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下ろしたところからアップ。毎月は変えておりません。NEW↓

1.雨
2.涙
3.出迎え
4.秘密
5.噂話
6.恋バレ
7.ほしいもの
8.選択
9.難敵
10.




e11
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◆Side-M
扉を開け放したまま、咄嗟に言葉は出なかった。

「・・どうした」

俯いた前髪から途切れなく雨粒が落ち、その表情も窺えない。ぐっしょりと濡れたコートが色を変え、足元には水溜まりが広がった。
此処へ来たというシンプルな意思だけが室井に伝わった。
室井の拳が硬く握られる。

「上がれ」

俺なんかに気安く慰められるくらいなら、会いには来ないだろう。怒りよりも殺意に近い憤りが室井の腹の奥から込み上げる。
誰だ。一体誰が彼をこんなにまでした。俺の一番大事なものを、一体誰がここまで傷つけた・・!

「風邪を引く」

乾いた口唇が滲むほどに食いしばった声は情けなくも掠れた。
ぎこちない足元も震え、そっとその肩に触れれば、およそ体温というものはなく
水滴がしとどに指先を伝り、ここに来るまでにどれだけの時間を要したのかを室井に伝えた。
躊躇わず、室井は片手で青島の後頭部を引き寄せた。
ただ黙って抱き締めた。崩れ落ちそうな彼を、脆く消えそうな彼を、冷え切った身体ごと腕の中に仕舞い込む。

「あおしま」
「・・っ」

一言だけ、室井が名を呼べば、沈黙を破る途切れた息が室井の首筋を突き刺した。

「馬鹿野郎・・!」

どうしてここまで無茶をするんだ。
意地っ張りで、頼り方も甘え方も知らない青島に、支え方さえ与えてくれない態度が、室井を哀しくさせる。
壊れないように、今は抱き締めることしか出来ない。それでも、室井の腕を解かないのは、彼なりの精一杯の甘えなんだと信じたい。
やがて、力のない腕がゆっくりと室井の背中に縋った。

「オチ・・そうだ」
「・・手間が省けたな」

濡れた髪をグリグリと愛撫のように掻き混ぜて、室井は天上を向く。小さく囁き合う言葉に、意味を持たせることはせず、今は。
君の傍にいさせてくれ。




◆Side-A
扉を開け放したまま、咄嗟に言葉は出なかった。

「ど・・したん、ですか?」

俯いた額から途切れなく雨粒が落ち、その表情は血色を失う。いつも丁寧に撫でつけられている髪も形を失い、足元には水溜まりが広がった。
此処へ来たというシンプルな意思だけが青島に伝わった。
宙で手は行き場を失い、見ていられず、青島は眉尻を下げる。

「えっと・・上がります?」

黒い影は重く、求められているものが分からない。何を言っても今は傷つけてしまいそうで、青島は俯いた。
一体何が彼をここまで追い詰めたんだ。俺の相棒を、誰かが無情に打ちのめした。

「風邪、引いちゃいます、から」

青島は恐る恐る近づき、顔を斜めに傾ける。
冷たい息遣いに触れる寸前、室井が青島を乱暴に引き寄せた。
上質なスーツから水滴がしとどに落ち、ここに来るまでにどれだけの時間を要したのかを青島に伝える。
至近距離で生身の室井を感じた。官僚でも刑事でもない室井がここにいるのだと思った。だからただ黙って凍えた身体に抱きすくめられた。
消えたい夜もあるだろう。そんな時、自分を思い出してくれたのなら、それでいい。

「室井さん」
「・・っ」

一言だけ、青島が名を耳元に囁けば、沈黙を破る途切れた息と共に室井の腕が乱暴に青島の背を掻き抱く。

「いたいよ」

意地っ張りで、燦然とした室井に、それでも届かない未来と、取り巻く環境の苛酷さに想いを馳せる。
崩れないように、今は胸を貸すことしか出来ないけれど。
それでも、青島を強く抱き締めるのは、彼なりの精一杯の信頼なのだと信じたい。
やがて、青島の後頭部を弄んでいた室井の武骨な手が、縋って来た。

「オチ・・そうだ」
「いいよ」

涙声となって、緩やかに抱きすくめられながら、青島は室井の肩に額を押し当てた。
小さく囁き合う言葉に、意味を持たせることはせず、今は。
貴方と堕ちていく。
2022.1.29










e11
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◆Side-A
隣を見て、青島はぎょっとした。
一緒に映画を見ていた室井が薄っすら目尻を潤ませ、目を赤く腫れさせている。
鼻を啜る音で気付いたが、これは相当前から涙腺崩壊していたと見た。

「ぇ、そんなに、泣けます?コレ」
「こういうのは弱いんだ」
「意外・・」

映画は時代劇で史実に基づいた武士の半生を丁寧に描いている。
ティッシュを箱ごと向けてやれば、室井がジロリと睨み返した。

「なんでおまえは平気なんだ」
「こういうベタで泣いてたら女の子の前でどーすんすか」

女好きの青島らしいカッコ付けは、室井には藪蛇だったようだ。
生粋の官僚だからこそ感情が見えにくい部分もあるのに、室井は頑強なまでに情緒にブレたりしない。
その息苦しい生き方は、だがこの人生を選んだ室井の求道心であることを青島は知っている。

「自分重ねちゃった?」
「男の生き様も分からない小童が」
「カッコつけてもぼろ泣きじゃん。鼻垂れてるじゃん。カオどろどろじゃん」

物珍しそうに指せば、室井が腕で突っ張ねて青島から身を捩った。不貞腐れた顔は照れているらしい。
胡坐の上に肘を付いた青島の瞳が茶目っ気を乗せ、指先が室井の涙を掬った。
ぺろりと舐める仕草は女の前で見せる男気だ。

「かーわいい」
「・・普段泣き虫のくせに」
「俺?そんな泣いてますかぁ?」

スッと室井の手が伸びてきて、今度は青島の襟足を意味深に指先で辿った。
軽く肌を滑り、シャツのギリギリのところで止まった室井の指に灯る雄の色情に、言葉の意味することを知る。

「それは、あんたのせいでしょ」

返答はなく、抗わせるつもりもない口唇が降って来た。どうやら挑発してしまったらしい。あらゆる意味で。
ねっとりと熱を絡ませられながら、視界が反転する中、青島は室井の首に手を回す。
もうすっかり涙も引いた室井が情火に濡れる瞳でしっとりと囁く言葉に、青島の表情が夜のものになった。

「涙は、おまえにしか見せない」

人知れず弱さをひた隠し戦ってきた男の背中なのだろう。
青島の前でだけ透ける生身の野性的な部分は、原始的で辛酸で、いつだって悚然とさせる。
でも、一緒にボロ泣きしている室井と誰かの映画デートは、それはそれで愛しい気がした。





◆Side-M
隣を見て、室井は目を眇めた。
一緒に映画を見ていた青島が既に大粒の涙を零し、黒々とした睫毛を濡らしている。

「そこまで泣くか」
「こういうの、で、泣けないあんたって、どうなの」

映画は昭和の代表作で、日本アカデミー賞にも輝いた不朽の名作でもある。
ティッシュを箱ごと向けてやれば、青島がまた盛大に目を潤ませ、睫毛を瞬きさせた。

「いちいち人情に振れていたら刑事など務まらない」
「こんなとこで俺の刑事スキル計らないでくださいっ」
「君のその被害者信仰には頭が下がる」
「ロボットなの、宇宙人なの、冷徹人間っっ」

そんなことでいちいち感受性豊かに反応していてはこの職業は続けられない。引き摺るわけにはいかない。
それでも。

「ほんと泣き虫だな」

止まらない涙に慌て擦る青島の手首を室井が掴んだ。濡れた瞳を見つめれば青島も逃げれなくなる。
涙に欲情した室井の指先が臆することもなく青島の涙に触れ、赤い舌がその雫を舐めとった。
その成熟した仕草に青島の目が羞恥に歪む。

悪寒に近い劣情はなんなのか。
怯えにも見える青島の表情に室井は自嘲的に口許を歪めた。凶悪な独占欲が室井を支配する。

「俺の前だけにしろ」
「へえ?なんで?」

そんな分かりきったこと、青島だって理解しているのだろう。
巧みな男の禁忌の領域に、感じるのは負け惜しみかもしれない。
優しさは脆さの裏側だと室井は思う。
その息苦しい生き方は、だが室井にしてみれば欠けていた何かを取り戻す鍵であることを室井は知っている。

「おまえの涙は綺麗だが、おまえの涙が俺を壊す」

甘く口唇を重ねれば、室井の中にも一つの抗い難い感情がさざ波立った。
肉体の原始的な反応が青島に共鳴していることは明白だ。彼の気持ちを暴いた夜から室井の気持ちは結界を失った。

「もっと啼かせたくなった」

薄らとした笑みを崩さぬまま、室井の声が掠れた。
ここまで来たら、生温い愛を囁かれるより、苛烈な愛で刻みつけられたい。
言葉に含む慚愧を感じ取ったらしい青島の顔が不意に変わる。

「俺が泣かせちゃる」

同時に変な闘争心を掻き立ててしまったらしい青島の気配に、ただ愛しさが募った。
2022.5.1











e11出 迎え
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◆Side-M
「ただいま」
「おっかえんなさぁい」

ひょっこり奥間から顔を見せて迎える青島に、室井は小さく頷いた。
連絡を受けていたから然程驚くことはなく、靴を脱ぎ、丁寧に揃え、それからコートを脱ぐ。
青島が寄ってきて、さり気なくコートを背中側から受け取り腕にかけた。

「・・・」
「ん?」

肩越しに窺っていれば、不思議そうに首をかしげる青島の栗色の瞳とぶつかる。

「いや、ありがとう」
「あのぅ、ごはん食べちゃいました・・?」

ふっと笑った青島が遠慮がちに聞くから、室井は自分の選択の正しさを実感した。

「まだだ」

君と一緒に食べようと思ったから。そう口にする前に、青島が得意気に目を光らせ、天井に視線を投げた。

「あ~・・っと、勝手に、作ってみちゃったんですけど・・・食べます?」
「!」

少しだけ沈黙を持ち、室井は頂こうとだけ、答えた。
まだ青島が見ている。なんとなく見つめ合う初心さは鋭く、室井は青島の腕を引くと軽く口唇を重ねた。

「着替えてくる」

毅然とした背を向け、室井は部屋着を取りに行き、扉を閉め――そのまま口元を押さえて、がばりとしゃがみこんだ。

なんっって盛り沢山の生活なんだ・・ッ!!おかえりだなんて言われたぞ?何年ぶりだ?出迎えてコート取ってくれた・・!
しかも手作りの料理がそこにーッ!そこにーッ!エプロンだった・・ッ。俺のッ、エプロンッッ。


付き合い始めて半月ほど経ったばかりのこと。
室井の顔は真っ赤である。
この生活で自分の心臓持つんだろうか。その前に精神がぶっ飛びそうだ。飛ぶのは理性か。
わきまえているつもりが、深みにはまり、誰にも渡せなくなっていく。

深呼吸をし、胸を叩き、頬を打ち、気合いを入れ直す。
室井はまた朴訥な顔を作り直し、青島の待つリビングへと戻った。






◆Side-A
「つっかれたぁ、たっだいまぁ」
「おかえり」

部屋に入った途端掛けられた声に、まだここは本店なのかと錯覚した。家に帰った筈なのに黒ずくめの堅苦しい男が控えている。
背後にある散らかった部屋はまさしく見覚えのある六畳一間で、青島は靴を放り投げ、部屋に上がった。
きゅっと背中から飛びつけば、室井がコートくらい脱げと口唇を尖らせてくる。でもその瞳は年下を甘やかす大人の眼差しだった。

「夕飯、もう食べてしまったか?」
「まさか。室井さんが来るっていうからさ、一緒に食べたい・・なーって」

何故か口籠る室井に、首をこてんと傾げ観察していると、奥の方からいい匂いが漂ってくる。
これはもしかして。
目線でキッチンを示しもう一度室井を見れば、その視線の動きで青島が察したことを、室井も察した。

「・・・・」

どうだろうかと問う顔はまるで般若のようだ。

「俺のために?」
「食べ・・るか?」

こくんと今度は縦に首を振れば、室井は物柔らかに笑った。その顔に視線を奪われていると、くいと腕を引き寄せられあっさり口唇を塞がれる。
それだけの、言葉も何もない挨拶を残し、室井がキッチンへ戻っていく。

「・・着替えてきます」

青島もまたくるりと背を向け、殊更ゆっくりとした足取りで奥の部屋へ下がり、襖を閉める。
そのまま扉に背を凭れさせた。ずるずると身体が畳に沈んでいく。

「てごわい・・」

なんかすっげーカッコよくない?時々反則でしょってくらい凛々しい顔をするの、どうしてくれんだよ。
しかもなんで俺のエプロン付けてんの?あのひと誰?ほんとにあの室井さん?
どんどん入り込まれる。どんどん変えられる。思ったより室井の愛情は強情だ。


付き合い始めて半月ほど経ったばかりのこと。
青島の頬は、そうはいっても朱い。
まいったな。この生活で自分は心臓持つんだろうか。その前に蕩けちゃいそうなんですけど。
わきまえているつもりでも、深みにはまる心が好きだって喚いてる。

怖さと震えを、天井に向けてふうと詰めていた息に吐いた。
うっし、と気合を入れ、青島は軽い足取りで室井の待つリビングへと戻った。
2022.5.14








e11秘 密
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◆Side-A
逸れたくなくて、必死に握り返した手の平は、男にしては繊細で高貴な印象だった。
傍にいるよって言ったら、付いてこれるのか?って言い返されて、縋るようにその逞しい背中に額を押し付けた。
公然とイチャイチャするのがどこかワルイコトしているみたいで、息が止まった。

◆Side-M
懸命に付いてくる姿が愛おしくて、思わず握り締めた手の平は、温かくてふわふわで結局こっちが安堵した。
傍にいるからと、見透かしたような生意気口に、付いてこれるか?と問い返すのは、恥ずかしさと負け惜しみの裏返しだ。
遠慮がちに俺を探る気配がいじらしくて、共鳴する強さが眩しくて、閉塞していた世界で、ようやく息が出来た。
2022.10.29







e11噂 話
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◆本庁編
室井が立ち止まり振り返ると、青島がぴょこんと寄り添って、はにかむのが窓に映った。
新城は軽く息を吐く。

「あのふたり、付き合ってるらしいですよ」
「ええっ?付き合うって、いわゆる、恋仲のか?」
「それ以外に何をわざわざ話題にするので?」
「わざわざ何をどうすれば、そうなれるんだ?!」
「何でも室井さんが猛アタックしたとか、公開告白したとかって話は出回ってますが」
「何かしたからってなんとかなるもんじゃないだろうが!」

聞いてないぞと憤慨する一倉に、新城は悠然と微笑んだ。

「札付きとなっても腐らず、しかもハイレベルの男も射止めたということで中堅キャリアの中では室井さんの株が急上昇している。派閥がなくても男としての生 き様に憧れると」
「だからってここは本庁だぞ?堂々と連れ込むのってどうなんだ?見せびらかしてるのか?」
「あれはただの色ボケでは?」

男を選んだというアブノーマルさも、それを堂々と見せ付ける度量も一連の不祥事も
室井を貶める理由とはならず、何故か周りが受け入れさせられる。
それが青島の魅力のなせる業なのか。本来の魔力というものか。

「けど、青島だってあの顔だろ?女には苦労してなさそうだし、実際キャリアに密かな人気も高いのに、なんで室井?」

わざわざ選ぶだけの男じゃないだろと、幾分失礼な台詞も一倉は真剣だ。
室井といえば所轄刑事の影がここ本庁でも常に囁かれた。
だが、よりによって青島が室井を選ぶ理由ってなんだ?職務上で理想を見たからって、あの手の優男がオトコに惚れたりはしないだろう。
室井は一体何をした?

「あの二人は昔から何かと意気投合してたじゃないですか」
「人間頑張ればなんとかなるのかよ。マジか・・。俺ちょっと勇気が出てきた」

流麗なシルエット、凛とした佇まい。
影武者の方が目立っているカップルに、二人並んだ時の美麗さが堅牢に冴え、室井も意外と色男だったことに気付かされる。
少なくとも、室井の見る目は確かだ。

「青島を幸せにしてやれるか、お手並み拝見といったところですね」

この件以来、室井の噂にまたひとつ、恋の猛者という勲章が加わった。




◆所轄編
室井のすぐ後ろを、背中を追うように青島がくっついていき、時折確かめるように視線を交わす。

「ねぇねぇ聞いた?あのふたり、付き合ってるんだって!」
「きゃあやっぱり?なんか二人の雰囲気変わったなぁと思ってました!」

夏美がはしゃげば、雪乃も飛び跳ねる。二人して手を握り合って声を潜めた。

「よくあの青島さんが落ちたなぁ」
「室井さんが猛アタックしたとか、公開告白したなんて話が出回ってるみたいよ?」
「何かしたからってなんとかなるもんですかねぇ?」

トイレの窓から顔を寄せた二人は室井と青島を視線で追う。

「昔っからあのふたりってクサイ仲ってかんじで直視できなかったけど」
「息の合い方も見せつけられました」
「だからって室井さんを選ぶ?」

青島が秘めた想いに苦しんでいたことを本当は知っている。絶対実らせない理由もまた、知ってるから。

「ずるーい。青島さん高嶺の花なのにィ」
「だよねェ」

頬を寄せ、ふくれっ面で眺める下では、青島がはにかんだように笑い、それを見る室井の目は青島しか映していないのは、まあ、よく見てきた光景だ。

「まあでも実際、よく落とせましたよね、室井さんが」
「青島さん、ああ見えて押しに弱いから」
「青島さんなら他に幾らでも相手はいるのにね」

絵になる二人の後ろ姿を、何となく置いていかれた気分で見治めた。

「今本店だと、敵わぬ恋の猛者として拝まれてるらしいよ。室井さん」
「青島さん人気ありますからね。室井さん、これからが大変だぁ」
「むしろ青島さんと付き合えば運気があがってくる説ある」
「あるある。ついでにトラブル降ってくる説」
「あるある。そこはやっぱり室井さんぐらいしか手懐けらんないってことかぁ・・」

流麗なシルエット、凛とした佇まい。
影武者の方が目立っているカップルに、二人並んだ時の美麗さに室井も意外と色男だったことに気付かされる。
室井の見る目は間違ってない。

「もぉ絶対に幸せにしないと許さないんだから」

この件以来、室井の噂にまたひとつ、手が早いという勲章が加わった。
2023.1.26







e11恋 バ レ
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◆所轄編
「ねぇ、青島さんって室井さんのこと好きでしょ」
「っっ」

会話の最後に雪乃が単刀直入に切り出せば青島は驚きを隠せなかった。
一緒に飲んでいた珈琲を吹き出さなかっただけ、マシだ。
口元を拳で覆い、視線を彷徨わせ、息を途切れさせる姿は随分と幼くさえ見せた。

「ゆ、雪乃さん・っ?・・まさか、そんなこと・・まさかねぇ?・・や、うん。そりゃ、みんなキライではないでしょ?」

一度取り繕うことを間違えた台詞が青島の動揺を如実に表していて、ぽろぽろと綻びが落ちる。

「あっ、雪乃さんは別?やっぱりまだ、室井さんにわだかまりあったりする?」
「そこはもうどうでもいいです。過去のことですし」

にべもなく雪乃が返せば、青島は、あ、そう・・と呟いてその続きの言葉を失った。故に必然的に主導権が雪乃になる。
青島さんって、普段頼りになるのに、自分のことになると詰めが甘いんだぁ。

「気付かない方が良かった?それとももしかして無自覚?」

警戒心は恐らく室井だけのためのものだ。

「や、待って、待って?」
「ずっと見てたら分かりますよ。青島さん、室井さんを見るときだけ、違うから」

やっべぇなぁと顔を両腕に突っ伏す彼は、取り繕うことも忘れて耳まで真っ赤だ。
か~わいいなぁもぅ。これじゃあ室井さんもメロメロね。青島さんって恋にはこんなに脆くなっちゃうんだ。

「真下にはないしょね?」
「言いません。他のひとにも。でも、付き合ってるんですか?」
「・・向こうの気持ちもバレバレなの?」
「あちらさんこそ、もろばれです」

ようやく青島が顔を少しだけ上げて、笑ってくれた。

「雪乃さん、動じてないんだもんな」
「あたしを誰だと思ってるんですか?元カレが薬物中毒で運び屋に疑われた時点で、こんな色恋沙汰、平和なものです」

試練を乗り越えてしまった女は強かだ。
乱れた髪の奥から、敵わないなという目をして、青島が優しい目を向けた。
ああもお反則。その目であたし、あのとき、絶望に飲み込まれずに這い上がれたの。

「でも、どっちが上で、どっちが下なのかなってところは下世話に気になります」

ぷはっと、今度こそ青島が噴き出して、その顔が湯気が出そうなほど真っ赤だったので、答えは分かった。
まあ、あの盲目的な室井の執着を見ていれば、想定内の結果だった。

室井が欲しいのは、青島の全部なのだ。身も心も記憶も想いも全て独占するまで飢えたまま。
一途な想いを瀟洒な熱に変えてしまう。
そんな恋は、一生に一度出来るか出来ないか。

「食べられちゃったのね、青島さん」
「雪乃さんっっ」

天真爛漫で陽気な青島にこんな顔させちゃう室井を少しだけ見直した雪乃だった。





◆本庁編
「あのぅ、室井さんってセンパイと付き合ってるんですか?」
「――」

真下が単刀直入に切り出したが、室井は顔色一つ変えなかった。
恐ろしい程の沈黙を選ぶエリートキャリアにしてみたら、もしかしたら聞き飽きた勘繰りだったのかもしれない。
見せ付けてくる格の違いに、一緒に飲んでいた珈琲を揺らさなかっただけ、マシだ。

「えっと・・、でも、好き同士なら別に、その、ね」
「そう単純なものだったらもっと楽だったんだが」

室井の返答が意外で、思わず真下は顔を上げる。
視線に一度だけ真下を捕えたその動きで、全てを察して良いという意図を見て、真下はあんぐりと口を開けた。
その顔に、室井が少しだけ悪ガキの顔を覗かせる。
えええ~?バレていいのぉ?ってか、認めちゃうって、かっこいいー!

「あいつは、上手に隠すだろう?」

子供みたいに自慢する室井の誇らしげな顔に、真下も釣られて頬を緩めた。
官僚が腹心を隠す必要はなく、それでも室井がその意向に従うのは、十中八九、青島を護るためだ。
この官僚主義の中で、無防備なノンキャリを護ることがどれだけ大変か。それだけのために室井の愛が注がれている。
そして、誰にも渡すつもりがない妄執ともいえる室井の愛し方が、真下にすら付け入る隙を巧みに阻んでいた。

「じゃ、じゃあ、やっぱり、室井さんから口説いたんですか」
「独占欲があからさまな男はみっともないか?」

きっと、何度も悩んで引き返して、それでも諦めきれなくて、その手を引き寄せた。
そんな危険な恋に身を焦がして、立場が危うくなることも、身を滅ぼしかねないことも、全て悟った上で室井は青島を選ぶのだ。
むしろよくあのお人よしのセンパイを恋に応えさせたよな。

「俺、ずっと室井さんが憧れで、目標でした!そんな室井さんが選んだ相手があのセンパイだなんて、もう見る目があり過ぎて最上級の展開です!」
「・・そうか・・」

少しだけ驚いたように目を見開いた室井の漆黒が柔らかく染まっている。
この高雅な男でも、青島のことを想えばこんな顔をするのか。

「えっと、も、もう食べちゃいました?」
「!」

どさくさに紛れた質問は上司に対するには無礼であったが、室井が気を害することはなく、その余裕で真下をいなした。
それで大体の答えは分かった。

室井が欲しいのは、青島の全部なのだ。身も心も記憶も声も持て余す狂熱のまま全てを独占するまで飢えたまま。
そんな恋は、一生に一度出来るか出来ないか。

「いざとなったら私はあいつを連れていく。それまでは、頼んだぞ真下くん」

うっひゃあ!もおおカッコよすぎでしょ!
理想の人が理想過ぎて、推しカプに悶える気持ちが理解できた真下だった。
2023.5.21






e11ほ しいもの
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◆Side-M

「室井さんって、例えばどんなもん欲しがる人なの?」
「高級日本酒の味わいは比重と酸度で決まる」
「よくあんだけ酒入れた後でまだ酒の話が出来ますね」

同じリズムの足音が夜に霞んで、月白の石畳を少し緩く歩くのは、この時間を長引かせたい未練だ。
こんなにも懐かれて、でもこの距離を保つ相手に、満たされるものはない。

「酒は働く男のガソリンだ」
「もう酒から離れましょうよ」
「特に、ない。・・本当に欲しいものは手に入らない」

青島の足が止まった。靴音が止まったことで、数段先に行っていた室井の足も止まる。
どうした、と、呟く室井に、青島が視線を外した。

「欲しがったことって、あんですか?」
「強請り方も、忘れてしまったな」

青島の目が分からぬ強さで一度暗く沈み、そして頬を膨らませ、鞄を担ぎ治す。
長い足で室井を抜き返しながら、言い返してくる強気の声が、夏虫の声を止めた。どうせ夜の公園など聞く人間はいない。

「おい、青島?」
「黙って腹に溜め込むんなら、お一人でどうぞ」
「おい」
「俺は見返りなんかいりません。それでも・・大事になっちゃいました。それだけは、譲れない」

目を剥いた室井が取り残される。

「それでもいいじゃん。ちゃんと欲しがれてる。手に入らないって嘆くより、ずっといいって、そう思って」

背後から追いかけ青島の二の腕を掴んだ。

「ちょっと待て」
「まだ続きがありますが」

室井が無言で天を仰いだ。
青島を逃がさないように掴む室井の指先が、力加減も忘れている。

「言わないほうがいい?」
「ったく、人が折角大事にしようとしているのに」
「思い通りにならない相棒ですみませんね」

乱暴に引き寄せ、生意気な口を塞ぐように閉ざした。
熱く焦れた肉が、必死で治めてきた何かを台無しにしていく。

「俺の、だな?」
「そこ確かめないとだめなの?」
「心底惚れた相手に、いい加減なことは、出来ない」

一生言うつもりなど、なかったのに。

「酔ってるからしたんですか?」
「酔ってるから出来たって言ってくれ」

こいつにかかると、いつもこうだ。ペースを狂わされて、乱されて、堕とされて。
この男より欲しいものなど他にあるか。
でも、俺だって、大事だ。それは、譲れない。

最初で最後かもしれないと分かってて、深みにハマると知っていて、でも身体は言うことを聞かなくて、影が重なることすら怯えて
口唇だけをもう一度重ねた。




◆Side-A
「君が今一番欲しいものは何だ」
「くれんの?」
「言ってみろ」
「じゃあ~、仕事上がりのビール♪」
「今奢った」
「煙草」
「そこは少し控えてほしい」
「睡眠時間」
「・・領域外だ」
「女」
「・・嫌味か」

何でもいいっていったくせに、と青島がジト目で睨む。

「熱い風呂とお日様の布団」
「ああ、いいな。それから」
「・・むろいさん」
「・・・」

室井の足が止まった。靴音が止まったことで、数段先に行っていた青島の足も止まる。
ゆっくり振り返ると、室井が月の逆光となって青島を射抜いていた。
ほんのりと潜ませた言葉は闇に落ちて、震える指先は夜が隠してくれた。

「俺の・・、か?」
「はい、あんたのです」

室井の声は掠れていた。酒のせいだ。たぶん。
でも、指の先まで動かせない。
室井が青島の目の前まで近づき、青島の輪郭を辿るように潔癖な指を伸ばしてくる。
そのまま室井は首を傾け、そっと口唇を押し当ててきた。
甘い熱に、心が破裂しそうに締め付けられた。
泣きそうに顔を歪めながら、目を伏せるその頬を、雲間から月明かりが照らし、バラしてしまう。
たぶん、いま、まっかだ。

「俺のものだ・・」
「うん、あのね、好きだよ」

一生言うつもりなかったんだけど。

「でもね、忘れてくださいね」
「どうやって」

至近距離でしっとりと見つめられる奇跡に息が止まる。
さっきの酒が悪酔いさせてくる。
握ってもいい手だったなら。触れてもいい肌だったなら。寝取っていい相手だったなら。

「酔ってるからしたんですか?」
「酔ってるから出来たって言ってくれ」

サイテーな台詞に、ゆっくりと首を傾げる青島の前で月明かりが時間切れを伝えていた。
酔い覚ましの脳が現実を戻してしまう前に。

「朝になったら、酒と共に、きっと――」

消えてるよ。
最初で最後かもしれないけれど、手に入らない人と知っていて、駄目だと分かっていて
身体は言うことを聞かなくて、影が重なることすら怯えて、口唇だけをもう一度重ね合った。
2023.8.14







e11選 択
line
◆Side-A
「いいから離して!!室井さんまで落ちちゃうからっっ!」
「なんとか!する!するから・・!」

怒号は虚しく風に浚われた。
室井の苦悶の額から脂汗が垂れてくる。このままでは二人で落ちてしまう。
どうしてこんなことになったのか。
時折崩れる石塊が足場の不安定さを伝えていた。
指先の感覚がもうない。応援も来ない。縋るような目をしているのは多分こちらの方なんだろう。
失うことの本当の意味も分かっちゃいないくせに、なんでこんなことすんのと責める瞳が憎らしい。
汗で滑る青島の指がたった一つの命綱だった。

「もう、いいです、から」
「だめだッ」
「護れよ、次は」
「・・ッ!!!」

室井が奥歯を噛んだ時にはもう、しっかり掴んでいた筈の指先から、青島の感触が消えていた。
次の呼吸をする前に、青島が一人、崖の下へ吸い込まれていく。
嘘みたいな光景が現実なのだと受け入れているのは心臓だけで、取り返しのつかない悪夢は覚めぬまま、目の前で吐き気を持って焼きついた。
あああと声にならない嗚咽が干乾びた喉を上がってくる。

君に残せたのは痣だけだった。
おめおめと生き恥を晒すことを、君が望むのか。
来いと言われれば間違いなく自分は行った。その言葉すら君に委ねた。
どちらの瞳も最後までお互いのみを映していた。
だいすき、と、遠ざかる口唇が最後に動いた。




◆Side-M
「もういい!離せ!離していい!」
「や、だ・・!ぜったい、ぜったい離しません・・っ」

怒号は虚しく風に浚われた。
青島の苦悶の額に汗が垂れる。このままでは二人で落ちてしまう。
どうしてこんなことになっちゃったのか。
重力に逆らう室井の筋肉が悲鳴を上げ、時折崩れる石塊が顔面を打った。青島が必死で掴んでくれている手首が汗で滑る。
もう時間の問題だった。

青島だけでも助けたかった。いつも傷つけてばかりでこんな時でも役に立てない。
ようやく護れる。生涯愛したのは君だけだ。
だが顔を上げ、告げようとして、その顔を見た途端、室井は青島を残していくことがこんなにも辛いことなのだと思い知った。
身の毛もよだつ魑魅魍魎な蜜が室井を襲い、決心を鈍らせる。
生きたい、捕られたくない、離れたくない、助けたい、共にいたい
二人重ねた月日が電気が迸った走馬灯のように蘇る。
いや、これが本当の走馬灯か。

「――青島」
「やだ!」
「来るか・・?」

その瞬間、音も光も色も風もすべてが消えた。
青島だけが室井の視界にあり、掴み合っている手だけが痛くて、色褪せた時も沈黙した。
狂おしく澱む欲望と絶望の中で、ひっそりと取り合った手を、今更離すことなど有り得ない。
この世界に、青島を一人置いていくなんて、俺には出来ない。
俺は、そこまで強い男じゃない。

「好きだ」

室井の口唇が三文字だけを紡ぐ。
青島は泣き出しそうに顔を歪ませ、口唇を引き結び、室井を掴むその手を握ったまま、それまで掴んでいた鉄柵の方をそっと外した。
不意に落ちてきた身体を抱き締め、現実が戻る。
二つの身体は折り重なるように崖の下へと落ちていった。

★どちらも死にネタではありませんからね~★
2024.2.7







e11難敵
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◆Side-M
泣き落としも駄目だった。不意打ちも駄目だった。衝動に任せた強硬手段も不発に終わった。
何度口説いても、尽く惨敗する。
宥めすかしても、下手に出ても駄目ならば、もうこの純潔な男を手に入れるには、この直談判しか残されていない。
室井は悲観を流し込み、都合六度めとなる口説き文句を放つため、極薄な口唇をゆるりと開いた。

「ようやくわかったことがある。どうすれば君が手に入るのか。どうすれば君が・・泣かずに済むのか」
「泣いてないし」
「君は泣く、と思う。俺にも見せない。でも俺のために泣いてくれる唯一の男だ。違うか?」
「・・・」
「君が何を一番戸惑うのか、考えた。モラルか。体裁か。俸給か。違うだろうな、君なら」
「・・やめろ」
「やめない」

徐々に核心に迫りつつあることを白状するかのように、室井の推理を青島が静かに遮ってくる。
再び青島にリードを取られるわけにはいかない室井が、政治取引を行うよりも集中し、凛然と綴る。
腕を引き寄せ、声に感情を乗せることなく、耳元に毅然と続けた。

「私を想った時だ」

カクンと青島の膝が崩れ、室井に腕を取られたまま地面に砕ける。
悔しそうな朱を帯びた顔で見上げる脆い姿を見、室井はようやく核心に触れたことを悟れた。
音もなく片膝を付き、頬に手を伸ばす。

「君を乱せるのは多分、俺だけだ」

自信たっぷりの室井の言葉に、青島は陥落した目で尚、訴えてくる。
その気の強さが室井を煽るのだ。

少しずつ這い上がってくる快楽の香。
だけど達するには至らないそのもどかしさは、助けを求めるままに指先で青島にしがみつく。
まだ続けるか、この見え透いたやり取りを。
それでも、この駆け引き、負けるわけにはいかない。

「そっちがそのつもりなら、壊しますから」




◆Side-A
感情に支配されたら終わりだ。
泣き落とし、不意打ち、奇を衒った強硬手段。んなの本気になったこの男には効かないことくらい、分かってる。
大概の人間は騙せた営業トークも、尽く惨敗している。
逃げても、情に訴えても駄目ならば、もうこの鉄壁な男を説得するには、この直談判しか残されていなかった。
青島は悲観に気付かぬふりをし、都合六度めとなる口説き文句を放つ男に、豊満な口唇をゆるりと開いた。

「認めませんよ、俺。絶対に」
「俺には黙って見過ごしてやれる度量はない」

室井は近づくこともしなかった。
腕を掴み、振り解いてみろと挑発すれば、期を得たとばかりに青島は室井を突き放すだろう。
そんな隙も与えてくれないらしい。

「今夜一晩を私にくれ」

大人びたその口調に、青島は勝ち気な口唇をふいっと引き、上目遣いで睨んだ。
この男を腰砕けにする自信ならある。でも溺れたあんたに興味はない。
欲に堕ちた方が負けだと、勝負はついた。そう思ったその時、室井が初めて動いた。

―私を想った時だー
刹那、背筋に痺れが走った。立っていられず崩れ落ちる。

「交渉、成立だな」

あれ?
感情に勝るつもりが感情に押され、的確に射抜いてきた言葉に気付けば室井の手中に陥っている。
使い古されたラブソングより効果的だった。
耳を掠めたバリトンが、まだ鼓膜を痺れさせている。

「君を乱せるのは多分、俺だけだ」

自信たっぷりの室井の揺るぎなさと、見抜かれている仄暗い甘さに陥落した身体が火照って騒ぐ。
この手強さとしぶとさと図々しさに、魅入られる。

少しずつ植え付けられる快楽の香。
だけど達するには至らないそのもどかしさに、助けを求めるような指先は室井にただしがみつく。
それでも、この駆け引きに、負けるわけにはいかない。

「そっちがそのつもりなら、もう、壊しますから」
2024.10.28









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