登場人物は室井さんとすみれさん。結構若いふたりをイメージしてました。室青の絡まないお話。






予定外の号外





「あら、やっぱり室井さんだったのね。下にお迎えの車が停まってたからさ。・・・・帰るの?」
「まだ本庁に仕事を残してきている」
「ご愁傷さま」
「・・・・・」
「ねぇ、今度奢ってよ。官官接待の街に行ってみたいわ」
「君は――・・・、もう少し歯に衣着せる物言いが出来ないのか」


黙視で背後の部下たちに先に車で待つよう促し、室井は言葉を繋ぐ。
湾岸署で、恩田と室井の仲もまた知れたものであるだけに、部下たちも一礼して通り過ぎていく。
それを横目で見ながら、すみれはむくれて見せた。


「なによぅ、縁談持ちかけているんじゃないんだからいいでしょー」
「大差ない」
「銀座外して、敢えて青山、でしょ」


ワイルドキャットの瞳が、ふいに鋭く光る。

「聞いたわよ。池神局長の縁談話。ついにあの人も本腰入れてきたのかしらね」
「・・・・何故その話を君が知っている」
「うちの署長が」
「・・・・・・」
「受けないの?」
「断るつもりだ」
「うっわ、もったいない!いいとこのお嬢さんでしょう?ブスだったの?」


ぽんっとポップコーンが弾けるようにすみれが両手を広げると、室井の顎が少し上がり、煽られた感情が瞳の色を変化させる。
煽られた――それは彼女に対するポーズだったかもしれない。


「・・・・、肩書きで嫁がせる訳には」
「キャリアなんてみんなそうじゃない。お見合いのシステム真っ向から否定してどうすんのよ」
「他人の人生を一生縛り付けるシステムだ」
「重っ」
「・・・・」
「・・・・好きな人でもいるの?」
「――、結婚を考えているような相手はいない」
「つまり好きな人はいるんだ」
「・・・・・」
「わっかりやすっ」


猛暑の風の中で、すみれがからからと笑った。
徐に、持っていた紙パックのフルーツジュースにストローを刺し、ちうぅと音を立てて吸う。

「室井さんでも人並みに恋をするのね。想像出来ないわ」


じいぃと見つめる黒目がちな瞳は、無垢で純粋ながら、何者も逃がさない刑事の眼でもある。
遠慮の無いその距離感に、返って温かみを覚え、室井はここにきてようやく肩の力を抜いた。
最も、その小さな変化を感じとれる人物は、滅多にいない。


「別にそういう相手ではない。今は仕事に集中したいんだ」
「つまり片恋なのね」
「どうしてそうなる」
「室井さん程のキャリアでも、恋は平等だなんて、夢が冷めるわ。・・・見込みないの?」


無邪気に、多勢は聞けない所まで踏み込む遠慮のない口調は、冷淡な印象の強い室井には一線引かれることも多い環境の中、珍しい。
すみれの小鳥のような鈴生りの声が、まるでここだけが切り取られたかのような別空間を錯覚させた。
あどけないまま、清水のように室井の懐へと浸み込んでいく。
湾岸署の喧騒も、埃臭い空気も、今は届かない。
この娘は最初からそうだったなと思い出し、室井はチロリと視線だけ向けた。


「・・・ないな」
「告白はしたの?」
「してない」
「なにそれ。動きもしないで手を拱いているだけ?だっさ。・・・・それじゃあ、纏まるもんも纏まらなくなるわよ」
「纏まるような相手ではないんだ」
「つまんない」
「なんだそれは」
「何処までも追い掛けて手に入れて見せなさいよ~男でしょー。何度だって降り向かせてみせる!くらい言って欲しいの」


夢が壊れたと呟くすみれを、室井は寡黙に見つめ返す。
蒸し暑い夏の太陽がすみれの肌を汗ばませ、緑陰の影にしっとりと見せていた。
恋の甘酸っぱい部分だけを一心に見つめるその少女のような視線が、青く瑞々しい。
少しだけ羨ましく思えた。

そんな室井の視線に気付き、すみれが突如、儚く笑った。
何だろうと思ってそのままじっと見ていると、その笑みはやがてさらりと流れるストレートの黒髪に隠される。


「そうでもないか。言わなくても済むならその程度の恋なのよ、なんて若い頃は思っていたけど、大人になるにつれ、色んな事で言えなくなるよね」
「――」
「そんな恋なら、したくないよね。でも恋って頭でするものでもないのよね・・・・。上手くいかない、ね」
「君も、そういう恋をしているのか」


ひょいと顔を上げ、すみれが室井を下から覗き込む。
物憂げだった表情は一瞬にして隠された。くるくる変わる表情は、本当に気紛れな猫のようで掴みどころがない。
女は魔物と言うことか。
室井は、節度ある女の少しだけ強がりの覗く顔に、逆に穏やかに凝り固まった心が解れるのを感じた。

人は誰しも言えない涙を笑いに包み、ちょっぴり救われる。


「あら、心配して下さるの?意外にお節介なのね」
「社交辞令だ」
「だったらエリートキャリア紹介してくれると助かるんだけどな」
「私の周りで君に見合う男はいない」

見合わせて微笑んだ二人の間を、蒸し暑い夏の風が、蝉の声と共に通り抜けていった。



***


「あ、室井さんだ。こんばんわ」
「少し時間取れるか」
「え?私?青島くんじゃなくて?」
「君だ」
「いいけど・・・・何?」

くるりと椅子を回転させ、すみれが向き合うと、室井は硝子扉に直立したまま口を開いた。

「一応、君には報告しておく義務があるように思えたので言っておく。・・・・玉砕した」
「ギョクサイ?・・・・って、何の話・・・・え、あ!まさかこの間の?」
「ああ」
「うわぁ・・・・言っちゃったんだ」
「ああ」
「断られちゃったんだ」
「・・・ああ」
「あららら・・・・・そっかぁ・・・・でもこればっかりはなぁ・・・・。何だか奢ってって言い辛くなっちゃったわね」


失恋と食欲が同列な物言いにも動じず、室井に無表情のままに意味ありげな視線投げられ、すみれは少したじろいだ。
一部の隙も許さない室井の漆黒の視線は、潔白な室井そのものだ。
一挙一動を絡め取られていくようだ。


「・・・なによ」
「いや、奢ろう」
「え、いいわよ。むしろ、何かこっちこそ・・・ごめん」


しおらしくシュンとするすみれを、室井が視線で促し、刑事課から連れ出す。
脇の廊下で室井が真正面からしっかりと向き合ってくる。


「感謝もしている。言わなきゃ知って貰うこともなかった。気持ちをなかったことにはされなかったから、私はこれでいい」
「いいのそれで・・・・?」
「ああ。・・・・向こうにしてみれば迷惑な話だろうが」
「そんなこと、ないよ、きっと」


そういうのがやっとで、すみれは喉をヒリ付かせた。
悲しいも辛いも滲ませない男の破恋は、必要以上に胸を詰まらせる。
この不器用な男は、何もかもを背負うことでしか生きていけず、この先も、きっとそうなのだ。
それを支え合う相手が、この人には必要だ。
でもそれを、由としないのだろう。

刑事課の前の無規則な喧騒が、今は有り難いと思えた。


「・・・・一応、君には伝えておこうと思った。世話になった。君の検討を祈る」
「やぁねぇ、やめてよ・・・・。律義な人ね」

刑事課の廊下に背中を付けて、すみれが後ろ手にして寄りかかる。


「君の方はどうなんだ」
「あたしは――、そこまでの勇気、ない。最初の一歩を踏み出すことが、こんなに怖いなんて思わなかった」
「・・・・・」
「このままの方がいいなんて思うのは子供なのかな・・・それとも臆病?」
「いずれ、変わっていくぞ。・・・・人も、環境も」
「うん・・・・でも、何か、忘れられない人はいるみたいだし」
「・・・・そうか」


じめっとした重い沈黙が訪れる。
夏の夕立ちが来るのかもしれない。
纏わりつくような咽返る空気は、目の前の、片割れを求めるだけで決して手に入れられない同胞の痛みを、奇妙に共有させた。


「室井さんは、忘れるの・・・・?」
「いずれは。・・・・だが、当分先の話だろうな」
「もう恋なんてしない、なんて言う?」
「・・・・恋など、もうすることになるとは思わなかった。きっと、これが最後だ」
「・・・・」
「そんな顔をするな。別に独りでいる覚悟があるわけじゃない」
「辛いわね、お互い」
「君のおかげで踏ん切りはついた。礼を言う」


それだけ言い切ると、室井は話は終わったとばかりに背を向けた。
この男は、消しもせずその持て余す熱と共に心中する気だ。白か黒しかない男は、誰にも告げず、何にも報われず、ただひっそりと想いを秘め、無欲に捧げる。
なんて真っ直ぐで誠実で、そして哀しい恋の仕方をするのだろう。

その凛とした孤独な背中に、すみれは堪らず声を掛ける。

「室井さん!」

黙って立ち止まり、振り向く室井に、精一杯の声を掛ける。

「それでもあたし!・・・あたしは!言えるって充分カッコイイと思うわよ!」


振り返った室井の眼は、精気を帯びて力強かった。



***


「久しぶりねぇ、室井さん。この間はごちそうさまでした。・・・・その後どう?元気出た?」

すみれが湾岸署の休憩室に入ると、そこに何故か室井が居た。
真下が片手を上げて去っていく。


「・・・何?」
「いや、連絡事項を頼んだだけだ」
「ふーん」


二人きりになると空間は、急速に仕事モードからの堅牢を別の何かに塗り替える。
いつの間にか芽生えた同胞意識は、すっかり馴染みのものになってしまった。
すみれの魔力のようだと思いながら、今度は室井から口火を切る。


「君こそ、その後、どうなんだ」
「あたしが先に聞いたのよ」
「・・・・、君の言う通りだった。まだ諦めたつもりはない」
「・・・強いのね」
「後に引けなくなっただけだ」


すみれが、頬杖を付いて室井を見上げる。

「恋は人を強くもするのかしら」
「よしてくれ。そんな青臭いものはとうに捨てた」
「恋に生きてるじゃない。そういうことは結婚が決まったら言って」


口では勝負にならないと踏んだ室井の眉間が深く寄る。
すみれが声も立てずに空気を弾ませ目尻を細めた。

前だけをじっと見据えたまま、不貞腐れたように言葉を零す。


「君は勝負に出ないのか」
「・・・・デリケートな乙女心に遠慮がないわね」
「・・・社交辞令だ」

全てを見透かす瞳が、労いの奥に温かみを秘めている気がして、室井は堅い顔を崩さないままに慌てて付け足した。

「恋の紆余曲折のたびに奢らされては、たまらない」


ふふっと笑って、横髪をさらりと掻き上げる仕草が、華奢なフェイスラインを一瞬見せる。
何かあったのか。
今日の彼女は、少し、空疎だ。


「・・・・・多分・・・・・しない・・・・・」
「・・・・恋は人を強くするんじゃなかったのか」
「だと、いいのに」
「・・・・・」
「これが恋なのかも分からないのに、出来ないよ・・・・。大切で、貴重なの」
「そう、か」
「失くしたくない・・・・」


そう言って俯くすみれは、散りゆきそうな儚さを持つ恋する乙女で、そして、女だった。
長い睫毛を震わせて伏せるその頬が、古びた電球の灯りさえも取って黒い影を落とす。
脆さと気丈さを同居させる彼女が綺麗で、誰かを心に留めるその直向きな想いは何故か室井をも苦しくさせた。
室井はその横顔をただじっと見る。


長い長い沈黙が、不覚にも、全てを悟らせた。


「恋はいつもあたしを駄目にするわ」
「怖いのか」
「眩しいの。太陽みたいに照らしてくれる人・・・・。欲しがっちゃ、いけない気もして」
「告白したことで、押し付けるだけの気持ちは同時に、スタートラインに立たせて貰えるかどうかの評価を受ける」
「な、なによ突然・・・」

・・・・気づかないふりができるくらいには、歳は取っている。

「このままなら、君の気持ちごと、なかったことになる。・・・・いいのか」
「そんな大層なものじゃないよ・・・。それに、あたしにとって一番大切なものが何か、分かってる・・・・。見失う訳にはいかない」
「何だ」
「傍に、居たいの」


つ、とすみれが顔を上げた。
窓の外の流れる雲を、その瞳に映す。


「その人が他の誰かのものになってもか」
「・・・・・・いじめないで」


缶を弄ぶ機械的な音と、自販機のモーター音だけが無人のように響いていた。
誠実であることと、優しくあることは、必ずしも同居しない。
恋はいつだって残酷で無慈悲な結末を連れてくる。
だからこそ、得られた掛け替えの無さに人は涙するのだろうか。


「・・・・上手く、行かないもんだな」
「そうね」

だとしたら、多分、出来るのは、最後まで誠実であることだけだ。


「恩田くん」
「・・・・ん?」
「絶対手に入れて見せる」
「!!・・・ふーん、イイ男になったわね」
「揄うな」
「また破れたら言って。今度はあたしが奢るわ」
「・・・・・不吉なことを言うな」

蜩の声が引っ切り無しに聞こえていた。


この二人の恋模様が、同じ相手であり、恋敵だったことを、この時のすみれはまだ知らない。
そして、この恋の結末は、ふたりだけが知っている。





end

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20150815