登場人物は和久くん(甥っ子の方)と青島くん。ちょっとだけ室井さん。室青の絡まないお話。室青ベース。
いつか真実を言えるかな
1.
男の影を追い、和久は昼下がりのオレンジの斜光に照らされるコーナーを曲がった。
額から流れる汗が飛ぶ。
視界のワンブロック先からは栗山が篠原と共に挟み撃ちに回っているのが見える。
男はそれを避け、私道を横切り、脇の細道を一気に走り抜けた。
確かこの先は大通りだ。
青島に言われ必死に叩き込んだ脳内地図を絞り込む。
あの先はプロムナードに続く商店街になる。この時間人通りはどうだったっけ。もしかしたらそれを避けて――
大通りに出た途端、人の叫ぶ声が響いた。
「あっちか!」
予想通り商店街を迂回した男は住宅街へと向かうようだ。
一足先に注目を浴びる男は信号を無視したまま国道に飛び出した。途端、派手なクラクションが街を切り裂く。
「めちゃくちゃだなぁ・・・、ああ、もう!」
まさか一緒になって国道を横切るわけにもいかず、和久は左右に首を振る。
近道を探して視線を走らせた。
ここは盆地となっていて、坂道が続く。
和久の居る高台は地形から街の全貌が見渡せた。
道なりを視線で辿ると、奥手の方に栗山の頭がちらほらと見え隠れしている。
あっちから攻めても、逃げられる。どうしよう。
今日、この追跡に指示を出す係長はいなかった。
ようやく念願だった有休を受理され、今頃惰情な時間を満喫している筈である。
昨夜帰り際の満面の笑顔が本日の予定の楽しさを物語っていた。
仕事好きで知られる係長だって、休みは欲しいだろう。
本当なら今日だって何も騒がしいことは起こらない筈だった。
でもそんなの、この湾岸地区には無縁の世界だ。
チーム一丸となって協力する。逮捕の時は気を付ける。うちの係長がいつも言っている台詞。
もう一度思い出して、和久はとにかく横断歩道を探した。
交差点まで走ってきた時、道路脇に建つデパートの正面柱に寄りかかっている一人の男性が目に付く。
黒いサングラスをかけ、細身で長身だ。
胸の開いた無地のシャツを羽織り、下にジーパンを合わせている。
チャコールグレイのシャツ、襟元から覗くシルバーのアクセサリーが太陽光を反射する。
ポケットに片手を突っ込み、長めの足をスラリと組んで、煙草を吹かしていた。
歳は30代中頃か。
ちょっと目を引く男だ。
無造作に捲り上げたその腕にシルバーのバンクルが主張する。ヤクザ流れのアウトローな印象だった。
その人物が、ゆっくりと身体を起こした。
騒ぎの起きている方に目を向け、煙草を携帯灰皿に落とす。
リズムを刻むように小走りで道路を見降ろせる場所まで来ると、あろうことか、ガードレールに手を付いて、そのまま一気に下まで飛び降りた。
ひらりと舞う姿は軽々と風に舞う。明らかに他の観客とは違う動きに和久の目は囚われた。
慌てて和久はガードレールまで掛け寄り両手を付いて下を見る。
短い髪を浮かせ、片手を付いて優雅に着地すると、そのグラサンの男性はビルの給水配管設備に手を伸ばし、足で蹴って一気に壁も飛び越える。
カンと歯切れよく響く衝突音。
シャツが華麗にはためいた。
舞い降りた男性は、そのまま国道へと飛び出した。
「うっそぉ!・・・ぁ、ちょ、ちょっと・・・!」
不味いと思って、ここで和久は慌てて我に返り、後を追う。
急ブレーキをかけたボンネットを支えに、グラサン男性が国道で宙に飛び上がっている。
ボンと靴音が響くと、同時に片手を後ろに翳して謝罪の意思をドライバーに示す。
「ごっめーん!なさーい!」
鮮やかで軽やかな芸当は、まるで映画のワンシーンのようだ。
丁度信号も青に変わる。
追い付いた和久も現場に近寄った。
辺りは既に人が集まっている。
「ちょっ、ちょっと!通して・・!」
人込みを掻き分ける。
押し退け、目に入った光景に、和久は目も口も見開いた。
中央分離帯で立ち往生していた逃走者とグラサンの男が睨み合っている。
明らかに興奮した様子の逃走者の足元には、女性が崩れていた。
これ以上の刺激は被害が拡大する恐れがある。
逃走者は少し小太りな体型だけに、細身のグラサン男には不利に見えた。
何より一般人を巻き添えにしたなんて知れたら真下署長の雷が落ちる。
「下がって!下がって!」
そこの人!と呼び掛けてグラサン男に後退を促すが、聞こえないのか反応はない。
じりじりとした攻防戦が繰り広げられていく。
国道の交差点の真ん中で円陣を書いたような人垣も出来始めていた。
―あああ、なんだかどんどん事が大きくなっていってる気がする・・・!
――通報があったのは昼下がり。僅かな時間を縫って遅めの昼食を取っているときだった。
民家に、息子を装って借金の電話があり、詐欺の疑いが浮上した。今逃走しているのは、その受け渡しに表れた男である。
授受現場を押さえようとしたところ、土壇場で逃げられる。
どうして良いか分からなくなり、動揺した視線で和久が人垣をざっと見渡すと、見知った顔が人垣の後ろからぴょんぴょんと飛び跳ねているのが視界に入った。
栗山だ。
周りこんでいた篠原も人垣をこじ開けて近寄ってきた。
「和久くん!」
「夏美さん!どうしよう!」
「とにかく!信号変わっちゃうからこの人たち誘導して!」
「あ、そうか、そうですね!」
「私はこっちやるから!栗山くんはあっちをお願い!」
「「分かった!」」
手分けして、後ろを向いて声を張り上げる。
「止まらないでくださーい!渡らないで!下がって下がって!」
両手を広げて安全を身体で確保しながら、野次馬を誘導する。
徐々に輪が広がる中、気になって背後を時折振り返る。
交差点の真ん中ではじりじりとした攻防戦が続く。
もうすぐ信号も変わる。時間がない。
背筋にタラリと流れる汗が、自分の緊張具合を自覚させた。
心拍数も手汗も凄い。
何度目かの応戦でグラサン男性が逃走者の袖を取ることに成功した。
ここにきて和久は初めて、その細身のグラサン男性のシルエットがどこか見慣れたラインであることに思い至った。
願望、かもしれない。
逃走者が袖を取られたためか、反対の手で尻からナイフを取り出した。
きゃーという甲高い悲鳴が湧き起こり、辺りも騒然とする。
――忘れてた!
この人物は凶器も所持していたんだった!
これで、迂闊に入り込めなくなり、硬直状態となった。おろおろする。
グラサン男性も少したじろいだ様子で、そこにきて、和久はようやくこの男性が自分たちの係長であることを確信した。
「あ、あ、青島さん・・・っ?」
黒いサングラスで表情は伺い知れないし、昨日とは髪形も違う気がする。
何より私服だからセンスが分からず、こんな不良っぽい私生活なんだろうか。
スーツを着ているいつものイメージより、大分若く見えるのも、問題だ。
でも、勘が言う。
確かに青島だ。
信号が点滅し始めた。
袖を掴まれた逃走者は足掻きでナイフを振り回し周囲を威嚇する。
どけよ!と大声で喚き、たたらを踏む。
辺りには悲鳴が飛び交った。
片袖を掴んでいるとは言え、その光景は一見、青島を人質に圧力を掛けているようにも見えた。
・・・・以前、すみれに、青島は刃物に対するアレルギーが未だに少し残っていると聞いたことがある。
そのせいか、逃走者の腕力で振りまわされながら、青島は受け身となって引き摺られていく。
次第に二人はスクランブル交差点の中央へと移動していった。
攻撃も単調にならざるを得ない状況で、時間だけがなくなっていく。
刃先が太陽光を反射してキラリと光った。
―どうしよう、どうしよう、頼む、青島さん・・・っ。
和久の願いが届いた訳ではないだろうが、瞬間、振りほどこうと腕を振る男の動きに合わせ、素早く青島が間合いを掴んだ。
絶妙なタイミングで青島が足払いを掛ける。長い脚先で蹴り上げられ、逃走男のバランスが崩れた。
そのまま、青島の足は手元のナイフをも蹴り上げる。
クルクルと天に放たれる刃先の下で、凶器を失った男を、青島は襟を取り、重心を崩しに入った。
軸足さえ治めれば、攻守は逆転する。
が、体重差を利用し、逃走者は圧し掛かるように襲いかかって牽制する。
・・・このままでは潰される。長くは押さえ込めない・・・!
援護しようにも、信号が気になって、和久はおろおろと視線を彷徨わせた。
こういう時、自分は本当にとっさの判断が鈍い。
どうしよう。どうしよう。
ふらふらと空を彷徨っていた和久の視線が逃走者の下半身に移る。
丁度和久が背後に位置していたため、偶然捕える。
青島の位置からは死角になったポケットに男が手を差し込んだのが見えた。
二本目のナイフが和久の位置からははっきりと映る。
「・・ッ!」
アッと思うが咄嗟に声が出ない。
青島はまだ気づいていない。
圧し掛かる男の体重に押され、必死に耐えている。
伝えなきゃ・・・!
でも和久の喉はあまりの衝撃に、凍り付いたように動かなかった。
下から抉るようにナイフの刃先が光った。
あぶないッッ!
「右だッ!!」
―右!??
和久のすぐ真後ろから声が響き、和久がその言葉を理解する前に、青島が脊髄反射のように右手を抱き込み、強く引いた。
袖をしっかりと巻き込み身体を潜らせる。
そのまま背負い投げの態勢に入り、サングラスが飛んだ。
次の瞬間、男の二本足は綺麗に宙を回っていた。
「か、かくほーっ!」
派手な衝撃音と共に二つの身体がコンクリートに叩きつけられた。
無音になっていた世界が一斉に動き出し、音が、風が、人々の喧騒が一気に戻ってくる。
「和久くん、手錠っ!」
「あ、はっ、はいっ」
ハッと我に返る。
サングラスが飛んだ青島の瞳がいつもの強気な光を放ち、悪戯っ子のように艶めきながら男の腕を押さえ込みに入っている。
その下で、逃走犯が苦みを潰した顔でもがいていた。
「きみ、現行犯タイホね」
「はぁっ!?ふざけんな!何言ってんだよ!一般人だろ!」
「現行犯は一般人でも出来るんだよ、知らなかった?」
「嘘だ!」
「ほんと。それにね、ザンネン。俺、刑事なの」
短めの淡い髪がふわりと額に流れて、青島のまあるい栗色の瞳が夕日に光った。
***
遅いよ、と、しかめっ面で笑う篠原の長い髪に、夕暮れの風が吹く。
栗山が飄々と肩を竦めている。
「青島さぁん。今日休みだったのに~」
「ねぇ?事件は待ってくれないねぇ」
「お疲れさまでしたぁ。すっごい偶然!」
「だぁね。やぁっぱ俺がいないとこの街は駄目だなぁ」
「はいはい」
交差点の真ん中で座り込んだまま、胸を張って自画自賛する青島に篠原が無邪気に茶々を入れる。
淡い風と日没後の空気が辺りを染め上げていた。
手錠を掛けられた逃走犯が目の前を通り過ぎていく。
「じゃあ、私、付いていきますね」
「うん、よろしく夏美ちゃん」
「俺も行きまーす」
「おー、よろしくぅ」
栗山と篠原に囲まれ、暴れる逃走犯が何やら意味の成さない暴言を吐いているのを、地べたに座り込んだ青島がぼうっと見送る。
残った和久が、心配そうに青島を覗き込んだ。
いつもとは違う青島から薫る甘い香りも、何だか妙に切なくさせる。
信号は赤に変わっている。
栗山らが誘導したお陰で辺りの人はもう少なかった。
負傷を追った女性が遠くで到着した救急車に乗り込んでいく。
宵闇に落ち始めた空気はブルーに染まり、街はいつもの静けさへと穏やかに変化していた。
「青島さん、大丈夫でした?」
「お疲れ。よく追いかけたね」
労いの言葉を忘れない青島に、和久は何だか胸が痛くなる。
助かったけど、自分はおろおろするばかりだった。
「その、助かりました。青島さんには災難でしたね・・・」
「ん~?いつものことだって」
「少し頬切れてますけど」
「ああ、へーきへーき。――あ」
オウム返しのようにひらひらと手を振っていた青島が、不意に何かに気付いた顔を見せた。
瞬時に和久も同じく思い至る。
そういえば、格闘の最中、なにやら声が聞こえた。
指示が飛んで、あのお陰で皆が命拾いしたようなものだ。
誰だ?でもどこかで聴いたことあるような――
視線を彷徨わせていると、交差点の向こう側で、とんでもない人物を発見し目を剥く。
びっくりして青島を促すように見ると、青島も先に見つけていたようで、じっと視線が絡み合っていた。
合わさる視線の間に、周りの雑音も雑念も消え失せる。
「・・ッ」
何かに呑み込まれそうな畏怖を感じて、和久は固まった。
「・・・・」
もう一度その視線の先を追う。
蒼い空気の中、凛然とした佇まいは人垣の中でもひときわ目を引いた。
信号が再び青に変わり、その人物はゆっくりとした足取りでこちらに近づいてくる。
スーツも着ていないラフな格好だが、歩く姿は威厳に満ちて美しい。
夕闇の陰影に染まり、堀の深い顔がより高い壮麗さを放っていた。
白シャツを第二ボタンまで外し、存在感のある紺のコットンジャケットが風に揺れる。
フロントを開けていて、髪もラフなままに無造作に風に揺らし、彼もまたプライベートであることが察せられた。
こっちを見ているようで、だがその漆黒の瞳には青島だけを映している。
普段は広報誌やテレビなどでしか目に掛かれない、室井慎次警視監。雲の上の人物だ。
「あ・・、あれ・・・室井さん、ですよね・・・?なんでここに・・・」
「・・・」
「青島さん?」
「――、和久くん。さっきの男の調書、よろしくね」
「あ、はい、でも、あの」
青島の視線は室井を捕えたまま外れない。
どこか弱さを覗かせる危うい眼差しで一途に追いかける。
コツコツと黒光りする黒の皮靴を鳴らし、室井が青島の前まで来て立ち止まった。
青島も座り込んだまま眩しそうに目を細めて見上げる。
「豪快だな」
「・・・ええ、ほんとに」
「君の周りはいつもこうだ」
「貴方、だったんですね、さっきの・・・」
室井は答えなかった。答えずとも良いことだった。
言葉少なにただ見つめ合う二人を、置き去りにされた和久がただ間近でおろおろと見比べる。
良く見るスリーピースのダークスーツにオールバックという貫禄を備えた風貌とはまた違い
親しげな雰囲気を見せながらも、やはり背中から立ち上る高潔なオーラは圧巻だ。
ビリビリと震撼させるような電気が和久の肌を伝う。
世界の音さえ跪いたようだった。
青島はよくこの気配に平気だよなと思う。
「久しぶりの休日の私の心臓を潰す気か」
「潰れたのは時間ですよ」
「大差ない」
「刺激的」
「和久刑事」
「うあっ、は、はいっ」
視線も向けずに名を呼ばれ、和久は慌てて背筋を伸ばした。
気圧されて、言葉がどもる。
慌てて敬礼をすると、室井はようやく青島から視線を外した。
和久に視線を向ける。
「ご苦労だった」
「はいっ、ありがとうございますっ」
「どうせこいつは使いものにならない。ここはいいから君は仕事の続きを」
「え、ど、どういう・・・」
訳が分からずまごついていると、室井がスッと膝を立てて青島の前に屈んだ。
膝に腕をかけ、青島に鋭い目を向ける。
「強がったって無駄だ。踏み込む時、右足捻ったろ」
「うそ・・・」
気付かなかった動きに和久も青島を覗き込む。
「大丈夫ですか、青島さん」
「へーきへーき、大袈裟なん・・・イテッ」
室井がむんずと足首を掴む。
深く呆れたように溜息を吐いた。
「君は袖の引きが甘い。だからその分、踏み込みが浅くなるんだ」
「ハイ・・・」
しょぼんと室井を見上げる青島は、まるで少年が母親に怒られているようだ。
一瞬だけ、室井の細く長い指先が青島の髪から耳朶を玩ぶように絡め取った。
何だか見ているこっちが赤面してしまう。
残像のように焼き付く、自然な不自然な動きに和久の思考が停止している間に、室井が膝を戻す。
「ほら立て」
ぐいと青島の二の腕を室井が力強く引き上げた。
軽く担ぎあげ、その手を自分の首に回させる。
「ヤですよ、恥ずかしい」
「つべこべ言うな」
「一人で歩けるもん」
「いいからちょっと大人しくしろ」
益体ない会話を続ける二人を呆然と和久は見る。
「そ、そ、そういえば、青島さん、髪切ったんですね。最初誰だか分からなかったです」
「ん?ああ、さっきね。・・・このひとねぇ、身形はきちんとしろって煩いの」
「刑事らしくしろと言っているんだ」
ほらね?と青島が透明で少し悪戯っぽい瞳でウインクする。
つられて和久ははっきりと赤面した。
プライベートなのだろう、私服の二人の雰囲気に呑まれる。
髪を切っただけでない、なにかいつもと違う青島の雰囲気も甘い。
その初めて見る表情に、和久の瞳が僅かに戸惑いを乗せる。
「これでも、もぉ部下もいる係長なんですぅ、子供扱いしないでくださいー」
「コドモと変わりない」
嫌そうにぷるんと頭を振ってみる仕草と、名残惜しそうに眼を細める室井の漆黒の眼差しに
馴染んだ愛情が見える。
あんな柔らかな手付きで一瞬だけ綿菓子に触れるように青島の髪を梳いた男の仕草など、見たことがなかった。
仕事中に顔を合わせた時とは明らかに違う、生物学的な雄の独占を匂わす男のものだ。
その清潔そうな高潔の細長い指先で、青島の髪や肌に触れることを赦される
自信と独占に満ちた特別の証だった。
どれだけ大事にしているかを滲ませる。
そうだ、〝大事〟なのだ。
青島が、ではなく遥か階級も立場も上の雲の上の存在である室井が、青島を大切に想っている。
そんな人物に見染められた青島の特異さに、和久の身体は思わず栗立った。
青島が蕩けそうな表情で笑う。
普段は表情とか雰囲気が悪い感じに堅苦しく出ている室井だが、青島の前で見せるちょっと緩むところは別人のようだ。
二人きりの時はもっとすごいに違いない。
「和久刑事」
「うあっ、ははいッ」
思考に埋もれていたせいで、和久の反応がまたぎこちなくもたつく。
「すまないが、今日我々がここに関わったことは内密にして欲しい」
「え」
「こいつの始末は私が付ける」
「あ、はいっ」
慌てて敬礼をして承諾の意思を示す。
それを横で見た青島が顔をあからさまに歪めた。
「ちょっと、なんか俺んときと大分態度違わない?」
「え、あ、だって」
「室井さんにはソンケーあっても、俺にはないの?」
「そんなつもりは・・・」
「さっきからなーんかどもってるし、緊張してるよね?和久くん」
「だって、どんだけ階級が上だと・・・」
「このひとね、こーんなしかめっ面だけど、見かけ倒しだから。これ(眉間)、ただのオプションなの」
「う、で、でも青島さんも、その私服はちょっと・・・」
「ふぅぅん、服装で判断しちゃうんだ?」
意地悪そうな蒼の空気を吸った瞳をキラリと光らせる。
「こら、青島、困らせるな」
「だって、普段仲間なのは俺の方なのにぃ」
室井がグッと青島の腰を片手で引き寄せる。
「ちょ、ちょっと・・・!見てるって・・・」
「暴れると捨ててくぞ」
「んもぉぉ」
そのまま踵を返し、二人は駅の方へと向かうため背を向けた。
青島を親しげにコイツと呼ぶその柔らかい口調は、警視監という大仰な役職の人間ではなく、二人きりで紡いできた時の長さを思わせた。
入れない二人だけの空気に、和久は胸が疼く。
こんなだったっけ?
自分たちのリーダーはいつも自信家で、強気で、折れなくて。
こんな子供みたいな甘えと全幅の信頼を無防備に覗かせることはなかった。
キャリアとノンキャリという日本社会では相容れない階級に属する相手に、認められ、受け容れられ、愛されている。
それは、確かに規格外の愛情だった。
・・・・何で言ってくれないんだろう。
いつも何でも分かち合ってチームメイトとしてやってきたつもりだった。
そんなに頼りないだろうか。信用ないだろうか。
室井と青島がその昔色々やりあったということは、湾岸署に赴任してきてから時折話題には上っていた。
だが、そんな噂話は湾岸署の古参の者たちのぼやきであって、いわば都市伝説みたいなものだった。
二人でいるところを見ても、こんな空気を感じたことがない。
みんなは知っているんだろうか。二人の関係を。
いや、きっと知らない。青島が巧妙に隠している。
そう気付いた時、和久の中で、その理由までが鮮やかに炙り出される。
室井の立場を護るためだ。
そして、二人の間に横たわる愛情が、ただの情愛じゃないのだ。
これは、二人だけで背負うと決めた十字架なのだ。
和久は下で拳を強く握り締めた。
その手は先程とは違う熱を包む。思い至ったロジックに鼓動が煩いほど主張する。
青島は自己犠牲も厭わないほどに利他的に受け容れてしまう優しい男だから、きっと恋情など隠してしまうだろう。
豊かさの定義が経済力であるように、愛情の定義は掛け値なしの犠牲にあると青島を見ていると思う。
そんなに簡単ではない道だ。
多分、室井に説き伏せられて、今隣に居る。
隣に居られる未来がここにある。
ゾクリとした。
一歩間違えば、簡単に潰される絆だ。
この男社会ではマイノリティ以上に禁忌な決断だ。どこで潰されていてもおかしくなかった。
好きというだけではもう踏み出せない領域。想いが真剣なほどにそれは毒となる。
それを可能とさせた室井の寛容さと執念、才腕と器量が凄まじい。
どれだけの想いで告げたんだろうか。
頑固な青島もそれに折れたんだ。
青島はあれでいて秘密主義なところがあり、肝心なことは一人で抱えて突っ走る。
どれだけの想いで手を取り合ったのか。
くるりと青島が振り返る。
少し頬が紅い。
「んじゃ和久くん、あとよろしくね~」
小さく手を振り返しながら、小さくなっていく後ろ姿を追った。
青島の腰を室井がしっかりと抱き込み、並んで歩幅を揃えて歩く。よく見れば、青島の指先が遠慮がちに室井のジャケットを摘んでいた。
その指先を和久は目に焼き付けた。
夕日が長い影を二つ作って寄り添うように消えていく。
いつか言ってくれるだろうか。
大人になれば言い難いこともあるだろう。言いたいことも言えなくなるだろう。
立場があがるほど、真っ直ぐに想いは告げられなくなるだろう。
たくさんのことを越えて手を取り合う二人に、強さと輝きとひたむきさを見て、残光となり消されないことを祈った。
彼らの未来はそれでも細い。
過ちも恐れずに、信じた確かなものを捨てずに進んでいく二人が導いた未来が今夕日の紅に一筋に照らされている。
すごい・・・。こんな結末ってあるだろうか。
敵わない。これが俺たちのリーダーなのだ。
遠ざかる二人の背中が夕日に染まる。
全身に、鳥肌が立っていた。
影が見えなくなってから、ごそごそと叔父から受け継いだボロボロの手帳をポケットから取り出した。
刑事としての心得や注意点が並ぶ。刑事になってから今も和久のバイブルだ。
パラパラと風に煽られページが捲られる。
その最終頁。
夕日が反射して黄ばんだ紙が紅く影がかる。
叔父は二人について、知っていたんだろうか。
知っていたに違いない。
焼けて褪せた紙の、ずっと意味の分からなかった一文を和久はもう一度指でなぞった。

二人が見つめ合う空間に居合わせちゃった和久くんの不運。部下からみた室青は貴重で異常。ちなみに室井さんと青島くんはデートの待ち合わせでした。
20160906