登場人物は室井さんと青島くん。他も色々。恋人設定。
なんとなく事件ものっぽいけど、スルーしてください。視点が幾つか変わります。
時間軸は未定ですが青島くんは係長。バレンタイン話のお返事。ホワイトデイのお話。軽くR指定







Bloody.Valentine's Day





1.
「あっれぇ・・めっずらしィ」

モニタを確認していると青島の口から独り言が洩れた。

「どうしたんですぅ?」
「うわあっ、栗山くん、いたの・・っ!」

独り言に返事が返ってきて、青島は慌てて口元を抑えて、左右を見渡した。
やっべ、誰もいないと思ってた。

「ずっといましたけど」
「あっそう」

あまりの大袈裟なリアクションが、逆に興味を抱かせてしまったらしい栗山が席を立って青島のデスクを回ってきた。
慌てて、モニタを両手で隠す。
無駄ですよとばかりにその手を払われて、青島は額に手を当てた。

「ああ、これ、先週夏美さんがボヤいていたやつ・・」
「そう、君がサボったやつ」

モニタに映し出される調査書を栗山がマウスを動かしてクルクルと眺めていく。
昼下がりの湾岸署。
多くが出払っていて、珍しく入電もなく、客もいない。
遠くではどこかの課が誰かと揉める声が途切れ途切れに聞こえてくる。
春らしい陽気の、のんびりとした昼下がりだ。

「だって自力で追うとかタイパ悪すぎて」
「それが刑事なの」
「確かどこかの署からクレームきたんすよね、この案件。めんどくせえ」
「そう、人違い・・因って管轄もウチじゃない」
「そういうのって職質かけてる時に気付かないもんなんですかねェ」
「やってみればわかるけど、地道な捜査って無駄足ばかりよ」
「へぇ」

一番最後までスクロールして報告書を一通り見治めた栗山が、丁寧にまた最初の画面に戻してくれた。
たぶん、彼には気にも留めないことだった。

「で、何が珍しいんです?」

やっぱりな。
発端となった担当事件の関連写真を過去の犯罪歴から調べている最中
興味本位で本庁のデータベースまで漁っていると、先日までウチの、今は別の所轄に移ったこの案件の最高責任者の名前に青島の目が留まった。

「ココ」

青島が指先でコツンとモニタを弾く。
栗山が肩を寄せて覗き込めば、そこに記載された統括者名が湾岸署担当時より変更されていた。
訂正印と共に新たに記載されていたのは。

「室井慎次?」
「二重線で訂正されてる。ってことは、横取りされてから担当も変わったってことだ」
「どういうことです?」
「更に横取りされたかな?」

上に。
青島が人差し指を立てれば、栗山も苦い顔をした。
流石に新人の頃とは違い、縦割り社会というものを見知ってきている彼も、やられちゃったか~という顔に同情も含ませる。

「これってどんくらい上のキャリア?」
「肩書見て」
「げぇ、警視監ッ、え、警察庁の人だ!」
「そうなんだよ。今更こんな現場仕事に手を出せるほど暇じゃない筈なんだけどなぁ」
「なんでしゃしゃり出てくんの?」
「なにかあるのか、押し付けられたか」
「上、庇うんすね」
「そそれとね、ほら、これ見て」
「あれ、この写真・・」

正に今、手元にあるのと同じ写真がまだそこには映し出されていた。
人違いだと確認できた写真がそのままデータベースに保存され、変更がない。
わざわざ責任者名を変更したくらいだから、この調査書を見ていないわけはなく、つまり確認ミスとは考え難く、二人は顔を見合わせた。

「本庁の事務シゴトも意外と手抜きっすね~」
「いっそそれの方が被害が少ないかな」
「まさか青島さん、人違いってとこから罠だったとか言い出します?」
「俺らの手を引かせようとして?や、それはないと思う」
「なんで」
「だってこのこと教えてくれたのはヤマダくん本人からだったし、もし上からの圧力ならそういうと思うし」

先月色々あったヤマダタロウくんとは、それからも連絡を取り合う仲だ。
ついでに愚痴も言えちゃう酒飲み仲間だ。
実際、青島と室井のびみょ~~な仲もうっすら勘付いたかもななドンピシャ世代だから、もし上からの圧力が合ったとしたら
それとなく教えてくれると思えた。

「じゃ、なんでコワイ顔しちゃってるんです?」
「真剣になるとね、コワイ顔になるの」

ヤマダくんから連絡が来たのが先週末。
同じ被疑者を追っていて、発端の事件がヤマダくんの方で、しかも事件情報は同じなのに写真だけが違っていて
ウチが追ってるのがどうやら人違いだったと判明。

ところが今、人違いだったはずの人物が、本庁データベースでは該当人物のまま訂正がない。

「もしかして横取りされた事件って、ヤマダくんじゃなくてウチ?」
「ま、さか・・ぁ」
「ヤマダくんとこと、こっちの事件に重なるようにして、二つの事件を立件しようとしてるとかは?」
「そもそも何で夏美さんたちは間違えたんでしたっけ」

確か・・と言って、青島が手帳を取り出した。
報告は逐一受けていた。
夏美ちゃんはしっかりとしていて、良い刑事に育っていて、そもそもそんなミス起きたことに、シンママだから疲れてたかなと苦笑いさせてしまった。

「前から思ってたんですけど、係長の文字、癖強すぎて読めないっす」

何かがオカシイ。
内部事情がまるで伝わってこないのも変だ。
この件に室井が関わっていることも、気になった。

「手帳を落とした時、中身を見られないための暗号なんだよ」
「そもそも手帳落としたらヤベエんじゃないですか」

本来であれば手を伸ばせない男だ。
酒に酔うよりも溺れて、どうでもいいことのように素っ気なくすることは、お互いに失敗した。
室井は、青島へ伸ばす指先に、泡沫の淡い不自然さを、一瞬で潜めさせた。

「どうします?夏美さんに連絡取ってみます?」
「んん~・・、待って待って」

上で何かが動いているなら、迂闊に流しちゃ、駄目だ。
ここまで知った、次どう出るか。予期せぬ火種を撒いたのはあちらさんだ。
不用意には触れさせない。そこで完結する動きがある。まるでこの拗らせた関係性のように。

「夏美ちゃんも知らない、ヤマダくんも蚊帳の外。ヤバイ臭いがする」

躰の内からも外からも室井の熱で炙られ、青島の意識が焼き切れていく。
青島でさえ気付かなかった熱を、室井が気付かせた。
溺れるように青島を欲する室井の熱情は、今も舵を知らない。
あの猛烈な、そして破滅にも似た感覚は、室井でなければ与えられないものだった。
だから飛び込んだ。

「青島さん・・もう目が野生に変わってます・・」
「気付いちゃったからには、疼くよね」
「そうくると思ったぁぁ」

栗山がめんどくさ~と天井に顎を反らす。

室井の名前に変わった時点で、室井とて、このことを青島が知るのは時間の問題だと分かったはずだ。
なのに、情報を下ろさない。
やってくれるじゃん。
自分のことは棚に上げ、不条理にも責め立てる感情に、どこか危険なものも感じて疼くのは、いっそ、敵対心かもしれない。

「栗山くん、この状況で、一番ヤバイ事態、なぁんだ?」
「わかった。裏工作なんかホントはなかったら、そのひと冤罪」
「そこまで馬鹿だと思いたくないよね」

気付いたものは消えない。
分からせたくせに、一人被害者ぶるのは許さない。
最後に爛れるのは、こっちに譲れ。

「あっちでも関係者だったってことになるんですか?」
「こりゃ広域捜査になるかもね?」

ちゃんと全部見せているつもりだし、話しているつもりだけど、秘密の裏切りを持つ。
あのひとには気付かれているのかもしれない。
感情は消したつもりだ。けど、透けているのかもしれない。

「ちょーっと探り、入れてみましょっか。――行くよ!」
「えッ、俺もぉッ?」
「連帯責任」

そ。恋は連帯責任なのだ。







2.
「こんなとこまで来ちゃって大丈夫なんですか?」
「大丈夫なわけないっしょ」
「・・・」
「まあ、簡単には入れて貰えないだろうからさ。さて、どうするか」

直接連絡取るのは避けたい。できればバレずに済ませたい。正面突破は自殺行為。
う~んと唸って青島は目の前に聳え立つ堅牢を睨み上げた。
出待ち狙って本店にいても、時間が読めない。いちお、裏は取った。
物陰に二人で隠れ、人の出入りを窺う。
割と、誰も出てこない。

「し、しずかですね・・」
「ビビってんの。あの木、けっこ、デカイ。登るよ!」
「ええ~ッ、それ叱られるやつ?監視カメラもあるやつ?!」
「監視カメラなんて入り口入った時から丸見えよ」

ほら!とケツを叩いて、栗山を押す。
近くにあったゴミ箱を踏み台に、先に青島がガガッと飛び上がれば、簡単に手は届いた。
華麗なジャンプにコートがふわんと舞って。
そのまま枝に手を伸ばして、足を片方振り上げれば。

「――うん、届く。行けそう」
「青島さんって・・」
「なんだよ」
「意外とわんぱく坊主だったんですね・・いや、知ってた気もしましたけど」
「それに付き合うのが君たちの任務」
「うへ~」
「ほら、文句垂れてないで、登って登って」

左の枝に身体を移動させて幹にしがみ付けば、下から栗山が諦めたように野生動物化した青島に非難した目を送ってくる。

「どうやってです?」
「そこまでは頑張って飛んで。後は俺がこの麻縄で持ち上げちゃる」
「そんなの持ってんすね」
「七つ道具よ」

栗山くん、君は口数が多い。身体は軽そうだけど、こういうの、めっちゃ苦手そう。
インドアなゆとり世代。

「うわわ~、うわ、手が汚れた、枝が背中入った、あ、なんか目にも入った」
「・・うん・・、俺も昔そんな文句垂れてたわ。刑事やってたら運動面、試されっからね」

二人で幹にしがみ付き、左右から人の出入りをチェックする。
関係者の出入りは貴重な情報源だ。
闇雲に張っているつもりはない。先週の今週で動きがあったわけだから、多分、上はめっちゃ焦ってる案件だ。

「出てきますかね」
「疲れるほど働きたくないしねぇ」
「あ、それ皆さん言ってますけど」
「ちょっと前まで居た、俺の指導者のコトバ」
「へぇ・・。あ!あれ?あそこ、あの男じゃないですか?」
「ほんとだ・・ビンゴ」

まさか当事者までいるとは思わなかった。
ここに本人も連れ込んだということは別に逮捕したわけじゃなくて、知り合い?
知られる人数を最低限に抑えた極秘捜査?

「送検まで持ってけると踏んでる雰囲気ばりばり」
「どこで分かるんです?」
「だってメンツがこわい。・・周りにいるの、沖田さんに眉田さん、室井さんだよ、どんなつながり・・、うわ、新城さんまで出てきた」
「青島さんって意外と顔広いんですね」
「係長を尊敬しなさい」

写真が変更されていない理由。否、変更しない理由。
もう、これが事務的ミスだとは思っていなかった。
上がこの案件に首を突っ込みたい事情がある、意図的にこの人物を起訴するつもりだ。

「まーた下に情報下ろしてくれてないんだな、こりゃ」
「やましいことがあるんじゃないですか?」
「今更、所轄をどうこう言ってくるつもりはないだろうから、そうなりますかねぇ?」
「だとすると、これ、まずくないですか?」
「そうなんだよ、まずいんだよ」

先日まで追っていたその人物は、ウチが職質をかけて、裏付けをして、証言を取っている。
その証言の証拠隠滅なしで勝手に起訴なんて、後でバレたら大問題だ。
強引過ぎるし、根回しもしてこない。それをすっ飛ばして上がタイホだなんて、政治取引見え見えじゃんか。

「あの彼ももっと叩けばホコリ出たわけだ」
「夏美ちゃんの目は正しかったね」
「冤罪じゃないんならいいですけど」
「だといいんだけどね・・」

木々の上、ぼそぼそと会話していると、駐車場ではなく、すぐ手前で集団は止まった。
車の方を移動させるという声が漏れ伝う。
一カ月前、俺にランボーしたあの元SATの顔もある。

「引かないんでしょ?」
「当然。こっちも色々引くに引けない状況にさせられてますし」
室井さんが関わっていると知っちゃったらね。

「青島さんとしてはどうしたいんです?」
「栗山くん、君もちょっと楽しみ始めてるでしょ」

にぃっと笑えば、その少年のような青島の瞳に釣られて、栗山も滅多に見せない苦笑を洩らして頷いた。

「俺が関わっているって知っててコレだよ。相変わらずだわ」

背中合わせであれば同じ場所に、誰よりも傍に、誰よりも近くで、密着して、立っていられる相手だった。
束の間の幻想が希望と絶望を綯交ぜにする。
お願いだから、置いていかないで。言葉にもしない感情が破裂寸前でいつもいつもここにある。
そこまでして付いて行って、俺に何ができるんだろう。
いつか、恋の終わりに、そこで与えられるものを自由と呼ぶのだとしたら、俺はそれに何を思うだろう。

「人に寄り添うのはやっぱり下っ端の俺たちなんだからさ」
「ですね」
「割を食うのは同じ警察の人間でいいよやっぱり。上のメンツ潰したところで、多少イタイ目みるだけだって」
「痛い目って?」
「三カ月の減俸」
「ううっ」

幹にしがみ付きながら、伝って移動する。
塀に触れたら多分アウト。警報鳴って、通報されて、外野呼んで、騒ぎになって。
警備員が飛んでこざるを得なくさせちゃうから、慎重に事を運ぶ。
壁伝いに庭木が等間隔に居並び、枝に隠れて近くまで這い蹲った。

足元に新城さんの後頭部が見える。
その前に沖田さん。
車がここまで横付けされていて、たぶん、これは引き渡しだ。

会話をしているようだけど、風の音と距離で、ちょっと聞こえづらい。
あ、室井さんの声。久しぶりだぁ。あのバレンタイン以来か。

今日はホワイトデイだ。
前回のお礼参りに、今夜奇襲をかけてやろうと思っていたんだけどなぁ。
こりゃムリだな。

「なんか話しこんでますね」
「立ち話が出来る場所ってのも選んだだろうしね」
「盗み聞きすんですかっ」
「え。聞かないの?」

ぼそぼそと話す様子は木々の間から葉音に混じる。
時折聞き洩れる声に集中する。
眼下に見る面子は、これもまた久しぶりな顔ぶれだ。
こうして上級官僚のみで構成された面々を眺めていると、漠然と自分たちとは違う世界で仕事をしているのだなと感じる。
隣に栗山がいるだけに、普段の湾岸署の気配もリアルで、余りにも違うことを実感する。

本当に、遠い世界だ。
この人たちは、こういう仕事を選んだのだ。
そしてその中の、一部の選ばれた人たちなのだ。

俺は弱いからあの手を取っちゃったけど、本当は取るべきじゃなかったことは分かっている。
今更な回顧に懐かしみはない。
ほだされたとか、押し切られたとか、まあ言い訳はあるけど、最後に向けられた手を振り払うことが出来なかった。
俺はいつだってそうだ。
最後の最後に感情に屈する。理性と意志で踏みとどまる室井の逞しさはない。

「あんま良く聞き取れませんけど、権利がどうのって言ってます?」
「栗山くん、録音してる?」
「してる・・」

いつか、どこで間違えたんだろうと後悔した時、その分岐点は間違いなく約束の階段だったと思うんだろう。
この恋を、そんなものにしてしまう自分が、ひどく卑しいものに思えていた。

「内緒話を録音。こりゃバレたら減俸どころの騒ぎじゃないかも」

言うのがこわいだけだ。
そんなものかと諦められるのがこわいだけだ。
仕事も、恋も。

ぼんやりとそんなことを考えていた時、新城の声がふと止まった。
一瞬の空白が空気を切る。

「ネズミ、どうしますか」

新城の声に、室井が含み笑いを落としたようだった。

「・・放っておけ。大したことは出来やしない」

気配を隠し切れないのなら懼るるに足らないとばかりに室井が俯き、ポケットに手を入れる仕草が木漏れ日に光る。
慄く様に、沖田が幹から離れ、その彼女を庇うように眉田が後ろ手に囲った。
だが、それが逆に新城の興味を煽ってしまったらしい。

「室井さん」
「仕方ないか・・」

げ、それ新城さん反則・・と思う間もなく、新城が庭用の熊手を投げ、足で乱暴に幹を蹴り、反対側からは室井が石を数回片手で弄び、鋭く投げる。

「イッ、テテッ・・わ、わわッ」

室井さんは俺んことキレイだって思ってるみたいだけど、実際そんなわけない。
愛し愛される幻想に浸れればそれでいいと、欲しがったから。
だから溺れてやるから、最後通告は渡せ。
不意の邂逅、予定調和の口論。そんなものに甘い幻想を当て嵌めたわけじゃない。

ドサッ×2

大きな音を立てて満天星ツツジの垣根を壊した狼藉者を、室井が野草を掻き分ける。
そこに落ちた人物を見て、新城が目を剥き、室井もまた、固まった。
へへっと笑っても誤魔化しきれるわけはなく、恐らく事態を把握した全員が、同じことを考えていそうな顔をしていた。

「ここで何をしている」
「っとぉ~・・ブラッディ・バレンタイン?」

青島の外したギャグに笑える者はここにはいない。

「とりあえず、そのひと、被疑者にしちゃマズイっす」








3.
栗山はこの世の地獄絵図を見たと思った。
総勢4名の官僚が双眸に迫る。

うっぎゃあああ。こええ~、めちゃめちゃ厳めしい男たちが並んでこっち見てるぅ・・。
とりあえず、警察学校で習った整列と姿勢で敬礼か!

「階級と所属を」
「は!え、え、えっと!」

先に名乗ろうとしたら、隣の青島さんに肘で小突かれた。
あ、先輩の方が先か!・・・と思ったら、青島さんの顔がこの場にそぐわない愛嬌ある表情であることに気付く。

「名乗んなくて良いから。冗談だから」
「え?んあ?え?」

狼狽える俺を無視して青島さんが一番端の一番偉そうな人に指を差した。

「んもお、新城さん、顔コワイ。ウチのカワイイ後輩、ビビっちゃったじゃない」
「うるさい。忍び込んだ狼藉者を成敗しているだけだ」
「あ、水戸黄門?」

青島さんのツッコミに誰も笑うひとはいなくて、空気が重い。
怖い。
怖いんだけど、後ろのすっげえ美人とか、クスクス笑ってるし・・この状況が全く掴めない。

「新城さん、ランボーなんだもんなぁ」
「相変わらず足を引っ張るのが好きなようだ。――気苦労が多いですね、室井さん」

室井と呼ばれた隣の黒い厳格な男は答えず、更にその隣にいたすんげえ美人が、ふふと笑う。

「あら、それも楽しみなんですよね、室井さんは」

黒の高級そうなスーツで、鼻筋の通った整った顔に、ニコリともしない表情。
眉間を寄せているから冷酷な気配を持ち、消せないオーラがやばくて。前一回会ったよな、あれ、もしかしてこの中で一番偉い人?
なのにいじられキャラなのがもうホラー。
なにこの状況。
それにしても青島さん、けっこー大胆だなぁ、こんなメンツに囲まれて動じてない。
みんな何度かテレビで見たことのある顔なんだけど。
知り合いって、本当なんだ。

「ところで、貴様が不法侵入した理由は、コレか」

途端、青島さんの目の色が強気な艶を帯びた。
いつものよく見る勝ち気な表情に変わり、上目遣いに相手へ飛び込む。
え、大丈夫なの?挑発しちゃって。
落ちた際に付いた青島さんの顔の傷が血で滲んでいて、それを拳で拭う青島さんはいつもと違って見えた。

「つまり、やっぱり知ってて情報下ろしてくんなかったんですね」
「言うほどのことではないからな」
「言ってよ!そこわ!」

咬み付く青島に、新城と呼ばれた男も物足りないとばかりに舌を出す。

「言ったらお前は絶対大ごとにする」
「いっそ、大ごとにしたのはそっちな気がしますけどね!」

鼻を突合せて、青島も負けじと舌を出す。
え、仲良いの?悪いの?え、これ喧嘩?
分からなくて目を白黒させていたら、それまでビクともしていなかった男が、動いた。

「新城」

たった一言。
あれだけ影が薄かったのに、箔の付いた声音に、周りが視線を交わし合い、言葉を慎む。
たった一言だ。
すげえ、なんだこれ。これが階級の力?

「どうしますか、室井さん」

新城の声には上役を敬うというよりは、同胞のお手並み拝見というニュアンスが含まれていて
直属部下ではない様子が伺えた。
なんか、信頼し合っている関係で、いいなぁ。ベタベタするわけじゃなく、男の絆というか。

「ばれちゃったもんは、しょうがない」
「だから青島には甘いと言われるんですよ」
「言っているのは君だけだ」
「沖田も同意見だと聞いています」
「それは知らなかった」

室井の視線が新城の後ろにいる女性に向かう。
腕を前でゆるりと組み、慎ましく微笑む美人。
あ、そういえば古い資料室でこの女性が表紙の会報も見たことあった!
青島さんとは因縁というか喧嘩腰って噂流れたけど、仲良いじゃんッ!?

「新城さんったらお人が悪いですわ。室井さん、今回は時間が押してます。手続きだけ先行させてしまいましょうか」
「君の方が話が早いな」

室井も頷き、合意の目を乗せる。
これで逃げられる、と思った矢先、青島が噛み付いた。

「待ってよ、このまま事を進めちゃう気?」
「ああ、そうだ」

やーめーてー!あおしまさーん!!
願いも虚しく、にべもなく高圧的に言い放った室井に、青島が更に詰め寄っていく。

「この件じゃ無理って知ってますよね!」
「別件だ」
「へぇ、こっそり罪状変えたわけだ!」
「偶然だろう」
「それが通用するとでも?俺に!」
「調書になってしまえば日付ぐらい誰も気づかない」
「ちょっと!」

青島が室井の腕を乱暴に掴むから、栗山は恐れ戦いた。
いいんですか、そんな態度取って!あ、もうこの状況からしてアウト?けど、青島さんってこんなに子供みたいに無茶しちゃう人だったっけー?
ああでもさっき、そんなわんぱくっぷりを見せられた気もー!
もぉ俺、そろそろ脳貧血起こしそう・・

「沖田、さっきの続きだが、連絡系統だけ間違えるな」
「承知しております」

目の前ではもう手続きの話が着々と進んでいき、咬み付いた青島を気にも留めず、淡々とした業務の様相を呈していく。
まるで、青島さんが駄々を捏ねることまでみんな知っているみたいな。
俺たちに聞かれることは問題にしてない信頼みたいな。

「ほんとに進めちゃうの?沖田さん!」


青島の質問には答えず、沖田は口元に人差し指を立ててウィンクした。
茶目っ気たっぷりのその顔にドキリとしたのは俺だけで、青島さんは意外とも思ってないみたいだ。

「大変ね。では室井さん、口止めは、お願いしますね」
「だが私にはこのくらいで丁度良い」

何を丁度良いと言っているのか、栗山には分からなかったが、背後から青島の顔を盗み見て、察した。
青島が悪ガキであることは承知で、そのくらい手応えがある方が丁度良い。
大人しくて従順で、陽だまりみたいな男では室井は物足りない。

瞬間、少しだけ顔がむくれた青島の、頬が赤らんでいることを、至近距離だからこそ栗山にも気づかせた。
え、なに、このかんじ。
だが、眉を顰めたまま青島が室井の腕を掴んでいた手を引いた。
大人しくしろと窘める視線にも、怯みはない。

「なんか言うことあんでしょ」

だが、答えたのは新城だった。

「だから、貴様がまた余計なネタを掘り起こしてくるからだ」
「あん?」

ぽかんとした青島を放置し、新城が室井に言伝る。

「後始末と口止め、お願いします」
「承知した」

先に車に乗せていた被疑者の横に新城も滑り込み、最後まで一言も口を挟まなかった男が運転席に回ると
助手席には沖田が入り込んだ。
窓を開け、沖田がにこやかに青島を見上げ、手を振っている。
車が滑り出し、その一連の幕引きを、栗山はただ呆然と見送るだけだった。
目の前では、光すら吸い込む闇色の、美しくも高貴な瞳が青島を見つめていた。








4.
結局、人違いだった筈の彼の情報は所轄内で共有していただけで、警視庁が共有したのはもっと後だった。
二課がマークしていた人物で、当時そちらで引っ張れなかったと、室井は言った。
そんな時に所轄が“別件”で聴取しているから、そのまま引っ張れないかと上が動いた。
当時の管理官は、室井だった。

「ネタさえつかんでおけば、後でどうとでも言い訳は効く」
「そういうの、ズルっていうんですよ」
「超法規的措置、じゃなかったか?」

クンッと室井が片眉を上げて、事もなげに言う。
剛胆な男の一端を垣間見て、青島は薄らと笑った。

栗山くんと別れて、そのまま室井に引っ張られて。
というかオモチカエリされて、ここは室井のマンションだ。
室井はこれから青島の説得という仕事かもしれないが、湾岸署は早退した係長にびっくりだろう。
栗山がなんと説明するのか。今から悩みの種だ。

「いつから」
「私が報告書を見た時、もう担当所轄が変わっていた。君のところから動き出したと知ったのは、さっきだ」
「仕事が遅いですね相変わらず」
「いずれ首を突っ込んでくるとは思っていた。・・思ったより早かったな」

室井が青島の顎を指先でなぞり、耽美な動きで持ち上げられる。

「俺んこと、試した?」

軽く口端だけ持ち上げる室井は、仕事とはまた違う顔だ。ベッドの中とも少し違う。
言葉がなくとも、試せば俺が咬み付いてくると予想していて、この件が使えると踏んで楽しんだ、そんな顔。
溺れさせることを望んでいるのに、悪者になりきれない俺に手を焼く顔だ。

「怒ってる?」
「多少だ」

室井は口を尖らせるだけで治めてみせた。
それが達観したような大人の余裕に見えて、青島の眉尻を下げさせる。

「だって、役に立てるかなって。・・俺でも」
「・・・」
「・・すいません・・」

するりと室井の指が離れていく。

「とんだおてんばだ」
「大人しいと物足りないんでしょ」

今回の件は、二課と室井が内密に事を運びたかったため、公にはしなかった。
室井の管理官時代からの遺恨だった。
反転し、室井の手柄と点数にする。
こうしてまたひとつ、薄汚れたものが好んで室井に付着する。

「不満か?」
「おかしいな、いつもは気にしたことないんですけど・・」

どうにもこうにもならないような感情も抱えていた。
上手く気持ちを説明できずに、青島は焦る。

被害が、そして努力が、歴史から消されていく職業だ。
誰かを頼って生きる男ではなかった。
部下を持つ立場になって知った想いも重ねられ、それは紋様となって青島の胸に渇きを作る。
それはまるで、名も付かず、消してしまうにはあまりに野放図で、あまりに有毒だったこの感情と、酷似していた。

「おまえは何も言わないな・・」

それは室井さんの方じゃないかと目線だけで追う青島も、やはり何も言わない。
事件のせいにして、これまで触れたことがなかった心の深部を抉られた気がして、腹が立つ。

隠していることなど、山ほどある。
伝えていないことも、腐るほどある。
言っていないこともたくさんある。
お互いに。
そんなことを考えていたら、室井がジャケットを脱ぎ、ベスト姿になっていた。
カランと氷の鳴く音で、ピッチャーを注ぐ背中に水音が添えられる。

右を見て、左を見て、下を向いて。
青島は室井に近づく。
後ろから近づいて、そのうなじに顔だけ埋めた。

「どした」

触れてこない青島に、室井は動かない。
それでも黙って室井の背中に縋るように匂いを嗅いでいると、冷たくその仕草を振り払われた。
驚く間もなく、クルッと正面を向いた室井の漆黒に、囚われる。
そこに満ちる闇を映し、心が、騒めいた。

綺麗な隻眼が、青島を捕え、離さない。
言葉のないそこにあるのは、文字通り室井の世界で
思わず視線を反らしていた。

「久しぶりに室井さんに会えて、困ってた!」

乱暴に吐き出せば、室井の細長い指先が伸び、躊躇うように青島の耳を愛撫し、そのまま顎を撫ぜる。
今は言えない。
今、口に出せばきっと本音が出てしまう。

「こっち向け、青島」
「無理ですもん」
「どうしてだ」
「カンベンして、もぉ」

彼の瞳に宿る闇に、絶望を、この男は知っているのだ。
そこに俺まで引き込まれるには、あまりに甘美で。
それでももがきたい俺と、すべてを受け入れる彼。噛み合うわけがない。

「今日、何の日か気付いてました?」
「夜半には、浚いに行こうかと」

何も言わないで決めちゃうのはどっちだよ?
俺だって、試したのは、気付いてんだろ?
俺から言わせようなんて、甘いよ。
アイシテルなんて言ったらどうなっちゃうんだか。

ややして掠れた男の声で、こっちだって会いたかったと白状した室井に、青島は吐息に笑みを含ませた。
んもぉ、だからこのひとは。
目も合わせぬまま、そっと手を重ね、頬擦りすれば、見知った室井の体温と柔らかな触れ方に、しゃがれた指先に
ただ、嬉しさが、泣きたいほどに咆哮する。

「口実にしたんだ?」
「また一カ月も放ったらかしだ」

たかが恋人に会う手段に、この手段を選んだあんたもどうなの?

青島は破顔した笑みを天井に零した。
小さく悪態をつき、あの日見せた顔と同じ、困惑を浮かべた室井に向って手を伸ばす。
室井も今度は抱き留めてくれた。

考えないようにして平気なふりをして、引き金を引くのは、どちらかなんて、まったくほんと、リスクの高いラブゲームだ。

室井に抱かれるようになって初めて知ったことがある。
例え同じ熱であっても、同じ愛の言葉があっても、他の男では青島の望むものを示すことはできない。
それが排他性を持ち流動性に欠けることは充分承知していた。
だから請うた、言葉にした。補った。定められた儀式のように、捧げた。

「沸騰しちゃった?」
「イイコにしてろと言っておいた筈だが・・」

使い古された愛の言葉を口に出すのは簡単だ。
だけど本音は晒せない。
幸せを与えてくれる限り、恋を護りたいから。




***




隠していることなど、山ほどある。
伝えていないことも、腐るほどある。
言っていないこともたくさんある。
お互いに。
そんなことを考えていたら、青島の顔が目の前に迫っていた。

どうしますか?
楽しそうな、どこか人を揶揄っているような、それでいて甘えているような、艶やかな瞳に愛を見る。
純潔の虹彩には室井の見てきた世界はない。
小さく悪態をつき、室井は青島に向って手を伸ばす。

「イイコにしてろと言っておいた筈だが・・」

室井の首筋に額を押し当て、懐いてくる青島に、室井は腰に手を回したまま、ぎゅっと抱き寄せる。
会えて嬉しいと、全身で訴える彼に、ただ募るのは愛しさだけではなかった。

口を割らせてしまうことは簡単だが、そうしてしまえばお互いが傷つくことをお互いに分かっている。
全てを白状しても自分が楽になるだけだ。

それでも君は、この恋を、室井の人生を、大切だと言って、傍にいようとするだろうから。

室井はその括れた腰に手を回していた手を放し、背中から引き寄せた。
強引にキスをして口を塞ぎ、苦情が聞こえるのも無視して、そのままベッドへ連れ込んでしまう。
どうせ今日はもう予定はないし、帰すつもりもないし、気になるのは多少、陽が出ていることくらいだ。
圧し掛かり、至る所を弄り、匂いに探りながら、服を剥いでいく。

「ンッ、ちょっ、イキナリか・・っ」
「もう黙れ」

しばらく抗議の声が聞こえていたが、すべて無視してやった。
すると次第にその声は色を持ち、濡れたものとなる。

「ぁ、ンッ・・はぁ・・ん、やっぱりこれが、お仕置きなの・・?」
「探っても探っても、おまえに届かないから」

当たらずとも遠からずの相槌で濁し、肌を味わった。
こうして触らせてくれるだけで、室井は泣きたくなる。
無垢な躰を震わせて開いてくれることも、俺だけにしかみせない姿も、室井を切なくさせる。
青島なりに、精一杯応えてくれている。
そんなの、充分過ぎるほど分かっている。

「おまえがじゃじゃ馬で、時に俺よりずっと男の中の漢ってことを忘れていた」

迷いのない生き方を見せられ、咬み付かれるたび、置き去りにされた気にさせられる。

「カッコイイと思う。でも、同時に、腹ただしい」

抱けば抱くほど、処女を拓いているように、見知らぬものに触れる昂奮を知る一方で、自分の中の飢餓を知った。
能力に、男の性に、劣っていると感じた。
深く口付け、苦情を乗せる口唇を塞いでしまった。
長めの口付けに、洩れる吐息が熱を孕み、ふとした余熱を室井の中に手繰り寄せる。
まだ足りないと、躰の奥がどうしようもなく疼いている。
そんな青臭いものはどうに捨ててきたと思っていた。

「・・ァ・・ッ」

長めの細髪が頬を擽る、汗ばみ始めた肌が色付く、何もかもが美しい男だと思う。
虹彩の色が美しい。
その鋭く甘い眼差しが美しい。
長い四肢の、うねる様が美しい。

長い前戯にクタリと震えた躰は汗ばみ、怒張を埋め込めば、その灼けるような熱は室井を抗いがたい愉悦に誘い込んだ。
室井はたまらず息を吐いた。
そんな室井に、青島は長い腕を伸ばし、室井の頬を愛し気に撫ぜてくる。
触れられただけで煽られ昂奮する身体に従い、室井は青島の手の平にキスを送り、腰を揺すり動かす。

青島なりに、室井を大事にしている想いまで否定したいわけじゃない。
ただ、届いていない。

甘ったるい吐息が上がり始め、欲しがるままに与えてやる。
今夜は。

「どう攻められたい?」
「好きに・・抱けよ・・」

案外繊細なところがある青島は、だからこそ敏感に気付いてしまう。
きっと、室井が抱えたものなど、とっくに気付いているに違いない。
今夜の澱みもだ。
ふと、湾岸署の小柄な美人が瞼に浮かぶ。
恐らく彼女もまた、心の傷痕に一番寄り添って欲しい優しい言葉をもらえたのだ。

なのに、青島は自分を選んだ。

「おまえ、今まで他の男とどうこうなったこと、あるか?」
「なんてこと聞くのっ・・んっ、ン・・っ」

恥じらいながら、だが追い詰められている最中では、上手に隠せていない。
赤らむ頬を横向けて、拳で乱れる口元を抑える顔に、透けているのは。

「・・あるのか・・」
「な、ない、ですよ・・っ、俺なんか、に、こんなこと、する、ばかはあんたくらいだよ・・」

付き合い始めた後、初めて躰を繋げた時、青島は処女だと思った。
そんな表面的なものに浮かれていたのは、自分の中の後ろ暗いものが彼に純潔を見出すからだ。

「つまり、どこかの命知らずが手を出してきたってことか」
「命、知らず・・って」

俺のものだと宣言が出来ないことが、室井にとってははるかに苦痛だ。


──心が開かない。
心の一番奥深いところを、見せてはくれない。見せていない。

「もっと見せろ」
「みせてるよ」
「嘘つきだな」

隠そうとする手を外し、室井はその顔の横に縫い付けた。
そのまま乱れた息を詰める青島の顔を見つめながら、深く腰を突き上げ、奪っていく。
すべてがほしい。
美しく長い両足を広げさせ、その内股にキスを落とせば、青島が涙目で睨んだ。

「これが見れるのは俺だけだ」

今のところ。
捧げることで人を救う彼は、自分の奥を晒さない。
全身を晒しながら、肝心の箇所は見せない彼は、恋に溺れない。
だからだろうか。どこまで貪っても、こんな奥深くまでを与えられても、まだ足りない。もっともっとと、欲しくなる。
際限のない沼に足を踏み入れたように、また、ずぶずぶと沈んでいく。

「なんか、余裕、ないね」
「おまえのことが、呆れるほど好きみたいだから」

具体的に言葉にするとなると、それは途轍もなく難しい。
それを指摘しても否定されるのは分かっている。
それを青島もまた勘付いているくせに、そこには触れてこない。

「・・すっ、げぇもん、きいた・・」

ふふと笑う青島の汗ばむ額を掻き揚げ、キスを落とし、仰け反る喉仏に刻印をする。
汗が流れ落ち、室井は愉悦に満ちた息をたまらず吐く。
青島の長い脚が室井の腰に回り、色香を持つ卑猥な動きに熟れた身体が咆哮した。

「余裕なんか、最初からない」
「・・う、そだぁ・・」
「言わないだけだ」

快楽に染まる向こう、青島が伸ばしてきた指先をしかと掴み、指を絡ませる。
きっと自分は、過去をどう恥じたらいいのかすら、分かっていなかった。

受け入れがたいほどの快楽に、青島が朦朧とした仕草で室井の短髪を掻き混ぜる。
受け入れがたいほどの後悔、取り返しのつかない苦痛、それらが室井を呪縛し、同時に浄化してくれることを
きっと、青島は知らない。
今度はと、踏みとどまる美しさが室井をどうしようもなく魅了させる。

「すき、だよ、室井、さん・・」

ドキリと跳ね上がる心臓はそのままに、もう、今夜は躰に歯止めが効かない。
楽しそうに笑う青島に幸せを見て。
室井がそう言われるのを弱いと知ってて、試している顔に。
馬鹿野郎、どんだけガマンしてっと思ってんだ。

「そんなに俺を狂わせてどうしたいんだ、おまえ・・」

たぶん、どこかで見誤った。擦り切れるような交接を繰り返す中で、巧妙に形を保っていた何かが微妙にズレた。
けれど、そんなところも含めて、手に負えないこの獣に囚われていく。
そんなところも含めて、室井には丁度良い。
飢餓を覚えてしまった躰は完全に負けだ、だが仕掛けた君を道連れに出来れば、俺はいい。
望まれるままに串刺しにすれば、火傷しそうな熱に浮かされて、ただのめり込んでいく。







5.
「なあ、おまえに告白した人間って、俺の知っている男だったりするか?」
「っっ」

正直な男だ。
ここら辺がキャリアではない緩さだろう。
室井の周りの官僚たちは、例えベッドの中でもこういうミスはしない。

ベッドの中でもそもそと動き、布団を被ってしまう青島に、室井は身体を向けて肘を付いた。
見下ろせば、困ったような瞳がじいっと室井を睨んでくる。

「またそこ、蒸し返すの?」
「無警戒だったなと」
「・・いうわけ、ないでしょ」
「妬かせるのが上手いな」

やはり、話してはくれないか。
同志だとか腐れ縁だとか、そんな平たいもので覆って何もかも分かち合うことを求めて欲しがるのは、多分、君は望んでいないのだ。
くるりと背中を向けてしまった。

「・・ちがうもん・・」

後ろから引き寄せ、腕の中に閉じ込めた。
首筋を舐めれば、敏感な箇所に青島はぴくんと震える。

溺れもしないくせに、逃げ出さない。
だけど、血を流しても、その境界を破りたいと思ってしまうのは、もうこれが、そんな生易しい愛情なんかじゃなくなったからだ。

「あんただって、話してないコト・・っ、江里子さんのこととかさ・・」

少しだけ、触れてこなかった細部に触れてきた青島の言葉に、室井はほんの少しの赦しを見た。

「あんたも、なんにも言わないじゃん、俺には。ひとり・・でっ」
「それは、きっと、おまえのことだろう」
「し、知られたくないのかなって、思った・・っ」

まるで壊れ物を扱うかのような、探り合う恋は、隠し事に血を流し、嘘を吐いてまで、留めたいのだと勘違いさせてくれる。
先に行かれるから、また悔しくなる。

「お、男に迫られたこと、ないわけないよね・・っ」
「どうしてそう思う」
「聞き返すの、ずるい・・っ」

背後から羽交い締めにし、先程までの快楽に敏感になっている肌を嬲る。
すっぽりと腕に囲い、足まで回してしまえば、逃げ出すことも叶わず青島は淫戯に悶えた。
拒むことを許さぬ行為に、青島が仰け反る。室井がそのうなじに舌を這わせて誘いをかけた。
その時。

「あっ、あっ、そうだ、待ってっっ」

がばりと跳ね上がり、室井の顎に頭突きをかますと、青島がベッドの下に散乱したままの鞄を取り上げた。
中からラッピングした小箱を取り出す。

「これ。あげます」

差し出されたものに、室井は目を見開く。

「んな顔する?俺があげたらへん?」
「うれしい。ありがとう」
「・・うん」

ちょっと潰れた箱はブルーのリボンが揺れている。
頬を染めた青島がそっぽを向きながら、滅多に見せない室井の微笑みに、そ?と零す。

「またもらえるとは思わなかった」
「バレンタインん時、会いに来てくれたから。だから今度は俺から奇襲かけようって、今夜夜這いかけるつもりでした」

一カ月前。
バレンタインの夜はドライオレンジチョコ―レートトッピングのフルコースを堪能させてもらえた。
ホワイトデイは、純愛やスイートを意味させ、君からもらったチョコレートを僕のマシュマロで包んでお返しするよという一説がある。
目の当たりにすれば、怖じ気づく。
青島の優しさで包んでもらえるほど、俺は君に何かを与えられてはいない。
これを受け取る資格はないのかもしれない。
でも。

「青島」
「はい?」
「江里子のことは、時期が来たらちゃんと話す。その情報を使って上が何をしたのかも、必ず話す」
「・・・」
「今回のこともだ。我々警察庁が何を目論んでいたかも、その裏で君たちに何を背負わせてしまったことも。きちんと話すから」

優しすぎて、傷つくようなやつだ。
初めて誰かを救いたいと思った。道連れにしてほしいと思った。
自分のために生きるのではなく、相応しい男でありたいと、柄にもなく願った。
過去の自分の行いを、恥じた。

青島が室井の指先に、ちゅっとキスを返してくる。

「今夜、愛を奪いに来ました」
「!」
「すきですよ」

無償の愛情に、泣きたくなった。
胸が詰まるのは、別に感動なんかじゃない。
この恋を、本当に大事にする方法が、自分にあるのか分からなくなるからだ。
直向きな愛情が尊すぎて。
楽しそうに笑う青島の吐息が室井の耳を優しく擽る。

「それよか俺、室井さんに告った不届き者を成敗したいなぁ」
「成敗・・」
「だってそんなチャレンジャー、見てみたいじゃない」

隠し事に血を流し、嘘を吐いてまで、留めたい恋に。
この冷たく、苛酷な官僚の世界に飛び込ませてしまった罪に、いっそ感謝する。
邪気なく笑う青島の手を引き寄せ、背を倒せば腕の中に青島が逆らわずに落ちてくる。

「俺が誰にぞっこんか、しってるくせに」
「・・知っている」

今夜はホワイトデイだ。愛を返す筈が包まれて、包み返して、愛を知る。

ドロドロの液体の中で窒息しそうになっている俺の道連れは、抱えさせてしまったものに押しつぶされ、その度に君は声も立てずに一人泣く。
いつか、それでも心の奥からまっすぐに、君に愛していると告げられる日が来ると、図々しくなる。
幸せが、恐いなんて初めてだ。
室井は小箱をぎゅっと握り締めた。

「誰にも渡さない」



***


ごめんなさい、室井さん。
それでも俺、全部は晒せない。怖くて見せらんない。
それでももがきたい俺と、すべてを受け入れる彼。噛み合うわけがない。
溺れてやるから、最後に爛れるのは、こっちに譲れ。ぜんぶまとめて愛してやるから、気付くな。

奮励努力のその向こう、俺は最後まで足掻く。








Happy end

pagetop

未発表作品
ブラッディ・マリーをイメージしたもの
このふたりはこんな風にお互いに挑み合っているのが似合う

20240301