登場人物はふたりだけ。結構若いふたりをイメージしてました。支部に投稿したものです。
狂った歯車
1
「手柄あげたんですってね。こっちまで噂になってますよ。オメデトウゴザイマス」
「君は」
「走ってます」
たった一言の、自虐とも謙遜とも取れない素気なさだったが、それだけで室井には充分だった。
変わらぬ信念が胸に秘められていることは、目を見れば通じた。
「やーっぱ嬉しいもんですねぇ。こうして・・・・室井さんは雲の上のひとになっていくわけか」
「何処まで行かせる気だ」
「てっぺんでしょ」
「別に君との距離が変わる訳じゃないだろ」
「半分やっかみです。・・・・遠すぎちゃって。どんどん遠くなって・・・いつか知らないひとになっちゃうのかな」
「ボケるには早い」
ほんの少しだけ、青島が気配に切なさを偲ばせている気がして、室井は水を向ける。
湾岸署近くの公園で、室井に席を勧めもしない気楽さで、ペットボトルを片手に青空へと視線を投げる青島は、真上から照りつける午後の強い夏陽に染まり、透き通りそうだった。
緩められた襟元から覗く汗ばむ肌が瑞々しく光る。
室井の仕掛けに気付いているのかいないのか、青島は、純粋に眼を丸くした。
「室井さんでも冗談言うんだ・・・・」
「君の中には色々誤解が多そうだ」
「急に放り出された気分なんですよ」
頬杖を付いて、片足を組み、叱られた子供のように横を向く。
青島の仕草は時々、少年のような面影を残し、時として弾ける屈強さの裏で、二面性のような純真さを透過させる。
「それは私の方だ。君はいつも一歩先を行く」
「そんなこと言うよなポジションですか。一緒に馬鹿やった時なんてもぅ懐かしい思い出ですよねぇ」
「今だって、どうせ付き合うはめになる」
何だか青空の向こうへ、そのまま青島が透けて消えてしまいそうな気がして、室井から思わず確認のような言葉が漏れた。
身の内に湧いたその長年飽きもしない焦燥に内心呆れかえりもするが、今日は青島から向けれた水のような気もする。
こくりと喉を鳴らしてミネラルウォーターをラッパ飲みし、青島が口端を持ち上げた。
「まあねぇ。・・・・でも、地上で汚れてく俺は向いてる方向性が違いますもん」
漫然とした青島の瞳が空を映して、不思議な色に染まる。
それを室井は探る様にじっと見た。
「人間、ステージが変わるごとに人間関係がバージョンアップしていくでしょ。子供みたいなこと言ってられたらいいんですけど。こうやってあんたは遠くなってくんだなって、実感しちゃって」
「・・・・」
「いつか室井さんの中からも消されちゃうんだろうなぁ・・・」
「珍しいな・・・君が弱気なことを言うなんて」
室井が革靴を鳴らして近づく。
青島も、自分の失言に、ここでようやく気付いたらしく、しまったという顔をした。
そのまま室井は、じっと青島の眼から視線を逸らさない。
朴訥な室井の貴い威圧感に怖じ気づいたように、青島の方が先に視線を逸らした。
舌打ちをする仕草が、動揺していることを唯一伺わせた。
そっと青島の前に立ち、室井は静かに見下ろした。
「そうやって、一生黙っているつもりだったのか」
「何の・・話・・・」
「悪いが、もう、誤魔化されてやれない」
頬を強張らせ、青島が大きく諦観の溜息を落とす。
次に瞼を持ち上げた時、その瞳色は哀しみにも切なさにも似た、深い色を帯びていた。
「・・・・・まだ、諦めてなかったんですか」
「そんなに簡単に割り切れるものじゃないだろう、今の君のように」
青島が、吐息を漏らして瞼を伏せた。
その笑顔が余りに澱みなく、室井の眼が釘付けになる。
お互い、何処か相手の気持ちに同じものを見つけているのに、平行線を維持し、プライベートを共有することさえ避けてきた。
何度好きだと告白しただろう。
その度に青島は、むしろ室井より辛そうな顔をして、「有り得ないでしょ」と、頑是なく首を振るだけだった。
そうして傍目には、近くもなく遠くもない、慣れ合わない長い長い年月が過ぎていった。
距離をもう二度と詰められなかったのは、振られた室井の立場だが
運命は、二人の関係を容易に清算するようには、ならなかった。
どこかで何かが繋がり、二人の腐れ縁が周りが呆れる程に継続され、そうして、何も変わらないままの室井に、青島もまた変わらぬ視線を向けた。
今この瞬間まで。
ここだ、と室井の本能が告げている。
強靭な強さと、一塵の焔を宿す闇色の瞳は、最早何も見落とさない鋭さを宿した。
「青島」
「えっと・・・聞かなかったことには・・・・」
「・・・・」
「・・・ですよね」
「もう一度、今ここで、私の気持ちを告げようか」
「・・・ぅ・・っ、・・・い、いいです、いいですっ、結構です、もう充分・・・」
青島が両手を顔前で振りながら、少し頬を染め、横を向く。
ずっと、片思いだと思っていた。
でも、そうじゃない、青島だって同じ淡心を持っていて、やはりそれは気のせいではなかったのだ。
惹かれる想いを灯しながら、応えることもせず、隣で過ごしてきた。
それでいて隠してきたのなら、その理由も今なら容易に想像が付いた。
室井は、そこに思い至らなかった自分の浅はかさに、内心大きく溜息を付く。
どれだけの年月を、無駄にしてきたのか。どれだけ、彼に一人抱えさせたのか。
まるで燦々と照りつけるこの夏の太陽が、青島の気持ちまで透かしているかのように、真っ白なシャツを透かし
ちょっとした綻びも、躊躇いも、二人の間に熱く炙り出した。
「青島」
「・・・はい」
「このまま持久戦も悪くないが、今日はまだもう一つ会議が残っている」
「・・・あっ、はい、すみません・・・っ」
青島が慌てて立ちあがるのを、室井が面白そうに目を眇める。
シャツの白さが、痛いほどに眩しい。
「今晩、迎えにくる」
「・・ぇ・・・・」
「逃げられると思ったのか?」
一瞬、言葉に詰まった顔を見せた青島が、髪をくしゃくしゃと掻き回し、そうしてチロリと横目で室井を見遣る。
不本意だ、と、顔に書いてあったが、室井が動じないのを認めると
ようやく、まいったなという顔を見せた。
「しょうがないか・・・」
青島は小さく呟き、柔らかく微笑んだ。
最後までブレない室井の意地に根負けしたかのように、或いは、運命の方がそのしつこさに呆れたのか
今日のちょっとしたこの綻びが、この日、二人の運命を大きく変えた。
力強い陽射しが全てを鮮やかに灼く季節のことだった。
*****
「青島く~ん、どうしたのぉ?」
椅子をくるりを回転させて、すみれが青島の背中に声を掛ける。
しかし上の空といった感じの青島は、天上を馬鹿みたいに見上げたままだ。
「青島くん?」
ぽんと肩を叩かれ、びくりと椅子の上で跳ねて、青島が我に変える。
「あれ?すみれさん?」
「あれ、じゃないわよ。どうしたの?さっき休憩から戻ってきてから変よ?いつも変だけど」
「いつもは余計」
「んで?」
「え~~~っと・・・・・・・」
何と言って説明しようかと頭を巡らせるが、茹だったような脳味噌は明確な答えを弾き出さない。
さっき真夏の白い陽射しの中で起こった出来事が、全て冗談のように思われた。
「さっきから課長がそこ通るたび睨んでるの気付いてる?」
「え?そうなの?なにか言い付ける気かな?」
「お説教じゃないの~?」
――今夜、もう一度、室井さんが来る?
そこで、俺は何を言われるんだ?そして、何を言えばいいんだ・・・?応えてしまっていいんか?
ってか、さっき、なにされたんだっけ・・・???
「あーおーしーまーく~ん?」
話している傍からアッチの方へ行ってしまった青島の顔の前で、すみれがひらひらと手を振る。
心ここにあらずといった感じだ。
さっき、ちょっと出てくると言って、青島が抜け出した。
風伝いに本店が来ているらしいという噂は聞いた。もしかして室井かな?とも思ったが、帰ってきてからこの様子では、状況も掴めない。
――バレたんだ
どこで。どうして。
失言したのは確かだった。失敗したと思った。
思わず青島は口元を手で覆う。
「青島くん?大丈夫?」
「あれ?青島くん、どうしちゃったの?」
「あ、ひ、日当たり、かな?」
通りかかった魚住が声をかけるが、乾いた笑いを残して、席を立ってしまった。
心なしか、その頬は紅く染まっている。
「なにあれ?」
「さあ?」
すみれと二人、首を傾げる。
「さっき室井さんが来てたみたいだけど、何かあったのかなぁ?」
「え?来てたんですか?」
「うん、もう帰っちゃったけど」
だとしたら、室井と何かあったのだろう。
一体室井は何をしたんだろう?
この日の挙動不審な青島の態度は、その日、湾岸署の迷惑物として、みんなの不評を買い
夕刻、室井がもう一度刑事課に顔を出すまで、それは続いた。
****
その晩、室井は初めて青島を自宅へと連れて帰った。
ちょこんといつも座る定位置に無自覚に腰を下ろした青島に、室井が苦笑を漏らすと、青島が黙ったまま眉を潜める。
なんだか揄われたのを感じ取ったらしい。
無言で細長いリキュールグラスにブランデーをロックで注いだものを手渡す。
帰り際に買ったレモンの輪切りを無造作に添えておいた。
頭をペコリと下げるだけで受け取る青島のすぐ隣に腰を下ろす。
カランと氷が鳴いた。
二人分の重みでソファが少しだけ軋み、二の腕が軽く触れ合う。
だが、どちらも、そのことに言葉を交わすことはない。
「結構綺麗にしているもんですねぇ」
「・・・脱衣所は洗濯物の山だ」
ふ・・ッと青島が吐息だけを漏らす。
「笑うな。ここ二カ月、まともに帰っていないんだ」
「だって。なんか、室井さんから生活臭匂わない~。スーツ脱いだら普通の中年オヤジなんですねぇ」
「君だって似たようなもんだろ」
「掃除してくれるオンナノコがいるって言ったら?」
「・・・・・」
妬かせようとしているというよりは、揄いたかったのだろう、半眼を向ければ、ペロリと舌を出した。
昼間の熱から解放された夜風は、初夏の匂いがする。
ブランデーのアルコールは40%以上ととても高く、空気中に漂わせるだけで香り立つ。
部屋にブランデーからのブドウの芳醇な香りが満ちて、自室に青島が居るこの空間に、クラリと酩酊感が襲った。
釈然としない感情のまま、室井は脅えないように青島の耳へと長い指をそっと滑らせ横髪を梳き上げた。
急な接触に、青島が瞳にちょっとだけ驚いた色を浮かべる。
耳朶を包み込むようにしてゆっくりと頤を持ち上げ、憂えるような透明の瞳を見つめ返しながら、室井は静かに口唇を寄せた。
が、強張っていることに気付き、寸前で止める。
「・・・・厭、か?」
二人の前髪が軽く混じる。
口唇を傾けたままそっと問い掛けると、室井の影がかかった瞳に艶を乗せたまま、青島は辛そうに眉を潜め、痛みを乗せる視線を伏せた。
垂れる前髪がその表情までも陰らせる。
それが心ごと拒絶されたようで、室井は無意識に頬に手を当て、こちらを向かせようと力を込めた。
すると、ここまで抗いもしていなかった青島が、堪えるような息を吐きながら顔を逸らし、室井の胸を手の甲で押す。
「・・・やっぱり・・・その、すいません・・・」
歯切れの悪い言い訳をする青島の手からグラスを取り上げ、テーブルに置く。
「怖いか?」
告白をして数年。返事を貰うまでに更に待ち続けた数年は、室井にとっても甘くも辛辣だった。
いつまでも待ち続ける耐久はあるし、この先はもう人生を重ねていくのだと思う。が、今は言葉よりもう少しだけ確かな物が欲しかった。
「どんな未来を描いたら、俺たちの未来が見えるんだよ・・・」
「こんな気持ちを抱いたまま、この先、友達付き合いでもしろと言うのか」
「もう・・・・友達にだってなれないよ・・・」
「だったらもう逃げるな」
「勝手なこと・・・・」
少し震え声で漏らした言葉を聞き逃さず、俯いたままの青島の腕を取り、室井は一気に手前に引いた。
容易に傾いできた身体を受け止め、息を呑み、まんじりと瞬くその瞳を覗きこむ。
至近距離で憂える光は酷く印象的だ。
「そんな目をするな」
頬から耳元へ甲を滑らし、確かめるように、だが、しっかりと身体の輪郭を辿り、室井はその身体をそっと自らの腕の中に収める。
今、確かにこの腕の中にあることが、過去も未来もない真実だ。
「抵抗、しなくていいのか」
「どうせ逃がしてくんないんでしょ・・・」
「・・・離れることを先に嫌がったのは君だ」
「・・・う・・ん・・・」
そっと腕に力を込めて温かく柔らかい感触を確かめる。
宥めるように後頭部に五指を差し込みぎこちなく柔らかい髪を梳いてみれば、青島が微かに身動いだ。
「どんどん遠くなるあんたが、それを期待してた筈なのに・・・もうこのまま俺の傍から居なくなっちゃって、知らないひとになって・・・」
「・・・」
「あんたの活躍を聞けば、嬉しいんです。誇らしくなる。でも」
顔は見えない。
そこで言葉を途切らせた青島に、室井は、でも何だ、と小さく促した。
「俺、置いていかれるんだって思ったら・・・。それで良かった筈なのに、何でも抱え込むあんたを知らんふりするのと同じで・・・。一人は嫌だなんて子供ですかね・・・」
追い込んだ答えは予想外に愛狂しいもので、室井はその言葉にひっそりと口端を滲ませる。
答える代わりに、髪に頬を擦り寄せ、頭を掻き寄せた。
初めて抱き締めた躯は、思う以上に室井の胸を甘く締め付け、違う体温が心地良い。
可愛くと愛しくて、胸が切なく痛む。
「すいません・・・相棒、なのに、こんなこと・・・」
「いや・・・」
室井の覆うような抱擁に吐息を殺し、青島がぱふっと額を室井の肩に押し付ける。
「けど、大切なのは俺だけのあんたじゃないだろ。一度だけでもキスしちゃったら、もう俺、大人ぶって平気なふりなんか出来ないです」
「・・・・」
「その瞬間、俺だけの記憶が出来る。そんなあんたにしたくないし、そんな印、いらないです」
辛くなるだけだと、微かに耳に届いた声に、室井は瞼を上げる。
「俺とおまえの仲を表わすのに的確な言葉は、最初から、『罪の共有』だったろ。――今更、善人ぶるな」
「俺しか・・・・、他に何も欲しがらないあんたが、俺しか見えていないのが怖いんだよ」
ソファの上で抱き合ったまま、離さまいと密着するシャツ越しの身体は、お互いの体温を共有し、交わす言葉は気怠い甘ったるさを残す。
置いたグラスから垂れた雫が水たまりを作り、喧騒の消えた穏やかな静けさの中で、夕立の匂いのする夜風がカーテンを揺らした。
「俺オトコなのになぁ・・・・何でこんなことになっちゃったかな・・・」
「その台詞をおまえが言うか」
「何でそんなに普通なんですか」
「相手がおまえじゃなかったら、もうちょっと動揺している。おまえと人生賭けるのは、もう慣れた」
「これも俺のせいな訳ね・・・・」
抱き合ったまま、音の無い静謐な時間が二人を包む。
「何度俺の手を擦り抜けられたことか。だがもう、次を与えるつもりはない」
「俺は、俺の人生くらい、あんたにあげたって構わないけど・・・。でも、寂しさに負けるのは弱さなのかな・・・。あんたに埃を付けたくない・・・」
「もう何も考えるな。おまえの意識の端から身体の隅まで俺のものだ」
「そういうとこが、怖いんだっての」
「好きって言え」
「・・・ンなこと、誰が言うか・・・・」
青島の手が、縋るようにゆっくりと室井の首に回る。
煙草と石鹸の香りが鼻孔を付き、微かな熱を持つ吐息が室井の首筋に掛かった。
ドクリと鼓動が鳴って、応えるように、ぎゅっと抱きしめ返す。
「俺だって、いい加減な気持ちじゃない・・・。今もまだ信じられないのは、俺の方だ・・・・。ずっと、叶わない想いだと思っていた」
「・・・・」
「おまえは情が深すぎるんだ」
彷徨い、流れ、行き着いた先がここだと言うのなら、あと残っているものは何なのか。
覚束ない足元を竦ませた迷子ように、ただお互いの体温を感じ取る。
室井は身体のラインすら感じる薄手のシャツごと、息を殺して抱き締めた。
少しして、小さな嗚咽のようなものが耳に届き、ふいに回されていた青島の腕にも力が籠もる。
「駄目だよ、やっぱり・・っ」
「青島・・・」
「・・ッ、俺を切り捨てて、室井さん・・っ、そうでなきゃ傍になんていられません・・・っ」
「・・・ッ・・・」
「取り返しが付かなくなる前に、俺をめちゃめちゃに壊せよ・・・っ、あんたが・・・っ」
脅えてままならない青島の手が滑り落ち、夜風に揺れる細髪ごと、室井の首筋に額を擦り付ける。
自身でさえ歯止めが効かなくなり、暴発しそうな感情を持て余している若い葛藤と情熱が、室井の最奥にまで痛いほど突き刺さった。
「じゃないと俺・・・ッ、いつかあんたを・・・」
吹き荒ぶ嵐のような躍動する情の原生さに、室井の肌が栗立つ。
青島は、こうしていつだって室井を見つめ、室井を気に掛け、導き、室井へ全てを捧げて見せてきた。
それが青島の愛し方であり、その幼い愛の弔いは、青島が恐れる室井の烈しく破滅的な情愛と、何処か質が似ている。
何も確かなものを持たない自分たちが寄りかかれるものは、確かにいつだってこの相棒だった。
今、その絆が滴る様に熟れ、変色していく。
「おまえはずるい。そうやって無かったことにすることで、俺の気持ちまで否定する」
「ずるいのはそっちだろ、何一つ捨てられないあんたが・・・ッ」
余りに直向きな青島の慕情が、真っ直ぐに自分に向けられるその眩しさに目が眩んだかのように
室井は堅く眼を瞑り、 抱き締める腕に力を込め、奥歯を噛み締めた。
言葉は棘のあるものなのに、何処か室井の声色は甘さを帯び、青島の吐息は重く夜に溶ける。
「散々煽っておいて、おまえこそさっさと俺を置き去りにする算段だろ。それとも見切りを付けられるのを待っているだけか」
「俺が・・・、いつかあんたを食い潰すんだ・・・・」
「血の一滴まで渡したくないのは俺の方だ」
独占欲をあからさまに口にする室井に、服に顔を伏せたまま、青島が、不釣り合いな冷笑を立てる。
「騙されてから気付くんだ。自分の愚かさに。そこがあんたの弱点だ」
「だとして、何故おまえがそんな声を出す。甘いのはどっちだ」
「も・・・っ、これ以上あんたを記憶にも躯にも憶えさせたくないよ・・・っ」
くぐもった声で発せられる青島の剥き出しの感情に呼応するように、室井の深部に切なく熾烈な情動が走った。
憎まれ口さえ、室井には熱を帯びた愛の調に擦り替わる。
正も負も、澱むことなく室井へと剥き出しに開かれるそれは、酷く馴染み深いもので
脈動する青臭いエネルギーは強い残像を残し、良く知る彼の資性であると同時に、これがようやく見せた、抑制された青島の真の姿なのだろうと思う。
室井はようやく飢えた自我が満たされていくのを意識した。
こうやって、言葉以外のものが正面から摩擦を起こす時、いつだって自分たちは二人の境界さえ暈し、同じ感情を共振させ、ひとつになれる。
抽出された未来が重なって、熱を孕んで膨れ上がった未来に弾けてきた。
それはまるで、烈しい恋のように。
絶望のままに自分の胸に崩れ堕ちていく青島を、室井は強く抱き締めた。
「あんたを繋ぎ止めているのは、俺なんだろ・・・」
「それ以上言うな」
「放せよ・・・俺を・・・」
「言わなくていい・・・」
答えもなく、室井の腕がただ強まる。
「どうせ何だかんだ関わっちゃうのに、それ以上俺たちが時間を共有する意味って、何なの・・・」
「だが、そこまでおまえに言われて俺がもう手放せない」
極限まで追い詰められたら青島は、いつもの陽気さなど陰りも無く、脆く悪夢に怯えた子供のようだった。
きっとこれが、強がりで隠している本当の青島なんだ。
真夏の太陽の様に熱く陽気に振る舞う表向きとは異なり、剥き出しの愛情を持て余している、4つ下の無垢な存在。
拒絶の言葉を吐き、その縋る指先で、直向きな愛を必死に隠そうととしている。
室井だけのために。
その無防備さが危うく、無垢な分、他の誰にも捕られたくない独占欲となって室井を支配する。
獣染みた飢えで枯れていた室井の中の何かが、ひたひたと満ちていく。
行き場を失っていた室井の熾烈な想いが満ち溢れる。
それは、苛烈な焔となって室井の雄の本能を灼きつけた。
「おまえは何も知らないんだ・・・俺がどれほどおまえに焦がれているか。どれほど欲しがっているか。・・・・これからゆっくり、ひとつずつ、教えていってやる」
言い切った途端に、室井は青島の後頭部を引き、青島の最後の砦である結界を、躊躇わずに破る。
「・・・ッ!・・・んぅ・・・ッ」
眼を見開き、驚いて跳ねるように青島が抵抗する。
これが、青島の切り札だと言うのなら、そんなものとっとと捨てさせてやる。
室井から後退りする身体を強引に引き留め、口唇を強く重ね合わせる。
初めて触れた、夢にまで見た感触。
ウイスキーの残り香が、葡萄の芳香を残し、甘ったるく室内を酔わせ、止まらない。
「・・・ぅ・・・く・・、室、ん・・っ」
「もう観念しろ」
青島が眉を切なげに寄せ視線を伏せ、室井のシャツの背中を、何度も引っ張り、中断を求めてくる。
拙い仕草が愛おしい。
震える口唇を閉ざし、酷く動揺している他愛ない仕草が情感をより一層加速させ、室井は息荒く、角度を変えて塞ぎ直した。
狂気など、青島なんかより自分の方が、何倍も強い。
青島に向ける激情も衝動も劣情も、全てが熱く、焦燥を含み、いつも何かが足りないと獣染みた強さで渇望してきた。
自分には無い優しさだからこそ濃密に欲する。
だからこそ、その深い想いの全部が欲しい。
それを知りもしない、幼く無防備な青島が、愛しくも憎らしくもあり、同時に同じ衝動に脅える彼が、ただ一つの救済者だと思った。
自分は青島のように広く綺麗に愛することなどは出来ない。
飢えを孕む貪欲な感情を持て余しながら、身を引くなんてキレイなことなど出来ない。
「ん、・・ふ・・っ・・ぅ・・・・っ」
激しさを増していく口接に堪え切れず、青島が不安定な体制を支えるように、室井の後頭部に両手を回し、きゅっと引き寄せる。
最初にしてはやりすぎかもしれない。
だが、きっと、ここまでしないと青島は覚悟を決めてはくれない。
申し訳ない気持ちを余所に、悪いと思いつつもふっくらとした丸みのある弾力が心地良く、夢中で貪るように奪う。
情動のままにぶつかり合うほどに、きっと自分たちは近付ける。
少し背が反り返る動作に合わせ、室井は青島の背をソファに押し付けた。
そのまま、舌で口唇を割り、奥深くまでも奪う。
室井の舌が濡れた音を立てて青島の口腔の更に奥深くまで押し入れば、その手が、堪えるように強く室井の短髪を鷲掴んだ。
その凶暴な仕草に煽られ、室井もまた抱き寄せる手に力を込め
官能的というよりは野性的な所作で、本能のままに蝕んだ。
ゆっくりと口唇を解放し、熱く乱れたままの吐息がかかる距離で、挑む様にお互いの瞳を覗きこむ。
「まだ、足りないだろ」
「ひどい・・・・」
「これ以上待てるか」
「触れないでって言った、のに」
透明な瞳が夜を映して、深い蒼に揺れるのが、なんとも美しく、吸い込まれる。
「おまえが目の前にいて、そんな約束出来るか」
「お、俺のカノジョに何て言い訳するつもりだよ」
「清掃用員のか」
「人でなしみたいに言うな」
室井から手を離し、甲を口元に当て、青島が濡れたように光る瞳を逸らしてしまう。
「・・・ちっくしょ・・・っ」
悪態を吐くその頬がまだ赤らんでいて、照れていることを窺わせた。
幼い仕草も、ベビーフェイスも、柔らかい栗色の髪も、みんな愛しく映る。
その手を外し、そこかしこにキスの雨を落としていく。
「ん、も・・っ、信じらんねぇ、何・・・・考えてんだよ・・・」
「俺のせいじゃない。もう、成るべくしてなっただけだ」
「俺、永遠だの運命だのなんて安っぽい言葉、信じませんよ」
「おまえが俺についてくるのは当然だろ」
ひょいと室井が肩を竦めれば、むっとした顔で、青島が頬を膨らませる。
「もういい加減覚悟を決めろ。煮え切らない奴だな」
「そんな俺に惚れたのはあんたでしょ」
口唇が触れるほどの距離で、憎まれ口が熱く蕩け合う。
いつだって、室井が忘れていた熱い情熱を胸に灯す時、青島が種火を紅蓮に変えた。
それはまるで恋の情熱のように。
青島の透明な瞳が徐々に強気な光を宿す。
散々な一日となってしまった今日に、苦情のひとつも、ぶつけてやりたい。
「あんた、今日一体何しに来たんだよ」
「恋をしに来たんだ」
「!!」
「おまえと」
どれだけ深く傷つこうとも、どれだけ冷たい闇の底で踞ろうとも、二人で手を繋いで同じ未来にいられたら、それはすごく、倖なことで。
偶然なんか、ひとつもない。
やっぱり天運は数奇なのだ。
Happy end

20150603