第三者からみた室井青島。擦れ違いらぶ。女の子バージョン。室井さん視点。






トライアングルⅡ





「ん、電話だ」

ちょっと、と言って片手を上げて青島が席を外れるのを室井が肯べくことで応えると
青島が通話を始めながら障子の隙間より出て行った。
そのまま、真向かいの恩田すみれが、消えた背中が戻るかのように扉の向こうの影を追ったままなことに気が付く。
何となく視線を外せないでいると、こちらの視線に気付き、ひょいと肩を竦めてみせた誤魔化すような仕草が、妙に心に引っかかった。

「どこにいても忙しない男ね」

さらりと流れた黒髪を追うように、室井の興味も流して、カシスソーダの緋色の液体を反射する。
店内は少し仄暗い。
急に辺りが鎮まり返った気がし、室井は尻の座りが悪くなった。
元々女性と気軽に声をかけあえる性質ではないことを、こういうところで知る。
青島を不覚にも尊敬する瞬間だ。

「いつかは変わっていけるのかしら」
「あれは変わらないだろう」

窓の外には東京夜景が広がっていた。
新宿高層群と東京タワー、その奥手に六本木ヒルズが紅く闇夜に点滅している。
藍色の都会にビーズが幾つも敷き詰められ、完全に闇に沈まぬ都会の宙に目を移せば
室井の漆黒の瞳に深く広がった。

青島と酒を呑む約束をして、気紛れにその席にふらりとすみれが加わる様になってから、そろそろ五本の指を越える。
乗り気じゃない彼女を同席させてくれたのは、恐らく交友関係の乏しい自分への、青島なりの配慮だと考える。
無論悪い気はしていない。

「気になるか?」
「先月達磨で打ち上げがあったの」

突如始まった、彼女の脈略のない話は、そろそろ慣れてきた。

「こんな風に青島くん、一人で席抜けて戻ってこなくてね。どうなっていたと思う?」
「さあ」
「ナンパ。こっちが心配して探しに行ってみれば女の子たちに囲まれて笑ってるの。目が離せる?」
「・・確かに忙しないな」
「でしょぉ?」

すみれがにこっと屈託ない笑みで微笑んで、青島が消えた扉を見る。
その笑みは、室井に向けたものではなく、ここにはいない青島へ向けられたものなのだろう。
二人の絆がチラリと覗き、疎外感を覚えた。

「んでね、そのあとお客さん同士が揉める騒動が起こってね」
「君らの周りは何かが起きる」
「あたしのせいじゃないわ」

じゃ誰のせいだと思いを巡らせ、恐らく同時にお互い同じ人物を脳裏に描いたのだろう、目配せで意思共有をする。
そこに、さっきまですみれの瞳に浮いていた哀色は、もうない。
何となく室井はほっとして、酒を口に運んだ。

「それで、和久さんが青島くんに止めて来いって言ったの。止めたはいいんだけど、青島くん、派手に投げたからお店のグラス割っちゃって」
「・・・・・・・・何故投げる」
「そこは説明すると、更に長くなるんだけど。聞きたい?」
「聞かない方がよさそうだ」
「賢明ね」

席ごとに仕切られ、商業ビルの一角にありながら堅苦しさがない個室スペースに、すみれの声だけが鈴なりに零れていく。
彼女の声は高めでクリアで、少し、意地悪だ。

この店は以前青島と店探しをしていた時に見つけたものだ。
霞が関からも台場からも離れていることが気に入っている。
同僚と飲む夜もあるが、仕事を離れて飲みたい夜もある。
そんな時、青島は相手役として打ってつけだった。

プライベートまで職場の人間とかち合いたくはなかったし、交友関係で無粋な噂を立てられたくもなかった。
公人として生きていく人間は、公人として振る舞う義務を課せられると同時に、交友関係にも慎重にならざるを得ない。
恨みを買い易い官僚という立場が、相手に与える凄惨な副作用で思わぬ悲劇を生むこともある。
好みではなく、選ばなければならない室井の、事情を知ってて仕事にも知識があり、身内でないポジションの人間は探すのは、流石に容易ではない。

そこにすみれが加わったのはそんな偶然からだったが、特段、煩わしさを抱くことはなかった。
何故火曜の夜だけすみれが来るのかは、聞いたことがない。
少し不思議な繋がりの三人の飲み会は、回を増すごとに馴染み、甘たるく室井の境目を失わせつつある。

「だから、何となく・・・デジャブっていうの?ちょっと色々思い出しちゃっただけよ」
「そうか」

その色々とやらが、どこを指すのかは、はぐらかされた気がした。
でも室井は敢えて聞くことは避ける。

鶏ささみとクルミの春野菜サラダをフォークで取分け、シャクリと頬ばった。
咀嚼しながら窓の外を見るすみれの虚ろな瞳に映るのは、その日の青島なんだろうことだけは、人に疎い室井にも理解できた。
一々、二人の繋がりが室井の眼前にチラつく。

「一緒にいると、楽しいんだけどね、青島くん。飽きないし」

そう言ってすみれは静かに微笑んだあと、今度はじぃっと室井を探る様に見つめてきた。
見透かされそうな強い眼差しに、室井はウっと顎を引く。

「聞いてる?」
「・・・聞いている」

ぷくっと頬を膨らませてみせ、すみれが今度はグラススティックを掻き回した。
白百合の指先に塗られたベリーピンクのマニキュアが、カシスの色に合わさり良く映えた。

少し胸元の開いた女性らしい服装が女のふくよかさを思わせる。
いつもの彼女というものをそれほど知る訳ではないから、比較にもならないが
もしかしたら今日のために、正確には青島と出かけるために、こうして拵えているのかもしれない。

だからこそ、こんな風にいきなり二人きりで置き去りにされると、途端掴めなくなる距離感が、二人の間に漂う。
何とか笑わせてやりたいと思うのは別に、悪いことじゃないだろう。
耳鳴りがしそうなほどの沈黙を怖がるように、すみれもまた紅いカシスを瞳に映りこませながら、濡れたルージュの口唇をきゅっと引き結んだ。

「・・・言いたいことがあるなら、言っていい」

つまらなそうにでも見えてしまったんだろうか。
精一杯の相槌を返すと、すみれは少し驚いた顔をした。

「室井さんはさ、どうして青島くんなの?」

何ともアバウトな質問だった。
深読みするほどに色んな解釈の出来る奇妙な質問を、あっけらかんと聞いてくる女に、室井は戸惑い、質問を避けるタイミングを奪われた。
眉間が自然と寄り、薄い口唇を引き結ぶ。
遠慮ない物言いは、どこか青島を思わせる。

「あ。またここ寄せてるぅ~・・・・」

すみれが頬杖を付き、微かに首を傾げて、左手で自分の眉間を指して見せた。
さらりと頬に掛かるストレートの黒髪が、すみれの華奢に尖る頬を空気を含んでふわりと撫ぜる。
先日の寿司屋のことが、室井の脳裏にフラッシュバックした。

「そんな顔ばっかしてると、いつかそんな顔になっちゃうんだから」

ブラウスの、左の袖口から覗く硬質のものを視界に留め、はぐらかす意味も込め、室井は小鉢を手に取った。
あの時の、彼女の目は女だった。

「何故そんなことを聞く」
「室井さんが言えって言ったのよ」
「主旨を明確にしないと君の希望に添えない」
「答えたくないの?」
「君の質問は的を得ない。何を聞き出したい」
「そうかしら」

すみれがつまらなそうに視線を反らす。
彼女の真意とノイズが、カシスソーダの泡に溶けていくようだ。
しゅわしゅわと上がる泡は、音もなくグラスの中で四方に弾ける。

「君こそ何故青島なんだ?」
「えっ?」

それほど意外な質問だったのか、すみれがパッと顔色を変えた。

「特別な意識・・・信頼を置いているだろう?」
「そりゃ同僚だもん」
「・・・・、以前、その時計を別の所で見たことがある」

チラリと視線だけを動かし、すみれの左の手元に走らせると、室井はこれ以上の威圧を彼女に与えないため、お猪口を口に運んだ。
ゆっくりと喉を潤し、口を開く。

「カクテルに合わせたマニキュア、少しフリルの多いブラウス、スカートはレース地。恐らく今日ここに来るだけのために着替えた。なのに時計だけミスマッチだ」
「・・なるほど」
「肌身離さず付けているということになる。・・・・青島から貰ったものだろう?」
「良く見てんのね・・。室井さんってさ、今日の化粧の良し悪しとか言い当てちゃうタイプでしょ」
「女は観察をしてもしなくても文句を云う」
「モテないわよぅ」
「一人にモテれば充分だろう」
「それ、今どき通用しないわよ」
「気を悪くしたか」
「そう言っちゃうところがね。青島くんならもっとスマートなんだけどな」
「あれは口が達者なだけだ」

くすっとすみれが笑って、グラスを口に運んだ。
カランと氷が鳴く。
口で言うほど、すみれは怒ってはいなさそうで、室井はそれも不思議な気がした。
女の気持ちというものは、本当によくコロコロと変わる。

だが、思えば彼女とこうして話すのはこれまでも幾度かあったし、その度に彼女は室井の声を聞いていた。
耳に届くか届かないかのBGMが、ようやく室井の耳にも聞こえ出した。
余所の部屋のざわめきも、会話の途切れた未熟な二人の間を繋いでくれる。
でも、この温い空気が心地好いのか刺激的なのかは、判然としなかった。

「あいつはああいう男だから、頼られればどこまでも応えようとする。だから、君の憂鬱が理解出来ないわけじゃない」

ややして、室井がぼそりと呟けば、真向かいですみれも少しの間を選んだあと、苦笑を覗かせた。

「お詫びに教えてくれる?」
「何を聞きたい」
「何で青島くんだったの?室井さんだって青島くんに〝特別な信頼〟を置いているでしょ?」

また最初の質問に戻ってしまった。
まいったなと、室井が瞼を伏せる。

出会ってから数年の月日が経っていた。
今更という疑問。
それよりも、それをどうしてすみれが言い当てるのか、そこが気になった。

先日の寿司屋で、室井と青島の食事に夏美とすみれが同席したことが意味を持って過ぎる。
あの日、あの時見せ付けられた二人の距離感に、男女以上のものを感じ取ってしまったのは、人が持つ防御反応なんだろうか。
恐らくあの時、すみれもまた、室井の心の襞を嗅ぎ取った。

「ああんなふうにさ、慕われちゃってさ。室井さんの下に付くこと、嬉々としてて、むしろ楽しそうで、誇りにしてるじゃない・・」

あの風の強い、澄み渡る青空の秋。
無線で聞いた、青島の言葉は時を経た今も室井だって耳に木霊している。あんな大勢の前で。あんな惜しげもなく。あれほど直向きに。
“リーダーが優秀なら、悪くない”
焦げ付くほど慕われて、今も持て余し、言葉に出来ない滴る毒となり、室井を腐蝕し続ける。
何故?そんなのは室井が聞きたいくらいだ。
どうしたらいい?その答えは探るほど掴めない。

「いつかね・・・一度くらい、聞いてみたかったんだ・・・。でも・・・・何て聞いて良いか分かんなくって」

自分でも分からぬものを、こちらとて、他人になどとても説明できそうになかった。
それでもその質問はきっと、すみれの中で長く胸に燻り、でも閉じ込めてきたのだろうことは、察せられた。
閉ざした理由は、やはり青島のためなんだろうか。

「あたしが知っちゃ、だめだった?踏み込み過ぎた?」
「いや・・、」

すみれの腕先で時計がそっと光る。

小さな腕時計に答えを委ねるすみれがいじらしく思えた。
こんな他愛ないもので、必死に繋ぎ止めているその想いが幼く、そして閉塞だ。
そこに救済を結晶させる青島もだ。
小さな世界で窓から外を窺う少女が、本庁の中で息を詰まらせていた自分と同じに見えた。

全く、青島は何をやっているんだ。
暫し考え込んだ後、まるで昔語りをするように、室井は深く息を吸ってから口火を切る。

「何と言ったらよいのか、分からないんだ。本当に」
「言ってみて」
「・・・初めは反発だった。奇縁で降りかかるものに、嫌ではないのだが確かに抵抗があった。
 だがやがて掻き回される度に自分の中の何かが共振していることに気付いた。悔しさに近い」

セピア色となってしまった記憶を手繰るように、室井が語るゆるりとしたものを、すみれはただ零すまいとするようにじっと見つめていた。

「燻っていた私の戦火を防ぎ、消えていくところだったものを灯してくれた。キャリアとしての命の恩人とも言える」
「確かに私の知ってる室井さんは情状酌量の余地もなかったわね」
「虚勢を張っていた。それは真の強さではなかった」
「一人追い詰められてく感じ。内にも外にも棘だらけ。とっても生き難そうだったわ」

大理石で光るあの大階段の下で、二人で約束した。
視線と冷たい冬の空気が、身を引き締め、何より確かな熱を孕んでいて、交わしたものは、言葉だけじゃなかった。
・・・そうだ、その時間も、秋夜の擦れ違いも、そして自販機の熱も、彼女は何も知らないのだ。
そんなものを、理解してもらおうだなんて方が、無茶なのかもしれない。

「青島くんに救われたの?」
「救う、というのは少し違う気がする。だが他に上手く当てはまる言葉がない。・・・・そういうことになるのかな」
「ふーん・・・・、ムズカシイのね」

うだつが上がらない自分に、確かにあの頃は焦っていた。
室井が青島を想う時、そこには怒りと喜びがごっちゃになっている。
だが、この仕舞い込んだ心の違和感を、目の前で邪気なく見つめる彼女なら、どうしてか理解してくれそうな気がした。
考えてみれば、すみれとは青島よりも付き合いは長い。

「ね、そゆこと、青島くんとも話した?」
「・・・・言えるか」

不貞腐れたように横を向き、酒で誤魔化す室井に、すみれの眼がパッと綻んだ。
その花が零れたような空気を思わず見入る。
照れくささはすみれにはお見通しで、ワイルドキャットの名にふさわしい栗色の瞳が悪戯気に色付く。
すみれは肩を竦めてくすっと笑い、肘を付き、身を乗り出した。

「ね、青島くんと二人でいるとき、どんな会話してるの?」
「どんなと言われても」

興味を引いてしまったようだ。しまったなと思いつつ、室井が口唇を尖らせる。

「いっつもね、青島くん、室井さんと二人で飲んだ翌朝はすぐ分かるの。満足しました~って顔してとってもご機嫌なんだから。悔しいわ」
「悔しいのか」
「悔しいわ」

あっけらかんと認める彼女の潔さは、逆に室井には心地好い。

「室井さんから見た青島くんってどんな?二人っきりでもあのまま?」
「そう・・・だな、俺んときは・・・もう少し、静かで大人しいか」

つい一人称が変わったことにすら気付かず、室井はいつも隣にいてくれる男のことを、酒の水面に映し出した。

「聞き役というか相槌を打つのが上手くてな、主導権がこちらにあってもいつもしてやられる」
「へえ~・・・」
「つい喋りすぎてしまって」

室井が話す青島の話を、すみれが物珍しそうに、耳を傾ける。

「ちょこんと、子供みたいに前に座って・・・・じっと聞いているんだ」
「想像出来ちゃうわ」
「何が楽しいんだと聞いたら、全部楽しいと答える」
「・・男同士ってどんな会話なの?」

同じ人間を語り合えるという幸せは、室井は味わったことがない。

「そんなことが知りたいか?」
「知ってみたいわ」

ぽんぽんと飛び出すなんともざっくばらんな台詞。
怯まず畳み掛ける無邪気な追求に、室井の方が苦笑する。

「こうして三人で散々話しているだろう?」
「全然違うと思うわ。そうでしょう?」
「君たちが普段話している内容と然程変わらない」
「んん、青島くんはだめ。彼、女子会にも溶け込んじゃう人だから」
「そんな感じだな」
「えっちな話とかする?」
「・・・」
「あ~~、するんだぁ。やーらしー」
「・・・・しない」
「ふぅん?」
「本当だ。女性の話をしたことがないとは言わないが、その手のことはほぼ一方的に向こうがくっちゃべってんだ」
「あー、青島くんに押し付けちゃうんだ・・・、でも確かに室井さんが率先して猥談するイメージはないわね。死体も女も一律にされそう」

少年のような執着は妄執と言って差し支えないほど自我に偏っていて、ひと度公の場に出れば口にするのは気恥ずかしく、泡沫だ。
室井が青島を求める源泉は、決してそれだけではない。
もっと根の深い所で、熟れるような爛れるような、足りないものを見せつけられるような飢えが、室井をいつも息苦しくさせる。
きっと彼女はそんな室井の浅ましい欲望も幼稚な背伸びも、想像すらしてもいない所から問い掛けているのだろう。

室井は矛先を変える意味を込め、指先を伸ばし、黒の徳利から手酌した。

「室井さんってお酒呑んでも変わらないのね」
「そんなに入れてない」
「嘘。結構な量は行ってるわ」
「酒に呑まれるようではキャリアは務まらない」
「青島くんも言ってた~・・・。幾ら呑ませても仁王像が座ってるみたいに背筋伸ばしてるって」

期せず聞かされた青島の主観に、室井の顔はは仕方なさそうな、やんちゃな子供を慈しむようなものになる。
その顔にすみれが少し目を見開いた。
何かを思いあぐねるようにすみれの視線が宙を彷徨い、それから伏せられたことに、室井は何かの失態を感じた。

「・・君の時はどうなんだ」
「あたしたちは・・・いっつもバカ言い合っているけど、所詮、職場だから。背中合わせでね」
「だから落ち付けるんだろう」

図星だとでもいうように、すみれが背凭れに背を預け、少し身体を戻す。
視線を窓の外に向けた。
長い睫毛が作る影が頬にかかる。
物憂げな表情は、美しいが見る者を何故か苦しませた。

「・・・正解。たぶん、わざとなの。青島くんって女の子には女の子扱い出来るくせに、相手が何を求めているかを察して接し方を変えちゃうの」
「妬けるな。私にそういう気遣い方は出来ない」

くるりとまあるい瞳が驚きに艶めいて、すみれのやるせない揄いの色に、ドキリとさせられる。

「ねぇ、今、どっちに妬いたの?」
「・・・・・・想像に任せる」

しばらくじっと交差しあい、静かで強かな攻防の、勝敗はアルコールに負かされる。

「ねぇ、他には?」

他も知りたいわ。
そう、どこか絞り出されたすみれの声は、少し震えているようにも聞こえた。
全てを聞き出し破滅してしまいたいような悲愴なニュアンスにm室井はどうすることもできず、会話を続けていいのかを、逡巡する。

「優しいよね」

答えを持たない室井に焦れ、すみれが脳裏に浮かぶ愛しい男の面影を確かめるように呟く言葉は、室井の胸も震わせた。
ああ、そういうことか。
哀しいほどに焦がれる想いが、シンクロする。

「それがあいつの本音だと思うか」
「――やっぱり。気付いているんだ。・・・人に尽くしていくうちに青島くんのホントの本音が隠れちゃうの」
「こちらは所詮、キャリアに護られ、出来る範囲でしか動かない。だがあれは、自分のキャパを知らないだろう。それに、意外と・・ナイーブなところがあるから」
「良く見てるのね。妬けるわ」

チロリと上目で室井が視線だけ投げる。

「――どちらに」
「ご想像に任せるわ」

また、はっきりと同じ色を乗せた二つの視線が交差した。

青島が席を外していたからか。それとも朧に浮かぶ灯りのせいか。
今夜の誂えた夜のせいか。
隠している野暮ったい感情も、泥臭い焦燥も、粗野な弱音も、今はあけすけに曝け出させてしまう。

彼らは同じ場所で戦い、互いを理解し合い、支え合い、認め合っていた。
魅せられて、振り回されて、掴めないもどかしさに地団太踏んで、それでも言い尽くせないほど救われたのは、室井もすみれも同じだ。
歪な距離感に未だ戸惑う未熟さが、逆に二人の意思を苛烈に浮き上がらせ、緊張感を齎せた。

「青島くんが懐くわけだわ」

彼女の気持ちに気付くと同時に、自分の往生際の悪さを、室井は思い知った。
自分たちは同じだった。
胸の焦燥も、心の欲望も、心拍数も。そしてそこから得た、結論も。
すみれの古い恋の結末は、噂で聞いたことがある。
それはどこか、古びた自分の哀調と混ざり合う。

「ちゃんと捕まえておかないと、青島くん、消えてっちゃうんだから」

お互いの嘘と本音がアルコールに溶けだし、相手の本音を見透かし合いながら、確かな言葉を告げない戯言に、酔わされていく。
何かを我慢して粗暴な中に大切な物が暈されていく気がして、この息苦しさの正体が、二人の間に同じ答えを浮かばせていた。

「君もだろ」

それはさっきと逆で。掠れた吐息で室井は返した。
男の声に、すみれがしっとりとした眼差しを向ける。

傷を舐め合うことは、したくない。
踏み込めないだけの葛藤がある。
それを、彼女は責めている。同じように、室井が彼女を責めるように。

―とっとと決着を付けてしまえばいいものを―

「意地悪ね」

上目で睨んでくるすみれに、室井は少しだけ口端を滲ませた。

「嫌なら捕まえておけばいい」
「しないの?」

室井が眉を下げ、力を抜く様に溜息を落とす。

「――、君の方が意地が悪い」
「引っ掛かる方が悪いのよぅ」

笑ってはいるが、室井にはすみれが泣いているように見えた。
凛とした背筋を伸ばしたまま、すみれが朱い口唇をゆっくりと開く。

「トップに立たない内から護りに入らないで。欲しいなら欲しいって言ってみなさいよ、見てて息苦しいわ」
「何故君が苦しむ」

その息苦しさは、室井も知っているものだった。
早く引導を渡してくれとせがむ、焦りさえ、手に取るように同じものだと判る。
長いすみれの睫毛が、黒々とした影を赤にゆっくりと落とした。

「――・・・、なんでかな」

欲しいものはただひとつなのに、そのひとつが、届かない。
そのひとつが、こんなにも遠い。
それでも、青島を通してすみれと繋がるこの時間は、すみれ個人と向き合っていた時よりも、深く色づいているのは、どうしてなのだろう。
あの頃見えなかったものが、今は見える。

もどかしさのままに、室井は奥歯を噛み締めた。誠実であることだけが、室井の出来る、唯一の贖罪だと思った。
全てを背負う覚悟で、室井は官僚然とした顔を向ける。

「逃げられると分かっていて手は出せない」
「いつか、捨てる?」
「――、・・・道連れにはしたくない」

明答を避けるかのように、室井の視線も外の都会を映す。

「キャリアだわ」
「上官として言ったわけじゃない」
「じゃあどういう意図で?」

室井はただ黙ってすみれに視線を戻した。
やっぱり言わなくていいと、すみれが首を振る。
聞くのを怖れるすみれが、いじらしかった。だからこそ、苛立ちもあった。
何故さっさと捕まえない。何にも懼れるものなど君にはないのに。
きっとそれこそが、同族嫌悪というやつだ。
同じ理由で尻込みするその原因が、その程度でと責め、だからこそなのか、そこに微かな違和感を室井に残した。
室井はその疑懼の念をゆっくりと巡らせる。

「嘘ばっかりね」
「ああ」
「・・・同じね」
「・・・そうか」

ふるふるとすみれはまた首だけを振った。
月灯りが映り込むテーブルに濡れてすみれの瞳が更に深まっていく。
会話は途切れ、長い沈黙が続いた。

グラスの水滴が造った水たまりが映る。
すみれがテーブルの隅にある使い捨てナプキンに手を伸ばした。
一瞬早く、意図を察した室井の指先がそれを取り上げ、すみれに差し出した。
ゆっくりと、すみれの指先が伸び、端を掴む。

が、室井は指を離さなかった。

触れられてもいないのに、二の腕を掴まれたような錯覚に、すみれが怯えた目を上げる。

「放して・・」
「君は、そうやって、すぐ、視線を逸らすんだな」
「そんなこと――」

先制されたことで、視線を下げることさえ奪われたすみれが、困ったように息を止める。
藍色の窓に映る二つの影は、もどかしい距離を保ち、かなりの間、動かなかった。
じっと紙ナプキンを中央で持ちあったまま、二人の視線が重なる。空気が絡まり、耳鳴りがする。

「どうやら色々思い違いをしていた」
「なんの、話?」

室井の瞳は厳かなままにすみれを捕えていた。
そして、彼女をこれ以上傷つけずに済む方法を、間違えたのだと理解した。

「本当はもっと、喚きたい時もある」
「・・・・そう」

すみれの気持ちが透けている。
それが今夜は切なく沁みた。

「不器用だな・・・お互い」

曝け出された男の気品と気格に、すみれは女の顔をした。
それは、たおやかに艶めく。

「なんか・・・ずるい、わ」
「そう、か・・・」

室井はゆっくりと手を放した。
宙に浮いたままのすみれの手が行き場を失う。

すみれを護りたいと思った。
なのに、動かない青島も渡せないと思った。
随分と身勝手な男だ。誠実な態度がどっちつかずの罪となる時もあるのだ。
だが、ここで同情したってきっと彼女は喜ばない。

強い情熱と信愛を持って、青島の傍を離れない。そこに一欠片の甘い希望があるように思えた。
そんな希望を見せられるなら、すみれの燻った過去も、きっと救われる。
二人の男の生き様が、すみれの希望なれるかもしれない。

「もし――、私が」

そこから、しかし、先を告げることが出来ず、触れることも出来ず、室井はすみれの瞳をただまっすぐに見返した。

可能性でしかない答えは、まだ真実でも現実でもない。
また傷つけて、また泣かせてしまうだけだ。

まだ言いあぐねる室井に、すみれは一度瞼を閉じ、息を吸い、もう一度室井を見た。
その瞳は強く、責めているように、灼け付く。
カシスを映す瞳がまるで、情熱を仕舞いこんでいるように錯覚させてくる。

「もし、はないの。女はね、ずっとこのままでいたいだなんて甘えたこと言ってらんなくなる日がくるの。夢ばかりを追えないわ」

言い当て、確かに捕まえたような気がしたのに、だが、すみれの聡明な瞳からはもう、何も溢れることはなく、綺麗に仕舞われた。
だから。
これだから、女という生き物は。
消えてしまいそうな彼女に、室井はせめて最後の誠意を届ける。

「ただ、隣に立つ選択肢も・・・悪くないと・・・今思った」

〝隣に立つ〟
その言葉が、果たして誰と誰を指していたのか、それをすみれに手繰り寄せさせぬまま、室井も口を閉じた。


*:*:*:*:*


「おっまたせでしたぁ」

扉が開くと同時に新鮮な空気が澱んだ薄闇に湧き上がり、急に華やかな喧騒が戻ってきた。
途切れた沈黙に、室井はこっそり安堵の息を吐く。

「待たせすぎ。遅かったじゃない。おかげさまで室井さんと話しこんじゃったわ」
「へえ、どんなこと?」
「おしえなーい」
「けちぃ。・・・んで?」

すみれの隣にぽすんと腰を下ろすと、青島が室井に視線で促した。
だが室井も素気なく無視をする。

「悪いが席を立った自己責任だ」
「ええぇえぇぇ~・・?俺、ついでにアレ頼んできたのに!」
「そうか。なら合わせて――」
「ん、平気です、そう言うと思ってそっちも言っときました」
「・・ありがとう、抜かりないな」

ふっと甘い吐息を苦笑と共に口唇に浮かべた室井を横目に、青島がアイコンタクトで口端を持ち上げる。
今度はすみれが青島の袖をちょいと引いた。

「ねぇ、アレって何?」
「ふっふっふ。秘密~」
「教えなさいよぅ」
「すみれさんが教えてくんなかったんじゃん」
「けちっ」
「来たら分かるって」

呑みかけだったグラスに手を伸ばし、青島が軽くテーブルの上の小皿に目を走らせる。

「あ!ツマミがない!」
「自業自得」

世話好きなのか、甲斐甲斐しいのか、青島が空いた小皿を戸口前に手際良く下げていく。
そしてもう一度促しの視線を室井に送った。

「んで?」
「別に」
「そう、別に」

すみれも同調する。

「俺だけ仲間はずれ?」
「大したことは喋ってない。私の方に分があると確認しただけだ」
「「!!」」

並んで揃って青島とすみれの息を止めさせることに成功した室井は、一人涼しい顔で酒を口に運んだ。






Happy endにはほど遠い

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室井さんがすみれさんの本音に気付いてしまうお話

20160504