馴れ初め話です。青島くんがノーマルな感じで、室井さんの片思い。踊るはそれが公式設定
だから。
登場人物は室井さんと青島くん。時間軸はどこでも良かったんですけど丁度「室青に鳥飼さんがちょっかいだすのが萌える」というコメントを頂いたので、じゃ
あその辺で。
六本木叙情曲
1.
シャツのボタンも留め損ねた撚れたシャツを煩わしくも思わず、室井は潰れた煙草に火を点けた。
外国特有の紫煙が彼の存在を酷似に蘇らせる。
陽は昇っているようだった。
窓の外から白々しい光が斜めに射しこまれ、靴下を脱ぎ捨てた室井の足首を照らす。
時間の観念はとうに失っていた。
動く気が起きない。息をするのさえしんどい。なにより、身の回りをちゃんとするのも億劫だ。
こんな馬鹿げた呑み方をしたのは、法を破って初めて酒の味を覚えた十代の時にやらかした時くらいだ。
その後は節度と規律を護り、良識ある呑み方をしてきたはずだ。
記憶の最後は終電ギリギリまで青島とここで酒を呑んでいたことだ。
無論彼の前では徹底した漢の意地を見せ、丁寧な飲み方を心掛けた。
一人となった部屋に、室井が飲み干した酒瓶が散在する。
すっかりと整髪料の落ちてしまって頭上で跳ねる髪を両手で掻き揚げ、室井は喉仏を晒し顎を反らす。そのまま手の平で目元を覆い、辛辣な現実を閉じた。
瞼に浮かび消えないのは、ただ一人の面影だ。
あんな顔をさせてしまった後悔が羞恥にも罪悪感にも変化し押し寄せる。
「なにをやってるんだ俺は・・・」
久しぶりに再会した青島と、あの頃のような交流を取り戻すのは、そう簡単ではなかった。
当然だった。自分はそれだけのことをやらかしたのだ。
過ぎた時間は長すぎて、人見知りのようなぎくしゃくした蟠りも持て余し、何よりあんな別れをしてしまった結末に、合わせる顔などなかった。
だけど、青島は朗らかに、時に拗ねて、時に怒り、色とりどりの表情を見せながら、凍った室井の心が溶けるのを辛抱強く待ってくれた。
きっと、だからなのだ。
こんなみっともない勘違いをしてしまったのは。
こんな、みっともない恋情に惑わされてしまったのは。
“すまない、君のことが、好きだ”
青島は何も答えなかった。
困ったような怒ったような、泣き出したような、何とも言えない不思議な色の瞳を伏せ、それが寂しく、ひっそりと瞬いた。
手を取れば振り払われた。
室井の好きだった綺麗な瞳は、もう室井を映してはくれなかった。
軽蔑することも、侮辱することもなかった。
だが、再会した青島が巧みに親密さを演出していたように、そこに青島の本音はないのだと今の室井には分かる。
空回りする感情が生み出す悔恨と、捩れ歪んでいく関係の悲憤に、背を向ける青島の腕を取れば軽く揉み合いとなった。
結局、自分は何をしたかったのかすら、今となっては曖昧となった。
2.
遠くでベルが鳴っていた。
それが自宅のドアベルだと気付くのに時間がかかった。
一向に鳴りやむ気配のない訪問客に、宅配便などの業者でないことを察する。
察するが、それはどこか遠い世界の、モニタの向こうの世界のような感覚だった。
途切れない音に、目覚まし時計が覚醒を告げるように、大人ぶる思考が室井の意識を反して浮上させる。
ようやく、やっとの思いで酒臭い身体を起こし、室井は開いた胸元のシャツの自分を見下ろした。
こんなだらしない格好で人に会うのは気が引けた。
そもそも今は人に会う気分じゃない。
どうするか思案する指先が、気怠く室井の黒髪を掻き揚げ、重い溜息をまた落とさせる。
エリートキャリアという道を歩み始めてから、欠勤したのはこれが初めてだった。
キャリアという立場はシビアだ。
出世の道が断たれたと分かった途端、多くの人間が手のひらを返していなくなった。そんなのはよくある光景で、特に珍しいことでもなかった。
なのに、一体誰がこんな落ちぶれた男を今更見舞う気になるのだろう。
のそりと起き上がったせいで、足元の酒瓶をまた一つ転がす。
カラカラと乾いた硝子音は、まるで崖から転落していく自分のようだった。
どこまでも転がるそれは、冷蔵庫まで流れ、堰止まる。
煙草を揉み消し、室井は立ち上がった。
「誰だ」
いきなりドアを開けることはせず、室井は扉の前で静かに問う。
一倉かもしれないとは頭の片隅で思っていた。警察学校の同期で、入庁以来何かと縁が途切れぬ男だ。
お節介とも親切とも違う一倉の距離感は、恐らくそれが友人というものなのだろう。
警察官という染み付いた職業のせいで、無意識に気配を探る神経が扉の外へと向かった。
すると、思いもかけない声が返ってくる。
「・・ぁ、ぇと、・・・俺、です」
今だ夢の続きのような白濁した感覚に、室井は眉を寄せる。
「あの、鳥飼さんから、室井さんが休んでるって聞いて・・」
「・・・」
「煙草も忘れてたし・・」
あ、と気付き、室井は苦々しく思う。
何故今更煙草など。
どうせ用済みだと決めつけ、まるで名残惜しむように残り香に捨てられた自分を重ねた。
否、彼の香りを消してしまいたかったのかもしれない。
「今更取り返しに来たのか」
扉に向かい、唸るように問えば、青島の息遣いがやけに耳に届く。
「三日も休んでるって聞きました」
「ただの有給休暇だ」
「でも、初めてだって」
「どうでもいいだろう・・」
「開けてよ」
開けたくはなかった。顔など見たら今度こそ疼く胸が破裂する。
「もう、いいだろう・・」
「室井さん」
ただ一言。
名を口にしただけで青島はいつも室井の心を揺さぶり搔き乱す。
こういう時の青島が揺るがない男であることも承知の上だったが、部屋の前でいつまでも立たれてその姿を官舎の人間に見られる方が厄介だった。
深い溜息を落とし、室井は仕方なくドアノブを回す。
さあっと挿し込む太陽と外気。
そこにはあの夜となんら変わらぬ青島がいた。
オーバーサイズのモスグリーンのコートが彼の童顔をより小さく見せ、何処か残るあどけなさが室井の胸を塩辛く締め付ける。
「有給取得は上の者から取らないと下が取りにくいと常々言われていることだ」
「あんたのその格好を見た俺に、それで納得させたつもりですか?」
「君こそ、あの夜私が何をしたか、忘れたわけではないだろう」
重ねるようにはっきりと口にすると、青島は口籠った。
そんな風に躊躇うくせに、何故人を捨てきれないのか。
彼のそういうところが、好きだった。好きだったのに。
奇妙な沈黙は痛いほど室井の肌に突き刺さる。
今は助け舟を出してやる気もなく、帰ってくれと、呻くように告げた。
「入れてください」
「・・・今帰れと言った」
「俺は入れてって言ったの」
「何の用だ。煙草はもうない」
「吸ったの」
「代金なら後ででも請求しろ」
「話ある」
「もうない」
「だってあんた・・・カンチガイ、してるから・・・」
「何を勘違いなんだ」
少し険しくなった室井の声に、青島はミリタリーコートの裾を掴んで口唇を噛んだ。
俯いたせいで案外長い睫毛にも気づいてしまう自分に、室井は叱咤する。
こうやって、俺はコイツに絆されるんだ。
黙ったまま、少し考え、室井は身体を開き、扉を大きく開けた。
青島が上目遣いで室井を探る。
「・・・いいの」
「――、君こそ、あんなことを言われた男の部屋にのこのこ入ることがどういうことか、分かっているんだろうな?」
「ぅ、む、室井さんはそんなことしません」
「どうだかな」
「俺はあんたよりあんたに詳しいと思うけどね」
「その勝ち気な口も、どうにかしろ。いい加減、身を滅ぼすぞ」
「そんときは、おあいこってことで」
室井が大きな黒目を向ければ、同時に青島は無邪気な瞳ではにかんだ。
重なり合う視線は、喪失の中の微かな希望を未練がましく室井に知らしめる。
だからコイツと関わるのは苦手なんだ。
室井が身体を引くのに合わせ、青島はペコリとお辞儀をして横を通り過ぎた。
狭いエントランスで触れ合いそうなほど近づいた距離から薫る青島の見知らぬフレグランスに、室井の胸は冷たく軋んだ。
3.
部屋に入るなり青島はぐるりと首を回し、振り返った。
「ドロボーでも入ったんですか」
「・・・・」
確かに三日前、ここで二人で呑んだ時は何もない質素な部屋だった。
それを揶揄うように、青島もつまらない部屋だと笑っていた。
今は足の踏み場もないくらい、洗濯物や食べ残し、無数のビール缶、そして数えるのも億劫な一升瓶が転がる。
「うっへぇ・・・、何本あんのこれ?どんだけ酒強いんだよ・・・!」
「入庁以来の自由時間に何をしようと私の勝手だ。そこにまで理想を押し付けないでくれ」
「これって俺のせいですか」
「私はそんな出来た男じゃない」
言い訳がましく付け足した言葉に、青島はただ目尻を細めてみせた。
優しい男なのだ。
人の気持ちの分かる、世の中の痛みを知っている、泣きたいくらいに純然な、そんな男なのだ。
「何しに――来た?」
「今日、鳥飼さんが署に来て・・・本店まで送った時、室井さんの話になって・・・・」
また鳥飼か。
あの夜もこうやって、彼の話を皮切りに、どこか張り詰めた糸が縺れて、捩れて、絡まって、挙句無様な失恋までするはめになった。
「なんかね、室井さんのこと、いっぱい聞いてくるから・・・、そしたらもう来てないなんて言うから」
「だから、ただの有給中だ」
馬鹿。それは挑発されたんだ。
そんな官僚の駆け引きも分からぬ所轄の人間が、どうしてこうも自分の胸を搔き乱すのだろう。
酒のせいか、青島の取り留めない世迷言のせいか、頭痛のする眉間を指で摘まみ、室井はソファに投げ捨てたままだったスーツを拾った。
客扱いもしない室井の背中に、青島の視線が縋るように追うのが痛いほど刺さる。
あの夜もこうやってこの部屋へ初めて連れ込んだ。だからというわけではないが、あの夜と今朝の違いがリアルに沁みた。
それでも、用が済んだら帰れなどと突き放せない自分が惨めだ。
「あのさ、鳥飼さんが・・・やろうとしていることって、室井さん、なんか聞いてます?」
「・・・やろうとしていること?」
「俺たちの・・・・六年前のあの事件のこととか、副総監の事件とか、・・・どこまで遡るんだよってこととか、結構色々聞かれちゃいました」
「・・・・」
「・・まあ、てきとーに答えておきましたけど」
鳥飼が新たなチームを立ち上げ、組織改革を行っていることは庁内でも知れ渡っていた。
それがトップからの勅命であることも、公言されている。
しかし、こうやって所轄に聞き込みをするくらいなら、もしかしたらそれらは表向きの姿なのかもしれないと室井はなんとなく思う。
だが、真の目的は何になるのか。
そもそも何故青島なのか。これは偶然と捉えて良いのだろうか。
元々、鳥飼という男には深い混沌とした影のような闇を感じさせるところが室井には垣間見えた。
そういう男は、逆に光に弱い。そう、自分のように、だ。
手放しに信頼を寄せられ、無垢な愛情を以って全力で懐かれれば、鳥飼のような情緒に欠ける男でも、青島を愛しく思わないわけがない。
それは性別を超えた、妄信に近い。
ここまで漫然と考え、室井は自嘲に歪んだ吐息を零す。
だから。もうそんなことはどうでも良いのだ。
もう全部忘れたいのだ。
なのに。
こんな風に他人を観察できるようになれたのも青島の存在が大きかったし、果ては自分がそうであるから鳥飼も同様なのではないかと類推する自分が滑稽に思え
た。
まるで癒えぬ傷を舐め合う同朋を求めているだけの狭量な結論を、自ら手繰っているようだ。
「・・・室井さん?」
相槌も打たなくなった室井に、青島が不審な問いかけを寄越してくる。
我に返り、室井はスーツをハンガーラックに戻すと、青島に背を向けた。
「・・・、そんなに鳥飼が気になるなら直接聞けばいい」
「んんん~~、なーんか閉じちゃってる人で、でもやけに俺にだけは突っかかるし、目が合うから、なんかあるのかなって」
「なんか?」
「だから、超エリートだし、ネクタイとか良いセンスしてたし、それであのルックス。スペック高すぎでしょ」
「人を見た目で判断するな」
「ああいう男って、なんか持ってるんですよ。色んなもんを、・・・ここんとこに」
此処と言って、青島が自分の胸を指す。
「どうせ何も出やしない。動き出すまで放っておけ」
「マークされてるってことはないですよね?」
「探られたら痛い腹もないだろう」
「・・はは、確かに」
そうなのだ。
青島を探ったところで何か有力な情報が出てくるとは通常の人間なら考え難い。
彼の立場からして、キャリアになろうとする人間の最終目的は皆一様だ。
加え、たった一日前淫らな想いも振られたところだ。
自分たちを調べたところで、悲しいほどに何も出てくるものはない。
なのに、青島に直接執着するということは、青島本人に用があるか、或いはターゲットが青島と繋がる室井であるかの二択だと考えられる。
探られて困るような間柄にはならせてもらえなかったこの関係に、探りを入れてくる周囲の目線を室井は嘲笑った。
だが今は、そのどちらも気にしてやれる気分ではなかった。
室井の素っ気ない返答に、乾いた笑いを零した青島も、流石に次の言葉を持たなかったらしく、口を止めた。
そのせいで、また空気が止まり、大気に音から吸い込まれる。
昔の自分たちは、こうではなかった。――最初から。
「・・ぁ、俺のたばこ・・」
背後でどうやら室井が握り潰した空のシガレットケースを見つけた青島の指摘する声も素通りする。
吸ってしまったことを、それ以上青島が言及することはなかった。
室井も言い訳する気はなく、脱ぎ捨てられた靴下を端に放り投げ、空の缶ビールを取り上げた。
「っと・・・その・・・俺、鳥飼さんに、どうしたらいいですかね?」
「私に聞くな」
持ち出してきた40ℓの東京都指定袋にゴミを放り投げつつ、室井が部屋を移動する。
かしゃかしゃと室井が引き摺るビニール音と、背後ではずるりと青島のショルダーバッグが肩から落ちる音がした。
「おんなじキャリアでしょ」
「こっちにはそんな同胞意識はない。捕食者なんだ我々は。忘れるな」
「でも」
「彼だってそうだろう。キャリアに助言なんか求めちゃいない」
「でもあのひと、なんか室井さんに似てるし・・それに鳥飼さんって、」
「鳥飼の話はもういい」
青島の口から他の男の名前を告げさせるのも腹立たしくなり、思わず室井は片付けていた手を留めた。
眉間を深め睨みつければ、そこには一瞬びっくりしたような青島がいて、その聡明で見惚れるほど鮮明な瞳が、刹那、妖しく瞬いた。
その青島の表情に、室井が黙りこんだ。誘導だったことを察した。しばらくして、どこまで聞いているんだと静かに呟く。
「さあ?」
「・・・・」
「それより、やっとこっち、見ましたね」
駆け引きや腹の探り合いなら、室井の方が手慣れていた。だが、人の心を揺さぶりかけることに関しては、青島のテクニックは稚拙ながら、つつがない。
してやられたなと思いながら、室井は覚悟を決め、ようやく青島と向き合った。
よれたシャツの腰に手を当て、息を吸う。
青島の遊びのレベルじゃない知識や経験を認めていたし、ちょっぴり悪辣なところも可愛く思っていた。
そういう男でなければ、室井が惚れることはなかった。
やっぱり、青島は青島なのだ。
室井がどういう志を持とうと、青島の魂胆も別腹だ。
嗚呼、そうだ。妬ましかった。
あの夜本当に願ったのは、こうして青島と付かず離れず未来を続けていくことだった。
しっかりと視線を交わせば、揺るぎないその輝きに吸い寄せられそうになる。
その愛くるしい顔が、くりっと小さな悪戯を乗せた。
「嫉妬したんだ?」
「狙いは何だ」
モスグリーンのコートから丸っこい拳を握り、青島が強い眼差しで室井を見据える。
「最初に言いました!あんた、カンチガイしてるからって」
「それは、あの夜――私が告げたことについてか」
「・・・はい」
室井の瞼が震えるように伏せられ、室井は浅い息を吐いた。
「そのことなら、もういい。・・・忘れてくれ」
今更訂正などされたところで、結果が変わらないのなら、さしてそれは意味はなかった。
むしろまだズキズキと痛む傷痕に触れないでほしかったし、気付かぬふりをしてほしいくらいだった。
惨めでもあったし、何故また塩を塗るように仕切り直すのかもわからないし、何故あの時口を滑らせてしまったのか、苦い後悔も押し寄せる。
言うつもりはなかったんだ。
この胸に収め、一人、時々宝箱を開けるようにそこに存在している熱を確認し、大切にしながら室井は生きていくつもりだった。
キャリアの争いに青島を巻き込むこともしたくなかった。
なのに何故こんなことに。
話は終わりだとばかりに、室井はまたズルズルとビニール袋を引き摺りながら可燃ゴミを集める。
その背中に青島の声が追う。
「言い訳もしないつもりですか」
「男として最後くらい格好つけさせてくれ」
「最後って?」
「蒸し返さなくていいということだ」
「その・・返事も?」
たどたどしく告げられた末尾に、思わず室井の指先がぴくりと反応してしまう。
それを見届け、青島が一歩近づいた。
「あのね、室井さん、俺は、俺――」
「言わなくていい・・!言わせたくない。・・・少しでも友人と思っていてくれたなら、頼む、譲ってくれ」
「じゃなくってっ!」
青島が室井の肩を掴もうと手を伸ばす。それを先に室井が腕で振り払った。
「・・ぁ」
驚く顔に、乱暴にするつもりはなかった室井は舌打ちし、堪え切れずに顔を避ける。
「触れないでくれ。今は優しくなんかできそうにないんだ」
「室井さん・・!」
「もう構うなと言っている・・!」
「じゃあ俺、鳥飼さんとこ行っちゃうよ!?」
「何故そうなる!」
「あんたがハナシ聞かなかったからじゃん!」
「今更何を聞いたところでどうもならない・・!結果は同じなんだ!」
「結果だけしか見ないからキャリアは駄目なんだよ!」
「仕事まで駄目だしするな・・!」
「してませんっ」
「こっちの話は終わった!」
「じゃあ聞けよ!ハナシ!」
「女を振ることに長けている君には分からない!」
「まだ振ってません!」
「!」
あんぐりと、室井の口が半開きのまま固まった。
見たことのない室井の間の抜けた顔に、青島も口が滑ったことを自覚する。
「・・ぁ、・・・あ、あ、・・・ここまではって意味ではありますけど」
目線が伏せられ、青島が横を向いてしまった。
その顔をまじまじと見つめ、室井の目が真意を探る目に変わる。
人好きのする、見惚れる愛嬌ある顔は仄かに染まり、口許が困ったように引き結ばれていた。
なんとも言えないその甘いマスクに、室井の心拍数が上がる。
最後にこんな顔をするなんて反則だ。
抱き締めたかった。その腕を取って引き寄せて、俺のものでいてくれともう一度懇願したかった。
でもその役目は、自分ではない。
俺は望まれていない。
ここは男らしく彼の言い分を聞いてやるべきなんだろうか。それは、今尚血が噴き出しているようなこの胸の傷を、更に広げることにはならないだろうか。
室井には結論を出せなかった。
青島への想いはそんな簡単に割り切れるほど浅いものでもなかったし、既に自分の一部となっているくらい過重なものなのだ。
まるで釣銭を渡すように、機械的に切り離せない。
どうしようかと思案し室井が口唇を尖らせ、頬を強張らせている内に、青島の方が先に口火を切ってしまった。
「あの夜・・その、びっくりしちゃって。怖かったんですよ。まるであんたが違う人に見えた」
「・・・」
「約束のこととか、ケーサツとか、全部あんたにとってその程度のことだったのかーって、悲しいっていうか、寂しいっていうか・・・、でもその、オトコらしかったです」
少し染まった頬が婀娜めいて、青島が視線を斜め上に反らしたまま髪を掻き毟る。
徒然に白状する青島の顔を、室井はただ黙って瞳に刻み込んだ。
「逆に俺の方が、オトコらしくなかったってゆーか・・」
「・・・」
「だからっ、その、拒絶したとか非難したとか、そおゆう風には捕えて欲しくないって言うか・・・」
「・・・」
「別にあんたのこと、馬鹿にしたわけじゃないし・・・そおゆうことに、へ、偏見とか、侮辱とか、持ってないし、・・・ひと、そう、ひとに好かれるのは嬉し
い
わけで、」
「・・・」
「つまり、その、おれ、嫌っ、きらった、わけじゃないから・・その、・・・だから、・・・・・・・・あの、そろそろなんか言ってください」
一人で延々と恥ずかしい告白していることに照れ、青島が真っ赤な顔を向けてくる。
少し頬を膨らませているその仕草に、はてコイツは幾つになったんだったかと、室井は見当違いなことを考えた。
だからどうしてこいつはそんな顔を見せるんだ。劣情の意味も知らずに。
「まだ喋らせる気」
「・・・気分を悪くさせなかったか私は」
「あの夜は、酒入れすぎて胃の方はヤバかったですけど」
「・・・・君に、不快な思いをさせたのだろうと、・・・そこだけはずっと、後悔していた」
「・・・いえ」
小さく答えた青島の声は心なしか掠れていた。
そのせいで妙に色を嗅ぎ取る室井の耳が、痺れるように熱を持つ。
室井の切れ長の睫毛が伏せられ、成熟した歳離れる大人の男の顔になった。
「なら、もう、いい」
「・・・聞きたいことも?」
「そうだな、なら最後にひとつ」
「なんで最後にしたがるの」
室井は息を吸う。
「この間も思ったことだ。何故君は鳥飼をそこまで気にする?」
「気にして・・・ますかね?」
「そう見られても仕方ない。キャリアは他人の動向に無関心である一方、危険な企みには敏感になる」
「・・はは、すっげ」
子供みたいに頬を掻く青島は、純朴で無警戒だった。これは、営業宛ら室井に気を遣い、室井との距離を模索してくれたあの青島じゃない。
今、室井は警察官ではなく室井の知らない時間を過ごした素の青島を見ているのかもしれなかった。
強い光と透明な輝きのその裏に悔恨と苦悩と正義と涙が潜められている。
多くのことを犠牲にしてきたのは自分ではなく、むしろこの男のほうが多かったのではないかと今更ながらに気が付く。
もしかしたらそれは、室井が一番知りたかった、別の時間を生きてきた本当の青島なんだ。
不思議な縁は、二人を結び付け、こうして向き合う運命を与えてくれた。
その采配に、いつか感謝する日も来るのだろうか。
「君は、どうして誰にでもそうやって心を開くのか・・・私にはずっと不思議だった」
「鳥飼さんのことなら・・・」
「六年も離れていた。放っておかれたんだぞ。再会したからといって、何故私の言葉を信じられる。どうしてまた私を頼る。もう、何をしてやれるわけでもない
のに」
「出戻りって無敵って言わない?」
「・・そこを当てにするな・・!」
ぱっと破顔して、花が咲いたように青島が笑いだす。思わず見惚れて室井は息を止めた。
「あ~、おっかし。室井さんって割と単純に出来てんですね」
「・・・・えでねが。いらねごど」
「訛った」
「もういい」
「待ってよ室井さん」
青島が大股でソファを乗り越え近づいてくる。やけに長い足だ。・・・で、足癖は悪い。
「放っておいてくれ」
「まだハナシ途中なの」
「つまり君は鳥飼に付くんだろう・・!」
「それは、鳥飼さんを好きかって聞いているわけ」
「君の目的を聞いたんだ。でももういい」
「つまり、結局、妬いたんだ?」
「!」
「そして俺の態度に自惚れた・・?」
ニヤリと青島が悪戯な目を向けた。
くるくると、本当の良く表情が変わる男だ。さっきまではしょんぼりとしていて遠慮がちだった癖に、今は楽しそうに室井を覗き込んで返事を待っている。
そんな風に鮮やかに、色とりどりに、見る者の目を奪い、虜にし、皆を惹き付けてしまうところが、室井には眩しかった。
それは悔しさにも妬ましさにも近い衝動を生み、だからこそ意固地となってムキに肩肘張ってしまったのだと、後に知る。
その結果の失態は、確かに取り返しのつかない結末を残し、深い残痕が二人を隔てるように横たわったのだ。
「青島」
窘めるように名を呼び、振り返れば、室井は窓際まで追い詰められていた。
白いカーテン越しに入る清涼な朝陽が青島を照らし、一層の純潔さを室井に見せつける。
どうしてそんなに私に近づくんだ。どうして今になってそんな顔を見せるんだ。こいつは分かっているのか?無防備にそんな顔を晒してしまう危険性を。
雄として、男として、どうしてもどうしても、欲しくなる。
そんな淫らな想いが内に潜むことを、知りたくはなかったのに。
「俺の本音、聞かなくていいの」
「聞いても何も変わらない」
「ま、ね」
「君はあの夜、私を振り切って出ていったんだ」
「それは――」
「この話はもう終わりだ」
「でも知っておいて損する話でもないですけど?」
そう簡単に青島の掌で弄ばれるのも癪で、青島が仕掛けようとしている謎解きに、室井は一瞬の間を置いた。
一体青島は、戻って尚、恋に落ちぶれ失態を見せた同性の人間に、何の関心があるのだろうか。
愛だの恋だの浮かれた話は置いておいても、青島は室井がこの閉鎖的封建社会の中で唯一信頼した男だった。
それは、恋などというありふれた平たい一言で、少なくとも室井の中でだけは簡単に崩れるほど危ういものだったのか、もう一度吟味する。
自分が惚れ抜いた男は、どういう男だったか。
自分が青島の何に惚れて、何に魅せられたのだったか。
曇った双眼で状況を見失っているのはどっちだ?
キャリアの政権争いに、自ら飛び込んでいってしまいそうな危うさを持つ青島に、室井はまた頭が痛くなった。
ゆっくりと、室井が口を開いた。
「それはどこで仕入れた情報だ?」
「今度はソースをばらせって?」
「・・・どこまで聞いている」
「あんたの気持ちを――彼も知ってたってとこまで」
「・・・謀りやがって」
このタイミングでそれを知らされ、不安になってこうして青島は室井の方へと駆けつけてくれたか。
或いはこの身のスキャンダルに六年前の余毒を味わったか。
青島にそんなことを吹き込むのは鳥飼本人しかいなく、鳥飼のフットワークと饒舌に辟易しつつも、時代が動き始めていることを室井は躊躇う。
挑発されてんだか、挑発してんだか、良く分からない青島の経験の乏しい応対に、だがどこか天性の閃きのような鋭さを感じつつ
室井はようやく冷静になってきた頭をぐるりと片手で回した。
「座るか」
今更の室井の発言に、くしゃりと笑った青島も、うんと頷いてくる。
「じゃあ珈琲でも淹れ・・」
「いらない。ハナシ、したい」
室井の言葉を遮り、しっとりと上目遣いで見上げてくる青島の様子は、どこか怯えのようなものと遠慮のようなものが混在する。
室井は持っていた東京都指定ゴミ袋を放り投げた。
ソファにどかりと先に腰を下ろすと、青島の袖を強ぐいっと引き下ろす。
バランスを崩して小さな声を上げながら何とか持ちこたえようとする青島を、目線でいなし、室井は強引に隣へと座らせた。
びっくりした顔の青島が隣で朱に染まる視線を彷徨わせているのを、頬で感じる。
「・・・」
「・・・」
黙ったまま正面を向いた。
正面は窓だ。カーテンが掛かっていて外は見えない白い光に、街道のモーター音が平日の日常を透かしてくる。
「室井さん・・・」
「なんだ」
「三日も酒飲んでたの」
「・・・・余っていた酒を片付けただけだ」
「片付けるって量じゃないですけど」
「大した量じゃない」
「ザルって言われません?」
「秋田の人間なんか、みんなこんなもんだ」
「・・・・」
呆れたのか、納得されたのか、青島からのリアクションはない。
「此処、意外と静かなんですね」
「官舎を建てた頃は質素な街だったと聞く」
「へ~」
確かに今夜はやけに静かだ。
吐息まで耳を犯しそうなくらいに。
「これだけ呑んだら有給も使いたくなるわ」
「驚かせたか?」
「あの夜のこと?・・・そりゃあ、まあ、ね」
「困らせるつもりも、無理強いするつもりもなかった。つい、ぽんっと出てしまったんだ」
「撤回する?」
「――いや」
「そう」
「男だから女を欲しがる。私だってそうだ。だが、君のこともまた特別に――そう、特別に、想っていた」
「・・・」
「ずっとだ。君といると気が楽なんだ。安らぎを与えてくれる女とは違う。そんな風に想った人間はいない。独り占めしたかった。多分、分からないが、最初か
らなんだろ
う」
「・・・今も?」
「・・・・ああ」
唸るように、室井は喉から首肯した。
ようやく、何かを飲み下せた気がした。
正面を向いたまま背筋を伸ばす室井に、青島の深い睫毛が瀟洒に震え、瞼が伏せられる。
「ありがと、ございます」
隣で、青島が膝頭に両手を充て、まるで正座して感謝を述べるように頭を下げた。
「そして、すいません。やっぱり俺、女、抱きたい」
「・・・ああ」
「だから・・・俺のこと、忘れて、ください・・・」
「・・・・」
そんなこと、出来るわけがない。
だがそれが青島の願いだと言うのなら、引き下がり、この美しい男を誰かに譲らなければならないのだろう。
譲ると言えるほど自分のものであったと過信した傲慢さが室井を絶望の淵へと落とした。
心通わせた過去があったように思えた追憶も、今は遠い。
それでも自分は、それだけの繋がりを糧に、ここまで生きてきた。それだけの繋がりをまるで命綱のように思っていた。
室井は膝に乗せた拳をぐっと噛み締める。
肯定も否定も出来ない咽ぶ心が、破裂しそうに今、軋んでいた。
「恋人は、いるのか」
「今は」
「その・・・」
口籠る口許を、室井は撫でさすり、目を硬く閉じた。
干上がる喉は強張り、小さく痙攣している。
「この先も、今までのような関係を続けることは、可能だろうか」
「室井さんの方がつらいと思いますよ」
未練がましい自分に嫌気が差した。
恋とはこんなにも醜く、卑しく、猥褻なものだったか、忘れていた。こんな縋る恋を、自分は今までしたことがあっただろうか。
それでも、何度も失いかけた過去が室井に恐怖と慄然を急き立てる。
芳しく漂う青島の香りが本能を刺激する。
「見限られたということか」
「そおゆうことじゃないですけど・・・こんな風にふたりで会うことは止めておいた方がいい」
「どうしてもか」
「周りだって変な目で見る」
そんなのは今更だったが、青島まで偏見の目に晒すことは憚られた。
偏狂な道に引き込みたかったわけじゃない。
それに、青島が言っている「みんな」というのは、鳥飼も入るのだろう。
大事にしたいことが大事にならないなんて経験も室井にとっては初めてではなく、苦い記憶が室井にこれ以上の詰問を尻込みさせた。
きつく眉間を寄せ、重たいものを飲み下すと、話題を変えるように室井は手前で指を組む。
「鳥飼は、多分、どういう形にしろ、君を意識しているんだろう」
「俺?室井さんを、じゃないの?」
「私を通した君、なのかもしれないな今は。だがそれはいずれ、加速度的に君を縛していくだろう」
「んじゃあ・・・、きおつけときますかね」
噂が独り歩きして、室井と青島のかつての騒動は本庁の中で語り草となっている。
公にはされていないその中心人物が、この青島だと人は気付いた時、そこに見出す価値はノンキャリよりもうだつの上がらない野心家には官能的だろう。
そこにある軟禁されるように渦巻いていく幾重にも織りなす感情が、時を経ても室井に知らしめる取り留めなさと強迫観念は
恋情の苦さを以ってしても拭いきれるものではない。
片手で舐めるように顎を擦れば、何気なく室井は三日伸ばし続けた無精髭が気になった。
こんなだらしなさに無頓着になるほど、恋に溺れた自分が滑稽だ。
それでも、このだらしなさを見られるのが、青島なら悪くないと思えてしまう。
陽光の加減かと見紛うくらいの儚さで微かに頬が緩んだ室井を、目敏く気付いた青島がちらりと視線を寄越した。
一瞬室井も顔を向け、そして幾分顕然さを戻した室井は、髭から離した手でテーブルの上に放置していたスマホを取る。
沢山の着信履歴がある。
「帰京してすぐだった。鳥飼がいきなり部屋に訪ねてきて、君のことを聞かれた。最初は若さ故の出世争いに無心な男なのかと思った」
「何聞かれたんですか」
「初対面だと言うのにはっきりとこちらの気持ちを――君への道ならぬ想いを言い当ててきた」
「カマかけただけじゃないの」
「いや――ああ、でもそうかもしれない。ただ、警察というあの場所で、そういう発想を持てるということが不気味だった」
「そお?腹の奥じゃ何溜めこんでンだか分っかんないタヌキ、いっぱいいそーな場所ですけどね」
青島の言葉はまるで、室井には別れの餞別のようだった。
鈴なりのような甘い声が、心地好い調べとなって室井の中心を通り抜ける。
清々しい余韻も、少し高めの声も、社交辞令もない若者言葉も、室井の胸を疼かせて、いつだってどうしようもなくさせてきた。
こうして二人で話す時間が大切だった。
同じ未来を語れる幸福に酔いしれた。
腸から沸き立たせられ、エネルギーに満ちた躍動感がそこにはあった。
それを壊したのは、自分だった。
「ワルイひとじゃないと思うんだけどな~」
「そういう連中とは一線を引かせる清潔さが逆に曲者だ」
「で?馬鹿正直に答えちゃったワケ?」
「言うか・・!君にも言っていなかったのに。・・ただ、不意を突かれた間がな・・・空間を読まれたのかもしれない」
「政治取引もヘタクソか!」
「言うな・・!やたら抗弁することが正解じゃない場所なんだ此処はッ」
「言うべきとこは言っとかないと肯定したもおんなじでしょーがっ」
「政治と営業は違うッ」
「結局それで嫉妬してりゃ世話ないよ・・!」
リズムの良い掛け合いはどこか居心地の良ささえ残し、そぐわない意見の応酬であっても、室井に泣きたい衝動を与えた。
自分に対してそんな意識を向けてくれる人間がいるということが、どれだけ大事か、どれだけ貴重か、青島は知らないのだろう。
澱む熱を疼かされ、対照的に、青島はとても、清純だった。
室井にとって、最高で眩しい勇者だった。
みんな覚えておこう。みんな、胸の奥に取っておこう。
最後の晩餐ならぬ、最後の時間が静かに時を刻む。
「どうせこっちは上手くなんか出来ない」
「またそうやって、すぐ拗ねる」
護っているつもりで、最後の最後で護り切れていない。それは室井の悪夢でもある。
これで終わりなのか。こんなところで終わるのか。
自分たちの繋がりとは一体何だったのだろう。
鳥飼は、青島に何を言ったのだろう。そして、二人は何を語ったのだろう。
目頭が熱い。
「鳥飼に接触するつもりか」
「だったら?」
その挑戦的な煌めきは至近距離で見るには息を止めるほどのもので、室井は奥歯を噛み締めた。
呆れたように室井の隣でソファに腕を賭け、横柄な態度で顔を崩す青島は、愛嬌のある顔がそれを不快とさせない。
最早嫉妬なのか配慮なのか、気掛かりの意味すら室井の中ではごちゃごちゃだった。
青島のこの向こう見ずな性格を、他に誰が手綱を取れるというのか。
鳥飼が我が物顔で縛り付けるのを見せつけられるのか。
「まあ、俺の華麗なお手並み拝見しててくださいよ」
「青島、頼むから自らリスクを呼び寄せることはしないでくれ。これは友人として忠告してるんだ」
「膝詰めて話したらイイヒトかもしれない」
「君だってさっき、怪しいって言ってたろう」
「そこは、まあ、ほら」
なにが、ほら、だ。
好奇心旺盛なのにも程がある。
きらきらとした目で事態を楽しみ始めた青島に、室井は自分の失態を呪った。
どうやら逆に青島の天性の勘に火を点けてしまった。
そうまでして拘るからには、青島はそれなりにあの若い男に心を占められているといってよいのかもしれない。
かつての室井と出会った頃のような甘い蜜を室井
に見せつけた。
「・・・勝手にしろ」
それでも、鳥飼とのこれからの未来が妬ましくて仕方なかった。自分にはない未来を持つ彼らが、憎い。
そして、興味を持たれている鳥飼にさえ憎悪を抱かせる。
そこまで考え、ふと、室井はある可能性に気付いた。
ここまではヤキモチからくる妬みだったが、漠然と渦巻く違和感に室井は愁眉を曲げる。
青島は、鳥飼の何に興味を持った?
かつての室井のように、まだそんなに交流がないらしいことは会話の流れから察せられた。
そんなに青島を知っていると言い切れる自信はなかったが、青島が深入りする時は必ず理由があった。
室井は頬杖をついていた顔を青島に向ける。
「おまえ・・・本当は何を聞いた?」
「・・何も?」
そう言ってニヤリと意味深に口端を持ち上げる仕草は、室井をどきりとさせるだけで、真実は語らない。
一瞥するだけで室井は顔を正面へと向けた。
「質問を変えよう。君が鳥飼にターゲットを絞った理由はなんだ?」
「ぇ・・?」
一瞬の流れで青島が視線を向けたその視線を、タイミングを外さず室井が捕らえた。
刹那の交じり合いで、室井が的確に青島の奥へと踏み込む。
怯んだ空気が、一瞬揺らいだのが分かった。
「恐らく君に似たような質問を浴びせた連中は他にもいた筈だ。それだけ私たちは目立つ存在だった。君に下心がないと言い張るのであれば、理由は何だ?」
「あ~・・、それは、ですねぇ・・・」
また青島が明後日の方角に視線を投げる。
結構分かりやすいもんだ。
貴やかな室井のその一瞬の視線だけで、青島が論陣を崩した。
確信を得て、逆に冷静になってきた室井は、まじまじと青島を観察する目に変わる。
あの失態の夜は室井の方が冷静さを欠いていた。
「鳥飼にも、何かあるのか?」
救いたくなるような、切実さが、だ。
そう言えば先程、そんなことを言っていなかったか。
「いえ、うん、・・・あの、」
「どうしてそんな無茶をしようとする。今の君の立場はどうなる。無鉄砲にキャリアに応戦したらそれは一個人の話じゃなくなるぞ」
「お、大袈裟・・」
「昔とはもう事情が違う。君がそう思わなくても周りがそうみる。放り出された部下を見捨てる気か?上司の振舞はそのまま部下の評価に直結するんだ」
「うまくやりますよ、そこは――」
「上手くやれるかどうかじゃない。そういうリスクを背負うという行為が問題視されると指摘している」
「――・・・」
「何を考えている?もう、こんな風に会話する機会がないというのなら、それこそ後生だ、聞かせてくれないか。こちらだって友人だった。心配くらい、した
い」
「あ・・・」
「差し障りのない範囲でいい」
もう一度、今度は静かに問えば、青島は眉を下げて困った顔を見せた。
くしゃくしゃと髪を混ぜ、あちこちに顔を向けて、戸惑いを覗かせる。
辛抱強く待っていると、すっかりと乱れた前髪の奥から、伺うように室井を上目遣いで覗き込んできた。
「そんなふうに言わないでくださいよ・・・」
どこか頼りない視線で観念したように青島が口元を膨らませる。
一転したその表情に、室井もまたうっと詰まって後退した。
「だから、だからね。俺たちはさ、ふたりでひとつなんじゃなかったのって」
「?」
「だからっ!俺だって室井さんのこと、心の奥ではけっこ大切に想ってて、特別なひとで、あんたがいなかったら、俺、ここまで頑張ってこれなかったと思って
いて!」
「・・・・」
「あんたの存在ってすっげおっきいんですよ。だから、失っちゃったら俺、どうなるんかなとか。・・・こわく、なっちゃった」
話の流れが見えず、室井が眉を顰めて青島を見つめる。
「あああ~もぉ、これ言うつもりなかったのに・・!」
横柄な態度から一転し、青島が年相応の幼く覚束ない表情を見せる。
「最初に出会った時さ、あんたすっげー不機嫌な顔してたんですよ。どこか陰気で声も届かないように見えた」
「・・・」
「でも、あんたに触れて、あんたを知って、あんたの生き方を感じて、俺、あんたになら、懸
けられるって思えて」
「・・・そうか」
「楽しかったなぁ。もっとたくさん、話したり、飯食ったり、プライベートのこととか、色々知りたいって思った」
なんだって?
室井の思考は真っ白となった。
思わぬ青島の拙い告白に、室井の回路が切断される。
そんなの、室井だって同じだった。
そういう想いを告白したつもりだった。
丁寧な説明が出来なくて、好きという一言しか口に出せなかっただけで。
それを叶わなくさせたのは、どちらのせいとも言えず、この運命は皮肉としか言いようがなくて。
だから行き場のない鬱憤を受け入れるしかなくて!
「もぉぉ~っ、あんたじゃん!あんたのためだったの!」
「あ?」
「なに、その馬鹿面。俺んこと、頼りないって思ってるカオ」
「ちょっと待て」
「俺だけ独占してるって思えて、そおゆうの、悪くなくって、ちょっと、調子に乗りました」
・・・間違ってはいないが。
「そんなとき、鳥飼さんがあんたのこと、やけにダメだしするから・・・、つい、」
「庇ってくれたのか」
「ろくねんかん、俺、こっちで待ってたのにさ・・!」
「もう、こちらのことなど・・・」
「捨てるわけないだろばぁーか!」
「“ばか”・・」
室井がそう言うと、ちらっと持ち上げた青島の視線に照れがあり、それはどこか蜜がある。
青島は今、自分が何を言っているのか気付いていないんだろうか。
「あんたのこと、鳥飼さんにもバレててさ、そんなスキャンダル、だいじょーぶなのかなとか、なんで俺より先に鳥飼さん知ってんだよとか、もぉごちゃごちゃ
で」
「・・・」
「ちがう、そうじゃないんだよ、俺らは共犯者でしょ。俺はずっとそう思ってましたよ!だから一緒に戦っているつもりだったの!」
「・・・」
「つまり、鳥飼さんのこと、あんたの代わりに探り入れられるかなーって」
「・・・」
「あんた、帰ってきたばかりでまた微妙な立場だったら、またあんときみたいに利用されたり、そしたら今度こそ、あんたは――・ぇ、あ?・・ぅあ・・っ」
突如、静寂を破った大きな音が床に響いた。
室井が青島を組み敷き馬乗りとなっている横で、灰皿が煙を巻き上げ、カラカラと音を立てて回り落ちる。
呆然と青島の大きな瞳が室井を見上げていた。
「抵抗しないのか」
「・・・んなことより・・・、室井さんをこのアングルで見る光景にびっくりした・・・」
「呑気な感想だ」
「どうワザを掛けられたのかも、わっかんなかった・・・すげぇ」
「・・・」
「で。これは・・どーゆーリアクション?」
言葉より先に行動に出る室井を面白がるように、青島が組み敷かれたままに小首を傾げてみせる。
なんかもう、どうにもならなかった。
なんかもう、どうでもよかった。
青島が笑っているのなら。
渦巻く胸の奥の痛みが、鳥飼というキーワードに室井の中で破裂する。
「鳥飼には近づくな」
「なんで?」
「全く君は――無鉄砲と言うか怖いもの知らずというか・・・、痛い目をみないと分からないんだろうな」
青島が起き上がろうと手首を力ませたのが分かるが、効果はない。
室井がしっかりと縫い留め、抵抗できないように長い両足も乗り上げ抑え込んでいるためだ。
体温すら感じる距離に座る隣で、一人甘ったるい告白を続ける青島の腕を取り、室井が足払いをかけたのだ。
脛を蹴り上げ、態勢を崩させた隙に、腕を捻ることでソファから引き摺り落とした。
手早く抑え込まれたその手首は床に縫い付け、室井の影で青島の瞳がやけに婀娜めく。
乱れたワイシャツから華奢な首元が露わとなり内に秘めた肌が透けて見え、さりげなく視線を走らせた室井は
しかし体重を乗せたまま筋肉質の壮美な腕で抑え込み、身動ぎさせなかった。
今、室井の中で鳥飼と対等に奪い合う決意が出来た。
今回、鳥飼が湾岸署と関わることになった時、鳥飼は正確に室井の心情を言い当て、その上で宣戦布告めいた言葉を残していった。
だからだろうか。青島を庇うことばかりに執心となり、青島もまた戦おうとしてくれていることは思いもしなかった。
そうだった。初めから、自分たちは共謀していたのだ。
約束を誓い合ったあの日から。
「言うことを聞いて貰う」
「そんな脅しに俺が屈するとでも?」
「君のことは君より分かっていると思う」
先程の青島の台詞を返してやる。
青島はむくれたように目を光らせた。
「・・あんたいつもそう。理由も言わない、交流も持とうとしない。命令だけ。一人で先走って、俺、あんたのなんなの?」
「何にもなれなかった男だろ」
「室井さんっ、俺たちは・・っ」
「それは、心配してくれているのか。それとも上に立つ才能はないと舐められているのか」
「そんなんじゃないよ!俺はただ鳥飼さんが・・!」
また鳥飼の名が青島の口から出て、思わず室井はだらしなく崩れたシャツの間から覗く青島の艶肌に噛み付いた。
首を傾け、眉を顰めて小さく呻いた青島の声が室井の耳元を淫靡に掠める。
「もし――どうしても鳥飼を見捨てられないというのなら、君を、力づくで奪うから、覚悟しておけ」
「!」
目を見開いた青島は、両手を縫い付けられた状態に抗うことも忘れ、ただ茫然と室井を見上げる。
その無防備でありながら無垢な姿に、室井はいっそ降伏したくなる。
もう、負けでも惨めでも良かった。
青島にトドメを刺してもらえるのなら、この上ない快感に思えた。
ドクドクと血流が滾っているのが自分で分かる。
たった今室井が噛みついた青島の首筋は、紅く血が滲み、室井の印が刻まれていた。
「なんで・・こんな・・・」
「君が――」
それはまるで懺悔でもするように、室井は青島の手首を外さぬまま、その首筋にゆるりと身体を倒し、鼻を埋めた。
息が触れるその感触に、ふるりと青島の甘い肌が震える。
青島の匂いと煙草の残り香と、少しの潮の匂いが室井を泣きたくさせる。
「君の、言うとおりだ。官僚という立場にありながら、時々人の機微を追うのが億劫になる時がある。そんな時は世界中で自分だけ透けてしまったように感じ
る」
「室井さん・・・?」
「おまえが、俺以外の男を見ているのにムカついた。苦しくなる。俺を見ていろと言えるだけの力もないのが、もっと悔しい」
「・・・っ」
「失いたくない・・・」
ピクリと押さえ付けた青島の身体が痙攣したように奮えたのが伝わった。
その温かい手に逆に縋るように、室井は指先に力を込める。
「君なしでは、俺は生きていけない」
愛の告白をされるより、どれだけ室井が嬉しかったかなど、青島には伝わらないだろう。
脅迫しているのか懇願しているのか、いつもの官僚然とした思考回路も失い、何も分からない。
言葉を駆使する職業なのに、また、行動が先に出てしまった室井は、自嘲にも近い笑みをそっと噛み砕く。
青島の前ではどうしてこう、理性よりも先に身体が動いてしまうのだろう。
身体の裡から熱くさせ、疼かせるのだろう。
「鳥飼には、渡せない」
「な、な、なに、・・なに情けないこと言ってんだよ・・!」
「行くな」
「だから・・っ、そやって俺が誰にでもカンタンに靡くと思ってるとこがハラ立つんですよ・・っ」
乗り上げた室井が、何とか逃れようと身動ぐ青島に跨ったまましっかりと四方を固めた。
しまったと言いながら青島が暴れるから、服が一層乱れていく。
「君がいないと、一歩も進めなかった。一人ぼっちだった。人に流されて狂わされる。一人にしないでくれ」
「ッ、わ、悪りぃけど、それがホントなら俺の目も大したことなかったですね・・!ダサッ!」
「・・・」
「俺が・・っ、約束したのは・・!あんたなのに!・・それってそんな簡単なことなわけ・・っ!?ばかにすんなっ」
「でも君は、きっと他の人間でも同じことをした」
「ああそうね!そうかもね!」
「どうすればいい」
「オトコを立てるのが先じゃないの?!話はそれからだ・・!」
「――」
「ぃ、命だって惜しくなかった!それに応えてくれると思ったから俺・・!なのに・・!」
「男か・・・」
薄い口唇を軽く咬んだ室井は、少し口許をもごもごととさせ、ゆっくりと上から青島を見据えた。
この天邪鬼で無邪気なじゃじゃ馬に魅せられる。
「次、鳥飼にいつ接触する?」
「・・は?・・だからッ、なんかどっか外で食事?車出すって言ってたからッ、そん時に・・・」
「車?そんな密室で何をさせるつもりだ?」
「っ、ヤらしー言い方すんなっ、男がみんなあんたと同じだと思うなよ・・っ」
「だったらこの体勢から抜け出してみろ」
悔しそうに眉をしかめ、キャリアのように造られていない華奢な肢体をくねらせ、姚冶に顔を歪める青島が必死に力んでいるのが指先から伝わる。
的確で洗練された室井の締技と重力の利もあり、当然ビクともしない攻防に、やがて青島は息を荒らげ降参したように顎を反らして酸素を求めた。
涼しい顔で室井は呆れた溜息を落とす。
「こんな時は声でもあげて逃げるんだ馬鹿」
「・・くそ・・っ」
「でももう遅い」
「お、俺の・・っ、俺の知ってる室井さんは・・っ、もっと男らしくて、男が憧れちゃうような芯があって・・っ、そーゆー俺の夢壊すなよッ」
室井が薄っすらと笑う。
今、自分たちが抱き合っているものは、同じものなのだと改めて室井は確信していた。
それを恋だと認識した室井と、無邪気に慕うだけの青島との違いでしかない。
お互いがお互いに理想を重ねている。
室井のために何かしようとしてくれていることが、どれだけ嬉しいか、どれだけ誇らしく、また安心させたか、言葉なんかじゃ届かない。
恋だと気付いていないまま温かい愛情を与えてくれる青島が、愛おしくて仕方なかった。
実らない恋でも、これが恋かどうかなんて、その名など室井にとっては最早どうでも良くなった。
黙ったまま雄の微笑を湛える男に、青島が気迫に飲まれ、声を詰まらせる。
室井はそっと顔を寄せた。
何をされるか分かっていない青島は、ただ無防備に目を丸く見開いて室井をの様子を見続ける。
「傍に居ろ」
「――!」
「それだけでいい」
吐く息がお互いの口唇を湿らせ、息遣いが肌を火照らせた。
いつの間にか一人称を変えた室井に、今更ながら成熟した雄が解放され青島を雁字搦めにする。
近づいた顔に今更ながらに青島が顔を背けた。
「こ・・っ、こんなやり方・・っずるい・・っ」
「こっちだって掻っ攫われたくないんでな」
「二人で心中でもしたいわけですか」
「それもいい」
「むっ、無理矢理ヤんのがあんたのセオリーかよっ!?」
「君こそ、にっこり笑えばみんなが自分に股開くと思ってんだろう」
「思ってますよでも!使い処は選びますもん」
室井は娟秀な面に嬌笑を乗せ、その形の良い額を突き合わせた。
「だったら俺に惚れてしまえ」
意地悪な笑みと言葉を零した室井に、目を丸くした青島が息を呑んだ。
無防備となったその濡れた口唇を、室井は強かに奪った。
「・・っ、んっ・・・ンぅ、」
抗議の呻きと合わせてピクリと怺る感触が指先から伝わる。
その指先を安心させるように絡めて握り締め、室井は深く口唇を合わせ直した。
抵抗らしい抵抗は見せず、青島が頑是なく首を打ち振り、押さえ付けられた脚を立てて床を蹴り上げる。
お互い良い歳だ。キスなど挨拶にもならないだろう。
そう思った室井は青島の過去に触れたすべての人間に烈しい嫉妬を覚え、その出遅れた劣等感のまま舌で割れ目を裂くと、蜜やかな奥へと侵略する。
「・・っ、・・っ、・・ふ・・ぅ・・っ」
驚き、目を見開いた青島が、切なげに眉を寄せて侵略してくる肉に咽ぶ。
妄執した強引な愛情は、室井の抱いている感情そのものだった。
他に伝える手段など思いつかない。
「もっと口を開いて・・」
促すように室井が口を合わせたまま囁く。
退けようと逃げるその熱い舌を絡め取り、室井はしっかりと制圧した。
拙い技巧は、恐らく女性対象ばかりだったからだろうと思う。
心変わりをさせる前に、キスを外そうと背ける顔を赦さず、そうしてから室井は柔らかい肉の感触を思う存分蹂躙していった。
甘くて、熱くて、痺れるようで、灼け付き、蕩けそうだ。
何度も吸い上げて舌の淵を辿ってやれば、青島はその都度身体を強張らせる。
感度もいい。
「・・ん・・っ、ん・・っ、・・ッ、・・、」
ねっとりと絡んだ肉の味わいに室井も陶然となり、しつこく掻き回していると、やがて青島はきつく目を閉じて大人しくなった。
くったりと力の抜けた躰に体重を乗せ、室井の行為に委ねてくる開いた口の端から零れる唾液が、美味そうに滴る。
切なげに歪む顔はまるで感じているようで、酸素不足で赤らんだ頬も、婀娜めいて映り、室井の身体を芯から熱くさせた。
五指をしっかりと握れば青島が頼りなく握り返してくる。
その縋るような仕草に、室井の胸はただ愁嘆に軋んだ。
「・・っは・・ぁ・・・っ、ぁ、」
舐めとり、ゆっくりと解放してやれば、青島の目尻は少し潤んでいるように見えた。
伏目となって変わり果てた嬌態を目に焼き付ける。
これを自分がやったのかと思うと脳味噌は沸騰しそうで、乱れたシャツの間から生肌が覗き、滑らかなそこにも舐め回したい衝動にかられた。
青島は息を整えるように顎を反らし、その口唇がふたりの唾液で艶めかしく濡れる。
室井がそっと身体を起こせば、青島もやや遅れて身を上げ、濡れた口許を乱暴にシャツで拭った。
その艶冶な仕草にも室井は雄の劣情が刺激される。
「どうする?殴ってみるか?」
キッと、潤んだ瞳がきつく歪み、室井を睨みつけた。
その鮮烈な輝きに魅入る間もなく、素早く青島がソファに脱ぎ捨てたままの室井のワイシャツを掴み、室井に向けてバシッと殴りつける。
「・・っ、ばぁっか!ヘンタイっっ、AVでオナってろ・・ッ」
何とも中途半端な捨て台詞を残し、青島が部屋を飛び出していく。
思い切りシャツで頭部を叩かれたせいで、室井がのそのそと巻き付いたシャツを剥ぎ取った頃、重たい扉がバタンと締まる音がした。
「・・・・・」
頬がヒリヒリとし、ボタンで皮膚が擦り切れたらしいことを察した。
室井は青島が残した擦り傷をそっと人差し指で辿ってみる。
組み敷いた柔らかい温かさも、思わず奪った口唇のふくよさかも、全部が鮮烈な余韻となって室井の全身を痺れさせている。
当分消えそうにない淫靡な熱は、そのまま室井の足の力を吸い取っていった。
「・・腰が抜けた・・」
一気に緊張から解き放たれ、室井は赤らんだ頬を隠すように横を向き、片手で口元を覆った。
今頃その手は震えを見せ始めた。
なんって男を狂わせる男なんだ。
また逃げられた。
一度目の悲痛な顔で去っていった一昨日の夜。
二度目の羞恥して潤んだ目の今朝のこと。
嫌われてなかった。呆れられてなかった。青島は室井を見捨ててなんかいなかった。
両想いになるより嬉しい置き土産に、室井は酩酊を覚えたまま、バタンと後ろに倒れ込んだ。
まだ集め損ねていた空缶が、コロコロと転がっていくが、もう奈落への合図には聞こえなかった。
happy end?

懐メロシリーズ。昭和名曲「六本木心中」なふたりです。
ぐれた室井さんを描きたかった。
青島くんはあっさり落とせません。
きっとこの後再会した室井さんに散々悪口叩いて、「もうおまえ煩い」とか言われて、また奪われちゃったりね。
ノーマルな青島くんを口説くお話は以前も書きましたが、男同士なのに割とハードル低くなっちゃうのは公式室井さんなら誰もが納得するところです。
でも青島くんって無類の女好きな気がするので、前途多難なのではないでしょうか。室井さんには頑張ってもらわないと。
室井さんも自信過多な男ではないので、恋敵が出てきたら内心絶対焦ってたと思います。
微妙にすれ違っているんだけどらぶらぶなかんじに仕上がったので、この辺で止めました。
20191027