登場人物は室井さんと益本さんと新城さん。男の会話。新城さん視点。室青の絡まないお話。室青ベース。
肴は炙ったイカで
恋の傷跡なのか、愛の足跡なのか、歳をとるほど恋愛というやつは途端あほくさいものになる。
***
「失敗した・・」
温めの燗が進み、四人掛けの座席には徳利が横倒しに散乱し、その手前で突っ伏した男が、また同じ言葉を洩らした。
店に客は少なく、舟歌がラジオから流れている。
ぼんやりと燻った灯りの下で、益本が行儀悪く手酌で注ぐと、目の前で酒を舐める新城にも徳利を向けた。
「繰り返しますねぇ」
「こうして我々は室井さんの恋愛事情を一から十まで知っていく」
「片思いン時もしつこかったですしね~」
「五度フラれたんだったか?」
潰れていると思った室井がガバリと顔を上げる。
「六度だ」
そこは訂正するのか。
目が据わり、どんよりとした顔色の室井は、普段キッチリとしているだけに、物静かに落ち込む姿勢に底がない。
面白味のない軟弱男だとばかり思っていたが、神経質なのは表向きで、割と骨のある、肝っ玉も図太い男だと知ってからは、新城の見る目は変わった。
だから酒に付き合うくらいは、してやってもいい相手だ。
杓子定規な室井が恋をした。
相手はノンキャリア、某所轄のイケメン刑事。腹の立つほど正論を言ってくる小童。そう、男だ。
道ならぬ想いは手探りで、無知ならばこそ暴走した。
その度に、暗い顔をして酒を呑む室井に、散々付き合わされた。
紆余曲折を経て、と言えば聞こえはいいが、キャリア目線から見れば、室井の一方通行の下手くそでしつこい恋は
酒の肴には丁度良かった。
あの青島が根負けした際には、目玉も飛び出たが、それすら温めの燗に喉越しも良かった。
まあ、想定内の結果でもある。
ああ、これでこの面白失恋劇場も閉幕かと思っていた矢先、なんとまだ続きがあった。
「どうしたらいいんだ・・」
また頭を抱え込んでしまった室井は、徳利の向こう、置き去りのスマホを恨めし気に見つめた。
捨てられた野犬のような、オアズケ食らった小僧のような、なんとも頼りない目だ。
おいおい、結構な肩書のキャリアがそれか!
「・・・」
「・・・」
室井の大きな目玉がチロリと隣の益本に向く。
何かアドバイス言えってか!後輩に!
途中からたまたま偶然、憧れの先輩に飲みに誘われたと浮足立って参加した益本も、後の被害者となった。
「だッからいつか連絡くるっつってんでしょが!気にしすぎ!この小心者メが!」
「・・怖がられていたんだ・・」
「イヤがられてはなかったんでしょ!ならよし!」
そうなのだ。
無口な室井からなんとか漏れ出した小言を繋ぎ合わせると、事の起こりは一カ月前。
どうやら初めてのお部屋デートとやらに漕ぎつけた室井は、盛り上がった勢いのままに青島を押し倒した。
その時、明確に拒まれたわけではないが、受け入れてくれたような顔でもなく、驚いたような戸惑ったような辛そうな顔をされ
室井は寸でのところで押し留まったらしい。
そして、それ以来、青島からの連絡は途絶えた。
「・・連絡が・・こない・・」
「ほんとに他に何もしてないんでしょうね?」
もっと軽蔑されるような言動とか!
いい加減面倒臭くなったのだろう益本の、遠慮のない指摘に大きく目を見開いた室井はそのまま絶句し、また頭を抱えてしまった。
やっぱり、何かしたのか。
何かを言ったのか。
何をやられた・・は、可能性、低そうだ。青島は室井に強くは出ないだろう。青島がキャリアに無体を働くとは思えない。
そういう弁えは持つ男だ。
となると、むしろ何をやらかしちゃったのか、この先輩は。
堂々巡りにも飽き、新城は助け舟を出してみる。
「ごく普通に。会えますか?ってメールじゃだめなんですか?」
「今それ言うと、性行為をしようという誘い文句にならないか?」
だーかーらー。
恋愛をまともにしてこなかった中年男あるあるの展開に、そろそろ乾いた笑いが引き攣り始めているのは新城だけではない。
目の前の助け舟も出すことを放棄した後輩が、ここに居る意味すら忘れて鼻から大きく息を落とした。
確か益本も、青島に似たような慕情を抱いている筈だ。
なのに、こんな話、延々と聞かされて実際気の毒な男だ。
本人は隠しているつもりだろうが、恋とも言えないその淡い感情は、恐らく室井の抱いているものと大差はなく
隠すほどに増殖するものだ。
少なくとも新城にはバレバレである。
尤も興味深いのが、それを室井が知った時、そんなことすら許せないほどの室井の中の独占欲をどう刺激するか、だが。
室井とて、その辺りの機微に気付いていないとも思えないが、まあ、お楽しみはとっておく。
それよりまずはこっちの問題だ。
「というか、怖がっただけで止めたんですね。宥めながら少しずつヤれば宜しかったのでは?」
事情を一番知る新城には隠すものも失くしたか、ぶっちゃけた言葉と呆れた眼差しに、室井もまた、もの言いたげな視線で、新城を睨んだ。
だが沈黙を選んだ。
ここで何かを言ったところで、説得力は薄いのを、室井自身も分かっていると見る。
室井は思い出したようにお猪口を口に運んだ。
「それでできたかもしれなかったが、あいつは優しすぎるから流されるのは避けたい」
「まさか、口説いたそこからお疑いで?」
「多少絆されてくれた部分があると、勘繰っている」
聞いていた益本と新城が、同時に顔を背けた。
青島が誰を見ているか、そんなものは傍から見ればすぐ解かる。
それが恋心であろうがなかろうが、青島の心を掴んだのは事実だ。
そもそもどんなに室井が策士だとしても、絆されてくれたのなら、据え膳食わぬは男の恥にしたっていい。
恋という青臭い舞台で策士になれるほど、室井には通じないものらしい。
「でも、思い余って押し倒しちゃったんでしょ?本末転倒じゃね?」
「・・・」
もう敬語も上下関係もすっ飛ばした益本の言葉にも遠慮がない。
いつもなら会話も気を使う身分の三人の、ひそひそ声すら今夜は憚らない。
いっそ益本がもう少し頓痴気な男であったなら、室井を焦らせることが出来ただろう。
だが流石、キャリアに牙をむこうとしている男だ、無暗に勝負には出ない。
そういう所は新城としても気に入っていたりする。
「絆されてくれたのだとしたら、いい加減しつこい気がする・・」
盛大に酒を吹き出す益本の前で、新城もまた言葉もなく凝視してしまった。
仕事だろうが恋だろうが、室井の諦めの悪さはキャリア内でも有名で、その切り替えの悪さが時に自らの首を絞め
一方で、これだけ札付きとなりながらも今も権力争い内に降臨している所以でもある。
「ご自覚、あったんですね・・」
思わず益本の口からも身も蓋もない感想が零れ出る。
「付き合う前の貴方のしつこさには負けると思いますが・・」
新城も続けて、なんとかフォローにも何にもならない感想を漏らした。
室井が青島に片思いしていた期間は長かった。
ほぼ一目惚れ(新城談)だと換算すれば、それはそれは気持ち悪いほどの諦めの悪さだ。
まあ、それだけ、青島がつい目を引く男だということでもある。
「それを分かってて、生き方、変えられないんですね・・」
「もう何カ月だと思っている・・」
新城の言葉に、室井は力尽きたようにまたテーブルに額を押し付けてしまった。
青島への接し方も含めて、室井は仕事ぶりも不器用で、新城からすれば、センスがない。
だが、その泥臭さを、決して手放さないのは強さであり、また、その野育ちっぷりが青島の心を射止めたともいえる。
その地味な男がしぶとい戦いを見せるところが新城をも突き動かした根幹でもある。
そうなのだ。室井は影の薄さとは真逆に、昔気質の昭和男児のようなところを持っていた。
「まあ、あいつって遊んでいるようで、純情なとこ、ありそうだもんなァ」
「随分と室井さんに懐いていましたからね。そう簡単にアタマの方が切り替えられないのかもしれませんよ」
益本と新城が口々に室井の後頭部に話しかける。
新城から見た青島は、いつも陽気で朗らかで、現実を受け入れることを悟らせない男だった。
室井とは真逆だ。
だからこそ、青島が室井に惚れた理由は意味深だ。
正義感が強くて、保守的なものの意義を問い直させる強さを持つ。
それはその分、傷を負う優しさであり、顧みない柔軟さでもあり、益本もそんなところに気を引かれたのだろう。
キャリアを長くしていると、時々潔癖なものに憧れる。
アレも罪な男だ。
「俺の目からは割と適応能力高そうに見えましたけどねェ」
「益本!」
浮上させたいのか撃沈させたいのか、水を差す益本を新城が小声で窘める。
が、益本は鼻で笑って付け足した。
「青島を潰してんの、室井サンだったりして~」
「益本ッ、それを言ったら恋にようやく尻を蹴飛ばされた室井さんの意思から否定することになるぞッ」
「!!」
だが、新城がフォローを入れたようでトドメを指す言葉だったと気付いた時、室井は突っ伏したままテーブルの上の両拳をフルフルと震わせた。
こんなにディベート下手でキャリアやってけるのか。
「君達は私の味方じゃないのか」
「俺は青島の味方」
「まだ諦めてなかったのか・・」
「!」
気付いてたんかよ!
目を剥く益本の視線すらどうでもいいように室井は、それ以上深入りすることなく、舐める酒に溶けていく。
新城は思わず酒を舐める口端を持ち上げた。
これは面白くなった。
室井は結構図々しいし、結構、鋭い。
「そんだけ図太けりゃ自力で抱けるっしょ」
「それとこれとは話が別だ」
「大事にしすぎて嫌われパターン?」
「大事にすることの何が悪いッ」
「伝わらなきゃ意味ないっしょ」
「君の気持ちは微塵も伝わっていないが」
「伝えていいんすか?」
「だめだ」
「ついでにご自分の気持ちもね!」
「つ、ったわっている!はずだ!」
「どうせ冷徹で、事務的な物言いしか出来てないんじゃない、恋か仕事かも微妙になって、青島も今頃後悔していたりして!フラれてしまえ!」
指差し笑う益本に、室井もムキになる。
よく言った益本。
この朴念仁にはこのくらい言った方がいい。ついでにお前が参戦すればもっと面白いものが見れるんだがな。
それにしても、この先輩はプライベートだと人相変わるもんだ。
「じゃあどうすればいいのか、言ってみろ!」
「決まってんでしょ、大人の官能」
「!!!」
「大体、どんな状況で理性飛ばしたんすか」
「・・・」
うーわー、言えないんだ・・。
新城と益本の半眼が室井に突き刺さる。
「じゃあ、このまま大人を気取りますか、室井サン!」
益本がもう気安く室井の肩を叩いた。普段は触れることを許されない背中も今は萎れていて、恋は意外な一面を晒してしまう。
その言葉に、室井が項垂れた。
「~~~~~ッッ・・・無理だ。一緒に居たら、どこかで自制心が飛ぶ。ゼッタイ」
「まあ、男なら、そうだろうな」
益本が肩を竦めてグラスを煽った。
後輩にあしらわれる先輩に、新城には縁のない世界を教えてくる。
そこまで惚れてたら、さっさと自分のモノにしてしまえばいいものを。
新城には遜る恋も駆け引きも、用がない。
スマートな女道楽も、正妻の扱い方も、全部教えて貰えた自分は恵まれていたようだ。
やはり派閥はあるに越したことはない。
再び潰れてしまった先輩を尻目に、新城は同じ目をしている益本に、顎をしゃくった。
「益本から見て、この二人、どうだ?」
「ん~・・、勿体ないかな、あのタイプは」
「なら、奪ってみたらどうだ」
「新城さんもけっこー意地悪なこと言うんですね」
「甘ったれた男が嫌いなだけだ」
「じゃ、青島のこと、大嫌いてこと?」
「ふん、お前も意地の悪い質問をするじゃないか」
「恋敵は少ない方がいいんで」
益本から見た青島は、お人好しで破滅的だ。
人々の意識の中にある変化に対する漠然とした違和感それ自体は保守主義ではない。
社会の変化に直面した時、その変化に対して抗する意識が芽生えた時、はじめて「保守」が自覚的なものになる
青島は変化には敏感だった。
たぶん、青島が行為に戸惑った理由って――
「連絡が・・来ないのは何故だ・・」
そして室井のボヤキはまた冒頭に戻る。
もうこの官僚、めんどくさいな。
あからさまな益本の目がジト目になる。
「・・あぁ、次はどうやって手を出せば良いんだ・・」
手を出すことは決定稿なわけね。
チックショー、いいなぁ、触れられて羨ましいったら。どうせいつかは食えるんだろ、あんな上玉、俺だっていっぺん食べてみてぇよ。
次があるだけ、妬ましいわ。
「ま、室井サンって野獣っぽくないから、逆に安心感があるし、甘えやすかったんじゃね?」
「どうせ貫禄も威厳もない」
「「・・・」」
確かにな。
室井を見下ろしたまま、益本と新城の視線が同意の色に染まる。
「女は無口なほうがいいっていうけれど、無愛想にも限度ってあるわ。ヘタクソ相手じゃ、青島も苦労してそうだなー」
「口説き上手は床上手ともいうしな」
「それってつまり夜の方もヘタ・・」
益本の台詞に室井がぴくんと反応する。
やべっと思ったのか、焦った益本が慌てて話題を変えた。
「そういや青島って中途入社でしたよね~、新城さん、前職って知ってます?」
「そんなことも教えて貰えてないのか」
「うっさいわ!」
落ち込みつつ会話を奪い、しっかりマウントを取ってくる官僚に、益本が発狂する。
護るというのは、何もただ傍にいることをいうものではない。
この二人、意外といいライバルになりそうだ。
室井にはこのくらいの緊張感が恋にも仕事にも丁度良い。――が、益本の遠慮のなさが面白いな、こういう男だったのか。
「とにかく、恋敵を増やしたくなかったら早々に手を打った方がいいですよ室井さん。それに、そろそろ一倉さんの耳にも入っちゃうのでは?」
会話を引き取った新城がズレた話を冷静に戻した。
「絶対言わないでくれ。知ったらどんな手で揶揄われるか」
「恣意的な判断で我々キャリアの質を下げるようなみっともない真似は止めてくださいよ、室井さん」
「・・分かっている」
「なら待てよ、連絡」
顎を上げ、にべもなく益本が牽制する。
嫌味な小言に、室井の目も据わった。
「君は、上役に対する礼儀がまるでないな」
「だってダサいです」
据わった目の室井と半眼の益本の視線が舟歌をバックに交差する。
昭和から続くこの新橋の居酒屋が好まれる所以が身に染みるのは、こんなところだ。
欲に溺れて愛した者を泣かせるような、みっともない恋を肴に酒を注ぐ。
静かに酒を運べば、溶かした思い出が確かに喉元を通り過ぎるのだ。
「寂しがり屋は夜に泣く。無傷の答えってのはないんですよ、室井さん」
「・・ああ」
「しっかりしてください」
「・・ああ」
きっとそれでも室井は煮え切らない。それが室井の愛し方だからだ。
恋多き青島相手では、室井の矜持が邪魔をして、多分この恋は前途多難だ。
この先もこの尻拭いに付き合わされるのかと思うと、気が遠くなる話だった。
空輸したキャビアがないのなら、やはり、肴は炙ったイカの方がいい。
happy end

未発表作品。
別ジャンルなのですが以前こんな感じのネタを読ませて頂き、めっちゃ笑ってしまって。
とてもツボったので是非室井さんにやらせたいなと思い書いていたんだと思われ。ネタ帳から発掘。
いつもなら一室新で構成するところ、気分を変えてマイブームの益本くんにご登場いただきました。
タイトルは八代亜紀さん舟歌の一説から。追悼。大好きだった。
20240207