登
場人物は青島くんと室井さん、草壁さん。第三者視点からみた室井青島。まだ片恋のふたり。
トライアングル~草壁中の場合
1.
「池神局長は本当にこのまま室井さんを警察庁まで引っ張るおつもりなんですかね」
「安住の側近や次長辺りは面白くないだろうな」
全身に心地好い疲労感を蓄え、草壁は吹き出す汗を拭った。
トレーニング・メニューを終え、プロテインを補給しながら休憩をしていると、情報交換という名の密談が始まる。
休日のトレーニングルームもまた、中間管理職の下世話な政治の場だ。
「みんな解かってるのに言わない。組織の頂点と考えた場合、室井さんは優秀なキャリアというには少し」
「埋もれさせておくには勿体ない人材ということだろう」
「お言葉ですが、組織の理論に従順になれない人材はチームを乱すだけだ」
「だったら、弱みでも握るか。俺らも」
目を剥いた益本の顔に、草壁は苦笑を向け、飲み干したプロテインボトルをバッグに投げ込んだ。
汗を吸って色の変わっているタンクトップを脱げば、見事に鍛え上げられた上腕二頭筋と盛り上がる背筋が物を言う。
警視庁警備部警備第一課・特殊部隊、通称SATの隊長を務める草壁は
警視正という階級にありながら、ここ、トレーニングルームに於いては多くの上級キャリアからも一目置かれていた。
花形・一課の益本と個人的に知り合ったのも、ここである。
「潰したいんだろう?」
まだ絶句している益本は、考え込むようにその場で押し黙り、冴えない表情で吹き出す汗を拭ったタオルを振り回す。
軽口を留めた原因は、悟りなのか狂言すぎたのか。
珍しく感情が透ける益本を横目で盗み、草壁は素知らぬ態度を続けた。
「冗談だ。要は、まだ使えるってことだろう」
「利用価値?どこに?」
「利用する側は、何も才能だけに惚れ込むわけじゃない。メリットがあれば毒でも御の字だ」
“使える”と、相手に思わせることがキャリアレースで尤も重要視される評価だ。
その意味では、室井慎次という二流キャリアは実に旨味のある男だったのだと、草壁は思う。
孤高ながら、荒削りの信念で、屈強に崩れぬ男。
その寡黙さや実行力の弱さは、然程問題ではない。
そんな回想に耽った草壁を他所に、隣では益本が何を勘違いしたのか、派手に溜息を吐いて見せた。
「いいですよね。警備の方じゃ出世もくそもなさそうで」
「血気盛んでいいじゃないか」
茶化され、益本が明らかにムッとしたのが伝わり、草壁は鋭い目で覗き込んだ。
「むしろ、お前が政治にそこまで興味がある方が驚きだったよ」
「・・・、毎日血の気の多い奴らと顔つき合わせる秘訣ってなんですか」
「だったら鍛えて黙らせろ」
「筋肉バカ?」
小さく叩く軽口も、憎まれ口なのか嫌味なのかは、ここでは吟味することじゃない。
草壁は話は終わりだとばかりにバッグを担ぎ、シャワールームへと向かった。
益本の横を通り過ぎる、そのすれ違いざま。
「最近、青島と仲良いようだな」
今度は益本がはっきりと顔色を変えた。
トレーニングマシンに乗せてい片足が、宙ぶらりんに止まっている。
まさかこんな中枢の政治交流場で聞く名前ではなかったのだから当然と言えば当然だが
明らかに警戒の色が益本に浮かんだ。
「室井を気にするのも、そのせいか?」
「!」
益本が怪訝な顔を顰め、視線を泳がせた。
草壁だって、別に益本の遊び相手が青島ではなかったら、ここまで気にすることはない。
花形の一課が所轄と仲良くするというだけでも本庁では話題となるのに、ましてや相手があの青島となると、草壁の耳にだって入る。
「別に・・そんなことまで草壁さんの耳に入るんですか?暇な奴ら・・」
「・・・」
「あ~、酒飲みに何回か行っただけですよ。早く上がった時とか暇な時?」
「惚れたか?」
徒然に言い訳を連ねる益本を牽制し、草壁は単刀直入に切り込んだ。
グッと詰まる益本も、その言葉にたじろがず、草壁をじっと見据えてくる。
草壁の記憶では、益本はこんな風に他人を、人間を気にする男ではなかった。
組織に従い、ルールを全うすることに自己満足を覚えるような、そんなある意味、型に嵌った男だった。
「まさか、貴方も?」
半ば確信を得て益本が口の中で呟いたのを、草壁は見逃さなかった。
どうやらネタ元にも心当たりがあるようだし、忌々しく益本が吐き捨てる。
草壁もまた、そう簡単に悟らせるつもりもなかったが、探られて面倒だったわけでもない。
大した動揺も抱かず、益本を見据えることで、逆に益本の方が読み切れない草壁の態度に狼狽している様子を見せた。
数年前、警視庁のプロフェッショナルである自分たちを、訓練とはいえ制圧してくれやがったという、唯一の汚点をくれたのが
あの青島率いる湾岸署だ。
苦い教訓は、草壁の中で公私ともに弾丸で撃ち抜かれて、今に至る。
「・へぇ、意外でした。草壁さんでもそんなアソビ、するんだ?」
「遊びなのか?」
「相手はノンキャリですよ」
「だったら?」
「ああ、そうか。有名ですもんね、あの噂。草壁さんが負けたっていう」
「別に隠すつもりはない。あの日の自分に誇りを持っているだけだ」
変われるものなのだなと、どこか遠く思う。
益本が変わったというよりは、草壁も変わった、のかもしれない。
光の原石みたいなあの男は、そうやって盤石なものまで揺るがすのだから、益本の変化にだって無理はない。
「でも俺は、」
「男が個人的に呼び出して何の話をするんだよ。交流を深めたいなら相手が違うだろう。・・・口実だってバレバレだ」
「!」
「時間潰すなら一人で筋トレでもしてりゃいいんだよ、わかってねぇなぁ」
草壁が労うように益本の肩に乗せた手は、重く諫める力で益本を押し潰した。
怒りにも通じる力強さに、思わず顔を歪ませ、益本が草壁を振り仰ぐ。
その耳元に、草壁が声を忍ばせる。
「あいつに惚れても無駄だ。奴の、ここんとこには深く想っている相手がいる。決して敵わない所に、だ」
草壁が、親指で自身の胸を指した短い言葉に、益本が目許を眇める。
トレーニングルームには他にも人がいた。
二人の会話に興味を示す人間はいなかったが、耳を欹てる者はいるかもしれない。
その危険を承知の上で、益本は草壁の手を軽く払い除けて見せた。
「もう関係ないって本人の口から聞きましたよ」
「関係がない?」
「告って、振られたんだそうです。そんな話、貴方には話してももらえないでしょう?」
流石に見下されたのを感じ取った益本が、付焼刃の嫌味で惚気て見せた。
草壁を煽ろうと躍起になる口ぶりに、捜査員としてのスキルはなく、一人を欲する男の性が見え隠れする。
幼いなと思う。同時に、それだけの魔性を持つ青島を相手にするには、当然かとも思った。
だが。
「そんな単純な一言で、あの二人の関係を片付けられると本気で思っているのか?」
一緒に戦ったから解かる。
傍で見たから解かる。
あの時、草壁の目の前で、一瞬にして掻っ攫っていた室井の一言を、忘れていない。
待ち続け叫んだ青島の声が、消えない。
「あの男に敵うと思うのならば、手を出してみればいい。だが、後悔したときは、俺のせいにするな」
もう一度、力を乗せた手で益本の肩に手を置き、瞳奥を覗き込むと、益本を置き去りにし、草壁はその場を後にした。
ゆったりとした足取りで、口端を持ち上げ苦く笑う。
何も知らないくせに。
心を勝手に搔き乱して、するりと消えていくものを追い縋る苦しみも、味わったこともないくせに。
忠告はした。
益本は、現場でのあの二人を見たことがないから、そんなことが言えるのだ。
2.
「面白い話を聞きましたよ」
「私の得になることなんだろうな?」
室井の目の前で新城が顎をしゃくる。
会議用の長テーブルで向かい合い、午後の会議に向けた最終調整の最中だ。
最近の益本の動向を草壁から受けた新城が、その旨を伝えると室井は元々渋面の顔を更に血色悪くした。
腕を組み、瞼を伏せる様子はまるで土偶だ。
「それで、君はどう思った」
「私にもチャンスがあるとでも言って欲しいですか?」
「面白いな」
ちっとも面白くなさそうな顔で室井が片眉を上げる。
自ら首を絞め、絵に描いたような不運を独走する男に、新城は腹の内で必死に笑いを堪えながら、表向きは雑談を装った。
「残念ながら、私はやんちゃな悪ガキに興奮する性癖は持ち合わせておりません」
「初耳だ」
「だが草壁もそう思った可能性は否定できない」
「・・・」
返事がないので振り返ると、室井が読み終えた資料に付箋をちまちま貼っている。
雑談、つまりは小休憩にしようというアピールすら読み取れないのかこの先輩は。
そんな盲目的なところが田舎者なのである。
だが、その頭の中では色々と思い巡らせていることだろう。
「草壁隊長はあの事件から青島がお気に入りだ」
新城の視線に気付き、室井がようやく眼鏡奥から顔を向ける。
「色々周りが騒がしいな」
その口ぶりに、何処か違和感を感じた新城が視線をそのまま止めて窺う。
地味な顔色からは何も読み取れなかったが、険しい表情は特に面白味もないこの雑談に、やはりそこそこ感心があることを伝えた。
この男のフェチズムは相変わらず斜め上にある。
うっとおしい男だなという思いを、また何か面白そうな話題に巻き込まれていると察知した感覚が、新城の中で上回った。
新城はスッと立ち上がり、備え付けのポットから、珈琲を二つ淹れ、室井の前に置く。
沈黙に、何か悟ることでもあったのか、室井は視線を落としたまま薄い口を開いた。
「半年・・ほど前だったか・・・宣戦布告された」
「益本に、ですか?」
「貰い受けるとはっきり言ってきた」
益本と青島が噂になり始めた頃だ。
「当然、受けて立ったのでしょうね?」
「どうだかな・・」
苦笑いで濁すその口ぶりは相変わらず頼りない。
口数が少ないのだから、発した言葉一つが人々の記憶に残ってしまうというのに、そのリスクもあまり本人は意識していないようだ。
呆れて、新城は室井の隣でテーブルに腰掛けた。
マナーの悪い素行は、敢えての対応だ。
「なんて答えたんです?」
「さて・・・なんと返したんだったかな・・」
室井の伏せた睫毛が深い影を描く。
珈琲を啜りながらとぼける口ぶりは、実に下手くそだ。
「トレーニングルームはある種の社交場だ。貴方もそういう努力を少しは学んでください」
「面倒臭いな・・」
珍しく砕けた室井に、新城は目を剥いて振り返る。
その顔に、眼鏡の奥から一度だけ視線を投げ、室井はまた珈琲を啜った。
「今度、手合わせをお願いできるか、新城」
「そういえば私もしばらく竹刀に触れていませんね」
部屋には他に誰もいなかった。
以前は道場に定期的に通ったし、室井とも何度も竹刀を交わした。
少し懐かしい気分にさせられるのは、多分、室井の心が抱えているものにシンクロしているのだ。
「いいのですか、放っておいて」
「どっちをだ?」
ふん、面白い。
「言い方を変えましょう。まだ、放っておく気ですか」
「そっちか・・・」
眼鏡を外し、椅子の背もたれにぐんと背中を委ね、伸びをする室井の仕草もまた、本庁では滅多に見られない姿だ。
みっちりと締められたネクタイから伸びる首筋の下で、胸元が大きく深呼吸をする。
そうだ。この男だって、そこそこやられたままで終わるほど、か弱くはない。
諦めが悪く、往生際も悪いから、降格・左遷と札付きながらもここまで生き残ってこれたのだ。
例えそこに新城のお情けがあったとしても、それなりの意地と能力がなければエリートキャリアには勝ち残れない。
新城が室井を認める一因は、別に抽象的な正義感や融通の利かない信念になどにはない。
手応えのある、室井らしい一面をようやく拝め、新城は本題に切り込んだ。
「振ったんですって?」
「当然だろう」
「今、どんな顔して言っているか分かっていますか?」
「元々こんな顔だ」
卓上に座る新城と、椅子に寄りかかる室井が、視線だけを一瞬交わす。
「貴方個人の恋愛観など正直どうでも良いですが、締めるところは締めておかないとキャリア全体の沽券に関わります」
「そりゃたいへんだ」
「室井さん・・ッ」
低く諫めれば、分かっているという風に室井が片手を上げた。
お手上げだとも見えるその動作に、やはり笑いが込み上げるのは、堪えるのが苦労する。
「青島は何て?」
「・・・理解ある友人なんだ」
身を起こし、室井が顎の下で指を組み、そこに顎を乗せて眉間を三割増しに寄せる。
大凡納得してないし、大凡青島の答えも想像が付いた。
というか、自分で蒔いた種で自分でこういう顔が出来るってある意味凄いな。
「憎まれ口を言う間柄になって、一線さえ越えなきゃ親友になれそうだからその関係も失いたくなくて、本音なんて言えないわ」
「・・・・」
「当たらずとも遠からずですか?そんな恋のもどかしさに酔ってる内は全部失いますよ」
「失うことと、見失うことは、同じじゃないもんだな」
「幾ら“共にいたい”と思っても、それすらも自分から言わなかったら、伝わらない。もう、待っていても向こうからは絶対に来ない」
軽く揺さぶりをかけたら、青島は簡単に動いた。でもこの男の慎重論はまるで大仏だ。
青島の方が余程可愛げがある。
ゆっくりと室井が立ちあがった。
新城に背を向けると、窓辺に向かい、両ポケットに手を突っ込んだ。
凛々しく高潔な風貌を崩さない室井にしてはやはり珍しい男臭い立ち振る舞いに、何故か新城は見誤っていた何かの失態に気付いた。
「本当に、そう思うか新城」
「どういう意味です?」
「・・・じゃない」
「え?」
室井が窓越しに振り返る。
野生的な眼差しと強かな男の気配にゾッとする。
「冗談じゃない。俺たちはそんな簡単じゃない。簡単じゃないから困っているんだ。そんな、ひょっとこ出の部外者に、何が出来る」
「!」
ニヤリと、室井にしては似つかわしくない、口角を持ち上げるだけの性質の悪い笑みを閃かせ、眼光だけは捜査本部にいるときのような鋭い光を宿していた。
勿論それは意識して作られているのだということは、新城にも伝わる。
「見てろ」
――これだから、この二人は、見てて飽きないのだ。
Happy endにはほど遠い。

室井青島の魅力の原点はここだと信じて疑わない。
よく青室なんかで「室井にだけ約束の重みを託し自分は何もしない我儘な青島」だの「室井にばかり辛い目に合わせるので申し訳なく思う青島」という話を見るが
二人が意気投合し身も心も委ねて唯一無二になるのはあくまで現場。二人が輝くのも現場。二人は対等。サラリーマン謳歌を否定したらそれもう踊るじゃない。
20210709