02.恋愛方程式

1.
「・・ふ、・・ぁ、・・ッ・・」
熱を孕む重たい吐息が翡翠色の空気に溶ける。
熱る背中を片手で押し付けられ、シーツに四つん這いにさせられた青島の下肢が容赦なく穿たれる熱に痙攣した。
疼きを持て余し、焼き焦がしていくような淫蕩に勝手に蕩けていく無力さは、荒い吐息と共に哀願を含めて明けない夜に消えていく。
青島は薄い背中を反らせて細腰を痙攣させた。
雄を含んだ内壁が繰り返し掻き回される刺激に腫れあがり、粘調の蜜を溢れさせ、男の肉を咥え込む。
小刻みに震える内股には、どちらのものか分からない精液がしとどに流れ滴っている。
「・・、・・ァ・・・ッ、ぁは・・ッ」
舌足らずな甘えた声はまるで自分のものじゃないみたいだ。
思う通りに青島の躯を支配しながら、室井の動きは緩慢さと衝撃を不規則に繰り返し、決定的な昇華は与えてこなかった。
熱を孕ませるような刺激は熟れきった躯にはもどかしさと焦燥だけを残す。
室井の青島への秘める情欲と執着を否応なく思い知らせてくる。
「も・・っ、ゃ、・・・ゃめ・・・ッ・・・」
与えられる電流のような痺れに、そろそろ膝が支えられなくなり青島の躯がシーツに崩れ落ちた。
それを室井が引き上げ、無言のままにその静謐な瞳で淫乱な態勢を命じてくる。
眉根を歪め、青島の腰が天井を向き、突き出した桃尻に、また雄を深く深く咥えこんだ。
こんなことしていたら駄目だ。分かっているのに、躯が余裕もなく火照って、男を憶えた従順な反応で媚びていく。
こうして男に躯を開かれ、その深く淫らな部分まで雄を受け容れ、性の倫理を越えた行為に快感を引き出されるようになったのも
こんな星も見えない夜だった。
あれは、ほんの弾みだったんだ。
事故だったと言ってもいい。
***
「これ以上同じ部屋にいたら、私は自分の理性に自信が持てないだろう」
止めてくれと拒否するその言葉が、正確には何を差していたのか室井は告げなかった。
青島が汲み取ったものが正解かどうかも分からない。
でも瞬時に感じた燃えるような熱さと交錯する視線に、必要以上の哀惜の情を走らせ身体が勝手に動いていた。
「・・・行かないで・・・ください・・・」
光も奪う色のスーツを隙なく着こなすみっしりとした躯が、青島の指先の僅かな接触に瞬時に跳ね、室井は振り返りもせず硬直していた。
後ろから引き留めた青島の指先は情けなくも震え、必死さをあからさまに表わしていた。
「だったら・・!」
室井がゆっくりと、青島の手を自分の腕から外した。
少し瞠目したまま、だがやがて、舐めるように青島を映してきた瞳は闇色で、取り込まれると思った。
その瞳の意志に何かを感じるがそれが何かを分かっていた訳じゃない。
「今夜、今夜だけでもだめですか・・・」
お互い溺れるほど酒は呑んでいた。
ただ、室井が求めるものを、決して全ての苦痛を消し去ることなど出来ない幻想を、分かっていて、それでも相手を絡め取ろうと渦巻く彼の結末を
禁忌とさせたくなかった。
「一晩だけ・・・で、いい、です」
意を決し、そっと近付けた口唇は、圧倒的な支配力を持って塞ぎ直された。
***
「・・ァ・・ッ、アァッ・・・、んぅッ、」
予期していたなかった衝撃に堪え切れなかった嬌声が青島の口から上がる。
昔話に浸っていた思考を嗅ぎ取られたのだろうか。
悔しさもあって、青島はシーツをただ無心に噛んだ。
「他のこと考えるな」
「か・・・・・、がえて、な、い・・・」
「集中しろ」
「ど・・・せ・・っ、すぐにあんたのことで・・・いっぱいになるだろ・・・ッ」
威圧的に繰り返される情交の中で、やがて目的も結末も互いに置き忘れたような沸騰した焦爛は少しずつ何かを忘れさせていった。
一度きりで終わらなかった交わりが齎してくるものも、荒んだ視界は置き去りにしていく。
どうしてここまで摂理を越えた交わりを続けるのか。
「ァ・・ッ、・・・ぅ、くっ、・・・ふ・・・ッ」
朱に染め上がり、蕩けきった躯を腰を掴まれ断続的に緩く回すように揺すぶられ、青島の汗が散った。
秘花は喘ぐように小刻みに収縮しはじめ、淫蕩の深さを淫らに室井の男根に伝えてしまう。
噛み締めた吐息が愉悦を滲ませ、そのくせ、まだ少しだけ残る理性が羞恥を腐食させてくる。
不規則に変化する律動に従わされて、揺する淫乱さのままに、もうどのくらい経ったんだろうか。
「くぅ・・ッ、くふッ、ふぁ・・・っ、ぁ・・・っ」
室井の長い指先が青島の頤に触れ、シーツから顔を上げさせられると、その半開きとなった口に指を数本咥えこまされた。
舌を引き出すように弄ばれながら、室井が背後から深く突き上げてくる。
「ァッ、ぁあん・・っ、はッ、・・・ぁあッ、あぁっ、ゃぁ・・ッ」
余りの快楽の深さに、青島は堪え切れずに啜り泣いた。
目尻から涙が零れ、淫乱に腰を揺すり立て、忘我のままに哀願する。
怺ていた声の結界を外され、甘ったるい声で、室井の思うままに啼いた。
濡れた熱い舌がうなじから肩甲骨へと何度も往復し、穿つ動きとは対照的な緩慢のその感触にさえ青島の躯は感度良く反応を返していく。
室井の膝で淫らに押し留められたせいで淫乱な格好を強いられた、青島は耽溺する自分を隠せない。
咽ぶような自分の甘ったるい喘ぎが聞くに堪えなくて、青島はゆるく頭を振った。
シーツを掴む青島の丸みを帯びた指先が白く光る。
室井の指先を伝い、青島の唾液が透明の光を放った。
「・・ぁ・・ッ、はや・・く・・ッ」
こんな凌辱は早く終わらせてほしい。
たどたどしい啜り泣きで青島は背後の室井を恥も忘れて強請る。
痛くていい。いっそ乱暴に扱われてこの罪を知らしめてくれたほうが余程気が楽だった。
それに気付いているのか、或いは焦らし壊すためなのか、肉体の快楽を追うだけに専念した室井の情動は容赦がないくせに
決定的な頂点まで導いてくれない。
回りくどい指先が胸の尖りを掠め、背中を舌戯が這い回る。
「むろっ・・・さん・・っ」
冷徹な印象を崩さぬ官僚然とした室井は、ベッドの上でもその仮面のままに手加減も知らない冷然だった。
隙なく責め立てる淫戯はどんな手抜きもぬかりもない徹底した雄の威圧で猛攻だ。
筋肉で締まった裸体を闇に晒すその高潔と猥褻の落差に、謎めいた恐さがまた青島を深く抉る。
「ひぁっ、ん・・っ、ぁ、ャダァ・ッ、ぁあ・・っ、ぁ・・っ」
拒否を示すように埋め込んだ男根で室井に掻き回されて、グッと腰を迫り上げ、青島は喜悦に崩れた顔を曝し身悶えた。
こんな狭い一室で、夜な夜な男に啜り啼かされて、身体が快楽を貪る何かに変化させられる。
過ぎるほどの濃密な快楽の渦に耽溺して、体内深くに埋め込まれている熱塊を浅ましく締め上げながら
覚束ない指先で自分を抱く男の腕をただ淫らに掴んだ。
甘い吐息が濃い密度をもって零れ落ちる。
放置されたままの青島の花芯は粘調の蜜をしとどに溢れさせ、根元の茂みまでぐっしょりと濡らしていた。
室井の律動に合わせ先走る愛液がシーツに幾つも染みを作っていく。
「あぁ・・っ、ぁ・・っ、ゃ、・・はっ・・、」
無理に無理を重ねる男を心配している人間が側にいる事を思い出して欲しいと願うのは、情のエゴだろうか。
もうどんな繋がりかも分からなくなった理性が、辛うじて室井を認識して共鳴していた過去の遺物を炙り出す。
融合した熱と似た匂いを放つ情交の鮮烈さの中で、とっくに化石となっているその記憶に固執している自分を
まるで嘲笑うかのように、肉に知らしめてくるのだ。
何も告げられていない。それでいいのだと思う。
言わせたい言葉がある。でも、言わせたら終わりなのだと思う。
あの夜間違えた方程式の解は、歪んで朽ちて形を失った。
言う訳にはいかない。青島だけでなくきっと室井も。
相容れないと知っているなら突き放せばいいものを。
‥でもこの人は、それが出来ないんだ、と。
胸の突起を潰すように弄んでいた指先が離れ、室井は青島の先端をぎゅううっと強く摘まみ上げ、同時に腰を打ち付けた。
青島の目尻から涙がこぼれ落ちていく。
強すぎる快楽が、自我を壊していく。
「あぁっ・・んっ、ひ、と・・でなし・・・っ」
背後で室井が吐息だけで笑った気がした。
快楽の強さから上擦るようにベッドの端へと躯が逃げると室井に両手で腰から引き戻された。
室井が足を開けば、前で屈む青島の膝も一緒に開く。
薄闇に浮かび上がる白い双丘を室井は鷲掴むようにグイッと押し開き、秘花に怒張する熱い淫棒を突き立てた。
息も絶え絶えに青島は頬を紅潮させ、眉を快感に歪める。
「ヒィ・・ッ、や、ぁっ、ァッ、アツ、・・・だめぇッ、そこッ、」
普段の陽気な性質と裏腹に、情事で引き出される娼婦のような青島の二面性は、アンバランスで掴み所のない青島という存在そのものを表わしているような
複合的な稟性がある。
淫蕩し腫れた青島の躯はまるで熟した果実そのものであり、日常の生意気で勝ち気な清潔な姿とのギャップに
支配する男の性を間違いなく劣情させていた。
「・・・善い、の間違いだろ」
息を荒げた室井が、ようやく、一言、耳元で低く発した。
深く一番青島が嫌がった場所を室井の雄が執拗に抉る。
「あぁ、はあっ、くッ、ふ・・っ、ああ゛ッ・・」
女のように喘ぐ自分の耳障りな嬌声、ぴちゃぴちゃと粘性の水音。肌を打つ破裂音。
室井の欲望はまるで行き場のない抑圧を青島に身勝手に押し付けるかのような気勢があった。
この行為に何の意味を持たせているのかは知らないが
青島にとっては、これは室井の救済だ。
恐らくこの男もほぼ同じ気持ちで抱いている筈だった。
青島ではない誰かの罪に苛まれて、罪に塗れている。その共犯者に俺を選んだ。
共鳴した相手は多くの説明を過分とせず、道連れに相応しかったんだろう。
こんなところでも俺は俺を見て貰えない。
2.
「また室井さんと呑んでたの?相変わらず仲良しだね」
そうだよ仲良しなんだよ、と、気分が悪くなる青島を余所に、気楽な世間話が刑事課で繰り広げられる。
仲良しで済んでいた筈の関係が、どうしていつのまにこんな色味を帯びて変わってしまったのか。
これは潜在的にどちらかが望んだことなんだろうか。
情事のだるさが残る身体を甘い疼きと痛みが巡り、青島は少し崩れるように席に凭れこんだ。
首を傾けてくしゃりと笑みで誤魔化せば、興味を失った現実が褪せるように引いていく。
「少し顔色、悪いよ」
「はしゃぎすぎちゃった、かな」
「もう。どこまで意気投合してんの」
――そんなこと、俺が知りたいよ
吐息だけが朝に溶けた。
***
ベッドの縁に所在なく座って、青島は室井を見上げる。
隣では帰宅したばかりの室井がスーツを落とし、少し顎を持ち上げながらネクタイを寛げていた。
「公安?」
「ああ、私の近辺ではないが誰かを監視しているらしい。タレコミがあってな」
「ふーん・・・その人何やったんですか」
「誰かも分かってないのに容疑が分かるか」
確かに、と思って青島は後ろ手にベッドで足をぶらつかせる。
「だから暫くここへは来るな。おまえだって痛くもない腹は探られたくないだろう」
「・・・そうね」
スーツを仕舞いながら事務的に告げる室井は背中を向けていて、その表情は読み取れなかった。
なんか少しだけホッとしたような声色に感じる。
気になったが、室井が言いたくないことを聞きだせるような立場にはない。
「割に合わないリスクは背負うもんじゃないな」
「その誰かさんのこと?それとも」
俺たちのこと?
先を続けられなくて言葉を選んでいると、室井はそんな気遣いも無用だと言わんばかりに表情は崩さなかった。
「問題児はおまえだけで沢山だ」
淡々と言葉を並べ、室井がクローゼットを閉じる。
「いざとなった時の対処を考えておけ。変に気を回さずキッパリと切り捨てる行動を取れ」
「室井さんは?」
「自分のことは自分でなんとかなる。おまえだって自分のことだけならなんとかなるだろう。お互いが生き残れる戦術だ」
室井は青島の身上を案じて告げてくれたのだ。
分かってる。分かっているけど、何かが青島の瞼を熱くする。
どうせ躯だけの関係だ。
室井にしてみれば深入りする関係を図れず良い機会だったのかもしれない。
痛くもない腹を探られたくないのは、室井の方なんだろう。
キャリアに傷を付ける訳にはいかない。こんな火遊び如きで潰されるのも割に合わない。
――正しい見解だ。
「長くなれば証拠も残り易くなるな・・・」
室井が独り言のようにぼやいた。
言いながら少しだけ遠い目をする室井を見て、青島は視線を逸らした。
室井がこの過去を懐かしむ顔などは見たくなかった。
この男が懐かしそうに思い出している過去は、青島にとっては現実だ。
勝手に想い出に浸り過去にされても、置き去りにしてきた胸が痛むだけだった。
そういうのは勝手に一人でやればいい。
一通りの片付けを終えた室井が、そのまま真っ直ぐに青島の元へ身体を寄せ、後頭部に手を回してきた。
口唇を寄せ、指先が青島のネクタイへと進む。
帰宅してからまだ数分しか経っておらず、所用も何もしていない。
「ん・・、ぁ、・・・飯とかは?」
「済ませてきた」
「なんか飲み物とか・・・いきなりヤんですか、こんなの」
「何か問題でも?」
「・・・」
「寛ぐのはおまえがいない時でいい」
「・・・・電気ぐらい消せよ」
「もう黙れ」
シーツに押し付けられ、息を奪われる。
手際良くシャツを脱ぎ捨て目も合わさずに室井は青島の肌を弄っていく。
室井の筋肉質な背中には青島と違って情痕一つない。
シャワーを浴びてしまえば室井の肌には昨夜の残り香すら沈黙する。
耳朶を噛んでから、室井は抱えた青島の躯の下に片手を潜り込ませ、脇腹を触れて腹を弄り始めた。
細い指先はまだ冷たくて、ゾクリとする。
逢えばこうして夜毎、室井は青島を抱き欲望をぶつける。抱くために逢う。
青島の全てを絡めとっていくのだ。
歪んで穢れてしまった俺たちの関係はもう元には戻らないんだろう。
こんなに肉を交えて知る手に負えないほどの激しい刻印を共有し、その代わり、こんなに近くに在っても、声も想いも届かなくなってしまった。
その恐怖も罪も、全部俺が背負って生きてやる。
きっと、このひとは俺がどんなに惚れこんでいるか、知らない。
でもそれは、教えてやらない。
いつか、このひとが旅立つ時にチラリと回想すらもしないだろうが、思い出しても欲しくないから。
***
ゆっくりと室井が指を引き抜き、また奥まで入れられる。
繰り返す動きに、少しずつ自分でも柔らかくなってくるのが分かる。
開かれた蕾を室井が三本の指先で刺激し、クチュクチュと水音を立て始めた。
ベッドに背中を縫い付けられ、脚を裂くほどに広げられて、青島は室井の手淫に堪えていた。
両手で枕を握り締め、背中を時折弓なりに反らす青島の両脚は室井に因って卑猥な格好で固定されている。
室井は言葉よりも、こんな風に手荒に羞恥を煽るセックスが好きなようだった。
青島の整った腰がせり上がり、ヒクヒクと喘ぐ内壁の淫らさを室井に伝えると、その漆黒が淫乱な色に染め上げる。
「青島」
ただ一言。
促しの色で命じられた低い声音はそれだけで青島の背筋を栗立たせた。
室井の手に導かれながら、青島は身を起こすと、自分で脚を広げ、跨った。
反対の膝を片方抱えられ、蜜を垂らす秘花を晒すと、これから始まる期待に花襞はひくひくと喘ぎ充血しているのが室井の目にも晒される。
見せ付けるように、青島は室井の視線がそこを凝視しているのを、焦点の定まらぬ瞳で見つめた。
室井の視線がソコに釘付けになっている。
切れ長の眼差しが青島に向けられ、挿入の合図となった。
体重をかけると、くぷりと音を立てて室井の雄が埋め込まれた。
ままならぬ刺激に震え、軽く慄いた青島の熟れた首筋に、室井が舌を這わせながら片手で後頭部を固定してくる。
滑った舌が巧みな造形を持つ喉仏を愛撫し、そのまま上へと上がってきた。
挿れたまま、キスをされる。
眼を瞑り、ただ口付けを受ける青島は、だが埋め込まれた下肢が肉感にビクリビクリと小刻みな徴発を見せていた。
薄暗い月灯りだけの視界で色付き火照る青島の嬌態が、男の性感を根こそぎ刺激する。
待ち切れぬかのように、室井が怒張した男根を抉るように突き立て始めた。
「・・ァ・・ッ、・・は・・ッ・・・、ァ・・ッ」
既に何度も掻き回されて解された中は蕩けるように熱く、室井が身体を深く進めると秘花は喘ぐように震えた。
眉間を歪め、薄い口唇を半開きにして浅い息を吐く男の頭を、青島の指先がたどたどしく掻き回す。
「う・・・ぅ、んっ・・・、ハッ・・ァ・・・ッ」
抱き寄せられて耳元にかかる荒い息遣いにさえ、青島の肌が栗立つ。
この高貴な男を独り占め出来ている、瞬間だ。
「ん・・ぁあ・・・っ」
室井が水音を上げ突如動きを大きいものに変えた。
エリートキャリアの皮を被りながら、スーツを脱げばこんなにもイヤらしく男を抱くなんて、誰が想像しているだろう。
繊細で隙の無いセックスをする男は、紛れもなく、ベッドでも絶品だった。
「ぁ・・っ、ぁ、いや・・・、」
この手からサラサラと零れ落ちたものたちは一体どれくらいあるんだろう。
朦朧とする快感に支配され、落ちそうな意識の中、青島は必死に室井の動きを追う。
室井が淫らな舌戯を胸元に這わせ、両手は青島の括れたラインや尖って媚びるような胸を忙しなく玩弄してくる度、甘い疼きを引き出された。
戦慄く躯を手繰りよせられ、深く埋め込んだ熱く堅い雄が紅く充血し腫れあがった青島の内壁を、ぐちゃぐちゃに掻き回す。
室井を挟み大きく広げ汗で光る脚が、度重なる愉悦に淫蕩に灼けつくままに震え
青島に怺える術のない快楽を強引に植え付けていく。
「・・ろぃ、さん・・・ッ」
莟が花開くように青島の身体は快楽としての淫楽に目覚めていく。
小さな足掻きも躊躇いも、呆気なく室井の手によってもぎ取られていく。
両手首を取られ、背後で一纏めに拘束された。
自由を奪われた格好で、無防備に晒した胸元を室井の舌が嬲り、その度にびくびくを青島の身体は小刻みにうち震えた。
抗うことを遮られれば、兇悪な快楽は全身を爛れさせる。
「んぁっ!・・・・・ソコ・・っ、だめっ・・・イィッ・・、あぁ・・」
際限なく快楽を拾えるようになった躯は熱だけを内部に閉じ込め、青島の痩身が甘美な愉悦に戦慄いた。
真っ赤な顔をした口元から、殺しきれない喘ぎが空気を裂き、室井の緩慢な腰の動きはまるで拷問のように的確なポイントを擦り上げてくる。
深い快楽を知られたくなくて、つい避けるように身体を捩じると、室井の息遣いが変わった。
「くぅ・・ッ、それ・・っ、イ・・・ッ」
「・・・ッ、ク・・ッ・・・、」
「や、・・あ、・・抜い、て・・ッ・・・」
焦点の定まらぬ視線が室井を映しだせば、室井は忌々しいほどの冷静な瞳で青島を見降ろし、腰を揺すりたてた。
室井は情事の最中、多くを喋らない。
清廉な中に合わせ持つ毒気は社会的地位の高さと気位を朴訥な性格の変わりに示してくる。
それは、青島には禍々しさと神秘さを具えているように見える。
顎を捕えられ、神経質そうな指先に促されて虚ろな瞳で見上げれば、その奥すら見透かさぬ黒い瞳とかち合った。
〝俺のものになってよ・・・・っ!!〟
あの時、言えなかった言葉がまた胸の奥で破裂する。
覆い被さるように近付いてくる口唇を、青島は絶望的な想いで見つめていた。
抱かれる度に心が悲しみに震え、快楽を埋め込まれる度に、青島の心は死んでゆく。
抱かれる準備をしてこうやって通っている自分も、相当放縦なのだろう。
限界がきている。
「あッ、あッ、・・・・アァッ・・・・!」
室井の膝の上で青島の躰は大きく慄き、快楽の責め苦に堪える。
声を抑える理性さえ剥ぎ取って、室井は際限ない愉悦を青島に与えてくる。
自分の中の全てはこの男が攫って行った。
なのにまだ足りないとばかりに求められる妄執に、一体これ以上何を与えれば良いのだろう。
青島の限界の啜り泣きに、その腰を支える室井の両手が更に押し込むように引き寄せた。
太腿を両手で固定され、収縮を繰り返す媚肉を何度も何度も男根で嬲られる。
仰け反り開いた口から止め処なく愉悦の声が溢れだし、夜の帳に溶けた。
あどけないような儚い笑みを浮かべて、青島は瞼を伏せた。
3.
一通のメールを受信して、青島は遣る瀬無い溜息を落とした。
受信画面がレンズの表面反射により燦々と太陽を受けている。
手元を揺らして開いた画面には愛想もない短い文字が一行書かれていた。
“来い”
室井からの呼び出しだった。
公安の動向を警戒し、ここ一ヶ月逢っていない。
このまま縁も記憶もリセットされることを、少しだけ期待した。
「青島くん、行くよー!」
「はぁい」
用件はなんだろう。
俺たちの間に、用件と言えるような幻影以外の理由はまだあるんだろうか。
再び俺はあの部屋に足を踏み入れる。
***
「久しぶりだな」
「ですね」
「元気だったか」
「変な会話。室井さん、俺の機嫌に興味あんの」
聞き返したら、室井の目が一度だけ青島を見て逸らされた。
静かに伏せた瞼の先に長く黒い睫毛が薄暗い部屋でも影を造る。
ぴったりと撫でつけられた黒髪には一部の隙もなく、毅然とした官僚の男が時を感じさせずそこにいた。
ざらついた中年の男の肌が寂びた電灯に浮かぶ。
決してその先へと踏み込ませてくれない境界を支配するように強弁する。
「仕事、忙しいんですか?・・・少し疲れているように見えますよ」
「体力勝負の仕事なのは承知の上だろ」
「それはそうだけど」
「公安の件は硬直状態になった」
「つまり暫くは安全ってこと」
「そうなるな」
室井がジャケットを剥いだだけのベスト姿で、ゆっくりと青島に手を伸ばす。
いつもとは違い、ベッドには腰掛けず壁に背を預けて様子を窺っていた青島を
室井は覗き込むままに触れた。
壁と室井に挟まれ、まるで追い詰められたように青島は固唾を呑んでその動きを見つめる。
まるで非現実的なファインダーの向こうを見ているような感覚だった。
吐息が触れ合う距離で室井がうねった青島の髪を梳けば、嫌がるように青島は目を細めた。
ぴっちりとしたスーツラインは筋肉質の肉体を惜し気なく象り、その精悍な上半身と、逞しい下半身を他人の目に想像させる。
脱いだ姿を知る数少ない者として、その想像はより苦難ではない。
この男に抱かれ、年上で毅然とした高潔な男の手で鳴らされ拓かれた躯は、触れる全てが性感態と変化し
強引とも言える太く逞しい雄を埋め込まれる秘花は今や女の性器と変わらぬ反応を返すようになっていた。
あられもない体位で、恥知らずに喚き、快楽の余韻のままに、この男の逸物で嬌声を上げさせられてきた。
そんなことをさせられていることも、そんな顔を見せてしまうことも
男として悔しく、室井に負けていることも、悔しい。
キッと強気なままに睨んでやると、室井が薄く笑う。
青島の首元を彷徨う恬然な指先が淫らに襟元を寛げ、ボタンを外した。
室井なら構わないと思った。
だから抱かれた。
貫かれた今も気持ちは変わらない。後悔だって一つもない。
だけど。
室井が何を言いたいのか察したくなくて青島が顔を背けると、その頬に手を宛がい室井が視線を捕え治した。
それにも嫌がる素振りを見せると、今度はしっかりと顎に指が絡まり固定される。
「・・んだよッ」
「久しぶりだ」
呟く言葉は恐らく独り言で、眇めたその目には情欲が滾っていた。
その瞳を青島が哀しく見つめ返す。
「だったら?」
「自分で脱ぐか?それとも脱がしてほしいか」
渇いた笑いが青島の口から零れる。
「そんな誘い文句しか言えないんですか。官僚ってのはツマンナイ男の集団ですね」
「君ならどうせ歯の浮くような口説き文句を並べるんだろうな」
「ええ。勿論。堅物の男なんかよりはずっと」
くいっと顎を持ち上げられる。
「搾り取ってやる」
ゆっくりと、勿体ぶるように薄い男の口唇が近付いてくる。
生熱い吐息が口唇にかかった。
至近距離で瞳を震わせる室井は、ゾッとするほど官能に灼きつく欲情が潜んでいる。
期待と空虚に満ちた甘い吐息が一欠片零れ落ちた。
また、狂おしい日々が始まる。
****
自然消滅を待っている。
とっくに終電は終わっているだろう深夜の官舎を飛び出しながら、青島はコートを掻き込んだ。
軋んで痛む身体には、幾つもの痣と唾液と粘液が残っている。
あらぬところがツクツクと悲鳴を上げるまま、青島は夜の街を抜け出した。
都心部でもない都会の街は寂びれた田舎街と同じだ。
活気も賑わいも今は眠りに就いている。
初めて会った官僚があのひとで、初めて触れたキャリアの心があのひとで。初めて抱かれた男があのひとだった。
俺は他の人間なんか何も知らないまま、まっさらな状態で植え付けられたんだ。
んなの、インプリティングじゃないか。
んなの酷いよ。
でも、俺が選んだ。身代わりも、いいとこだ。
憧れと理想と、瑞々しい存在価値が備わり、やってやろうという躍動感を覚えた。
でも無理だった。やっぱり、俺には無理だったんだ。
二人で始めたゲームはいつしか無秩序に造り変えられていた。
明日が幸せを連れて来ないことくらい、もう知っている。物事にはいつか終わりはくるってことも解ってる。
生きている間はせめて楽になれる生き方くらい、覚えている。
届かない虚しさも、捨て牌の未来も、捧げた過去も。
自分で無くても回っていく抑圧的な未来にもう付いていくだけの関係は終わりにしたかった。
逢わない時間は悠久すぎてインターバルはより一層の飢餓を青島に伝えた。
久しぶりに逢って湧き上がる蕩けた衝動は認めたくない限界であり、揺るがない恐怖だ。
「だったらカノジョ作ってやる・・・!」
あのひとがいなくても平気なとこ証明してやる。
用済みだと言って、こっちから捨ててやるんだ!
間違った方向へ燃えだした青島の行動は早かった。
「俺だって元々そこそこイケるんだから」
自宅へ飛び込んだ青島は、クローゼットを大きく開け放った。
めいいっぱい洒落てみる。
流行っぽい服装に仕立て上げ、髪もセットして、クールなアウターを羽織って、街へ出た。
如何にもな場所では一夜しか楽しめないだろう。
少し遊べそうな、でも、売春経済は低そうな、そこそこのインテリな街を選ぶ。
ケータイの電源はオフにした。
こんな俺を許してくれなくていい。
逃げた俺を嘲笑っていいから、あんたは先へ進め。
4.
「一杯だけでいいからさ」
こんな筈じゃなかったんだけどなと思いながらも、青島はその男の手を振り払えずにいた。
ナンパしに来たはいいが、物色するようにガードレールに腰を乗せて辺りを見回している内に数人の人間から声を掛けられた。
そういうことはこれまでも多々あったし、一人で待ちぼうけしているような立場だ。暇を持て余した人間に声を掛けられても不思議はなかった。
想定外だったのはその内訳である。
非番を利用してやってきた平日だったが、男女比は半々だった。
以前は当然のことながら、圧倒的に女性ばかりだったし、勿論今日だって女性狙いである。
なのに今肩を抱き顔を寄せ引き下がる気配を見せないのも、男だ。
「・・ごめん、俺、そういう趣味ないから」
「初めはみんなそう言うんだよ」
「興味無いって言ってんの」
「普通はそうなんだろうけどさ、お前かなりイイ線行ってると思うし?」
呆れたまま、青島は避けるように反対側を向いて息を吐いた。
青島は男が好きな訳じゃない。
室井だから乗り越えた一線だったのであって、本来はフェミニストだし異性愛者だ。
男に抱かれているうちに元々備わる男にも女にも通じるフェロモンが過剰に分泌してしまっていることに青島は気付かない。
「また機会があったらね」
「またっていつ?」
「・・・」
「可愛い顔してるよなぁ・・」
逃すまいとする男の執念深さは中々に性質が悪い。
どうしようかと思案していた時、後ろから新たに声が掛った。
「待たせたな。・・・知り合いか?」
何なの今日。厄日?
「あ・・・・」
口を開けたまま、青島はその顔を見て呆然とした。
咄嗟に名を出せない。見知った顔が憮然とした顔で立っている。
誰だったっけ・・名前、名前・・・。
「んだよ、お手付きかよ・・・。やっぱりそうなんじゃん」
青島に連れがいると分かり、しかもそれが男だったこともあって、それまで粘着質に食い下がっていた男も引き下がる素振りを見せた。
不満を零す男を軽くあしらうように青島も合わせて興味無い素振りを加えると、男はようやくその場を離れていった。
二人して見送るように暫し立ち尽くし、もう一度顔を見合わせる。
「大丈夫か」
「ええっと・・・まあ・・・っていうか・・・・。草壁さん、でしたっけ?」
変わらない風貌はどこか時の流れさえ留めて見せる。
確かなものを失わせるその空間に、青島は眩暈すら覚え、瞼を伏せた。
今夜はこんなのばっかりだ。
収穫もなかったし帰ろうかな。
雨上がりの街角は澱んだ空気を沈下させ、澄んだ大気は湿度を充填させていた。
だが今の荒んだ青島には清々しさなど欠片も残さない。
濡れたアスファルトに街灯りが映り込み、辺りが妙にキラキラしていた。
「とにかく・・・アリガトウゴザイマシタ」
「・・・、いや」
「凄い偶然ですね。この辺の人?」
「そこのジムに通っているだけだ」
上目遣いで礼を述べる青島に、草壁は鋭い目つきのまま寡黙に返答した。
口下手なところは室井と似ている。
何となく昭和男だなと思い、親和を覚え青島は小さく笑った。
刹那、向かい合ったまま奇妙な沈黙が流れた二人が立つガードレールの横を、車がヘッドライトを射し制限速度を越えた勢いで乱暴に通過していく。
通りがかった車輪は水たまりを盛大に跳ね、水飛沫は雨のように青島の頭から降り注いだ。
バシャッと弾け全身ずぶぬれとなった青島は咄嗟のことにそのまま何も出来ずに固まる。
したしたとシャツまで沁み込んだ水滴が肌を伝い指先から落ちた。
「・・・・」
付いてない時はとことん付いていないものだ。
怒る気にもなれない。
ぐしょぐしょになった髪を掻き上げ草壁を見ると、彼はそれほど濡れてはいなかったが、水飛沫が少し降りかかったようだった。
パタパタと上着を叩いている。
ただの不運であるが、この差が今は現実を詳らかにする事実にすら思えた。
「災難だな」
「・・・お互いにね」
「どうする気だ、その格好」
「どうしましょ」
呑気な青島の言い草に、草壁は驚くこともなくその事態を受け容れているように肩を竦める。
急激に興味を失ったように青島は濡れた前髪を掻き上げながら片手を上げた。
その艶美な仕草に水滴が光る。
視線すら向けなかった青島は、草壁の目が少し眇められたことに気付かない。
「どうでもいいや。・・・じゃ」
「誰かに迎えに来て貰ったらどうだ。・・・・室井警視正とか」
あ。と呟いて青島は振り返る。
「室井さんには言わないでください」
自分が今受けた被害も、その前にナンパされていたことも、だ。
それだけ忠告すると、呆気に取られている草壁を置いてさっさと去って行く。
「青島」
足音が聞こえたと思う間もなく、後ろから二の腕を強く引っ張られ青島の身体が傾いだ。
驚く青島を無視し草壁が黙ったまま引き摺っていく。
一本外れた路地裏に停めてあった車のバックシートに連れ込まれ、そのまま背中を押されて押し入れられた。
***
濡れた服のままバックシートに背中を預け、青島は同じく後部座席で、放ってあるスポーツバッグを探る草壁をじっと見る。
寡黙な男はやはり無言でバスタオルを放ってきた。
じっと見る。
「使ってないやつだ」
「そういう意味じゃないけど。・・・なんで?」
取り合えず受け取り、ぺこりと頭を下げて濡れた顔やら服などを拭う。
深く開けられたシャツの際から青島の艶肌が薫った。
草壁の視線が自分に向いているのに気付き、青島が肌を拭いながらこてんと首を傾げる。
「そういう格好もするんだな」
「・・ああ。そっちはまんまだね。私服」
「ナンパ待ちしてただろ」
「知ってたの」
「昼間通りがかった時にも見掛けた」
「あっそ」
興味なく、青島は生返事を返す。
「いいのか?」
「何が」
「・・・・いや」
草壁の言わんとしていることは察せなかったが、疲れきった思考には充分な呼び水だった。
青島が拭っていた手を止め草壁をじっと見る。
今まで個人的に話したこともない男とのこの不自然な距離は、だが気にするだけの躊躇いは今はあまりない。
一人で抱えるには重すぎる原罪意識は身の裡から疼いて脳髄から糜爛させた。
どうしてこんなことになっちゃったんだろう。
「誰でも良いんだ、もう」
投げやりで空疎な青島の口ぶりに、草壁は眉だけ上げて訝しげな心境を表わした。
責めるでもない理解し難いようなその怠惰に、猜疑心は都合の良い気休めとなる。
草壁に力無く笑って見せ、青島はタオルを頭から被り、濡れたジャケットの水滴を払った。
「男にはさ、そういう衝動が疼くときあんでしょ」
「・・・・」
室井と二人で過ごした時間は少なくとも青島には清福で妙理だった。
ふと脳裏を掠めた記憶は甘く香り、懐かしい憧憬と共に蘇る。
遠き日の掛け替えのない欠片を抱き締めるような、特別な感覚に包まれる体験は、もう戻らない時の無常を誰よりも理解させていた。
あんな風に傍にいられるだけでこの世の全てを凝縮したような時間を持てる相手なんか、もう表れないだろう。
もう二度とそんな倖は望まない。
恋なんて、もうきっとない。
哀歓を帯びた青島の遠い眼差しに、車道からヘッドライトが照らし、金色に反射した。
まるで泣いているかのように潤む瞳に、草壁の心拍数が静かに産声を上げる。
「室井警視正はそういうやり方を由とはしなさそうだ」
「あのひとのことはどうでもいいよ」
「プライベートまで付き合いがあると耳にしたことがあった」
「暇な連中がね」
「警察内部では二人は共同体扱いだが、性格は本当に真逆だな。・・・喧嘩でもしたのか」
喧嘩なんて。そんなものが出来るようならこんなことにもなっていない。
もっと近づきたかった。もっと知りたかった。もっと関わって踏み込んでみたかった。
情愛の行きつく先が、でも、こんなんなら。
俺は、いらない。
室井の話をこれ以上続けるつもりはなく、青島は曖昧に笑ってタオルを返した。
その差し出した手を即座に掴まれる。
びくっとして引こうとするが草壁の節張る男の手で押し留められた。
「な、なに・・・」
「随分と細い腕だ。我々にしたら、だが」
あえかに瞬く青島の虹彩に動揺と戸惑いが走る。
それが男を劣情する隙を造り、草壁は衣擦れの音を立ててにじり寄った。
手首をグッと引き寄せる。
「こんな細腕にあの日の我々はやられたのか。喜劇だな」
「・・・アンタらが下っ端を舐めた証拠だろ」
「今日のこと、黙っててやってもいい。不可解なのはその理由だが」
「そんなことに興味あんなんてアンタも暇だね」
主導権はあくまでこちらにあるのだと匂わせる言い方をした草壁に青島は反抗的な瞳を光らせた。
憎まれ口をそれでも浮かべる青島の強気な意地は草壁に奇妙な満足感を与え、ゆっくりと白状した。
「泣きそうな顔をしているからだ」
「!」
的を得ていた青島の顔が瞬時に強張る。
「顔に出やすいところは変わってないな」
「・・・、アンタこそ。大口叩くのは相変わらずだよ」
「煮え湯を飲まされたあの時以来、俺の中はお前への対抗心でいっぱいだった」
「知るかよ・・・」
草壁は論理攻撃は得意じゃない。
だが男の本能として、こういう脆さを覗かせる人間は自ら弱点を晒してくれる。
「いつか組伏せ鳴かせたいと思っていたのに、片翼を捥がれるとこうも手応えがなくなるのか」
「俺に対抗心抱いている時点でアンタも所詮官僚だな」
まだ湿っているシャツから指先だけ覗く手首を掴み、草壁は静かに体重を掛けた。
勝ち気に睨みかえしてくる青島も力を込め押し返してくる。
それを更に力で堰きとめた。
強い眼差しだけが相手を蹂躙しようと衝突する。
「その室井警視正と痴話喧嘩か」
「なんでそう思うんだよ?」
「先程から室井の話だけ避けようとする」
「室井さんのことが知りたいなら本人に聞けよ」
「俺が興味あるのはお前の方だ」
低く唸るように喉を鳴らし、草壁が瞳に焔を走らせる。
期は満ちたとばかりに下唇を薄く舐めた。
「誰でもいいんなら俺でもいいんだよな」
「は?どういう・・・」
獲物を捕える本能のままに、草壁は青島の言葉尻も待たずシャツ一枚の甘い肩を抱き込みバックシートに沈みこませる。
熟れたような口唇を奪い、腰を密着させた。
バックシートに二つの身体が縺れ込み、横たえた身体に圧し掛かればシートが意味ありげに鳴いた。
「やめ・・っ、なにす・・・!」
「室井警視正ともこういうことをしたのか」
「・・!どうでもいいだろッ、関係な・・・ッ」
「誰でもいいと思った。それはベッドの中の話しか?」
「っ」
「誰でもいい。つまり、誰かでなければ他はみんな同じだと思ったからだろう?」
「・・っ、く、ゃ、ゃだ、はなせ・・・ッ」
倒れ込んだ拍子に外れた口唇をそのまま草壁は青島の顎から耳へと移動させていく。
若く瑞々しい肌は薫るように濡れている。
想像以上に甘い感触に、彷徨う手首を押さえ付け、掻き込んだ躯にしゃぶりついた。
組み敷いた反動で乱れ開かれたシャツの隙間から草壁の口唇が侵入する。
ざらついた舌で嬲られ、時折歯を立てながら吸い付かれて、青島が腕の中で嫌がるように眉を潜めて身を捩った。
その抵抗しようとした四肢を拘束し、シャツを襟元から嬲るように耳から首筋を愛玩する。
「く、さかべ、さん・・ッ」
「男の痴情か・・。くだらない」
「・・・ちが・・ッ」
本当に違うと言えるだろうか。
反論する理論が薄い気がして、青島は熱い息を零し、上向いた。
力の差なんか歴然だ。
「俺にこんなことして・・・何になんの・・・ッ」
「さっき自分で男の衝動について語ってなかったか」
「・・は・・っ・・」
荒い息遣いのままに艶肌の艶かしさを堪能していると、青島が避けるように歪んだ顔を背けた。
そうすることで晒される伸びの良い造形美な首筋に、草壁は分厚い男の舌と口唇で淫戯し腰を抱き寄せる。
青島の肌は切ないほど艶治なままに震えていた。
見事に草壁の劣情を刺激する。
「室井に抱かれたのか」
「関係ないだろ・・ッ」
「男の味とはどんなものだった」
卑猥な質問に、青島が艶冶な眉をそっと顰める。
「躰など売らずとも近い存在に見えたがな」
「もう・・・繋がらなくなっちゃったんだよ・・・。それも、運命ってやつでしょ・・・」
「らしくないな。強引にでも捩じ伏せるタイプが」
「らしいって何?俺は何をしていれば・・・ずっと・・・傍にいられた・・・?」
根こそぎ奪い、崩すには、本音を晒すことが前提だ。
だから草壁は促すように話題の核心を潰さぬように煽るように突いていく。
ねっとりと舌で草壁が青島の肌を嬲った。
「少なくとも室井にはお前が必要に見えた」
「そう、でも、ないんじゃない」
「確かに今はお前の方が崩れそうに見えるな」
青島は抱き込まれたまま、不自由な躯を預け、苦しそうに口唇を引き結んだ。
濡れた前髪が束で張りつき、街灯から取る灯りで妖艶に火照る若い姿態。
抵抗を止め、草壁の腕の中に収まる少し華奢な身体は、体温が高く、慣れ親しんだ恋人の様な距離感を空想させる。
まるで今しがたまで烈しい情事に耽り、耽溺した躯を持て余して過ぎる快楽を堪えているかのような、壮絶な色気を発していた。
湿って光る細髪が後ろに流れ、妖艶な様を演出し、その凄艶さのある嬌態に草壁の雄がはっきりと煽情され
思わず肩を抱く指先に力が籠もる。
気付き、上向いてきたふくよかな紅い口唇を再び奪えば、覚束なく首を振り嫌がられた。
それを草壁が強引に奪い取る。
「ぅんんッ、ゃ・・・ゃめ、ろ・・・」
惚れていたのか――決定的な言葉を使わなくとも、青島は既に陥落していた。
鍛えた屈強の胸板にしっかりと抱き込み、狭いシートの上で縺れ合う。
額に頬にと宥める仕草で口付けると、青島は堪え切れぬように首を振った。
「無様なものだ。男に捨てられたくらいで」
嫌がる手を押さえ、震える躯を堰き止め、堪える嗚咽を吸い上げる。
「・・く、ゃめ・・ッ、んぅ・・っ」
肩を抱き込み、深く口付けた。
押し入れた舌で口腔を掻き回し、逃げていた舌を掬い上げ絡め取る。
熱く、狂おしい。眩暈がするほど甘い汁だ。
味を覚えさせる雄の仕草でしっかりと輪郭を撫で、草壁は強引なままに嬲った。
「言えよ」
「んっ、ゃ・・っ、・・っ」
唾液が混じる水音に荒い吐息が交差して。
「男に抱かれたと言ってみろ」
「やめ・・っ、やだ、放・・せ・・っ」
「好きだとほざいてみろよ」
草壁の追及に青島が息を殺す。
「俺・・!あのひとが・・・・・・・・・・・すっげー好き、だった・・・っ」
一度だけでいいから声に出してみたかった言葉。
一度だけでいいから告げてみたかった言葉を、溢れるように青島が口にする。合わせてしとどに流れ落ちる涙と共に。
室井には一度も聞かせたこのない言葉が草壁の前で零れ落ちる。
奥底に押し隠して耐えている数多の感情の粒。
恐らくは一見気付く人はいないだろう、室井の内に秘める熱い躍動。
それらは秘めやかに青島の心を鳴らしていた。
荒々しい動作で、草壁が青島に噛り付く。
「んぅ・・ッ」
仰け反り無防備に晒してくる青島の喉仏がヒクつき、必死に抵抗を見せる生きの良さがより一層の情欲を煽った。
暴力的にでも我が物にしたい雄の支配欲を露骨に引き出すが
その非道な行為こそが、青島の心が堪えてきたものを溢れだし止まらなくさせる。
勝手に自己完結して、終わらせようとしないで欲しかった。
我が身など惜しくはなかった。
この恋心だって、捨てて見せる。その歪んだ鎖を断ち切れるのなら。
でも、俺は知ってしまった。
好きな人と抱き合う幸せ。想いを抱く人に求められる高揚感。
取り返しがつかないかもしれないと分かりつつ、熱い激情を肉で記憶させる充足感。
想いは身体を重ねるほど強くなる。
「いい気分だ。あんなに強気で挑んでくるお前を支配出来るなんて」
ゾロリと草壁の舌が下がって若く甘い肌を味わい、乱れ、はだけた胸元を戯弄する。
熱い息遣いが青島の口から漏れ、車のガラスを曇らせていく。
「しかも上物だ」
この両手に埋まっていくものを全部投げ出せたら、どんなに楽になれるんだろう。
どうにもならない憤りと絶望は手に余る程増殖して腐敗する。
「・・ぁ、・・く、ゃめ・・っ」
もう全て遅い。
暗闇に手を出した時から終わりは決まっていて、もう声も手も、あの高潔なひとには何も届かない。
「・・は・・ッ、・・ん・・・ッ」
「ほしいな」
「・・ふ・・ざけ、」
「俺のところへ来い。可愛がってやる」
青島はただ頑是なく首を振るだけだった。
あれだけ挑発的にSATにも上層部にも立ちはだかっていた男の深部が見えた様で、草壁には全てが理解できた気がした。
彼の努力も意識も心も、すべて室井に染められ、すべて室井に捧げられている。
涙で濡れた赤く潤む口唇を、草壁が上から奪うままに塞ぐ。
初めて見せた室井を直向きに繊細に慕う青島の純潔が酷く儚く芳しく思えた。
静かに揺らめき、落とす影さえも美しい。
こんな仮初めの夢幻に本気で賭けた男の儚さが、哀しく、そして甘美だ。
熱を加速する車中には青島の甘い息遣いだけが響いていた。
草壁は夢中になって貪った。
暖かく清らかな躯は男を忘我にするには充分で淫靡な素質があった。
これが欲しいと心から獣の様な欲望が暴発する。
***
不意にバックシート側のリアガラスがノックされた。
時を忘れて肌を味わい、夢中になって陶酔していた草壁の意識が急速に戻される。
イイトコロを邪魔され、舌打ちをしながら不審に思った草壁の手が止まった。
振り返る。
草壁の肩越しに、そこに立っている人物を見て、青島も目を剥いた。
同じく草壁も絶句する。
今話していた渦中の人物が立っていた。
暫く室井と草壁はリアガラス越しに睨み合っていたが、やがて草壁が根負けしたようにドアロックへと手を伸ばす。
視線は外さすゆっくりとロックを解除する。
瞬時に室井がドアを勢いよく開け、空かさず隙間に半身を挟み閉じられないように先制した。
「・・ッ」
その周到さに草壁は室井が引き下がる気がないことを感じ取った。
夜空と同じ色のコートのせいか恫喝的で脅迫に近い弾圧に草壁は思わず怖気立つ。
いや、比喩ではなく文字通り室井は脅迫に来たのだろう。
じっと睨み上げていたが、やがて草壁は車内に入り込む空気に意識を引き締めた。
チッと舌打ちをして、少なからずの負け惜しみを見せ、青島の身体の上から身体をずらす。
「何か御用ですか。室井警視正」
室井は応えず、青島の腕を掴んで草壁の腕の中から乱暴なままに引っ張り出した。
「これは私のものだ。今後一切、手は触れないで貰おう」
はっきりと告げた言葉は夜の闇に相応しい精緻さの如く響いた。
****
車の中で一人、草壁は久しく口にしていなかった煙草に手を伸ばす。
初めて口付けた口唇からは外国製の煙草の味がした。
しけってふにゃふにゃとなった国産の煙草に、眉を潜めて火を点ける。
名残惜しむ様に肺まで吸い込んだ。
吸い込む傍から紫煙と共に消えていく残り香はまるで青島のようだ。
触れたらあの甘い躯まで全部を凌駕したくなった。
あんたのものでもないだろとか、中途半端に長引かせているからだろとか、言いたことは山ほどあったが
あの目。
あそこまで室井が感情を見せて取り返していくというのも、意外だった。
室井は青島の前ではあんな風に烈しい男なのかもしれない。
指一本、言葉一つ、発せなかった。
室井の言葉は草壁を脳髄から威圧していた。
室井にはきっと草壁が青島に強淫していた所を全て見られているんだろう。
だが同時に自らの秘匿も晒して見せた。
見事な政治判断がそこにある。
お互い秘密を抱え合ったということだ。
強かで計算高くありながら、青島への妄執とも言える強い偏執的な熱狂が見れた。
いずれ、また現場で交錯する。
その時は手加減はしない。
草壁は小さく微笑し、煙草を消した。
5.
停めてあったタクシーの中に青島は頭から押し込まれる。
持ち上げるように掴まれていた二の腕をそのまま、手荒に背中を押され青島は額を打ち付けるほど突っ伏してシートに雪崩れ込んだ。
尻だけ持ち上げ、悶絶する。
今夜はこんなのばっかりだ。
続けて、ばさっと音を立てて青島のジャケットを上に放ると、室井が尻で乗り上げるように後から乗車してくる。
不貞腐れた顔をしながらも青島は腰を浮かせスペースを確保した。
自動で扉は閉ざされ、タクシーは滑るように発車した。
「どっから見てたんですか」
「君が頭から水を被ったところからだ」
「趣味悪ぃ」
タクシーの中は渋滞無線がノイズ混じりで断続的に沈黙を切り裂いた。
開き直り、青島は身体をシートに預け室井とは反対側の車窓に目を向けた。
***
二度と踏み入れるつもりのなかった室井の部屋にまたのこのこと舞い戻り、見慣れてしまった狭い連絡通路で鋼鉄の扉を拝む。
何かの冗談であって欲しい願いも虚しく青島から力無く渇いた笑いが零れ出た。
解錠すると同時に室井に中に押入れられ、たたらを踏む。
背後で施錠する室井を睨み上げた。
「あがれ」
「用、ないです」
「気付いてないのか。おまえ時計を忘れていったぞ」
室井が青島を避け、先に黒光りしている革靴を脱ぐ。
スタスタと奥部屋へ消えてしまうので、仕方なしに青島も靴の紐を寛げた。
暗がりに続く廊下はいつになく鎮まり返り、外の雑音が耳障る。
「シーツの中に丸まっていた」
「・・ん」
音もなく手の平に重量のある冷たい感触が落ちた。
捨てた筈の昨日がここにある。
わざと忘れたわけでも、忘れたふりをしていたわけでもなかった。本当に気付いてもいなかった。
なのに、現実が空恐ろしく手元に落ちた。
結構大事にしているつもりの時計を忘れるなんて、昨日の自分の状態を計り知れる。
反乱は僅か一日で結審し、結局行き着いた先がここだなんて、情けない以上にそれは呪詛だと青島は思う。
恐らく室井はこの時計を見つけ、気を利かせたつもりで青島に連絡を取ろうとして
ケータイがオフであることを知り、それが、始発も待たずにここを飛び出した青島の行動を含め、連鎖的に不審と疑惑を抱かせた。
腕時計に複雑な気持ちのまま目を落としていると、室井が静かに沈黙を破った。
「何か飲むか」
「へぇ・・・、今日はもてなしてくれるんだ」
「・・・」
「帰ります」
青島はくるっと背を向ける。
「おい」
「酒くらいなら、いつだって付き合いますよ。財布次第ですけど」
暗に外でなら逢うと言明し青島は背中越しに応答する。
そんな日が、来るのであれば。
本気で去るつもりの意志を悟った室井がすぐさま滔滔としたバリトンボイスだけで名を呼び、青島の足を縫い付ける。
呼気だけの中途半端な制止が、無防備なままに逃げ出す青島に、記憶の中に忘れられぬほど刻みつけられたものを追わせた。
「どうして俺から逃げた」
「・・別に」
「理由くらい、言え」
「逃げませんよ、今更あんたから」
「嘘が見破れないとでも?」
「今更、あんたがそれを聞きますか」
振り返らずに追ってくる声を聞き流し会話を合わせていた青島の足が、一歩、前へ出る。
空かさず室井が追った。
伸びてきた手を払う。
払った手を掴まれた。
それを捩って拒む。
しかし掌を握るように、押さえ込まれて。
腕を強く振って引き抜く。でも力で引き戻される。
たたらを踏み、縺れる足が後退る距離を失い、青島は壁に追い詰められた。
慣れた匂いが遠くに聞こえる僅かな車の走行音に混じる。
手首を掴まれたまま顔ごと背ける青島を、室井が計らうように視線を鋭く突き刺した。
責められているみたいだ。
快楽の匂いさえ鮮烈に蘇生させるその視線に、胸の裡に燻る残り火を悟られたくなくて
青島の顔は不自然に揺れて滲み、そして、途切れた。
「青島」
「・・なんだよ」
見定めるように青島を押さえ付けていた室井も、駄々っ子を諌めるような遣る瀬無い溜息と共に静かに断定の言葉を落とした。
「おまえ、終わらせようとしているのか」
青島は小さく笑う。
が、失敗する。
「昨日が最後って・・・決めてました」
鮮やかなのは、いつだって室井との限界を越えた昇華という名の遺跡だった。
届かなかった想いが胸の奥で燻って腐って戻っていく。
今度こそ、その扉を開けると思って、結局手の平だ。
そんなにもこの歪んだ繋がりが強固だというならば、俺が断ち切ってやる。
貴方へ、ありったけの想いが届くように。
実際に気持ちを言葉にしたら情けなくも青島の視界は少し滲んだ。
言葉は心の鍵も緩めてくるもんだと、どこか奇妙に冷めた脳の片隅が思う。
「何かあったのか」
「何も?」
「どうしたんだ、一体・・・」
「室井さんこそ、どうしたんだよ」
重ねるように言い返した。胸の奥がカッとなった。
息詰まる熱さえ伝わる距離を途切れさせようとしない室井に耐え兼ね、青島が俯いていた視線を戻した。
分かっているだろうに会話の決定権を見せない駆け引きに、先に痺れを切らす。
交差する視線に、途端に二人の間の空気が変わった。
ああいつかもそうだったと、またこびり付いた記憶が冷めざめと青島に警笛する。俺ばかりが。
のらりくらりと付き纏う室井の幻影に、悲鳴のような叫びを胸の裡に木霊させ、青島の喉はどうしようもなく閊えていた。
涙目のままただ睨みつけた。
「こんな関係、良いとも思ってないくせに。それとも優しさのつもり?」
「急に造詣深いことを言うんだな」
「急じゃない。ずっと考えてた」
「ずっと・・・?」
「俺に執着している間はあんたも唯の人だよ」
あっさりと切り捨てて見せる青島に、室井はほんの少しだけ闇色の瞳に狼狽した色を加えた。
吐き出したこっちの声の方が余程、低く深甚だ。
「いいのか?・・・出来るのか、おまえに」
「出来るさ」
未練を殴り捨て、室井の腕を振り払い青島は再び扉に向かう。
今度は室井も追いかけない。
背中で室井が息を呑んでいるのが伝わった。
名残惜しさは息を殺すほどだった。でももう絆されない。
誰かが、どっちかが終わらせなきゃ、この悪夢は終わらないのだ。
立ち竦み、時間を止めているから、烙印の様な過去が消えないのだ。
だったらその貧乏くじは俺が引いてやる。
喪失の恐怖は幻影のように纏わり付いていた。
室井が先へ進めないのが情だとして、だったら断ち切る役目は青島にあるのだろう。
だから、青島はその孤独な背中を向けたまま、振り返るわけにはいかない。
時は満ちた。
その解放が二人の名もない夜をこの手で粉砕させるのだとしたら、解放は救済だ。
だけど、恨みのような妬みのような悪寒が湧き上がる。
だけど、二人で過ごした日々があまりに鮮やかで。
俺に触れたこのひとの手の感触が、あまりに甘ったるくて。
抗いきれない降り積もった感情が、迸って。
――何て運命なんだろう。
どうしてこんな形で俺たちは出会ったのか。そこから恨んでみたって、時は戻らなくて。
廊下の最後の最後まできて青島の足が立ち止まった。
袖口を掴む握った拳は、震えていた。
肩越しに青島が、一度、振り返る。
緊迫した耳鳴りを呼ぶほどの沈黙が肌を刺すように震撼していた。
滲んだ視界は予想通りで、苦悶の表情のままに室井が青島を見つめていた。
「・・・き、・・・好きだよ、室井さ・・・っ」
目を閉じ顔をくしゃくしゃにして、言葉が震える青島の口唇から零れた。
溢れ出る気持ちは最早固縛するだけの効力はなかった。
このくだらない均衡を崩せるのなら、もう何だって良かった。
こんな末路しか選べなかった自分たちがあまりに哀れで。あまりに不憫で。
こんな思いをしてまで抑圧される代償として、これは相応しいんだろうか。その情熱は矛先を失いどこへ向かうのか。
魂から蕩ける程の共鳴があった。こんなんで終わるのか。
室井の言うとおり、こんなので終わらせられるものだったのか。
目を赤らめ潤ませ、睫毛を濡らしながら青島は室井を見る。
きっと、こうして見るのはこれが最後。
そう思ったら口唇が隠しようもなく慄いた。
「・・き、だいすき、だった・・・っ」
間違っていない。
何も間違ったことはしていない。
なのにこんなにも心が痛むままに終わっていく。
「・・ろぃ、さん・・・っ」
青島の口唇が吐息の音で室井の名を乗せる。
空気を震撼させ、次の瞬間、室井がらしからぬ足音を立ててかなぐり捨てるように大股で近付いた。
その手が青島の腕を乱暴に引き寄せる。
そのまま腕に手繰り寄せ、粗雑に口を塞ぎ、それ以上の言葉を封じた。
「すき、だった・・・っ、俺っ、ほんとはあんたが――」
「好きなんて言うな・・ッ」
「・・ぅ、ぅう、・・・すき、だいすき・・・っ」
それでも溢れだす言葉を止め処なく零れさせる青島に、室井が息を殺して掴み寄せる。
言える筈のなかった言葉は青島の喉から堰を切ったように溢れ出ていた。
室井の肩に額を押し当て、青島の指先が室井のスーツの裾を恐々と掴んだ。
その後頭部に五指を入れ、室井も息を詰まらせる。
「そんな簡単な二文字でこの気持ちを終わらせられるくらいなら・・・ッ、・・っかやろうッ」
顔を傾け、室井が後ろ髪を鷲掴みにし再び荒々しく口唇を重ねてくる。
泣きじゃくりながら青島はその烈しい口唇を受け止めた。
もう抵抗するだけの気力はなかった。
四つ年上の男に追い付きたくてずっと走り続けた数年間だった。
刑事キャリアとしてはもっと差のある男にいつか認められたくて必死だった。
強がって、背伸びして、大人ぶって余裕見せたけど、身の丈を越える実力はどうやったって不可能だ。
頼れる男にはなれなかった。
どうしたって時間の差だけは埋められないのだ。
後から後から涙が溢れ、限界を越えた気持ちも熱も溢れ、ぐちゃぐちゃのままに青島が室井にしがみ付く。
張り合っていた威勢も気力も燃料が切れ、もう何も残っていなかった。
今支えるものは何もなかった。
子供に戻ったように、目の前の男に全てを預ける。
「・・き、すき、・・ろぃ、さん、俺・・・っ」
「ああッ」
「い・・・しょ、に、ぃたか・・っ」
「ああ・・ッ」
「・・めん、ね・・っ」
「・・ッ、謝らなくていい・・!おまえこそ俺を置いていくな・・!」
掻き抱く室井の腕が余裕を失っていて、力加減を厭わない。
貪るように濡れて愛を喘ぐ青島の口唇を、室井がまた塞いだ。
応えることも忘れ青島は成すがままにその主導権を明け渡す。
唾液と涙で滑る口唇を忙しなく擦り合わせられるままに喘いだ。
泣いたことで息も上手く吸えずに薄く開いた口に室井が強引に舌を割り込ませる。
「んぅ・・・ふぁ・・っ、・・」
反射的にせり上がる呻きも泣き声も、押し殺せずに上げさせられ
無防備な粘膜を触られ、痛みを生むほど過敏になる背中を指先で辿られ、青島は更に躯を戦慄かせる。
ただ一人の、この男を、愛したつもりだった。
咽ぶように甘い息を漏らし続ける口が、ただ愛を紡ぐ。
「む・・ぃ、さ・・・ッ、す、きだっ・・、っ」
「ッ」
「俺・・っ、すきっ、・・・すき、です。ずっと、言いたかっ――」
そして、青島に呼ばれて、室井が奮い立たないわけがないのだ。
後頭部を掴んで口唇を押し付けてくる青島に、室井はいっそ暴力的な誘惑を感じ
低く唸るように喉元を鳴らして挑みかかった。
息も荒く昂ぶる感情のままに口唇を深く押し当て、壁に強く押し付け身体で封じ
舌を奥深くまで押し込み、震える柔肉を勢いのままに絡み取った。
既に降伏していた躯は制御も効かず、青島の膝はカクリと力を失い
そのまま廊下に沈み込んだ青島を肩から縫い付けるようにして室井が口唇を重ねていく。
「泣くな」
「うう・・っ、・・っ」
薄っすらと濡れた睫毛が震え、室井と視線を合わせると、青島の表情がまた崩れた。
焦点が合わないほど至近距離で見つめ合う青島は、キスの余韻もあってぼんやりとした淫蕩な眼差しを向け
ただ室井を見つめ上げる。
「・・・のところ行くな・・・」
「う・・っ、うぅ・・っ、ろぃ、さ・・・」
「俺以外の男に泣いてる顔、見せるな。触らせるな。離れて行くな。もうずっと俺のところにいてくれ」
室井は言いたいことだけを言い、もう一度青島を腕の中に治める。
柔らかくうねる髪にキスを落とし、耳元に口唇を押し当てた。
初めての室井からの慈しむような愛撫に、青島の一文字に結ばれている口唇に、涙が一雫、弾く。
グッと息を呑み、魅入られるままに室井が額を寄せた。
「好きだから」
「・・っ」
「ちゃんと俺も、好きだから。俺の方が、きっと好きだ」
前髪の奥から青島が無垢な瞳で室井を見定めるように顔を上げ、顔を横に振る。
「・・・うそだ・・・」
「君は誰にでも好かれるから・・・いつか、俺のことなどどうでもいいと言い出すのだと」
「他の男なんて・・・どうでもいいよ・・・」
「欲しがっているのは自分だけだと思った。何も言えなくなった」
「他の人に、こんなこと、しないよ」
感極まる室井が強く青島を抱き締める。
確かめるような男の力で抱き込まれ、青島はあどけない瞳を濡らして室井の肩に額を埋めた。
「・・・嘘じゃない?ほんと・・・?」
「ああ、信じてくれ」
縋る青島を、室井もしっかりと抱き留めた。
甘えるように、拗ねるように、青島が室井の腕の中から室井を見上げる。
「嘘だよ・・・えっちの時だって・・・あんなに・・・よ、よゆーだし」
「結構持っていかれそうだったが」
「な、なんか冷たいし、素っ気ないし・・・」
「君を前に優しくするだけの余裕なんかあるか」
「・・・っ」
室井がゆっくりと紅く膨らむ口唇を啄ばむ。
「それに、おまえが、そういう行為の方が好きなんだろうなと思って合わせていたんだ」
「・・ッ、バ・・っ、んな・・ッ、な、わけ、あるか・・っ」
「・・・・そうか?結構手荒な方が感じていたように見えた」
「~~ッ」
飄々と室井が白状する内容に、青島は言葉も発せず真っ赤になった。
泣いて緩んでいたために反応が虚ろで、あわあわと口をパクパクさせているのが妙に可愛く、室井の険しかった眉間が更に深められる。
恥ずかしさのあまり涙とショックで感情が定まらない。
室井は狼狽える青島の額に張り付いた髪を、そっと指先で梳かした。
「君は・・・悲しいとか辛いとか、何か頼ってくれれば俺でもしてやれることがあるだろうに、何も言わないから・・・」
瞳が潤む青島に室井はただ小さく微笑するだけに留める。
青島もそんな室井の様子を肌で感じ取る。
「待たせた。言えなくて、悪かった」
顔を歪め、青島が拳で口元を抑え、赤らんだ目尻の顔を横に反らした。
「俺、人に賭けたの初めてだった。あんま軽く見んな」
「頼りにしている。本当に」
「上から目線。すごく・・・ムカつきます・・・。俺じゃ何も出来ないって・・・思ってるだろ」
「思うか・・」
低く艶のあるバリトンボイスは、青島の心髄から震撼する。
この声が、好きだった。
「草壁に襲われているおまえを見て――どれだけ腹立だしかったか」
「・・・、そ、それは――」
「もう、ごっこ遊びは終わりだ」
室井の手が青島の後頭部に周り、確かめるように青島を引き寄せる。
額を肩に押し付けさせ、囲うように片手で頭を抱き込んだ。
ごめんと小さく耳元に囁かれる言葉に青島はただ黙って見つめ、そして首を振る。
信じられない気持ちは室井の方が強いのだと何となく思った。
勘違いしていたのも、擦れ違っていたのも、勇気が出なかったのも、お互い様だ。
あれほど空疎に荒み、禁圧に呻いていた胸の内はすっかりと解放されていた。
解放を願ったのは室井の方なのに、自分が解放されている逆説に、青島は何だか少し可笑しくなる。
目の前には仕立ての良いダークスーツが変わらずにある。
その事実が青島をただ安心させた。
見つめ合う視線に、もう迷いはない。
どちらからともなく、また顔を近づけ、そっと口唇を重ね合う。
「ん・・、ふ・・・、ぅ・・」
感情が飽和し決壊し、尖ったものが折れ、いつになく幼くなって、青島は室井のキスに嗚咽ごと呑み込まれていく。
せめてもと眼前で片膝を付き引き寄せる男のスーツを、小さく引っ張った指先は、まだ止めようもなく震えていた。
縋るように伸ばされた青島の手を、室井はしっかりと握り締める。
愛し気にその指先に口付けを落とした室井が、ふと口唇を止めた。
「・・・ん?だったらおまえは、一体どういうつもりで俺に抱かれていたんだ・・・?」
「・・・うん?」
「俺の気持ちは、全く伝わらなかったのか?」
「う、うん」
「おまえ、今まで好き合ってもいない男とあんなことしてたのか・・・?」
「・・・あ~・・」
それはそうなのだが、そこんところの説明はちょっと難しい。
口籠る青島に室井は胡散臭そうな眼差しを半眼にする。
「躯くらいどうってことないってことか?」
「ち、違いますよ!」
「じゃあなんだ。やっぱり誰とでも寝るのか?」
「ちがうって・・!」
「まあ、もう寝させないけどな」
目の前で口唇を尖らせる室井に、青島は上目遣いで恐る恐る口を開く。
「・・・きゅ、救済・・・?」
「・・・・・・・・・・・・・何のだ」
「だ、だから・・・、室井さん、なんか溜まってんのかなとか、吐き出す場所ないんだろうなって・・・」
「・・・・」
室井が目を見開きフリーズする。なんか使った言葉間違ったかもなの青島もフリーズする。
「お・・まえな、」
「あ、や!そ、そ、そもそも室井さんがあの日逃避にえっちを選ぶから!」
「それはあの日、おまえが先に目を瞑るから!」
少なくとも始まりの夜、この男も誘われたわけではなかったのだと青島はようやく知った。
青島に抑えていた劣情を煽られて、肉の快楽に引き摺りこまれた。
合わせて鬱勃する烈しい恋の渦に、もうどうやっても抜け出せなくなった。お互いに。
自分のために躊躇いもなく差し出される愛しい身体が嬉しく、そして哀しかった。
決定打を言われるのが恐くてただ演じきった。
今更生温い愛し方をされるくらいなら歪んだままに突き進んで、鮮烈な世界を見せてくれた方が、なんぼかマシだったのだ。
***
室井は青島を抱きしめるようにして、ベッドに押し倒した。
「室井さん」
耳を犯すような甘くて切ない声。
そんな風に名前を呼ばれたら室井は堪らない。
「俺が、どれだけおまえを好きか、教えてやる」
四肢が絡まり、柔らかく押さえ付けた手を握り締め、甘く薫る耳裏から首筋を戯弄され、芯から熱くなる。
押し殺す様な吐息が青島の口から浮かんで途端に色付く空気は、振り返り、立ち止まっては交えた過去も染める。
「ずっと好きだった」
何度も何度も口唇が重なる。
やがて噛み付くみたいな奪い合うキスに変わって、甘い吐息は濃紺の闇に溶け込んだ。
happy end
横恋慕役は誰でも良かったのですが、いっそオリキャラの予定だったのですが、イッキミに参加したら草青の扉が見えた・・・。負かされた相手を凌駕したい草壁さん、雄である。
時間軸はOD2直後くらいですかね。久々にスクリーンで観た青島くんの可愛さがあまりに破壊的だったので当社比手に負えない可愛さ倍増となりました。
20170304