シー
ズン企画
平成最後の暮れということで、今回は特別企画としてまして平成のお
祝いです。
この30年を司る代表作・踊る大捜査線を生み出してくれてありがとう。感謝を込めて。
当サイト初、リアルタイム時空の室井さんと青島くん。定年間近と51になったばかりの中年ラブ(笑)クリスマス
ス
トーリーです。
きらめきに誘われて

空気が冷えて、街がカラフルに飾られた。あの角を曲がれば、そこにももう冬が来ている。
*:*:*:*:*
1.
平成三十年 師走。
凍てつくような空気が冬の匂いを漂わせ、明け染める空を透きとおらせていた。
俺たちが出会ったのも、こんな冬だった。そして道ならぬ恋が始まったのも、この不愛想な季節だ。
先日まで観測史上記録的な二十度越えを記録した東京は、青島の誕生日を境に冷え込む日が多くなった。
強い北風が吹き、冷たい霧雨が地面を叩きつければ、季節は一気に進み、師走の匂いを感じさせる。
平成最後の冬は、苛酷だ。
「くっそさむい・・・」
「冬だからな」
「・・・・」
前日の雨で湿っている地面が落ち葉を巻き込み、朝の清澄な大気に土の匂いを香り出たせた。
僅かに射す薄日に震え、枯葉が鳴く。
シャッシャッと地面を擦る麦の穂先の音が、薄汚れたコンクリートにも甲高く木霊し、凍えた地面に白い息を吐き出させた。
霜が降りている脇道は、一面真っ白だ。
「たばこ・・」
「禁煙だろ此処」
「・・・・」
掃いた落ち葉は枯草色に濡れ光り、二人の足元で幾つめかの山が積み上がる。
結構な量となるそれを、わしわしと更なる山にする。
「焚き木。焼き芋とかうまそう・・」
「放火だそれ」
「・・・・」
雲間から覗くレモン色の朝日が官舎の向こう側から荘厳な色を足せば、この街にも見知れた出勤光景が廻りゆく。
分厚いコートに身を包み、レンガ色に染まる建物の向こうから、足早に背を丸めて駅に向かうサラリーマンの群れが、朝の挨拶と共に連れ立った。
「手。動かせ」
「俺、逃げてもいいですかね?」
「駄目に決まっている」
「んもぉぉ~・・・!誰のせいでこんな寒い日にこんな目にあってると思ってるんでしょうね~~~~~」
「こっちのせいにしたいんだな」
「んじゃ、原因は?理由は?コトの始まりはどこ?!」
「それは君がごみ出しの場所が変わったことを教えなかったからだ」
「出すとき気付くでしょー?回覧板来てたでしょー?見ないあんたがどうよ?」
「何て書いてあったって?」
「ごみばこ。塔屋ごと新調するから今月だけあっちって」
「見てない。聞いてない」
その日、たまたま帰りが遅くなった室井は、夜更けの内に溜まりに溜まった生活ごみを一斉に出した。
時間的にも礼儀的にも不味いと分かってはいたが、十二時を回っているから良しとした。
今回を逃したら、次は年越しになってしまうかもしれなかったからだ。年内の内に片付けてしまいたいと思うのは人心だろう。
ところが今月からどうやらごみ集積場が臨時移転していたらしい。
そういうのは、これまで大概青島がやってくれていた。
「俺ら、こんな北風の中、朝っぱらからなにやってんでしょうね~」
「・・・・」
「さっむいなぁ・・・」
青島のぼやきも虚しく、隣の室井も口許を硬く引くだけに留める。
半年前、室井と青島は同居を解消した。
今は別々に違う街で住んでいる。
――室井が、警視総監になったからだ。
警察トップという一握りの選ばれた精鋭しか立てない地位に就任したことで、かつての大階段でした二人の約束は一応の日の目を見た。
同時に、向かう敵は内ではなく外となった。
警視総監は、都警察の本部である警視庁の長の職名且つ日本警察階級の最高位である。
身内はむしろ、この組織を維持経営し繁栄させていく朋輩であって、保身を図りたい同臭だった。
同性愛に対する差別偏見や無理解を強いれない一部の国民、海外メディアなどによる無益な混乱や攻撃を避けるため
不必要で不用意な行動は慎んだ。
慎みざるを得なかった。
実質赤字を出すだけのロスは、要らぬ波風を招くだけだ。
それは援護射撃をしてくれる、警視庁という仲間内のためであった。
官舎近くの麻布のマンションで、室井は独り暮らしをしている。
青島は時々、そこを訪れる。
「バツ当番なんて小学生以来ですよ」
「俺は初めてだ」
「そうでしょうとも」
地域交流の一環として、この地区ではルールを破った者はどこかしらの地域清掃を一日行うことになっている。
室井に命じられたのは、六本木官舎隣道の落ち葉清掃だった。
まさか現役警視総監が官舎清掃をするはめになるとは、地区会長も思わなかったに違いない。
「今日、ボディガードさんは?」
「さすがにここまで付き合わせるわけにはいかないだろ。マンションの方で待機してもらっている」
「車のなか」
「だろうな」
「いいぃなぁぁぁ~~~・・・」
青島のぼやきは、どうやらこの突き刺す温度にあるらしい。
悴む手を握り直す指先は、室井は黒革の手袋に護られているが、青島は素手だからしきりに息を吐きかける。
「呼び出されて、のこのこ出て来た俺もどうなの?」
「・・・・」
「さっむい・・・」
「確かに年々寒さは堪えるな」
「ね、だから、もうじきクリスマスですよ」
「どういう脈略なんだ」
「さむい、人恋しい、いちゃいちゃ、らぶらぶ、クリスマス、です」
「・・・・」
室井の周りでも、最近インフルエンザが流行りだしただの、節々が痛んだだの、加齢を意識させる話題が多くなった。
しかしこの寒さをイベントに結び付けられるのが、青島だ。
否、そうでもしないと、この任務はやってられないという本音が透けている。
「いいなぁ、クリスマス」
「君でもそう思うのか?」
「羨ましいのは、いちゃいちゃ、の辺りですね」
「マスコミに煽られやがって」
手は休めない室井の横で、麦色の箒を杖代わりに、今度は羨望がイベントに移った青島が両手を組んで顎を置く。
すっかり懐いて無駄話を続ける青島からは、掃除にも飽きてきていることが見て取れる。
「休み、取れそう?」
「取ろうと思えば申請は出来るが――」
「今年は!なんと!連休~!!どこか行きません?」
「・・そうだったな」
「きっとどこの店もホテルも満室で、みんな張り切って励むんだろうな~」
「励む?」
「そんなボケかますとこみると、モテませんよ」
「・・・」
「昔、ミレニアムベビーとか言ったけど、今年出来た子はなんて呼ばれるんですかね?」
「刑事に休暇、あるか?」
「――」
「それ以前に繁忙期だろう」
「警察トップってのも、しがない商売だわ」
「立場上、そんな簡単に鉄砲玉にはなれないんだ」
「めんどくさいなぁ」
おまえが警察トップへ行けと言ったんだろうという苦情をなんとか呑み込み、室井は淡如を装う。
勝手に呆れた瞳で冬空を仰ぐ青島からは、不服そうな境地が尚隠しせずに漏れ出ていた。
室井も五十代も半ばとなった。
それでも惚けた発言をしてしまうのが室井であり、モテる恋人は持ちたくないなと思う自分とは正反対の嗜好らしい青島に
複雑な心境のまま、慣れた匂いを運ぶ風に恨めしさを恋う。
するりと楚々とした仕草で室井は箒を寄せた。
麦色の箒は昭和時代には良く見た掃除用具だ。
庭掃除用のヤシの葉脈から作られた太くて弾力のある穂先を持つ箒を割り当てられ
手にしっくりと馴染むそれを、室井は溜息と共に握り直し、落ち葉を寄せる。
少年時代はこうして秋田で庭掃除をしたものだ。
すっかりと剥げてしまった街路樹の向こう側から、また挨拶を交わし合う住人の声が朗らかに響く。
「警備の面で税金を無駄遣いするわけにはいかない。そんな顔するな」
「なぁんか不公平ってそろそろ思いません?」
「どうせ君も駆り出されるんだろ」
「だったぁ・・・」
くるくると表情を変え、青島がむくれて眉を下げた顔を向ける。
それでも、束の間の安らぎなのにと、少しの無念を乗せていると思うのは、欲目だろうか。
整った目鼻立ちが愛らしく、長い手足を持つその肉体はしなやかで優雅だ。
この美麗で愛くるしい男を、自分でさえも驚くほど狂おしい激情で欲しいと思ったのは、もう遠い昔話だ。
埃を払う気はない。
恋を認めてからは楽になった。
逆に、歳を取り、仕事は迷うようになった。
若い頃の方が気持ちの面では直進できた。迷うことや打たれることは多くとも、一つの信念を据えているだけでよかった。
今は、護らなくてはならないものや斟酌すべきことが多すぎて、二律背反を含む理論の果てに、一つの決断の重みが双肩に乗る。
あの頃よりもずっと、残酷な顔をして。
「いいなぁ~クリスマス~」
こんな寒空の下での咎めには、一層ロマンが迫るのだろう。
未だ繰り返させる青島のぼやきに、室井は少し可笑しくなって苦笑う。
浮世離れした日常の中で、こうして青島が取り戻し、室井に気付かせてくれる部分は今尚非常に多い。
まるで遠い世界で勝手に行われていく筈だった恋人たちのイベントが、身近なものとして共有できることに、室井は安堵する。
「俺、どうせなら、こんな見慣れた官舎じゃなくって、あっちの在日大使館とかが良かった」
「そういう問題か?」
「もぉさむいぃ~」
――青島は、裏方に徹してくれた。
特に付き合い始めてからは、室井の立場やキャリアを慮り、衷心の支えとなっていった。
それは室井の傲慢でしかなく、青島の人生を振り返る時、室井は今も身が引き締まる。
青島なら、無一文になっても、世界から迫害されても、足を染めても、好きだと言ってくれる気がした。
俺はあの時の青島の覚悟に、少しは見合う男になれただろうか。
“もう、隠し切れないよ・・・”
“俺が、俺がなんとかするから・・!”
“んなこと言ったって・・!俺があんたを、そうしたくないんだよ・・!”
“いいんだ青島。君を失うことの方が、俺は恐い”
あの頃は、完全な恋に憧れた。
「だが、今更クリスマスデートってどうなんだ?」
「だって!平成最後ですよ。時代の変遷ですよ。こーゆー時はなんか駆け込みたいじゃない。こう、節目的なイベント?したいなって思うじゃん」
「そうか?」
「この沸き立つ世間の慶びをあんたは感じないのか」
「君はすぐそうやって乗せられる。唯の師走じゃないか」
「折角あんたと出会ったのに。俺も、なんか記念なこと・・・したかったな~・・・」
青島の語尾は、頼りないまでに間延びして、仰いだ空に投げられた。
室井を見もしない遠い視線では、室井の胸奥が一瞬締め付けられたことには気付きもしない。
平成は、青島と出会った元号だ。
室井にとっては生涯意義ある大切な符号である。
熱くて、煮え立ったマグマのようであって、一方で隙間なく詰め込まれた宝石のような三十年は
どちらかといえば、室井の方がその意味で大きな変化と深い信愛を与えられ、昭和よりも重要事項なのに、青島も、そう言ってくれる。
室井は優美な虹彩に青島だけを映し、ただほろ苦い想いを噛み締めた。
貫ける意思の強さと、誇り高く真っすぐに偽らない生き方を、ただ眩しいと思った。
あの頃の、軋んだ自分の人生を受けいることも手放すことも出来なくて苛立っていた自分を、室井は恥じた。
充実し、時に噴出するように熱風を受けて駆け抜けた憧憬を、今も全てを受け入れられるとまでは言えないが
室井の人生を象徴している。
「平成がラストってのも不思議なかんじ。ほんとに終わっちゃうの?って。慎次さんは昭和が終わる時、何考えてました?」
「平成の始まりはまだバブルだろ」
それを思うとき、室井は尚更、青島にとっての平成を、青島にとってのこの恋の意味を、考えさせられる。
愛してくれて、大切にされるから、余計、青島に幸せになってほしくなる。
「じゃー世間はまだ浮かれてた頃だ~」
「君も便乗してはしゃいだクチだな。目に浮かぶ」
「分かる?」
「宵越しの銭は持たないタイプだ」
「あったり~」
楽しそうに青島が笑った声は、軽やかに室井を綻ばせた。
弾む青島のシルエットが眩しく見え、何となく室井は目を眇め、慈しむ顔をする。
“俺は自分のきもちに嘘は吐かない・・!”
“だったら俺にも正面から来ればいい・・・!”
“できるか・・っ”
事件の中で、捜査の途中で、恋の舞台で、何度もぶつかり合った。
その度に、近くなって、交わらない距離がもどかしくて、かけがえのないものを、知ってきた。
“どうする。止めるか?この恋を”
“相手にとって不足なしっ!”
“模範解答だな”
“ごめんね、嫌いになれなくて”
手を止めた室井は、話に付き合うかのように箒の柄を近くの幹に掲げ、塵取りに持ち替え、しゃがみ込んだ。
「平成の始まりな、君と出会うとも思ってなかったな・・」
「俺も――バックヴァージンまで頂かれるとは思ってませんでした」
声のトーンを変えた茶化した切り返しに、室井の目が強かな色を乗せて仰ぎ見る。
「自分のヤらしさを棚に上げるとは君らしい理屈だ」
「そんなにそそられた?」
「ここで青姦されたくなかったらそのくらいにしておけ」
「・・・・」
半眼の横目を寄越す青島を、室井が涼しい顔でいなし、立ち上がる。
思い出したように吹き抜けた北風が、二人のコートを踊らせた。
上質のミンクのコートを羽織る室井とは対照的に、何代目になるのか、青島は未だにお馴染みのミリタリーコートを愛用している。
拘りがあるらしいその背格好は、あれから何年経っても色褪せず、室井の記憶のまま、鮮やかに、室井を根こそぎ耽溺させてしまう。
無造作に被るウールの帽子に欲望を隠し、室井は細めた目を伏せ、集めた枯葉をまとめた袋に落としていく。
「寒いって言っているのに、今更どこへ出かけるんだ」
「寒い季節だからウィンターデートに憧れるんじゃんか」
「たとえば」
「もういっそ海外とか行っちゃいません?ロックフェラーのツリーとかいいなぁ・・・」
「NY?タイムズスクエアでカウントダウンのイメージしかない」
「いいねぇ、たのしそう」
「アメ横だって築地だって賑わっている」
「でもほんとうは、エンパイアステートビル。ネットで見てさ・・・一度あんたと行きたかったな」
きっと、それは叶えてやれない夢なのだろう。
この職業に就いた時から決まっていることだ。要職に就く人間に定められた掟を受け入れ、それでも俺たちは足掻いて粛正されながら生き抜いていく。
ただ恋をしただけなのに。そう密かに咆哮する青島とは対照的に、室井は無表情の裏で閉じ込めてしまいたい激情を必死に制御する。
僅かな抜け道と救いを求め、あざとく戦慄く様は、レールの上からみればさぞかし滑稽なのだろう。
それを青島も分かり過ぎるほど分かっているから、強請りもせずに、こうして時折懐かしむが如く、言霊にする。
頭の回転が速く、営業マンさながらに気を回す男だ。
青島は室井に対して、我儘と呼べるような強請りは、絶対にしてこない。
青島の小さな願いは、室井の胸を何年経っても切なくさせる。
そうして、それは降り積もる雪のように、室井に愛を積もらせる。
一歩近づいた室井に、青島が不思議そうに振り返った。
風に揺れる、その淡い髪に引っかかった枯葉の破片を、室井の指先がそっと取り除く。
「どこへ行きたい」
「ぇ?・・ああ、ん~べっつに。あんたと一緒ならこぉんな庭掃除だって楽しいですよ」
「言ってみろ」
「そうねぇ、んじゃ、水族館とかどお?癒されるよ~楽しいよ~」
「この寒いのに何で水の中なんか見たがるんだ?」
「さては寒い時に食べるアイスの旨さを知らないな?」
「ガキ」
「あんたのために言ってやってんのに」
「?」
「けっこ、溜まってるでしょ。そんな顔、・・・してる」
「・・・・」
辛いことや悲しいことがあった時の冬の寒さはえげつないから。
小さくそう付け足した青島の視線が、淡雪みたいな白煙を残し、足元に落ちた。
ここ数日は確かに激務で、こうして青島と顔を合わせるのも一カ月ぶりくらいだった。
目を合わせれば、お互い多くを察してしまう。
隠そうと思っていたわけではないが、僅かな心の綻びを気付かれ、室井はむず痒さに似た収まりの悪さを感じながらも
何年経っても愛しい想いを葬らせることもさせてくれない男へ柔らかい笑みを送る。
それがその場凌ぎの処方と知りながら。
「お手柔らかに、頼むな」
2.
「にしても。ぜーんぜん終わんない・・・」
ぶすくれた青島が横目で掃いて来た背後を見た。
視線の先には、太陽光線と共に通過してきた道なりに枯葉が畝を作り、連なっている。
避けた傍から北風が打ち付け、渦を巻き、道を廃らせた。
はぁ、と漏らした青島の溜息の奥で、官舎の奥からまた一人、誰かが出勤する。
「おはよーございまぁっす!いってらっしゃいませっっ」
元気すぎる青島の挨拶に挙動不審に礼をして、男は通り過ぎた。
室井を二度見して目を見開く様子に、青島はまたうししと笑う。
立つだけで醸し出される高雅な気配と上等さは、歳を重ねるほどに磨かれ、室井の存在が今や他者を黙らせる。
実際、歳を取るほどに室井という男は凛とした澄み渡る威厳を放ち、小柄で寡黙だった頼りなさは払拭され
どっしりとした貫禄と落ち着きを備えるようになっていた。
高い倫理観と知力、肉体的能力はもちろんのこと、凡そ必要とされる全てにおいて、他の追随を許さないほど圧倒的な才能と際立つ容姿を開花させ
柔らかな物腰と美しい所作が見る者に高貴な印象を植え付ける。
そしてこの辞令が下る頃には、反対勢力もその実績と兼ね備えた人望、そしてその威圧感で鎮圧させるほどにまでなる。
当然、黙っていたって官舎に住まう者なら室井の存在に気付く。
そのリアクションが、青島には面白くて仕方がないらしい。
室井はただ伏せ目をするだけで、何も言わず、思案深げに眉を寄せた。
正直、せっかくの二人の時間を余所者に邪魔されたくないというのが室井の本音だ。
室井がここにいることに驚いた顔をする者もいれば、平たい会釈をし愛想を見せる者もいた。
だが一様に揃うのは、室井の隣に青島がいることの違和感のなさだ。
室井の影に青島があり、室井の真価に青島が関係してきたことは、警察内部では秘めた砂型である。
古参の者で知らぬ者はいない。
室井が作る新しい階級社会が、やがてそれを踏襲していく。
油断し、漆黒の瞳が行き過ぎる新米刑事らをぼんやりと見送ってると
不意に、青島の眼がキラーンと光った。
「うりゃっ!」
突如、箒を振り下ろし、青島が勝ち気な視線で室井の箒を足元に刺した。
反動で室井の裾に集めた落ち葉が散り散りに飛び上がる。
「おい・・」
「とぉっ!」
「アッ、こらっ」
叫び声をあげ、青島が今度は横殴りに室井の足元を狙って攻撃を仕掛けた。
片足を上げ、室井が後退る。
寒さの限界を超え、自家発電に頼ることにしたのか、北風で赤らむ頬を仄かに熱らせ、青島の細髪が元気付く。
「えいえいっ」
「やめろって」
青島の攻撃は止まらない。
「うりゃッ、もういっちょぉ!」
「やめないか・・、おい、・・・こンのわかるんてがか・・っ」
「あははっ」
楽しそうにじゃれ合ってくる青島の声が、リズミカルに官舎に響き渡った。
歳を重ねても若く見せる童顔は、心底楽しんでいる顔であり、その変わらぬ艶肌が、シャツの間から濡れ光る。
清潔感を溢れさせるくせに、無防備に動くせいで目のやりどころにも困る肢体に、どうしたもんかと室井は顰め面をした。
だが、青島は素知らぬ顔で箒の先で室井の箒を振り上げる。
「えりゃぁっ!」
「・・・・」
「隙ありッ!ていっ!」
しばらく付き合っていた室井だが、せっかく集めた落ち葉が無残に散乱していく惨状に、こめかみに血管が浮き出てくる。
いいかげんにしろと言うべきか、だがそんな言葉でこいつが大人しくなる筈もなく。
じわり、じわりと、室井の堪忍袋が目を覚ます。
一歩、素早く後ろに室井が体重を乗せた。
かと思った次の瞬間、箒を回すようにして青島の箒を絡め取り、地面に叩きつけた。
一瞬の華麗な剣裁きに、青島の目が丸くなる。
「・・・・っすっげ」
「まいったか」
室井は柔道の練達ではあったが、剣道も嗜み、その腕は今も鍛錬を重ねる努力派だ。
老獪でありながら、品があり儀礼的でもある美しい所作で手元の箒を抑えつけられ、動きを失った青島に、室井が口端を持ち上げて見せた。
挑戦的に青島の瞳がきらめきを湛える。
「このくらいで?まさか」
「俺に勝とうなんて百年早い」
「俺だって少しは上達したよ」
見合い、息を合わせたように空気が止まった。
二つの箒が、同時に風を切る。
カーンという気が当たる乾いた音が官舎に響き渡った。
「っ」
「・・ッ、」
青島が攻撃する一歩先を読み、室井が防御に徹しながらも全てを捕え、青島を封じていく。
年下であることが余程負い目なのか、青島は折に触れ背伸びしたがった。
悔しくて徐々に切らす青島の息遣いと、乾いた音が連続して凍えたコンクリートに鳴り渡り、翻るコートの摩擦音が重なり合う。
「どうした、その程度か」
「あんただって・・ッ、少しッ、鈍ってないッ?!歳だね・・っ」
「その煩い口を黙らせてやろうか」
室井の剣先が鋭い勢いで青島の箒を跳ね上げる。
うわっと後退った青島を巻き込むことで追い詰め、室井はたった一突きで、攻勢を逆転させた。
素早く踏み込み、青島の次の攻撃の隙を止める。
勝ち気な青島には、室井は実に手頃な好敵手である。
山が一つ崩れて、絨毯のように広がり、辺りに集めた落ち葉が撒き散らされ、踏み荒らされる。
まるで紙吹雪のように乱舞する中を、二つの箒が風を切って走った。
「こらぁッッ!!アンタ達なんばしよっとねッッ!!」
突如罵声が天から降りかかり、二人の動きがぴたりと止まった。
様子を見に来た地区会の老女が、訛りある大声で目くじらを立てて走ってくるのが遠くに見えた。
うひゃっと首を竦める青島の横で、室井は天を仰ぐ。
それからたっぷり三十分は説教をくらい、もう一度掃除をし直して、二人のバツ当番は終わった。
*:*:*:*:*
団地の片隅にある倉庫へ二人して掃除道具を片付けに行く。
もう陽は高くなっていて、窓から燦々と目覚めた手の光が緑色に射しこんでいた。
埃と黴の籠もった空気が鼻を突く中に、持ち出した用具をロッカーに仕舞い込む。
思わず顰め面になる室井に、青島が柔らかい苦笑を零し、そっとかさつく頬に口付けた。
「おい、こんなとこで・・・」
「誰もみてないよ・・?」
古い埃塗れのその扉を後ろ手に閉めた途端、室井の端正な腕が青島の腰に回り、グイっと引き寄せる。
すんなりと腕の中に納まる青島はそのまま、室井の行動を待つ。
黒目勝ちの漆黒を見つめ、実に楽し気な目をする青島に、室井の雰囲気も一変していた。
「おまえは今でも時々、俺がどんなに惚れているか、判っていないような顔をする」
「そんなことないですよ」
「いいや、判ってない」
剥き出しの細長い首を傾け、室井は青島に顔を寄せた。
一瞬青島の視線が揺れ、僅か一cmを残した距離で、戸惑うように薄く口唇が開かれる。
「野外プレイは厭だったんじゃないのか・・?」
「・・・いじわるい。すぐ焦らすのあんたの悪い癖」
柔らかく肉で塞いでやれば、応えるように青島はうっとりと睫毛を震わせた。
「これ以上愛されたら俺、溶けちゃう」
「煽るな」
「慎次さん、意外と単純・・・」
柔らかいキスは降りやまず、青島の苦笑が甘ったるい熱を持って黄色い倉庫を満たしていく。
年齢を重ねても青島は艶冶さを失わず、その魅力は自他ともに知られるところである。
透き通るような柔肌と美しく整った顔立ちの中にも憂いを帯びた表情が彼の陽気さをうまく中和し
柔らかな細髪と目元に印象的な光は、室井へ蠱惑的な泥酔を誘う。
スレンダーな手足、引き締まった腰と、すらりとした長身は、それだけで人目を引いた。
乱れたシャツの襟元から覗く肌を少し染めながら、青島が室井の口唇を甘噛みをする。その悪戯な淫戯に、室井がよりのめり込まされるのは判っている。
「あんなに恋を忘れようともがいたのも、おまえくらいだ」
「あれでさっさと見限っておけばよかったんだ」
「心から愛していなければな」
「そこ、重要?」
「他に選択肢はなかったな」
室井の腕の中にフィットするように収まり、青島が両手を挙げて室井の首に回してくる。
もっとと強請る仕草に、室井は少しだけキスを深くした。
「誰かと外でこーゆーことしたことあった・・?」
「聞きたいか・・?」
凍えた大気が熱をあからさまに欲し、コートの存在が邪魔に思えるほど際限なく求めたがる心を
小刻みに甘い震えを乗せる青島の血色の良い口唇が嘲笑うかの如く室井を翻弄してくる。
「平成、終わっちゃうね」
「・・ああ」
理性を保ちたくて、青島を柔らかく引き寄せたまま、室井はそれ以上深くは求めようとせず愛おし気なキスを幾つも降らせた。
重なり合う熱が、冷めたふりをしても見透かされる熱を暴き、ずっとこうしていたい夢を見せつける。
「どっか、行くか?」
「・・・・いいよ別に」
「何か、したい」
「さっきはキョーミなさそうだった」
「したくなったんだ」
「へぇ?・・ん・・、ふふ・・、くすぐった・・・」
室井の口唇が青島の耳をしゃぶり、そのまま首筋へと潜り込んだ。
うひゃっと小さな悲鳴を聞かせ竦む青島を、逃さず腕で縫い留め、室井は舌と口唇で鎖骨まで舐めとった。
仰け反り、艶美な喉元を室井に晒す無防備な青島を、片手で支えながら室井はその甘い肌を久しぶりに確かめていく。
「大晦日は一緒に過ごせるんでしょ?それでいいよ」
「それじゃいつもと変わらない」
「確かに」
くすくすと忍び合う声がキスに溶ける。
邪気なく笑う青島の口唇を再び奪い、抵抗なく薄く開かれた隙間に、室井は分厚い舌を注ぎ込んだ。
柔らかく求め絡み合う舌はまるで片割れを知るように求め合い、耽溺の余韻を仄めかす。
脆弱な均衡など、こうもあっけない。大した効力もないことは分かっていた。
「外でオトコとこーんなことしちゃうんだ・・・、いいの、警視総監・・?」
片手で青島の腰を強く引き寄せ、室井がもう片手を青島の後頭部に回し、囲うように髪を搔き乱せば
青島は嬉しそうに室井を覗き込んで、もう一度とキスを強請った。
交わす舌の感触、くすくす笑うその声にすら、欲情する。
鍛え上げられた厚みのある逞しくしなやかな室井の体躯は、いかにも男性的で威厳に満ちた印象を与える。
今は隠されるその縛りを、もどかしげに彷徨い、室井のネクタイを緩めようと弄りだしていた手に軽く室井の指先が添えられる。
青島の腕が誘うように持ち上がり、室井の首に回された。
引き寄せ合う恋人たちの口接に、陽だまりの逆光が香烟となる。
「週末、空けろ。予約を入れてある」
「今から取れるの?ん?・・ぇ、入れたの?」
「誕生日だったろ」
――君だって警察官なら、一流に触れておく機会は定期的に持っていた方がいい――
室井はそう言って、青島の誕生月となる年末には、どこかで予定を合わせ、いつも二人で正装しディナーを嗜んだ。
いつもの段取りに、青島が納得したように瞬きをする。
テーブルマナーだけではない。
先程の剣術を青島に仕込んだのも室井だし、刑事としてのキャリア視点の教典を伝授したのも、室井だった。
経験の浅い所轄の人間にとって、室井の語るプロフェッショナルの世界は、新鮮で野心的なものだ。
恋人がそういう世界で生きているという価値よりも、自分がこれから関わる未来として、青島には興味深いようだった。
室井は根気よく一つ一つを教え、青島の飲み込みは水を吸うより早かった。
「どうして黙ってたんですか」
「君だって黙ってただろう?」
「まだ根に持ってるんですか・・・?回覧板・・・」
苦情を申し立てる紅い口唇を、室井が迷わず塞ぐ。
しっとりとした感触が、実に心地好く、止まらない。
雅に酔いしれ、赤く色づいて、室井に吸い付かれた青島の紅い口唇が淫靡に濡れて、香り立つ。
男に嬲られ色付くように熟していくよう仕込んだのも、室井だけが知る味だ。
この愛おしいものが消えないように消されないように、室井は何度も柔らかい口付けを与えていく。
無意識に室井の指先に力が籠もり、青島の頭部から自身へと押し付けた。
しっかりと密着し重なりあう肉が、溢れる唾液も深く猥らに絡ませ合う。
「おれ、51になった」
「幾つになってもめんこいままだ」
「すぐ年下扱いする」
強く願うのは、ものの憐れに揺蕩う中で奏でる恋の、穏やかなる恒久だ。
室井と青島が恋に脅えていたのは、最初の頃くらいだった。
お互いの気持ちを確認し合い、深い情愛に満たされれば、打てば響く男と異彩を放つ男のコンビだ。
やがて二人で戦うことの価値に気付くのに、そう時間はかからなかった。
仕事上に於いて、青島が劇場型の鮮烈な活路を見い出すのは、現実には限定的である。
年上の貫禄と変遷を以って、室井は青島を誰より手塩にかけ、その瑞々しい感性に感化されながら仕込み、陶冶した。
そして青島は、擦れていない感性で室井を導いた。
「めいいっぱい粧し込んで来いよ」
「慎次さん、査定厳しいから」
「どこに出ても恥ずかしくない男に仕上げてやる」
「それで俺をどうする気・・・?」
室井が青島の輪郭を確かめるように指を侍らせ、ボディラインを辿り下り、そのままコートの中を弄った。
的確な動きに、青島が身を捩る。
「・・ンッ、ぁ、これ以上は、だめ・・っ、まずいって・・!」
無粋な差し止めに、室井は黙って青島の耳朶に歯を立てた。
ぞくりとした感覚を声に乗せ青島が、めっ、と室井を留める。
いつの間にか外された青島のネクタイ、無防備に外された襟元、スラックスからはみ出したワイシャツ、潤んだような虹彩が艶めかしい肌に添えられる。
「君にはもう少し大人のムードってものを教えてやろう」
「そーゆーあんたは腹芸のひとつも出来るようになった方がいいですね」
人でなしの心は、それだけで至福のひとときに包まれる。
「俺、本店に迎えに行っていい?」
「珍しいな」
「エスコートさせてよ」
「いいだろう。その後はどうなるか、分かってるな・・?」
「そりゃ楽しみデス」
3.
(作者注:ここで、おめかしして本店に迎えに行った青島くんが一倉さんに揶揄われるというど
うでもいいシーンがあったのですが時間切れ。気が向いたらいつか追加)
4.
――の、筈だったんだけど。
非常灯だけが青白く光る古びた廊下に、闇に紛れてひたひたという鷺足が走った。
辺りはどこも寝静まっている。
幾つも並ぶ扉には四角い小窓が付き、そのどれもが消灯され、無人であることを示していた。
廊下の窓からガラス越しに注ぐ灯りは月明かりで、音さえ吸い込むように室内は冷え込んだ。
黒い影が、一度振り返り、角でピタリと止まる。
辺りを伺うように様子を探ると、また抜き足で壁伝いに移動を始める。
前触れもなく同じ廊下に懐中電灯の黄色い光が散った。
驚いた影が飛び上がってしゃがみ込む。
慌てて近くのドアノブを引く。
開いた。
転がり込んだ影は音を忍ばせ扉を閉じる。
『どどどどうしよう室井さんっ』
『今どこだ』
『まだ五階!入口出たとこで、誰かとかち合った・・!』
『データは』
『バッチリ!』
『よくやった。顔を見られたか?』
『それは大丈夫だと思う。暗いし遠かったし。でも誰かいるなんて・・・!誰だよもぉぉ~!』
ちょっと待て、という声と共に、室井が隣で控える男と会話を始める。
『ったく、あのバカは。あいつといるとホント飽きないな』
うんざりとした口調のぼやきまでスマホは拾い上げ、青島は頭を抱えて座り込んだ。
ああ神様、どうしていつもこうなっちゃうんでしょうね?
事の始まりは一時間ほど前だった。
夕刻、本庁まで迎えに行った青島と室井は連れ立ち、予約していた青山のレストランに向かう途中、一人の男に遭遇した。
いつもの送迎車ではなくタクシーを使い、プライベートということでボディガードも途中までで断っていた、その道中のことだった。
男は六十代くらいで、見るからに思いつめた青白い顔で車道際の花壇に立つ電信柱から夜更けの国道を虚ろに見つめていた。
今にも飛び込みそうな顔をしているから、青島が職質をかけた。
聞けば、男は、男手一つで育てた愛息が自殺したのだという。
「でも今となってはもう分からない。社内で強いイジメにあっていたことも後から知ったし、不正は社長主導だったとの噂もどこまでが本当なのか・・」
「それで、」
「息子は自殺じゃない・・!優しくて気の小さい子なんだ・・!」
「警察はなんて?」
「事件性がないってばかりさ・・・。法テラスにも相談したよ。でも証拠がなければどうにも動けないの一点張りだ。そのくらい、こっちだって分かってる」
「だよなぁ・・・」
「生きる希望を失った・・・老いて生きながらえる意味が、もうわからない・・・」
薄くなっている頭髪を掻き毟るように両手で抱え、男は細身の体を丸め、項垂れて喉を詰まらせる。
室井と青島は顔を見合わせた。
「証拠とか、本当にないんですか?」
「・・・、息子の話では会社のデスクやパソコンにデータを入れていたとか・・・。けどもう、会社自体がパワハラを恐れて取り合ってくれない」
「私物って返してもらえるんじゃないの?」
「パソコンの中身までは無理だ」
そのまま法的手段に委ねるべきだった。そうしても実際良かった。
長年刑事をしていれば、こんなボタンのかけ外れはよくあることだ。いちいち足を踏み入れていたら時間も命も持たない。
でも平成最後のクリスマスに、こんな気持ちで全てを終わらせようとしている男に、青島が同情しないわけがなかった。
だって、クリスマスは一年に一度しかやってこない。
『青島、聞こえるか』
『はいはい、聞いてますよ~』
スマホから飛ばすイヤホンに室井の声が飛び込んできて、青島は思考を中断した。
今は此処からの脱出に集中する。そうしなければ、こっちが留置所だ。
『中野に頼んでビルの設計図を入手してもらった。今から逃走経路を言うから、出来るな?』
『シゴト早いっすね~』
『礼はたっぷり返してもらうぞ』
しっかりと釘を刺してくる室井に青島は首を竦める。
管理施錠されているそのビルに、その男は何度か行ったことがあり、息子の話でも裏側のベランダは大抵鍵をかけ忘れているという話だった。
巡回警備などといった大手企業や大手ビルディングが導入しているようなセキュリティはない。
今夜は忘年会で、事務所は無人となる。
だから侵入しようと思ったのだが、直前にきて失望と絶望に足が止まってしまったのだと男は語った。
そこで青島は一肌脱ぐと言ったのだ。
『いいか、そのビルの構造はシンプルだ。一見廊下が段差になっているから分かり辛いが、そこから隣のビルが見えないか?』
『暗くて良く見えないよ・・・んでも似たような建物があるね』
『この辺りは開発の時に一斉に建てられたものらしい。隣のビルの反転が、おまえがいるところだ。少しは位置が掴めないか?』
『・・・・・なるほどね』
とっぷりと陽の落ちた夜の東京に、イルミネーションを受けただけで浮かび上がる建物が幾つか聳え立つ。
赤紅に染まる夜空がロマンティックに聖夜を称賛し、切なさと悲哀を同居させた。
クリスマスだというのに残業しているオフィスビルが、無数のきらめきを灯し、誰もがこの夜をそれぞれの方法で過ごしている。
青島の潜むその手前に、同じ高さで黒々とした塊がいくつも並ぶのが、闇にくりくりと浮かぶ青島の眼に捕えられた。
ということは、端まで行ければ非常階段があるらしい。そこは施錠されているかもしれないが、ベランダ伝いに大きなパイプ管があるから、いけるかもしれな
い。
・・・・問題はそこまで行けるかということだけど。
『おまえが遭遇したのは上階の人間かもしれない。警備じゃない。上にも事務所が幾つか入っていて、さっき電気が点いた』
『マジか!やっべ』
『関連会社だ。社長もかなり警戒してたという話だから、油断はするな』
『おぅ、ガッテンだ』
室井はここから五分ほど離れたコインパーキングで、その男と待機していた。
まさか顔が割れている室井を連行するわけにもいかない。監視カメラはないとのことだったが、近くのコンビニやマンションには付いているだろう。
関わっていることすら、緻密に抹消しなければならなかった。
警察無線までは手持ちになかったためスマホで連絡を取っているから、通話記録は残り、そこだけが青島の苦慮だった。
そこは、頑として鉗口してもらわなきゃ。
室井の後ろで、大丈夫でしょうかと心細そうな男の声が拾われる。
安心させようと口を開けた青島より早く、室井が言った。
『あいつなら大丈夫だろ』
たったひとりぼっちの暗闇で、それでも青島は小さく笑みを落とす。
照れ隠しのように、その表情を俯いた前髪が秘密にしてくれた。
『青島?確かにこちらからも灯りがチラチラ見える。誰かが侵入に気付いたのかもしれない。エレベータに向かっているから、俺が合図したら走れ』
『・・・すんごいアバウトっすね』
『好きだろ?スリル』
『ま、ね』
耳を澄まして時を待つ。
心拍数が早いのが、自分でもわかった。
こんな全力で走るなんて、何年ぶりかな。こんな風に無茶することも、いつ以来だろう。室井とふたりで、全身で息を合わせることも。
時待たず、空気が震撼する。
『いいぞ、走れ・・ッ!』
室井の低い声がイヤホンから発せられた。
と同時に、バネが弾むように青島が扉を開けて駆け抜ける。
室井の命令で青島の身体が研ぎ澄まされるのは、昔からだった。
馴染んだ反応は、この声だけを頼りに青島を研ぎ澄ます。
お気に入りのエンジニアブーツは脱いだままだったため、靴下が廊下をするすると滑らせた。
腕を振り、髪を靡かせ、なんとか奥まで走り抜ける。ここまできたら、あとちょっとだ。
「!!」
前方からも光らしきものが青島の視界に入った。
外からのヘッドライトかもしれない。でも青島の野生の勘が危険を察知する。
それに室井も気付いたらしい。
『近くの部屋に飛び込めッ!』
『って言ったってっ!』
また部屋を探すが、今度はもう廊下しかない。
慌てて一歩前の角まで戻り、曲がってみた。すぐに化粧室があるのに気付く。
『どうすんのよ!』
『どこに入った?』
『便所!でもこれじゃ袋小路だ』
『トイレ?ちょっと待て』
今の騒ぎで流石に向こうにも気づかれたらしい。
誰かが上に電話する声と近づく足音が青島にも聞こえてくる。
これ、めっちゃまずいんじゃないか?
観念するつもりはないが、出来れば面倒は避けたい。
青島は手に持っていた靴を履き、戦闘態勢を整えた。
えーっと、複数人と対戦するときの構えは――
『青島?そこに小窓があるな?』
『あるけど?だから?・・・まさか・・・』
『そのまさかだ。そこから飛び降りろ』
『ここ五階ですけど!?』
『他に行き場がない。その窓は入れそうか』
『俺一人くらい、いけそうですけど、でも・・!』
『時間がない、議論は後だ。俺を信じろ』
『~~っっ』
そうだったよ、このひと、結構無茶言うんだよ昔から。
暗闇で飛び降りるのは恐怖以外の何物でもなかった。
ましてや下は見えないのだ。
正直、散々やんちゃしてきた青島でも、それは二の足を踏ませた。
化粧室に灯りはなく、窓を開けても、高すぎて階下は見えない。そもそもこの闇では下まで見通せなかっただろう。
それがより一層の怖じ気と萎縮を呼び起こす。
ヒュウと抜ける風音が孤高に耳に残り、寒さと凍った背筋が心胆を寒からしめる。奈落の底まで突き落とされるようだった。
足が竦む。
・・・怪我で済めばいいんだけど。
『・・・戻って来い』
それは、まるでベッドの中で告げるような滅多に口にしない声色が耳元で囁かれた。
青島は目を瞑る。
『ったく、怪我したら一生面倒見てくださいね・・・っ!』
思案も不安もなかった。
室井が信じろと言ったのなら、そこは正解なのだ。
それが天国でも地獄でもだ。
青島は大きく息を吸うと、一旦後ろへ下がる。
奥は見えない。
すぐ後ろから複数の足音が近寄ってくる気配がする。化粧室にももう気づいただろう。
助走を付けて飛び上がると、青島は片手で窓サッシを掴み、そのまま腕の力で身体を持ち上げた。
片足を窓枠に掛けると迷わず一気に闇へとダイブする。
あ、と思ったのは一瞬で、『そんなの、今更だ』という室井の声が耳に届いたのも、同時だった。
その日、クリスマスの夜空に、一つの影が夜空に舞った。
視界には大型トレーラーが止まっているのが見えて、数秒も立たずに青島の重力落下は止まった。
トレーラーの高さは約八メートル程度といわれている。一般的な建物の二階~三階程度にはなる。
実際の飛距離はかなり短く済んだ。
ドンと派手な音を立てれば、もう外の世界で、こっちのもんだ。
青島は振り返りもせず大型トレーラーから伝わり下りて、地面に膝を突き、優雅に着地した。
5.
何度も何度も振り返って礼を言う初老の男の目に、すらりと寄り添う二つの美麗なシルエットがネオンの中に重なっていた。
まさか自分に関わったのが、あの警視総監とその隠れた相棒だとは、最後まで気付かなかったようだった。
何度も振る手に、見えなくなるまで頭を下げ、見送った。
握手をせがむ皺がれた手は骨ばっていて、老いていく者の憐れと変わらぬ誠実に、室井はただ頭を下げるしか出来なかった。
「よく、あんな与太話を信じる気になったな?」
「そこは、目を見れば分かりますよ」
人が、真実を言っているのか騙そうとしているのか。
少なくとも、あの男の悲壮感は半端なかった。
そしてその瞳は濁っていなかった。
「俺が信じたかったんだから、いいんだ」
「だが、嘘を付いている可能性がないとは言い切れない。盗み出したデータでこの会社に損益を与えるリスクもある」
「データ、ちらっと見ましたけど、日記もあって。パワハラも訴えようとしてたみたいでしたよ。息子さん、頑張ったんだ。自殺かどうかはわからないけどさ、
報われるよきっと」
「・・・」
「だからきっと、あの人も願いは叶うよ」
ポケットに手を入れて、佇む青島のコートがふわりと風を包んで、髪を透けそうに揺らしていく。
「あの人の人生を、平成で終わらせたくなかったです」
「とんだサンタだな」
へへと無邪気に笑う青島に、諦めたように溜息を落とし、室井は視線を落とした。
だが納得したわけじゃない。
「こんな短時間で決断すべき案件じゃなかった。どっちが正義かなんて誰にも判んないんだ」
「悠長になんか待ってらんないよ」
「その脊髄反射で飛び込む癖、なんろかしろ」
「ええ、ええ、あんたはそうやって一生俺の後ろでインポになってればいいでしょ」
「その前に断腸になりそうだ」
不服だと言わんばかりの顔をして、室井はコートごと襟を整え直す。
どうして青島はこうまでトラブルメーカーなんだ。
世知辛い世の中で見せ付けた現実の無常さに、室井は再びの悪夢を見た気がした。
それは、青島を失いたくない一心の、室井の傲慢であるのかもしれない。
人を心から信じられ、誰かに優しく出来る青島に、ただ嫉妬しているのかもしれなかった。
賭けられる強さは、どうやったって、室井には手に入らない。
「まったく。痛恨のミスだ」
投げやりに、室井が吐き捨てる。
そんな室井をステップを踏んで軽やかに覗き込んで来た青島が、こっちにだって言い分はあるとばかりに頬を膨らませた。
「そんな男を相棒に選んだ自分のせいでしょ」
「それこそ平成最大の痛恨事だ」
「助けたいって気持ちに、理由いる?」
辛いことや悲しいことがあった時の冬の寒さはえげつない。
青島の刑事哲学も行動原理も、今もそこがスターターで、それが瑞々しい反面、危うさを併合し、彼はそのまま成熟した。室井の望むままにだ。
二人のコートの裾を揺らす風が洞察するように時折強く絞めつけた。
「刑事なんだろ、行動はちゃんと考えろ。感情論だけで動くべきじゃない」
「今はプライベートだもん」
「それが法廷で通用するか」
「んじゃ、あんたは何で乗ったのさ?」
「生憎だったな。こっちも人を見る目は持っているつもりだ」
言葉少なに伝える室井の重厚感が、青島の感性に覚醒を呼び、リンクする。
これは、昔からの感覚。
「あんたの、見立ては?」
「・・シロ、だな。前歴もなかった」
格調高い物言いに、青島はただその壮烈な気配を見澄ました。
「あんたこそ、あそこにトレーラーが止まってなかったらどうしてくれたのさ?」
「現場の下見は刑事の基本だ。知っていたに決まっている」
「!!」
抜け目なく言い切った室井に、青島の眼が見開かれた。
唖然として、強かな室井の隙の無い行動力に、口を開けて固まる。
あの短時間で、図面を調達しただけでなく、そこまでしてたのか?
いやきっと、もっと先のことまで室井は読んでいたに違いない。
そうやって、目の前のこの小柄で堅気な男は、口では滅多に言わないけれど、青島よりずっと強くて、ずっと強かで、策略家なのだ。
努力だけではない、知性と揺るがぬ度胸で、不利な戦いを勝ち取ってきた。
分かっていたつもりの品格と肝胆と、ほんの少しの信じたい気持ちを見せつけられ、青島の言葉が止まる。
立場上何も出来ない男の心残りを感じ取るとともに、一つの記憶が廻った。
一人で立ち回り、気張ってきたけれど、不意に見せられる共鳴は、時に脆くその心を傷つける。
室井と青島の運命は、手をつなぎ合った時に鎖で繋がれ、肉を分かち合うほどの密約に覚悟を与え
この生き方に、幸せも不幸も、どこまでも共にすると誓い合ってきた。
「君に付き合うのなら煙草だって吸ってやる」
「・・ぁ、えと、吸っちゃうんですか・・・?」
「もう覚悟は出来ている」
不覚にも泣きそうになる顔を青島は歪ませて、天を仰いだ。
星は見えないけれど、なんかが込み上げそうで。
出世したいのなら禁煙しろと言われた日から煙草を止めたと聞いたのも、確かこんな凍えた夜だった。
「あああぁ~もぉ、俺の負け!降参です・・っ」
そんな男に煙草を吸わせるわけには、いかないっしょ。俺なんかの尻拭いで。
青島が両手を挙げて、叫ぶように告げる。
「弾劾裁判は君のポリシーにないか」
それさえも見透かしていたように、くつくつと笑い出す室井に、すっかり毒気が抜かれた青島は
室井に向き合って、しっかりとその目を見た。
その眼は既に痛みに歪んでいて、気付かれたくなくて青島は奥歯を噛み締める。
優しさを押し売りしたところで、こっちにメリットなんかない。
そんなことは分かっている。それを室井も共有してくれるこの時間がどれだけ貴重なものか、知っているからこそ胸に溢れる想いは切ない。
小さく震える口唇を引き結ぶ。
一緒に居ると楽しくて、そんな日がずっと続くと思ってた。
初めて過ごしたクリスマスが蘇る。
“どうする?やめるか?この恋を”
“喧嘩上等!相手にとって不足なしっ”
室井に付いて行くと決めた日だ。ふたりで一緒にこの先の運命を全部共にしようと決めたんだ。
室井が行くというのならどこまででも付き合うし、その結果までふたりで背負うからと。
その時共鳴した心は今もここにある。
「ごめんなさい、呆れてる・・?」
「――いや」
「もぉ帰っちゃっても仕方ないなって、すこし、思った」
「帰るわけないだろ、おまえを残して」
「水族館、閉まっちゃった」
「別にいい」
「スーツもぐちゃぐちゃになっちゃった」
「いい」
「店、予約したのに」
「君が無事なら、いい」
「・・・・」
「どっか行くか?」
「うん」
時計の針を止めて。お願いだから、会えないし、向こう見ずな奴だからって愛想を尽かさないで。
青島の手が小さく室井のコートの裾を掴む。
その手を密かに握り返し、室井は青島を下から子供をあやす様に覗き込んだ。
「俺に、言いたいことは」
「そばにいたいよ」
生意気で、でも本当に不安なのは、青島の方だっただろう。
そんな青島だから、室井は決して手放さない。
そう言ってふわりと小さく笑う青島がそのまま夜の闇に溶けていってしまいそうで、室井は思わずその手首をつかみ引き寄せた。
不意をつかれた青島はその勢いのまま室井の広く逞しい胸にぶつかり、その長い腕に囲われるようにきつく抱き寄せられる。
「行こうか」
「どこへ・・・?」
「平成の思い出、作りたいんだろ?」
「そうだけど」
室井が青島を見る目は優しい。
「これ以上君にエスコートさせると、どこへ連れていかれるか分からないからな」
ぽんぽんと青島の後頭部を二三度あやす様に叩き、ゆっくりと腕を解いた室井は、そのまま青島の乱れた前髪を梳き上げた。
何かに堪える様に情けない顔をしている青島にデコピンをする室井の顔には、長い睫毛が影を作り、漆黒の瞳がしっとりと濡れる。
はねっかえりに流れる飴色の髪に、瑞々しい真珠色の肌、少しだけ色素が薄い琥珀色の瞳と艶のある甘い声。
このあどけなくて破天荒で上等な男は、俺のものだ。
「腹は?」
「空いてる」
「食いたいものは、あるか?」
「あんたと一緒なら、もうラーメンとかでいい」
「いいな、どのラーメンだ?」
「ええぇ~?じゃあ、さっぽろラーメン?」
室井が片手でスマホを取り出しタップする。
不思議そうに青島がその様子に首を傾げると、やがて室井は、まだ間に合うな、と呟いた。
「行くぞ」
「え?」
タクシーを止め、押し込まれる。
「ええぇえ?」
そのままタクシーは空港へと向かい、室井と青島は三十分後には札幌行きの飛行機の中にいた。
「ええぇえええええーッッ???!!!」
*:*:*:*:*
「地獄の果てまで連れてけとは言ったけどさ、ほんとに連れてくんなよな・・・」
「何を言っている。ここは日本だ」
小雪が舞う沿道で、青島が恨めし気な視線を送る。
「久しぶりに強引な室井さん見た」
「クリスマスだからな」
確かにホワイトクリスマスだった。
先日から豪雪地帯となった北海道は、札幌でも雪を積もらせはじめ、こんもりと白い綿が雪仕様でもないコートに頻りに降りかかる。
「ほらもぉ、結局俺が折れる・・・」
「なんとでも言え」
溶ける間もなく敷き詰められた雪がしゃりしゃりと足の下で鳴く。
都会とは違うパウダースノウは頻りに降り注ぎ、辺りを真っ白に埋め尽くしていた。
その雪に、色とりどりのライトが散りばめられる。
高さ十メートルはあるというデザインツリーが桔梗色に浮かび上がる前では、たくさんの笑顔が咲いていた。
足を止め、札幌玄関口を華やかに演出する象徴を、ふたりで目に焼き付ける。
「でっかいね」
「遠くからも良く見えていいんじゃないか?」
「てきと~」
くだらない会話もなんか甘く聞こえるから光のマジックは摩訶不思議である。
ふたりで食べたラーメンは、本当に旨かった。
そのあと、空港で買った蝙蝠傘を一つ、仲良く差しながら二人で札幌駅前のホワイト・イルミネーションの会場を歩く。
すすきのまで続くという街路樹にも、丁寧に巻き付けられたライトが銀色に灯り、雪景色を祝福した。
通りを塞ぐデパートも、街灯も、歩く人波も、皆オレンジ色に染まって、幻想的な一夜は道なりにどこまでもどこまでも流れていく。
「でもね。ニューヨークより、こっちのがいいね」
「今度、そっちも行くか?」
それでも、室井の目にだって、確かに写真で見たニューヨークのクリスマスツリーよりも美しく見えた。
「ぁ、また靴に雪が入った・・・」
「歩き方が下手なんだ」
「雪国生まれのひとと一緒にしないでくださいよ」
「まどろっこしい。置いていくぞ」
「もぉぉ~・・・」
情緒もロマンも恋人な欠片もない会話でも、浮き立つ心に静かに降り積もる。
遠巻きに立ち並び、はしゃぐ群衆を見つめる青島を、室井が一度ちらりと盗み見た。
穏やかで、嬉しそうな顔をして、目をキラキラと輝かせているその顔に、その隣に立てる自分に、優越感は最高の褒美である。
室井が青島の手を握り、歩き出す。
どうせ、誰も自分たちなんか、見ていないだろう。
「慎次さん・・?」
不思議そうに、もたついた足で後を付いてくる青島に、室井は手は離さないまま、ゆったりと振り返った。
「愛している。君が思うよりも多分、ずっとだ。俺はあまり口に出して言えない。でも、ずっと傍に居て欲しい」
端正で荘厳な姿態から出る雅な所作は、この男の珠玉の佇まいをより一層際立たせ、老いて尚増す愚直で秀麗な気配が
幻想的な風景を背負って、青島を捕らえるかのようにそこに向き合っていた。
青島は返す言葉さえ、浮かばない。
逃げる隙だって、きっとない。
一方的で高慢な愛情に、手を引かれ、雪に足を取られているままの青島の頬が、カッと朱に染まった。
今更そんな風に初心な反応を出せる男だから、室井のなけなしの余裕を奪う。
「・・はい・・」
大きな瞳が潤んでいるように見えるのは、こちらの欲目かもしれない。
印象的で艶冶な視線が室井だけを映して、小さく頷いた。
ありがとうも言えず、室井もまた滅多に見せない目を細めた顔で頷き返す。
青島の眩しさに魅かれ、導かれた平成だった。酔わされて溺れた時代も今となっては大切過ぎて、室井の心を埋め尽くし、止まない。
狂おしいほど欲しいと思った。同じくらいの強さで、あの日情欲に負けてでも掻き口説いて良かったと思える。
闇に引き摺り込むつもりで手を出した。
ようやく手に入れたんだ。何度も逃げられ苦労した遠き日々すらかけがえない。
時間をかけて口説き落として、ようやく青島が観念した日は、眠れなかった。
甘えだとか、護られるだとか、そんなんじゃない。
俺たちは、足りないものを持ち合わせていた、それだけだ。
平成の最後まで、そして新しい時代も、頼りない手を握り合い、傍に居られる奇跡を願う。
青島が視線を彷徨わせ、へにゃっと笑みを残す。
「あ~・・、もぉ反則だらけだ」
「そうか?」
「慎次さんも幸せだったらいいのに。俺だけなんて、申し訳ないよ」
「どの辺がだ。・・・ばか」
口唇からこぼれ落ちたあえかな声に、室井はトドメを刺される。
一歩間合いを詰めた室井は蝙蝠傘を緩く傾けた。
そのままふわりと赤いふくらみを塞げば、なんとも言えない満ち足りた滴が室井の中に滴った。
「!」
驚いた青島もまた、特に抵抗はせず、そのまま目を閉じ、口唇を擦り合わせてくれる。
薄く開かれる隙間から漏れる熱い吐息が僅かな温もりを共有させ、雪で冷え切った口唇をじんじんと痺れさせた。
冷たさの中にあってそれはより一層の飢餓を室井に知らしめる。
どうしてこんなにも長くいて、何度も繰り返した行為なのに、まだ足りないんだろう。
与えられるばかりで、何も返してやれない自分は一体どれほど貪り続ければ警醒するのか。
なのに、室井と心中してくれるつもりの青島に、これ以上ない幸福が室井に降り積もる。
熱く滑らかな舌に誘いをかけられ、室井は雄の本能のままそれを口内へと引き摺り込む。
もっとと強請るように求めてくる舌を、しっかりと捕えて離さない。
そんな青島の様子を見ながら、室井は口付けながら密かに口端を滲ませた。
およそ負けず嫌いの血が騒いだのだろう。
狂おしくキスをしていると、やがて甘えるような泣き出しそうな、そんな声で名を呼ばれる。
この瞬間が、室井はたまらない。
俺が青島の未来も身体も変えていっている。これは、確かに俺のものだ。
その事実にぞくりと何かが室井の背筋を走り、言いようのない歓喜と興奮が沸き起こった。
「ここからどうしたい?最終便で東京にも戻れるぞ」
「なんか・・・終わらせたくない・・・」
掠れた男の声で室井が聞けば、青島は薄く目を開け、濡れた瞳で情婦のような危うさで震えた。
物理的な圧迫感さえ齎す漆黒の視線に囚われ、唾液に濡れた口唇を薄く開き、どうしようも出来ずに室井を見上げる。
「あんたがいればこわくない。他になんにもいらない・・」
「おれもだ」
もう一度口付けあえば、確かな熱が感情を制御させるのすら難しくさせてくる。
噛み締めた吐息が少しだけ喘ぎを乗せ、極上の酖溺と誘惑に、蕩けるようなキスが人目さえ忘れさせた。
室井がどれだけ欲しいと思ってたか、逢えない間は、今尚どれ程室井が生硬な激情に振り回されているのか。
可愛くて、可愛すぎて、大事にしたくて、めちゃめちゃにしたい破壊行動すら呼び起こす。
羨望、嫉妬、憎悪、憧憬、渇仰、あらゆる感情がそこにはあった。
寡黙で愚直な面持ちをしているが、室井が内に秘めたる熱情は誰よりも壮美で情熱的だ。
その有り余る情熱を受け止められるだけの相手は、青島くらい一途で寛容でなければ物足りない。
このはねっかえりのじゃじゃ馬を手懐けるのは至難の業だろうし、油断すれば自分の方が翻弄されてしまう。
流石に理性を起こし、室井は口唇を放した。
敏感な反応を見せていた青島が、乱れた息遣いで何もかもが融合されていく幻惑に堕ちたような瞳をする。
耽美な媚薬をたっぷりと堪能し、成熟した瞳を返した室井もまた顔を放さなかった。
綿帽子のような雪が青島の肌を艶めかせ、髪に舞い、ほんのりとした朱をはたいていた。
同じタイミングでふたりの手が持ち上がり、指を絡め合う。
「あんたをこんなに冷やしちゃって・・・体調崩しちゃったらどうしよう」
「そんな柔に見えるか?」
「でも」
「すぐ温めれば大丈夫だ」
「暖めるたって・・・」
「おまえの体温で温まりたい。・・だめか?」
花が咲いたように青島が笑い、静かな色香が灯っていく。
「年寄りのくせに、張り切っちゃって」
「おまえは俺の理性に感謝してほしい」
「ここでこんなキスしておきながら、その言い草か」
「隙がありすぎるのはどうなんだ?」
「俺のことならなんでも言いなりにできると思ってんの」
自殺したというあの老人の愛息も、たったひとりでいい、たった一歩踏み込める相棒がいれば、また違った景色が見えただろう。
傘に積もった雪を払い落し、室井がもう一度腕を差し出し青島をエスコートする。
「ここまできたら、平成最後の初日の出も一緒に見ような」
「いいね。俺、今年、40度の猛暑しか記憶ないよ」
ゆっくりと歩む二人の足跡は白い大地に刻まれていく。
歪だと思っていた恋は、その形のまま残り、今も柔らかく二人を包んでいた。
情熱的な恋と誠実な愛の相性は、抜群だったようだ。
そのままホテル街へと向かうふたりの背中に、幾つも雪が追う。
綿帽子にイルミネーションが滲んで、クリスマスソングに包まれて。
君をいつか、純白の世界へ連れていく。
こんな雪の世界ではなく、在るべき本当の価値ある場所へ。
それはきっと、遠い夢じゃない。
happy end

毎年この時期になるとクリスマス室青
を描きたくなる衝動が止められません。
リアルタイムということで私的に意識したこと。
①もういい歳だし、しかも超ロングラン・ラブなので、ナチュラルに名前呼びはしていてほしい
②当然室井さんは約束を果たす男(つまり警視総監or副総監)
③室井さんは照れずに成熟。青島くんは一身に寵愛されることで妖艶に完熟(つまり二人揃ってイケメン)
20181231