ、と思った瞬間、小会議室に連れ込まれた。
 ぱたん、とドアを閉めて、青島が扉の前に立ち、晴れやかな笑顔で言った。
「久しぶりですね、室井さん」
 …ご機嫌が治ったかと、一瞬期待したが、そんなことがあるわけがない。
「あ、ああ…」
 室井は背中に寒いものを感じながら鞄を置いた。
 …青島の笑顔は崩れない。
「いやもー室井さんに会うのほんっと久しぶりだもんで、顔見たとき一瞬だれだかわかりませんでしたよ」
「そ、そうか」
「学生時代はねぇ、彼女の顔1日でも見られないともう死ぬかと思ったもんですけど」
「それは大変だな」
 などとは言えない。殺される。
 もう謝り倒すしかない。
「すまなかった」
「謝ればいいと思ってるでしょ」
「そんなことは」
「…じゃあ、俺のご機嫌が治るようなこと、言って?」
 青島が、不意に言葉に甘い響きを宿らせる。…こうした顔に弱いと知っていてやっている辺り、たちが悪い。
 室井は口元を押さえながら視線を逸らした。
「…なんて、期待はまったくしてませんけど」
 力の抜けることを言ってくれる。
 室井は青島の表情を伺った。…よかった、いつもの青島に戻っている。苦笑を浮かべて、両手を広げて。
「室井さんに会いたくて会いたくて仕方なかったんですよ?」
 その腕に誘われるようにして、青島を抱きしめた。
 久しぶりの感触。女性のような柔らかさはまったくないのに、抱き心地が良い。しっくりと、体になじむ…。
 そんな甘い雰囲気をたたき壊すように、青島が言った。
「…なんてこともなかったんですけどね?」
 がっくりと脱力したのが、抱きしめ合った身体から伝わったようだ。
 青島は笑いながら室井の顔を覗き込んだ。
「…どうせ、室井さんもそうでしょう?」
 室井は困った顔をした。
 …実際、そうだ。
 いつもいつも24時間君のことを考えていた。
 そんな言葉は嘘だ。
 今、目の前に積まれている事件。その向こうにいる被害者。謎を解き、被疑者の影を追い、証拠を積み重ね、真実を掴む。弱者を守る。室井が生涯をかけると 決めた仕事で、誇りも自信もある。常に青島のことを考えながらできることではない。
 でも…でも。
「…寝る前の一瞬。いつもお前のことを考える」
 胃がちりちりしても、刺すような痛みを眼の奥に感じても、眠りに落ちるその一瞬前に浮かぶのは、明日の捜査資料でもなく、被疑者のふてぶてしい顔でもな く、いつも青島だ。たった一人、青島だけだ。
 どんなに忙しくても、流されない自分がいるのだ。
 これはすべて、青島のためだと。青島と約束した未来への道なのだと。
 室井の声の、低く熱い響きに、青島は満足げに笑った。
「この正直者」
「お褒めにあずかり光栄だ」
 室井はほっと息をついた。
「24時間お前のこと考えてた、なんて嘘つきやがったらぶっとばしてやろうと思ってました」
 そんな物騒なことを良いながら、青島の指はいとおしげに室井の頬を撫でる。
 …こんな時、この男を愛おしく思う。この男と歩いていくことを選んで良かったと思う。
 青島は、わかっている。忙しさもその先にあるものも同じ直線上にあるものだと。
 ただ、それに甘える男になってはならないのだ。
 それさえ胸に刻んでおけば…こんなにも愛おしい存在が、腕の中にいつもいてくれるのだ…。
 甘い雰囲気に、室井が青島に口づけようとしたとき、青島の手が室井の唇を遮った。
「ところで、一瞬だけですか、俺のこと考えてるのは?」
 う、と詰まった。
 それを見て、青島が悪戯っぽく笑う。
「そういうひとだってわかってるけど、嘘でもいいから、もう少し考えてるって言ってください。親しき仲にも礼儀ありです」
「わかった…」
 頷く室井の首に腕を絡めて、青島は言った。
「じゃあ、キスしてください。濃厚なのね」
 室井は重々しく頷いて、甘い腕に誘われるように唇を重ねた。
 …リクエストに応えられたのだろうか。
 青島はほうっと息を吐き…そして小さく、もう一回、とキスをねだった。





実際24時間考えてらんな いし。
考えられててもイヤだし。
…だけど、なんかの拍子に思い出したときに、
なんか甘かったり切なかったり。
…そういうのでいいな、と思って。
タイトルの意味は、「親しき仲にも礼儀あり」です(笑)

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