登場人物はふたりだけ。付き合っている二人のお話。









甘酸っぱいうそつき







その扉がいきなり開かれ、青島は驚きの顔を隠せずに後退った。
もう彼是10分くらいは立ち尽くしていた筈だ。永遠に開かれない開かずの間だとすら思えていた。

「なにをしている」
「・・・びっくりさせないでくださいよ」

その部屋の住人は、青島とは対照的に何もかも分かっていたような顔をして、不自然な問いを投げかける。
眼鏡の奥から覗く双眼は黒々と澄み渡り、全ての色を覆っていた。
上擦るままに呟かれたこちらの言葉に応えることもなく、促すように扉を大きく開け、室井が身体を開いた。
少しだけ迷い、上目遣いで意図を探るが、その硬質な顔は変わらない。

意を決して青島は大きく一歩を踏み出す。
まるで振り子のように室井が背後に回り、きちんと扉を閉めた。ご丁寧に鍵を掛けて。
そして青島を追い越し、また中央に鎮座するダークブラウンのデスクへと戻っていく。
真っすぐで清潔そうな引き締まった背中を眺めながら、青島も後を追った。

「いつから気付いてたんですか」
「恐らく最初からだろう」
「声くらい、かけたら?」
「部屋の前で潜む不審者にか」
「俺だとは思わなかったんだ?」

その質問には答えず、室井はスプリングの効いた椅子に腰かけ、眼鏡の奥からもう一度青島を見上げた。

「本庁に用事でも言いつけられたか」
「ええ、また。都合の良い愛人のようにね、使わされてますよ」

青島の、都合の良い愛人、という言葉は少しだけ強調され、重苦しく響いた。
それを見越したかのように、室井の視線がさりげなく反らされ、手元の資料へと落とされる。

「ついでに立ち寄った居酒屋のような気分でそこにいる君には似合いだ」
「じゃー声かけても良かったんですか?」

また少し、青島の声のトーンが変わる。
室井の応答に、ゲームを楽しむかのように、その瞳が爛と灯った。
野良猫が悪戯を仕掛ける如く、勇んで室井のデスクに腰を下ろし、室井の手元の資料を遮るように指先でゆっくりと辿った。
デスクから飛び出す青島の長い足が、宙を遊ぶように優雅に伸びる。
その足を、青島は殊更ゆっくりと組んで、室井を上から覗き込んだ。
煩そうに目尻を歪めるが、室井はその手を無視し、キーボードに入力の続きを始める。

「私が気配に気づくか試したかったのか?」
「どうせ試すなら、そんな無色なモンじゃなくって、恋人の愛とかね」
「試さなきゃならないような相手は考え直した方がいいと忠告しておこう」
「腐れ縁として?それとも上司として?」
「好きな方にすればいい」

青島のデスクから長く伸びる足が、ゆらゆらと艶冶に揺れる。

本庁の一角に位置するこの部屋に、青島が足を踏み入れたことはまだなかった。
幅10cmは越える書籍が硝子張りの向こうに並ぶ棚の横には、なまはげまで飾られ、その様子をくりくりとした亜麻色の瞳が興味深げに見回していく。
接客用のローテーブル、白い陽が注ぐ観葉植物とカレンダー。
事細かに予定が書かれたホワイトボードの横には地球儀が置かれ、無機質なお堅い官僚の一日が垣間見えるようだった。
息苦しさをアピールするように、青島は無意識に人差し指でネクタイを緩めた。

「監査ん時にも捜査会議ん時にも、声、かけなかったでしょ」
「それは仕事だ」
「じゃー今は?」

レポートに伸びた青島の指先は、相変わらず室井が入力をしている個所を円を描くように弄り続ける。
そのまま少しだけ前のめりになり、青島は室井の整髪料が感じられる距離まで近づいた。
沁み込ませるようにゆるやかに青島が囁く。

「ツマンナイ昭和男ってね、捨てられちゃうんですよ」
「・・・」
「往生際の悪いオトコもね」
「――、それは、君の忠告?」
「そうですね。腐れ縁の友人としてか、部下としてかは――、ま、お好きな方でね」

言うだけ言い、すっきりとした青島の視線がまたそっぽを向く。
空調の流れに同調するように、ふわりと流れた淡髪に合わせ、青島が反動をつけて身体を戻そうとした、その次の瞬間
室井の手は、だらりと目の前に落ちていた青島のレジメンタルのネクタイを鷲掴み、思い切り引き寄せた。
不意を突かれ、バランスを失った青島の身体が後ろ向きに大きく傾き
同時に、室井は顎を上げ、落ちてきた口唇を斜めに塞いだ。

「っ!」

驚愕に見開かれた青島の視界いっぱいが室井で埋められ、デスクにのめり込んだ態勢で青島は固まった。
なんとか付いた手の下で、室井が見ていたレポート用紙がぐちゃぐちゃに撚れる。

濡れた淫靡な密着音が機械的なファックスの間に混じり、ここが白昼の本庁であることを意識させた。
それがまた背徳的な感覚をざわつかせ、青島は身震いするように息を途切れさせた。

「職務中、ですよ、室井さん」

青島の無粋な言葉に苛立つように、室井の武骨な手が青島の後頭部に回り、更に深く口唇を押し付けられ、吐息ごとのみ込まれる。
粘着質な男に相応しいしつこいキスは、薄く閉ざされた隙間から侵入しようと、強引に歯列を抉ってきた。

「ンッ、・・・ふ・・ぅ、・・ッ」

羞恥心も置き忘れたような室井の技巧に、ついに口を開いて応えれば、誘いに乗った室井が即座に分厚い舌を注ぎ込み、濃密な刺激が青島の視界を霞ませた。
最初から容赦のない舌戯に、くだらない問答に実は彼が辟易していたことを知る。
険しい顔をしておきながら、その実、何を考えていたんだか。
可笑しく思った青島の口端が必然的に少しだけ緩んだ。

キスに夢中になってその媚肉を貪っていた室井もそれに気づき、少しだけ解放してくれた。
でも手は外れない。そう簡単には逃がしてはもらえないようだ。

「真っ昼間から盛るとは思わなかった。油断した」
「意外性を突いたわけじゃない」
「高刺激追従者なのかと」
「・・鍵はかけた」

確かにね、と思う隙に、室井が眼鏡を外しざま、また口唇を塞いでくる。
室井の細長い顎が優雅に持ち上がり、しっとりと青島の口唇を受け止めた。
反応の遅れた青島もまた、今度は薄っすらと睫毛を震わせ、視界を閉じていく。
それを許可と捕えた室井によってネクタイまでするりと解かれ、デスクの上でシャツの裾から室井の手が忍び込んできた。

「ん、ちょっと、・・ぁ、」
「好奇心旺盛なのにも程がある」

仕事中の旦那の職場に抜き打ち調査したようなものだ。
アンダーシャツを潜り、慣れた手つきで胸の突起を弾かれ、鈍い刺激に躰は仕込まれた感覚を簡単に思い出す。
まずい、と思って身を捩れば、狙いすました室井の腕に囲まれ、背後から拘束された。
しまった。これじゃ、逃げれない。
背後から抱きすくめられ、耳元に室井の口唇が添えられた。

「スリルを求める相手は口説きやすいという研究報告を知っているか?」
「そうなの!?ってか、ここで始める気かよっ」
「都合の良い愛人なら、場所を問わず脚を開くこともやぶさかではないだろう」
「ん、ばか・・っ、どこさわって・・っ」

やべ、ちょっと揶揄いすぎたかも。

彼の乱れることを知らないシャツが、青島の手の中で汗ばみ崩れていく。
そんな馬鹿なことをこの建物の中でしてみろ、クビが飛ぶどころじゃすまないだろう。

「へんたい・・っ、・・ふ・っ・・」

首筋を後ろから舐め上げられ、竦むままに青島の肌が栗だった。
窘めるように、室井の灼けるような舌は耳朶を含み、齧られる。
性格も口も不器用なくせに、器用な指先は美麗な動きで巧みな愛撫を施し、室井の眼前に晒す形となったうなじを軟体の熱に舐め回されて
青島は掴みどころを失った指先で、強請るように自分を縫い留める腕へとしがみ付いた。
いつしかシャツの前ボタンは全部外され、たくし上げられたアンダーは胸元で丸まる。外気に晒された胸の尖りを弄られ、紅く腫れあがった様が自分で見下ろせ た。
スラックスも前を寛げられた状態で、そこに忍び込んだ室井の高貴な手によって玩弄される。

「・・ぁっ、は、‥離せ・・っ、って・・んんっ」
「今、人が入ってきたら、変態なのはどちらだろうな」

開口部に向けて脚を広げ、陰部を晒している状態では、反論もない。
その卑猥な姿が本棚のガラス戸に映り込み、より一層青島の羞恥は煽られた。

「は・・ぁっ、・・も、ごめん、室井さん・・・かんべんして・・・」
「聞きたいのはそんな言葉ではない」
「ごめんなさいします・・から・・っ、言うこと、聞くから、おれ・・」

胸元の固い弾力を楽しむ指先は、的確な強さで思う存分這い回る。
食いしばっても時折漏れる自分の喘ぎ声だけがこの部屋に満たされ、耳を塞ぎたくなる衝動に、青島は頑是なく首を振った。
汗ばんで来たせいで髪が束となり、ぴくりと震えるのに合わせて艶めき仄かに色付く頬を擽った。

「俺の恋人は、どうもその自覚がないらしい」

言うなり、硬さと熱を持ち始めた花芯の先を親指で押しつぶすように捏ねられ、青島の細い背が反り返った。

「・・むろい、さん・・っ」
「意地っ張りで、嘘つきで、なかなか飼い馴らせないんだ」
「ぁ、あぃたくて・・っ、来たんだよ・・ッ、もっ、・・どんだけほっとかれてっと、思って、ンの・・っ、ばかっ」
「最初からそう言えばいい」
「くそ・・っ」

がしっと室井の後頭部を引き寄せると、青島は振り向きざまに口唇を室井に押し当てた。
負けず嫌いが勝って乱暴に齧り付いたのに、それを上回る男の技巧で巧みに口腔まで制圧される。
熱い舌に絡め取られ、強弱をつけて吸い上げられれば、その度に身体が疼いた。
課長に言いつけられた用事の方がついでで、どれだけ会いたくても会えなかったか思い知っている心が身体が、咽ぶように破裂する。
よく知っている匂いも、体温も、こうして舌先で上顎を擽る癖も。
散々に貪られてしまえば、委ねるままに青島は室井の首に手を回した。

「んっ、・・んぅ、・・ふ・・」
「これで・・・帳消しになるか・・?」

唾液で艶めいた青島の口唇が吐息で震え、室井を見上げれば、室井はその頬を引き寄せ顎を上向かせて固定した。
そのまま室井の目は釘付けとなる。
玲瓏ながら燃えるような一対の眸で、真っ直ぐに青島を見つめてくる、その崇高さに青島も魅入られる。
見上げる顔は、熱だけではないもので紅潮して、瞳には情欲の焔が燃えさかっていた。

「白状するのが遅い、です」
「君もな。・・大人しくしてろ。じゃないとキスじゃすまさない」
「脅迫するんだ」
「俺の愛情を甘く見ない方がいい」
「我慢するのは、・・・仕事だけにしてよ」

掠れ、甘やかな響きを帯びた声で強請られ、室井がねめつける。
そんな室井にゆっくりと改めて手を伸ばすと、青島は秀麗な面差しに嵌められた眉間の皺をそっと確かめた。
薄い口唇は、ときにひどく艶めかしく見える。
青島が吐いた些細な嘘も、この男には見抜かれているんだろう。
無口な昭和男に備わっているのは、情熱的な愛と直向きな覚悟だ。

耳の辺りまで焦らすように高貴な指先で触れると室井は目を眇め、少しだけやるせない目をした。
遊んでいた青島の手を、ヒュッと室井に掴まれる。

「あまり予想外のことをするな。大事にしてやれなくなる」
「・・あんたこそ。こんなんで清算できたと思うなよ」

強気な台詞に勝ち気な反論。それはお互いの余裕のなさを自白する。

「まだ怖い目みたいか」
「力づくで?」
「本気で俺のものにしてしまう」
「だったら」
「ん?」
「もし――今晩俺の部屋に12時までに来れたら、抱き潰してもいいですよ」

目を剥いた室井の指先に僅か、力が入ったのが伝わった。

「何でも、気の済むまで好きなようにしていい、です。でも、1分でも過ぎたら、アウト。今夜も一人寝でガマン大会の続きでもすればいい」

じっと見つめ合う瞳は、探り合うというより確かめ合うものだった。
黙ったまま、青島の指先が自分を掴む室井の指に絡まる。
するりと室井の腕を抜け出した青島は、手際よく身繕いを整え直すと、両手をポケットに突っ込んで肩越しに振り返った。

「昭和男のホンキの愛ってやつ、みせてくださいね」
「おい・・」
「あ、12時を過ぎたら魔法も愛も解けちゃうって知ってました?」

べぇっと舌を出し、甘い残り香だけで室井を疼かせ、扉の外へと消えていく。
ファックスの機械音が事務的に流れる。
白昼夢を見たかのように、部屋には何事もなかった元の空間が戻っていた。

突然現れて、勝手なことを勝手に告げて、あっさりと腕の中からかき消えた男に、駆け引きなど通用しなかった。
飽きさせない男だ。

数刻前より幾分室井の表情が変わっている。
窓辺から差し込む白い光が、一人取り残された室井を背中から荘厳に照らしていた。







happy end 

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令和記念初ショート。仕事中のえろ密会話。駆け引きをしているようで意地を張ってるのはお互い様ってお話。

20190501