登場人物はふたりだけ。付き合っている二人のお話。









薔薇色ロンド







ポンポンと子供をあやすように肩を揺する。

「起きろ、そろそろ」
「ぅう~・・・」

隣でタオルケットを引き上げ潜り込む仕草に室井の顔には思わず笑みが浮かんだ。
生まれたてのアップルグリーンの陽射しが部屋いっぱいを満たしている。
光が降り注ぐ窓から少し離れた所に二台鎮座するベッドの一方は皺一つなく、一つしか使われていなかったことを示していた。

同じベッドに沈む室井が肘をついて清冽な筋肉質の胸板を上げる。
隣には布が全て剥ぎ取られほっそりとした姿態にカフェオレ色で統一された品質高い羽毛 が包まった青島が
淫靡な夜の痕跡を浮かべた肌を晒して眠っていた。
清浄な朝日に隠すことも出来ずに晒される艶肌は、昂ぶりの最中に映る時とはまた違う卑猥さがあって、痕を付けた者の狂熱を告白する。
情痕は今は見えぬ羽毛の中にも熱心に刻まれている。

頬に室井が口唇を押し当てた。


「昨日は無理させたから辛いだろうが・・・起きてくれ。時間がなくなった」
「うぅん・・・?ケータイ、鳴った・・・?」
「おまえのケータイ、充電切れてるぞ」
「・・・・?・・・・うっそ!!」

途端目が覚めたらしい青島がケットから腕を伸ばして枕元をぱたぱたと手探りする。
ようやくケータイを掴み片目を開けて操作するが、ボタンを押しても真っ暗なままだ。

「あっちゃぁ・・・」

いつ呼び出しがかかるか分からない刑事の身分で連絡先を断つのはご法度だ。
何も着けていない形の良い腕が伸びて目元を覆い、天を仰ぐ。
その恰好から、その下も裸であることが見て取れる。
合わせて裸の肩や鎖骨がタオルケットから現れ、熟した肌の色はシーツの白さに良く映え婀娜っぽい。
くしゃりと畝った栗色の髪がシーツに乱れた。

また怒られる~と口籠りながら青島は重い溜息を残し、今度はその隣にある腕時計を探った。
もう七時を回っていた。

寝ぼけ眼な青島の目がようやく見開かれた。

「やっべ!!」
「戻っている時間はないぞ」
「えっと、えっと・・・じゃ、シャワー浴びて、昨日のスーツのまま出勤して、署でワイシャツとネクタイ替える・・・しかないか」
「先にシャワーを浴びて来い」
「はい、すいませんっ、・・・ァ・・ッ、」
「・・・っと、大丈夫か?」


勢い良くベッドから飛び出したはいいが、足腰が重心を捉えきれず青島が膝から脆く崩れる。
咄嗟に差し出した室井の腕を掴んで難を逃れた。
柔らかい髪が室井の端正な顎を擽り、甘い香りと石鹸の匂いが混じったような青島の匂いに思わず年甲斐もなく甘美な衝動を覚えながら、室井は淡薄を装った。
このままこの少し高めの体温と甘い気配に包まれていると蕩々としてしまうのはこちらの方だ。

ゆっくりと態勢を戻させ、未練がましい指先が最後に寝癖だらけの髪をくしゃりと握った。
そのうなじからも昨夜の残痕が薫り立つように赤く浮かぶ。


「無茶をさせすぎたな、悪かった」
「謝られると照れ臭い、です。その、欲しかったのは俺も同じだったし・・・あの、そうして欲しかったし・・・」
「痛むところは」
「ダイジョブ、・・・その、」


自分の状態が言葉以上の羞恥を乗せていることに気付き、青島が視線を向けられずにぼそぼそと答える姿に
室井は眦を少しだけ細めた。
謝罪の意味を込めて軽く髪をくしゃくしゃとすると青島が照れ臭そうに微笑む。


「あんなに強く求められっと、やっぱ、嬉しいんだよね・・・」
「・・・・」
「室井さんがさ・・・ベッドで烈しいなんて知ってるのも、俺だけだもんね」

照れの勢いで朝からとんでもないことを口走り始めた青島の口唇を我慢できずに軽く塞いだ。

「言うな。久しぶりだから加減が分からなかったんだ。おまえを使い物にならなくするつもりはなかった」
「・・ッ、ぁ、あっ、そうだよ!時間!」

放っておくと見つめ合っていつまでも離れない自分たちに内心溜息を落とし、室井が手を放すと青島がベッドに手を付き膝に力を入れる。
今度は成功した。
そのまま情痕の残る背中にシャツを滑らせ、バスルームへぽてぽてと向かう。
その姿を微笑ましく見送った室井は、青島がシャワーを浴びている間に青島の出勤の準備を始めた。



ここは都内のホテルだった。
必死に口説き落とした青島と付き合えるようになってから、ここを頻繁に利用している。
上層階からの夜景が気に入ったと青島がいつだか言っていた。
今は目覚めたばかりの空気に包まれ街は白く浮かび、朝陽に染まる海の水面がキラキラとさざ波立っている。

関係を持ってから、青島は一切官舎へ足を運ばなくなった。
誘ってもはにかんで断られる。
口にはしないその想いは、ベッドの中でも現れた。
青島の身体には室井の激情のままに残痕が残されるが、青島は一切室井に痕跡を残さない。合鍵一つ受け取らない。
無論、室井が青島の部屋に招かれることもなくなった。
室井に自分の証拠を残させないその愛し方に、室井は敬服と深い愛情を同時に抱く。

こういう関係になって、専ら二人の逢瀬は新橋のこのホテルだ。
どちらか手の空いた方が偽名で予約を入れる。
10階以上の高層フロア。都心と東京湾が一望できる南側サイド。


「そうか、朝食もだな」

ぼそりと薄い口唇で呟き、室井は落ちていたコートをソファに掛けると、ワゴンの食事をテーブルにセッティングし、青島のくたびれたバッグを取 る。
散らばった青島の私物をバッグの中に放りこんでいく。
一体何を持ち歩いているのか、結構な重さのある鞄は二人が出会った頃から使いこまれているものだ。
煙草、ジッポ、ケータイ、外した腕時計に、変装用のサングラス。
このコートでサングラスしても意味ないだろうと笑ったのも最初の頃だ。
それから――。
ベッドサイドで光る銀白のチェーン。
それは仕舞わずにテーブルへと置く。

鞄の奥に見慣れた小箱が奥に見えた。これは。

「あいつ・・・一晩で何回ヤる気だったんだ」

ラブラブ可愛い恋人と愉しむコンドームの準備は男のたしなみとはいえ、室井が用意していなかった時を考えて気を利かせたんだろう。
薄さ0.01ミリタイプだ。

〝ァ・・ッ、やだ、そのままがいい・・っ〟
〝馬鹿、出来るか〟
〝直接・・・挿れて・・・〟
〝やらしくて、持ちそうにない・・・〟
〝あんたを直に感じたいんだよ・・っ、おねがい・・・っ〟
〝・・ッ〟

昨夜の青島の挑発と嬌態を思い出し、室井は朝陽の中で思わず口元を手で覆った。
ゴムを用意していたくせに、青島はいざ挿入のタイミングになると生を求めた。
久しぶりだったとはいえ、あまりにあまりな煽情的な夜だった。

〝ん・・っ、あっつ・・ぃ〟
〝おまえの中・・・蕩けそうだ〟
〝いう、な・・っ、ァッ、そこ、だめ・・っ〟
〝そんな目をして・・・それが男を狂わせる〟
〝知らな・・っ、ぁ、・・んぅ・・っ〟
〝おまえ、ここ、弱いよな・・・〟
〝ァ・・ッ、は、・・んぁ・・っ、ゃ・・・ぁっ、ちから、はいんない・・・っ〟

あいつは男を誘う素質がある。
元々が色男だから、魅せ方を知っているというか、人を擽るツボを得ているというか。

〝ァ・・ッ、・・んぁッ、ァッ、ゃ、イイ、むろいさん・・・っ〟
〝いい顔だ〟
〝ンッ、くっ、・・ぁあっ、すっげ、すき、だ・・・っ〟

「・・・・」

距離を詰め、実際抱くまでは長かった。
男とは初めてで慣れない感じがそそり、感度の高さは嬉しい誤算で、口では嫌と言いながら悦ぶ意地っぱりがもの凄く好みだ。
そのくせ、男に乱されることに未だに慣れず未知の快楽に恥じらうところが、もう室井には尽く堪らない。
勘弁してくれと土下座してしまいそうだ。


シャワーの音が止まる。
しまった、時間がなかったんだ。

室井が立ち上がるとほぼ同時にドアが開き、ぽたぽたと水滴を垂らし、拭わずタオルを巻いたままの青島が現れた。
熟れた果実のような肉体は仄かに薫り立ち、甘く滴っているような錯覚を男に齎す。
ダイレクトに性感を刺激する色気だ。
均整の取れた美しいフォルムに清楚と純潔を見て、昨夜の嬌態とのギャップに室井は息を止めた。

目が合った瞬間、わざとだと分かった。


「――」

目の前まで近付き、室井が笑みの背後に勝ち気な気丈さを覗かせる。
挑発に乗ったことを感じ取った青島の瞳が茶目っ気を帯びた。
勿論時間がないことはお互い承知の上だ。ちょっとした揶揄のようなものだろう。

手を伸ばし、バスタオルを被せてわしゃわしゃと髪を拭いてやると、その奥から悪戯気な瞳が瞬いた。
青島も手を上げ、二人でわしゃわしゃする。

青島は付き合うようになってから特に大人ぶってしまって、甘えることもしないから
こういう所で年下の幼さや本来の室井への愛情を確認する。
こういう所に出る無邪気さに、青島だなぁと思う。


「まったくおまえは・・・子供か」
「スパイスは愛のサービスですよぅ」
「頼まれれば誰の前でも裸になるのか君は」
「擽ったぃ・・・っ」

こうしてお互い挑発し合ってしまうことが当たり前になっている日常を重ねる。
それは敗北感より安堵感だ。
全身で構え!構え!と訴える青島に朴訥な室井の目尻が薄っすら細まる。

しなやかなラインがタオルの裏で見え隠れする。

「ちょ・・っ、髪ひっぱんないでよ」
「ほら、じっとしろ」
「へへ。室井さんって分かりにくい人だから。こういう時、俺愛されてるなぁって思います」

なんだって?
何を言っているんだ。こんなに分かり易く駄々漏れな愛情が抑えきれないのに。
時々青島の口にする言葉は室井には良く分からない。


「朝食をそこに用意してある」
「室井さんにあげるよ」
「駄目だ。刑事は身体が資本だ、食事は摂れる時にきちんと食え」
「室井さんだって頭脳戦でしょ」
「・・・一緒に食べる」
「はぁい」

くすくすと笑う声が朝の光に溶けた。

二人で昨日の手付かずのルームサービスを平らげる。
夜食のために軽くパンやスープ、スクランブルエッグなどがセットになっているホテル食を頼んだが
会って、触れ合った瞬間に食欲は性欲に支配された。

以前は会えればいいなんて達観したことを思っていたのに、身体を重ねるようになってからそれは完遂された試しがない。


「室井さんは和食派ですよね。このホテルも和食やらないかな」
「どちらかと言えば、だな。栄養摂取出来ればいい。君もだろ」
「まぁね。カップ麺だと腹もち悪くて。今度リクエストしてみません?」
「どんな客か疑われそうじゃないか?」

冷めてしまったスープでも二人で飲めば満たされる。

「俺、呼び出し音、全っ然聞こえなかったです」
「スーツの中で鳴っていたからな。それにおまえ、熟睡してた」
「誰のせい」

「目黒近郊で強盗殺人があったらしい」
「じゃあまたどこかに特捜立つの?」
「そうなるな」
「忙しい身ですねぇ・・・」

次いつあえる?なんてコイツは可愛いことは聞いてこない。
一抹の寂しさに二人して気付かぬふりをする。

会話が途絶え黙々と青島がクロワッサンを頬張った。

刑事という職業柄、お互いのスケジュールを合わせるのは想像以上に難しく、また折角会えてもこうして呼び出しがかかることもしばしばだった。
今回などマシな方だ。
室井も約束など出来ないから口にしない。
室井に言えることは一つだけ。

「また、連絡する」

いつになるかは分からないけれど、また、このホテルで。



青島がゆるゆるにネクタイを締める。
ジャケットを羽織る間に室井が襟元を整えてやる。
髪はまだ半渇きでぼさぼさだったが、シャツを着てジャケットを羽織れば昨夜の室井の痕跡は全て隠される。
誰かに分かるようなヘマはしない。

そうして最後に、青島は銀色に光るチェーンを取った。
それを首に掛ける。
チェーンの先には室井から誕生日に贈られたプラチナリングがぶら下がっている。
勿論それは室井の首にも同じものがかかる。


「悪かったな、急に呼び出して」
「んん、俺もそろそろ室井さんに会いたくって末期症状出てたから」
「何が出る」
「俺の眉間にもシワ」

言われるがままに室井の眉間にも皺が寄る。
顰めた顔のまま暫し向き合う二人。流れる沈黙。
ぷっと青島が吹き出せば、自然と室井も目尻が寄った。


「会えて、嬉しかった。・・・デス」
「ああ」
「ずっと・・・会いたかったよ」
「ああ」

するりと室井の腕が伸びて無意識に甘くしなやかな身体を引き寄せ抱き締める。
噛み締めるように青島が室井の肩に額を宛がい、堪え入るような吐息を漏らした。

「いつも想ってるって言ってください」

濡れた髪にキスを落とす。
暫くはまた、この慣れた匂いも緩やかな肉体の感触も、触れられない。

「そんな見え透いた嘘でいいのか?」
「・・・・ヤだ」
「おまえのことしか考えられなくなって、と言ったら」
「張り倒してやろうと」
「怖いな」

髪にキスを。
頬に指先を。

惚れて焦がれた相手へ望むものは、そんなんじゃないのだ。
身体を繋げ、耽溺してしまう夜を幾つ越えても、それを本当にされたら、相手にそれをさせたら、自分が許せなくなる。
その分、抱き寄せる腕が離れ難さと名残惜しさを伝え、愛を教える。

何も室井には残してくれない、きっと役目を終えたと思ったら消えていく。それが青島の愛し方だというのならそこから受け止めてやりたい。
この心を捧げ、せめて愛だけでも持っていってほしいから。


愛撫するように髪に指を差し入れ、頭の形を確かめ、柔らかく背中を辿れば、青島がうらみがましい目で見上げてきた。
その額にちゅっとキスを落とす。

「けど」
「ん?」
「物分かり良すぎてつまらないな」
「そう?」
「もっと我儘言われて面倒だなとか言いたい」
「そういう子が好みなんだ」
「おまえを受け止められるのは俺だけだって思わせてくれ」
「・・・困らせてほしい?」
「ああ」

本当は、いつだって想っている。いつだって愛が零れている。
それを言えない。言わない。
今はまだ。

尤もそんなの、あんな執拗な抱き方をした後ではみんなバレているのだろうけれど。


「時間切れだ。早く行け。・・・俺の理性が保てているうちに」

このまま連れ去ってしまいそうな傲慢な指先を意志の強さで放し、室井は腕を解いた。
青島の両手が一瞬だけ室井の背中を手繰り、一度だけ力が込められる。

「ほんとは・・・、」
「知ってる」
「ん」

ひどく吸い込まれそうな嬌笑と無邪気さを合わせ持ち、室井を翻弄する男にどうしようもなく胸が締め付けられる。
本能も理性も揺さぶってくる相手はこいつしかいない。
こんなに彼のことしか考えられなくなって、いつしか自分の事より考えるようになっていて、窒息しそうなほど、狂おしい。

「仕事頑張ったら、また会える」
「そうだった・・!遅刻する!」

コートをばふんと羽織った。

青島が出て三十分後、その残像がこの界隈から消え失せた頃を見計らい、今度は室井がチェックアウトをする。
いつしか二人の間で暗黙のまま決められていったルールだ。


「んじゃ、行きます!」
「ああ、気を付けて。無茶するなよ」
「りょ~かいっ、・・あっ、忘れもの!」

忘れ物?なんだ?さっき全部入れた筈だが。

室井が首を傾げたその刹那、戻ってきた青島に腕を引かれ、サッと口唇を掠め取られた。
吸い付くように室井の口を塞いで、目の前で長い睫毛が軽く伏せられる。

またこの可愛い悪戯小僧は。
やられた。こういうところは本当にモテる男の粋さというか小悪魔的というか。

離れ際、舌を出し、ぺろりと舐めてやった。

「ッ」
「行ってこい」
「・・逆襲するなんて狡い」
「十年早い」

まいったなという顔をして、嬉しそうに青島が扉から出ていく。
騒がしい嵐が去った後は、嘘のような静けさが部屋を寂寞に包んだ。


今日はいつものストレッチも筋力のパンプアップもしていない。
整髪料だってないし、シャツも昨日のままで、朝刊だって目を通せなかった。捜査資料も読み込んでいない。
刑事キャリアは匂いを纏うのも職務上掟破りだが、今日はホテルのローズソープだ。

窓の外には煌めく海が穏やかに漂っていた。
きっと今日も良い天気だ。
何もちゃんと出来ていないけれど、それでも室井にとっては薔薇色の朝だった。












Happy end 

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20170611