登場人物はふたりだけ。男の覚悟と騙し合い。嘘を吐いて逃げようとしたんだけど失敗。青島くんの本音を見破った室井さんのお話。
B面とストーリーに繋がりはありません。







罠~A面 






室井が一度振り向いた時、青島は謹厳な顔をして敬礼をした。真っ直ぐで真摯な面差しだった。
行け、ということなのだろう。
室井も眉宇を引き締め、ピンと張った背筋で前を見据えて歩き出す。

ここから始まる苛酷な人生が、それでも青島に慕ってもらえるように、今は願うだけだ。
背中を預けられる相手がいるということだけでも幸運で、それは確かに室井の背中を後押しする。
揺るがぬ速度で角まで来て、だが、もう一度だけ、振り返った。

小さな影が遠かった。
青島が手の甲を口元に当て、じっとこちらを見ていた。
声を掛けたって、もう聞こえないだろう。
名残惜しさを匂わす自分は、卑怯者だろうか。それとも臆病者だろうか。
室井もまたそのままじっと見つめていると、青島の顔が歪み、堪え切れない雫がポロリと落ち、夕陽に反射した。・・・ように見えた。
弾かれたように、室井は今来た道を走り出した。

影が大きくなるにつれ、胸が張り裂ける。
腕を伸ばし、引き寄せる。

「ごめん・・・ごめん・・っ、最後まで貫く筈だったのに・・・っ」
「いい・・・っ」

後ろ髪を鷲掴みにし、肩口に強く押し付ける。
震える肩をただ強く掻き抱いた。

「行ってください。見なかったことにしてください・・・っ」
「できるか!やはり、嘘なんだな」

ふるふると青島が首を振る。
だが、室井はもう確信をしていた。


*:*:*:*:*:*


高層階のホテルは、凛とした清冽な空気が張り詰める。
淡い照明に落とした窓の外には、紺青の都会が瞬いていた。

「これで、良かったか?」
「良い訳ないでしょ」

ウイスキーを入れたカットグラス手渡すと、またカラリと氷が鳴いた。

青島が、無垢な笑みを浮かべて軽く首を傾げる。
さらさらと錆色の細い髪が流れて、揺蕩だった。
それが妙にあどけなく見えて、室井の苦笑を誘う。

みっともなく泣いてしまったことで、逆にすっかり憑き物が落ちたのか、青島は大人しくホテルまで付いてきた。
こうでもなければ、恐らく一生、青島は自分の本音を表面に出すことはなかっただろう。
室井もまた、微かな予感に惑いながらも、その想いに気付くことは出来なかった。
瞳を合わせるだけで、大概のことは察せる二人の
これは、壮大に仕掛けられた罠だった。

「後悔してるのか」
「あったり前です。俺、かっこ悪りぃ」
「そんなことはない。悟らせずに貫いた」
「最後に失敗しましたけど」

ベッドには腰掛けず、室井は立ったままグラスを舐める。
じっと青島を見つめるが、青島は視線を上げず、伏せたままで、煙草を指先で回す仕草が、彼の困惑を示していた。

「今更、俺にカッコつけたいか?」
「あんただから、カッコつけていたかったんですよ」

不貞腐れたように煙草を咥える青島は、年端もいかぬ若者に見えた。
初めて目にする素の青島だ。
そっと隣に腰を下ろし、無表情のまま、戯れに青島の前髪を引っ張ってみる。
室井の油断した戯れに、ちょっとだけ青島が顔を顰めた。

警戒心のないこんな顔をされると、室井はこいつのためなら何を賭けても惜しくない気になってくる。
ある意味、底のない止め処なさが、自分で恐ろしくもあった。
同時にその点が、淡泊に見えて実は激情に支配された室井の本質を、何処かで掬い取っていた青島のただ一つ残された口実だったのかもしれない。
その留め金を外してしまったら、きっと自分たちを遮るものは、この世にない。

「それも、失敗しちゃいましたけど」

寂しそうに青島が俯いた。
カッコつけていたかった――過去形で語る青島の本音は、鈴なりのように室井の奥底を蕩けさせた。

「・・・素直だな」
「根は素直なんですよ」
「知らなかった」

煙草を取り上げ、室井はじっと瞳を見つめた。
青島も、頼りなげに見つめ返してくる。
瞳色と同じ琥珀色の液体が仄かな光を発しているのが、頬に揺れていた。
カラリと氷が鳴いたのと同時に、青島が音も立てずに睫毛を伏せ、静かに口唇を震わせた。

「あんたに付いていくよ俺」
「・・・・」
「あんたと一緒に堕ちてやる」

二人で散々話してきたことだった。
その上で、青島は本心を最後まで悟らせぬまま、室井を華やかな外界へと送り出した。
太陽の元へ導いたのだ。全身全霊を賭して。自分の気持ちを掛け値にして。
見事な一手だった。
青島は一度たりとも、最後まで恋めいた言葉を口にすることはなかった。


そっと室井が身体を斜めに傾ける。

華奢な顎を持ち上げると、見開かれた眼が、室井だけを映していた。
強めのアルコールが咽るように香り、喉を焼く。
至近距離まで近づいた時、一旦止まると、青島が震えているのが分かった。
それを見て、室井も心が引き締まった。
青島はカッコ悪いと思っているようだが、悔しいくらい、イイ男だ。
強い敗北感が爛れた欲望と混在する。
口元を微かに歪めると、グラスを持つ青島の左手の指先に少しだけ指を絡め、口唇を近付けた。

「いいな?」

返事はあったのかどうか。
青島が僅かに頷いたような気もしたが、明確な答えを待たずに、室井はぎこちなく口唇を重ねた。

「・・・ッ・・・」

初めての口付けは、誓いの合図だった。
ピクリと反射する身体を制し、ゆっくりと宥めるように擦り合わせると、ウイスキーの熟成による甘く華やかな香りが立ち昇る。
夢にまで焦がれた青島の、ふっくらとした感触を味わえば、胸の奥深くが強く軋んだ。
そっと腰を引き寄せ、角度を変えながら、脅えないように舌で解いていく。

「・・・ん・・、・っ・・」

喘ぐように上向いた口唇を真上から塞ぐように奪うと、青島の手がようやく室井の身体に伸ばされた。
グラスを取り上げ、室井も腰から抱き寄せる。
静かな熱が満ちていき、溢れる想いが熱を孕んで、決壊した。
全てを与え合うように口唇を合わせ合う。
吐息が溶け合い、零れた唾液に塗れ、溶けていくように絡め合った。

口付けたまま、ぱふりと二つの身体がベッドに沈む。
室井は覆い被さったまま顔を傾け、しっかりとキスを重ね、舌を注ぎ込む。
呻く声に誘われ、雄の本能のまま、豊かにリードを取ってから、青島の息が乱れるのを認め、焦点がぼやけるほどの距離で囁く。

「怖いか」
「何も」
「・・・」
「俺が怖いのはあんただ。あんたをを堕としちゃうことだけだった。他はなんにも怖くなんかない・・・」

口唇に青島の小鳥の様な声が掠める。
言葉を裏付けるように、腕の中に堕ちてきた青島の身体は、室井に全てを委ねていた。
室井の腕に収まり、その淡麗な肉の官能を熱で室井に伝えてくる。
抱き寄せた耳に口唇を押し当てながら、支配する様に室井は低い声で最後の警告を伝えた。

「全てを失うかもしれない」
「はい」
「願い一つ、叶えてやれないかもしれない」
「・・ん」
「それでも、いいのか」
「俺は・・・。いいんだ、元々どうなっても。自分が怖くて放したんじゃない」

至近距離で瞬く飴色の瞳が宝石のように美しい。
堪え切れぬ愛しさを持て余し、純粋な気持ちに触れ、室井の身体に鳥肌が立った。こんな結末が合って良いのだろうか。

「やっぱり・・かっこいいな」
「まあね」

悔し紛れに呟いてみると、青島からは甘い溜息が漏れた。
室井の漆黒の瞳に奪われるまま、見つめ上げてくる。
室井は誘われるように脚を絡め、頭を抱いて、長く美しい首筋にキスを落とした。

「・・・俺の胸で泣いたくせに」
「・・・ッ、そこは。忘れてください・・・」

耳を甘く咬んでから、室井が額を突き合わす。

「忘れるわけない。こっちは散々騙されたからな。・・・嘘でいいから今度は誓うんだ」
「嘘でいいんですか?」
「これから先は、嘘の中を歩くことになる」
「正直者でいるなら、今ですよ」

室井は口角を持ち上げるだけの性質の悪い冷笑を浮かべると、返事の代わりにそっと青島に口唇を落とす。

「こっちの覚悟はとうに出来ている」

後はおまえ次第だと仄めかせば、青島は室井の頬を優しく撫ぜた。

「何があっても、あんただけは助けるように・・・する、から」

すかさず、今度は諫めるように室井が耳朶に軽く歯を立てた。
青島が嫌がるように首を反らす。
目の前に、無防備なうなじが晒され、青島の甘い匂いが強く薫ってくる。
瀟洒に淫する表情と若い肌は、狂おしいほどに室井を誘った。
室井の情感が急速に煽られ、肌を嬲るように舌を這わせていく。

それでも青島は抗わず、室井の舌戯に震え、目を閉じた。
首筋から鎖骨へと舌を這わせ、甘く薫る肌を味わい、柔らかく歯を立てると
敏感な青島は刺激に背を少し反らせ、仰け反るような態勢となった青島の腰を抱き込み、淫らな格好を強いて、室井はシャツの裾から背筋を辿る。

快楽の対象となることに脅える青島が遮るように室井へ手を伸ばし
触れる寸前で、その手を強張った手で室井は粗雑に引き寄せる。

「そんなこと、俺が許すと思うのか」

どこまでこの存在は俺を掻き廻せば気が済むのか。
少し荒々しい男の力の差を見せつけられ、青島が息を呑んだ。

青島は、優し過ぎるのだ。
自分以外の人間に対する判断が甘すぎる。
自分に対する防御が少なく、計算高いくせに時に身を捧げてしまう。
そんな青島だからこそ、室井は覚悟を決められた。
意識の共鳴とは対極に位置する、ふとした隙間に見せる孤独と脆弱性が、室井の隙間を丁寧に埋めていく。

「そんなことには絶対させない」

青島とは別の誓いを胸に秘めた室井の荘厳な瞳が、青島だけをしかと捕える。
愛しさと苦しさに溺れた先に、いつしか取り返しが付かなくなる程の未来が訪れる覚悟だけは悟られぬように。
口にするのは、お気楽な平和主義でいい。
今度は室井が密かな罠を仕掛けた。

「おまえだけは俺が護ってやる」
「キャリアのあんたがスタンドプレイ?囲いの中の兵隊さんにそんな器用な真似が出来るもんか」

自分を組み敷く男の威圧的な気質に脅えながらも、強気に歯向かってくる青島が、愛しくてたまらない。
愛される悦びを青島が教えてくれる。
室井は雄の香りを放ちながら、色褪せた口端をうっすらと持ち上げた。

「背水の陣を侮るな。自滅覚悟のおまえとは違う」

それを認めた勝気な瞳が、期を得たとばかりに野性的に輝く。

「だったら俺を連れてけよ。傍にいなくちゃ護れるもんも護れないですよ」

ぐぅと喉を唸らせ、強い炎を灯らせると、室井が噛みつくように口付けた。

こんなだから、気後れせず、口でも負けないコイツに、室井は完敗なのだ。
青島の手が室井の首元にキツく回され、二人の身体が密着する。
ひとつになった影は、その重力に誘われ、葡萄色に朧々たるシーツに深く深く沈んでいった。















Happy end

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キス10題のうちのひとつでした(初出:kiss in the dark)

20150514