登場人物はふたりだけ。別れを選ぶふたりのお話。ラブラブエンドではないのでもやもやします。室井さん編。
A面とストーリーに繋がりはありません。
サウダージ~B面 室井慎次の結論
湾岸署に設置された特捜が畳まれ、一人残務処理をこなしていた室井を本庁まで送り届けるよう
申し仕ったのは、やはり青島だった。
すっかり帳の落ちた車内は真っ暗で、車窓に流れるライトアップされた薄桃が可憐に浮かぶ。
「もう桜も終わりですねぇ。見れました?」
「今見てる」
「そうじゃなくて・・・・酒呑んだり、焼き鳥食べたり」
バックシートに背を預けた室井の気配が幽かに揺らぐ。
青島の話すポツリポツリとした世間話に、時々室井が小さく相槌を返す空間は、独特で、優しかった。
その時だ。
じゃあ、行ってみるか?と、室井が呟いた。
室井が相槌に織り交ぜ呟いた言葉に驚き、顔を上げると、バックミラー越しに闇に艶めく視線とかち合った。
宴会客の合間を縫って、二人で遊歩道を歩いていく。
いつしか人影はなくなった。二人の足音が夜空に溶けるくらいに、朧げな春夜は深閑だった。
祭用の人口ライトもなくなり、やがて最後の大木が見えてくる。
そうして、一本の月明りにライトアップされた老木に辿り着き、その木の下で、室井が小さく青島を呼んだ。
その言葉を聞いた時、室井の背後で春の嵐が吹き荒び、散っていた花弁が夜の青蘭に大量に巻き上がる。
湧き出るように舞う桃色の欠片が二人の視界を遮り、見つめ合う息遣いさえ掻き消した。
風に舞い散る桜吹雪は見事としか言い様がなく、息を呑む。
壮絶だと思った。
凛然と立つ室井の姿は、一切の揺るぎもない。
何にも恥じず、何にも屈しない精神が、そこにあった。
突如煽った風を避ける隙もなく、青島はただ花嵐に巻き込まれ、その凪いだ瞳を見つめ返した。
一陣の風が消えた後の吹きだまりは、先程と同じはずなのに、痛いほどの静寂に沈む。
「・・ぁ・・・、ごめん・・・・・なさい、俺・・・」
ようやく絞り出した青島の言葉は、嫌になるほど掠れた。
その儚く桜宵に消えて溶けてしまいそうな青島の霞のような声を、繋ぎ止めるように、室井が一歩近付く。
熱に浮されたような言葉を告げたくせに、室井の目は湖面に浮かぶ月のようだった。
まるで、神聖な儀式のようにも、造られた舞台のようにも見え、非現実感が青島を襲う。
「言うつもりはなかったんだ・・・・。だが、君を見ていたら・・・これでまた暫く見られなくなるのかと思ったら、一度でいいから告げたかった」
ゆっくりと、織るように言葉を紡ぎ、室井が青島へと近づいてくる。
足が竦んで、動けない。
魅入られた瞳は強く、反らせない。
「君の手で、醜いものにトドメをさしてほしかったのかもしれない。それこそが本懐だった」
「ッ」
「・・・だが」
竦む足で、一歩、青島が後退さる。
「唐突だったことも、君の都合も考えなかったことも、謝罪する。――だが」
室井に気圧され、もう一歩、下がった。
「だが、そういう反応が返ってくるとは思わなかった」
「・・反応って・・」
笑って茶化そうとしたが、青島の声は震えていた。
「同じ職に付き、同じ性の相手から、似たようなこと言われたら、普通は本気には取らない。取ったとしても、いぶかしむ」
「・・・ぁ」
「だが君は。本気にした」
「それは・・・・相手が室井さんだから・・・・」
「違うな。そうであっても、面倒だと思えば済む話だ。友情が越えたものだとして有難がってみせればいい。でも君は、俺の言葉に反応した。――まるで、女性
から告白されたかのように」
室井が青島の目の前まで来て、止まった。
黒いコートから覗く、握る指先に力が籠もっているのが、青島の目の縁に入った。
視線が囚われたまま、外せない。
心臓が喉から飛び出しそうだった。
なんでこんなに室井に追い詰められているのか。なんであの言葉でここまで動揺するのか、自分で分からない。
もう一歩だけ下げた足が、枝をポキリと折った。
「それはつまり、君にとって、これは非現実的な話ではないということだな」
「!」
「君の中で、少しでも、そういうことを考えたことが、あるんだな?・・・それも、肯定的に」
「・・・っ」
チェスピースを詰めるように、ひとつひとつ、室井に剥ぎ取られていく。
気迫に押し下がっていった足が、遂に桜の幹に、遮られた。
とん、と背中が桜にぶつかり、逃げ場を絶たれる。
視界に映る桜は淡く月に光り、室井を茄子紺に縁取り、成熟した男として妖艶に纏っていた。
まるで他人に見えるそれは、今まで見た何よりも誰よりも荘厳で気高かった。
現場でぶつかり合い、裏切られ、息を合わせた、あの室井ではなかった。
追い込まれ、最後の足掻きのように、青島は闇と同じ色の瞳を強く睨み返す。
虚勢だと分かっていても、もう、そうせざるを得なかった。
「だったら最後にもうひとつ、聞かせてくれ」
室井が幹に両手を付いて青島を囲った。
指一本触れられていないのに、身体の芯が火照る。
「君の本音が知りたい」
「あんたには・・・・・言えない・・・・」
「・・・頼む」
「無理ですよ・・・・」
「言わせて、みせようか・・・?」
「言えません・・・っ」
消えてなくなりそうな悲鳴に近い掠れ声で、青島が腹の底からの怒号を見せると、それすら歓びであるかのように室井が微苦笑し、そっと口唇を近づける。
その余裕のような、悲しみのような曖昧に揺らぐ顔に、青島の心臓がどくりと脈打った。
足が竦み、崩れ落ちそうなまま、青島は後退ろうとした。
だがすでに追い込まれ、桜の幹に阻まれる。
室井がその律した心魂を見せる裏側で、彼が激情に支配された熱を持つ 人間であることを、青島だけは知っていた筈だった。
ひとたび解き放たれた彼の熱誠の狂気は、破壊さえ可能にする気魂を持つ。
表立つ青島の背後で、起爆剤と思われがちだが、真の爆弾は室井の方だ。
その爆弾に、スイッチを入れるのが青島だった。
天性の資質と神気に漲り、禍々しくも神々しくも輝く彼を制御出来るのは、果たして誰なのか。
青島の背筋がゾクリと這い上がり、見せ付けられた鋭くも閃く熱に、身体が竦む。
逃げられるわけ、ない。
桜闇の煙の中、青島の殺した吐息が熱を孕んだ。
改めて室井の神聖さを目の当たりにさせられ、今にも崩れ落ちそうな膝頭を、必死になって力む。
一心に向けられるその焔に、自分が室井の禁断のスイッチを、とうに解き放ってしまっていたことを知った。
「だ・・っ、だっ、誰かに見られたら・・・っ」
「今夜は公安は張り付いていない」
「そういうことじゃ・・・っ」
「君はいつもそうだったな・・・。人のことばかり気を回す」
「・・・室井さんっ」
「すっかり誑かされたものだ」
「なっ、何しようとしてんですか、こんな所で・・・っ」
ギリギリまで攻め寄せられた室井の口唇が、青島の至近距離で薄っすらと艶冶に半開き
その余りの信じられない光景に、青島が悪足掻きと知っていて、虚勢を張る。
ふ、っと室井が甘い吐息を桜闇に浮かばせる。
焦点さえぼやける距離で囁かれる妖しい響きは、桜色の淡雪となって、青島の奥にじわりと降り積もっていくようだった。
「まるで怯えた小動物だな・・・」
聞いたこともない甘い声色に、青島の頬が桜色に染まる。
それは、毒が回る前兆なのか、身の内に毒がある証拠なのか。
震える身体が、緊張を伝え、両手で背後の幹を掴んで支え、青島は顔を背けた。
「ヤだって・・・っ、・・・ッ・・・」
動揺と悲しみで、遮るように室井を押し退けるが、室井はそれを難なく制し、背けた青島の口唇を掬うように拒絶の言葉ごと呑み込んだ。
焦る息も吸い込まれ、塞がれた口唇から伝わる切ない情が、これが永遠でないことを告げている。
青島は眉を狂おしそうに寄せた。
胸が苦しい。湧き上がる歓喜が悲しみに染まる。息が、出来ない。
断罪と共に注ぎ込まれる甘い桜花の強烈な蠱惑に、キツく目を閉じる。
どんなに願っても届かない筈だった存在に、睫毛を震わせながら、染められていく。
触れ合ったまま囁かれる吐息さえ、青島の力を抜けさせた。
「最後に、聞きたいんだ」
「・・・分かってて・・・、そんな、こと・・ッ」
「もう止められない。止まらない。動き出した時間を終わらせるのも、おまえだけだ」
「俺に答えさせんなよ・・・っ!俺が言えるわけ・・・っ」
「好きだった・・・」
「卑怯だ・・・っ」
手にとってはいけないと分かりながら、無意識に青島は自分からその桜嵐へと手を伸ばした。
室井の手もしっかりと青島の背に回され、強く深く抱きしめられる。
言える訳がなかった。
このひとを愛してはいけない。聖なる存在として導き、護り抜くのが、自分の務めだ。
そうすることで、折り合いを付けていた淡い嘘の鍵が開かれる。乱される。
去っていく室井を、こんな形で見送らせる。
相反する欲が鬩ぎ合い、どうしたら良いのか分からない。
自分が、壊れそうだ――!
青島は息を殺しながら、崩れそうな身体を支えたくて、室井の首筋に回す手に力を込めた。
「巻き込んで・・・すまない」
「ッ」
「ごめん、な・・・」
「・・・狡ぃ、よ・・・」
「倖せに、なるんだ青島」
抱き合う二人を中心に、夜空に春嵐が蒔き上がった。
自分を変えるこの躯が桜の色に染まり妖しく蕩揺う姿を、見たいと思った。
これに名前を付けるなら、恋という青酸っぱさだけじゃ、全然足りない。
もっと緋く、もっと燃えるような、仄る、桜吹雪のような。
室井の片手が頬を撫ぜ、静かに契約の口接が青島の口唇に落とされる。
閉じられた瞼の向こう側、闇に浮かぶ桜花弁が舞う。
これが最後と伝えて舞う。
桜並木は泣けるほど透き通る夜空に映え、果てが見えぬほど仄かな桜色に色付いていた。
Happy end?

- 散るために 咲いてくれたか さくら花
散るこそものの 見事なりけり 増田利男-
キス10題のうちのひとつでした。(初出:哀しい言葉を遮って)
20150522