登場人物はふたりだけ。風邪をひきました。
恋愛ワクチン
「すまないが、今夜はキャンセルさせてくれ」
「あぁ仕事入っちゃいました?」
「いや――」
「ん?」
どうしたもんかと口を濁し一瞬躊躇うが、無邪気に覗き込まれるその瞳に室井は警戒心を解いて白状した。
「風邪を引いたらしい」
「ぇええっ??!だったら連絡入れてくれたら良かったのに・・!って、ぁ、そうか、俺、外だ」
新橋の駅前を背にガシガシと髪を掻き回し、困った顔をして青島が眉尻を下げた。
いつものようにいつもの場所で酒を呑む予定だったが、断念するしかない。
昼頃から室井は悪寒がし始め、市販の風邪薬を入れたが、夕方には本格的に節々が痛み始めた。
青島の連絡先は聞いていない。否、聞かないようにしていたため、ここに来るしかなかった。
アドレス履歴にやけに頻繁に利用する番号があったら、やはり何かの時に勘繰られるだけだ。
青島にも不要な迷惑がかかる。
目線だけで失礼を告げ、踵を返そうとした室井に青島の心配そうな声が追った。
「ぁ、あ、あのっ、じゃ、送って行きましょうか俺?」
熱に軋む身体を酷使し肩越しに目を送る。
「自宅へ戻るだけだ」
「じゃ、じゃあ、あの、必要なものとか・・・大丈夫ですか?食事は?」
「帰り際にスーパーにでも寄る。そのくらいのことは出来る」
そもそも本庁キャリアの立場で風邪をひくなど言語道断だった。自己管理も出来ない無能者だと見くびられる。
周りはみな徹底した自律、節制を行い、如何なる時でも戦闘準備に備えているのだ。
自分もその中の一員として、強かに勝ち上がることを臨むし、そうしてきたつもりだった。
ただでさえ出身派閥の負い目を持ち、経歴に遅れを取っただけでなく、この上所轄に面倒を見てもらっただなんて不覚を取るわけにはいかない。
「そ、そっか・・・、」
「ああ」
「・・っと、でも、もし倒れたりとか・・・」
「そんな柔には出来ていない」
おまえまで馬鹿にするなと少し眼光を強めれば、敏く察した青島の瞳が少しだけ安堵を乗せた。
それでも、損得なく心配してくれているのだろう唯一の男の顔に、室井の心は和む。
不思議な繋がりで、途切れるようで途切れない関係はもう数年を超えた。
計算も駆け引きも越えてしまったような馬鹿げた仲に、室井は疲労と戸惑いすら覚えながらも
何故だが青島のことは信じられた。
裏切らないだろうし、見限ることもないのだろう恐らくは。
時を重ねるごとに沁みつく男の身辺を憂慮し、お互い逢うのは大概外で、官舎に招いたことはない。
青島のアパートには二三度行ったことがある、そう、二三度だ。
「君も今夜は早く帰った方が良い。疲れているんだろ」
「・・・どうも」
「また、連絡する」
「はい」
何か言いたげな青島の口唇が無暗に開閉し、だけど音は乗せずに引き結ばれた。
その瞳に何を浮かべているのか、普段は悟らせない。
背を向けた視界の切れ端に、しかし今夜は不安そうな色が惜しげなく晒し、心細そうに夜に立ち竦んでいた。
綺麗で透明な輝きから視線を外さぬままに、室井の薄く平たい口唇も硬く結ばれる。
「じゃあ・・・気を付けて・・・」
青島の声は、小さく北風に消えそうだった。
室井は足を留め、一度だけ振り返る。
置き去りにする後ろめたさは、どちらのものなのだろうか。いらぬ同情と馴れ合いを誤魔化してこの関係を続けているのも。
今夜は強めのビル風がコートの中まで凍えさせてくる。
「・・来るか?」
「・・ぁ、は・・はいっ!」
ちょっとだけびっくりした顔を見せた青島が大きく頷いた。
****
「鍵を閉めるからさっさと入れ」
「じゃあ・・・その、お邪魔しまぁす・・」
ここにきて何故か足が竦んでいた青島がはっと直立する。
扉を潜るのを確認し、室井が片手を青島の背後に回し施錠した。
近づいたせいで青島が少し緊張しているのが伝わる。
何を今更、と思う反面、こうしていつだって新鮮な反応をくれる青島が室井には眩しいのも事実だ。
がさがさと買ってきた戦利品が入るビニール袋が音を立てる中、二人して狭い通路で靴を脱いだ。
「んじゃ、室井さんはさっさと寝ちゃってくださいね。後は俺がやりますんで」
「本当に出来るのか?」
揶揄うつもりで横目を向ければ、挑発に乗った青島の瞳がきらりと綻ぶ。
「驚くよー?独り暮らし歴何年だと思ってんの」
「それも悲しいな」
「数時間後には俺をソンケーしてますよ」
「精々頑張ってくれ」
熱のせいか薬のせいか、妙に重く怠い身体を引き摺り、先に部屋の奥まで進むと、室井はネクタイに手を掛けた。
するりと引き抜くのも怠い。
今度はコートとジャケットを同時に肩から落とす。
ハンガーにかける手間も煩わしくソファに重ねて置くと、ベストのボタンに手を掛けた。
その時、青島がまだキッチン前で立ち尽くしこちらを見ていることに気付いた。
鶏肉を持ったまま、硬直している。
「なんだ」
「・・ゃ、なんでも・・」
「冷蔵庫ならその奥だ。電子レンジもそこにある」
「じゃなくって!・・・なんか、そうも無防備に脱がれっと、目のやりどころが」
何を今更とまた思う室井の向こうで、青島の口許に拳を充てたまま視線を反らした。その頬がほんのり紅らんでいる。
いっそその貌の方が反則だ。
艶めく目尻の色気に、室井は雄の衝動を伏せながらベストを脱いだ。
「今夜はサービスしてやれないぞ」
「そっ、そっ、そんなつもりで来たんじゃないですよっっ」
妙に純情で、無垢なところがあるのを知ったのは、いつだったか。
あんなに鮮烈な魂で室井を虜にし、凶悪的に曲者なところもあるくせに、やっぱり年下なんだなとこんな時思う。
背を向けて、微かに滲んだ胸の締め付けを青島に悟られないようにしながら、室井はワイシャツも脱ぎ、スラックスもソファに重ねた。
「寝室、ここ?」
「ああ」
指差す方向に頷きを返せば、トテトテと青島が寝室へと向かう。電気を点けた途端に力の抜けた声が聞こえた。
「あぁぁ~やっぱりぃ。万年床になってる。駄目ですよ、シーツも変えて、パジャマも新しいのにしないと」
「・・・・」
「新しいシーツはどこですか?ここかな?」
適当に見当を付けたところが何気に当たっているのが腹が立つ。
「タオル発見。――あ~パジャマなんて久しぶりに見た。ほらこれ着て横になって」
手際良くベッド周りを整えると、今度は室井が投げ出したスーツをクローゼットのハンガーにかけてくれる。
中々世話焼きだったようだ。
「ペットボトル持てます?」
「今度は老人扱いか・・・」
「してませんよ。んじゃ、ここに口付けちゃだめですよ。コップ、隣に置いておきますからね」
買ってきた二リットルの天然水をサイドボードに置き、キッチンから持ち出したグラスも置く。
「あったかくしてね。もう一枚着た方がよいとおもいます」
「おまえ、嬉々としてないか」
「えぇ?それは気のせいですよー?」
「・・・・」
いるんだよな、人が弱ると元気に飛び回る奴。
「んじゃ俺、洗濯機回しちゃいますね」
「・・・ああ」
室井はなんだかもう投げやりな気分でベッドに腰掛けた。
***
新しいシーツの肌触りと洗剤の匂いが清涼感をくれる。
風呂も入らず床に就いたが、部屋が温まるにつれ心地好さが増し、室井は久方ぶりの休息に微睡みを憶えた。
遠くで洗濯機が回る音、そして、包丁がまな板を叩く音。
リズミカルではないが、なかなかに達者な方だ。
ぐつぐつと何かが煮える音は、遥か昔故郷で聴いていた台所と同じもので、それはつまらぬノスタルジーを誘った。
葉ずれの音、清流のせせらぎ、雨の匂い。家の中を誰かが動き回る足音。
そういえば秋田の山は今どうなっているんだろう。
昔を振り返らなくなったのは美幌に飛ばされたときからだ。
米の炊ける匂いがしてきた頃、そっと扉がノックされた。
「むろいさーん・・?どお?」
見れば腕まくりをした青島がちょこんと覗いている。
寝返りを打つことで起きていることを告げると、青島は肘を柱に付いて首を傾けた。
「おかゆできましたよ。こっちくる?それとも持ってきましょうか?」
「・・・行く」
「そ。じゃ、あったかくしてくださいね」
言われた通り室井がガウンの上にはんてんを羽織っていくと、リビングには既に食事がセットされていた。
意外にもマナー正しくセッティングされたテーブル。温かそうな湯気と匂いが萎えていた食欲を誘う。
料理をしていたせいで部屋の湿度もあがり、窓には結露が流れていた。
点けられたテレビが賑やかな食卓を演出する。
そういえば昼もろくに食べなかった。
「はんてんってっっ」
「何を笑う。日本文化だ」
「はいはい、 座って座って。あっついからふぅふぅして食べてくださいね。・・・ぁ、俺、食べさせる?」
「・・・自分で食える」
半眼で調子に乗るなと諫めてみるが、熱のある状態ではさほど迫力も出ず、青島の悪戯っこな瞳で覗き込まれただけだった。
「・・・なんだ」
「熱、どおです?薬効いてる?」
「ああ」
「ほんとに?」
するりと、青島が近づけていた額をくっつけてきた。何やら難しそうな顔をする。
青島の華奢な作りの顔が目の前に迫り、だらしなく緩められたネクタイの隙間からこっくりとした肌が室井の視界を塞いだ。
健康的で艶やかな青島の肉体は、同性とは思えない優美で誘う魅力を放つ。
青島の甘い匂い、少しの煙草の香り。
こんな至近距離で、高熱の時に見て良い角度じゃない。
視線を挙げれば、こちらを見ている青島と視線が合った。
「やっぱり少し熱あんね」
「・・・」
掠れたように囁く声が妙に色っぽく部屋に溶ける。
そのまま離れようとしない青島を室井はじっと見つめた。
青島も見つめ返してくる。
辛子色の光を帯びた亜麻色の瞳が何の警戒も浮かべずに艶やかに室井を映していた。
その細髪が室井の額を擽り、微かな煙草の残り香を乗せる熱が室井を酩酊に襲う。
室井は、憮然とした顔のままその口唇をちゅっと塞いでやった。
「ッ、か、か、風邪ひきがなにやってんですか・・・っっ」
「どうせおまえももう保菌者だ」
「!」
言っている意味を察した青島の顔が更に林檎の様になり、面白いもんだと室井は他人事のように思った。
風邪のウイルスの潜伏期間はおよそ三日から六日だ。
数日前も青島の自宅で夕食を共にしているから、多分、その時には既に感染させてしまっている。
「もぉぉ・・・油断も隙も無い。さすが官僚だ」
しれっとした顔で室井は箸を持ち茶碗を左手に取る。
ベッドで時に蠱惑的に男を誘うくせに、時々青島は処女より青い反応をする。
とろとろとした粥の湯気で視界が曇る。
粥は丁度良い塩加減で、さっぱりとしていた。
室井の好みを知っていたのか、或いは食の好みまで同じなのか。
知るチャンスと言えば、外食の間ぐらいしかない。
キャリアは眼識が鍛えられるが、青島も刑事となって久しいし、室井が話す節々から得る情報の吸収は目を見張るものがあった。
確かに青島の観察眼は侮れないところがある。
「あとね、栄養付けた方がいいかなと思って鶏肉を小さくして鍋っぽく。茶碗に分けてますがおかわりあるんで」
「良い出汁が出てる」
「でしょ。ネギとかしいたけとか入れてありますから、風邪引きさんにはぴったりです。食べれそうだったら」
「身体が温まるな」
「そう思って。で、食後にはこの林檎ね。ビタミン取って、さっさと落ちてください」
変な言い方だなと思い少し視線を向ければ、青島は林檎を剥くのにご執心だ。
危なっかしい包丁裁きだが、しゃりしゃりと皮が途切れずに長くなっていく。
「君も食べたらどうだ」
「うん・・・後で少し貰いますよ。時間あったら」
「・・・帰るのか?」
「泊まるほど図々しくないですよ。まだやることあるし・・・。この辺の終電間に合うかな?タクシー捕まる?」
「泊まっていけばいい」
「――でも」
「いい。堂々としてろ」
「・・・・」
まだ不満そうな青島の顔に、室井はもう一押しか、と思う。
「いてくれ、と言わせたいか」
「そんなつもりじゃ・・・、ないけどさ。あんた、時々すっげイジワルだよね」
もじもじと胡坐を掻いた足元にまで視線を落としてしまった。
そのままシャリシャリト剥く林檎の皮が更に長くなる。
この辺の強気に出れないところが青島だなぁと室井は思う。
彼はどこまでも甘く優しいのだ。
後でもう一度引き留めようと思い、その場ではそれ以上のことを追求せず、室井は青島の用意してくれた食事を半分ほど平らげた。
こういう食卓は何年ぶりだろう。
薬を入れ、口を濯いで、もう一度布団に潜る。
遠くで青島が終わった洗濯物を干している音がしていた。
やがて、風呂まで掃除しているらしいシャワーの音に変わり、廊下を行き来する足音が忙しなく続く。
皿を片付ける食器の音。
甲斐甲斐しく世話をこなす青島の存在が、いつもと違って見えた。
――どうして青島は俺になんか抱かれたんだろう。
初めて青島の家へ行った夜、肩が寄り合い、視線がぶつかったのが合図だった。
見つめ合い触れ合う指先に焦れていた何かが灼け付き、ムカついた自分に押されて軽く青島の口唇を奪った。
逃げられなかった。
ゆっくりと放すと、甘く熱を孕ませた吐息を息苦しそうに濡れた口唇に乗せ、掠れた声でごめんと囁き、今度は青島から小さく触れてきた。
それが室井のタガを外させ、気がついた時には彼を床に組み敷いていた。
「むろいさーん・・・、ぇぇと、寝ちゃいました・・?」
「いや」
「熱、どお?」
「薬が効いているようだ」
「そか、良かった」
そこで会話が途絶える。
「あ~・・・終りましたんで。一応、洗濯とか身の回りのことは大丈夫だと思います。朝食はさっきの残りで作った雑炊で」
「世話を掛けた」
「いえいえ。お役に立てたのなら・・いいです」
「帰るのか」
「・・・、終電、あるかな」
見ればもう一時を回っていた。
「あると思うか」
「・・・都合イイ言い訳できたと思ってるデショ」
扉を開けた柱に背中を預ける青島の長い足の影が伸びる。
腕まくりをしたままの両手が指を小さく弄び、それが青島の心のさざ波を透かしていた。
お互い言葉を告げられなく、不自然な沈黙が支配する。
青島はきっと、大義名分と、室井からの命令がないと覚悟を決めない。
室井は大きく寝返りを打った。
「青島、お湯を沸かせ。熱いものが飲みたい」
「あ、はいっ」
身軽に飛び跳ね、尻も軽く青島がキッチンへと潜っていく。
何だかおかしくなって室井はくつくつと笑みを漏らしながら身を起こした。
根は素直で明るくて、人の心の機微が分かる、好青年なのだ。
きっと多くの女が放っておかないだろうし、多くの人間が彼に救われ魅せられる。
愛嬌のあるベビーフェイスや、形の良い長い手足と、背の高さはそれだけで人目を引き、室井の指先を惑わせる。
そんな男が何故、室井をこんなにも見つめてくれるのか。
決して誰にも染まらない自由で頑なな美しさは、室井にはない稟性だった。
だが室井はそんな部分だけに惹かれたわけではなかった。
もし青島が、室井に対して“一緒に頑張りましょう”だの“護りたい”だのと憐れんできたら、室井は青島にここまでのめり込まなかっただろう。
キャリアは元々孤独な戦いだ。
その道を選び、生きていくことに室井は誇りと使命を持っている。
一方で、青島自身はどうなんだろうかと室井は考える。
熱を持つ指先で崩れた前髪を掻き揚げ、重たい身体をベッドヘッドに寄りかからせると、重い吐息をゆっくりと吐いた。
熱はまだ高い。
“事件は会議室で起きてるんじゃない・・!”――少し怒ったような、青島の凛と響くノイズの声が室井の心の奥に突き刺さる。
どうして青島はいつもいつだって、あんな風にまで室井を追いかけ、心配し、認めてくれるのだろう。
強請れば選んでさえくれそうなほどに、そしてそれは、くだらぬ勘違いさえさせるほどに
無邪気を装って、室井を信じ、室井に全部を懸けてくる。
その肉の奥底までを明け渡すほどに、室井に委ねてくれる。
そんな風に、自分は誰かに心から開け晒したことがあっただろうか。
「室井さーん?緑茶が良かったですか?風邪にはコッチかなと思ってはちみつ生姜湯にしちゃいましたけど」
「いい、ありがとう」
「どうぞ。あっついですよ」
ベッドの脇に跪いて、わざわざお盆に乗せてきた湯飲み茶わんを室井に差し出してくる。
それを受け取り口許に運べば、言う割には実に程良い温度だった。
「他に何かしてほしいことないですか?あったら言ってくださいね」
「今夜は大サービスだな」
「風邪ひきさんには優しいんですよ、俺わね」
そう言って、床に腰を下ろして青島がベッドに頬杖を突く。
「室井さんの部屋にはちみつなんて似合わないものがあるから笑っちゃったよ」
「そんなにおかしいか」
「うん」
「言ってろ」
「なんかある?用事」
「あれば言おう」
「うん」
「・・・あとは、そこにいればいい」
「っ、/////・・ぁ、あんた、時々素で天然爆弾かましますよね・・っ」
少し照明を落とした部屋でも青島が照れて後退っているのが分かる。
妙に今夜は可愛く見えるなと思いながら、室井ははちみつ生姜湯をズズッと啜った。
「ばぁか、ばぁか、むろいさんのばぁぁっか」
「・・・」
「ぅ、う゛う゛もぉ、そんなこというひとにはねっ、食事にトラップ仕掛けられちゃうんですからね・・っ」
「楽しみにしておく」
生まれも育ちも違う二人が何かの拍子にこうやって出会い、共に歩み始める。
共通の時間の中で分かってくるのは、お互いの違いとお互いの想いだ。
青島には出世欲もないし、好奇心は旺盛だが上昇志向はない。
きっと好みの服も好きな曲も、枕の硬さだって違うのに、上手くいくって何か不思議だ。
「もぉぉ~・・・不意を突くからなぁ・・・、ん?あれ?ケータイ鳴ってない?」
「ああ、スーツの内ポケットに入れたままだ」
ただ、その瞳が。情熱の狂おしさが、室井を虜にして、放さない。
「持って来ましたぁ~」
「メールか」
「仕事なら断っちゃいなよ今夜は」
「一倉が寄越すのは大抵くだらんことだ」
「くだらんて?」
「朝の目玉焼きが堅かったとか、今朝の女子アナの服装がどうの、とか」
「ちょ!あんた一倉さんと何しちゃってんの!?俺にはメールくれたことないじゃん・・!」
「出せるか」
「ほしい~~~~いーなぁぁ~~~」
「おまえはずっと一緒にいるだろうが」
こいつぅ・・・、さっきはあんなに狼狽えていた癖に。
「メールの方が足がつく」
「私用じゃなくてもさ・・・ちょっとした業務連絡的な?“お疲れ様です~”とかやってみたかったなぁ」
顎をベッドに乗せてぼやく青島の顔が情けないほどへなっている。
そんなにしたいものなんだろうか。
室井はしばらくその顔を見ていたが、そっと指を延ばし髪を掻き混ぜた。
柔らかくしなる細髪は、何度潜らせても飽きず、行為の最中、頻りに愉しんだパーツの一つだ。
何?と透明な夜に光る瞳が室井を見上げてくる。
「今度、おまえのパジャマも買いに行くか」
「!」
「スーツじゃ窮屈だろう」
「ここに来たら不味いんじゃないの」
「・・・どうせ上は白も黒にしたがる連中だ」
「まあね」
くしゃくしゃと髪を掻き回す室井の指先に、一瞬緊張を走らせた青島が目を細め、照れ臭そうに室井の膝元に顔を埋めた。
初めて躰を開かせた夜も、その後の青島の部屋に行く度、幾度か求めた夜も
二人とも結局最後まで一度も好きだの愛してるだのという言葉は使わなかった。
でもこうして体温を感じ合う真ん中に存在するのは、紛れもなく唯一つの情と酷似している。
困らせたくない、傷つけなくないと思いながらも、自分の至らなさと無力さに打ちひしがれ、そのくせ捨てきれない妄執にしがみつく。
いつの間にかこんなにも囚われてしまっていたのに、こんなにも隠すことに慣れてしまった。
そんな自分の本性を、青島はどう思うんだろうか。
途切れそうにないのに、掴んだらあっという間に消えてしまいそうな儚さを持つ魅力は
だからこそ気弱な室井を翻弄して躊躇わせる。
今だけでいい。永遠など望まないからここにある確かな命と躰を大切にさせてほしいと、跪いてしまいそうになる。
「んな、くっだんねぇことはほっといて、さっさと寝ちゃってくださいよ」
「馬鹿、これも戦略だ」
「熱出てる時に考えることかよ。俺のことなんかどうだっていいでしょ」
犬を撫でるような室井の指先が、途切れなく青島の髪を乱す。
「変装用の服も何着か用意して、官舎の侵入経路や正面玄関の利用頻度なんかも調べさせてみるか・・・」
呆れた目をして青島が軽く吹き出し、楽しそうに零した笑みが室井の腹を擽った。
こういう謎めいたことは、青島の大好物だろう。
無論、室井にしてみても、顔とは真逆に挑戦者的なところがある。
二人の視線が共通の色を浮かべて交じり合った。
無邪気で無垢なその笑みは、人当たりが良く愛想の良い青島の営業スマイルとは別の、室井だけが見られる顔だ。
他にも室井だけが知る沢山の貌を、青島は惜しげなく室井にくれた。
「あんた、ほんっと俺に惚れちゃってんだね」
「ああそうだ」
開き直ってはっきりと告げてやったら、青島はまあるい口を開けたまま固まってしまった。
妙にすっきりとした気分だ。
もう、自分の負けでいいと思う。どうせ世の中は惚れた者の負けなのだ。
だが、同士でありたいから、負けず嫌いの心がむくりと上がる。きっと、それは青島も同じで。
決して穏やかでも優しくもない瞳で強請る室井の瞳は言い尽くせない熱情を乗せていて
その瞳を一心に受ける青島に注がれる。
無防備なままに空中で止まる青島の返事を待ってみるが、一向に返ってくる気配がない。
じっと見つめる室井の強い黒目に我に返り、くしゃくしゃと髪を掻き混ぜながら動揺しているのが見て取れた。
「え、ぇえ?・・マジ?ぇ、今言う?今なの?」
延々と自問自答のような言葉が室井の前で羅列していく。
呪うのと同じ狂おしさで、青島は青島のままでいてほしいと思う。
――熱が高い。明確なものが希薄な中で残るのは、ただ青島が好きだというシンプルな焦熱だけだ。
誰にも渡せない。
これが欲しい。狂おしいほどに、手に入れたい。
言葉にしてはっきりしたことで、室井はようやく己の覚悟が決まったことを感じ取った。
「か、風邪か?ああ、熱だから?カンチガイ?あれ?空耳?」
室井はもう焦れて、その腕を引き煩い口唇を塞いだ。
明日は俺が看病する番なんだろうなと思いながら、その温かい躰ごとベッドの中に引き摺り込んだ。
Happy end

室井さんは健康管理もちゃんとしている筈なので風邪なんか引かないと信じている。
20180221