登場人物はふたりだけ。雨宿り。室井さん視点。
B面とストーリーに繋がりはありません。







夏日~A面






「あ・・っちゃあ。やっぱり」
「もう少し早く店を出るべきだったか」

ディナーの途中ぐらいから風が強まり、折角のデートにも水を差されたと思っている室井とは対照的に、天候すら青島は楽しいらしい。
そもそも今夜の数時間の打ち合わせが、デートという認識も室井の主観だ。
“先日の事件の捜査資料なんだが、君の視点から相違がないかチェックしてくれ”
デートだなんて、随分と見え透いた邪念だが、そんな風に思考を歪ませてでも、この男と会ってみたいと思わせる。

「蝉時雨だな」

幼少の頃は確かに台風などが来ると意味もなく窓にへばりついたり、近くの川を覗きに行ったりといったこともあったなと思い出しつつ
室井は歩道脇で跳ねる青島を眺めた。
危なっかしい足元では、木の葉が渦を巻いて排水溝へと轟音を立てる。

「傘!すっげぇ雨音!」
「転ぶなよ」
「んな子供みたいな」
「一緒に居るこっちが恥ずかしくなるんだ」
「ちょっとバカにしてます?」

しまったというような、やっちゃったというような、何とも言えない愛嬌で青島がしょぼんとこちらを見てくる。
拗ねたような、親に叱られた子供のような、心許なさに室井は心の中で少し苦笑した。

「悪天候にはテンションが上がるほうだろう」
「ちがいますぅ!・・・もぉ。分かってるくせに」

雨に打たれたほっぺたをぷくっと膨らませる青島の目尻が少し赤らんでいた。
傘も役に立たない現状では水飛沫が細かい光となってその輪郭を電灯に浮かび上がらせる。
艶めいた肌も薫り立つようで、室井は静かに目を下ろした。

ただ愛おしかった。
染み渡るように蔓延る熱は、こんな夏夜の蒸し暑さのせいじゃない。
室井はきっちりと締めたワイシャツの襟元が汗ばむのを気にしながら、青島に気付かれないよう息を詰めた。

駅の構内は人がごったがえしている。
異常な混雑に、電光掲示板を見れば、運休を告げる赤いランプが点滅していた。
危険信号のように、それはじわりと雨に滲む。
遅延を告げるアナウンスが事務的に繰り返し流れ、改札口では電車の運行を叫ぶ駅員の声が雨音に途切れた。

「室井さんの方は・・・えと、大丈夫そう?タクシーも捕まらなそうですよ」
「今日は電車にする」
「ええ?でも、止まっちゃってるし」
「君の方もだろ」

室井が黒の蝙蝠傘を閉じ終えて、青島の分まで引き受けながら言うと、青島は照れ臭そうに微笑んだ。
“付き合ってやる”
ただそれだけのことも言葉には出来ないが、なんとなくは、伝わっていく。
きっと、捜査資料なんて口実だってことも、とっくにバレているのだろう。

「警備もなしでエリートキャリアが電車?」
「所轄の君たちよりは頼りになると思うが」

青島が指差した方角へ。二人で少し離れた位置まで移動する。
どうしてこんなに慕ってくれるのか。どうしてここまで信じてくれるのか。

「俺ね、この間の術科訓練、勝ち抜き戦でラストまで残ったんですよ」
「結果は」
「キャリアはそうやって結果ばっかり~、過程を褒めてくださいよ」
「つまり、敗けたんだな」
「勝どき署のライバルにやられました」

室井が目を細めて見遣るが、微笑ましさとは裏腹に、青島には挑戦状に聞こえたらしい。
挑発的な視線で肩でとん・・と肩を小突いてくる。

「いつかね、室井さんなんか、ぎっちょんぎっちょんの、けっちょんけっちょんに、してやりますよ」
「ちょっと日本語が分からない」
「んもぉ!俺の宣戦布告だったのにぃ!」

駅構内のアイスの自販機、人目から離れるその影に二人で身を隠す。
向き合って、目を見て、室井は夜と同じ色の瞳で青島を捕らえた。

「楽しみにしている」

真っすぐに告げれば、青島は逆に視線を泳がせた。

背後の裏通りは大きな雨粒がコンクリートを激しく叩いていた。
答えも忘れ、青島がそっぽを向くので、照れているのが伝わり、それは同時に室井をも臆病にさせる。
触れそうで触れない肩の位置、肌の熱が伝わる距離。もどかしい距離感は青い初恋の蜜のように甘く酸っぱく、ジリジリと心臓を軋ませる。
気恥しさに、室井はただ煙る雨の街を目に映した。

この眩しくて美しい男がデート、もとい、室井の誘いに頷いただなんて、誰が信じるだろう。
俺だって信じていない。
今も夢の中のように、ふわふわした感覚があって、隣にいる気配を全身で感じ取った。
癖のある煙草の香り、汗と、少しの海の匂い。
曖昧な手応えは、強く打ち付ける癖に形を持たない、まるでこの夜の雨に似ている。

緩く崩れた物柔らかさを湛えつつ深い憧憬を持つ室井の表情を横目で盗み、青島が横で少しだけ驚いたような顔をした。

「ちぇぇ、かっこいいんだから」

小さく呟く青島のコクのある声は、ただ、室井をくらりとさせた。

「濡れてしまったな・・」

雨に艶めき、しっとりとした細髪を敬虔な思いで指に通した。
想像以上に柔らかく、いつもは淡い髪色も黒々と光って肌に貼りつき、水滴を零す。
自分はこの男が欲しい。何もかも奪って自分だけのものにしてしまいたいのだ。
とうに自覚していた浅ましく爛れた妄想は、室井の武骨な指を強張らせる。
ぎこちなく掻き揚げ、指から抜け、目が合い、瞬時、青島が息を止めているのに気付いた。
深い透きとおった瞳に魅入られ、室井は動けなくなる。二人の視線が至近距離で絡み合う。

「・・・」

離れない。否、離せない。
魅入ったまま、時が止まったかのように感じた。
まずいと頭の片隅が警告する理性にも、意思が動かなかった。
決定的なことをしでかす前に、室井は必死に律する。

「風邪、・・・引くなよ」

ようやく喉から絞り出した室井の声は掠れ、低く短く雨音に消えた。
青島の表情を見れずに瞼を伏せる。
吸い込まれそうだった。飲み込まれるかと思った。
一線を越えた自分自身の行動に、もう、自分で自信が持てない。
これ以上は危険だ。

眉間を揉んで、もう一度路面を向く。
雨は、相変わらず強く打ち付けている。
誰もがこちらの様子になど無関心で、灰色の世界が憂いていた。

往来で何をしているんだ自分は。
すっかり視線を落としてしまった青島が、はあっと大きな息で吹き返し、口唇を引き結んだ。
隙だらけの彼に、懐かれる意味を、本当はずっと探っている。

「雨、やまないですね」

降り続く雨は厳かに街を潤し二人を密室に閉じ込める。
それでも今、世界は二人だけだ。
酸いも甘いもなくて、それでも、同じ場所にいる。
青島の隣に立つのは、他の誰でもない、今は自分だ。
憂鬱な閉鎖空間も片恋の男にとっては耽美な蜜となる。

「電車、このまま止まっちゃえばいいのにね」
「その前に終電になる」
「雨の方が言い訳っぽいでしょ」
「ロマンチストだな」
「証明は出来ないからね」
「悪魔の証明か」
「はい・・・」

青島が頑是なく俯く。

「じゃあ室井さん・・・」
「ん?」
「今夜は帰れないですね」

一気に室井の身体が鳥肌立った。
直立不動のまま硬直する。鞄を持つ指にも力が入り、息を詰める。
薄い口唇を引き結び、眉を潜め、室井は目を見開いた。

いいのか、なんて、逆に恐くて口に出来ない。

「・・・朝まで一緒にいるか?」

青島の言葉がどういう意図を持っていたかなど、関係ない。ただ、この会話を終わらせるのは出来なかった。
室井が腑抜けだから青島が仕掛けたのか、室井の指先から伝わったものに青島が焦れたのか
どっちかなんて、考える思考から焼き切れる。

「一晩?」

甘い言葉の駆け引きに、室井は堅く目を閉ざし、硬い口唇を引き結ぶ。
これに応えたら。
そうしたら、何かが変わってしまうんだろうか。何かを失って、止め処ない取り返しのつかないことになって、その時自分は青島を護れるんだろうか。
青島が思うほど、室井はプライドが高くはない。
あるのはきっと、か細い糸にしがみ付くような、孤独への恐怖を裏の顔に隠した化け物だけなのだ。

「ねぇ、さっきの・・何?」
「酔っ払いの――気紛れだろ」

青島の指先が、下から小さく探って、きゅっと室井のスーツを掴んだ。

「それだけ?」
「それだけだ」

干乾びた喉を何とか動かし、室井は硬く眉間を寄せて瞼を伏せる。
話は終わりだとばかりに、前を向けば、雨脚はさらに激しさを増していた。

電車運行再開のアナウンスが黙り俯く二人の間を通り抜ける。

静かにそのアナウンスの末尾まで聞いて、青島が改札口へと足を向けた。
刹那、室井が青島の二の腕を取った。
無意識の、咄嗟の行動だった。
青島は振り返らないが、応えない。
振り向かない後頭部を眺め、室井の声は、観念したように、あおしまと呼んだ。

「帰るんでしょ?送りますよ。ちょっと頼りないボディガードだけど」
「必要ない」
「・・・」
「青島」

振り返ることはなかったが、力を抜いた身体に小さく告げた。
すらりとした見目良い筈の男が妙に小さく見えた。
その肩が震えている。指先も。俯く背中も。

「室井さん、離してくれ」
「離したら、帰るだろ?」

俺を置いて、と階級を匂わす言い方は卑怯だろうか。
話はもう終わりだ。
うだうだと探り合う、無意味な話は。

「いいから、来い」

抑揚も付けずに、室井が言えば、青島もようやく目だけで振り返る。
くしゃくしゃで、泣きそうで困った顔の瞳が揺れた。
戸惑う手を延ばしてくる。
その手を引き寄せ、室井はようやくその甘い体温に触れることを許された。

「俺を試すようなことばかりして・・・。本当に俺があそこで何もしないと思っているのか・・?」
「ずっと・・・なにもしてこなかったじゃないの、実際」

こんなにも心の全てを占めてきて、欲しいなんて単純な言葉じゃ収まらなくて、それでも慕ってくる男に理不尽に恨みすら口遊んでしまいそうだった。
いっそ、青島の方から見限ってくれたら、それは解放すら齎してくれる気がしていた。
なのに、青島はこんな俺を見捨てない。

「今日だって、君に会いたくて会いたくて、来たんだ」

意地っ張りな青島だから、このくらい強引にいくくらいが、丁度良いのだ。
腕の中できゅっと身体を強張らせる青島の手が、ゆっくりと室井の背中に回ってくる。

ただひたすらに、青島しか見えなくなった。それがどんなに危険なことなのかは、室井自身が一番よく分かっている。
姑息だろうが卑劣だろうが、溢れかえってどうしようもないものを、自分一人で抱えている内は、安全だった。
でも、青島にはこんな思いをさせたくはない。
なのに今、こんなにも浅ましい感情がどろどろと渦巻いて、窒息しそうになるその遥か奥で、極上の幸せが身体を震わせる。
自分が怖かった。言葉などにしたら、きっと、貪るように独り占めし、その想いに溺れてしまう、強欲な自分が怖い、なのに断ち切れない。それもまた、恐ろし い。

「俺が必要って言ってください」

室井はただ強く抱き締める。
これから先も、擦れ違い、間違えたり失敗したりするだろうが、人生に起こる全てが引き寄せ合う青島となら
夢も嘘もないんだろう。
目指す終着駅に答えは無くとも、今はこれでいいと思った。

雨はまだ激しく叩きつけている。











Happy end

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未発表作品。触れ合いそうで触れ合えないふたりのどきどきを書きたかった。

20210822