登
場人物は青島くんと室井さん、益本くん。第三者視点からみた室井青島。まだ片恋のふたり
トライアングル~益本伸幸の誤算
1.
雨が降っていた。
「なあ・・俺たち付き合わね?」
益本が言った言葉の意味を、琥珀の光を宿す瞳はちゃんと理解していた。
季節は幾つか過ぎて、二人で過ごす時間も増えて、お互いもう他に相手はいないだろうってことも、分かり過ぎている。
忘れられない相手をお互いに感じて、それでも一番近い距離で傍にいた。
「それ・・恋の話、・・だよね?」
「お前もよく知っている性質悪ぃビョーキかな」
「いいの?」
それで。
青島の瞳は拒絶も嫌悪も乗せていなかった。
一番近づきたい相手には触れられない。
そんな神話を誰よりも知っているお互いだから。
「・・うち、来ねぇ?」
ただ雨の音が耳の奥に残っていた。
*****
そんな風に、連れ込めるような関係に俺たちがなるまでにはそれなりに色々あって、それでも普通の恋人っぽいデートだってした。
カラオケだのプリクラだの、女子高生に混じって、ゲーセンではしゃいで、高校生みたいな時間を過ごした。
ボーリングでは接戦となった。
二人でお揃いのストラップ付けてんのも、秘密だ。
そんなのも全部、こっちはデートのつもりだった。
笑って欲しいし、倖せでいてほしい。楽しいって思ってほしいし、世の中は他に目を向けりゃまだ捨てたもんじゃない。
秘かな願いはそれだけだ。
身を引くほど愛しながらも逃げた男のことなど、忘れていいんだ。
「あれから、会ったりしたん?」
「益本、今日は直球だね?」
俺の部屋に青島がいるという前代未聞の絶景に目を眩ませる間もなく、至近距離で微笑む愛しい相手に
益本はただ苦く笑う。
見透かされているのも、余裕がないのも、オトコがハジメテってのも、きっともうバレバレなんだから
隠したって仕方なかった。
「・・会ってない。元々遠い人だし」
あの夏、透きとおった眩しい空の色と、フラれたといって無邪気に涙を堪えた顔を、益本は一生忘れない。
あんな顔だけは、俺は絶対させない。
「どうしてんのかって気になんじゃん」
「どうしてるのかも言ってくる仲じゃないし」
「まあ、男ってそんなもんだよな」
「男同士ってだけで厄介なのに、なんか、益本、冷静だね」
「これでもすっげぇビビってる」
「まじ?」
くすくすと笑う吐息が頬に触れて、肩を抱くには不自然ではなくなった距離に甘んじて、益本はゆるりと青島を引き寄せた。
肉の柔らかさと温かさについ力が籠る指先を叱咤しながら、さりげなく髪にキスをする。
軽口言ってじゃれ合えば、胸が軋むほどの幸せを感じている。
くっそ、俺、マジだわ。
いつからだろう。こんなに大切になっちまったのは。
その思いのまま腕に力を込めて、益本は腕の中に青島を閉じ込める。
情けなくその腕まで震えてら。
「益本、出世したいんだろ?」
肩口で囁き、やんわりと益本の胸を両手で押し戻そうとした青島の手も握り、ただ、その首筋に鼻を埋めた。
思ったより華奢な温かい肉から、少し染み付く煙草の臭いと潮の香り、雨の気配、そこに混じってシャンプーだかソープだかの匂いが雄の欲望を刺激してくる。
途端、自分の汗臭さが気になった。
俺、臭ってないよな?
彼に好感をもたれているという自信はある。
意気投合してはしゃぐ瞳に同じものを見ていた。たぶん、お互いに。
あっさりと腕の中に治まってくれたことを許可として、許可なくその薄開きの口唇に重ねた。
情けなくも震えているのは、お互い様だったらしい。
きょとんとした目が益本を映し込む。
「・・ようやく、キス、出来た」
「初めはあっさり奪ったくせにな」
「ま、そこは、男なんで」
「俺もオトコだよ」
「男なら奪えよ」
「やるときはやる」
「そうか?俺、手を出されてないけど?」
「はは、手ぇ出して欲しかったんか益本は」
「そりゃそう。・・すきだから」
軽口が、止まった。
じっと見上げてくる光を映す瞳を真っ直ぐに捕らえ、握っていた手を滑らせ、指を絡めた。
冗談では、流して欲しくない。
「でも、俺、まだ、あのひとのこと・・」
「・・・」
もう、その先は答える必要はなかった。
益本がどう思っているかは、青島の方がよく知っているだろう。
今ここにいることを全てにしていい。
しつこさは、お互い様だ。ついでに、あの堅物の男も同列だ。だから負けない。
「抱いてほしいか?」
「その相手は、益本じゃない・・、って、言ったら?」
そう答える青島の声も、掠れていた。
触れそうなほどの距離で囁き合う吐息がお互いの口唇に熱を与え、その先の予感を巡らせる。
焦らすように触れない口唇が強請って、誘いをかけあう。
「でももうさ、俺がガマンできないから」
「それで益本はいいの?」
「言わなくても、分かるだろ」
眠れぬほど焦がれた相手と肌を合わせる幸せを、男なら知っている。
肉を穿ち、本能のままに貪ることで得られるものを、知っている。
以前、本店の中の誘い文句って信じないことにしていると、青島は言った。
今は確実に、心の襞に触れている。
報われない恋に奏で合う心のさざ波が、今、ようやく重なり合うのを感じていた。
「嫌ならもっと嫌そうにしなきゃ」
「でも俺・・はじめて・・なんだけど」
恥じらいを含む青島の言葉に、より昂奮したのは、内緒だ。
「んなの、こっちもだけど」
「失敗したら、みっともなくね?」
「俺たちなら笑い話に出来る」
「味覚えちゃったら?」
「そこはもお、こっそり楽しみ合えばいいんじゃね?」
「バレるよ、上に」
「ここ、盗聴器ないし」
くすりと青島が笑った。
その余りの無邪気な笑みに、益本は思わず見入ってしまう。
そこに安心と信頼を見る。
男の味を覚えさせ、独り占め出来るのが自分ならば、どんな毒薬だって、今は飲める気がした。
草壁が言っていた。
“そんな単純な一言で、あの二人の関係を片付けられると本気で思っているのか?”
その意味は、今もまだ分からない。
まるで呪符のように脳裏の奥にこびり付き、時折腐敗した悪臭で消しても消えない存在を教えてくる。
分からぬまま、何かの急かされるような雨脚の強さが、益本の心を煽った。
「了解なら――キスしろよ。・・青島から」
「――・・」
「抱いてやるから」
忘れさせてやるから。
欲望を潜ませた声は掠れ、手首は離さず、体重と身体でわずか抑え込んだままの臈長けた躰が、少しだけ緊張を持ったのが伝わった。
雄の声となった益本の命令に、もう逃がす隙はない。
一瞬反らされそうになった瞳を頬をそっと捕らえることで戻し、額を押し当てれば、怯んだ瞳が揺れた。
早くと急かすように、だが焦らすように、顔を近づけ、でも口唇を与えてやらず、青島の動きを待つ。
「もう一度、言ってよ・・」
「・・すきだよ」
そうして、震える睫毛が濡れて、黒光りの美しさで益本を惑わせたまま、青島が、おずおずと益本に口唇を重ねた。
甘い口唇が吸い上げるように益本の下唇を掠めて、その瞬間、理性が飛んだ。
外は更に激しく雨が降っていた。
2.
それは、断定だった。
「おまえ、手を出しただろ?」
久しぶりにトイレで鉢合わせた一倉は、外帰りだったらしくペットボトルをラッパ飲みする。
「いきなりなんすか」
「とぼけても無駄だ。情報など幾ら隠しても零れ出る。特に、ここではな」
一倉の追及にも、益本は肩を軽く竦めとぼけるだけだった。
バラすつもりは元々ないし、根も葉もないことだったら、こちらがマヌケだ。
「あ~あ、知らねぇぞ、あの背後霊の天罰を食らっても」
「背後霊ってコワイっすね」
「あいつのはな、ねちっこくて、怨霊染みて、諦めが悪い」
「のわりに、泣かせてばかりじゃね」
誰のことを指摘しているのかをわざわざ告げる必要性はなかった。お互いに。
そして、その点については同意なのだろう。
一倉もまた無益なやり取りは好まないらしい。
「あの男の中は青島でいっぱいだ、それをこの先、事あるごとに疎ましく思うだろうよ」
「別に処女信仰持ってねーし」
「気付いてんだろ?スーツ、タイピン、下手すりゃ下着まで室井の指示だぞ。手を付けずにツバつけてんだよ、アレは」
同期というだけの忠告には思えなかった。
もしかしたらこの一倉という男もまた、同じ穴の狢だったりするのかもしれない。
だとしたら、ソースはどこだ?
「そんなに洩れてんです?」
「蛇口は一個じゃないし、捻るタイプのもとは限らない」
「向こうか」
青島がそう簡単に匂わせるとも思えないけどな。
ただ、匂わせるほど益本にのめり込んでくれたのなら、それに応えるだけの甲斐性は見せたっていい。
怖いのは、誰かに吐かせられた場合と、鋭い勘を持つストーカーだ。
「所轄源なわけないと思っているだろう。だがあっちは意外と脆いぞ。官僚と違ってな」
「そうかな」
「官僚の本当の派閥争いの恐さを知らねぇからだよ」
「けど、あれだけ必死に室井サンのこと――」
「じゃ、お前は、軽んじられてんだろ」
「!」
カチンときた。
所詮敵うわけないと馬鹿にされた気がした。
あの雨の夜、どんな思いで告ったか、知らないくせに。
いつしか濡らしてしまう雨音と同じように、心内を見せた青島の想いを知らないくせに。
挑発されたと分かりつつ、その感情のまま、益本は一倉とここでようやく真正面から視線を交わす。
不満げな益本の顔に、一倉もまたニヤリともしない。
交差する眼差しに宿る、同じ気配に、益本の嫌な予感は確信となった。
「つまり、あしらわれたんですね?貴方」
「お前だって、深入りさせてもらえないだろ」
「時間の問題ですよ」
「じゃあ深く入り込んだ時には既に奴の中にもいる男に気付くだろうよ」
つまりは一倉はその内部犯に負けたわけだ。
「・・まさか、貴方もだったとは」
「それが誰を差して言ってやがるのかは詮索しないでおくよ、俺は自分が可愛いんでね。・・ただ、そいつらが何故手を出さないか、気付いてないのはお前だけ
だ」
一倉の雑談は不気味なほど落ち着いた色合いを持っていた。
感情的になるわけでもなく、高圧的に雄の本能で威嚇するわけでもなく、淡々と事務的に告げてくる。
益本を攻撃したいわけでも、否定したいわけでもないらしい。
これは、忠告なのか?先制なのか?
益本が危険を顧みず手を出せたのは、愛情の深さなどではなく、まだ益本と青島が表面的な付き合いしかしていなくて
室井と青島の本当の絆を知らないからだと?
そんなことはない、きっとみんな、俺ほど本気じゃないんだということにしたい。
「遊びってことで、いいんじゃないですか?」
「そうやって誤魔化せるのは自分だけだ。いつか目の当たりにする。あいつらの馬鹿げた絆にいつかお前も神様も飽きる時が来るさ」
「隠し通せないってこと?」
「付き合いきれないって話さ。ただ後悔する時はお前が室井に刺される時だ。夜道に気を付けろ」
一倉の言葉には棘があった。
敵意を向けられるのは恋敵だからか?
益本は意図が読めず、一倉をまじまじと観察する。
「同期のよしみで室井サンの味方をしてるのかと思いましたけど」
「悪いが俺はそんなロマンチストじゃない、あいつらと違ってな」
この殺伐とした堅牢の中で恋などに狂わされるのは、よほどの暇人だ。
でもじゃあ、このやり取りはなんなんだ?一倉にとって何のメリットがある?
敵か味方か分からない男だ。
「同期が潰れるところがみたいわけ?」
「みんなライバルだろ」
「だったら放っときゃあいいだろ」
「馬鹿野郎、一番面白いところを見逃すだろ」
「何が見たいんだよアンタ・・」
「で?抱いたのか?」
「答えるわけないだろ」
「付き合いはお前よりこっちの方が長いんだ。青島を見れば分かるぞ」
どういう意味だ?
流石にヒヤリとして、益本は眉を顰める。
一倉の不敵な笑みに若干迫力負けし、益本の顔が多少真剣みを帯びた。
「つまりは避けられてるわけ?青島に」
「正確には、室井にだ」
喧嘩中かよ。
「取り返しに来るかな?」
「それで済めばいいけどなって話だ。忠告はしたぞ」
「されてませんよっっ」
だけど、あれはもう益本のものだ。
青島から求められた。想像以上に囚われた。
この共有する時間がなんなのかも、忘れさせてくるほど、のめり込まされるて、馬鹿げているけど、忘れられない。もうどうしようもない。
だからこそ、青島が切なげに笑う奥に、ふと遠くを見る目に、何かを憂うのだ。
それはシンパシーだ。
益本の胸の奥には、しっとりあの日の雨の臭いが続いていて、同じ痛みを思い起こさせている。
益本が青島を想うほどに、雨音は強くなる。
深く想っている相手がいる。決して敵わない所に、だ。
3.
室井と青島の絆は事件が起きた時に目の当たりにする――それは警視庁内の秘かな定説だった。
だからあの二人を引き剥がせ。
だがもう室井は青島の願い通り多少の出世をして、つまりは青島を代償に出世を手に入れて、もう現場には出ない。
益本がその共鳴を目の当たりにすることはないってことだ。
「ごめん!待った?」
これこれ。恋人の醍醐味だよなぁ。
息を上げて駆け寄ってきた青島が、乱れた前髪を掻き分けるのを、益本は目を細めて苦笑する。
それだけで色っぽさと婀娜さを出してくるんだから質が悪い。
「急に呼び出し、悪かったな」
「書類書いてたとこだからだいじょーぶ!」
「書類?」
「始末書!」
ぺろっと舌を出してお道化る仕草ひとつ、愛嬌があって微笑ましく、目を奪わせた。
色素の薄いアーモンドアイが光を帯びて見る者を虜にさせる。
第一方面での聞き込みが終わったついでに、青島を駄目元で呼び出した。署にはいない可能性だってあったが、今日は運がいい。
正面玄関で待ってるとだけ伝えると、ものの5分もせず青島は飛び出してきてくれた。
湾岸署の前は少し閑散としている。
じっと見つめていると、こてんと首を傾げてくる。
「んだよ?」
「いっちいち、可愛いんだよッ」
「んだそれ?」
目を合わせて笑った時、ふと、二階の窓からこちらを窺っている人物がいることに気が付いた。
女だ。
よく青島の前をうろちょろしていた。これまであまり気にしたことはなかったが先刻の一倉のせいで妙に気になった。
青島からは背を向けているため気付かないだろう。
さり気なく門の外まで誘導し、二人の影を看板の裏に隠す。
「お前が色っぽいから、とか言って欲しい?」
「そんなこと言いに来たの?俺がイケメンなのは昔からですよ」
生意気な口ぶりは青島が益本に甘えている証拠だ。
コツンと額を小突くと、青島は陽だまりみたいに微笑んだ。
暑さのせいか、少し腕まくりしてネクタイを緩く締めたラフな姿も合わせて目のやりどころに困る。
「今日どうしたんだよ?なんか、あった?」
「近くまで来たから」
「昨日会っただろ」
青島の耳に口唇を寄せる。
まいんち会いたいと囁けば、少しだけ照れた視線が至近距離で睨んでくる。勝ち気なくせに初心なんだな。
その瞳に誘われるまま、益本は唇を掠め取った。
「ますもとっっ」
「だれも見てねーよ」
大丈夫と安心させるように、くしゃりと柔らかく色素の薄い髪を掻き混ぜた。
同じく色素の薄く透きとおる瞳が色味を変えて益本を映し込んでいる。
こうしている時だけ、青島の心は益本のものだ。
それを確信するために俺はここに来たのか。
「ただなぁ・・、ふたり一緒のとこ、見たのはあんとき一回か・・」
「ん?なに?」
「いや――」
あの時の、室井と青島が醸し出した不可解な空気。
一瞬にして奪われた意識。
あの奇妙な体験はその後を示唆していそうで、ドロドロと今も益本の奥深くで警告してくる。
また、あの雨の臭いだ。
耳障りなそれを、早く消してしまいたい。
「今晩、空きそ?」
「通報なければ」
「じゃ、俺んち来ないか?」
「いいけど・・それって・・」
益本は黙って青島の頬を撫ぜた。
あの雨の夜、不安な影を怖れるように二人で抱き合った。
吸い取られる温度に逆らうように、繰り返し肌を重ね合わせた。
少しでも温もりを分け合いたくて必死に貪り合った。
でも、最後まで抱けなかった。
「やっぱり・・ほしい、から、さ・・」
「あれは、益本が」
「そうなんだけど!」
組み敷いた先走る躰とは裏腹に、どこか哀しみを宿す瞳を見下ろして、益本は躰を奪うことを直前になって躊躇った。
少しでも気を緩めれば亡霊に吸い取られそうな恐怖も、同じだった。
忘れ去りたい何かに脅えて貪りあった。
その最後に、貫くことを躊躇った男の弱音に、青島が気付かぬわけがなかった。
室井を失って強がったあの狂おしい挫折の瞳と重なって、幾重にもさざ波立つ感情に脅えて、手を出し切れなかった。
俺だけはあんなカオさせたくなかったから。
それだけが、俺のこの恋への最後の免罪符なんだ。
「お前は?もう一戦、イケる?」
「実はまだ満足してない・・」
そういって、辺りに軽く視線を走らせた後、青島の長い腕が嫋やかに益本の首を引き下ろし、口付けで誘って来た。
今はトモダチでいい。そう割り切って、付かず離れずの距離で見守ってきた。傍にいた。
たくさんの月日を重ねたのは室井じゃない。益本だ。
もしかしたら室井もまたこんな気持ちだったのかもしれない。
でも、一倉の忠告は逆に益本の引き金を引いていた。
「今日、なんか、あった?」
敏い青島に、隠し事は無理なのは覚悟していたが、早々に口火を切られ、益本は苦笑する。
これじゃ、甘えてんのはどっちだって話だ。
くるりと腕を回し、口付けをくれた青島を軽く抱き寄せる。
「今日、一倉サンに宣戦布告された」
「?」
「手を出したのかって」
「言った、の?」
「言うわけないだろ。お前だって言わないだろ」
「うん」
やっぱりだ。
青島は無暗に吹聴しない。
となると出処は――
「気付かれている感じだった」
「・・おれ、が、抱かれてると思われてんのかな」
「そういう口ぶりだったね」
「ふぅん・・じゃあ、反抗してみるか。益本、抱かせろよ・・」
くすりと笑いを落とし、益本は青島の手を取り指先に指を絡めた。
いわゆる恋人繋ぎにして、身を寄せる。
街路樹の影となって、俺たちの姿は通りがかった人にしか、気付かれない。
「シていいって言っても、お前はしないよ。絶対に」
「テクは益本が、教えてくれたじゃん」
「お前はキャリアに手を出せる人間じゃない」
官僚を傷モノにできる、理知を持たない男ではない。
だからこそ、青島は室井に手を出さなかった。
恐らく室井にも手を出させないための、告白だった。
想いを晒し、心の激流を一旦満たせばあの盲目男の暴走をある程度抑え込める。
あの男は青島至上主義だと青島も知っているからだ。
「玉砕覚悟で告れる男に、凌辱は無理だ」
寸暇、言葉を失い羞恥に染まった口元を拳で塞ぐ青島の視線が伏せられた。
「益本の、そーゆーとこ、やだ。見透かしてるみたいで」
「お前のこと、ずっと見てきたもん。どんな顔してるのか、どこが弱いのかも、あの男より、知ってるしな」
「まあ、相性はいいのかもね」
「俺も、そう思う」
だけど室井は拒絶した。
付き合えば欲望を抑え続ける自信がなかったのだ。
だから青島の申し出に頷くわけにはいかなかった。青島が一番望む約束を叶えるために頷けなかった。
だったら俺が貰っていいと思う。
逃げた男は負け犬だ。
「気付かれるかな?」
「そんときは、俺が護るよ。今度は甘えていい」
一つ、絶妙な間を置き、青島は黒々とした瞳を覗かせ、益本の肩に額を乗せた。
「抱いて・・いいよ」
早く、と付け足された言葉は、禁忌の蜜の味がする殺し文句だった。
照れ臭さが伝わり、益本は黙ったまま青島の柔らかい髪をくしゃりと撫ぜる。
恋を護ろうと必死だった青島を、今度は益本が護るから、安心していていい。
だけど俺はその弱みにつけ込んで、青島の全てを奪おうとしている。
あの朴念仁よりも先に。
それを葛藤無く出来るかっていうと、どこか尻込みするのは、青島にとって最後の逃げ場が自分なのではないかという優越感だ。
玉砕覚悟で挑めた青島の方が余程、男らく勇敢だ。
「お前には敵わないな」
あの夜からまだ10日ほどだ。
だが腕が、躰が、重ねた肌を覚えて忘れさせない。
今もまだ、青島の肌には益本があの夜に付けた情痕が幾つも残っているだろう。
探り当てたポイント焦らさず、ダイレクトに責めあげれば、その嫋やかな躯体は恥じらいながらもまるで娼婦のようにしなった。
肌を暴き、互いの全部を知った気になるには、充分な一夜だ。
セックスは何も挿入だけを指すものではない。
串刺しにして、媚肉を知ったら、どれだけの恍惚が得られるんだろう。そして、この胸奥の澱みは消えるんだろうか。
その間、一度酒を飲みに行ったが、セックスの話題はしなかった。
「恐いだろ、普通。抱かれることも・・俺らの今までの関係がこじれるのも」
「益本が笑い話に出来るって言ったんじゃん」
「ズッ友?」
「でしょ?」
「恋人になったと思ってたけど」
「俺の彼氏?」
「カレシ、カレシ」
むしろこちらの方が照れ臭くなって、益本は抱き寄せたまま、その指先を青島の耳朶から首筋に賭け、愛撫するように撫ぜた。
濃度の高い夜を連想させる仕草に、少し瞳色が変わった青島を覗き込みながら、腰を引き寄せる。
「止まんなくていい、俺が、ぜんぶ、受け止めるから」
「かーっこいいなぁ、寸止めしたくせに」
ぐりぐりと額を益本に押し付けて甘えてくる青島の油断に、益本は愛おしさに窒息するかと思えた。
「今晩、定時じゃないんだ。終わりそうな頃合いに連絡入れっから、待ち合わせるか?」
「んん、じゃ、俺が本店まで迎えに行ってやる。寂しがり屋の益本のために」
「んなに期待させんなよ、馬鹿」
「益本が俺にゾッコンだからね」
「早く会いたいんだろ?」
腹が立ったのか、揶揄ったことに拗ねたのか、青島が益本の後頭部を引き下ろし、乱暴に口唇を合わせてきた。
こういうところが堪らなく可愛い。
次第に深まるキスの濃度に腰が疼き、息を乱せば、青島から舌を挿し込まれた。
思いの外深くなった口付けに、青島の腰に回して腕に力をこめる。
逸る気持ちを如実に伝える腕に、青島がキスの合間にくすっと笑った吐息に噎せ返るままに舌をなぞられ、益本の息が乱れた。
どこで覚えてきたのか、そのテクニックに翻弄される。
「そやって、女、抱いてきたのかよ」
「そ、だよ、ゆーえんちに、フレンチ、そしてホテル」
「今度、俺とも行こうぜ」
「妬いたの?」
キスを繰り返しながら、交わし合う言葉はどんなものも睦言に変わる。
「もっと激しく抱いてくれって誘い文句だと思ったよ」
「夜景の見えるホテルで?」
「喘がせてやる」
「益本の発想、昭和で止まってない?」
「うるせー、こちとらバブルの人間だぜ」
「捜査一課に休暇、なさそー」
「一緒に有給取ったら流石にまずいか」
逃がさないというように、真上から塞ぎ治し益本はキスの主導権を取り返した。
今度は、他の男のこと想ったままなんか、ベッドに入るのは許さない。
悲鳴のような青島の嬌声に恍惚となりながら、同じリズムで腰を打ち付け合い、同じ頂点を目指す。
セックスは、自己陶酔に浸りながら相手の快楽を嗅ぎ取り、本能的に息を合わせるゲームだ。
そんな風に思っていたけど、もう、無理だ。
心の隅々まで俺のものにしなくちゃ我慢ならない。
4.
本庁に――室井に、青島を近づけてはならないと気付いた時には、もう遅かった。
この二人の異様な絆を侮っていたつもりはなかったのに。
それは、日比谷公園入口で落ち合った時に起こった。
愛しい相手が待っていてくれるという幸福を益本が噛み締めていて
加えて待ちぼうけ食らっている青島のコートをこんもりと来て夜道に照らされている後ろ姿に見惚れていた、正にその瞬間だった。
切り裂くような鋭い音と悲鳴、そして衝撃音が静寂だった公園を台無しにした。
タイムカードを押していたって、瞬時に益本と青島の身体は動く様に出来ている。
何の音か、など重要じゃなかった。
通りに向かえば、どうやら交通事故のようだった。
タイヤの焼け焦げた臭いと、車が大破し、煙を上げながら横転していた。
「益本、救急車!!」
横断歩道にはゴミのように倒れている黒いものが複数見えた。
歩道の灯りだけでは判断が付かない。
益本が119番通報をしながらポケットライトを出して辺りを照らしてみる。
救急隊が到着するまで規制をかける必要があることは素人でも分かった。
近くに倒れている人に声掛けをしながら、青島が振り仰ぐ。
「益本!事故車、あっち!」
「ああ!」
何故か所轄に支持されている本店一課の俺という図式も忘れ、益本は犯行を行ったであろう車のナンバーを咄嗟に確認する。
中に閉じ込められているようだ。
{本庁にも連絡入れられる?」
「ああ・・、ってダメだ、今夜一課は今みんな別件で出払ってて」
「他に誰か呼べそうなひとは・・?」
俺だって今夜はようやくのオフなのに。
他課に応援依頼・・でもこの時間で出てこれるのってどこだ?
時刻は既に深夜十時を回っている。
だからこそ閑散とした公園は寝鎮まり、待ち合わせ場所として最適解だった。
時間的にも車通りは少ないが、信号は機械的に青と赤を繰り返し、既に数台車が通り過ぎていた。
「わっかんね。緊急対応のために待機はしてる面子はいるんだろうけど・・」
そこに益本の立場でコールしていいのかは微妙だ。
こんな時、階級の差が堪える。そして、階級などものともしないで突き進む青島の強さ、それは横暴ともいえる縦型構造を乱す行為のリスクを思い知る。
青島にそれをやらせたら、やっぱり駄目だ。
「とにかく俺、車誘導してるから、誰かに連絡――」
青島が腰を上げた、その時だった。
「その必要はない」
胸ポケットにスマホを仕舞いながら、暗がりから影が静かに近づいてくる。
街頭に照らされた無表情の強面は、一切の感情を読み取らせなかった。
「119くらいはしたんだろう?応援依要請をかけた。居残っている連中が来る」
「・・どうして・・」
「見れば分かる」
益本の呻きに室井が軽く顎をしゃくり、事故現場を差した。
「なんで――」
ここに?
「帰り道だ」
退庁して、事故を目撃したということか?
何で事故なんか起こるんだ。これじゃ室井を誘き寄せたようなものだ。
だが、その室井の階級があればこそ出来た、イレギュラーな要件を、益本は苦く飲み下す。
最悪な状況は回避できた。
皮肉な巡り合わせに益本は忸怩たる思いで室井を見上げる。
その中央に、青島がいる。
唖然とする益本の目の端で、青島がコートの裾をぎゅっと握り締めたのが見えた。
それを見て、益本も立ち上がる。
すると、それを合図に青島が踵を返した。
「待ってくれ」
暗がりに埋もれていた黒スーツが、音もなく動く。
整髪料で一糸乱れぬ頭髪、現場警察官とは異なりボタンをキチンと止めあげ、ネクタイも首元まで締まっている。
隙の無い出で立ち、呼吸すらしているかも分からない闇夜に紛れる黒い姿に、益本がいっそ悪魔的な恐怖を感じるのは無理もなかった。
「――」
凍り付いたように、背を向けたまま、青島は動かない。
黙ったまま室井は足止めた二人に近づいてくる。
否、初めから見ていたのは青島ただ一人だったのだろう。
益本を無視して通り過ぎ、青島の腕を取ると、そのまま引き摺って行こうとした。
反射的に振り払おうとした青島がたたらを踏む。
「ちょ、ちょっと、放し・・!室井さん?なんですかもお!」
「話がある」
「現場はそっちに任せますよ、俺ら必要ないでしょ!!」
遠くから救急車のサイレンが聞こえ始めていた。
「私が話があるんだ」
「話すことなんて何も」
青島の言い分など最早聞く気もないらしい。
流石に目の前で連れ去られそうになり、益本は慌てて青島の肩を抱き寄せ、全身で庇う。
「ちょっと待ってくださいよ室井さん!いきなり横暴すぎますよ!それに今夜はこっちが先約だ」
「キャンセルさせてもらおう」
「アンタの意見は聞いてないっての!」
どこか、いつもの室井とはまるで違った。
まるで奪い返しに来たような迫力に、益本も面食らう。否、間違いなく、この男は奪い返しに来たのだ。
恐らく益本が本庁を出てくるところから見ていたのだ。
事故が室井を誘発したのではない、これは偶然なんかじゃない。
益本の背中に悪寒が走った。
「渡せませんよ」
それだけを益本は言った。
無論、室井はその言葉の意味を正確に捕らえている。それは闇に光る漆黒が物語っていた。
ギロリと黒い目玉が闇の中で光る。
「君は――」
やはり、室井は何かを察してここに来た。
これから益本と青島がセックスすることなど、俺たち二人しか知らないことだ。
なら、何故今夜だと室井は気付いたのか。
例えばそれが、第六感のようなものだとしたら、恐ろしい。というよりもはやホラーだ。
聞かん気のような態度で青島が腕を捻って室井の指先を解く。
不貞腐れた顔で舌打ちする青島の横顔に、益本は二人の間を腕で遮った。
そして室井に向き合う。
「事故処理、任せます。俺らはここで退散するんで。室井さん、今夜は引いてもらえませんか」
今度はなるべく感情的にならず、静かに伝えた。
室井の強面はビクともせず、外気の影響も受けず、どこか現実感がないまま
薄い乾いた口唇がゆっくりと動く。
「悪いが、今夜は引けない」
「どうしてです?」
「今夜を逃したら、終わりなんだろう?お互いに」
「!!」
流石に絶句した益本の前で、室井は構わずもう一度青島に向き直る。
しまった、今のリアクションで室井の疑惑を肯定してしまった。
「抱かれたのか?」
「あんたに関係ないだろ」
単刀直入な室井の質問は、最早室井の口から出たものとは俄かに信じ難かった。
青島の拗ねた声色もまた、深夜に赤色灯を点滅させるざわつき始めた公園に消されていく。
「戻って来い」
「なんだそれ?」
「今夜は行かせない」
青島が途切れた息を洩らす。
「戻るってどこを言ってんです?俺が誰に抱かれても関係ないでしょ。それに元々戻る場所じゃない」
「押し問答する気はない」
「あんたに指図される筋合いないよ」
「筋合いがあれば言うことを聞くんだな?」
「うるさいな、嫉妬してるみたいですよ」
「妬いて何が悪い?」
その言葉に益本も合わせて目を丸くする。
今まで口を閉ざしてきたくせに、あっさりと認めた男に、流石に青島も面食らったようだった。
「い、今更なんなのさ!俺んこと、振ったのあんたでしょ!」
「振ったことと私が君に惚れていることは別問題だ」
「っっ!!~~~はああっっ???」
あんぐりと口を開けて呆れた声に青島まで絶句する。
益本だって絶句したままだ。
室井は今何と言った?
「な・・な・・っっ」
徐々に青島の頬が赤らんでいく。
「お・・っ、ぉ、おれ、本気だったんですけど?あん時!」
「私は最初から本気だ」
淡々と答える室井は顎を反らし青島とは対照的にまるで動じていない。
般若のような顔が闇月夜に照らされ、怨霊という一倉の表現が如実に示す、これから始まる本当の恐怖を、見せ付けていた。
「そんな気軽により戻せるなんて馬鹿にすんなよ」
「君こそそんな気軽に縁が切れるだなんて馬鹿にしないでくれ」
「あっ、あんたが先に切ったんでしょーがっっ」
「切ったつもりはないと今言った」
何だか痴話喧嘩というか夫婦漫才の様相を呈してきた事態に、置き去りにされていた益本がようやく我に返った。
「ちょっと待ッ、待ってくださいよ!今付き合ってんのはこっち!まずは彼氏の俺に許可取ってくださいよ」
「じゃあ、言おう。悪いがコレは私のものだ。返してもらいに来た。これでいいか」
「ふっざけんな!はいそうですかって渡せるか!」
「ならば奪うまでか」
「・・・いい度胸じゃないですか。もっと奥手で軟弱なんだと思ってましたよ」
「大誤算だな」
もういいよ益本、行こうと耳打ちし、青島が益本の袖を引く。
迂闊にもその仕草が可愛いなと思いつつ、勝ち誇った顔で、益本は青島の後頭部を引き寄せた。
これ見よがしに室井に口端を持ち上げてみせた。
青島の肩を慰めるように叩き、恋人繋ぎに変える。
途端、室井が青島の腕をもう一度取る。
「っ、放せよっ」
「行くな」
一瞬肩をびくっと震わせ、背を向けていた青島が肩越しに室井をやるせない瞳で見つめる。
「その台詞、あん時聞きたかったです。もう、遅いです」
忘れられた神は神ではない。畏れられてこそ神なのだ。
過ぎ去った男が、情愛に溺れることを、望まない。
「逃げるのか」
「逃げたのは、あんただ。・・でも、もういい」
刹那、まるで炎が上がったと錯覚させるような怒気が室井から上がり、その迫力に益本は目を瞠る。
この男にも感情というものがあったのかと、今更ながらに周囲の空気を一変させて見せた。
「私がおまえを本当の意味で手放すと、本気で疑うか?だったらやってみろ。何度だって取り返して見せる」
「できるわけ、」
「やれるものならやってみろ、青島」
「・・放せよ・・」
「放さない」
「室井さんっ」
焦れた青島に、室井が腕に思い切り力を籠める。
強い力で引き寄せられた青島がバランスを崩し、その拍子で益本と青島の恋人繋ぎが外れた。
「なにすんのっ」
「抱かれたのか?」
「だったら?!」
「手始めに背後の男を半殺しにする」
「恐っそろしいこと言ってんなよ!」
「私は本気だ」
「あんたがそんなアブナイ男だとは想定外でしたよ!」
室井が青島のネクタイを切れるほど手繰り、顔を寄せる。
「そうだ。今更気付いたか。そのくらいの強さで私は君に惚れ込んだ。狂いそうなその苦しさが君に分かるか?!」
室井の手をネクタイから外そうと青島が指をかけるが室井の力強さには敵わない。
ギリギリと締め上げられ、青島の顔が苦し気に歪む。
迫力に押され、一歩、後退る。
トドメを差すように、室井のもう片手が青島の顎を捕らえ、強く固定した。
「こうやって・・君に指一本触れてみろ・・・俺は止まれない。独り占めなど出来たら、それこそ歯止めなど効かなくなる」
「は・・なせ・・っ・・」
「一晩中でも抱きつぶして、啼いても喚いても止めてやれない。縛って監禁して他人の目にすら触れさせたくない」
「へん、たい・・っ」
「ああ、そうだ。どうだ、君にそこまでの覚悟があったのか?」
室井の言い分に、酸素不足で少し潤み始めた目で睨み上げ、青島が歯を食いしばる。
反抗する態度に、青島の顎を抑える室井の指先にも力が籠り、白く血色を失っていた。
「・・ぁ・・・ぅ・・、ィ・・ッ」
苦し気に逃れようとする青島の無力な抵抗に、慌てて益本が近づき、二人の身体を引き剥がす。
「わ、分かったから室井さん!少し手加減してやれよ!苦しがってるだろ!」
「出来ない。膨れ上がり過ぎた感情に制御など効かない」
「大事にしてやろうって思うだけでいいんだよ、惚れてんならさぁ!」
「だから距離を取った」
狂おし気に咳き込む青島を益本は庇うように下げた。
室井が抱えているのは怒りなのだろうか。それとも満たされぬ渇望なのだろうか。
ここまであからさまに感情をむき出しにした室井を見たのは初めてだった。
この二人を鉢合わせた時、火花が散る。
相性が悪いのか、劇薬同士なのか、手に負えなくなる未知なるものを生み出してしまう。
それを目の当たりにした気分だ。
言葉を失い、三人とも黙りこんでいた。
救急車両のサイレンが何かを告げるように遠ざかり始めていく。
「距離を取ったなら、何で・・何で今来たんだよ・・!何で今更のこのこ現れんだよ!惑わせるなよ!ほっといてやれよ!」
「君は関係ない!」
「あるさ!カレシだって言ったろ!」
「そんなの認めない!」
「んで自分は安全なとこから高みの見物かよ!」
「君に手放さざるを得なかった私の何が分かる!」
「だったら距離を取ったまま、今まで通り逃げてりゃいい。青島を巻き込むな!」
「逃げたんじゃない、護ったんだ!・・いや、・・・・・・そのつもりだった」
「それ、自己保身だろ」
憤慨とやっかみは、お堅いスーツの下に隠すのがキャリアの常識だ。
息も乱さず、表情も変えず、涼しい顔で、捜査会議を進行する体で、だけど今、その感情が丸見えとなった室井が
初めて項垂れた。
「青島は、渡さない、絶対に」
ただ、このまま引き下がるほど益本も足を踏み込んでいないわけではなかった。
青島がどんな気持ちで別れを受け入れ、そこからどんだけ苦しんで泣いてきたか、知っているのはこっちの方だ。
その時間が嘘にはならない。
きっと、それは室井も同じ感覚なのだろう。
「アキレスとなる欠点を持っていいんですか」
「・・君には渡せない。あの日言った筈だ」
「俺も欲しくなったって言い返しました」
「私から奪えるわけがないとも、言った」
室井が、じゃない。青島が、潰れる。
室井じゃなきゃ駄目なのだと、あの日、室井は言い切った。
悔しい。言い返すだけの時間を重ねたのに、室井が見せる激情の猛火に、焼き切られる。
「その自信、どこからくんだよ・・?ヤベェ奴だぞ?」
室井が、ふっと、目を眇めた。
その雄の気配に色香が伴い、強敵であることを益本に実感させた。
それから室井の漆黒は益本の背後に佇む青島を見る。
ここまで黙っていた青島が、僅か、後退った。
「青島、君が誰かのものになるのなら、君が私を忘れていくのなら、何度でも思い出させてやる」
「俺は、あんたの言いなりにはならない・・!俺の心は俺だけのものだ。今、その中にいるのはあんたじゃない」
そう言った青島の声は震えていて、ゆっくりと視線が益本を映した。
「ますもと」
「ん・・、行こう」
これ以上、話し合うことはない。
だが室井がそれを阻む。
「行かせない。今夜逃したら私は一生後悔する」
「俺はあの日、一生分の後悔をしましたよ」
その言葉に、刹那、風を切るように黒い影が動いた。
室井が青島の腕を引き寄せ、そのまま頬を両手で掴み、強引に口を塞いだ。
一度触れたら止まれないと言った室井の、過激な接吻に、益本は目を丸くする。
触れるつもり、なかったんじゃないのかよ!
「んーッ、んーッ」
勿論青島も目を丸くして、奪われた口唇を剥がそうともがくが、大した抵抗にはならない。
それを良いことに室井は後頭部を抑え、更に角度を変え、深く擦り合わせ、青島を上向かせた。
げ、これ、舌入っているんじゃ・・!
カクンと膝が折れ、態勢を崩した青島に、室井は更に口付けていく。
おいおいおい、ここでおっぱじめる気かよ!
「お、おい、ちょっと室井サン!!」
流石に慌てて益本が室井の肩を叩くが、室井は動じない。
息を乱した青島も必死に室井の背中を叩いて中断を求めるが、室井はわざと唾液の音を立てて口腔を貪り始める。
切なげに青島の眉が寄せられ、狂おし気な表情が見る者の情欲を誘い、荒げた息遣いも周囲の熱を孕ませる。
青島の脚が地面で踊り、芝生が削られる。
「さすがにヤバイってッ!」
人は来ない。
赤色灯はチラチラ見えるが、野次馬も既になく、元々夜も更けた夜の日比谷公園がまた静寂に包まれ、霧で霞んでいた。
銀糸の引く口唇を離し、室井は青島を強く抱き締めた。
「この男に抱かれたか?」
「・・・」
「今夜か」
荒げた息に羞恥し、青島が拳を口唇に宛がう。
返事がないのは肯定だと、室井は気付いただろう。
室井の腕の中で顎を反らし、酸素を欲した胸元が激しく上下し、室井の口付けの荒々しさを伝えていた。
乱された髪を掻き揚げる仕草の婀娜に、この色を付けたのは室井なのだと知る。
「・・なに、すんだよ・・」
「こうでもしないと君は言うことを聞かない」
「だからって・・!」
叫び、だが青島の顔は朱をはたいていて、その口元を拳で隠す。
「こん、な・・、らんぼー、なの、はんそく・・・」
「俺から離れるな青島」
「・・っ、お、おれ・・が、どんなきもちで・・、あのひ・・」
「忘れられたか?」
ぎゅっときつく目を瞑り、夜空を見上げた青島が、室井の胸をぽんっと押した。
今度は解放した室井の目を見て、とうぜんだろ、と青島が囁く。
「ならさっき言った通り思い出させてやる。ひとつ、ひとつ、何から何までだ」
「むりだね」
「抱かれていないのなら、充分だ」
「でっ、でっ、でも、もうほぼヤったもん!」
青島の最後の抵抗は子供みたいな捨て台詞だった。
室井の前ではそんな顔をするのかよ。
室井も、青島の前ではこんな男なの?キャラ違うんですけど?
「ほぼってなんだ」
「ヤったも同然ってことですよ!」
「ならコイツを八つ裂きにすればいいのか?」
「ますもと、逃げろ・・!」
え、え、えええ~~???!!
立ち尽くすだけの益本に、室井が親指で指し、目線だけ向ける。
「逃げるか?良い度胸だ」
「むっ、室井さんこそ、もう手遅れだって気付けよ・・!」
「でも結局抱けなかったんだろ?」
「・・うっさいわ!!」
「命拾いしたな」
なんだこれ?
俺は何を見せられてるんだ?俺は何に巻き込まれているんだ?
湿度の高い夜風がしんみり身に沁みた。
後悔した時は俺のせいにするな。
草壁がそう言っていたなァと、益本は天を仰いだ。
Happy end?

室井青島の魅力の原点はここ
だったと信じて疑わない。再び。
益本さんは、他の当て馬キャラとは一味違う感じで書きたくて、未遂です(笑)
ますあおえっち、書いてたんですけどなんかしっくり来るものが出来上がらなかったのもある。
一倉さんにしろ鳥飼さんにしろ、草壁さんにしても、青島くんの魅力に負けて、室井さんから奪おうと正々堂々と襲っていくかんじなので
益本さんは青島くんへの同情もあって、もっと友情もある親愛的な感じ?
友達みたいな、戦友みたいな、記憶喪失シリーズのズッ友ポジションが私もお気に入りです
益本さんって誰?って思った今更な人は、記憶喪失シリーズのあとがきをごらんください
オリキャラではないですよ
202506013