登場人物はふたりだけ。朝チュン。昨夜の記憶はない青島くん。
A面との繋がりはありません。時間軸は未定。







史上最悪 B面





異常に気怠い朝だった。
重たい身体は完全に疲労を拭い去ってはおらず、抜けきらなかった酒らしきものが鈍痛を頭に訴える。
青島はもぞもぞと寝返りを打ち、丸まった前髪の奥から片目をあけた。
何かが足に当たった気がする。
あれぇ?俺、昨日夜勤だったっけ・・?泊まったっけな?
とりあえず状況を把握しようとして、その時、青島はようやく誰かと一緒に眠っていたことに気が付いた。

「!!」

これ以上の驚きはないと断言できた。
一つの布団にくるまって眠っている顔は浅黒く、髭も生えた男で、射しこむ朝陽に浮かぶ作り上げられた骨格と、嫌味なほどエリート染みたその顔立ちは、よく 知っている。
夢?本人?そう思った次の瞬間、青島はもっと重大なことに気が付いた。

ここ、おれんちじゃない!!

慌てて部屋の中を見渡した。
わかんないけど、ここは官舎、なのだろう、見たこともない部屋だ。
散乱する空き缶、食べ残した食器、椅子には脱ぎ捨てられたままの服、テーブルには幾つもの大瓶が並ぶ。
これまた見たこともない惨状だ。
今置かれている状況がいまいち掴めなかった。
ここで吞んだのかな?覚えてない。
だが、室井とはプライベートで酒を酌み交わすような交流はしていない。

もう一度青島は振り返る。
自分が押し掛けたの?それともお持ち帰りされたの?
跳ね上がる短髪の、素朴な素顔は思った以上に野性味があって、田舎の気配がした。
僅か残る整髪料と、初めて知るこの部屋の住人が選ぶ洗剤の香りに、知りたくなかった気恥しさと、久しい男の体温を感じ取る。
うっかり、皺も寄せられていない眉間を、ちょこんと触った。
そして、彼もまた全裸だったことに気付いた。

「!!!!」

これ以上の驚きはないと思ったのに、もうそれを上回る驚きで青島は飛び上がった。
一気に体温が下がる感覚、冷や汗で凍り付く背中。

オモチカエリとかのレベルじゃない!これ!
え?なんでだ?どういうこと?
俺ナニかされたの?それとも、俺が喰っちゃったとか???まっさか、そんな・・!!

「うっそだろ・・?」

激しく動揺しながら、思わず声が漏れ出た。青島は両手を頬に当てる。
心臓が早鐘を打っていた。
何も思い出せない。昨夜のことは署を出たあたりから記憶が曖昧だ。いつ室井に会ったのかも、どうやって連れ込まれたかも。
これ、かなり、まずい。
連れ込まれるだけの仲じゃ、なかったじゃん?
その前に、俺って、室井さんとノリでこんなことしちゃう感情なかったじゃん?
昨日何が起これば、こんな仲良しさんになれるわけ?
ってか、仲良しさんってレベル越えてんですけど。

まさかの全裸で添い寝。
やっべぇ。室井さん、キャリアじゃん。
懐いた勢いで?酒も入ってたし?悪乗りした?
まっさかぁ。
まさか!

ゆっくりともう一度振り返った。
今度は漆黒が薄っすらと開いていた。

「!!」

ギャーと悲鳴を上げる心中とは裏腹に、青島は必死に営業スマイルでやり過ごす。
ぼんやりとした視線はやがて、青島に焦点を合わせた。

「おはよう」
「はよー、ございます・・」

喉が干乾びる。
俺、もう、限界。俺、オワタ。

「具合は」

具合?なんの?え、俺、具合悪かったの?
真黒い瞳に晒され、脳内は疑問符だらけになるが、とにかくそういう前提で話が進むようだ。
気分、悪くはないけど。
それともやっぱ俺が食われたの?・・や、さすがにそれは――
と思って、自らをなんとなく見下ろした青島は、自分の素肌に紅いものが沢山散っていることに気が付いた。

「!!」

室井が起き上がる動きに、反射的にビクついてしまった。
気怠そうに短髪を混ぜる姿は男染みて、その室井の首筋にも赤い傷が一つ。
ぎゃあああ!!アレ、俺が付けたのー?付けちゃったんですかー!

漆黒がじっと青島を見据えていた。その見透かすような視線に堪えられない。
とりあえず、首を横に振った。

「先にシャワーを浴びる」
「は、はい」

どうぞどうぞと投げ出したい気分で、青島が足を折り曲げて奥で眠っていた室井を促す。
室井がのそりとベッドから足を下ろすと、下着も着けておらず、その裸体が露わとなった。
膨らむ三角筋、引き締まった臀部に青島はさっと目を反らした。
なんか、見てられない。
室井の全裸は程良く引き締まり、高級スーツを着こなせるだけのことはある。
のに。
下着を身に着け、昨日のであろうシャツを羽織ると、それは室井らしからぬヨレヨレのシャツで、まるで昨夜の烈しい情交を物語っているよ うだ。

「・・しごと」
「午後からだ」
「・・あ、そう・・」

不自然に会話が止まる。
何と切り出せばよいのか。
寝起きの頭は回らないし、そもそもここが現場だったとしても今の青島が直感のまま動いてはいけないことくらい理解できる。
チロッと見上げる。
室井もチロッと青島を見た。
その目尻が少し、赤らんで、反らされた。

えーっ、えーっ、なにその反応ー!!
やっぱり事後ってことー!??

何とも居心地が悪いし、締まりも悪い。
不自然な間は、どちらも口を挟めない際どさがあった。

「な・・んでしょ?」

あまりにも硬直していたせいか、今度は室井が立ち止まって振り返っていた。
問いかけるが室井は眉間を深める。
うひゃっと思って青島は首を竦めた。
だが室井は視線を反らさない。
何も言ってこない。
青島の様子が変であることはとうに見抜かれていて、しかし逃がすつもりもないことが見て取れた。
狼狽えた青島の方が視線を彷徨わせる。
直視なんかできるか。

あーとかうーとか、唸って焦って時間稼ぎをしてみたところで、どうすりゃいいんだ。
室井の視線が突き刺さる。

「言いたいことがあるなら、言え」

室井の低い声に、青島がびくりと身を竦めた。
このひと、意外と短気だ。

言うこと。
言うことってなんでしょう?そこから聞きたいよ。謝罪?弁解?
追い詰められた頭はその二択に委ねられたが、究極の選択に持ち込まれた自分を叱咤する。
だが、いつまでも誤魔化せる案件ではない。
男なら、逃げちゃだめか。

上目遣いに視線で探れば、室井もまだ見下ろしている。

「えーっと、その、ね、だから、つまり、その。えーっと、」
「えーっとはもういい。さっさと本題に入れ」

こーわーいー!

「待って待って、だから、まず、つまり!」
「だからなんだ」
「だからっ・・!あああのっ、どーしておれ、・・・こっ、ここにいるんでしょうねぇ?」

叱られ、身を竦めるままに青島は目を瞑り、俯いて一気に言い切った。
室井からの返事はない。
でもこれで今の青島の全貌が伝わったはずだ。

顔を上げる勇気はなかったが、いつまで経っても返事が返ってこないので、青島はちろっと片目をあけた。
般若みたいな顔が仁王立ちしている。
きゃー!こっえぇー!!
こういう時の室井はやはり毅然とした官僚で不気味なほど風格がある。
そして、こういう時の青島のスキルは営業スマイルしかない。
へらっと笑って見せれば、その眉間は更に深く刻まれた。
慌てて笑みを隠し真剣な顔を装った。

「つまり君は、昨夜のあれやこれやを全て吹っ飛ばしたわけか」
「っっっ」
「どこまで覚えている」
「え、え、えと、・・飲み、呑みましたね」
「・・・」
「あれ?違う?えっと、その――署を出たあたりから・・消えちゃったかな~、なんて・・へへ」

誤魔化そうとしたがキャリアを誤魔化せるわけもなく、適当な言葉は宙に浮き、青島は観念して白状した。
長い沈黙が、まるで拷問のようだ。

ふうぅと、それはそれは大きな呆れた溜息が室井の口から零れ出た。
だが、その後聞こえてきたのは、青島を避ける言葉だった。

「忘れたなら、それでいい」
「!」
「シャワーを浴びる」
「む、室井さん!」

慌てて追い縋ろうとして、自分が全裸だったことに気付く。
室井は止まらない。
無造作にタオルケットを拝借して、室井を追った。

「待ってください!おれっ、その!・・うひゃッ」

適当に身体に撒いたせいで、自分でタオルケットの裾を踏み、足元を縺れさせて、青島が倒れこんだ。
その拍子にテーブルの角に小指をぶつけるわ、大瓶をひっくり返すわ、咄嗟に掴んだものが室井の下着で、プルンと室井の下半身が目の前に露出するわ
言葉もない惨状が広がる。
だがその騒がしさで、室井をもう一度振り向かせることには成功した。

「あ、あ、あわわ、あの、すみません・・」
「・・・」

室井が黙ってもう一度黒のボクサーパンツを引き上げる。
トランクスじゃなくて、このひと、こんなエロイ布面極小パンツなんだ~う~わ~。

座り込んで、そのまま今度は室井のシャツを握り締め治せば、室井の背中からシャツもずれる。
そのざらついた男の素肌に、幾つもの爪痕に気付いた。
これも俺が付けたのー!!?
俺キャリアになにしたのー!!

「室井さん・・」
「放してくれないか」
「話が」
「終わりでいい」
「よくないです」

室井は二度目の呆れた溜息を落とした。

「お、怒ってます?」
「何についてだ」

意地悪な質問に、青島は二の句が告げられない。
力なく、掴んでいたシャツから青島の指先が外れた。
引き留めるにはあまりにも無力だと思った。
言える言葉など、持ち得ている筈もなかった。最初から。
床に視線を落とし、仕方ないかと、自分の悪行を反省する。

だが、何時まで経ってもその視界の端に映り込んでいた室井の素足が動かないので、青島はもう一度顔を上げた。
視線が絡まった。
じっと見つめ合う。
吸い込まれるような漆黒に、ただただ強い視線に、反らすことは阻まれていた。

「そんなに思い出したいか」
「・・折角の室井さんとの時間だったのに」

青島が悲しいのは、室井と性的な関係になってしまったかもしれないということではなかった。
一線を越えてしまった無体でもない。
室井と随分と長い間会えていなかったのに、ようやく昨日は深く話しこめたはずなのだ。
それを全部忘れてしまうなんて、なんて勿体ない。
ずっと、話したいと思って、その日をずっと、待ち焦がれていたのに。

少し潤んだような青島の色素の薄い瞳が室井を見上げていた。懇願するまま、どうか、何か、言ってくれと待つ。
それをじっと見下ろしていた室井が片眉を曲げた。

「教えてやろうか」
「!」

う、うん!!やったー!
室井の提案に、ぱっと破顔し、青島は大きく何度も何度も頷く。
室井の漆黒に揺らぐ、一筋の影に青島が気付くことはなかった。


――数分後――


青島は先程と変わらぬ格好で床に座り込んでいた。

「いるか?」

室井が差し出すミネラルウォーターも受け取れず、項垂れる。
そんなものを飲めるような状況にはない。

「まだ状況が整理できてなくて・・」
「普段の愚行とそう変わらない」
「・・そんなにひどくないです・・」
「だから忘れたんだな」
「室井さんのことで忘れたいことなんか一つもないですよ!」
「実際すっ飛んでるが?」

う、と詰まって、青島がまた項垂れる。
目の前では、室井がベッドに腰掛け、ペットボトルを含む。
潤すはずの行為でも、終始顰め面は崩れない。
実際、室井の口から聞かされた内容は、衝撃的だった。
もう口にも出したくない。
自分が室井にそんなオイタをするとは想像もしていなかったし、その破廉恥で淫らな失態を室井に見せたと思うだけで顔から火が出そうだ。

「ど、どう、おわびしたら・・」
「いらん」
「いやでも、ほら、キャリア様を傷モノにしちゃったかなーって」
「傷モノとは物騒だな」
「あっ、やっ、そゆ意味ではなく」

折角、夢追いかけられて、同じ理想見つけられた、そんな大事な相手なのに。
生涯に一度、出会えるかどうかの、共鳴だった。
室井はもう、青島に期待はしてくれないし、青島を見限った。

「・・もう、俺んこと、呆れちゃいましたよね?」
「呆れてはいる」
「がっかりさせちゃった?」
「もう慣れた」

その口調がいつもの室井なので、青島はきゅっと口唇を引き結ぶ。
何故か正座となって、青島は必死に弁解する。

「きっとほら、久しぶりで嬉しすぎて酒呑み過ぎちゃって!だから酔った故の愚行といいますか!正気じゃないっていうか!」
「君の前向きな解釈にはいつも驚かされる」

ベッドに座り、そっぽを向いて腕を組む室井に、青島は矢継ぎ早に説得する。

「いっちども連絡なかったし!」
「頻繁に電話してどうする」
「相棒じゃん、コミュニケーションじゃん」
「どうせ鉄砲玉だろう?一緒にするな」
「俺だって室井さんのことちゃんと考えてますよ!」
「こっちだって出会ってから君のことを思い出さなかった日はない。だがこっちは一度も飛ばしたことはない」

室井を引き留めたい一心で、室井が自分に熱烈な告白をしていることも青島は気付いていない。
手の平であしらう室井も青島を揶揄うことに夢中で、青島に強烈な告白をしていることに気付かない。

「俺の目標だし!憧れっつーか、期待してるひとだし!あんたが約束の相手ってほんと嬉しいのに!」
「どうせならそこからすっ飛ばしたら面白かったのにな」
「どんな嫌がらせ?!」
「同じ台詞を返したいが?」
「あっ、うっ、でも俺!あんたにそういう感情抱いていたの?」
「知るか!」
「ですよねぇ?」

言いかけ、流石に口走ろうとした台詞を青島は賢明に押しとどめた。
室井の膝元に座り込んだまま、青島がじっと室井を見上げる。
視線は、反らすしかなかった。
目の前ではさっき渡されたままのミネラルウォーターが揺れている。

はっきりと自覚する。
昨日のことは酒の衝動かもしれないけど、俺、このひとに嫌われても、罵られても、付いて行きたい。
どこかできっと、期待してしまう。
この先も、二人で歩む未来とか、二人でなぞる人生だとか。
それを情愛とするかどうかは、どれだけ見映えの良い誘い文句を考えたところで、飛ばした理性の後に残った本能だけが、答えを知っていた。
欲しかった、のかなぁ?

どうしよう。このまま終わりには、したくない。

「あのさ、説得力なくても、俺、会えて嬉しかったんだよ、ゼッタイ」
「・・・」
「傍に、いるのも、もう、だめですか・・?キモチワルイ・・?」
「さっきの話を聞いてもまだ懲りないのか」
「だって」

室井の聞き方が少し可笑しいことに、今の青島が気付くことはない。
心は悲壮感でいっぱいだった。
もう間に合わない?

「なんでもするよ、許してくれるまで。俺。あんたと一緒にいたい」
「・・・」
「俺にチャンスない?」

室井の眉間が深く深く寄っている。
ふいっと、室井にしては珍しく視線をあからさまに反らされた。
室井の中の自分の価値を見せ付けられたようで、青島がひゅっと息を呑む。
息を殺したまま、目を閉じた。
そんな青島に、少し長めの沈黙を作り出した後、室井の低い声が聞こえた。

「ならば、再現してみるか?」
「・・再現」
「そうしたら今度は同じ記憶になる」
「どうするの・・」
「こういうことだ」

言い放ち、一拍置いてから、室井が青島の手を引き、素早く身体を入れ替える。
力任せにベッドに押し倒され、青島は室井を見上げた。
見下ろしてくる室井は男の顔だ。

「無理強いは趣味じゃない。どうする」

何故その究極の二択を迫られるのか。
その選択に持ち込まれた自分に嫌気がした。
その選択に持ち込ませたことも、後ろめたい。
だが、この朴訥な男がこうも欲望を露わにする瞬間が、新鮮で物珍しく、それを自分がさせた優越感。
引き留める手段として多少、歪でも、ほのかに見えた可能性。

ぶっちゃけ、興味の方が勝った。

「乗ります」

室井の目は、意外だという色も、馬鹿にした色も、何もない真黒だった。
ややして、室井の顔が降って来た。
キスをされるのかと思わず目を硬く閉じると、口唇には触れてこず、耳元に囁かれる。

「力を抜いておけ」

その湿った吐息に身震いする。
これから始まることは脳裏で理解していても、覚えるのは恐怖なのか期待なのか、分からない。
室井が青島の両手をその頭上に纏め、片手で押さえ付けられた。
空いた手で青島の身体を纏っていたタオルケットをはらりと開かれ、微かに揺らいだ空気が冷たい。
全裸の姿を見られ、青島は身を硬くした。
その様子を舐めるような目が行き渡り、ゆっくりと指先が近づいてくる。

室井の繊細な指先に、開かれる。

首筋をスッと辿られ、目が合った。
耳元を触られ、細い指先が口唇を這う。
乳首を視線で嬲られ、羞恥と居たたまれなさに、青島は顔を赤らめて背けた。
その隙に、首筋を舐められる。

うっひゃあああ。

室井の手が迷いなく身体を這い回り、暴かれていく流れを想像し、思考は朦朧とした。
俺、室井さんに何をさせてんの?
昨日こんなことしたの?
さっき聞かされた内容より強烈ー!
俺、なにしちゃってんのー!
いやもう、むしろ俺が室井さんをどうこうしちゃったわけじゃないことで、ノープロブレムー?

やがて、室井の手は焦らすように肩からゆっくりと青島の輪郭を辿り降りた。
見せ付けられているのは、青島の裸体に昂奮を隠しもしない男の姿だ。

「あっ、あのっ、む、ろいさん・・」

情けなくも掠れた声は、少し震えている。
その声に雄の支配欲を煽ったのが伝わった。
漆黒に焔を宿し、室井が青島に少し体重をかけた。
足が絡み、必然的に押さえられた両手で、揺らぐベッドで軋む。

「昨日はもっと喘いでいたぞ」

耳元に囁かれ、もう泣きが入って室井を見上げる。
自分に欲情する男が、心の隅から犯してくる。

じわじわと浸蝕されるその背徳は、禁忌の味がして、それでいて青島を魅了するだけの大人の成熟さがあった。
この男が、過去どんなふうにベッドシーンを演じてきたか、その蜜が青島を爛れさせてくる。
自分をそういう目で見ていたのかと知らされる事実に、痺れてくる。
でも決してその薄い口唇は青島に触れてはこない。
それが妙に悲しかった。
昨日は男らしいその薄い口唇も、知れたんだろうか。
昨日の俺は、知っているんだろうか。

「直に触って欲しいか」
「や・・っ、でも・・っ」
「そんな顔で強請られると、我慢が効かなくなる」

聞かされた言葉は、苛烈で刺激的だ。
室井さんにこんなことさせて。
室井さんとどうしてこんなことになった?
羞恥と動悸でいっぱいで、室井の台詞が可笑しいことにも気づかない。
思考は白濁としていて、朦朧とした視界に室井が囁く。

「昨日はもっと腰を揺らしていやらしかった。今朝は随分と従順だ」

スッと首筋を室井の指が這う。
耳元に事務的に囁かれる卑猥な言葉と吐息が、熱くて、青島は肌を汗ばませた。
湿った髪が張り付く顔を、反らし、背け、それでももう一度、室井の指先に従わされて、身体を震わせる。
薄っすら赤い口唇を開けて、哀願すれば、その視界は歪んでいるようにも映った。

これはやっぱり意地悪、なんだ。
昨日は多分シてくれたのに、今朝は触れてくれない。記憶に残すことを室井が許してくれない。
室井がこんな男の顔をするのも初めて見たし、こんなことまでするなんて意外だった。キャリアなのに。
たぶん、室井だって昨夜は楽しかったんだ。
覚えててほしかったのか?俺にも。
室井の怒りが、切なくて、苦しい。
室井に視姦され、欲望を乗せたぎらつく瞳で、青島を凌辱しようとする真顔に、青島は激しく後悔した。

「昨日みたいに、俺の前で、蕩けさせてもいいが」
「・・っ、・・っ、・・・は・・っ・・」
「随分と素直な今の君に従わせるのも悪くないものだ」

青島だって二人で過ごした貴重な時間を覚えていたかった。
なんて勿体ないことをしたんだろう。
こんな室井と、昨日はどんな話をして潰れるほど盛り上がったのだろう。
潰れるまで語り合って、近づけた。
知らない部分まで見せ合った。
夢にまで見た最高の時間じゃないか。
それを最低の時間に変えたのは、俺だ。
嫉妬みたいな苛立ちはそのまま自分自身に投げつけられる。

最高だったはずの時間を最低にしちゃった、これは報いなのかな。

「・・ァ・・ッ・・」

小さく息を途切れさせて、押さえ付けられた身体が跳ねた。その様子を室井の瞳に犯される。
一向に触れてはくれない薄い口唇が目の前にあって、湿った吐息が頬に伝った。
細く冷たい、神経質な指先の感覚と、執拗に弄る動きが肌に直接刻まれるだけ、ドロドロになって蕩ける身体を恨めしくすら思った。
至近距離で覗き込まれ、視線ごと奪われ、その黒々とした髪と瞳と、真剣な眼差しが、抗うことを奪い
暴く指先に、全神経が集中していく。
額が付くほど近距離にいる室井にドキリと心臓が騒いだ。
シンとした部屋。息遣いだけ残る熱。絡み合う肌に、のぼせて、あやされる。

「この先、どうされたか、まだ知りたいか」
「・・教えて・・」
「恐くないのか」

青島は涙目で首を横に振った。

室井に見つめられるまま、気持ちがとろとろに溶けていく。もう留め方がわからない。
それなのに、手からも頭からも室井は擦り抜けていく。
刻まれたい。
置いていかれたくない。

もっと知りたい。このひとを知りたい。室井の瞳が欲望に染まっていることだけが、青島を誘い込んだ。
触れてはこない口唇に、強請るように青島の口唇が薄く開いた。
室井が険しく眉間を寄せ、青島に額を寄せる。
押さえ付けられた両手が、ミシリと軋んで、痛い。
うなじに鼻を薄めてきた室井に、熱い舌に愛撫されるのかと青島は思わず目を閉じる。
だが、室井はそのまま青島の肩で固まってしまった。

「・・・・・・・室井、さん?」

どこか哀願を乗せた重い吐息で語る掠れた声で妙な色香を走らせる男に、室井は青島の肩から顔も背け、大きく溜息を落とす。
なんか、呆れさせちゃった?
続き、しないのかな?
やっぱり、だめなんだ?

「まああれだけ酒を入れたら、都合の悪いもんは、飛ぶな」
「むろいさんとのことで都合が悪かったことなんか、ないよ」

青島が小さく笑って見せた言葉に顔を上げた室井は、どこか苦悶の表情で、青島を困惑させた。

「これまで潰れたことなんかなかったんですけど」
「私が潰させたんだろう。つい付き合わせてしまった。君は随分と無茶な呑み方をしていた」

黙ったまま室井を見つめていると、室井は青島を解放し、そのまままた、額を抱えるように、うずくまってしまった。

「あの」
「まったく、君は・・・、すまない」
「酒はいいです」
「そうじゃない、嘘を吐いた」
「うそ・・?」
「さっき君に話したことは、全部作り話だ」

ちょっと言っていることが分からなかった。

「うそって?」
「君を誑かした」

え?うそ?うそって、そういうこと?えええ?どどどどこからどこまで???

「昨日、君はここで潰れただけだ。手なんか出していない」

出せるか、馬鹿。
室井が吐き捨てる。
室井にしてはぞんざいな言葉にも、青島はまだフリーズ中だ。

きょとんとする青島に室井はタオルケットを渡し、目のやりどころを失わせるまま、青島からのそりと身を起こす。
釣られたように、青島も腕だけで半身起き上がった。

「君が忘れたなんて言うから・・・つい」
「つい、なに?」
「つい、揶揄いたくなったんだ!!」

耳まで赤くして、室井が叫ぶように言い返す。

「折角昨夜は久しぶりに話しこめて、こっちは浮かれていたのに、全部飛ばしやがって!」
「だから」
「だから悔しくて!」
「・・・」
「あまりにも可愛い顔をするから、・・ったく」
「・・・・・・・・まじ?」
「躰なんか重ねていないし、背中の爪痕は昨日久しぶりに警視庁面子で柔道をやったからで。ここからまた説明することになるとは」
「うそって、嘘吐くメリット、ないでしょ」
「君が覚えてないから悔しいんじゃないか!」
「んなこと言ったって飛んじゃったもんはしょーがないでしょうが!」
「いい気にさせられて落とされた身にもなれ!」
「無茶ぶりな!」

青島もまた、返答を間違えた。
そのことに、お互い瞳を探って勘付いて、同時にそっぽを向く。

「大体君は、こんなに簡単に身体を与えるのもどうなんだ」
「あんたが取引にコレ言い出したんじゃん!」
「交換条件なら君は誰とでも寝るのか!」
「あんただったからでしょうが!」

室井がカッと赤くなる。
叫んだ言葉を反芻し、青島もジタバタとする。
やっべぇ、しくじった。言葉のチョイス、さっきから間違え続けている。
口元を手で覆い、青島もそっぽを向く。

「・・とにかく、無防備すぎる」
「すいません・・」
「そういう無茶は、危険だ。・・俺が言うのもなんだが」
「・・気を付けます」
「俺の前だけにしておけ」

隣では、そっぽを向いたままの室井も厳めしい顔で壁を見据えたままだ。

なにそれ、コクハク?
それよりも、そうだ、もっと大事なこと。
俺、室井さんの傍にいていいの?

「許してくれたの?」

そっちか、という顔をして、室井が青島の方を向く。
片眉を歪めて、やりきれないような顔をして、何とも言えない顔を見せる。
そんな顔、しちゃうんだ。
返答に困っていると、徐に腕を引かれ、室井に下から掬うように口付けられた。

「なっ、なにして・・っ」
「昨日もシた」
「嘘って言ったじゃん、今!」

キスを仕掛けた室井の胸板を青島が両手で押し返し、抵抗する。

「さっきは散々触れてもくれなかったくせに!」
「キスだけは嘘じゃない」
「ノリで?」
「寝込みを」
「・・サイテーだな」
「お互い様だ」

今になって室井に口付けられた口唇が、熱い。
思わず指先を宛てがい、頬を染めて、青島はもう一度室井を横目で盗む。
室井が男として触れてきたのだと頭が認識し、頬が熱くなる。
室井も青島の視線に気付いた。

「もうバレちゃったんだから隠す必要はないだろう」
「そこは隠してください」
「敏い君が?実際、こちらの気持ちも知っててこの部屋へ入ったんじゃないのかと言いたい」
「覚えてないです」

同じベッドの上、そっぽを向いたまま同士、擦り付け合うのは往生際が悪い。
思い返せば、室井の言動は最初から変だった。
冷静だったら気付けた、かもしれない。

「そーだよ、思えば、俺が忘れてたら、逆に、室井さんはホッとする案件だったんじゃん。動揺しすぎてたわ」
「ああホッとした。これで素面でバックヴァージンを頂ける」
「ドストレートだな」

つまりなんだ、この男にとってこれは上司と部下の不祥事ではなく、恋愛トラブルなわけだ?
奇妙な沈黙を持って見つめ合い、また視線を反らす。

「「はぁ~・・・」」

同時に似たような溜息を吐くのは、同時にこの茶番劇に踊らされたためだ。

「「あのっ!」」

また同時に口を開き、同時に詰まる。
お先にどうぞと促せば、室井も視線で先に言えと命じてくる。

不自然な沈黙は、勢いのまま言い合いをした台詞を反芻させ、青島は口許を覆った。
隠そうとしたところで、耳まで赤くなっちゃってて、バレバレじゃん。
チラリと横目で盗めば、それは室井も同じようで、照れ臭い気配のまま視線を避けてしまう。
何とも居心地が悪い。
ただ、見切られたと思った時よりもずっと、室井を近く感じ取る。

「そもそもどやって俺ここにきたんですかね?」
「知るか」
「どっちから誘ったの」
「・・・・私が声をかけた。断ることは出来た筈だ。此処へ来ることも」
「上司の命令には逆らえなかったんだと思いまーす」
「本当に?」

室井が徐に青島の手を握ってくる。
そういう強引なことをしてくる男だとは思わなかったのでまた驚いた。
だがもう振り解けそうにもなかった。

「さっきからキャリアだの官僚だの煩い。肩書など関係ない」
「あるでしょ、あんたには」
「青島」

たった一言。名を呼ばれただけで制されて、青島は次の言葉を失った。
小さく漏らした苦笑に、青島の身体から少し緊張が抜ける。

「言いたいことがある」
「なかったことにも出来ますよ、まだ」
「君と違って、君とのことで失くしたいものはない」

手は握ったままだ。
視線だけ向けたら、室井も視線だけくれた。
しっかりと絡み合って、もう逃してはもらえない。

「随分と大きな嘘っこで騙してくれちゃって」
「カンチガイであるならば、否定していい」
「今までもずっと騙してきてたってことでしょ?」

その言葉に、上を向いて、横を向いて、また上を向いてから、青島は頭を抱え込んだ。

「失敗したぁぁ~・・・」
「失敗になんか、させない」

雲の上のひとが、ちょっとだけ、身近にいるような気がする。
昨日までは知らなかった感情が、一連の嘘で引き出されて、暴かれた。

「気のせいでは、ないんだな?」
「そーだよ」

脅迫のような室井の言葉に、青島は不貞腐れて、ぶっきらぼうに返事する。
こんなのこっぱずかしくて冷静でいられるか。
なのに室井から返事がない。

「なんか言ってください」
「本気、か?」
「あんたこそ、正気?」
「ああ」
「いつから?」
「最初っからだ」
「・・えええ?」
「きっと俺の方が先だったし、俺の方がいっぱいいっぱいだ。もうそれでいい」
「お、俺だってそこそこの割合占めてますけど・・あんたのこと・・」

青島の台詞をゆっくりと咀嚼し、室井がぼそりと言う。

「俺に勝てると思ってるのか?」
「え、敗北前提?」
「引き下がるつもりはなかったし、恋敵にも譲ってはやらない。無論、酒如きにも負けない。これで勝てるつもりか?」
「か、勝てるよ!」

室井にグイっと引き寄せられた。
至近距離で抱き込まれるまま、室井が青島を縫い留め、顎を持ち上げられる。

「っ」

雄の気配を隠しもしない室井に、青島がたじろいで視線を彷徨わせる。
こんなことされているのも、こんな体勢も、いたたまれなくて、顔が熱くなった。
身を引こうとしても、思ったより力は強くて、執拗な室井の腕が青島を逃がしてはくれない。
こうなってしまうと性質の悪い度量を見せる室井に、青島は降参したように複雑な顔を覗かせた。

「ようやく手に入れた、な」

親指でゆっくりと下唇をなぞられ、背筋が震える。
室井の額に額を押し付けると室井がクッと目を眇める。
返事はしない。
ぷくっと頬を膨らませていると、顎を捕えてくる指先に力が入った。
ただ見つめ合うまま、吸い込まれそうな漆黒に、浮遊感すら与えられ、もう止められない。
目の前で室井がゆっくりと荘厳な顔を傾けた。

「心臓の音、すっご」
「聞こえるのか?」
「俺のですよ・・っ、あんたのがこっちまで聞こえたらコワイよ」

尤もだと口唇を尖らせる室井の大人びた笑みに、更に心拍は高まって。
触れる直前、吐息で囁く。

「ちゃんと、刻み付けて・・」

今度は深く触れてくれた口唇は甘く、誘うように動いて朦朧とさせられるまま力が抜けて、吐息が漏れた。
その赤い膨らみを震わせる青島に、室井が執拗に口唇を重ねてくる。
初めてなのか、何度目なのか、考えられなくなるくらい繰り返されて、異常に気怠い朝は、くすぐったい朝に変わった。







Happy end

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未発表作品。
酒に失敗した室井さんのと対比のお話。キャリアの酒癖の悪さに付き合わされ潰された設定。
室井さんは寝込みを襲いましたが、忘れ られた。それがショックだった一方、報いだとも責任を感じて室井さんも言い出せなくなった裏設定。
波留さんのドラマ「私のお嫁くん」の一コマが可愛すぎて最後引用してしまいました。

20230604