時間軸はODF後。ステージ東京。登場人物は室井さんと青島くん。ちょっとモブ。
久しぶりに初心に返りました。踊るはこういうふたりの物語だったと今も疑わない。青島くんはいくつになってもかわいいよ!
マ
ジでキスする5秒前

1.
微かな瞬きでサイドミラーに視線を向けてから、青島はバックミラー越しに後部座席に視線を走らせた。
「お疲れのようですねぇ」
「・・・」
鏡の中の男は声に視線は上げたが、返事をすることもなくまた膝元の捜査資料に戻る。
素っ気なさをきょとんと見納め、青島も前方へと視線を戻した。
長閑な夕暮れだった。
国道に出る少し手前、今日は風があるのか、街路樹の黄金の銀杏が揺れている。
緩やかに信号が赤に変わり、ギアを変える音さえ、憚るように金色の西日に吸い込まれていく。
官僚さま、もとい、室井警視監をお送りしている最中だった。
室井のご指名だった。
たまたま一課に管理官を送迎するため登庁していたところだったので、手は空いていた。
パラ・・と紙を捲る音、カーエアコンの幽かな震動。エンジン音が占める車内が、二人きりの特別な演出で外の喧騒を失わせる。
青島は少しだけ運転席側の窓を開けて新鮮な空気を入れると、空を見上げた。
「すっげぇいい天気」
「・・・」
「こんな日ってなぁんか悪さしたくなっちゃうんですよねぇ」
ね、と悪戯っ子のような瞳を鏡に向けると、室井が眼鏡の奥から視線だけ向け、また戻す。
仏頂面に潜む、その漆黒の瞳は柔らかい。
「警察庁のウェブサイトには犯罪統計資料が公表されている。が・・・天候との研究報告はなかったな」
「ええぇぇ~・・・」
不満そうにハンドルに顎を乗せる青島は、信号が変わるのを待ちながら、頬を膨らませた。
抜けるような茜色の夕空の下、トワイライトに黄金を散りばめ、視界を彩る。
めっきりと冷え込む大気は透き通っていて、外は冬の匂いがした。
「ぜ~ったいカンケーあると思いません?」
「海外では、独立記念日、ハロウィン、クリスマスには薬物検挙率が下がるという統計があるらしい」
へぇ、と相槌を返しながら、サイドミラーを見て、青島はアクセルをゆっくりと踏み込んでいく。
右折したあとは、高速沿いに走る。派手なネオンが立ち並んで来れば、目的地・六本木はもうすぐだ。
「ヤクはやってもバチ当たりなことはしたくないんだぁ」
「君のは子供の悪戯だろ」
「あ、室井さんも隣のおばちゃんに怒られたクチ」
「・・・・」
「すいませ~ん」
返事は少ないし、険しい強面を崩さない男ではあっても、長い付き合いから室井が怒っているわけでも機嫌が悪いわけでもないことは青島も感じ取っている。
むしろ、たぶん、久しぶりのこの時間を、楽しんでくれている。はずだ。
随分と年上の上司、階級もかなり上、今や専属送迎付き、そして職場も違うとなれば、遭遇する機会なんてまずないに等しくなった。
滅多にない、二人きりの、あざとい回顧録だ。
室井の視線が一瞬前を向き、今度はそのまま窓の外へと投げられた。
「一緒にバカをやった記憶はこっちも消したい時間だな」
「ぇ、消しちゃうんですか?」
足を組み、バックシートに優雅に沈む背筋はしなやかに伸び、膝に資料を乗せた姿は、毅然としていて高潔な空気を纏う。
今となっては、エリート官僚の中の勝ち組だ。
だが、眼鏡の奥から覗く虹彩は、青島の良く知る利かん気な相棒である。
冒険家で、ちょっぴりワイルドだ。
色を乗せない漆黒の瞳の奥に宿る強さが、あの眼差しの狂おしさが、いつしか青島を虜にした。
それ以上に、なんで室井が自分なんかと関わりたがるかは今もって謎である。
初めてこうして室井を乗せた時は、すこぶる緊張したし、噛み合わない空気にへこたれた。
寡黙で無口な朴念仁の、強かな余裕に囚われたまま、抗う指先も奪われて、絡め取られた奥底を暴いた代償に、火傷しそうに迸る激情に晒された。
それは、ほの暗い恍惚感に近い、かもしれない。
「おまえは何も知らないんだ。・・・知らなくていい」
「ええぇ?そこは教えてくださいよ」
道路は思ったほど渋滞はしていない。みな仕事中なのか、いかめしい面で並んでいる。
「思い出なんかに浸っている余裕なんかないってとこか」
青島の視線が離れたところで、室井が小さく微笑み返した。
少し舌足らずな青島の口ぶりに、年上の笑みを乗せた室井が資料から視線を反らし、眼鏡を外す。
するりと外す仕草を添える長い指先は妙に男くさくマッチする。
室井さんは──────逃げたんだ。
青島はそう思っている。
いつか自分に云ったのだ。怖いと。
その時俺は、そんな弱音、俺に吐いて良いのかと、突き放した。
今になってわかることは、たぶん、確かに消したい赤裸々な裏事情は酒の肴にもならないってことだ。
「そこがおまえの魅力だろう?似合わないからやめておけ」
「それもまた誤解がありそうですけどね」
沈黙に何か答えを潜ませたのか、室井が見透かしたように口を挟んだ。
それでもどこか嬉しそうな青島の声色は、気持ちのすべてを巧く伝える術をもたない指先に伝わり、ハンドルを弾く。
光の加減で色素が薄れる茶色の瞳がバックミラー越しに煌めき、場違いな婀娜で赦しを媚びる。
「室井さん、俺・・・」
「謝るなよ、そこで。今更降りられたら、こっちが惨めだ」
はっきりとあどけない笑みに変わった青島が、中指でウィンカーを出し、車線変更をする。
この辺りは上を走る高速道路に向かう車線で、混みやすい。昔、何度も行き来したからこそ知れる、走り方だ。
黄色に変わる信号は、まるで終わる秋を惜しむように、赤に変わった。
サイドミラーに視線を送ってから、青島はぽんぽんとハンドルを指先で叩くリズムに全てを乗せる。
「気付いているか青島」
「あれ、室井さんも気付いてました?」
「・・・」
「さっすが」
「あの程度の尾行、素人だな」
警視庁を出たあたりから、一台の黒いセダンが後方に付けていた。
こちらが何回かスピードを変えても車線を移しても、三台めをキープしてくる。
「お知り合い?」
「君じゃないのか」
「やだなぁ、失敬な。俺そんな恨まれるようなことしてないですもん、さいきん。・・・室井さんでしょ」
「あんなユニクロで揃えられそうなスーツ。心当たりがないな」
横柄な言い分に苦笑を洩らすも、青島は少しだけ顔を引き締めた。
特に何も仕掛けてこない今は、放っておいてよいかもしれない。
だが、もう少し走ればそこから先は官舎街、プライベート空間になる。
素性を晒すわけにはいかない。
素性を知って付けてくるなら、テリトリーに誘い込む無茶はできない。
今夜が偵察だったのなら、しくじった免罪符は誰の手に渡るのか。それを考えるのも、青島にとっては、ちょっと悔しかったりする。
「ちょっと・・・お話してみますか」
「何をする気だ」
「世間話ですよ。今日の東京平均株価でもいい」
「まだ何の確証もない。下手に刺激はするな」
「けど、このまんま遊ばれるのも癪じゃない」
室井が呆れた溜息を吐いてファイルを閉じた。
「次の信号で左折だ。脇に入ったところで止めろ。道路用地の空き地がある」
「そう来なくっちゃね!」
信号で左折用ラインに入る。案の定、後ろの黒いセダンもウィンカーを出した。
間違いはないだろう。
見計らうまま車間距離を保ち、青島は空地へとハンドルと切った。
セダンが用地に乗り上げたのを認め、次の瞬間、青島はアクセルを思い切り踏みこむ。
途端、爆音と共に舞い上がる灰色の砂煙。
タイヤの擦れる走行音。
夜の閑寂を突き破る宵祭りがひずんだ地響きでつんざく。
奥まで一気に走らせ、大きくスライドさせると、青島は一気にブレーキをかけた。
巻き上げた鼠色の砂煙は、紫に染まった夜空に高く遠く吸い込まれていく。
喧騒は、一瞬にして静寂へと変わった。
二人揃って車から降りる。
「どっちのか、賭けましょう」
バンパーに手を付いて、指先で合図する青島の挑発に、室井は清雅な目を向けた。
剥き出しの荒んだ大地を背負う麗姿は、庶民派が似合う青島とは対照的だが、素朴な顔にしっくりとハマる。
――ここが室井の喰えないところだ。それを一体何人の人間が見抜けるというだろう。
羽織った黒のロングコートが風に靡いて、呆れた視線が少年のそれになった。
「今の段階では職質も出来ない。言葉の選び方には気を付けろ。裁判で叩かれるぞ」
「わかってますって。俺を誰だと思ってんの」
「だから忠告したんだ」
二人並んで不審者へと一歩を踏み出す。
誘い込まれたことに気付いたのだろう、ややして運転席からも影がひとつ、降りてきた。
徐々に間隔が狭まっていく。
工事用の黄色い照明と、投光器が数台、青白く冷たい光を放つだけで、大地は赤茶色に染まっていた。
――歳は30代くらいの男性だ。
がたいの良い長身、黒の革ジャンと、ピッタリとしたジーンズは昭和流行りのダメージ加工。
不審者はサングラスをかけたまま車のヘッドに腰掛けた。
こちらを守備範囲に誘き寄せたい意図を見越し、識別出来る距離まで来て、室井が足を止めた。
「君は確か、先週も湾岸署にいたな」
「えぇっ、うっそ!」
「目的はなんだ?」
「え、てか、先週もあんた来てたの?俺、聞いてないですよね?!」
最初から情報戦で負けてんじゃん。
ぐりんと室井を振り仰ぎ、青島が泡を食った顔を向けるが、室井の視線は不審者と噛み合ったまま外れない。
ジト目を流す横で、室井が涼しい顔で男を上から査定する。
この薄暗いのに黒のサングラスを取らない男もまた、だんまりを決め込み、室井に静かに向き合った。
黒の革ジャンに黒のカシミアコート。・・・なんの集まりだこれ。
自分だけ一人浮いている気がする青島は、少しだけ天を拝みたい気持ちにもなり、肩を竦めて溜息を落とした。
「コレに用か」
室井が青島を顎でしゃくる。
不完全な距離を保ちながらも、その不審者は少し怯えているようでもあった。
それは怒りでもあるようであり、興奮した様子を隠しもせず、そわそわと落ち着きなく辺りを警戒する。
右手が胸ポケットに移動した。
スッと、三人の大気に緊張が走る。
「ご自分の立場、考えて」
青島が室井に耳打ちし、少しだけ下がるよう誘導を掛ける。
だが、射程距離を正確に測っている室井は微動だにせず、仁王立ちしたまま、高圧的に顎を持ち上げた。
「何のために付けてきた?」
「・・・いいんですか?断定しちゃって」
初めて不審者の男が口を開く。
低く、ねっとりとした声だ。
「大ごとにするつもりはない」
「まあ、いいか・・・俺が用あんのはアンタだ」
ほれみろ、と青島が室井にジト目を流した。
室井も合わせて片眉を上げるが、眉間を深くする。
その間に、不審者は内ポケットから煙草を取り出し、火を点けた。
ゆっくりと吸ってから、サングラスも外してみせる。
「この間の強盗未遂、不起訴にしたの、あんただろ」
「どの事件の――」
言いかけた室井を青島が横から足で素早く蹴り飛ばす。
「ああ!それね!知ってます知ってます、突然襲われてね・・、やな事件増えましたよね~最近。こわいこわい」
「こわいなんてもんじゃない!相手の体液も出た!殺されててもおかしくなかった!」
うっわ、レイプ未遂かよ。
したり顔で神妙な顔つきを作り、青島が親密な雰囲気を作り上げる。
「ひどい事件だと思うよ、うんうん」
「記者会見で、ソイツの顔を見た」
「ああ、このひとね・・、ムッツリな顔して出てるよね~、確か現場は都内で―」
「世田谷だ!」
「そうそう、世田谷のね」
誘導で引き出した情報から、事件の記憶を繋げられた室井が、ここから引き取る。
「報道発表に因れば盗られたものはなく、体液は体内から採取したものではない。被害者自身が招き入れた可能性を否定できなかった」
「んなわけあるか!」
「それがこの国の法律だ」
「だったらこっちはテメエを恨んでも許されるよなぁ!」
にべもない室井の飄逸に、不審者は不気味にそれ以上の感情を奔らせなかった。
黙って煙草を足元に捨て、砂音を立てて揉み消す。
不意に訪れた静寂に、居心地の悪さを感じたのは青島で、隣の室井に寄り添うように一歩下がった。
それを受け止めるまま、室井が目線でいなし、青島を見る。
ここまでお互い名前を口走ってはいない。
「ほら、俺じゃなかったじゃないか」
「ええぇ?これはそっちでしょー?」
ちがわない、と、室井が口を尖らせて横を向く。
なんだその子供みたいな反応。
ってゆーか、あんた、それが聞き出したかったのかよ?どんだけ負けず嫌いだ。
突如、クソッと悪態を吐く声に、室井と青島は同時に身を引き締め直す。
金色の光を妖しく反射させる不審者の目に、室井が矛先を変えた。
「君との関係は」
「ふざけんな!聴取んとき、説明しただろ!何度も!何度も!でも警察は信じない・・!あいつは、俺の・・・ッ、俺の恋人だ・・ッ!」
「それで逆恨みでもしてみたか」
あっちゃあ、という顔をして、青島が額に手を当て天を仰いだ。
恋仲というもの厄介なジャンルだし、それを逆恨みの一言で一蹴してしまうのは、デリケートなモンダイだ。
個人感情だと突き放した物言いでは、相手を逆上させる。
案の定、不審者の顔は宵闇でも分かるほど興奮した。
「ううううるさい!!!アイツはあれ以来ずっと泣いているんだ!」
「だったら君のやることは他にあるだろう」
こんなところで油を売っていないでと、にべもなく突き放した室井の発言に、不審者は更に眼光を強め、歯ぎしりする。
恬淡な室井の正義の言葉は、時に、温度がない分、聞く者には冷たく響く。
半眼で青島が室井に呆れた顔を向けるが、室井はツンと横を向いた。
あ、そうゆうことね。
「えーと、それで、湾岸署にはどうして?」
興味すら失せたような室井の声音を引き継ぎ、青島が口調を変えて会話の流れを引き取った。
不審者が音を立てて煙草の空箱をグシャグシャに閉じる。
セブンスターときたか。オヤジだコイツ。
「大方、保釈されたのが湾岸署だからだろ」
「んなわけないでしょ、あんたは黙って」
「人を付け回す理由なんてそんなものだ」
「俺に助けを求めに来たかもしれないじゃない」
「所轄の顔など覚えているものか」
「調べたんだよッ」
夫婦漫才の如く、目の前で不毛な言い合いを始めた室井と青島に、不審者が大声を張り上げ遮った。
無駄口を止め、青島が前髪に隠れた奥から、ニヤリと口端を持ち上げる。
「あんたも、同じ目にあったら分かる・・・!だからそいつが身代わりだ!」
「おおおおれっ?」
「ああ、可愛い顔してるしな・・」
突如渦中の人間となった青島が、思わず自分を指差した。
きょとんと目を丸くする青島に、不審者の赤く光る舌が、いやらしげに口唇を舌なめずりし、光らせた。
「何故コイツが身代わりになる」
室井が低い声で刺す。
「聞いて回った。アンタの周りに浮いた噂は出てこなかった。反面、ソイツとの繋がりを指摘する声はあちこちで聞いた。深入りした仲だと言う奴も
いた。だったら目的は果たせるよな」
「君は自分が何言っているか分かっているのか」
「あんた冴えない顔してんもん。どうせくたばり損ないだろ、七光りの」
室井の目が灰色になる。
「くたばり損ない・・・」
青島がけらけらと笑って室井の背中をたたいた。
「刑事は恨まれてなんぼだって!」
「いちいち茶々入れるな。今質問中だ」
「職質はしないって言ったの、あんたじゃん」
「職質じゃなくて、これはご近所トラブルだッ」
尚笑いが止まらない青島が、腹を抱えて笑声を噛み締める。
もしかしたら室井も、わざと挑発したのかもしれない。話の流れから相手の狙いを引き出すために、だ。
現場に長ける青島に引き取らせ、目の前で仲睦まじい様子を見せ付ければ、相手は嫉妬で感情が乱される。感情論で動いた相手だからこそ、効く。
なんとなく自分のやり方に似ている室井の手腕に、青島は小さく苦笑を残した。
目が合って、室井がバレたか、と言わんばかりの目付きを反らし、気を改める。
「同じ目とは?・・・君は何をしようとした?答えるんだ」
「ソイツ傷つけたら、アンタも傷つくだろ」
「――・・・」
「犯してやるって言ってんだよッ」
「ぇ、俺、オトコ・・」
青島の笑いが止まる。
隣で室井がジト目を向けた。
「世田谷の事件は被害者も男性だ」
「ぇ、えええーッッ!!」
男なの?と青島がびっくり顔で仰け反って室井に訂正を求める。
室井は澄ました顔で、さりげなく青島より一歩前へ出て、庇う態勢に入った。
「被害者も男である以上、日本では立件するにはハードルがまだ高いんだ」
だからこそしっかり護れと責める室井の想いは、言葉足らずなだけに、伝わらない。
「これをどうするつもりだ」
「こうするんだよッ!!」
男が青島の腕を掴もうと手を伸ばす。
刹那、青島の傍で風が動いた。
息も吐かせぬ間に、室井が男の間合いに入り、袖を引く。
屈めた重心を軸に、背負い投げを確実に決める。
華麗に夜空に靡く黒いマントのようなコート以外は、静寂が保たれ、仰向けに倒れた男に片膝を乗せ、室井が技を綺麗に治めきった。
流れる動作に無駄な動きは一切ない。
「脅迫罪で逮捕する。刑法第222条だ。恐喝罪でも充分だ」
「マジか・・ッ??」
不審者の嘆かわしい声は、むなしく冬の星空に吸い込まれた。
2.
赤色灯が、六本木の不夜城をひとときの騒然に息吹かせる。
通報して5分、巡回警備に当たっていたこの地区の所轄が遠くからやってくるのが見えた。
後のことは任せ、口留めもしっかりとして、男を引き渡すと、野次馬が一斉にスマホを向けている。
見送る二人の足元を、凍えた北風がそよいだ。
「あんた・・・とっきどき、ネジ飛ぶよね。俺がやりたかったのに」
「あれでも手加減してやったんだ」
「どこでキレたの」
「最初からだ」
同時に車に足を向け、同じ速度で並んで去っていくふたりを、残った警察官が敬礼をする。
「まったく。君といるとほんと飽きないな」
「楽しいでしょ」
朗らかに室井を覗き込む青島に、室井は足を止め、少しだけ背の高い青島をじっと見た。
「?」
それでも何も言わずに歩き出した室井を、一瞬遅れて青島が追いかける。
「待ってよ、おいてかないでくださいよ・・っ!」
追いついて、二つの影が闇の中に小さくなっていく。
バックドアを開け、青島が恭しく小首を傾げて室井を後部座席に誘導すれば、その後ろでは工事現場の灯がゆらゆらと風に揺れていた。
どうぞという流れるような手つきに室井は嫌そうな顔を見せる。
室井が座ったのを確認してから扉を閉め、トテトテと運転席に回り、青島が長い足を突っ込んで運転席に滑り込む。
バタンという派手な音を立てて車が閉ざされれば、ひとたびの静かな密室が戻った。
ちょっとした冒険は終わりだ。
「・・・青島」
「なんです?」
後部座席を振り返れば、すっかりと陽の落ちた車内に残る夕暮れの残照に、室井の目がしっとりと青島を見つめていた。
「すまなかった」
律義な室井に、青島は小首を傾げ、暗闇を味方にそっと人差し指を立てた。
「それも、相棒」
シートの背に肘をかけ、その上に顎を乗せ、青島も室井の目を真正面から見つめ返す。
嬉しそうでもあり、愛しそうでもある滔々とした青島の瞳を、室井もまた外さなかった。
見つめ合い、空気の流れが止まった車内はまるで、咽返すような濃密な気配が取り巻いていく。
「でも、あんまヒドいと俺も考えるからね」
「何を」
「色々」
どこか掠れたように零れた青島の台詞に、室井はシートを鳴らして後部座席から上半身を起こした。
ギシ、と鳴く音。
もったいぶった動きで左手を窓に添え、シャッと音を立ててカーテンを下ろす。・・・と、同時に右手が青島の襟足を掴み、引き寄せた。
「・・ッ・・」
青島が事態を把握する間もなく、室井からコートの襟首を力任せに引っ張られ、口を塞がれていた。
荒々しい接触に目を丸くしていたのも一瞬で、外から見えなくしたのかよっていうもの一瞬で
欲望を隠しもしない男に、少しだけ青島の口端から苦笑いが零れる。
それが不満だったらしく、室井の手が伸びて頬から固定され、深く口付けられた。
「・・・っ・・・」
冷え切っていた口唇を割られ、灼けるような肉厚の舌が埋め込まれると、烈しくもないのに息苦しさから青島の喉が小さく唸る。
掻き回すように口腔を隅々まで探られ、圧迫感に顎を引くが、室井の手に阻まれて身動ぎできない。
濡れた音を立てて舌の輪郭をなぞられた時、背筋がぞくりとなった。
簡単に反応しちゃう自分も悔しい。
けど、キスなんて久しぶりだ。
「ん・・・、は、・・・っ・・・」
丹念に何度も何度も愛撫されれば、敏感な青島は抗う力も抜け、室井の成すがままとなった。
躰の内から巻き起こされる、痛みすら覚えそうな接触に眉を顰め、キスに溺れそうになったところで――逆に室井が口唇を離した。
中途半端に放り出された青島は、喘ぎを噛み殺し、翻弄された悔しさからじっと室井を睨み返す。
その瞳はうっすらと濡れて光る。
「そうだ。そうやっておまえは私だけを見ていればいい」
「・・・んだそれ・・・」
唾液で滑る口唇を、室井がもう一度吸い上げる。
「おまえは何も知らないんだ。俺が正義を語る裏でどんなものを抱いているかなんて」
「俺、それ、さっきも、嫌だって言いましたよ・・・」
教えてくださいよ、と強請る声は、音にならない吐息となって青島の喉を震わせた。
清楚でありながら淫靡な室井の細長い指先が唾液で濡れた青島の口唇を拭い、焦点がぼやけるほど近づけられた距離で、室井が平素と変わらぬ目を向ける。
「こちらばかり欲しがっても、悔しいからな」
「追いかけさせるなんて、趣味悪くなりましたね」
「15年も一緒にいれば、そうなるんじゃないか?」
真っすぐにこちらを見て尋ねてくる室井の黒々とした瞳に、青島は一瞬、吸い込まれそうになるような感覚を覚えた。
だからだろうか。普段じゃ言わぬような言葉が、素直に青島の口からスルスルと零れていく。
「こんな・・、こんなキスじゃ不満です」
「そうやって、焦れて焦れて、悶えて、狂って、堕ちて来い。・・・俺の所に」
心臓がドクンと鳴った。
反則だ。
揺れる瞳で、崩れそうな自分を拾い集めた。
止めたくて、縋るように青島の指先が室井のスーツを手繰る。
このひとはさっき、何て言った?
“どこでキレたの”
“最初からだ”
最初?最初ってどこだ?最初って――
「先に逃げたの、あんたのほうじゃんか・・・」
「本当に可愛いな、君は」
室井がもう一度顔を斜めに傾け、青島の口を強かに塞いだ。
重ねられたそれは同じ熱をもっていて、後頭部から引き寄せられる指先に籠った飢えの深さに目が眩むほどの眩暈がする。
無抵抗に奪われるまま、戸惑いも躊躇いも、ただ茫然と受け入れさせられて。
夜気の中で冷えた室井の肌が妙にリアルで、少なくない戸惑いを巻き起こす。
こんなのって。
こんなのって。
だけど。
何が何だか解からなくなって、青島は肉の感触が急速に高まった時、自ら口接を解いた。
薄っすらと目元を眇め、何もかも見越したように捕り込む室井の瞳に、喚いて叫び出しそうな心を諫めるのに、青島は息を止める。
「どした?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・もっと、怖い」
青島の指先が止まる。
散々逡巡して出てきた言葉は、それだった。
15年経って、あの時の室井の台詞をまさか自分も言う羽目になるとは思わなかった。
知っているなら教えて欲しいくらいだった。
聡明なこのひとは、もしかしたらあの時既に、ここまで分かっていたんだろうか。
こんな遠い未来に、道の果てでいつか知る、原罪とか不安とか違和感とか。
室井の肩に額を押し付けるようにして、青島は虚ろな現実を閉じた。
室井が優しく青島の頭を抱いてくる。
今だけ。この一瞬だけだから。
そう願い、脅えて過ごしたこれまでの月日が溜息の重さでエアコンも点けない車内に耽っていく。
それでも俺にとっては何よりの宝物だった。
くしゃりと、男の仕草で室井が青島の髪を掻き混ぜる。
繊細な動きで室井の指先が青島の耳元を擽り、そうして、ゆっくりと顔を持ち上げられた。
疲れた目元に漂う大人の色香とあざとさに、改めて、強烈に求められている実感を知る。
「運転を変わろう」
「・・・ぇ」
「その間に今夜の予定をすべてキャンセルしておけ」
同じくらいの強さで、決して手に入らないものだと分かっているから、恐怖にも近いその叫びを自覚した。
それは既に、年月を重ねた分、愛しさを越えているのかもしれない。
「あんたは?」
「最初から予定などない」
「・・・聞くだけ野暮だと思ってました」
耳から顎へと指を這わされ、最後に、こつん、と柔らかく額を小突かれ、青島は柔らかく蕩けるような笑みをそっと見せた。
深まっていく夜の闇に、恐れ気もなく溶け落ちて、染まっていく。
もう何を言葉にすればよいのか解からなくなって、青島は委ねるままに、頼りなく震える脆弱な指先をコートに隠した。
いつもならすらすら出てくるグッとくる言葉の一つも、探れない。
室井が車を降り、運転席へと回って、扉を開けた。降りろ、と小さく促してくる。
左を見て、右を見て。苦笑して、青島は席を譲るため立ち上がった。
助手席に回ると、そのままシートに滑り込む。
「んで?どこへ?」
「せっかくだ。このままふたりで遠出でもするか」
「逃避行?」
もう少し、一緒にいられるらしい。
フロントで区切られた、星降るイミテーションは、どこか感傷的な匂いで人を惑わせる。
青島が綴った言葉に、言葉なく吐息だけで微笑した室井は、こつんと青島の額を小突いてネクタイを少し緩めた。
やば。“だいすき”が振り切れた。
「今夜は妙に素直だな」
「・・・・・・知らない」
「やっと巡ってきたチャンスなんだ。例え勘違いでも、だ。譲れないな」
澱みない仕草で一つずつ詰まれていく理不尽な状況に、戸惑いと微かな徒労感を覚えながら、今は全部、闇が見逃してくれる。
少しだけ赤らんでいる顔を隠すように、青島は片手で口元を覆い、反対を向いた。
やっぱり気付かれていたのだ。色々と。
青島が気付かぬ罪の深さも二人で生きる怖さも弱さも、みんな、みんな。
それすら抱えて、このひとは、背負い続ける。
「あんまり可愛いと、本気のキスをするぞ」
じゃ、さっきのは?
強制されているわけでもないのに、青島の動きが止まる。
顔だけ向ければ、室井も青島を見ていた。
「青島。怖いなら、確かめろ。おまえの手で、ひとつひとつ、ぜんぶ。・・・確かめて、いい」
青島の返事を待たず、運転席から上半身だけ乗り出し、片腕をシートに乗せて、室井がちゅっと青島の口唇を盗む。
「行くぞ」
「・・、そだ、そのまえに」
「なんだ?」
今度は青島が強く室井のネクタイを引き寄せる。
不意にバランスを崩され傾いて来た室井の耳に、青島は小さく囁いた。
――すきですよ
精一杯の勝ち気な瞳で微笑めば、室井は目を見開いた。
それは、いつもと何ら変わりなく始まった夜の終わりの筈だった。
「ここで先にそれをいうのは反則だ。ルールを護れなくなるぞ」
「どうなるの?」
「すぐにわかる」
一度振り切れてしまった室井の度胸の強さは、誰もが舌を巻くところである。
コートを脱ぎ、行くぞとハンドルを切った室井の横顔は、あの日見た少年のそれだった。
happy end

もちろんBGMは広末涼子ちゃん「マジでKOIする5秒前」で。
今年はいろんなことがありすぎました。サイト休止中もお待ちくださったみなさま、本当にありがとうございました。
ささやかですがサイト再開記念です。そして馴れ初めなのかそうでないのか・・。このあとえっちまでもつれ込みたかった一品です。
20201114