登場人物はふたりだけ。お盆休み。室井さん視点。
B面とストーリーに繋がりはありません。
盂蘭盆会(うらぼんえ)~A面
江里子は白い花が好きだった。
毎年お盆のこの月、室井は小さな白い花を海に手向ける。
彼女が沈んだ秋田の海には、きっと今も白い波が打ち寄せているのだろう。
気軽に帰れないから、東京の海に花を贈る。
海は繋がっている。きっと彼女の元へも届けてくれる筈だと信じて。
蒸しっとした夏の大気に浦風が混じる海は、湿度が高く不快感が室井のスーツの中で滴り落ちた。
そろそろ日没だろうが、まだ夏のジリジリとする熱が僅かな肌を刺す。
それも滑稽な自己満足なんだろうか。
俺のために、死んだ女だった。
俺と出会わなければ、相応しい最期を迎えられた女だった。
室井は黒い鞄を持ち直し、もう一度水平線に目を送る。
海はどこまでも暗くて、青だった。
凪いだ潮風が室井の固めた黒髪を通り過ぎる。
ふと誰かに背後を盗られた気がして室井は意識を戻した。
自分の立場を思いだす。
鋭い眼を無暗に動かさず意識だけ向ければ、閑散とした海辺に人影はないかった。
公園を囲む常緑樹の後ろで、鬱蒼と緑に茂る影が揺れる。
惚れた女に未練を残す男から上級官僚の顔に戻った室井は、名残惜しい顔を伏せ、老友の海に背を向けた。
海岸線は木々に馴染む影に揺らめき、室井は視線を一度だけ海に戻す。
胸中で彼女に次の来訪を告げ、室井は踵を返した。
コツコツコツ。
室井の靴音が遊歩道を鳴らす。道半ばで立ち止まり、一度だけ視線を木に向ける。
「帰るぞ」
「・・・・」
返事はないが聞こえているのは分かっている。
室井は無視をして出口へと向かった。
ぱたぱたと足音が追ってきた。
「いつまでそこに居るつもりだった」
「いつから気付いていたんですか」
「おまえの下手くそな尾行など、最初っからだ」
「ちぇ~」
いつもは茶目っ気たっぷりに懐いてくる男が会話を途絶えさせる。
俯いて、一歩後ろを付いてくるひょこひょことした足取りは、彼の本音を確かに上手に隠していた。
「ヤキモチか」
「・・・・死んだ女には敵わない」
一度だけ視線を合わせる。
青島もちろっと上目遣いで室井を窺っていて、気まずそうな顔に変えた。
こんなに誰かのことを考えるのはいつ以来だろう。
道のりをゆく足取りは、一度止まってしまったのかもしれない。しかし無論、室井は立ち止まり続けるつもりもなかった。
***
扉を閉めた途端、恐らく抱きついてくるだろう男の腕を先に引き寄せ、室井は青島の首に手を掛ける。
案の定素直に身を寄せ首を傾けてくるその口唇に、そのまま重ねた。
少し戸惑う青島の舌を舐め上げ、上顎や内頬を巡り、また舌を奪って絡みつく。
耳を塞ぐように頭を押さえつけ、ぴったりと合わさった口唇の内側で、水音が淫らに脳に反響した。
激しく扱かれ戸惑う暇もなくキスで塞がれ、青島が覚束ない手を室井の手に重ねてくる。
上も下も押し付けるように絡めあった。
「なに?罪悪感?」
「・・・・」
触れるだけで胸がぎゅっとなる。
気にしていないふりをして、物凄く囚われている。
壊れないように、この細く脆い繋がりを、自分は何よりも恐れている。
「俺は礼でも言えばいいのか」
まるで頑是無い子供に言い聞かせるように、室井が頭を撫で、顔を覗き込んだ。
思い出せない程深い心の奥底に眠っていて、でも、ずっと忘れることが出来なかったその手は
今はこうして温かな体温にもう一度触れる未来を許されている。
「ねぇ、おれ、別れた方がいい・・?」
そう言った青島は、きっと室井の痛みも罪も全部分かっているんだろう。
お互いの唾液に濡れた青島の紅い口唇が、誘うように薄っすらと開かれるが、それ以上の音は乗せない。
「そういう風に言えば、俺がそうしてくれと言うとでも思ったか?」
「っ」
「それとも、そう言って欲しいのか?」
凡そ感情とは程遠い真黒い目で室井は青島を遠慮なく射貫く。
流石に困ったように青島が視線を彷徨わせ、忙しなく髪を掻き混ぜ、最終的には俯いてしまった。
次はどう出るんだろうと、半ば興味津々に眺めていると、特にリアクションをしなかったことで誤解した青島が
ワイシャツの裾をきゅっと強く握って口唇を噛み締めた。
しまった。苛めるつもりはなかったんだが。
無口でロクな口説き文句も持ち得ない室井が黙り込むということは、ある種の拒絶や否定が混じることを、室井は時々忘れる。
参ったなと肩の力を抜き、それから、室井は青島の腕を引き寄せた。
「っ」
小さく息を呑む呼吸が室井の首筋に掛かり、軽く身じろいだものの、青島がトン・・っと室井の胸に落ちてきた。
そのまま青島が大人しく腕の中に納まってくる。
しっかりと受け止め、室井は青島の頭をぐしゃぐしゃと撫ぜた。
悪かった。今はその一言すらも、出てこない。
「お前に困らされるのは、わりと好きなんだ」
「ちゃんと、大事なことは、隠さないと。・・・そうしないと、騙したい相手も欺けないんですよ」
「欺きたいのなら、不用意に挑発するな」
「俺、ばかになっちゃってんですもん、あんたに惚れてから」
ほんと無防備にもほどがある。
夜泣きした子供をあやすように、室井は腕を青島の腰に回し、扉に凭れた。
電気も点けない玄関は、薄明の大気に蝉の声だけが蒸し暑さを加速する。
「なんでそんな、ちょっとうれしそうなんですか」
答えることはなく、室井は目尻だけ細め、汗で湿った青島の髪を指に絡めた。
気配だけで俺の機微がわかるのか。
何となく、目を見れば通じ合うような、ピンとくるような不可思議な感覚に陥ったのはいつのことだったか。
あれから、今年は何度目の夏なのだろう。
室井は顔を上げさせ、頬を掴み、額を押し当てた。
「なに?」
「俺のものだ」
耳元に吐息で吹き込んだ瞬間、青島の顔がカッと火照った。
飄々とした室井とは対照的に、ううう~と唸る青島がまた室井の肩に顔を埋める。
「なんてことゆーんだよ」
「惚れた奴が独占欲剥き出しで求めて来た、厭な理由があるか?」
「~~//////」
今度こそ完全に絶句した青島は、おずおずと室井の背中に両手を回し、室井のスーツを手繰った。
クソ暑いのに、男二人、スーツで抱き合っていても、うっとおしいだけなのに、安心する。
「捨てたくなったら、いつでも捨てていいんですよ」
この期に及んで、まだそんな予防線を張る彼に、闘争心が湧く。
俺はそんな風には愛せない。
負けた気がするのは、多分、青島が誰に対してでもそんな風だからだろう。
「折角今日はおまえの頑張りに免じて優しくしてやろうかと思っていたんだがな・・・」
「・・・はい?」
まったく、台無しだ。
室井は青島の襟ぐりを両手で掴み口付けた。
初めから手加減するつもりもなく、口腔を余すことなく蹂躙すると、後頭部の髪を乱暴に鷲掴み、引き下げた。
怒りに任せ、ただ雄の支配欲のままに、嬲っていく。
荒々しい行為に、青島は退け反るままに室井の首に両手を回し、不安定な態勢を堪えようとするが、室井の勢いに押され、壁に背を付いた。
腰を引き寄せ、更に奥深くまで舌先を埋め込ませれば、息苦しさに青島が小さく呻き、その震動が室井の欲を煽っていく。
酸素を欲するようにポンポンと背中を叩かれるが、これも今は無視をする。
「ンッ、・・んん・・っ・・・ぅ、んぅ・・ッ・・・」
「じっとしろ」
「・・んん、く・・・、ん、待っ・・」
「待たない」
切なげに眉を寄せ、目尻を硬く閉ざし、青島が室井に強くしがみ付き、スーツに皺が残された。
力が入らない青島の指先が、強請るように室井の腕を辿り、首筋を彷徨う。
その仕草が可愛くて、軽く舌を噛んでやったら、カクンと青島の膝が折れた。
受け止めるまま、室井は体重をかけ、青島を廊下に押し倒す。
冷たい床にに四肢を縫い付ける。
「・・は・・ぁ・・ッ、きょ、今日は随分手荒なんですね」
「甘ったるく抱かれたいか」
「じょ・・、っだん」
憎まれ口を叩く顔は朱をはたき、目尻には生理的な滴が黒い睫毛を濡らしていた。
白いシャツだけを無造作に着ていた青島の、括れたラインや骨格が、色香を灯って陰影を作る。
今度は柔らかくキスを落とすと、室井は舌先で目尻を舐め上げた。
ふるっと震える青島が、愛おしい。
「やっぱり妬いてるだろ」
「ん・・っ、言うな・・・っ」
「それとも寂しくなったか?」
「・・っ/////」
「可愛いな、おまえ」
囁くように思わず零れ出た言葉に、青島がびっくりしたように固まった。
そして、目を瞑って、顔を真っ赤にして。
もう降参するしかない可愛さだ。室井の方こそ瞠目する。
ああ、もう、そんな顔を見せてくれるから。
「あおしま」
「ちょっと・・・たんま・・・」
「――」
「今、好きすぎて、俺、爆発しそう・・・心臓痛くてダメだ・・・」
だからもう。
こんな俺の傍に、いつの間にか隣で付いてきてくれる相棒がいる。
江里子は俺の青春だった。でも青島とは、一緒に生きていくのだ。
俺は、この先を生きるなら、青島とがいい。
「俺から逃げないってここで誓え」
どうせコイツも無茶してみたり、俺のためだとか言って消えようとしたり、勝手なことをするのだ。
室井の凝り固まった固定概念を崩し、新しい価値に組み替えてくれた。
迷いなく信じて、委ねてくれた。
その気持ちをその口で言わせたくなった。聞きたかった。何度でも。そして、何もかもを独占してしまいたかった。
所有権だけでなく、その未来までを、奪いたい。
「ゴメンです」
「一度でいい」
室井が何を欲しているのか、ようやく察した青島が困ったように、恥ずかしそうに眉間を寄せた。
あの顔だ。海辺で見た。
戸惑い。そして、恥じらい。微かな躊躇いと、恐怖。
「もっとも、逃がすつもりももうないんだが」
「・・遅っそいんですよ」
ばぁか、と囁いて、青島が、さっさと白状しろっての、と舌を出す。
それを認め、奥底に沈む自らの果て無い欲望に、その燃え尽きぬ情火に、室井は不意に自嘲して口端を持ち上げる。
観念したのか、青島も甘い溜息を落とした。
押し倒されたままの態勢で、ここでがらりと青島の雰囲気が変わる。
「もういいでしょ、俺だけ見てよ」
青島がその細長い脚で、膝を開き、腰を浮かして室井の身体を挟んでくる。
露骨な誘いだ。
「今夜は帰せないぞ」
もっともっと聞いてみたかったのに、室井は顎を乱暴に引き下げ、上向かせたその甘い口唇を塞いでしまった。
心臓が爆ぜて、熱くて、灼けるようで、呼吸が止まる。
馬鹿野郎。心臓が止まりそうなのはこっちの方だ。
室井は乱暴に青島のネクタイを引き抜いた。
Happy end

未発表作品。魂の弔いと浄化。
20210829