25
周年お祝いシリーズ
毎年恒例クリスマスストーリーです。今年は支部での25周年記念合同企画。
お祝い記念作品なので室青ベースとかじゃなくてがっつり室すみです。時間軸はODF後。登場人物はすみれさん、室井さん、青島くん。
定年間近、いよいよ室井の真価が問われる時、焦れちゃったすみれさんのお話。
BGMは広瀬香美で「DEAR…again」
25年分の愛を込めて~室すみ編

25年分の愛を伝えたくて。貴方に。
1.
「決めた。あたし、室井さんにプロポーズする」
「っっっ!!!」
前置きもなく口から飛び出ちゃった言葉は、雪のような小夜時雨に溶けた。
背後であたしに傘を差してくれている青島くんが飛び上がったのを背中で感じた。
ゆっくりと横目で彼を盗み見る。
でも、濡れた髪の向こうで沈黙する青島くんを見ていたら、あたしの方はようやくすっきりした気分になった。
「痺れ切らしちゃったってこと?」
「最初から今のままでいいとも思ってないのよ」
「そぉだったね」
察しが良く、人懐こい彼は、観察力が鋭い。心の襞まで感じ取ってしまう。
何より、あたしと室井さんの密かな付き合いを知る唯一の人物だ。
「騒がれるのも好きじゃないけど、コソコソするのも性に合わなかった」
凍えた空気に逆らいたくて、ちょっと茶目っ気交じりに言えば、青島くんから緩んだ吐息が白く上がる。
そういう竹を割ったようなところ室井さんにそっくりって、青島くんは言うけど、あたしにはよく分からない。
こんなガサツなあたし、本当はエリート官僚と付き合う資格、ないのかもしれないって思ってる。
だって、いざとなったらあたし、きっと室井さんを。
雨が睫毛にかかって、視界がキラキラとしていた。
深いところまで知り合ったあたしよりも、正しい答えを知る青島くんの背後で、電柱が霧雨の飛礫を映し出す。
細い線はまるでここだけを切り取るように降っていた。
駄目かな?と青島くんの気配を探れば、背中越しに怒ってもいないし慌ててもいない、穏やかないつもの気配をくれて
あたしは少しだけホッとした。
ここで青島くんに止められたら、あたし泣いてしまうかもしれなかったから。
「男に譲ったら?とは言えないですねぇ」
内勤となったあたしを、人手が足りないからと冬の張り込みに連れ出したのは、青島くんだった。
雨の中もう3時間くらい、こうして背中合わせに立ち尽くしているのに
不思議とこの時間を終わらせたいとは思わない。
苛酷な現場が身体に与える負荷を承知で連れ出した青島くんは、それでもこの荒療治があたしに齎すものを、誰より知っている。
そう、きっと、室井さんより。
久しぶりの現場が、瑞々しい空気の冷たさを備え、玲瓏な佇まいですみれを細胞から震わせる意味を。
「けど、実際、その、結婚しましょう的なこと、言われてないの?」
「ない」
そうなのだ。
未だ公には二人の交際すら極秘だった。室井からも、そうしたいと懇願された。
マスコミは勿論、庁内、政財界に影響が出てくる事案だからだ。発表のタイミングには熟考が求められた。
それは同時に、すみれを護るためでもあったのだろう。
だけど、誰にも言えず、ワルイコトしているみたいに隠れて、脅えて、何もなかったかのように他人ごとの顔をして。
化粧で誤魔化すには大袈裟過ぎる、そのありきたりな処方箋を、どこか演じきるには冷め過ぎた自分もいて。
彼が出世する度、役職を変える度、引き戻すタイミングは幾らでもあった。
それを選ばなかったのか、選べなかったのか。
相応の身分が必要ならば、あたしなんか振って、どこかの令嬢と婚約発表でもすればいいのよ。
そんな風に、出来もしないこと考えちゃう自分が必ずどこかにはいて、澱み、濁りながら純愛に陶酔しているあたしを嗤っている。
「影響、出るかもね・・」
ホウボウに。
騒ぎになる。晒し者になる。国家も揺るがしちゃうかも。でももうあたし、待てるほど強くないって気付いた。
あの人を見捨てるような選択肢は、とうに捨てていた。
「だから、青島くん、協力して!」
2.
「車まで送りますよ」
室井が頷き、歩き出せば、その後ろを青島がひょこひょこ付いてくる。
今となっては当たり前となったこの光景も、もう25年になった。
こそばゆい感覚も、やがて安心へとシフトし、それが室井個人を形作る。
委ねてしまうのは、変わらぬ距離だから――だけではないことを室井自身、自覚済みだ。
先にエレベーターに乗り込めば、自然にエスコートしてくる動きは紳士的で
部下や同僚が仕えるそれとは異なる彼の社交性が、室井の中で眩しく残像する。
「近々、時間取れないか?」
え?いいの?という顔をした青島が、刹那、すっと顔色を変えた。
こいつは昔から察しがいい。
「聞きたいことがある」
「署内で出来ない話なんだ?・・まさか、また、左」
ジロリと目玉を向けることで咎めれば、青島は悪ぶれることなく小さく舌を出した。
「恩田くんの様子で変わったことはないか?」
「んなプライベートなこと、本人に聞けば?」
最近、すみれの様子が変だ。
妙にそわそわしているし、誘いをかけても数回に一回断られる。
以前なら、忙しいんだからデートの時間が出来たら最優先するなんて可愛いことを言ってくれたのに。
「本人に聞く機会がないから君に探りを入れているんだ」
ナルホドと分かったような揶揄うような悪戯気のある瞳を煌めかせ
なんとか口車に乗ってくれた青島が、何気ないふりを装ってポケットに両手を忍ばせる。
エレベーターは静かで、この署はいつも潮の匂いが鼻腔を突いた。
「ああ――、まあ、忙しいんじゃないかな?色々とね」
「何か知っているな?」
「どうですかね~?」
簡単に口を割る気はないところ見ると、すみれからの口留め付か。
何となく仲間外れにされた気にさせられるのは、果たしてどちらに妬いているんだろう。
室井がどう攻めるか楽しんですらいる顔が、エレベーターの電灯の下で挑戦的に煌めく。
「前から思っていたんだが、おまえ、私に対する扱いが雑じゃないか?」
「あら、今頃お気付きで」
「尻拭いには勝手に付き合わせるくせに」
「室井さん、俺んこと、だいっすきですよね」
「・・・」
ジロリと睨み合っても、どうにも青島には通用しない。
それが心地好いのだから、室井に勝ち目はない。
青島に正攻法は効かないし、その意味で室井の最大の天敵は青島かもしれなかった。
ふうと、大袈裟に鼻から息を落とせば、人情に訴えられてズルイとむくれる青島と目が合った。
過激な策略で扇情する大胆さを持ちながら、このほんの少しの繊細さが、青島の甘さであり、優しさだ。
狡いのはどちらだと室井こそ思う。
「最近はぐらかされている。電話もだ」
「そうなの?」
先に白状すると、そこは初耳だったらしく、青島は意外そうな顔を覗かせた。
室井が更に追求しようと口を開いた時、ポーンと乾いた音が響き、エレベーターが到着を告げる。
途端、舞い込んできた潮風と共に、鈴なりのような聞き心地の良い、良く見知った声が、響き渡った。
「室井さん!摑まえたわ!」
「すみ・・ッ!恩田くん、何を言っているんだ、君こそ」
討入りのような形相で、すみれが仁王立ちとなった。
「え?え?今?こっ、ここで?!すみれさん、ちょっとたんまっ・・」
室井が狼狽える横で、何故か室井より狼狽えた青島が、すみれを制止しようと慌てふためく。
だがその青島を振り切り、すみれが拳を握り締めて高らかに叫んだ。
「あたしっっ!!あなたとちゃぶ台を囲みたい!三畳一間でいい!ずっと傍にいたい!あなたのお嫁さんになりたいっっ」
うわちゃあ、と、青島が額を抑えて、天を仰ぐ。
隣の室井はもう口を開けたまま、硬直している。
「もう待てないの!結婚式もいらない!指輪もいらない!(どうせ失くしちゃうし!)だからっ!!」
職員も、居合わせたこの街の人々も、皆、足を止め、固唾を飲んでこの舞台の顛末を注目し始める。
「だからあたしと結婚して!!」
・・クダサイ。
それだけ言うと、すみれが口を真一文字に噤んだ。
潮が引いたように空気がピンと張りつめる。
全身真っ赤となり、湯気がでるほど頭を火照らせ、すみれが室井を真っ直ぐに見つめていた。
緑がかるすみれのストレートの黒髪が空気を読まず吹く潮風に乗って顔を隠し、真赤なチューリップが一本だけ包まれた花束が揺れ、室井に向かって差し
出されている。
湾岸署のエントランスは水を打ったように静まり返っていた。
ポーンと、三度めのエレベーターの到着音が響くのを合図に、室井がのろのろと腕を上げ、それを受け取るのを見届けると
すみれはくるりと踵を返し、返事も聞かず、大股でヒールを鳴らしながら去っていった。
途端、わあっと大きな拍手と歓声で辺りが喝采に包まれる。
よくやったぞ姉ちゃんという歓呼、兄ちゃんおめでとうという野次、仲良くやれよとのどよめき。
口々に叫ばれる祝福と喜びの声が飛び交う中、室井の手元ですみれを思わせる白い清楚なリボンが揺れていた。
「おっもしろい女だな~・・」
「・・青島」
「なんでしょ」
「おまえ、知ってたな・・?」
「飽きないっしょ?」
「飽きるではなく、呆れている」
室井が後に控える青島に背を向けたまま、唸るように声を絞り出す。
「何故止めなかった」
「俺が止めるの?彼女を?止められると思います?」
「・・・」
室井が首だけ、グリンと振り向いた。
その顔に、青島の顔がくしゃりとなる。
「あっは、あんた顔まっか!」
「・・・・・・・・」
「いいじゃん、オンナノコって可愛いですよね~」
「可愛いを通り過ごして、こっちがメロメロだ」
「じゃーお嫁に貰っちゃおっか?」
「言わせてしまった男の不甲斐なさなど、君になぞ分かってたまるか」
青島が腕を上げ、後頭部で組みながら、ぽんっと室井の隣に立った。
「大体、あんたが何時まで経っても煮え切らないからすみれさんが勝負に出ちゃうんじゃん」
「気持ちはきちんと伝えていたし、分かってくれているものだと」
「それアウトでしょ。女の子がいつまでも待っててくれるなんて男の幻想っすよ。いつか、なんて言っておいて抱くだけじゃーヤリ逃げと思われる」
「ヤ・・ッッ、おっ、まっ、口を慎め!」
わなわなと震え、室井が動揺する様子を青島が楽し気に観察する。
モスグリーンのコートが潮風を包み、物柔らかな笑みを湛える男に、こうも打ち負けた気になるのは何故だろう。
「うちのワイルドキャット、舐めて貰っちゃ困ります」
「彼女は君にどこまで話しているんだ」
「気付かれていないと思っているあんたに俺がびっくりです」
「・・・」
「・・・」
これは夢ではないのか。現実なのか。現実だ。
手元に残されたチューリップが揺れていて、次第に羞恥よりも照れが勝ってきた室井が、面映ゆそうに口元を覆い、青島を見た。
その情けない顔に、青島の眉尻も下がった。
「で、どうします?言われっぱなしじゃ男の沽券にかかわりますよねぇ?プロポーズ返し、協力しますよ?」
完全な敗北だ。青島にも、すみれにも。
グッと詰まり、眉間を深く寄せ、あーだの、うーだの、口唇を尖らせて何やら反論をしようとしたが、室井の杓子定規な脳味噌は何を絞り出すこともなく
やがて室井は口唇を引き結ぶことで体裁を保った。
「いいだろう、協力させてやる」
高圧的に言い切った室井の顔はまだ真っ赤だった。
3.
「ね、チューリップの花言葉って知ってます?」
「何かを託したってことか?」
「一本の真っ赤なチューリップ。知りたい?」
「もったいぶるな」
「『あなたが運命のひとです』」
「・・・」
「すみれさんはあんたに運命を捧げる決意をしてるんだよ、とっくに。運命を共にするから、あんたもさっさと覚悟してって言ってるんだ」
「そうは言うがおまえ、彼女を巻き込めるか?」
「まだそこ?あんたは護っているつもりでも、すみれさんにとっては拒絶だ。分かってます?」
「今だから白状するけど、室井さんが俺に『この先の出世レースに付き合わせるから覚悟しろ』って言ってくれた時さ、正直、俺、安心したよ。ついてっていい
んだって」
「付いてこないつもりだったのか」
「ほら、そーゆうとこ」
「・・・」
「あーんなイイ女、捕られたくないなら、さっさと自分のもんにしちゃいなよ。んで、披露しちゃいなよ」
「傷一つ付けたくなかったんだ」
「じゃあ、俺も赤いチューリップ、贈っちゃう?」
「・・いらん」
「もう充分、待ったじゃない。あんただって」
「どうしたらいい」
「折りしも、もうすぐクリスマスです。プロポーズの舞台は整いましたね」
4.
「こぉーんなベタなシチュ、室井さんが用意するとは思えないわ。随分とミーハーな参謀がいるのね?」
参謀が誰かなんて分かり切っていて笑うすみれの姿に室井が目を眇めた。
遊園地のメリーゴーラウンドの前を待ち合わせ場所に指定した意味は、夜になればその意味が分かる。
光の渦の中で、二人の輪郭が金色に灯る。
「俺のセンスじゃないか?」
「そおねぇ。室井さんだったら、そうだな、こんな電飾がチカチカしているところなんか選ばなくて、もっと、静かな、雪、とか」
言いかけ、すみれは口を閉ざした。
これじゃまるで、ご実家に連れて行ってくださいとでも催促しているみたいだ。
くるりと背を向ければ、遠くの観覧車が虹色に回る。
「避けられたらどうしようと思った」
「それは、あたしの台詞でもあるわ」
―24日の夜7時、メリーゴーラウンドの前で待っていてくれ―
先日の今日だから、その意味は重たかったし、メールに返事はしなかった。
着るだけで上品映えが叶うクラシカルなムードのすみれの白いコートが、メリーゴーラウンドが動く度カラフルに彩られ
すみれの強張った顔を隠してくれる。
同じ場所を回るだけの単調なリズムに純白のツリーが観客のざわめきを見下ろしていた。
「驚かせた?」
「人生最大の痛恨事だった」
「女を待たせると痛い目に合うのよ」
「覚えておく。青島にも怒られた」
肩を竦める室井は今やエリートキャリアの中でも一目置かれる存在になるところまできた。
それは所轄の身分からすると長年の夢であったし、特に相棒である青島くんにとっては長き戦いの月日を誰よりも噛み締めていることだろう。
腐れ縁なんて言っているけれど、室井さんが青島くんを信頼しきっているのは、あたしが一番良く知っている。
カノジョとして過ごした時間はとても短くて、泡沫だ。
「君のことをないがしろにしたつもりはないんだ」
「知ってるわ」
「後回しにしていたつもりもなくて」
「それも、知ってる」
「まだ私の立場が中途半端で、力不足もあって、君を護るためには、こうするのが一番、」
「手っ取り早くて確実だった、でしょ?」
「すみれ」
見慣れた上質な黒コートを羽織り、三つ揃えのスーツを丁寧に着こなした姿は、歳を重ね、貫禄と熟した色香を高雅に綴る。
仕事上がりに無理に時間を作らせたのだろう、その姿が今は哀しくて、すみれは名を呼ばれたにも関わらず、その距離を詰めることはしなかった。
窘めるような室井の声は、届かぬまま二人の間に落ちる。
「分かっているのよ。その無口と遠慮に、どれだけ泣かされたかな・・」
そこに、どれだけの誠実さがあったのかも、長い年月が答えを示していた。
それだけ、共に生きてきたということだ。
それでも足りなくなったあたしは、ものすごく強欲で、ものすごく、女の子だ。
「すきだよ。世界でいちばん、大切」
「こっちもだ」
肩越しに振り返れば、風で舞った髪越しに漆黒がすみれを取り込んでいるのを見つけ、その深い重さに囚われる。
見つめ合うだけで、胸の奥がきゅってなった。
なんで、こういう恋だったんだろう。
ようやく愛した男は、途轍もなく、遠く、気高い。
「独り占めしてるの」
「是非そうしてくれ」
伴侶も脇を固める布陣も、室井はもう個人の判断でどうこう出来るようなものではなくなった。
それこそ日々のスケジュールから住む場所まで、多くの判断を仰がなければならなくなった。
実際、もっと早く既成事実作ってしまえてればと、二人で笑ったこともあった。
二人で額を押し当てて笑った。
二人でいると、穏やかな時間が流れた。
その細やかで蜜やかな時間がすみれの中に走馬灯のように過ぎっていく。
好きというだけじゃ云い尽せない。
持て余すほど、熱い――
「この先もずぅーっとそのしかめっ面、傍で見て生きていくんだなぁって。そんなことも、いつの間にかあたしの中で決まってた」
「・・・」
「覚悟、させられちゃって」
震えるようなすみれの声に、室井が背後に近づき、すみれをそっと振り向かせる。
はにかんで笑おうとして失敗したすみれを、室井の腕が柔らかく引き寄せ、そのまま室井が細い顎を傾けた。
ハッとしてすみれが室井の口をばってんにして堰き止める。
物凄く不満げな室井の顔を見て、ようやくすみれが顔を綻ばせた。
「外では、だぁめ」
「もう誰に見られたっていいだろう」
ふふと笑って、すみれが室井の腕から擦り抜ける。綿飴が溶けるように消えたぬくもりに、想像以上に愕然として、室井がすみれに腕を伸ばした。
二の腕を強く引き寄せ、背中から腕の中に閉じ込めれば、小さく、あっと叫んで、小さな、柔らかく温かい身体が落ちてくる。
ホッとしたように室井がその髪に鼻を埋めた。
「違うの。室井さん」
「逃がさない」
「んん、そうじゃなくて。あのね。あたし、」
言葉を、何かを必死に伝えようとしたすみれを遮るように、室井が回す腕に力が籠り、すみれは制止されたことを悟る。
男の力に、思わず身震いした。
「その先は、譲ってくれ」
「・・はい」
名残惜しそうな腕が解かれ、振り向かされると、見上げるそこには今までになく真剣な顔をした室井がいた。
少し冷たい長い指先がすみれの乱れた髪を愛おし気に梳く。
冷たさと繊細さを持ち、目尻を確かめ、耳朶を撫ぜ、頬を包む。
その緩やかな動きに、その指がベッドの中でどのように動き、すみれをどれだけ悩ましくさせ、忘我の域にまで導いてくるのか
そんなことが不意に想起させられ、射抜いてくる男の視線にすみれの身体が竦んだ。
師走の零度に晒されていた筈の顔が火照り、すみれの目が泳ぐ。
沈黙に堪えられなくなって、両手で顔を覆った。
「ああああのッ、室井さん、あたしっ」
つい、一歩後退る。
夜でもきっと丸分かりの火照る顔を両手で隠し、指の間から、叫んだ。
「あたし、傍にいる!ずっと傍にいる!だけど、この先は、あたしにも身体張らせてほしいの!」
驚いたように室井の目が見開かれる。
「警視総監の妻として公から護られるのもありがたいけど、警視総監の妻として出来ることもないんだけど」
「――」
「せめて、あたしも同じ目線にいたい。貴方を一人で戦わせたくない。お願い。見て見ぬふり出来るほど強くもないの。あたしを、何も出来ない女にしな
いで」
青島くんは連れていくくせに、あたしは置いていくの?
ただ待っているような女は嫌。
逃げ出して、泣くことしかできなかった女は嫌。
室井が傷つき、堪え忍び、戦っていく傍で、部外者でいるなんて、もうあたしには出来そうにない。
貴方が悲しみに暮れていたら、飛び出しそう。
あたしが望むのは、家で夫の帰りを待つ妻じゃない。
「もう、待ちたくない・・!」
だから、失くした時間を、今、取りに行く。
「こんの跳ねっ返りがァ・・。俺たちは最初から、三人だったろ」
「っ」
ふぅと詰めていた息が届き、室井の屈強な腕がすみれに周って再びゆるりと引き寄せられた。
見知った匂いに胸が押しつぶされそうで、目を閉じた。
その腕がすみれの背後で結ばれ、室井が悠然と空を見る。
「出会って、何年だァ・・?随分遠ぐまで来だなァ」
訛りの混じる口調に、すみれはたまらなくなって指先で室井のコートを掴んだ。
都会の空に星はなくても、キラキラ回るメリーゴーラウンドが二人の足元で光を幾重にも躍らせる。
クリスマスには特別な輝きを添えて、室井の匂いに包まれて、光舞う宙に、すみれの想いが溢れた。
「あうごどでぎで、よがったじゃ」
自分の中に詰め込まれた数多の感情が、際限なく溢れて、人を欲しがるとはこんな熱情だったかとすみれを翻弄した。
25年という月日は、二人に何を齎しただろう。
見上げる室井の髪には白髪が交じり始めている。
自分も周りも誤魔化し、嘘で固めた時間は無駄だったのか、それとも意味があったのか。
ひとを好きになるって、こんなにも浅ましい気持ちなんだ。
近づくほどに遠ざかっていくような、ありきたりの言葉で流してしまえるような
そんな生半可な愛で誤魔化せるくらいなら、ここまで惚れさせないで欲しかった。
「室井さん、・・ぇ・・ッ」
腕の中の温かな甘さに、顔を上げたすみれの後頭部を、突如室井の大ぶりの手が男の力で掴み
上向かせられたと思った途端、室井が強引に口唇を重ねてくる。
穏やかな口調とは裏腹に、いつになく乱暴で、雄の荒々しさを覗かせた豹変ぶりに、竦む身体を浚われ、吐息ごと奪われた。
「・・んぅ・・ッ」
深く舌を挿し込まれた圧迫感に、思わず声を洩らし、すみれが頑是なく首を振る。
こんな外で。人目もあるのに。
それは室井が初めて見せた余裕のなさかもしれなかった。
思考が白濁し、促されるまま指先を絡め、爪先立ちとなって、室井の兇悪なまでに甘い想いを受け止める。
喉奥まで貪られる舌が、灼けそうに熱い。
目尻を撫ぜられ、高貴な指先がコート越しに背中を辿れば、カクンと膝の力が抜けた。
「・・ぁ・・っ」
熱を孕んだすみれの吐息が、意思とは裏腹に遊園地の夢舞台に溶ける。
ようやく解放してくれた室井は息一つ乱れてはおらず、薄らと笑み、その親指で、すみれの濡れた下唇を拭った。
高貴な漆黒に吸い込まれそう。
成熟した大人の男の仕草にまたひとつ熱を与えられ、室井はそんなすみれを抱き締めた。
「指輪は男除けになる。受け取ってくれ」
「・・失くしちゃうわ」
「何度でも買ってやる」
「また暴走しちゃうかも」
「今度は青島じゃなく、俺が行く」
「足癖の悪いお嫁さんだけど」
「楽しそうだ」
「まだ肝心の言葉を聞いてない」
室井が腕を解き、すみれの顎を持ち上げる。
純欲でありながら、凛とした愛らしさを持つすみれの潤んだ瞳に室井が映り込む。
幾重にもイルミネーションを反射する麗しい瞳に吸い込まれながら、室井が身を寄せた。
真剣な顔が近づいてくるのを、すみれはじっと見上げていた。
吐息のような掠れた声がすみれの耳元に届く。
「・・お受けします」
すみれの朱いルージュが震えるように承諾の音を唱える。
その口唇に、室井は厳かに口付けた。
クリスマスの夜、幸せが空から舞い降りる。
25年分の倖せはまとめて落ちてきた。
MerryChristmas!