攻
め視点で惚れた切欠話。
登場人物は色々。本店メイン。時間軸は室井さん管理官時代。
でもこれ、くっつく気がしない。
下界の都~片思い編
1.
気付いたらやたら視界に入る。目障りな男だ。
彼に初めて会った時の印象は、軽薄な優男という底辺層のものだった。
茶髪で柔らかそうな髪をふわふわ揺らす、身形も庶民な、およそ警察官としての枠をはみ出た新参者だ。
こっちは秋田の片田舎生まれだ。
短い夏が過ぎるとあっという間に雪が覆う土地で、一年の半分以上が暗い。
そこから都会で伸し上がるまで、どのくらいの苦労をしてきたか。
彼のような人種には到底分かるまい。
「あっ、室井さん!また下に情報下ろしてくんなかったじゃないですか!」
情報情報煩い。
そう簡単にペラペラ喋れるもんじゃないことくらい察せないのか。
「悪ぃけど、こっちはそこまで計算してないって言ったでしょ!頭じゃなくて心で動いているんで」
馬鹿野郎。
法の下で動く人間が感情論でコロコロ意見を変えるわけにはいかないんだ。秩序を乱せないことくらい分かるだろう。
マウント取りに来たのか。
「あれぇ?室井さん?なんか顔色ワルイ?」
地黒で悪かったな!というか君の方が日焼けしてるじゃないか。
そもそもなんでそういうことに気付くんだ・・
そこからの室井の意識は曖昧だ。
「進展は」
「動き、ありません」
「しっかり見張らせろ。今夜には必ず動く。私は先に仮眠を取ってくる」
「え、今ですか!」
「問題でも?」
「・・いえ!動きがあったらすぐにお知らせします!」
「頼む」
とりあえず給湯室に入って、市販の風邪薬を入れた。
運転はするなとの注意書きがないタイプを選んではいるが、恐らく。
***
嗅ぎ慣れたような、見知った懐かしい匂いに誘われて、室井はそのぬくもりを手繰った。
無意識に、或いは、本能的に。
深く胸の奥まで吸い込めば、懐かしさの向こうに限りなく穏やかなまどろみがあった。
その手触りは、よく知っていた。
日常の中で普段は忘れていて、知らなくても良いことで、だけどどこか、何かの拍子に、時折無性に恋しくなる。
目が覚めた時、覚えの無い毛布が自分にかけられていた。
微かに、知っている煙草の臭いが毛布から漂っていた。
2.
「それで?結局、貴方は何が言いたいんです?」
「腹が立つということだ」
「出先の生き倒れが?」
「――、体調不備については言い訳しないが、そんなのは私に限ったことではない。別に捜査に穴は開けていない。ただの仮眠だ」
先日の湾岸署での一件は、既に本庁には知れ渡っていた。
といっても、一部の中堅キャリアが零した告げ口など、すぐに揉み消されるだろう。
本庁霞が関の時間は下界より早く流れる。
新城からは呆れたような目線を頂戴した。
「貴方みたいにいい加減な姿勢で捜査に臨むから、所轄如きに舐められるんですよ」
連日の本部掛け持ちで疲労がたまっていただけだ。
ほんの二時間ほど、湾岸署の仮眠室で身体を横にしていた。いつもなら捜査資料を読み込んでいた時間だ。
その間、誰かがこの部屋に入ってきたらしい。全く気付かなかった。
目が覚めた時、自分に毛布をが掛けられていた。
「結果が残せればそれでいいだろう」
「今回は点数を稼げましたね。だが私には程遠い」
新城は、以前より柔和になったとはいえ、どうしてこうも室井に突っかかるのか。
言っていることは正論だと思う室井にとって、わざわざ指摘されることほど腹立たしいものはない。
「君はそういう言い方しか出来ないのか」
「心構えを説いたまでです」
「言い方が嫌味なんだ」
「そういう風に受け取るのは、貴方に根っからの負い目があるからじゃないですか?」
本当に腹が立つ。
室井はこの部屋で新城と二人きりで仕事をしているのかさえ、投げ出したくなった。
だがそんなことをしたら、そこで負けだ。
新城との口論は、絶対自ら引かない。室井の信念である。
「とにかく、休んでいてもいいと思われたのが屈辱だ。来たのなら起こせばいい」
「様子を見に来たぐらいですから用事があったことは事実ですね」
「なのに用済みとばかりに放っておかれた、本部でだ」
「ノンキャリの誰かだった可能性もありますよ。奴らは捜査の重要性を分かっていない」
「その分、影で嘲笑っているのかと思うと忌々しい」
新城と視線が合う。
この手の感覚は官僚だからこそ分かるだろう。
所轄にはない、官僚独特の矜持だったり価値観だったりする。
相容れない排他的で抑圧された司法の世界である。
自業自得だと、新城が肩を竦めていた。
「心当たりは全くないんですか?手掛かりも?」
捜査染みた言葉に反応し、室井は顎を上げた。
実は、あった。
だが証拠はない。
それを言おうかどうか迷っていると、新城の追及の目が室井を逃さなかった。
「一端の刑事なら、何か痕跡を見つけて然るべきでは?」
「・・独特な煙草の臭いに気付いた。だがそれは元々毛布に染みついていたものの可能性が高い」
「その嗜好品に心当たりがある?」
「ああ」
「誰です?」
「・・青島だ」
新城と室井の目が合って、宙で止まって、一瞬の間合いを持ち、澱んだ。
聞き出せた言葉に納得したのか、平凡な答えに興味失せたのか、新城の手元は黙々と作業に戻っていく。
「・・・」
それ以上言葉が返ってこないので、室井もまた資料に目を戻す。
過去の資料を漁っていると、ようやく探していた判例を見つけ出せた。
「・・あった。ん?なんだ、この時の管理官は君だったのか。だから私を目の仇にしてたんだな?」
「引き継いだ貴方に私の戦績まで汚されたらたまりませんからね」
だから今回の噂話にも目敏かったのか。
「私情を挟み過ぎじゃないか?」
「同じ言葉を返しますよ」
「所轄贔屓と言いたいのか」
「むしろ青島一択では?」
「・・そんなつもりはない」
「見つけてもらえたのが青島で良かったじゃないですか。彼なら吹聴はしないでしょう。麗しい愛情だ」
「・・別に毛布の相手が青島だと決まったわけじゃ」
というか、愛情ってなんだ。
「階級を越えた理解など私には必要ないですが、貴方なら喜んでおいたらどうです?」
再び新城のスイッチが入ってしまったかもしれない。
室井は時限爆弾を扱うように慎重に言葉を探した。
そんなに俺たちの仲が羨ましいのだろうか。或いは気に喰わないのだろうか。
羨ましいと思ってもらえるほど、俺たちは――近くない。
「あそこまで無邪気に慕われたら男冥利に尽きるでしょう。可愛い顔してタラシの素質もある」
「そんな風に見たことは」
「ないわけ、ないでしょう?観察は官僚の基本だ」
「あいつはその手の政治や出世に疎い」
「成程。惚れた相手に見るのは純情ですか?傍から見れば貴方達は似た者同士ですからね。色眼鏡もかかる」
「似ているか?」
「なら、室井さんは毛布を剥ぎ取るわけですか?」
「・・剥ぎ取らない」
ほらみろという新城の顔が腹ただしい。
似た者同士というのなら、確かにそうなんだろう。
シンパシーがないと言ったら、流石に違うだろうと室井にも分かる。
だが周りが煽てるほど彼と親密な交流を持てた気はしていない。何かと衝突してしまうからには相性だって悪い。
時折感じる、あの不可思議な共鳴を、期待に変えてしまうだけの明確な理由がない。
「愚図愚図しているのなら私がもらいますよ」
「欲しいのか?」
「問題でも?」
新城の下衆な挑発に室井は顎を上げて眉間を寄せた。
天井を向いて、ファイルに戻る。
「君には無理だ」
あのやんちゃな男をこのエリート官僚が手懐けられるわけがない。
それだけは室井にも言い切れた。
あのスリルと奇妙な感覚を、誰にも渡したくはない。汚されたくはない。
すると新城が満足そうに口角を上げた。
「過ごす時間が長くなれば愛着も湧く。全身で意識しているのが明け透けなんですよ、貴方は」
「君はとことん私を馬鹿にしたいらしいな」
「やましい下心が駄々洩れなんです」
「あのな新城。そんな風に自慢できるほど、私はまだ彼と交流していないんだ」
「そうやって抗っている貴方の方が意気地がない」
「君だって細川に頼りきりじゃないか。過ごす時間の長さが問題なら、その理屈で行くと君は細川と懇意の仲だということになる」
「――」
ふと、心情の口車が止まる。
犬も喰わぬ低次元の応酬の果てに、会話は妙な矛先を持っていた。
こんな顔の新城は初めて見た。
動揺しているのか?
もしかして図星なのか?
黙って見つめ合ってしまう不自然な空間に、奇妙な間だけが長引いていた。
「待て。そうなのか?」
「だとしたら、室井さんは中野と青島の二股になるんですね」
なんとも奇妙な捨て台詞で、調べものが終わった新城が退出していった。
初めて新城の隙を見た気がした。
とりあえず、どうやら今日も室井のプライドは護れたらしい。
3.
「お茶みっつね!」
満面の笑みで袴田の大声が通る。
湾岸署は本当にいつも賑やかだ。というか煩い。
応接室で袴田課長と向き合っていると、そこに茶を入れた盆を持って入ってきた人物に室井は頬を強張らせた。
思わず目だけ向ければ、青島も驚いたようだった。
青島が大きく腰をかがめ袴田に何やら耳打ちすると、袴田は室井らに断りを入れ、入れ替わりにそそくさと一旦退出する。
その慌てぶりに青島がしょうもないなと見送った。
「お客って室井さんだったの?・・あ、中野さん、お久しぶりでぇす」
「半年ぶりくらいですか、ここは相変わらずですね」
「まあね~。相変わらず忙しくしてますよ。で、今日は?」
「先日の後始末に来た。概要書の提出と、幾つかに判を」
いつもなら和やかな雑談は放っておく室井が、自ら口を挟んだ。中野もにっこり笑って手元の資料をテーブルに並べていく。
多少剣呑な声になった室井を汲んだ中野の行動に、何やら気恥しくなるのは、こちらの方だ。
目の前では青島は頬杖を付いて、じぃっとこちらに向く視線が刺さってくる。
童顔でくるりとした目が印象的で、揶揄うような意地悪な瞳が、ほろ苦い。
「ああ、室井さん、こちらは此処ではなく」
「そうだったな、では中野くん、これだけ別にしておいてくれ」
「承知しました」
「あれはどうした」
「それは先程既にメールで先方に」
やり取りを見ていた青島が、ふと洩らした。
「中野さんと仲いいんですね、息合ってるってゆうか」
室井は思わず目を剥いた。
さっきの新城の言葉がグルグルしていて、つい口籠る。
これじゃ本当に二股だ。
「長年お仕えしてますからね」
中野もまた、悪気はないのだろうが肯定の言葉を返す。
さっきの新城との会話を知らないだけに、やたらサポート力を推し出すので、室井は内心冷や冷やした。
「アレとかコレとかで会話できるって、ほら、夫婦でもなかなかね」
「年季入っているでしょう?」
「負けました」
室井そっちのけで中野と青島が笑い合う。
「室井さんって友達いなそうだし、味方もいなそうだから、良かったですよ」
「この人、無口でしょう?顔が怖いからキャリア内だと喧嘩売ってるみたいに見えちゃって」
「あ~成程、俺らだと分かりやすく喧嘩吹っ掛けますけど、キャリアは頭脳戦勝負ですもんね」
「そうなんですよ、だからみんなが顔色窺う感じで」
「なのにその仏頂面」
「そう!」
田舎者、三流大というだけで軽んじられ、抑え付けられた。
手柄を自ら上げ、組織倫理に従い、敷かれたレールをひた走った。
その奮闘も、何故だか湾岸署では空回っている。
チロリと青島を盗み見た。
目が合ってしまう。
「ちゃんと心割ってる人、いるんじゃない」
大切にしなよと、青島の目が室井を邪気の無い目で小首を傾げる。
青島にとっての心割る人は、自分ではないのだと青島の目の色から察してしまった。
それが鋭く心の奥に突き刺さる。
室井が反応せずにいることにも気づかず、青島は中野にもお世辞をばら撒く。
「室井さんみたいな頑固者タイプ、分かってあげられるなんて凄い能力ですよ。カッコイイです」
「お任せ下さい」
袴田が汗を拭きながらペコペコとお辞儀をし、戻ってくる。
笑って片手をあげ、雑談を終えた青島が去っていく。
べ、と舌を出されたその顔に反応も出来ないまま、交流は終わらされた。一方的に。
その背中に当然掛けられる言葉などある筈もない。
なんだろう。言い訳したい気もしたが、何を弁明するべきなんだ?
誤解されている気がした。
でも、ここで何か言うことは、中野にも失礼な気がした。
4.
途中階で止まったエレベーターで、室井は姿勢を正す。
顔を上げれば、乗り込んできたのは細川だった。
凡そ室井には興味がないのだろう、表情一つ変えず一礼に留め、対角線上に立つ。
こちらが勝手に話題にしていただけで、特に親しい仕事をした間柄ではない。派閥も違い、階級も違う。
元々、地方出身キャリアと話そうとする人間は滅多にいなかった。
その意味では、新城のように突っかかってくる男は、まだマシなのかもしれない。
よくよく考えれば、新城もまた物好きな男である。
「・・君は、新城に仕えて何年になる」
無口で愛想も無い室井に話しかけられるとは思っていなかったのだろう、細川は酷く驚いた顔を向けた。
この空間に自分以外の人間が誰もいないことを確かめてから、室井にまた視線を戻す。
その様子が可笑しくて不躾に観察してしまった漆黒に、細川は瞠目した後、顔を反らした。
表情を保つのはキャリアの基本だ。
「正確には覚えておりません。それに新城さん個人の部下というわけでもありませんし」
「新城はそうは思っていない口ぶりだった」
答えは、意外だったのだろうか。
少しの沈黙を持たせ、細川が口籠って顔を隠し、持っていたファイルを抱え直した。
「任務には忠実でありたいと思っています」
そうだなと室井が頷いて、会話は終わった。
また、居心地の悪ささえ生じさせない他人行儀の沈黙が長く続く。
こういう時、世間話を膨らませる青島のスキルに、ただただ感心するばかりだ。
恐らく自分は他人に関心がないのだ。
人がどうなっても構わないと、心のどこかで思っている節がある。
信頼を回復できない原因が自分にあるとは、室井は夢にも思わない。
どうしたもんかと気付かれない程度の溜息を落とすと、細川が室井を見ていた。
なんだ?と室井の眉間が寄る。
「その・・、先月、新城さんには専任のサポートを打診されたのですが、断ってしまいました」
「何故」
「室井さんはそう仰るのですね。そう言われたのは初めてです」
細川の方から続けてくれた話題に、室井は静かに応じた。
室井の主観では、新城は細川に任せすぎているから、なんら違和感はない話だ。
主要派閥に属することで抱えている案件も多く、その辺の事情を理解し、同じレベルで仕事を整えてくれる有能な相方は欲しいだろう。
だがそれは、細川側から見れば迷惑な話だ。
「専任となると出征街道が不鮮明になるからか。君の実力なら気にすることじゃないと思うが。どうせそのうちヘッドハンティングされる」
室井の投げやりな、どこか憂さ晴らしのような口ぶりに、初めて細川は表情を崩した。
エレベーターが到着し、先を譲ってくれた行為に従うまま、細川も続き、少し後ろを付いてくる。
まあ、目的は同じ大会議場だろうから、自然と足並みは揃う。
通路には人もいない。
「新城こそ人一倍出世に拘っている男だ。例え利用するにしても君の出世を阻害する気はないと思うが」
「転属に付いてだけ疑問視しているわけではないんです・・」
「?」
「お傍にいますと、なにかと不都合をかけてしまうので」
不都合という、なんとも常識的で曖昧な表現に、室井は足を止めてしまった。
今までの室井だったら適当に流してしまっていただろう。だが、先日の今日のこのタイミングでは、妙に深読みしてしまう言葉だ。
勘繰りをしてしまうのは当然で、返答を惜しんだ奇妙な間合いに細川の方が笑みを湛える。
「どうぞ」
ああ多分、今、気を遣わせてしまった。
細川は住む世界の違いを治め、閉じてしまった。
自分を卑下している。
室井が答えなかったことで、不相応な欲張りだと、自己価値を下げてしまった。
そうではないのに、と、無意識に室井の心が騒ぐ。
会場の扉を開けようとした細川の手を、室井が指先で流麗に止めた。
「すまない、私は気の利いたことが言えない。一つだけ言えるのは、新城は割と図太い男だから、君が利用するくらいの態度で丁度いい」
「あれでいて新城さん、線の細いところあるんですよ」
「細かいだけだ。先日も私と中野の仲にでしゃばって、八つ当たりをされたばかりだ」
必死に引き留める室井の奥底は闇色の漆黒に紛れて伝わりにくい。
だが細川は足を止めて聞いていた。
言いたいことは伝わるだろうか。
少しでも揺れてくれるだろうか。
細川の気持ちがどんな形のものであっても、それは今、関係がない。
関係ないと思った。
離れる決断をするにはどれだけの葛藤があっただろうか。そんな悲しい決断を一人でするんじゃない。
「室井さん」
細川は、背を正し、丁寧に頭を下げた。
そして。
「気付いたら心奪われていた」
「!」
「って、あるんだと思いますよ」
開けようとしていた扉の前で、細川は俯き、寂しそうに笑って見せた。
人の心を締め付けるような笑みだ。
どこか青島を思わせた。
何も言えなくなって、突然カミングアウトされたことにも気付かず、室井は指先を下ろした。
それを合図に細川が扉を開け、先に会場に入る。
促すように扉を押さえていてくれた。
擦れ違いざま、微かに、ありがとうございますとの謝辞が耳に届いた。
何か気の利いた言葉を。
だが、室井の頭には何も浮かばなかった。
見交わすだけで、細川が扉を閉める。
室井はただ背の高い細川の真っすぐな背中を見送った。
多分、細川が抱えているものは、室井が考えるよりも重くて根深く、それでいて、きっと、尊い。
新城のためだけの決断で、きっとそれを新城も知っていて、お互いがお互いの決断を尊重しているのだ。
それは、この無機質で退廃的な不協和音の中で、やけに頼もしく、美しく見えた。
「なにやってんだ、アイツは」
君達の方がよっぽどまだるっこしいじゃないか。
それでも、少しは青島みたいに琴線に触れる行いが出来ただろうか。
自分でも。
5.
「新城!失礼するッ!」
勇み足で入室してきた室井に、新城は電話中だったのにも関わらずフリーズしてしまった。
感情をやたら抑え付ける室井にしては珍しい粗暴な訪問で、いきり立つ顔は般若のようだ。
新城はアポもなかったことすら忘れて通話を終えた。
「今日は随分と殺気立っていますね、お里が知れますよ」
「今すぐ細川を引き留めろ。話はそれからだ!」
「は?細川なら今別件で手が空いておりませんが」
「仕事の話じゃない。引き摺ってくるんだ」
「そもそも貴方と三人で話をする意味も分かりませんが」
新城がどすんと椅子に座り直し、ふんぞり返った。
室井も顎を反らして見下ろし、睨みつける。
引く気はない。
「細川に何の用です?」
「用があるのは私じゃない」
「は?」
「君は細川に――いや、少なくとも大切には思っているな?だったら今は行け。首に縄を付けてでも連れ戻せ」
「いきなり来て何のご相談かと思えば」
「私への嫌味なら後で幾らでも聞いてやる。引き留められたならばな」
「!」
流石に何の話をしたいのか新城も理解したようで、暫し室井を見定めた。
何かを言い掛け、口唇を薄く開くことが数回。何も言葉を持たないらしく、賢明に閉ざされる。
当然だろう、今の状況で新城が室井に聞くことなど出てくるわけがない。
言いかけた大半は恐らく想像通りなのだから。
ただ思うところはあるらしい。
「逡巡も、反省も、後ででいいだろう新城」
動きのない新城に、室井は静かにそれだけ付け足した。
それほど切羽詰まっている状況なのか。新城の目はそう問うていた。
室井は黙って顎で扉をグイっと差してやる。
何度も急かしてやるほど室井は親切じゃない。
「その先の、地獄まで織り込み済みで言っておられるので・・?」
「君こそどういうつもりで私を焚き付けた」
先日の烏滸の沙汰の言い合いを引き合いに出せば、もうお互いバレてしまったも同然で、言い合いはそれこそ無意味に尽きる。
言葉ない瞳には同じ色の茶番が力尽き、揺れていた。
「君が躊躇う理由はそれだけか?」
「・・それだけなわけ、ないでしょう・・」
呻くような地鳴り声で新城が喉から声を絞り出す。
「あのな新城。どんなに引き剥がそうともがいても、青島は追い付いてくる。とっくに追い抜かれているのかもしれない。だから私は必死で抗う」
俺は内心焦りどうしだった。いつ置いていかれるか、いつ見捨てられるのか、いつ呆れられるのか
実際俺が人一倍努力できたのは、青島がいたからだ。
「君にとっても細川はそういう存在なんじゃないのか」
過ごす時間が長くなれば愛着も湧くと新城は言った。
きっとそれは新城自身のことで、そこに深い意味はあってもなくても、もうそれでいいんじゃないか?
「私は・・そんなに明け透けですか?貴方にまで言われるほど」
「色眼鏡だろ」
じっと新城は室井を見上げていた。
探るような、求める答えを闇に委ねるような、そんな眼差しに、室井はただ見下ろすに留める。
室井の漆黒は光さえ映さない闇色で、それはまるでこの先の不透明な未来を暗示しているかのように見る者を惑わせるだろう。
気の利いた言葉など、細川にだってかけてやれなかった。
室井が唯一勝てるところがあるとすれば、それは、吹っ切れた時の室井はネジが飛ぶことだ。
「たったこれだけの難癖で君を追い込めるのなら安いものだと思う人間は幾らでも出てくる」
「私を脅迫するおつもりですか」
「中核を捥ぎ取っても上は喜ぶだけだ。ただ――たったそれっぽっちで巨頭が後継を失くすのならと考える中堅も出てくるだろうな」
「・・・」
トップを落とすにはそれなりの名目と忖度が必要だ。
新城が何度か何かを呑み込み、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
嘲笑う笑みが失敗し、息を落とすだけで俯く姿にやつれが見える。
やがて、室井を一度だけ睨みつけ、新城はそのまま挨拶もせず扉を飛び出して行った。
「・・・・・・・・・・」
新城が珍しくも扉を締めずに走り出していったことで、新城の焦りが透けていた。
新城が動いた。つまりは、そういうことなのだ。
室井は自分が焚き付けたくせに、信じられないものを見た気分で、暫し呆然と家主の居なくなった扉を見つめていた。
こんなところにホモが・・?
足が床に縫い付けられたみたいだ。
代わりに脳が沸騰している。
冗談だろう?嘘だろう?ここは神聖な法に司られた権力の場だ。
場末のスナックで繰り広げられるような、麻薬に溺れたような、そんな展開があってたまるか。
だって、細川があんなに見る者の胸を締め付ける顔をするから。
しかもあのハッタリで新城が動いたということは、上層部にも普通にホモがいるってことか?
取引に身体を売ったという話を耳にしたことはあるが都市伝説だと思ってた・・
局長と二人きりの個室で酒を酌み交わし、妙に距離感が変だったが気のせいだと思ってた・・
・・・あああ~ッ、ヘンタイがッッ!!変人がいっぱいなのか・・ッッ!!
絶対嫌だ、混じりたくない。俺は染まらない!絶対に!
しかし今、自分が新城に起こした事実はどうだ?
今私は何と言って新城を送り出した?
室井は愕然と片手で口元を覆った。
一歩も動き出せなかった。
つまりは自分もそういうことなのだ。
室井は自分が噂に疎いということに自覚がない。
だからこそ青島と堂々と渡り合えているとも言えるのだが、今の室井にその自覚はない。
数分で立ち直れるものでもなく、乾いた呼び出し音がようやく室井に今が職務中であることを思い出せた。
相棒って大事だ。
『会議の時間ですよ。どこにおられるんです?』
『すぐ行く。ありがとう中野くん』
色んな意味で。
冷静になってきた頭部を片手でぐるりと掻き回す。
それにしても。
なんとも後味の悪いお節介をしてしまったものだ。
これでは本当に青島が乗り移ったみたいだ。
その目尻は少し羞恥に染まっていた。

初の細新でした