初 のダブルカップル話。室井さんは空気読めないコミュ障。そして自意識過剰男。
登場人物は色々。本店メイン。まずは細新







下界の都~両想い編





1.
秋の香が漂うようになった。
曇りガラスの向こうにはつい目で追ってしまう男の背中と、途切れ途切れに風に乗るこっくりとした声音に室井は耳を欹てる。
彼からこちらの様子は伺えない。
視線が合えば胸が激しく騒ぐから、こうして盗み見するのは、室井にとって深く洞察する整合性があった。
豊かな表情でくるくると和久の後ろを付いて行く。人好きのする話術と愛嬌に誰もが惑わされる。

別に、生育環境の類似性があった相手ではない。
意見の相違も多く、恐らくお互い、生きる社会にいないタイプ同志なのだ。
なのに。

「うだでほど・・」
「?何か仰いましたか?」
「いや、いい。出してくれ」

室井は神妙に瞼を閉じ、シートに沈み込んだ。
車は音もなく滑り出す。
強く目頭を抑えても消えない瞼の男は、あの夜と同じ顔で笑っている。

「モテそうなタイプだ」







2.
「だったらもう意味がないでしょう!」

木立に憚りなく響く冷静さを欠いた声に雀が飛び立つ。
細川には絶対に屈服する言葉を巧みに選んだ新城が、顎を反らしもせず気高く告げた。
その言葉に屈服し反論の隙を与えてももらえなかったことに細川が気付くのは、新城が目の前から去ってからだ。
立ち尽くす細川の背広に色付いた落ち葉が一枚舞う。
まるで嘲笑うかのようにそぐわぬ光景に、偶然居合わせてしまった室井もまた、巨木に身を顰め、白い空を仰いだ。

「みっともないところを見せてしまいましたね・・また」
「会話の全容が聞こえてしまったわけではない」
「そうですか・・」

俯き、喉を軋ませるほどグッと何かを飲み干した細川が振りかえり、室井の方に歩いてきた。
気配には気付かれていたようだ。
それでも、聞かれたことにショックを受けているわけではなさそうだった。
その顔は哀し気に歪み、何かを堪える苦悶に、見る者の心を同情に染める。
そんな風に他者の感情に感応するなどといったことは、室井の人生であり得なかった。
今、シンパシーというにはあまりにも無作為な重たい感情が室井の奥底に滞る。
掛ける言葉もなく不自然に長引く沈黙に、細川が苦笑で和らげた。

「近づきすぎたのは間違いだったのかもしれません」
「・・・」

間違い。
そんな安直な言葉で片付けられるほど、細川の抱えてきた時間は短くないだろうに。
しかしその言葉にこそ室井は新城と細川の言い合いの根源を察する。
意味がない――傍にいると決めたことが無意味だったと新城は言ったのだ。

「どうしてあの男はそう言ったのか、聞いても?」

その質問に、細川は柔らかく笑うだけだった。
室井に一礼し、去っていこうとする。
頼りなげな笑みに切なさが込み上げ、その顔はいつかどこかで見たことがあると思った。
そうだ、あの時だ。
細川が恋を諦めようとしていた時だ。

「手放すつもりか?・・また」

狂おしく言葉にすると、驚いたように細川が立ち止まり、怒りの目を向けてきた。
一瞬にして消されたそれは、恐らく階級社会に馴染み過ぎた人間の条件反射だ。
細川の言葉を復唱した室井の言葉に、細川は、ほ、と一つだけ息を落とし、肩の力抜き、仕切り直す。
よく訓練されたエリート階級の作法だ。

「室井さんには折角お力添えくださったのに」
「私が知る限り、素直じゃない面倒臭い男だぞ、あれは」
「私が知る限り、高貴な血統と才能をお持ちの尊敬する――上司なんです」
「それが君の護りたいものか?」
「汚したくないんです」

細川の言う汚したくないものは新城の経歴のことだろう。
リスクを取ってまで出世を阻害する可能性のある選択を、新城は選ばない。
だからといって、そこまで目が曇った男でもないと室井は思う。
冒険も賭けも出来ないような、軟弱地盤に生きてはいないだろう。

「それをアイツも求めるのであれば、あの時に君を追い掛けはしなかったと思うが」

寸暇、細川の目尻が少しだけ滲んだ。
細川にとってそれは、数少ない幸運の思い出なのだ。
傷つくことの方が多くて、足が止まってしまった顔に今現れるのは無数の痛みの方だと、室井も思う。

「それでもね、男の意地ってあるんですよ」
「――」
「室井さんにだけは、それ、知っててほしくて」

再び丁寧に一礼し、細川が背を向けた。
今の室井には、大切なものを捨ててまで貫く意地が何なのか、的確に察してやれることはできなかった。
それは、約束か青島かを選ばされたあの秋の気配を連れて、あの年の血の痛みまで室井に思い起こさせた。
掛け損ねた言葉は冷たさを増した秋風が奪っていく。
やり切れない思いが燻る秋は、変わっていく者と、変えようとした罪科を、色彩鮮やかな景色を惜しげなく散らせることで
ありもしない幻覚に誘い込んでいた。








3.
本部が設置されているこの所轄は第一方面の都心部寄りにある。

「それで?結局、貴方は何が言いたいんです?」

いつぞやもどこかで聞いた台詞が投げ返され、室井は背中越しの男を丁重に抗戦した。
最早世間話をしているとは思っていないだろう、この男も。

「これは、両想いになったということになるのか?」
「まだそこからですか」

うんざりとした口調の新城もまた、後頭部を晒したまま、生返事を寄越して来る。
丁寧に撫でつけられた頭髪は室井と同じ整髪料で一部の乱れも許していない。

現在抱えている案件のひとつが、新城を管理官とする特捜本部だった。
その補佐に新城直々に命が下った。
捜査員は出払っていて、会議室に残る新城と室井が、奥手に運び込まれた資料段ボールの前で資料の読み込みをしている。
雛壇のホワイトボード前には島津がいて、情報を書き出す音が聞こえていた。
横に並んだパソコンの前ではプロファイル入力をする捜査員が数名いるくらいだ。

「君が聞いてきたから正直に答えたんだ」
「誤解も解けて、仲直り出来て、何が不満なんです」
「君は気付いていたんだろう。それが不満だ」

少し譲歩して遜ってみると、新城は興味なさそうに書籍棚の裏手へと回ってしまった。
やはり応えてはくれぬか。
室井も次の段ボールに向かうと、しばらくしてから反対側から気配がした。

「貴方が、フラれたと項垂れていたあの日、そんなものか?と半信半疑でした」
「?」
「気付きにくい相手ではある。表面的な人懐こさを隠れ蓑に相手を惑わし、煙に巻くのが得意そうな男だ」
「本心を晒してはくれない」
「警戒されている?果たしてそれだけか?そういうのは、ほんの一瞬、どこかのタイミングで綻びが出るものだ」
「何か確信があるような口ぶりだな」

積み上げられた箱棚の向こう、背中合わせになっている新城が少しだけ肩の力を抜いたのが気配で分かる。
鏡合わせに室井も背中をラックに預けた。

「私が見たのは貴方がやたら意識する姿ですが」

カンベンしてくれと室井は片手で目元を覆った。
細川にも言われたが、自分はそんなに彼を見つめていたのか?
認めざるを得ない、制御しきれない熱が沸々と出口を探している胸の奥に、室井は何もかもを受け入れたような、降参したような
そんな蟠りにひっそりと眉間を揉む。
ただ、あの夜以来、胸の奥がただ切々と何かと訴えていて、あの日の雨のように止みそうにない。
重ねた口唇だけが熱くて、抱き締めた温もりが手のひらからいつまでも消えなくて、いつまでも振り続ける。
傘の代わりに、人は人に縋るのだろうか。
それでもまだ互いに理性を捨てきれない馴れ合いは、これでもまだ座りが悪かった。

「付けくわえるのならば、彼と初めて捜査を共にしたとき、貴方が彼のどこに参ったのか、察しは付きました」
「新城、まさか」
「そこまで悪趣味ではありません」
「――」

黙ってしまった室井に新城もまた、いつになく無口だった。
先日の細川との一件から、数日が経っていた。
捜査本部に細川の姿はない。

「前に一倉さんが言っていたんですよ。捜査本部で貴方の横で、青島が一瞬貴方を見つめていたと」
「!」
「恐らく誰も気づかない。貴方も気付いていないようだった。一倉さんだってたまたま貴方の言動を見ていたから隣の青島の隙に気が付いた」
「本当か?」
「非常に分かり辛い男だ、だが、確かに何かある」
「・・・」
「あったとして、では何故貴方に暴かれるまで自ら言わなかったのか」

どうやら気付いていないのは自分だけのようだ。
それが悔しくもあり、盲目的である証明と自戒でもある。
室井はあの夜の回顧に眉間を寄せた。

また青島に先を越されている?
言わずに終わらせて良い?実らなくても構わない?
簡単に切れる青島と、断ち切れなかった室井。
その差は歴然で、想いの差だ。
本当に?

「言うつもりがなかったということか」
「私に言わせれば、何故その場でそこまで確認しておかなかったのです」
「タイミングの問題だ」
「つまり聞き損ねるほど浮かれてしまったと」

理性を飛ばしかけた夜を指摘されたようで、室井が口許を抑える。
戸棚の向こう、新城にはこの程度では気付かれた筈だ。
眉間を寄せ、室井は努めて声色を作った。

「私をイジメて楽しいか新城」
「今貴方に構っている余裕がないんですよこっちは」

少しだけ苛立ちを乗せた感情は、新城にしては珍しい。
思わず振り返ると、段ボールで作られた隙間から、険しい顔をした新城と目が合った。
鏡合わせではない、恐らく自分も似たような顔をしているのだ。

「酷い顔だな」
「貴方もですよ」
「・・・」
「・・・」

感情を表に出さぬ男がここまで揺るがされる、そんなものは一つであろう。
この話題で晒される事実を怖れ、新城は敢えて戸棚の向こうに移動したのかもしれないと、今になって室井は気付いた。
仕事のことなら室井に弱みを見せない男だが、恐らく悩みの種の出処は同じだ。
だから新城も暴かれることを怖れる。

遠くで響くこの部屋に近づく複数の靴音に、一瞬にして室井と新城の顔が刑事に戻る。
だが最後にひとつ。

「新城、躊躇った君に細川は気付いていた」
「・・・」

その問いに新城が答えることはなかった。
背を向けて立ち止まったまま、動かない。
だが席に戻ろうとした新城が、気紛れか、一歩出て、そこでまた動きを止めた。

「突き放すならもっとうまくやるのでは?彼ならば」
「――」

青島はそういう男だ。
室井のためならば、身ひとつ投げ出せる。

「恋心一つ程度、潰して見せることくらい彼にとっては朝飯前に思えますよ。実に憎々しい」
「!」

分かっていたことじゃないか。
断ち切れる青島と、断ち切れなかった室井。
二人の勝敗は、最初から出ている。

「それが出来ない俺たちは負け犬か」
「でしょうね、あの男にとっては」

新城が何を理由に細川を断とうとしているのか分からぬ以上、室井もその意味を汲み取れなかった。
ただ分かるのは、清水の舞台から飛び降りる気持ちで告白したのに、届かない。
堕ちていく罪の意識よりも君を選んだのに、伝わらない。
その事実。

「知った上で知らないフリするのも結構しんどいんですよ」
「意地があると言っていた」
「その“意地”が、私を試してくる。この平行線をたどることに何の意味が?」
「・・壊せ」
「どうやって?私が何を言っても動かないのなら意味がない」

これが何を差す会話なのか、室井自身良く解かってはいなかった。
一つだけ言えることは。

「少なくともその“意地”は、お前のためのものだぞ」
「~~~!!!そんなことわかってるんですよ!!」

新城にしては大きな声で言い残し、足を速めた。
会議室に残っていた全員が驚いたように顔を上げ、こちらを見ている。

正論は結構です!とドヤ顔していたが、いつも正論で憎々しい嫌味を詰めるのは君の方じゃないか。
しかし成程、血統が高くとも感情は庶民も同じらしい。
室井はとりあえず核心は突けたことを実感し、資料に戻った。
こんなところで空想大会していても答えは出ない。
言うだけ言って退散していった新城に、聞く相手を間違えているな、お互いに、と室井は心の中で声をかけた。







4.
「細川、ちょっといいか」

わざわざデスクを訪ねたら、細川は明らかに動揺を見せた。
そりゃそうだろう、階級も異なる、直属でもない上官に出向かせたら室井だって萎縮する。

一旦本庁に戻った隙に、室井は細川を訊ねた。
本庁と所轄の連携・調整役が今回室井に命じられた任務のため、移動が多い。
その分、時間は押してしまう。
全く、こんな風に人の色恋沙汰に首を突っ込むなど、以前の自分には考えられない失態だ。
ましてや特捜中にだ。
失態。室井に言わせれば仕事以外のことに時間を割かれるのは不本意以外の何物でもない。
こんな世話好きみたいなこと、青島と会わなければ絶対にすることはなかった。

「室井さん、お時間がないのでは」
「直ぐに所轄に戻らなければならない。五分だ」

強張った細川の顔が彼の緊張を伝えてくる。
非常階段に連れ出し、辺りに人影がないことを確認した。

「室井さんは今、特捜応援でしたよね」
「依頼だ。新城からだ。借りを返せと言われたが、何の借りかも分からない」
「はは・・」

地を這う声で警戒しながら口火を切る。
触れ合うほどの肩の距離に、細川の躯体の良さが闇に溶けていた。
日暮れを迎えた都会は青色の大気に包まれている。

「先に弁明しておくが、先日のことは言っていない。たまたま二人で話す機会があったから話題になっただけだ」
「室井さんがそういう方面に探りを入れられるほど器用だとは思っておりません」

くすりと笑った細川の柔らかい表情に、室井も意味を込めた漆黒を深めた。
話が早い男は好ましい。
秋の冷えた夜風が身体を冷やし、スーツの奥まで冷気が沁み込んでくる前に、始末を付けてやりたかった。
この季節の時間は足早だ。

「断ち切れない人間は負け犬か?だが、捨てきれないしぶとさも格好いいと教えてやれ」
「はは、なんかほんと・・今まで知っていた室井さんじゃないみたいです」

片眉を上げ、本来はこんな田舎小僧だぞという風に泥臭さを表す室井に、細川も油断し肩の力を抜く。
前置きも説明もない室井の助言は正に官僚然としていて、これが恋バナなどとは誰も思わないであろう。

「君の抱えるものは誤解だと伝えておきたかった」
「・・・」
「この特捜が終わったら話す時間を作ってみたらいい。と、思う」
「室井さん」

話を遮るように、細川が柔らかく口を挟んだ。
夜景に溶け込む細川は、まるであの夜の青島のように儚げに、だがどこか艶美な焔を宿し、笑んだ。

「抱きたいんです・・」
「!」

何をかなど、問うまでもなかった。
男なら察せる話だった。
彼があの日、室井には知っててほしかったと告げた意味も分かった。
何もかも見透かすこの彼は、室井の奥底に沈む欲望も“知っている”。

「触れたら止まれません。そして、触れたら台無しになります。これまでの努力も、支える派閥も家柄も、何もかも」
「!」
「実は新城さんが室井さんを応援要員に指名したと聞いて、室井さんにまでご心配させてしまうことは予想してました。勇気ないです。怖いです」
「・・そうか」

それだけを返すのが精一杯だった。
喉から絞り出した声は、細川よりも悲痛に掠れる。

「すみません・・もうどっちに転んでも限界だったんですよ、恐らくは」

室井は硬く瞼を伏せた。
直視するのが、何故か気苦しかった理由が今分かる。
瞼の裏に焼き付いている男の姿が、室井を責め立てた。
どっちにしても限界だった。そういうことだ。

でも、沸々と湧き上がるこの怒りにも似た感情はなんだろう。
どいつもこいつも!

「ん?だが、その、新城が嫌がったのか?」
「違うんです。むしろ、手を出してくれって。こういう関係になったのだから証が欲しいと乞われて、一瞬流されそうになっちゃって、」

なッ、なんと!!

「部屋に連れ込まれて、ネクタイ自分で解いて、こういう魅力は俺に無いのかと。スーツも脱いじゃうんです・・」

しッ、新城ッ!おまッ!大胆だな!!

「あの人、普段あんなにツンケンしてるのに凄く積極的なんですよ!私、もうどうしていいか分からなくなっちゃって・・!」

羨ましい話だな!おい!

「そしたらこないだ押し倒されちゃって!馬乗りで・・!そこまで誘われたらこっちの理性なんて!!吹き飛びますよ!!」

そこまでしたか!あのお坊ちゃまが!!

「だってどれだけお慕いしてたと思ってんですかもおお!!」

非常階段の鉄柵に額を押し付けた細川の言葉に、蒼くなったり赤くなったりしながら聞いていた室井は
確かにアドバイスしてあげられるほど経験値がないことを知った。

「・・もういっそ、抱いてやれ・・」

それだけをお経のように口にした。
すると、夜風に頬を冷やしながら細川が顔を覆った指の間からジロリと睨む。
そんな風に細川が感情を出してくれるのも最近の話で、室井にとっては数少ない腹を割って話せる相手となった。
が。

「実は会って来たんですよ」

そこで細川は室井の耳元に口を寄せ、その名を呟いた。
聞こえた名に室井は目を見開く。

「勝手に動いてすみません。かなり警戒はされてしまいましたけど、勘の良いお方で、事情は察してくれたようです」
「営業トークだけは舌を巻くだろう」
「見事な交渉でしたよ」
「なにか――言っていたか」

それから細川はこめかみを人差し指で掻き、視線を明後日に投げ、吟味したのであろう言葉を口にした。

「知った上で知らないフリしてるって言ってました」

どこかで聞いた台詞だ。
室井も反対側の天に細長い息を投げる。

「確かに平行線だな」
「片思いの時はこんな思いするなんて思ってもみなかったです」
「細川、君が全部背負うことはないだろう」
「その言葉、青島さんに言ったら駄目ですよ」

細川の言葉の含みには、今室井に伝えていない何かをも青島から聞き出した可能性を感じさせていた。
聞かせる段階にないと判断されたのだ。
察した室井の顔に、細川は白状するように重たい息を落とす。

「どこかで逃げる口実を探している自分がいるんです。嫌になってとか飽きてとかではなくて、いざって時がいつか来るのだと」

知った上で知らない振りをしているのは、細川もなのだ。
そういう恐怖を常に抱えながら、別離の衝撃に脅え、狂乱する情欲に身を落としながら、狂おしく、切なく、荒んでいく。
衰弱した奥底にどこか仄暗い喜びさえ感じながら、さながら、冷たい秋風に身を晒す紅葉ように、朽ちていくだけの。

「あいつも逃げ出しそうだったか?」
「多分、逃げられちゃいますよ」

きっと、室井や新城では、何かピースが足りないのだ。
身分の足りない相手が患う何かを見落としていて、それは多分一生理解してやれない。

でも、惚れた相手に手を出せと言われて応えてやれない男の苦しみは、どれほどのことだろう。
新城が叫んだ“意味がない”の真意も今なら分かる。
身体を重ねなくても深めていけるものを探すだけの余裕を持てない男にそれを探させるのは、あまりに酷だった。
そしてそれは恐らく応えるつもりがなかった青島の、本音そのものなのだ。

「なあ、俺たちは馬鹿か?」
「ですねぇ」

眼下では足早に飛び出して行く刑事たちの影が蠢いている。
ここは国家の中枢に直結する捜査機関だ。健全な魂と健全な精神を求められ、律せられ、法に則り惨憺する場だ。
こんな烙印を背負う一方で、欲に忠実な上層部、変わらぬ階級主義に喘ぎ、何に向かえばいいのか分からなくなってくる。
細川の同調もまた、あの日の秋の匂いを知っているものだ。

「諦めるか?」
「諦め・・きれたら・・どんなに」

その迷いにこそ、だが室井はどこかホッとした。
自分たちの始まったかもわからない恋路に赦しを得た気がした。

「だが、なぁ、細川。もう走り出してしまったんだ。一度踏んだアクセルは止めようがない。覚悟を決めるべきなんじゃないか?」
「目の前にして、それは言えませんよ。多分、室井さんも」
「・・・」
「覚悟、してた筈だったんですけどね。いざとなったら怖じ気づくなんて」
「それだけ本気ということだとは、あのお坊ちゃまだって分かっている」

お互いが同じ快楽を共有したいと思い合っているのだ。
とことん話し合えばいい。
話し合う時間すら、愛の語らいになるだろう。
そこまで想われている二人が今の室井には羨ましい。
青島は、自分に対していつかそんな風に思ってくれる日がくるんだろうか?
逃げられる。その危険を先になんとかしなくては。
どうやら戦略の練り直しが必要だ。

「やっぱり、室井さんは以前の私が知っている室井さんとはちょっと違う気がします」
「幻滅したろう?」
「すごいな、青島さんは。今の貴方の方が好感を抱けています」

お世辞すら言われたことのない室井は、顔も作れず狼狽えた。
口元を隠して、顔を背けた。
それもこれも、みんな青島のせいだ。

行きましょうかと、細川が扉を開け、辺りに人がいないことを確認する。

「君は、例えばキャリアに傷が付いたアイツに、興味失くすのが恐いのか?」
「そうなったら浚って逃げそうで恐いんですよ」

成程、どうやら思考回路は同じらしい。
室井は口端を持ち上げ、高慢な笑みを見せた。

「あのお坊ちゃんにもたまにはそういう損な役回りさせた方がいいんだ」

そう言うと、細川はようやく笑ってくれた。







5.
細川が軽く呼びかけると、どこかへ向かおうとしていた新城は足を止めて振り返った。
駆け足で追いつき、遅れた非礼を詫びる。

「遅い。部長に呼び出された」
「恐らくそれはこの件だと思います。次の会議で議題に上げると」
「ついに腰を上げたか」

細川がクリアファイルから取り出した用紙に新城はザッと目を通すと、突き返す。
心得たように細川が元に仕舞い、同じ歩調で会議室へ向かった。
一歩下がる立ち位置に、細川は新城を盗み見る。
真っ直ぐに前だけを向いて優雅に闊歩するエリート警視の背中を見て、ここまできた。

「新城さん。今夜、お時間取れませんか?」

歩みは止めず、視線も向けない。
新城が細川を一瞬だけ見上げてくる。
そして一瞬だけ、見合った。
顔を見た、それだけで多分、色々通じた。

「室井さんから色々聞かされたぞ」
「はは・・すみません」
「あそこもまた、拗れているようだな」

声のトーンは変わらない。
それでも細川には新城が今、プライベートを見せてくれていることが伝わる。
それだけで心は温かいのだ。

「あちらの方が根が深いかと。恐らくは」
「フン・・、それなのに随分とお節介を焼いてくれる」
「それは新城さんのことが心配だから」

今度はちゃんと目と目を見合わせ、共通の笑みでやりすごした。
今なら言えるだろう。
きっと伝わる。

「今晩のスケジュールも把握しているんだろう?」
「8時以降、ご帰宅になれます」
「その後の時間を私にくれるのか?」
「頂けるのでしたら、奪いに行かせていただきたいのです」

小首を傾げ、少し考える仕草をする新城の視線は細川だけを見つめてくる。
迷う気などない。
そもそも逃げたのは、細川の方だ。

「話し合えと室井さんに言われたからか」
「もっと、たくさんの新城さんを知りたいのです。知るだけの許可を貰えるのでしたら、お時間をください。私に」

その答えに満足してくれただろうか。
新城は視線を外し、そうだなと小さく呟いた。

「お前の部屋に行ってもいいか」
「勿論です。来ていただけますか?」
「楽しみにしている」

細川はここが本庁であることも忘れ、思わず口元を手で塞いだ。
赤らむ頬を隠しきれないその様子を横目で見た新城が呆れた顔になる。
この程度でそんな顔をするな。

「どうせあいつらも知った上で知らないふりをしているクチだろう?」
「それは、それだけ本気だってことなんだそうですよ」
「・・生意気な。どうせあのやんちゃ坊主の受け売りだ」
「ですかね?」








happy end byHS

pagetop

両想い細新。
連れ込み成功。このあとお初を迎えたと思われ。がんばれ細川くん!